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18「祝福」

「あ? 嘘に決まってんじゃん」


真夏の言葉に、蒼は面食らった顔で固まった。薄く開いた唇から、は? と細い声が洩れる。隙間風が通るかのような声である。


「いやだから、嘘」


「うそ」


「俺、千秋のことなんとも思ってないよ。いや、友達としては好きだけど」


「は?」


「だから、そのへんは全部、嘘」


「うそ」


「うん」


バシン、と蒼が真夏の背中を叩いた。音のわりに痛くない。


「なんの話?」


蒼の隣で聞いていた千秋は、二人の話についてこられない。喧嘩の真相をまだ知らないのだ。真夏から話すつもりは、依然としてない。


「たいしたことじゃねえよ。でもよかったじゃん? 二人は晴れて恋人同士。結果オーライ。ハッピーハッピー」


「う、うん……真夏、ありがとう。いろいろ相談に乗ってくれて」


そう微笑む千秋は幸せそうだ。その顔を見ることができただけで、苦しい嘘までついた甲斐があったというものだ。


「いいって、いいって。またなにかあったら言えよ」


「うん、ありがとう。……あれ、でも、真夏の友達の女の子の話は」


そういえばそんな話もしていた。


「あ、ごめん、あれ嘘」


「えっ!?」


「そんな物好きな女子、お前以外にいるわけないじゃん」


今度は蒼がおいてけぼりになる。千秋と真夏が最近になって急に仲良くなった真相を知らないからだ。


「相談、ってなに」


「あ、えっと、それは」


まさか、蒼のことで真夏に恋愛相談をしていたのだと、正直に暴露するのは恥ずかしかろう。かといって、真夏が口を割るつもりもない。


「千秋、志村に飽きたら、いつでも俺に乗り換えていいからな」


「あはは、飽きはしないと思うけど」


「ま、末永く仲良くやってけってことよ。じゃあ、俺はこれで」


「おい、西東!」


「真夏って呼んでいいよ」


「ふざけんな! お前、結局なにがしたかったんだよ!」


さっさと姿を消そうとする真夏を、蒼が問い詰める。まるで怒鳴っているような声だが、彼は大きな声を出すのが下手なので、声を張るとどうしても怒声のようになってしまうだけだ。真夏は呼びかけに足を止めず、ただ手を振るだけだった。



*



「あの二人、付き合うことになったらしいよ」


放課後、廊下でたまたま居合わせたナズナからそう言われたとき、夏目はおどろきのあまり、しばらく言葉を失った。あの二人、というのが蒼と千秋であることを察せないほど、夏目は鈍い男ではない。


「え、……ええっ!? な、なんで? どういう……なに、その、急な展開?」


取り乱す夏目と対照的に、ナズナは至極冷静だった。


「さあ。なにがどうなってとか、詳しいことは知らないけど。聞いて教えてくれるようなやつでもないし」


「で、でも、あの二人、お互いに好き同士なのは知ってたけど、ずっと変わらない調子で、全然……そんな、付き合うとか……いや、おめでたいけど、そういう様子なかったよね?」


「ほっといて自然にくっつく二人じゃないのはたしかだね。たぶん、真夏が着火剤になったんだと思うけど?」


ナズナは投げやりな調子で言う。夏目にはその意味がよくわからなかった。


「真夏が?」


「なにかと二人の周りをちょろちょろしてたし、夏祭りにあの二人をわざとはぐれたままにしたり、蒼と喧嘩したり、なんかいろいろと引っ掻き回してたじゃん。どうせ、またあいつだよ」


可憐な見かけに似合わず、やや粗暴な言葉遣いだ。口の悪さは兄譲りか。蒼とナズナは見かけも中身もよく似ていると夏目は思う。


「喧嘩といえば……結局、真夏と蒼の喧嘩の原因って?」


「千秋のことでしょ。真夏が千秋のことを好きだとかなんとか、蒼が言ってたし」


「真夏が千秋を?」


初耳だ。


「もちろん嘘だろうけど。それであせったんじゃない? それと、蒼のことを好きな女子がいるって真夏に教えてもらったって、千秋も言ってたし」


「え?」


「でも、あんなの好きになるって千秋くらいのもんだし、たぶん、それも嘘だと思う」


「つまり、真夏が二人にハッタリをかけて、蒼がその罠にはまったってこと?」


「千秋にも同じようなことを吹き込んだのは、蒼がなにもしなかったときの保険で……ああ、たぶんね、たぶん。本当はどうなのかって知らないから。気になるなら本人に聞けば。そっちのほうが早いし、確実だし」


「本人に、って」


やけに冷たく、あしらうような態度だ。彼女はいつもこうで、もともとドライな性格なのだと思うが、実は嫌われているのではないかと不安になってしまう。


「だって、あそこにいるし」


ナズナが指した方向を見ると、たしかに真夏が生徒玄関に向かって歩いていくのが、遠くに見えた。振り返ると、ナズナの姿はすでになく、あわてて見回すと、教室で香となにか話しているようだ。仕方がないので、ひとまず彼女の助言に従い、真夏から話を聞こうと駆け出した。


