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1「中学時分」

「えー、では今配ったプリントの課題は四人一組のグループに分かれて完成させること。提出期限は明後日の授業までで――」


頬杖をつき、今しがた配布されたばかりの英語の課題用紙をぼんやり眺める。それは長い学生生活を送るうちに何度も耳にする言葉。グループ。嫌な言葉だな――と、西東真夏さいとうまなつは気だるげなため息をついた。


満開だった校庭の桜がすっかり散り終えた春。中学二年に進級した真夏は、一年のときに仲良くなった友人たちのほとんどととクラスが離れてしまったことに軽い絶望を感じながら、しかしおおよそ楽観的に新学期をスタートさせた。人見知りをする性格ではあるが、一人ぼっちになってしまったことはない。いつ、どのようなキッカケがあったかは覚えていないが、今まで転校初日や入学初日、進級初日など、新たな人間関係を築く必要がある状況においても、不思議なことに友人には恵まれてきたのだ。多少の寂しさこそあれど、孤独への不安はない。クラスで友達ができなければ、それはそれでかまわないだろうとも思っている。一人でいるのは、それもまた、いいものだ。


ともあれグループを組んで課題をこなす、というありふれた授業風景の中で誰にも声をかけることができないのは困る。余った者がいれば余り者同士で組んでしまえばいいが、はたして自分以外に余り者が出るのかどうか。まずはそこからなのだ。いや、新学期が始まって早々のこの時期ならば、自分と同じ境遇の生徒は思っているより多いはず。


ふと、うしろの席から人の動く気配がないのを不審に思い振り返る。一人の男子生徒がぼんやりと課題のプリントを眺めていた。少しそのまま観察してみるが、なおも動き出す気配はなく、誰かが彼の席まで迎えに来る様子もない。名札を見る。志村、とあった。その姓に既視感を覚えたのは、珍しい名前でもないという証拠か。彼もまた、組む相手がいないのだろう。


先に気付いたからには真夏から声をかけるべきとは思うが、なんと言って声をかければいいものか悩んだ。真夏は大抵、他人のことは性別に関係なく名前で呼びがちだ。もちろん例外はあるが、苗字よりも名前のほうが呼びやすいと感じるのだが、はて、この場合、彼をどう呼べばいいのかわからない。そもそも下の名前を知らない。


だがそれはただの建前でしかない。真夏は去年、クラスメイトに顔が怖いと言われたことを思い出してしまったのだ。別に気にしているわけではない。傷ついたわけでもない。たまたまその人がそう感じただけのこと。だが、そう思う人もいるのだという事実を知ってしまったのだ。仏頂面で話しかけて警戒されたり怖がられないだろうかと、いらない心配をしてしまう。前言撤回だ。傷ついてはいないが、気にはしているかもしれない。あとは単なる人見知りだ。


志村、というらしい彼が、真夏の視線に気付いて顔を上げる。目が合いそうになるので、今度はこちらが彼の持つプリントに視線を落とした。それからちらりと彼の顔を見てから、右手の人差し指だけをちょいちょいと動かして交互にお互いを指で示す。


「どう?」


一緒に組まない? という意味を込めてひと言。肝心な部分を一切言葉にしていないというのに、それだけで意図が伝わるのだから人間というのは不思議だ。


「うん」


と彼も短く答えた。彼が机の上に出したノートを見る。志村――志村蒼しむらあお。それが彼の名前らしい。細身で小柄な体格に、真ん中分けの髪は少し伸ばし気味だ。真夏も最近は襟足を伸ばしっぱなしにしているので人のことを言えない。目つきは悪くないがどこか厭世的な目をしていて、あまり明るく活発なタイプには見えない。おそらく真夏が一番付き合いやすいタイプだろう。なぜなら真夏も彼と同じようなタイプと自負しているからだ。


さて、あとの二人はどうしたものか――と悩んだのもつかの間。同じく人数が足りていないらしい二人組に誘われて、すぐに四人グループはできあがった。一人は小学校が同じで、お互い名前くらいは知っている相手ということもあり、真夏としては気が楽だった。


ともあれそれが、西東真夏と志村蒼の初めての会話だった。



*



一学期の期末テストを明日に控えた七月初旬。長袖のシャツの袖を肘まで捲りながら、山吹和正やまぶきかずまはため息をついた。机の上に散らかされた教科書。整然としない文字の並ぶ板書用ノート。裏表紙に記名すらされていない新品同様の問題集――そして、それらの持ち主たる男は、机に背を向けてテレビゲームに向かい合っている。


「真夏、お前なにしに来たんだよ」


「なに、ちょい待って。ボス出てきた」


「あのな、俺はお前が勉強を教えろって言うから、こうして机にノートだの問題集だのを広げてるんだぞ」


「教えろとまで言ったっけ?」


デフォルメされた派手な打撃音と、主人公の悲鳴。画面いっぱいに浮かぶゲームオーバーの血文字。信じられないほどアクションゲームがヘタだ。キリよくゲームが終わってしまったため、西東真夏は渋々といった様子でくるりと体の向きを変えた。長めの前髪によって目元に落ちる影と、目の下に刻まれた濃い隈が、もともと鋭い彼の目つきをさらに悪く見せる。笑っていることが多いので普段は気にならないが、無表情だと人相が悪い。とくに人を睨みつけるときの彼の目は、付き合いの長い山吹すらも怯んでしまうことがある。ヘビに睨まれたような――という言葉が相応しいと思えるほどの迫力があるのだ。


