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2「二学年」

「あ、えーと、ニシアズマくん? ちょっといい?」


定期テスト二日目の休み時間、真夏が水道で手を洗っていると、くたびれたワイシャツ姿の男性教師が背後から真夏を呼んだ。二年で理科を教えている田山の声だ。


「サイトウです」


「え? あ、そっか、ごめんごめん」


真夏が反射的にそう答えながら振り返ると、田山は白髪交じりの頭を掻きながら笑った。苗字の読みを間違えられるのは今に始まったことではない。西東、サイトウ。読めない名前ではないはずだが、なぜか引っかかる人が多い。真夏が教師や友人以外のクラスメイトとはあまり話さないせいもあるだろう。最初に読み間違いを訂正されたという印象だけが強く残り、次に話したころには時間が経って記憶が曖昧になった結果、結局間違えたほうで呼んでしまう。教師が間違えるのはだいたいこのパターンだ。


そういった単純な覚え間違いや読み間違いならまだしも、中にはわざと呼び間違えてからかってるだけの者もまざっているのでタチが悪い。たまに茶化してくる程度ならかまわないが、バカのひとつ覚えのようにしつこく何度もからかわれると、さすがにうっとうしい。この国に法というものがなければ殴っていた。


「田辺さんにこのプリントをわたしておいてくれるかな。この前の授業で理科室に忘れて行ったみたいで。僕もさっき見つけて」


「はあ、はい」


田辺、タナベ、たなべ――何度か頭の中で呟いて、ようやく一人の女子生徒の顔が浮かんだ。田辺千秋たなべちあき。彼女ならば一応は友人と呼べる仲だ。普段は名前で呼んでいるのですぐにピンとこなかった。受け取ったプリントは以前に受けた小テストの解答用紙だ。全問正解、字が整っていて非常に読みやすい。まるでお手本のようだ。


定期テストの日は机の中の教科書類はもちろん、机の横にかけているカバンなどの荷物も廊下に出さなければならない。なので直前までテスト勉強に集中する者は、ほとんどが廊下で問題集を見つめている。蒼もそのなかに混ざっていた。


「おい、志村。千秋は?」


蒼が顔をあげる。


「え、さあ、知らない。……トイレとかじゃないの?」


「あ、そ。じゃあ、戻ってきたらこれ、わたしといて」


「えっ」


戸惑う蒼に千秋の小テストを押し付けて教室に入る。真夏と同じく、テスト勉強をあきらめた生徒が何人か既に教室でぼんやりしているのが目に入る。最善を尽くさない同胞たちに心の中でエールを送った。健闘を祈る。


席について大きなあくびをしたところで、予鈴が鳴った。



*



「テスト終わったなあ」


「それはどっちの意味だ?」


「もちろんジ・エンドのほうだ」


「……ご愁傷様だな」


両手を小さく広げてわざとらしく肩をすくめる真夏に、山吹はそれみろと言わんばかりの呆れた眼差しを向けた。


最後のテストを終えた放課後。真夏と山吹はまだ賑わいの絶えない生徒玄関で靴を履き替えた。普段とは違って午前中なので、テストから解放された生徒たちはこのあとの予定を話し合っている。真夏と山吹は午後からなにかをする予定がなければ、誰かに誘われる予定も誘う予定もない。ので、自分の時間を思い思いにすごすべく、速やかに帰宅しようと考えていた。


履き慣れた靴の先で地面を突く。そこで、二人の共通の友人である田中夏目たなかなつめが追いついてきた。


「あれ、蒼は?」


夏目は開口一番にそう言った。真夏は眉をひそめそうになるのを抑える。


「知らねえよ。帰ったんじゃないのか?」


「そっか。真夏と蒼っていつも一緒にいるから、なんだか山吹と二人でいるのって珍しいな」


別にいつも蒼と一緒にいるつもりなどないが。たしかに最近に知り合ったばかりの夏目からすれば、そう見えるのかもしれない。だが山吹といるのが珍しいというのは、彼の情報不足、あるいは観察不足だ。蒼とは今年になってたまたま同じクラスで、たまたま出席番号が隣り合っていて、お互いに害がないから一緒にいるだけだ。


