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14「潔白」

「違う」


と、山吹は答えた。テーブルに置いていたカバンをベッドの横に移して、夏目の正面に座りなおす。夏目はじっと顔を下に向けたまま、目だけでこちらを見た。疑惑と不安に満ちた目だ。その無言のうちから、本当に? という問いが聞こえてくるのがなんとなくわかった。


「あいつはそこまで考えちゃいないし、そんなに薄情なやつでもない。むしろ、その逆だろ」


「逆?」


「あいつは――真夏は、お前が思ってるより優しいよ」


少なくとも、山吹の知る限りはそうなのである。彼――西東真夏は、夏目の言うような、薄情で冷淡な男ではない。自分勝手で、他人想いで、とても優しいが、それに関して非常に謙虚なのだ。そのはずだ。


「けど、蒼が」


「俺も気になって真夏に聞いてみたんだ。結局、事情はほとんどわからないが……」


昨日の放課後、いつもどおり真夏を家に招いたときのことだ。香から蒼と真夏の様子がおかしかったことを聞いていた山吹は、真夏にそのことについて詳しく聞こうとしたのだが、すると、彼はどこか虚空を睨みながら、


「俺が悪いのはわかってる」


と言い、そして、


「俺が間違ってるのもわかっている」


と言った。


正直、山吹はそのとき、そんなはずはない――と思った。いつもの自分勝手やマイペースさで埋もれてしまっているので、少々わかりづらいが、真夏は間違ったことはしない男だ。道徳的で、客観的で、しかし情を捨ててはいない。冷静な彼は常に皆の基準になれるような価値観と感性を持ち合わせている。


昔から、真夏自身が事件の当事者になるよりも、彼が当事者同士の間に立って仲裁することのほうが、よっぽど多かった。味方にはならないが敵にもならない中立的な立場に、なぜだか自然と立っている人だ。


ゆえに彼は、これまで誰かと衝突することもなく、おおむね平和的な人間関係の中で生きてきた。だから――わからないのだろう。実際に当事者として誰かと対立したときに、なにを言ってどう動くべきなのか。これまでの自分ならどのような判断を下していたか。無意識に器用な生き方をしていた彼は、意識すると不器用にしか生きられない。


また、真夏は人格の芯の部分が未熟だ。純粋ともいう。彼の、思ったことを包み隠さず口にする性質は、もちろん意図的にそうしているわけではなく、あれは本当に会話のうちに嘘や隠し事を含むことができないのだ。嫌われても構わないから、なんでもかんでも声にするのではない。いくら彼でも、他人から嫌われたいとは思うまい。


そのことを説明すると、夏目はほっと安堵した表情を見せるが、すぐに悲しそうに眉間にしわを寄せた。真夏を疑ったことを悔い、彼を冷徹な者と誤解した自分を責めているようだった。


そこで部屋の扉が開き、トイレに立っていた真夏が戻ってきた。なんだか、いつになく神妙な顔をしている。彼は山吹のベッドに倒れ込み、こちらに背を向けた。


「俺、別に優しくないよ」


夏目と山吹は顔を見合わせる。夏目はそのままなにも言わなかったが、山吹は違った。真夏がいるベッドに背をもたせかけると、右手で軽く彼の背中を叩く。すると、真夏はダンゴムシのように丸くなった。


「俺の個人的な意見だが、お前は優しいやつだよ」


山吹はこの言い回しなら真夏がなにも反論できないことを知っていた。真夏が頭を上げてこちらを見ようとしたが、しかし体はむこうを向いたままなので、頬と鼻の頭までしか見えない。真夏は山吹の読みどおり、そのままなにも言わず寝返りを打って仰向けになった。目は天井を見つめている。


「蒼を怒らせた原因は?」


「夏祭りで蒼と千秋を二人きりにして、休み明けにどうなったのか聞いたらスゲー怒られた」


簡潔な答えだが、おおまかすぎで細かい部分が不明瞭だ。


「怒らせるような聞き方でもしたのか?」


「夏祭り、なんかあった?」


真夏がやや高めの声で言う。おそらく当時の言葉を再現したのだろう。しかし、しばらく待ってみても続きの言葉はない。


「……それだけ?」


それまで黙っていた夏目はおそるおそるといった様子で尋ねる。


「それだけ」


真夏はオウム返しに答えた。


「そしたら背中を殴られた」


「どういうことだよ」


「詮索したのが良くなかったんじゃ……」


だから俺のせいだよ――真夏は言葉をつなぐ。


「志村は干渉されるのが苦手なのもあるけど、たぶん、もともと環境の変化を拒む傾向にある。慣れ親しんだ状況から新しい環境へ移るのが嫌なんだ。だから怒った。俺が、千秋との関係を変えようとしたから」


自分のことだけ考えて生きているようで、周囲のことをしっかりみている彼の分析力を痛感する。山吹と夏目は返答に困った。どちらが悪いとも思えなかったからだ。


「ま――真夏が悪いわけではないだろ」


山吹は一瞬だけ言葉を詰まらせた。


「詮索が余計だったっていうのはわかるが、でも過干渉ってほどのことでもないし、変化が嫌だって、いやたしかに、他人が無理矢理に変えていいものでは……ま、待て、考えをまとめる」


