ぶんぶく茶釜
ぶんぶく茶釜
「さて、戦士コマ、アサイ。今日はモリン寺に泊まりなさい」
持ちかえって挿し木にしよう、と二人が追加の宇宙ツツジ(仮)を採取していたところに、ムカ=イチアキ族長が出てきて言った。先程まで身に着けていた彼女のエプロンは何処かに行ってしまって、今は潔いまでの全裸だ。まあ、色々とアレするのに邪魔だったのだろう。
「モリン寺……おお、茂林寺ですか!」
浅井はふと思い出し、ポンと手を叩いた。
茂林寺はグンマーに土着したSOHTO宗の名刹で、全国で親しまれている『ぶんぶく茶釜』伝説発祥の寺である。
「あー、あそこか。むかーし泊まったことあんよ。婆ちゃんと、お母さんと一緒にね」
「それなら大丈夫だろう。あそこの住職は関係した女の顔と名前を忘れない」
微妙な言い回し。他意が無いのはわかっているが、どうにも気になる浅井である。男心だ。
まあそれはそれとして、茂林寺の風呂に入りたい、とのことで、ムカ=イチアキ族長も彼らに同行する事となった。
『KONNYAKUの県外搬出を承諾する覚書』をムカ=イチアキ族長に書いてもらうと、三人はいそいそとクルマに乗り込み、
「いけー、アサイー」
コマ軍曹の号を受け、勢い勇んで出発した。
とは言っても、高床式族長宅から茂林寺まではごく近い。特筆すべき事も無い。
巨大な装甲ランドクルーザーは、幾分かのツツジと、幾分かの小麦と、数匹の狸らしき小動物を軽やかに轢き潰しつつ野山を駆け抜け、あっという間に茂林寺の総門前に滑り込んだのだった。
茂林寺の総門は、通称黒門と呼ばれている。歴史を感じさせる佇まいで、グンマー外ならば重文以上の価値が認められるだろう。
さてクルマをどうしようか、と総門前で浅井はしばらく悩んだのだが、
「そのまま入ってしまうが良い」
そうタテ・バヤーシ族長様が漢らしくのたまったので、思いきって門にクルマを乗り入れた。ルーフの87式多目的ミサイル発射筒をガリゴリ擦りつつ、慎重に慎重に、アクティブサスで車高を下げて通過する。
「ん? タヌキだね」
門を抜けた先、参道の横には苔生したタヌキの置物が並んでおり、各々少しずつ異なる腑抜けた顔で、浅井達を出迎えてくれた。シュールかつファンキーである。
「一つ、二つ、三つ、四つ、い……」
「全部で二十一体だ」
可哀想なコマ、数えさせても貰えない。口をモニョつかせる彼女に浅井は慰めの言葉を探すが……あいにくとビジネスサムライの辞書にも、そこまで便利な例題は無かった。
クルマがズズーッと参道を抜けた突き当りには、山門がデンと重い腰を据えていて、これも古い。この門は通称赤門と呼ばれ、奥には本堂の荘厳な姿が闇に浮かび上がっている。
「グンマー外の寺と殆んど同じですね」
「へー」
茂林寺の作りは意外と普通。トラディショナル禅宗、それもSOHTOスタイルに則った大寺院であった。
建物の構成と意匠を見れば、室町期の寺院建築に酷似している。ここが未開の地だと忘れるほどに、高度な建築物である。古代ケノ文明と中世日本文明との間に、密接な関係があった証左といえよう。
進んできた装甲ランドクルーザーは、山門の横に静かに停車。皆、各々に車を降りる。
「ムカ=イチアキ族長、誰も出てきませんが、何処まで入ってしまって良いのでしょう?」
「案内が来るまでここで待て――和尚! 客を連れてきた! 一泊させてやりたまえ!」
族長は寺の奥に向けて怒鳴りあげると、
「では我は風呂に行く」
厳かに宣言して、スタスタと歩み去って行った。彼女は意外と奔放で、不必要で非合理と断じた我慢をしない。忠誠心ある側近に支えられて突き進んでいくタイプのアメリカ式リーダーである。
ちょっとした手持無沙汰な待ち時間、ぽつりと取り残されたコマと浅井。ムカ=イチアキ族長の声で直ぐに誰かが出てくるだろうが、そこはかとなく微妙な空気が流れる。