「真夏」


こういうときに頼りになる山吹は今いない。思い切って名前を呼ぶと、真夏もこちらを見た。なにからどのようにして聞き出すべきか悩んだが、まとまらないまま声を出した。


「あの、ナズナから聞いたよ。あの二人、付き合うんだって?」


「そうらしいな」


真夏はどうでもよさそうに言う。本当にどうでもいいのかもしれないと不安になった。彼が渡り鳥であることを忘れてはいけない。いや、正確には、ただ夏目が忘れられずにいるだけだ。


ほんの少し近くを通っただけで、あわてて遠くへ飛び立っていく小鳥が視界に入り、急に動悸が乱れた。


「あ……あのさ、蒼に、千秋のことが好きだって嘘ついて、わ、わざと喧嘩したって、聞いたけど……本当?」


真夏は指で頬を掻く。


「喧嘩っつうか……まあ、そうだけど」


「あと、千秋にも他にライバルがいるって、嘘ついたって……」


「よく知ってんなあ、お前」


「どういうつもりだったの?」


気持ちがはやって変な質問になってしまう。言い方が悪かったと瞬時に後悔する。しかし夏目の失言も、それに対する不安も、真夏はまるで気に留めない様子だ。


「別に。他に狙ってるやつがいるって言えば、いい加減に動くんじゃないかと思っただけ」


「今回はたまたま、うまくいったけどさ、もし思いどおりにならなくて、失敗したら……とか」


そう。真夏は蒼の平常心を乱して焦燥を煽り、その結果、彼の思惑に沿って蒼は自分の想いを千秋に告げた。ナズナの言ったとおり、彼が着火剤になることで恋路をサポートしたのだ。しかし、それは偶然うまくいっただけで、もしも蒼が行動に移さなければ。その予防線としていた千秋までなにもしなかったら。真夏はただ無意味に二人の心を不安定な状態に陥れただけになってしまう。


恋のキューピットにしては、あまりに残酷で、いい加減で、無責任である。それは真夏自身もわかっているとは思うのだが。彼は鼻で笑う。


「失敗したら? そんときは、そんときだ」


夏目は心臓が今まで以上にどくどくと強く脈打っているのを自覚した。緊張で異常に喉がかわく。怖いのだ。彼が。


「でも、そんな嘘までついて……なんていうか、それが誤解だったって、わかってもさ、尾を引くっていうかさ。元通りになる保障なんて――あ、あの、別に、責めてるとかじゃなくて。ただその、もう少し、穏便な方法って、あったんじゃないかなって。今回の件で蒼に嫌われたり、したかもしれないし……」


「あいつに嫌われようが、どうでもいいよ」


ぞくり、と寒気がした。


「どう、でも」


夏目は凍りつく。


どうでもいい。嫌われても構わない。


やはり、そうなのか。彼は、西東真夏は――。


「俺が嫌われて、それであいつらがうまくやっていけるなら、いくらでも」


――真夏は、お前が思っているより優しいよ。


ふいに、山吹の言葉を思い出す。


「ま――」


真夏! 夏目は立ち去ろうとする彼を呼び止めた。


「お前……いいやつ、だな」


真夏はこちらを見ない。


「……やめろ、そんなんじゃねえだろ。どう考えても」


夏目はそのまま、もうひとつ、真夏の背中に向かって問いかけようとする。今なら聞ける気がした。この緊張を利用して、心のつかえを取ってしまおうという、やや自暴自棄となった末の質問だ。もし彼の正面に立ってしまったら、きっとこんなことは言えないだろう。


「ねえ、あのさ」


少しだけ間が空いた。以前から知りたいと思っていたが、ずっと言い出せずにいたことだ。


「なんで、すぐ、友達になる相手が変わってたの?」


ずっと、聞くのが怖かった。答えを聞くのは、今でも怖い。


「ああ――」


なんでだろう。真夏は虚空に向かって呟く。


「遊び相手がころころ変わってた記憶はあるけど。それ、山吹に聞いた?」


「う……うん」


夏目の声は消えそうなほど小さかった。聞いてはいけないことを聞いているようで、なんだか萎縮した。たったの一秒がとてつもなく長い。彼の言葉をじっと待つ。


「どうやって人の輪に加わっていたのか、今じゃもう忘れたな。小さいころなんてそんなもんだし、むしろ、あのころが変だったんだろ。……まあ、でも、お前らに嫌われでもしない限り、今さら別のどこかに移るつもりもねえしな」


「今の、場所を」


出て行かない?


本当に?


「なんていうかな、居心地がいいんだろうな」


山吹がいて、蒼とナズナ、香、千秋と、夏目もいて、そして真夏がいる。今のあの空間が。


渡り鳥だった彼が、最後に行きついた場所。


「なら、どうして」


なぜ今になって。


なぜ、これまでは。


「そうだな、一番の理由は……」


真夏は半分だけこちらを見て、力なく笑った。


「……俺の性格が悪いからだな」

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