表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/19

6「目論み」

夏が終わりを告げ、しつこい残暑もなりをひそめ始めたころ。蒼と千秋がいつもどおり、楽しそうに会話を弾ませる様子をぼんやり眺めながら、田中夏目は頬杖をついた。あの二人とは小学校が同じだったのだが、正直、まともに関わるようになって今のような友人関係にまで発展したのは中学にあがってからだ。なので、出身校が同じだったからといって、夏目が二人について詳しく知っているわけではなかった。


たとえば、二人はいつから仲がいいのか。たとえば、彼らがどういった基準で漫画やドラマなどを好きになるのか、その趣味嗜好。たとえば、将来の夢や、進路への心構えや志というものはどういったものなのか。


たとえば、二人はお互いをどう思っているのか。


夏目はなにも知らなかった。付き合いがまだまだ浅いことを差し引いても、わからないことが多すぎる。なにも、千秋と蒼だけに限った話ではない。蒼と双子の兄妹であるナズナのことも、ナズナや蒼の幼馴染である香のことも、山吹や真夏のことも。わからないし、教えてもらえないし、自分で察することも、気付くことも、あまりない。


友達のことをもっとよく知りたいと強く思う反面、拒絶されることが恐ろしい。自分が踏み込んだことによって、相手が嫌な思いをするのではないかと、自分がそれを口に出すことによって、なにかが変わってしまうのではないかと危惧してしまう。そうやって遠慮して、閉口して、その結果なにも聞けず、聞かないのだから当然、教えてももらえず、結果としてなにも知らないままにともにいて、時間だけがすぎていく。


そして現在、夏目の頭の中を埋めていた問いも、やはり本人に向けて口にすることができないのだった。



「まあ、なんというか、好きなんだろうなとは思うんだけどな」


山吹和正の自宅、彼の部屋のカーペットにごろりと横になっていた西東真夏が、伸びをしながらそう言った。まるで自分の家にいるかのようなくつろぎようだ。聞くと、真夏は山吹の家ではいつもこうらしい。


「俺はてっきり、二人は付き合ってるものだと思っていたが」


山吹が透明なグラスに冷えた麦茶を注ぐ。真夏がけらけらと軽い調子で笑った。


「だよなあ。だって、あいつらの間の空気って、完全にただの友達どうしのソレじゃねえもん。ありゃ、ただの友達ですって言われて、ああそうなんですかと納得するほうがおかしいね」


「二人の――空気?」


そんなものでわかるようなことなのだろうか。……いや、わかるのだろう。彼は普段からなにも考えていないように振る舞ってはいるが、案外、周囲のことをしっかり見ているのだ。短い付き合いではあるが、友達として真夏の近くにいた夏目には、なんとなくそうなのではないかと、わかってきつつある。


真夏や山吹とは中学一年の春に知り合った。最近になって得た情報なのだが、二人は小学校のころからの幼馴染であり、親友同士らしい。初歩的な情報だ。そう、それを、出会って一年でようやく知った。とはいえ、疎外感を微塵も感じないほどの鈍感ではない夏目は、自分が今ここにいることさえも場違いな気がしてならない。真夏も山吹も、そんなことは少しも考えていないようだが、夏目はなんだか心配だった。


「俺がそれとなく聞いといてやろうか」


「え?」


二人の関係が本当のところはどうなのか……いや、二人がお互いをどう思っているのか、ということについて、だろうか。


「い、いや、別にそこまでしなくても」


「俺も気になってはいたんだよね。ま、そういう話になったときにでも、さりげなく探ってみるよ」


「お前の場合、そういう話でなくても無理矢理そういう話にするだろうし、さりげなく探るどころかストレートに聞くだろう。心配だ」


山吹の指摘は鋭い。


「そ、そうだよ、それに、もしそれでなにかあったら……」


「なにかって、たとえば? 俺、香とナズナにも同じようなこと聞いたけど、別になんともなかったぜ?」


「そりゃあ、香とナズナは香とナズナであって、蒼と千秋とは違うんだから、反応が違うのも当たり前だよ。もしそれで二人の仲が変わっちゃったりしたら」


「くっつけば祝福するさ。そりゃめでたい。おめでとう」


「そうならなかったら?」


「今までどおりだろ」


「もしもあの二人の関係が悪くなっちゃったらどうするんだよ!」


察しがいいのか悪いのか判断しかねる。真夏は横たえていた体を起こし、眉間にしわを寄せると、はあ? とあからさまに不快そうな声で威嚇するような声を出した。夏目は怯む。強く言いすぎただろうか。言い方が悪かったかもしれない。


「なんで俺があの二人に、相手のことをどう思ってんのか聞いて、それであの二人の関係が悪くなるんだよ? 小学生かっての。それに、その程度のことで揺らぐような関係なら、もともとないも同然だろ。幼馴染を自負できるほど一緒になんていねえよ」


「わ、悪くなるっていうのは、その、言いすぎかもしれないけど、ぎこちなくなったり、そういう可能性だって、ない……とは言えないだろ?」


「そんなもん、あいつら次第じゃん。俺には関係ないし、知ったこっちゃないね」


「な――」


なんと無責任な!