「アサイ、ちょっとタヌキ数えてくんよ」
「はい、お気をつけて」
彼女は参道をてくてく歩いて、いち、に、さん――口に出しながら狸を数え始める。
不思議な女性だ、歩きゆく彼女を見て、つくづく浅井はそう思う。
口ぶりや行いは子供っぽいのに、姿勢や仕草には成熟した大人の女の匂いがある。目の前の一瞬を子供のような懸命さで受け止めつつ、タカサーキ戦士として、大人に相応しい責任感を備えてもいる。
タヌキを数える彼女の後姿に、浅井は言いようの無いインバランスを感じた。少しばかり不安を覚え、同時に胸が締め付けられるように愛らしくもある。何処か切なかった。
可愛いと可哀想の語源は同じもので、どちらにしてもその対象は不憫であり、何かが足りず、欠けている。強者が弱者に感じる憐憫、保護欲、もののあはれが可愛さの根源であるから、本来は圧倒的弱者である己に生ずるべき感情では無い。
彼女は限りなく強いが、どこか儚く、きっと脆い。だから、可愛い。浅井は、そんな気がした。
タヌキを数え終え、すぐにコマは戻ってきた。
「やっぱ21だった。可愛いね、タヌキ」
「おお、確認できましたね。それはよかった」
「ん」
軽く返事して、コマは浅井から少し離れた山門の礎石に腰かけた。そのまま何もいわず、じっと奥を見ている。
浅井は禁煙に成功した事を後悔しながら、クルマの鍵をポケットの中で転がした。飴チャンはクルマの中だ。吸わないにしても、せめて煙草は持ってくるべきだったかもしれない。
「お? 小坊主が出てきた。行くべ」
コマは勢いよく立ちあがると、浅井から離れるように、たったかたったか走って行く。
彼女のポニーテールが柔らかく揺れ、その根元には、さっき浅井と見つけた宇宙ツツジがささったまま。夜のグンマーは寒く、花はまだ萎れない。
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「こちらに」
寺の小坊主に案内され、知客寮と呼ばれるゲストハウスに通されたコマと浅井である。
案内役の小坊主は12歳前後の美童。青々と剃り上げた頭が、怪しげな艶めかしさを放っている。もちろん服は着ておらず、つまりこの土地での正装である。一流の腐女子なれば、喜んで家に持って帰る事は間違いない。
さて、二人が通された一室は板張りで、畳も無い。十二畳ほどの広さに、二対の円座が置かれているだけである。
庭にはベリーめいた北方の果物から、マンゴーめいた南国の果物まで様々な植物が植えられており、ナツメヤシとココヤシの巨大な立ち姿が月光に浮かび上がって、計算されつくした破綻をもたらしていた。
「これは、ブッディストらしい良い佇まいですね」
「ん? そうなん?」
「ええ、庭もそうですが……この棚を見て下さい」
書院を模したような棚には、獣の毛皮や頭蓋骨や角が飾られ、床の間の粗末なテラコッタには、瑞々しい雑草と枯れススキが飾られている。書は掛けられておらず、代わりに、真っ白な動物の皮が貼り付けられていた。
「これらは、まさに曼荼羅。生と死を一連の流れとして示し、そして流れゆく世の無常を表しています。床の間の白い皮は……おそらく、十牛図における亡牛。――実に、実に素晴らしい……これを飾った住職殿にお会いしたいものです」
およそ大悟したボンジャンでなければ、この様な調度は選択しえないだろう……浅井は深く感じ入り、ため息を漏らした。
改めて浅井とコマが用意された円座に座ると、
「どぞ」
案内してくれた小坊主が、庭のマンゴー(仮)をもぎ取り、笊に乗せて持ってきた。最高に贅沢で、最高に自然なもてなしだ。無理はせずとも精一杯、これぞWABI-CHAの真髄。
