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3「夏の日」

「昨日テレビでやってた映画見た?」


「最初のほう見れてなかったけど、途中からなら見たよ」


「おもしろかったよね。あれって続編あるのかな」


真夏が登校してきたとき二人は既に教室にいた。時刻は午前七時五十分。朝も早くから既にセミの鳴き声があたりに響いていた。部活をしているわけでもない生徒が来るには早すぎる時間だが、彼らにとってはもはやこれが日常である。


田辺千秋は蒼の肩越しに真夏を見ると、おはよう、と愛想よく微笑む。真夏は、おう、とおよそ挨拶とは言えない声を返し、持っていたハンドタイルを顔に押し付けた。


千秋は蒼の幼馴染だ。肩まで伸びたショートカットの髪に血色のいい健康的な肌。ぱっちりとした目と太陽のように明るい笑顔が目を惹く少女で、男女の分け隔てなく誰とでも仲良くできる活発な性格だ。本来ならばクラスの中心に近い位置にいそうなものだが、どういうわけか蒼や真夏などの目立たない控えめな面子と一緒にいる。


「しッかし、まだ朝だってのに暑いなあ。これから昼にかけて、もっと暑くなると思うと気が狂いそうだ」


「朝の天気予報見たけど、今日はとくに暑いみたいだよ」


「半袖のシャツ着てくれば?」


真夏はいつも長袖のシャツだ。


「これしかないんだよ。兄貴も半袖持ってないし……いや持ってても着ないけど」


「ね、真夏は昨日やってた映画見た?」


「映画? ……ああ、そういや、なんかやってたな。見てたよ。最初の五分だけ」


「それは見たとは言わん」


「別のチャンネルで見たいやつあったから」


「見たいやつ?」


「世界の不思議ニュース、二時間スペシャル」


「真夏ってそういうドキュメンタリー番組好きだよね」


「俺の部屋のテレビはあの番組のためだけに存在してるからな」


「ゲームもだろ」


真夏は普段からテレビはあまり見ないほうだ。まだ幼かったころは兄と一緒にテレビにかじりついているテレビっ子だったが、それも小学校の二年生くらいまでのことだ。以降は一人で本を読む時間のほうが多く、最近の流行には疎い。どんなドラマがやっていて、どんな俳優や歌手が人気なのかまったくわからない。


流行をおさえるには雑誌やバラエティ番組、ニュースなどを逐一チェックしておく必要がある。要は情報収集が面倒なのだ。どんどん新しいものへと移ろいでいくものを追いかけ続けるのは疲れる。いくら調べてもキリがない。他の趣味に時間を費やすほうが真夏にとっては有意義なのだ。


真夏は自分の机にカバンを置き、二人のほうを向いて座った。そのまま特に当たり障りのない話題を振り、なんてことない世間話を展開させていく。蒼と千秋はこのとおり、おそろしく登校時間が早い。真夏も、冬はともかく夏の間は少しでも涼しいうちにと早い時間に家を出ているが、たとえば、山吹などはもっとあとになってから来るので、二人との会話はそれまでの暇つぶしの意味もあった。


千秋の出す話題は有名な漫画やテレビの話が多かった。蒼の部屋には大きな本棚があり、たくさんの漫画が置かれているということは話に聞いている。千秋の部屋もそうらしい。なので、そういう話題で盛り上がるには、お互いがうってつけの相手なのだろう。真夏はその手の話に詳しくないので、ディープなところにまで話が進んでしまうとおいてけぼりをくらうのだが、話を聞きながら物語を理解し、あれこれ質問したりすることで真夏なりにその話題を楽しんでいた。


そうして毎日、近くで二人のやりとりを見ているうちに、なんとなく気になることと、それに関してわかったことが、ひとつだけあった。



*



「なあ、真夏」


「あん?」


うだるような暑さのなか、照り付ける太陽を忌々しげに睨みつけながら、山吹が言った。


「蒼と田辺って付き合ってるのか?」


がこん、という乱暴な音とともに吐き出されたペットボトルを取り出し口から拾い上げる。今の今まで自動販売機の中で冷やされていたボトル容器はひんやりと冷たい。キャップを捻ると、プシュ、と勢いよく炭酸のガスがもれる。


「ああ、やっぱそう思う?」


口の中に強い刺激を残しながら、冷たく甘い液体が胃へと落ちていく。いかにもジャンキーで体に悪そうな味が、授業と暑さで疲れ切った体に染み込んで心身を癒す。なんと言われようとこれが好きなのだ。