人目を気にして相手の顔色ばかり窺っている夏目と違い、真夏は良くも悪くも自分の気持ちに正直なのだろう。マイペースと言うのだろうか。周りの目も、相手の顔色もまるで気にしない。そういう意味では夏目の対極にいる。夏目にはない、ある程度の自己中心さを持っている。だからそんなことが言えるのだろう。


でも、山吹が口をはさむ。


「俺たちが思っているより、ずっとデリケートな話題であることはたしかだ。関係ない周囲の人間が、そうとやかく言うようなこともでもないあろ」


「なんだよ、俺はただ気になっていたことを質問するだけだぜ? それが悪いことだとでも言うのか。あのな、俺はなにも、恋のキューピットになってやるつもりなんてないし、別に両片想いだからってはやしたてるつもりもない。今の俺の話聞いてたか? それで二人をどうしたいなんて、ひと言も言ってないだろ」


「そうかもしれないけど、それをこういうところで話の種にするっていうのは――」


「てめぇ喧嘩売ってんのか、おい」


真夏に鋭い目を向けられ、初めて見たその剣幕に夏目は青ざめた。


「そもそもこの話を始めたのはお前だろ、夏目。自分から言い出したくせに、なにを俺一人にすべての悪と責任を押し付けてんだ」


「え、あ、いや、そういうわけじゃ、そ、あ、う」


謝罪と言い訳の言葉が同時に口から出ようとして、もつれ合い、言葉にならないまま奇妙な声だけでどもり続ける。その夏目の様子を見て、真夏はふん、と鼻を鳴らすと、座ったまま伸びをする。


「じゃあ、わかった。夏目はあの二人のことが気にならないんだな。じゃ、俺が勝手に聞いて、聞き出した情報は俺だけの胸の内に留めておこう。お前らには教えてやんねー」


一瞬、本気で怒ったような顔をされた気がしたのだが、彼はもともと顔が怖いので、本気かどうかの判断がむずかしい。どうやら、今の様子を見るに本気ではなかった……ということでいいのだろうか。真夏はどうもわかりにくい。


「……関わらずにそっとしておく、っていう選択肢はないんだな」


山吹が参ったような顔をする。言い負かされたというより、呆れているような印象だ。長年の付き合いで、これ以上はなにを言っても無駄だとわかっているのだろう。真夏の前でこんな話をするべきではなかったようだ。夏目が後悔したころには、既に手遅れであった。



*



人の表情が凍りつく瞬間を間近で見たのは、それが初めてのことだった。蒼は一瞬、ひどく動揺したが、すぐにそれを隠すようにいつもの無愛想な仏頂面をつくると、真夏を見た。


「……なんで?」


蒼はひと言。唐突の思いがけない質問に対し、なぜそんなことを聞くのかという問いなのか、なぜお前がそんなことを知っているのかという問いなのか。彼は表情を隠すのがうまいので、その問いかけがどちらの意味を含んだものであったか、顔を隠された今となっては判別に困った。


「いや、なんとなく。なんかそういうのはないのかなと思って」


「別に、僕と千秋は……そういう、なんでもないし」


「へえ、ふうん」


真夏の相槌を意味深に感じたのか、蒼は眉を歪める。


「なんだよ」


「いや、本当になんでもないならいいんだ」


「はあ?」


「いいのいいの、気にすんな」


「な、なにが、気にすんなって、おい」


相変わらず表情は読めないが、その声から伝わる動揺が答えだろう。


「さっき、千秋が他の男子に呼び出されてたからさ。お前が別にそういう……ま、なんでもないならいいか」


「えっ」


蒼の鉄仮面が焦燥に崩れる。崩れてしまえばわかりやすいやつだ。じゃあな、と真夏は立ち去ろうとするが、蒼が慌てて呼び止める。名を呼ばれたので振り向いた。


「どうした?」


「あ、いや、その」


呼び止めたものの口ごもる青に、真夏は呆れた顔をして見せる。いや、実際、少しばかり呆れている。


「なんでもないのに気になるわけ?」


「や、別に、そういう……」


「そ。じゃ、俺は帰るから。冷蔵庫のプリンが俺の帰りを待ってるんでね」


「ち、ちょっと」


咄嗟に、といった様子で蒼が真夏の肩を掴む。


「なんだよ」


「や、だから、その」


蒼はしどろもどろだ。もとより口下手なのは出会って二日で理解していたのだが、あわてると余計に言葉が出ないらしい。いつもは上手に隠している表情という名の情報が、よりにもよって真夏の前でだだ洩れになってしまっていることに、彼は気付いていない。


「よ、呼ばれてるって、なに」


「気になるなら素直に言えばいいのに」


「だからッ、そういうわけじゃ……!」


「じゃあ、どういうわけ?」


「そ、れは……」


頑なな態度の蒼にストレートにぶつける。デリカシーなどはない。無神経だとか意地悪だとか、そんなこともあまり考えていない。ただ疑問に思うから問いかけるだけだ。相手にどう思われるとか、無神経だとか意地悪だとか、そういうことはあまり考えていない。


「呼び出しって言っても、なんの用かは知らないからな。俺もちらっと見ただけだし。気になるなら、あとで本人にたしかめてみればいい」


今度こそ、真夏は蒼のもとを去る。どうやら、はっきりとした言葉では聞き出せなかったものの、態度を見ればわかる。男子生徒が千秋を呼び出した――ただそれだけであれほど動揺するのならば、彼が千秋に好意を寄せていると断定していいだろう。ただ、それを出会って半年程度の他人に、そう易々と打ち明けるほど彼は軽率ではない。


山吹が待つ生徒玄関に向かいながら、真夏は誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。


「……もどかしいなあ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