別の小坊主Bも出てきて、素焼きの椀に水出しの茶を注ぎ、「どぞ」と出す。所作はまるでこなれていないが、だからこその温かみを浅井は感じた。一生懸命な少年姿……大人にとっては、優越感とノスタルジーを喚起するスイッチである。それは乙な微笑ましさに似ている。
「小坊主殿、これらの置物は御住職が?」
柔らかく問う浅井。
小坊主Bは彼に訝しげな目線を向け、
「それは私がその辺で拾ってきたゴミです。和尚様が『何か置いとけ』、と仰るので。――お見苦しければ捨ててきます」
「……いえ、結構です」
「ああ、お茶が、んまいねぇ……ププッ……お茶、んまププーッ」
「……」
実際、小坊主Bの茶は抜群に美味い。甘く、香り高く、グビグビといくらでも飲めてしまう。
浅井は静かに茶を飲み、コマはバクバクとマンゴーらしき何かを食いまくりつつ、顔を真っ赤にして「ププ」、笑いを噛み殺す。
小坊主Aは庭の木に登り、小坊主Bは果物の皮を剥き、茶を注ぎ、無言の接遇に努めている。
「笑っても、良いんですよ?」
「ん? なんでもなフプッ!」
「笑ってください。まさに曼荼羅だ!……ふふははは」
「世のムジョー! アハハハハハハハハ!」
ついにはじけて、大声で笑い出した。
コマは横倒しになって、腹を押さえて身をよじる。ここまでカラリと笑ってくれると、笑われている浅井の方も何だか嬉しい。
彼にとっては、グンマーに来てから初めて味わった本気の笑い。何処か張り詰めていた神経が、ふと緩んで、休まった。昼に食ったSYUMAIの残滓も、頭の奥に心地よかった。
小坊主二人はきょとんとして、互いに顔を見合わせた。それもまた可笑しい。
「あーあ……はらいてー……マンダラ! アハハハハハ!」
「全く、俺も馬鹿ですね……はは!」
そんな風に二人顔を真っ赤にして笑い合っていると、
「楽しそうだな、カチヤの孫、サチコの子」
太く、少し掠れた声。
振り向けば、木戸の陰から脂っぽい小太りのオッサンが覗いていた。財を誇っているのか、全裸姿にジャラジャラと大量の数珠と勾玉をぶら下げている。浅井のサムライ式鑑定スキルによると、玉は間違いなく全て象牙。アフリカゾウが絶滅した現在、これだけでもビジネスサムライ平均年収の三倍はかたいであろう。
「想英、ワシにも茶」
オッサンは六十代だろうか。毛根の絶滅した頭部には一本の毛も無く、眉毛も薄い。一方で胸毛は乳首中心にチョロついており、実に汚らしい。
例えるなら、栃木県小山辺りのクラブで、19歳の田舎チャンネーホステスを口説いている、地元小規模土建屋or不動産屋のエロ親父である。
言うまでも無く土建屋の九割はksであり、不動産屋の十割はkzである。彼らの吸っているタバコはハイライトかマイセンかセブンスター、今年27歳の長男は宇都宮のクラブで脱法ハーブを吸っており、次男は前歯の無い中卒DQNであり、長女は鼻ピアスを開けたヒップホッパーとして上京し、太り肉で茶髪の妻は催眠商法パチンコ地獄に落ちている。
まず間違いない。
つまり、無教養で傲慢でプライドの無い、だけど何故か自信満々で刹那的な……プレISHIN世代の典型例であり、浅井の最も嫌いな、そして最も得意とするタイプだ。
「んん……あー、おもしろかった――アタシは戦士コマ。アンタは?」
コマは身体を起こしてオッサンに訊いた。
「戦士コマか。お主とは、その昔、会った事があるな。ワシは当寺の住職である。親愛の情をこめて、和尚と呼ぶが良い」
「オショーの事ぜんぜん覚えてないけど、久しぶり」
和尚はコマのすぐ横に、彼女のパーソナルスペースを侵犯して、どっかと座り込む。浅井の事は完全無視だ。
次いで和尚は小坊主Bからココヤシの実を奪い取り、人差し指をねじ込んで穴を開けると、ゴクリゴクリゴクリ、一気に飲み干した。傍若無人!