「国語なら完璧なんだけどなあ」


真夏は困った顔をしているが、本当に困っているのはこっちのほうだ。


「数学と英語はどうした?」


「なくても生きてけるっしょ?」


「そりゃあ、それに関わらないように生きていけばな」


「だいたいホラ、志村だってあきらめてるし」


真夏が指をさす方向には、最近流行っているらしい漫画を手にくつろいでいる志村蒼の姿がある。蒼は真夏に呼ばれると、腹でも痛いようなしかめ面を上げる。


「一緒にすんなし。僕はお前よりマシな成績だから」


「五十歩百歩だろ」


「山吹の字ってなに書いてんのかわっかんないんだよね。ミミズが這ったみたいな文字ってこういうのを言うんだなって感じ」


のん気に笑っている真夏をじろりと睨む。彼もそれなりにまとまりのない字を書くが、山吹はそれを上回っている。それはそのとおり、自覚もあるので反論できない。


「だいたいな、テスト直前になってからなにかしようってのがおかしいんだ。いいか、本気で成績をなんとかしたいなら、普段からもっと――」


「明日ってなにあったっけ」


「社会と理科じゃなかった? あと保険」


「聞けよ、お前のためを思って言ってんだぞ」


「マジで、俺らのため? ごめんね、申し訳ない」


そう思うなら、せめて演技でも申し訳なさそうな顔と声で言ってほしい。あのなあ、と説教口調に続けようとするも、真夏がそれを遮る。


「今までのテストの点数で、どこの高校に行くかの目安が決まるんだろ? どうせ勉強したって、テストが終わればすぐ忘れちまうんだし、今だけいい結果出したって、あとで役に立たなきゃ意味ないじゃんね。背伸びするより、実力で挑もうぜ」


「ちゃんと復習して、勉強したことを忘れなきゃいいだろ。身につけてしまえばこっちのものなんだから。中学の間はそんなんでもいいかもしれないけどな、高校では留年って制度があるんだから、あんまり怠けてると痛い目を見るぞ」


「自分の学力に合った高校でなら、そこまでボロボロの成績を叩き出すこともないだろうよ」


「楽観的すぎる」


「その前に西東、高校行けんの?」


「そりゃ、まあ、なんとかなるだろ」


なにも考えてなさそうに見えるが、本当になにも考えていないだろう。真夏と山吹は小学校のころからの同級生だが、出会ったばかりのころからずっとこの調子だ。危機感というものをまるで知らない。勉強が苦手だというのは知っていたが、二倍しても三倍しても平均点にすら届かないような点数を取って、それでもなお笑っていられる神経は理解できない。


これまでのテストの素点表を見たが、蒼も真夏も、とくに数学は毎回、悪い意味でびっくりするような点数ばかりだ。たしかに蒼は真夏よりいい点数を取っているが、山吹からするとどちらも壊滅的な点数と言える。蒼はまだいい。今は漫画を読んでいるが、それはただの休憩であって、ちゃんとテスト勉強をしている。


問題は真夏だ。本人に危機感がないせいで見ているこちらが謎に焦ってしまう。このままでは高校に進学したところで無事に三年で卒業できるかわからない。留年、もしくは中退――いや、そもそも本当に高校にすら行けずに中卒のまま社会に出ることも考えられるのでは。それでも職に就ければまだいいだろう。フリーターでも派遣社員でも、仕事があるだけ御の字というもの。最悪の場合、仕事もせずにひきこもってニートになる、なんてことも……のん気に指先でペンを回しているこの男の将来が不安でたまらない。


「ちなみに……高校はどこに行くつもりなんだ?」


「俺? 東坂。一番近いし」


「そうか……東坂か。うん……西丘はダメか?」


「ダメじゃないけどちょっと遠いなあ」


山吹たちが住んでいるこの片並町には、付近に四校の高等学校がある。身も蓋もなく偏差値の高い順に並べてしまうと、片並高校、北桐高校、東坂高校、西丘高校――となる。東坂高校はたしかに真夏の家からは近い。徒歩十五分ほどで到着するほどだ。たしかに真夏としてはそこが一番いいのだろう。偏差値的にも無茶ではない。


「蒼、お前はどうするんだ?」


山吹の問いに蒼はぼそりと、同じ、とだけ答えた。素っ気ないが、それもまた仕方がない。山吹と蒼はお互いに友達の友達というだけの関係で、現状ではこれといって仲がいいわけでもないのだ。もちろん山吹としては蒼とも仲良くなりたいが、蒼がどう思っているのかはわからない。今こうして二人が同じ空間にいるのは、友達の友達同士、その共通の友達に無理矢理に引き合わされているからで、そうやって蒼を連行してくるのは当たり前にこの真夏なのだ。


「東坂に進学するのはいいんだけどな、真夏。お前は本当に自分の姿勢を見直したほうがいいぞ」


「わかった」


やけにはきはきとした声で了解したかと思うと、真夏はその場でぴしりと背筋を伸ばして正座する。たしかに姿勢はキレイになった。そういうことじゃない。


「俺だって本気でヤバイと思ったらなんとかするよ。やっぱ西丘はダメだよ。俺あそこは行きたくない」


山吹の批判的な視線を受けた真夏が補足するように言う。そう言われても素直に安心はできない。山吹は大きなため息をついた。

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