15「もうひとつ」
蒼との事件から五日が経った。真夏と蒼は仲直りらしい仲直りはしていなかったが、だからどうということもなく、少なくとも表面上は以前までと同じ態度で接することができるようになっていた。いや、もともと真夏から蒼への態度はまるで変わっていなかったので、それは蒼だけに限った話なのだが。なんとなく、蒼の真夏への態度が刺々しいというか、扱いがぞんざいになったような気はするものの、絶対にそうだと言い切れないほどの微々たる変化だ。それに蒼からの当たりが厳しいのは今に始まったことではないので、真夏はあまり気にしていない。
彼との関係が殺伐とした一方で、千秋と真夏の関係にもわずかな進展があった。蒼に対する恋慕という秘密を共有するようになったからか、千秋から蒼のことで相談を受けるようになったのだ。相談、というほどたいしたものではないのだが、とにかく二人で話をする機会が増えた。
千秋は蒼がその場にいない隙をついて、蒼との関係への不安や、前進するにはどうすればよいのか、ときには彼とは関係のない日常での悩み事などを打ち明けるので、真夏はそれを聞き、否定したり、肯定したり、助言したり、感じたことをそのまま話して応対する。まるで人生の相談窓口のようだと思ったが、きっと千秋も千秋で、どこかに自分の本音を吐き出せる場所がほしかったのだろう。
当初は、蒼とは今のままでも満足で、幼馴染で親友という関係を維持したいと、保身的な心持ちでいた千秋だったが、何度も真夏と話しているうちに考えが変わったのか、できることなら彼と結ばれたいという気持ちが芽生えてきたことを、あるとき真夏に告げた。
真夏は蒼の千秋に対する思いを察しているので、ならば即刻、思いを伝えよと勧告するのだが、まだ決心がつかないらしい千秋はその話になると返事にまごついた。
もうひとつ、なにか二人の背中を押せるような刺激があれがいいのだが。
*
「西東くん、あの、ご、ごめんね、急に呼び出したりして……」
「いや、別にいいよ」
「あのさ……山吹くんのことなんだけど」
暑さもすかりなりをひそめた秋の放課後。もう何度目かもわからない女子生徒からの呼び出しに応じ、期待せずに校舎裏まで行ってみると、やはり思ったとおり、山吹絡みのことだった。慣れているとはいえ、やはり面倒だ。
「あー、あ、あのね、実は、ここだけの話、あいつは他校に好きな子がいて……」
「えっ!? 本当に!?」
「あ、ごめ、嘘」
二秒と経たずに白状した。いつもこうなのだ。嘘をつこうとすると、喉がそれを拒否するようにして言葉が詰まる。そのまま突き通そうとすると、すぐに顔が熱くなり、腹の中で内臓を握り潰されるような不快感で苦しくなる。やはり嘘は向いていない。
「やめてよ、もー。おどかさないで。あー、びっくりした」
「言っとくけど、俺も別にあいつのこと詳しいわけじゃないよ。好きなタイプとかも知らないし。いや、彼女とか好きな子はいないみたいだけどね」
「う、うーん、そっか、そうなんだ。ま、仲良いからってなんでも知ってるわけじゃないもんね」
しかしいったい、この一年で何度同じ呼び出しをされたのだろう。もはや数えるのもおっくうなのだが、当の山吹は相も変わらず閑古鳥が鳴いているのだ。
そのまま二言、三言、女子生徒と会話したのち、適当なところで切り上げて帰宅を急いだ。教室に置いたままのカバンを取りに戻る道すがら、廊下の角で誰かとぶつかった。うしろによろめくセーラー服を咄嗟に掴み止める。委員長だ。
「ごめん、大丈夫?」
「あっ、さ、西東くん! ごめ、わ、私こそ、ちゃんと前見てなくって……ご、ごめん」
なんだかあわてている。
「これから帰るところ?」
「う、うん。西東くんも?」
「教室戻って、カバン取ったらすぐ帰るよ。……ああ、一緒に帰る?」
「い、いいの?」
「方向は同じなんだし、お互い帰るところだってんなら、まあ、ついでに。カバン持ってくるから待ってて」
最近はなんだか彼女と話す機会も多いような気がする。委員長とも友達ではあるのだが、彼女との話題に夏目と、とくに山吹の名前がよく出るので、きっと彼女もまた、山吹に憧れる女子の一人だろう。そのはずだ。そうでなければ。……そうでなければ。
そうして、ともに歩くことになった帰り道。あれこれ話しているとやはり、真夏がころころと話を変えてしまうのだが、そのうちに夏祭りのときの話になった。
「そういえば、あの日って山吹くんは一緒じゃなかったよね」
「あいつは祭りとか、誘われてもあんまり来ないから」
「……西東くんは、毎年行くの?」
「俺は誘われたら……まあ気が向いたら行くけど。そうでなきゃ家にいるかな。暑いの苦手だし」
「でも、あのときは長袖だったよね。私服」
「半袖では外に出ないようにしてんだよ、俺」
「肌が弱いの?」
「宗教上の理由」
「えっ」
「嘘だよ」
真に受けそうな委員長に笑って訂正する。こういった嘘ならつけるのが自分でも不思議だ。いや、これは嘘というより、ただの冗談なのだが。
制服姿の委員長を見ながら、あの浴衣はよく似合っていたと思ったのを、そのまま言葉にしそうになったが、当日の帰り道でも同じことを言ったのを思い出した。真夏がなにも言わずに委員長を見つめるかたちになったので、彼女はやや戸惑っていた。