「ふひ、旨い……で、コマよ、カチヤとサチコは息災であるか?」
「婆ちゃんは元気だよ。お母さんはずっと前に死んじゃったけどね」
「はっ! あたら良い女が糞もったいねぇ! 神も仏も無いな! 糞ババアが死ぬれば良かったに!」
酷い事を言う坊主である。だが、ある一面では真理でもある。
「して、当寺に来るのは十数年ぶりくらいか? お主、いくつになった? 前に会った時はまだ小娘だったが……」
「21か22歳かな? んん、忘れちゃった」
コマは小首をかしげて言う。
「コマさんは21、22歳ですか」
彼女の歳が思っていたより上で、浅井は何だかドキドキした。
18過ぎくらいの小娘だと思い込んでいたが、実は完全に大人の女性である。男が28歳で女が22歳なれば、これはもう年齢的にはちょうど良いと言っても良いのではないだろうか。間違いを犯しても良いのではないだろうか。ムッチリだし。……いや、でも神聖なるビジネス相手だし。グンマーだし。でもお尻だし。お尻だし。
「おい、そこの若造。何を呆けておるか。大方コマの股でも見て、淫猥な妄想にふけっているのであろう。類稀な一品が目の前にある以上、おぬしの気持ちは良く分かる。が、ここは仏の道を求道する寺院じゃ。少しは自重せい、警索ぶちくらわすぞ?」
「は、失礼いたしました、和尚」
流石に腐っても僧伽である。その目は節穴では無い。浅井は静かに頭を下げた。
「御挨拶が遅れました。ネオ日本商事、タカサーキ支店長の浅井と申します。この度はお手数をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
改まって名刺を差し出し自己紹介。ビジネスサムライなれば、この辺の儀式は完全にオートマチックである。
「ふん」
和尚、鼻を鳴らして名刺を受取ると、一瞥すら無く小坊主Aに下げ渡した。右から左である。酷い。
しかしビジネスサムライは腐らない。
「いやー! 茂林寺はグンマー外でも有名なお寺ですからね! こちらに来る事が出来て、私は非常に幸せです!」
浅井は盛んにMOMITEをしつつ、膝を20センチほど前に進めた。そしてMOMITE。火が出んばかりにMOMITE!
「本当に良かったですよ! 何よりも、まーあ和尚様がまあ気さくな方で安心いたしました! 仏の道を修行なさった方は、やはり仏に近づくのでしょうね!」
「そうか、うむ」
和尚はまんざらでも無い顔をして、大きく頷いた。
訓練されたビジネスサムライのMOMITEには、相手のA-10神経を活性化するリズムがあると言われている。
浅井のMOMITEスキルは大したものではないが、MOMITEを知らない相手の感情を、少しだけポジティブにする事なら可能である。プラマイゼロから少しだけプラスに動くのであれば……十分すぎるのだ。
「いやぁ! ありがとうございます!」
何の感謝かは知らないが、何でもいい。
感謝することで、彼我の間に心理的要素の授受があったと結論付けたのである。すでに浅井と和尚は実績のある取引先として、打ち解けた事になった。実践HYOFOネオ陰流においては、『浮沈』と呼ばれる暗黒心理技術の一つである。
和尚と浅井との間に、不安定な架け橋が結ばれたところで、
「ところでオショー、アタシも風呂入りてぇんだけど、いい?」
コマが聞いた。
「ふほっ! 良いとも良いとも。想英、案内せよ」
「ん、あんがと」
コマはいそいそとリュックを探って、シャボンの実やハミガキの木、新パンツなど、お風呂セットを取り出した。
それを見た和尚は下卑た視線もあらわに、
「どうれ、共に覗きに行こうか」
さらりと浅井を外道にいざなう。連れションに誘う中学生の如き気楽さである。ただし、冗談めいていても、全く目が笑っていない。このジジイ、覗く気満々である。
――クソ坊主め……行かせるものか!