「なんでうちの学校には冷房も扇風機もないのかねえ。勉強させたいなら、まずそのための環境を整えてくれよな」


「整えたところで勉強しないだろ――って、お前、話聞いてるのか?」


「ガラにもなく恋愛話をお望みか? まあ、お前がしたいって言うなら、俺は別にいいけどさ」


「なんだ、その仕方なく付き合う感じは」


「で、なんだって?」


「……やっぱり、ってことは、お前も同じことを考えていたのか」


「まあ、仲がいいからな。思春期の男女にしちゃ」


「たしか最近、あの二人と仲よかったよな、お前。本当のところはどうなんだ?」


「俺が知るかよ」


言いながらペットボトルを差し出すが、山吹は手のひらを立てて拒んだ。


「それ炭酸キツすぎ。よく飲めるよな」


「若いからね」


苦い茶を飲まされたような顔をする山吹に、真夏はかみ合わない返事をする。たしかに、この炭酸飲料、商品名はジャンク・ドラゴンとかいうダサい……もとい、小学生男子が考えたような一種のかわいらしさのある名前なのだが、他の炭酸飲料と比較しても刺激が強いことで有名だ。他の友人たちにすすめると大抵は今の山吹のように渋い顔をする。こんなものを好んで飲むのは真夏くらいだ。たしか蒼も炭酸飲料が好きだと聞いたが、彼ならばこれの良さがわかるだろうか。


「それとなく聞いてみようか? ああ、でも夏目あたりが知ってるかもな、そのへんは。小学校も一緒だったらしいし」


「いや、別にそこまでして知りたいわけじゃ……」


「俺の所感では……まあ、付き合ってはいないと思うぜ。でも好きではあると思う」


「……それは、つまり、どっちがどっちを?」


「さあよ、俺の勝手な当て推量だ。ただどうなんだろうな、ああまで仲のいい男女って。たしかに男女の友情が成立する場合だってあるだろうけどさ」


「お前はそのあたりに頓着がなさそう……というか恋愛って単語がいまいちこう、ピンとこないというか。あまり似合わなさそうなやつだからなあ」


「なにを言うかね。俺もお前も志村も生まれ持った性別と感情ってもんがあるだろ。魅力を感じる誰かに出会えば恋のひとつもする」


「そういうことじゃなくてな」


「イメージ的にってことだろ?」


「ああ。俺も他人のことを言えないが、お前も特定の女子とずっと二人で一緒にいることってないだろ? お前が彼女ができたっつって、女子とひっついてるところなんて想像できん」


「お前と違って女子の友達はたくさんいるぜ?」


「それは知ってる。最近よくいろんな女子と話してるのを見かけるからな。彼女できたは想像できないが、案外モテるんじゃないか? お前」


山吹がペットボトルのお茶を飲む。真夏はため息をついた。


「……そいつはどうだかな」


「ん? なんだ?」


「お前はどうなんだよ、山吹。恋人とかつくるつもりはねえの?」


「いや……別に好きな女子がいるわけでもないし。今はとくにほしいとも思わないな」


「ふうん」


「それに、彼氏とか彼女とか口では簡単に言えるけど、自分が誰かを好きになって、その相手も同じように自分を好きになるって、相当むずかしいことだと思うぞ。俺には到底無理だ」


「心配しなくても、お前ならほしいと思いさえすれば簡単にできるよ」


真夏が言うと、山吹は冗談でも受け流すように、そうかい、と言った。だが真夏にしてみればそれは冗談などではない。炭酸飲料で喉を鳴らしながら横目で山吹を見る。


身長は真夏よりいくらか高いのだが、細身なのもあって余計にそう見える。まつ毛が長く目も大きい。顔のパーツは大きさも形も位置も、すべて整っており、彼をモデルや俳優と勘違いする人がいてもおかしくはない。なんというか、かっこいいというよりはキレイなのだ。美しい顔立ちをしている。イケメンというよりは美人なのだ。


見た目だけでもそんなだというのに、山吹は勉強もできる。成績はおそらく、学年でもトップファイブには入っているだろう。運動もそれなりにできる。性格もいい。面倒見がよくて、仲間思いだ。大抵のことは少し呆れた顔をするだけで、とくに怒ることもなく許してくれる寛容さもある。欠点と言えば字と絵がおそろしく汚いことくらいだ。実際、意味がわからないほどモテる。