「委員長って、眼鏡ないほうがかわいいよね」
「えっ!?」
「いや、あのとき言おうと思ってたんだけど、忘れてたから」
「そ、そんなこと……」
「委員長は毎年行くの?」
祭りの話だ。
「えっ? あ、お祭り? うん、一緒に行く友達がいれば行くよ。今年は予定が合わなかったみたいなんだけど」
「いつも浴衣?」
「他の子の格好次第かな。みんなが普通の格好なのに、自分だけ浴衣だと、逆の場合もそうだけど、ちょっと浮いちゃうでしょ?」
「ふうん。大変だね」
しばらく黙って歩くが、委員長がちらちらとこちらを見ているのが気になった。
「どうかした?」
「あ、いや、その、聞いていいことなのか、わからないんだけど……西東くんって、ときどき、女の子に呼び出されてない?」
「あー」
ときどきどころか、結構な頻度だ。
「まあ、ね。……ああ、もしかして、さっきの見てた?」
「……うん」
「こりゃ参った」
「えっと……もしかして、西東くんって結構、モテたりするの?」
「え? いやいや、まさか。あれはそういうんじゃなくってね。ほとんど山吹関連だから。俺自身とはなんの関係もないの」
「山吹くんの?」
「そう。あいつって女子からスゲー人気あるじゃん。女子の間じゃ抜け駆け禁止令とかあるんでしょ?」
「そ、それはわからないけど、たしかに、すごく人気で、ファンの子がいっぱいいるのは知ってる」
「で、他の女子の目があるから、本人に接触できない代わりに、俺のほうに山吹のことを聞きに来るんだよ。中学から本当に増えたよ。もう何十回目かわからない」
「そうなんだ……そっか、そういう呼び出しじゃ、ないんだ」
「……なんか、笑ってる?」
「あ、ごめん。えと……や、山吹くんってすごいなあって。でもそれだと、西東くん、大変だね」
「もう慣れたけどね。ずっとこんな調子だし」
「あんなに、それこそアイドルみたいに人気なのに、山吹くんは彼女とかいないの?」
「いないよ。今はそういうのほしくないんだってさ。あいつ、あれで自分の人気っぷりに気付いてないからさ。自分に恋人ができるとも思ってないし、好きな子もいないって」
「じ、じゃあ、西東くんは? 好きなことか、彼女とか……いるの?」
「いないよ。いたことないよ」
「本当?」
「女友達はいるけど、そういう風に見たことないし。見られたこともないし。悲しいことに……ん? いや、そんなに悲しくもねえな。とりあえずそういうのはないよ」
「そう、なんだ」
「委員長は彼氏ほしい?」
「わ、私?」
委員長は赤くなった頬を隠し、しばらくためらっていたが、やがて小さな声で答えた。
「私は……好きな人、……いるから」
「ああー」
納得したような発音で無意味に発生したあと、真夏は委員長を見る。
「俺?」
「なッ――!」
なにか言おうとした委員長が咳き込んでしまったので、軽く笑いながら背中をさする。
「あはは、ごめんごめん、冗談だよ。俺としてはやっぱり山吹なのかなとは思っ……いや、あ、そうか。ときどき言われるデリカシーがないってこういうところか。じゃあ、あんまり聞いちゃまずいね」
「さ、西東く――」
「大丈夫?」
「う、うん。でも、あの、山吹くんでは、ないよ」
「あ、そうなんだ。珍しいね」
「珍しいの?」
「珍しくない? だって、山吹だよ?」
「うーん、たしかに、キレイな人だなーとは思うけど。でもほら、かわいいとか、かっこいいって思うのと、それを好きになるかどうかは別じゃない? キレイなお花を見て、キレイだなって思っても、他に好きな花がある人だっているでしょ?」
「ほう、あれを花とたとえるか。いや、違和感がないのがすごいな。要は人の好みなんて人それぞれってことだわな」
「そうそう。……あのさ、なんか西東くんって、女子はみんな山吹くんしか見てないとか、思ってない?」
「言動から透けて見えてる?」
「なんとなく……透けて見えてる」
「そっかあ」
「さ、西東くんのこと、好きって子も……いると思うし」
真夏に近付いてくる女子はほぼ全員が山吹目当てなのだが。
「だといいけどね。あ、俺こっちの道だから。また明日」
「あ――」
分かれ道に入るところで一度振り返り、軽く手を振ると、委員長はなにか言いたげな顔をしながらも、それに応えるように小さく手を振った。
真夏が帰り着いたとき、白坂は既にそこにいた。家の敷地を囲う柵の前に屈んで休んでいた彼は、真夏を見ると開口一番に、遅いぞと悪態をついた。
「ニ十分は待たされた」
「急なお呼び出しがかかったんだよ。あと、委員長と一緒に帰ってた」
「委員長? ああ、この前の。お前とあの子、最近よく一緒に帰ってるよな」
「同じクラスの友達だし、帰り道も途中まで同じだからな。学校を出るタイミングさえ合えば、そりゃ、自然とそうなるだろ」
「俺はてっきり狙ってんのかと思ったけど」
「委員長を? まさか。ただの友達だよ、お互いに」
玄関の鍵を開けながら弁明する。真夏のうしろで白坂が小さく言った。
「逆はどうなんだよ」
しかし、扉を開ける音と重なって、真夏の耳には届いていなかった。