浅井は少しばかり強硬に出てみる事にした。
「覗かれる女の前でお誘いとは、まことに剛毅。さすがです! まさに……私にとっては、まさに悪魔のささやきですな、和尚」
目線が大事だ。下衆的欲望をあからさまに喚起して、少しばかりの躊躇と良識を混ぜ込み、相手を責める。
行きたいが行けぬ、共感しつつも同意できぬ……こういう微妙な葛藤を込める。気弱だと舐められても負けだ。バランスが難しい。
和尚は浅井の顔を不愉快そうに見た。
「僧に向けて悪魔と詰るか。中々の壮語であるな。折伏されたいか? 仏罰覿面、地獄でも極楽でも好きな所に送ってくれようぞ?」
「おお、トンデモありません! なんと恐ろしい事をおっしゃいますか! しかし……死ぬるのであれば、できればその前に、伝説の茶釜で茶の湯を楽しみたいところです。許されるなら、自分自身で一服点ててみたいものですよ」
風呂から茶へ、話を変えて誘導を図る。
「当寺の宝を使わせろとは、お主、遠慮と言うモノを知らぬな。母親の胎内に、人として大切なものを置き忘れてきたものと見ゆる。それとも親父の玉袋の中か?」
「はははは! ビジネスサムライが遠慮していては飛び込み営業もできませんよ!
――正直申し上げて、御無礼かとは思いましたが……いやー今日この日、かの有名な茂林寺を訪問できたのは、まさに天祐。茶の湯を嗜む一介の愛好家として、生涯の思い出にしたいのです! 当寺に関する和尚のお話を聞きつつ、……如何ですか?」
「よかろう! 遥英、持ってきなさい。咬まれないよう注意するのだ」
和尚は小坊主Bに茶釜を持ってくるように命じた。
「ありがとうございます!」
浅井は莞爾と笑った。
和尚のような、プレISHIN世代的オッサンというのは単純な生物で、元気よく下品に相対しながら、しっかりと話を聞いてやれば満足するのである。
傲慢で無教養で非論理的で無責任でモラルに欠ける灼熱のプレISHIN世代。
彼らは上っ面の偽善を振りまわしつつ、立場が下の者には傍若無人に振舞う。大量に存在する同世代との競争に疲れ切っており、また、成熟した社会インフラに乗っかって温く過ごしてきたという内心の劣等感から、社会や伝統に対して子供のような反発心を抱き、進歩的自由人めいて己の親世代を徹底的にディスる。自分勝手なだけの己を、正しい人間だと思いたくて仕方ないのである。
さらに、「進歩的」を自負する一方で、彼ら自身は己の変化を頑なに拒む。彼らが成長する事は無い。
畢竟、プレISHIN世代が、その脆弱なアイデンティティを保つためには、常に他者からの賞賛と承認を必要とする。彼らの精神構造は韓国人とよく似ているのだ。
無惨である。
交渉相手としてのプレISHIN世代は、手ごわくもあり、容易くもある。
論理性を重視するタイプのビジネスサムライにとって、プレISHIN世代は鬼門だ。彼らは論理思考そのものを放棄しており、物事の善し悪しは、己の好き嫌いのみで判断されるからである。相対するものは、必要以上に賢ぶってはならない。
一方で浅井のような、空気感と気組みで押していくタイプのサムライには、この上なく相性の良い相手となる。
彼らに一度気に入られたならば、思考誘導は自由自在。社会勉強したつもりの大学生並みに愚かであり、実にコントローラブルなのである。
浅井は更に膝を進めながら、
「いやぁ! 本当に嬉しい! ホントに、ここで和尚と出会えてよかった! ありがとうございます!」
言って、和尚に握手を求めた。和尚は無意識のままに浅井の手を握った。笑顔で感謝する相手から差し出された手、人の脳は反射的にこれを受け入れてしまうのである!