その山吹の人気たるや、女子生徒が休み時間のたびに教室の隅に集まっては、彼の一挙手一投足にキャーキャーと歓声をあげるほどである。新学期には別のクラスから山吹を見るためだけに彼のクラスまでやってくる女子もいる。ではなぜ、それほど女子からの人気があるにも関わらず、彼にはその自覚がないのか。答えは実に単純で、女子が近付いてこないのだ。


まず山吹の容姿と能力が完璧すぎること。それに加え、山吹自身がクラスでもおとなしい類の生徒であるために、女子からはクールで近寄りがたい存在という認識になっていること。それから、これが一番の理由なのだが、女子生徒のなかに彼のファンがあまりにも多すぎることだ。


女子が山吹に近寄れないのは他の女子の目があるから。山吹のことが好きな女子や、好きとまではいかなくとも気にはなっていたり、単純にアイドルのファンのような状態の女子というのは、石を投げれば必ず当たると言ってもいいほど存在する。


たとえば今ここに一人、山吹のことが本当に好きで、ぜひお近づきになりたいと考えて自分から彼に話しかけた女子がいたとしよう。はたして、それを見ていた他の山吹ファンの女子たちはどう思うだろうか。抜け駆けだ、色目をつかった、媚びを売って自分だけ好かれようとしている――答えはさまざまであるが、共通して嫉妬と怒りの目を向けられるのだ。


山吹のことが好きな女子は他の女子の反感を買うのが恐ろしくて、一定以上、彼に近寄れない。せいぜいが席替えのクジで彼と隣接した位置を引き当てて、内心で狂喜乱舞するのが精一杯なのだ。山吹は誰かに告白されたことはおろか、私的な理由で話しかけられたこともほとんどない。なので、彼は自分の価値をまるで理解していないのだ。……その分のしわ寄せがすべて真夏に来ているということも、彼は知らないだろう。知らせるつもりもない。


山吹の幼馴染であり、親友とも自負する真夏は正直、女という生き物がとてつもなく恐ろしい存在に思えてならない。理由など言うまでもないだろう。山吹自身はまるで気付かなかったが、山吹ファンの凄惨な争いというものを、彼の隣にいた真夏は今まで何度も見てきたのだ。


いや、かといって女性に対する苦手意識だったり、恐怖心だったりが強いわけではない。声をかけられれば応じるし、会話のうちに気安いボディタッチでもあれば素直にうれしい。かわいい子やキレイな人を見れば、つい目で追ってしまう。だが――魅力的な異性を前に、そのライバルが多いことに気付いたときの女は怖い。


山吹をめぐる女子生徒たちの戦争は、なにも中学のこの冷戦状態が最初ではない。小学校のころ、真夏が彼と同じクラスに転校してきて彼と仲良くなったころには、気付けば既に戦いは始まっていた。まだ友情と愛情の捉え違いの多い時分ですら、山吹はクラスの女子の憧れの的だったのだ。


あれは小学校三年のころ。授業の一環で女子三人、男子三人で計六人のグループにわかれる機会があったのだ。その際、誰が山吹と同じグループになるかで女子児童たちは揉めに揉めた。じゃんけんにしても、クジにしても争いが起こる。結局、十五分にも及ぶ死闘の末、グループは男女に別れて組むことになったのだが、目の前でその戦争を見た真夏は子どもながらに女の恐ろしさというものを学んだ。あれはあどけない少女などではなく、まぎれもない「女」だった。


ちなみに、その事件の当事者である山吹は、当時クラスで流行っていた迷路遊びに夢中で、女子が自分を取り合っていることはおろか、教室でそんな暴動が起きていたことにすら気付いていなかった。今になって思うと、あの日、真夏が前日に徹夜で製作した渾身の迷路さえなければ、彼も自分が置かれている立場に気付いたのかもしれない。とはいえ、まかり間違って女癖の悪い男になられても気まずいので、これはこれでよかったのかもしれないが。あの迷路がひとつのキッカケを奪ったのは事実だ。


となると、この山吹和正という男の、周囲からの熱い視線にめっぽう疎い性質は、真夏がその機会を偶然奪ってしまったがために出来上がったと言っても過言ではないのか。


「……やっぱり俺のせいかな」


「なんだ?」


「いや、なんでもねえよ」

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