山吹と真夏は小学校二年からの仲で、真夏がこの町に引っ越してきたころからの幼馴染だ。山吹といるほうが真夏にとっては自然だし、蒼とのほうが――と思うのは、夏目が真夏のことを知ったような気になっているだけにすぎない。山吹は夏目の言葉に思うところがあったのか、少しばかりむっとした。


「別に、珍しくはないだろ」


「そうだっけ?」


「去年は同じクラスだったのに、もう忘れたのか」


「いや、そういうわけじゃないけど。それよりさ」


夏目が話を変える。ここまでのやりとりはただの挨拶代わりで、本題に入るまでの話のとっかかりにすぎなかったのだろう。


「二人とも、これから暇? テスト終わったし、みんなで蒼の家に集まろうって話になってるんだけど」


みんな、とは。主語が曖昧すぎる。


「テストおつかれさま会?」


「そんなとこ」


山吹が片手を振る。


「俺はパス」


「俺も今日はいいや」


「そう? 山吹は塾とか忙しいんだろうけど……」


「まるで俺が年がら年中常に暇だと思い込んでるみたいだな?」


「え、ごめん」


「そのとおりだ」


「なんだよお前……」


「でも今日はパス。俺は志村の家を知らない」


「学校からすぐ近くだよ。校門前で待ち合わせて一緒に行く?」


「いいって。みんなってのも誰のことかわからないし」


「蒼とナズナと俺と、あとは香と千秋だよ」


「ナズナとカオル」


「うん」


夏目の口ぶりからするに真夏も知っているはずの二人なのだろう。が、ピンとこない。覚えがあるとすれば一年のころ。確実に知っている蒼と夏目と千秋、あと二人、何度か話した生徒がいる。顔は出てこないが声は覚えている。たしかにそういう名前だった。会えばわかるはずだ。微妙なメンバーだな――と言いそうになったが、他意はなくとも角が立ちそうなので飲み込んだ。


「んじゃ、俺の分も楽しんできて」


「うーん、じゃあ、また今度おいでよ」


「はいよ」


適当に話を切り上げて校舎を出る。真夏は山吹のように塾などの習い事に通っているだけでも、夏目のように部活動をしているわけでもないから、午前中に帰宅して暇でないはずがないのだが、今回ばかりは気乗りしなかった。


「香とナズナって誰だっけ」


校門を出たところで山吹に尋ねる。自分の記憶があまりにも信用できない。事実、藤谷香ふじたにかおると志村ナズナという二人分の名前が思い浮かんでいたものの、本当に合っている自信はなかった。顔もあやふやだ。山吹は少し考えるそぶりを見せ、ほらあいつだよ、と言った。


「藤谷香と志村ナズナだ。基本的にいつも一緒にいる二人組で……覚えてないのか? 今年はともかく去年はお前も同じクラスだったし、話したことだってあるだろう」


「俺は過去を振り返らない男なんでね」


「なんだそれ」


「正直に白状すると、なんとなくでしか覚えていない。別にその香やナズナと一緒にいたわけじゃないし。同じ空間にいたという意味ではそうだが、小学校からの友達を経由して知り合った夏目を経由して知り合ったクラスメイトってだけで、名前は今覚えたけど、顔は思い出せない。間に夏目がいなきゃ、関わることもなかったろうよ」


「あいつらがそれを知ったらどう思うか」


「さあな。その点お前は楽でいい。もうそこそこ付き合いも長いから、今さら変に気を遣う必要もないし、今になって嫌いも苦手もない。よき理解者だと思ってるよ」


「若干寒気のする言い方だが、たしかに否定はできないかもな。ところで午後からはなにかあるのか?」


「いや、別になんにも。暇を持て余すだけだよ」


「……だったら行けばよかったのに」


「今日はそういう気分じゃないの」


そうとだけ言うと、真夏は山吹と別れて細い脇道に入っていった。こちらのほうが近道なのだ。じゃあな、と別れの挨拶をする山吹に、返事の代わりに軽く手を挙げた。真夏はいつもだいたいこうだ。


近くの木で、セミがうるさく鳴き始めた。

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