コマの裸をこの糞ジジイに見られる事は阻止したし、伝説の茶釜で一服味わえる。一方で和尚は自慢話をする相手を得る――WIN-WINの成果に、浅井は静かに満足した。
さて、サムライと破戒僧の交わす剣戟のような会話に、すっかり置き去りになっていたコマであるが、
「よくわかんないけどさ、ねえアサイ、別にお尻くらい見たきゃ見ても良いよ? 一緒に風呂入るか? 触ったらぶつけど、見るだけなら良いよ?」
まさに女神的コメント。
しかし、浅井はかぶりを振った。
「滅相も御座いませんよ、コマさん」
彼は知っている。
お尻とは与えられるものではない。愛情もって、育てあげるものである。
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モリン寺の風呂場は外にある。四本の太い柱に瓦屋根の、いわゆる東屋風の作りで、鉄製の巨大な浴槽は茶釜の形をしている。
「ん、ヘンな風呂」
風呂の中には、ムカ=イチアキ族長がうつ伏せになって、浮いていた。巨大な茶釜は、族長が大の字になっても十分な余裕がある。
「さすが族長」
息止め訓練に余念が無い。常にウチュウを向いている人は、日ごろの姿勢からして一味違う。
感心しつつ、コマは髪にさしていたウチュウツツジを抜いた。少し迷ったが、せっかく摘んだウチュウツツジだ。丸木を抉った桶に入れ、切り口を水に付けておく。これで、明日まで保つかもしれない。
あらためて髪を縛っていた紐をほどいて、緩く左右に頭を振った。ファサリと広がった髪は肩甲骨の上ほどの長さで、カミソリで適当に切りそろえているだけだ。特に気を使ってはいないが、瑞々しく艶やかで、自分でも少しだけ気に入っている。癖が無さすぎて、強く縛らないとほどけてしまうのが悩みと言えば悩みだろうか。
コマは手櫛を使って背中に髪を流すと、巨大茶釜から湯を汲み、ざんぶと勢いよく頭からかぶった。一日の埃と汗と油とが、洗い流されていく。
「あー気持ちいい」
湯は人肌ほどにぬるい。
コマは持ってきたシャボンの実を、ギュウと強く握った。手の平に汁を落とし、優しく優しく顔を洗う。よーく泡だてて、滑らすように洗う。強く擦ってはいけない。コマはそう、母親に習った。
顔の泡を流したら、頭を洗う。指の股でマッサージするように、グニグニと頭皮を揉みこむ。髪自体は軽く流すだけで十分で、あまりシャボンで洗っちゃいけない。痛む。
シャボンの実の汁を十分に洗い流すと、次に洗面器の湯に春レモンを絞る。これはチョットだけで良い。シャボンの実で洗うと髪はギシギシときしむが、レモンを溶かした水で髪をすすぐと、凄く指通り滑らかになる。これもまた、母親に習った。
「おし」
身体を洗う邪魔にならないように、洗い髪を頭のてっぺんでまとめて、チョンマゲを作った。こうすると、何故だかコマは子供に戻った気がする。お風呂が大好きな一つの理由だ。
髪が片付くと、シャボンの実を絞ってヘチマに塗り付け、ゴシゴシと容赦なく身体を洗う。徹底的に洗う。全力で擦っても全く痛く無いが、力いっぱい擦るとヘチマがボロボロになってしまうから、そこそこ程度にエイヤーと。ヘチマを作るのは割と面倒だから、そこそこに手加減は大事。
さて、汚れた足の指まで綺麗に洗って、身体の掃除はお終いだ。
「パンツ、パンツー」
身体の泡を洗い流し、次はさっきまで着ていた革パンツとブーラジャーを洗う。
弱鹿の皮を丁寧になめした革パンツとブーラジャー。柔らかいバックスキンの付け心地は抜群で、コマは小さいころからコレばっかり愛用している。弱鹿革はシャボンでこまめに洗っても、棘ネズミの油を塗っておけば硬くならない。タカサーキ族ではダチョウ革のパンツも人気だが、アレは少しばかり厚すぎるとコマは思う。
洗いあげたパンツとブ―ラジャーを柱に向けてスパーン投げつけ、貼り付けると、
「ムカ=イチアキ族長、お邪魔すんね」
コマは一声かけ、チャポン――族長の息止め訓練を邪魔しないよう、静かに湯船に滑り込んだ。
「ああー……」
茶釜めいたヘンな風呂だが、良い風呂だ。広くて深くて湯もきれい。すごく気持ちいい。
コマは目をつぶって、ハミガキの木を咥えた。この木はスースーピリピリ美味しくて、咥えているだけで歯が真っ白きれいになる。鉄を銀色に磨くのにも使える。ただ、家畜が食うと死ぬ。
それにしても……
「すごいなぁ、族長」
風呂場にコマが来てからかなりの時間が経つが、ムカ=イチアキ族長はピクリとも動いていない。溺死体のようにプカプカと浮いているだけ。しかしよく見れば彼女の全身は固く強張っていて、この風呂の中で、ウチュウでの戦いを再現しているのだ。頑張れ、族長!