山吹は頭に手を当てて考える。たしかに蒼はどちらかというと被害者なのかもしれないが、だからといって真夏が加害者ということではない。ただそのことを伝えたいだけなのだが、なんと言えば真夏を納得させられるか、いい言葉が見つからない。この男は妙なところで頑固なので、そのまま伝えたのでは納得しないのだ。ああ言えばこう言う不毛なやりとりが延々と続くことになる。


「どちらかを悪者にするなら、間違いなく俺がそうだ」


「蒼にとっては、真夏は余計なことをしたのかもしれないけどな。その変化を拒むっていうのも蒼のワガママだろ。進学とか就職とか、生きていればいろんな変化が何度も起こる。人間関係だってそうだ。いつまでも現状維持できるものじゃない。変化を嫌だと思うのは勝手だし、誰だって少しはそう感じるだろうけど、蒼のは今回、それを真夏に押し付けているだけだ。なんにせよ、怒鳴って手を出すのはやりすぎだ。真夏だって良かれと思ってしたことだろうし……」


「あいつが変化を拒むのも、俺があいつに嫌な思いをさせたのも事実だ。それは変わらない。そもそも、蒼が変化を拒んで俺を怒鳴ったのが押し付けなら、俺が良かれとあいつらを二人きりにしたのだって押し付けじゃないのか。悪いのはどっちなのか、それくらいわかるだろ?」


「どっちも悪くない」


真夏が、自分が悪いのだというときは大抵――相手を悪者にしたくないときだ。彼がそうやって自白したうちで、本当に間違っていたことなど、これまで一度もなかった。そうやって喧嘩相手さえも庇おうとする真夏は、自分はいくら悪く見られようとも構わないが、友がそう見られるのが我慢ならないらしい。どうしても自分を悪者にしたがる。いつもそうだ。誰かがつらい思いをするくらいなら、自らすすんで人から恨まれる汚れ役を買って出る。


「どちらかを悪者にする必要なんてない。……そうだろ」


真夏はなにも答えない。山吹は、気の利いたセリフひとつすらも言えない自分を歯がゆく思いながら、この不器用な親友のために一人、悲しみを感じたのだった。



*



真夏と蒼が揉め事を起こすキッカケとなったのが夏祭りの一件であるに変わりはないのだが、そもそも真夏があの夜、蒼と千秋を二人きりにしようと思い切った動機は、夏休みに入る少し前の、千秋との会話にあったのだ。


その日、たまたま教室で千秋と二人で話す機会を得た真夏は、蒼にしたのと同様に、何気なく二人の関係について探りを入れた。


「千秋と志村って幼馴染なんだよな。いつから一緒にいるんだ?」


「えっとね、物心ついたころには既に隣にいたかなあ。お母さんたちが仲良くてね、家も近いから。幼稚園に入るころには、蒼とナズナとはいつも一緒だったと思うよ」


「なげえなあ。幼馴染っつうか運命共同体じゃんね」


「言葉のチョイス。腐れ縁とかじゃないんだ」


「そのレベルになると、もう家族も同然みたいな感覚?」


「うーん、そうだね。だいたいそんな感じかなあ。家族に限りなく近い友達、みたいな」


「どういう流れで好きになったの?」


千秋は肩をびくりとさせる。


「えっ!? や、ちょっと、わ、わ、私は別にっ」


「いやあのさ、もう今さら隠せてるとか思わないほうがいいぜ」


「ま、待って待って、いきなりそんな、さあ」


「だって好きだろ?」


真夏の問いに千秋が固まり、徐々に顔を赤くしていく。


「成績いいわけでも、勉強ができるわけでもないし。口数が少ないうえに、喋っても口下手で。表情を隠すのがやけにうまいから、なにを考えているのかもよくわからない。おとなしいっていうよりは暗い、が正しい。対極の存在だろ? ああ、だから好きとか? 自分にはないものだから、みたいな」


「そう、いうわけじゃ、ないけど」


「つくづく不思議だよ。いや、志村が千秋を好きになるってのはわかるぜ? 成績優秀、運動も優秀。明るくて元気で笑顔に愛嬌があって、いろんな話題についてこれるから話してて楽しいし、かわいいし」


「や、やめてよ真夏……そもそも、蒼が私のことをどう思ってるかなんて、わからないし……」


「で。お前ら、これからどうなんの?」


「どう、って?」


「告白して付き合うとか、そういうこと」


「いや……私は、今のままでも楽しいし……むしろ、変なことして気まずくなっちゃうの、怖いし。よく言うでしょ? 幼馴染は近すぎて対象にならないとか、そういうの」


「伝えられるときに伝えておかないと後悔するとか、言わずに後悔より言って後悔するほうがいいとかも、よく聞くけどね」


「それもそうだけど……」


「じゃあ、あきらめるの?」


あきらめる、という言葉に千秋が少し反応した。


「千秋はあいつとどうなりたいわけ?」


「ど、どうって。どうなりたい、とか、そういうのは……考えたことなかったし、ピンとこない……」


でも――千秋が小さく呟くように続ける。


「蒼を、他の女の子にとられるのは、……やだ」


その言葉を聞いてしまったからこそ、真夏はあとに退けなくなったのだ。


内に秘めていた本音を引き出した責任は、それを叶えることでしか果たせまい、と。

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