19「宣言」
卒業式は粛々と執りおこなわれた。長ったらしい式のほとんどを、うつらうつらと舟をこいですごしながら閉会を待つ。そうして最後の最後まで怠慢かつ、不真面目な態度のまま、三年間の中学校生活に幕が下りようとしていた。
卒業生が整列して退場していく中、なぜか目を赤くして泣いている夏目の姿が目に入り、真夏は卒業を悲しいともさびしいとも、はたまた嬉しいとも思わず、泣いている者の気持ちをまるで察せない己の心がいかに冷たいか、その無情さを自覚した。西東真夏とは、やはりちっとも優しくなどない。ため息をつこうとしたら、あくびが出た。
死期が終わり、周囲で泣いている女子の涙にあてられ、もらい泣きをしてしまったのだと言い訳する夏目を散々からかったあと、記念写真を撮ろうと言う彼らの申し出を断り、真夏は早々に帰る支度を始めたのだったが、彼が校門から出るまでに三度の妨害が入った。
まず始めに、志村蒼が呼び止めた。
「千秋から聞いた」
まだ教室で名残を惜しんでいる友人たちの輪からはずれ、急いで真夏を追いかけてきたらしい彼は、いの一番にそう言った。言葉が足りていないのはいつものことだ。聞いた――というのは、千秋が蒼とのことを真夏に相談していたことや、彼女の気持ちを聞いたからこそ、真夏が二人の恋愛成就に一役買う決意をしたことについての諸々を、ということだろう。蒼は真夏の肩を殴ったが、ただ拳を当てた程度の力しか感じなかった。あまりに非力だ。
「ややこしいことすんなよ」
蒼は下を向いている。
「ああでもしなきゃ、お前らはずっとあのままだったろ」
「うっせ。ほっとけ」
捨て台詞のようにそう吐き捨て、蒼はこちらを見ないまま踵を返す。真夏は二人のためになにか気の利いた言葉でもかけるべきか、一瞬だけ迷ったが、結局なにも言わずにその背中を見送った。そんなことをすれば、まるで真夏がいい人であるかのような錯覚を受けてしまいそうだ。
次に、生徒玄関で靴を履き替えていると、なんだか騒がしい気がして振り返った。すると、胸元にコサージュをつけた女子生徒の団体がぞろぞろとこちらへ走って来た。先頭にいた少し派手めな女子――おそらくこの団体のボス――が、真夏を見て大きな声を出す。
「西東くん、ちょっと!」
「えっ、なに?」
なにか怒られるのかと身構えたが、そういうわけではないらしい。ボスが片手に握った携帯電話を、ストラップが吹き飛ばんばかりに振り回しながら、真夏に詰め寄った。花だかなんだかよくわからない香水の香りに、真夏は顔をしかめそうになる。花の香りが苦手なのだ。先ほどすれ違った誰かのおばあちゃんから漂ってきた線香の匂いのほうがまだ好感が持てる。
「ねえ、山吹くん知らない!? 一緒に写真撮りたいんだけど!」
「山吹? あいつなら」
もう帰ったよ、と言いそうになったのを飲み込む。下駄箱に靴がないので、帰ったことに間違いはない。それを素直に言って、電話番号や住所などを教えろと言い寄られそうな予感がしたからだ。真夏が返事を焦らすので、ボスがさらに間合いを詰めてきた。思わず息を止める。
「あー、えっと、たしか、さっきあっちに」
早く離れてほしい一心で、でたらめな方向を指さす。瞬間、心臓をわし掴みにされたような不快感に襲われるも、耐えた。山吹ファンの女たちは黄色い声を上げながら、真夏が示したほうへばたばたと駆けていく。ハリケーンでも通ったかのような賑やかさだ。嘘をついたのは心苦しいが、もしも自宅の住所などを聞かれたら、真夏のことだ。また正直に答えてしまいそうだし、そうなれば山吹にも迷惑がかかる。トラブルはごめんだ。
女生徒たちの嵐に巻き込まれ、近くにいた関係のない在校生の少女が弾き飛ばされた。すごい威力だ。やはり女という生き物は恐ろしい。とはいえ真夏にも責任の一端はある。おずおず手を差し出して助け起こしたあと、まだ満開ではない咲きかけの桜を見ながら校門へ向かう。
「西東くん」
またしても背後から声がした。女の声だったので、次はなんだとうんざりした心持ちで振り向くのだが、声の主を見て安心した。しかし、緊張もした。
「委員長、どうしたの?」
「卒業したから、もう委員長じゃないよ」
それもそうだ。
「西東くん、あのね、私……短い間だったけど、西東くんといられてよかったって、思ってる」
「そんな今生の別れみたいに言わないでよ。ただ進む高校が違うだけじゃん。会おうと思えばいつでも会えるし、思わなくても、生きて外でも歩いてりゃ、どこかしらでばったり会う日もあるだろうよ」
「そうだけど、でも、もう毎日は会えないじゃない? ……今までも、いつも話してたわけじゃなかったけど、でも会うことはできて、ときどき一緒に帰って……私、それだけでよかったのに。これからはそうじゃないって、思うと、なんか、その……ごめん、なに言ってるかわかんないね」
ざあ、と風が吹き、桜が揺れた。
「あのね」
「うん」
「私、好きな人がいるの」
「知ってる」
「私ね、西東くん、私……」
そこで言葉が途切れたので、真夏は身構えたまま続く言葉を待つ。たっぷり五秒の沈黙のあと、彼女は俯いたまま首を振った。
「……ううん、なんでもない」
手の甲で目元をこすり、なにかをごまかすように少女は笑う。その無理に作られた笑顔に、真夏はなんだかあわててしまい、自分の胸元に飾ったままだったコサージュを外して彼女に渡した。
「あげる」
自分でも意味のわからない行動に、彼女が意図を問い、真夏がわからないと答えると、いつも彼女は少し笑うのだ。だから、このときも、そうしようとした。どうしていいかわからなかったのだ。しかし、それは逆効果だったらしく、ただこぼれたのを拭っただけで済んでいたはずの涙が、せきを切ってあふれ出し、少女はしばらく声を殺して泣いた。
真夏はさらにあわてた。ボタンを千切るくらいのことでもしたほうがよかったか。いや、そもそも笑わせ方がいけなかったのだろう。どうにかして気を抜かせれば――ああ、ダメだ。なにも思いつかない。真夏は泣いている者の扱いがめっぽう苦手なのだ。そもそも、なぜ彼女が今になって泣き出すのかがわからない。下手に触れてはいけない気がした。
「ごめん……ごめんね、なんか、急に、私……」
「いや、えっと、大丈夫?」
「うん……大丈夫、もう平気」
顔を赤くしながら、もう一度笑って見せる彼女に、真夏はなにか声をかけようとしたが、なにも思い浮かばなかった。委員長は静かに深呼吸をして、気持ちを落ち着かせている。
「これでお別れだって思うと、なんだかちょっとさびしいね」
「卒業したって、なにも変わらないよ」
「そう、かな」
「委員長」
「なに?」
「ごめん」
「……どうして謝るの?」
「別に、どうってわけじゃ、……ないけど」
いつになく煮え切らない答えだ。自分らしくない。
「西東くん、一緒のクラスになれてよかった。卒業おめでとう」
「うん。委員長もね」
言いながら背を向け、ひらひらと手を振る。
「西東くん、私……もう、委員長じゃないんだよ」
彼女の声も、真夏は聞こえないふりをした。
2018.04.25 改稿。