彼女の訓練を横目で見ながら、風呂の縁に頭を持たせかけ、コマはボーっとしながら明日の予定を想い浮かべた。
早朝にタテ・バーヤシを出発して、オータを通過し、夕方までにイセサーキに入る。オータとイセサーキの間には、両部族に吸収された弱小諸部族の残党が蔓延っているから、出来るだけ早く駆け抜ける。途中、ハグレの良いダチョウがいたら、狩る。マエバーシ族のクソがいたら、狩る。イセサーキはクソっ垂れマエバーシに近くて危ないから、一泊しないで出発。そのまま下の方を走って、徹夜でタマムーラを抜けて、カラス川沿いを遡ってタカサーキに入る。
今年のイセサーキとタマムーラは、妙に木が多くて走りにくい。よわっちいアサイはへとへとになるだろうな、とコマは懸念した。彼女が自分の足で走って行くなら、タカサーキまで半日とかからないのだが……
と、唐突にムカ=イチアキ族長がクルンと仰向けになり、ゆっくりと呼吸を再開した。
「族長、練習すごいね」
「何でもないさ」
族長は真面目くさって言い、コマの横に座り直すと、ガブガブと風呂の水を飲んだ。顔からは滝のように汗が流れ、全身の筋肉がピクピクと痙攣している。激しい訓練だったようだ。
「戦士コマよ、お主はサイターマ族のアサイの求婚を受けるのか?」
ふと、彼女が言う。
「ん? んんん? なんのこと?」
コマはきょとんとした顔で、口を尖らせながら族長の顔を見た。
「アサイは戦士コマに求婚したではないか。『ウチュウに連れて行く』と。中々に腹の据わった求婚だったな」
「ん?……んんん? 求婚なん?」
「求婚だ。あの求婚、我が受けたのなら、奴を夫の一人にしていたな。……惚れてしまうよ」
「へー」
タテ・バヤーシと言うのは変わった部族だ、そう苦笑して、コマは風呂の水をかきまぜた。泡が立って、身体が浮いた。
族長はちょっと迷惑そうに立ちあがって、風呂の縁に腰かけた。
「で、戦士コマはどうする?」
「ないよないない、今日の今日さ、会ったばっかなんだよ? それにさ、アサイはアタシの顔もあんまし見ねぇし、おっぱいも尻も見ねぇんだよ? アタシ、自分の見た目には自信ねぇけどさ、でも尻だけは凄く自信あんの。どう? この尻」
コマは浴槽から立ち上がると、くるんと後ろを向いて族長に尻を向ける。
族長はペシンペシンとコマの尻を軽くたたいて、
「うむ、良い子を産むだろうな」
「だろう?」
お尻には自信があるのだ。間違い無し。
男たちは皆、コマの顔を見た後に、おっぱいをちょこっと見て、お尻をじーっとくい入るように見る。
そんな自慢のお尻なのに、さっきみたいにコマが誘ってみてもアサイは乗ってこない。お尻さえ見ない男が求婚なんかするわけ無い。
「戦士コマは結婚しないのか? 結婚は良いぞ。子供が出来ると楽しいしな。我には4人いる」
「んん……昔、一回結婚したんだけどねー。何か、ダメだった。旦那がどっかいっちゃった」
「ほう、そうだったか」
コマがはぐれの戦士と家を構えていたのは、5年ほど前の事。当時の族長が、彼女たちの結婚を決めた。
最初は楽しかったが、徐々に疲れて、喧嘩ばかりになり、最後は話しもしなくなった。一年もしないうちに、旦那はどこかに消えてしまった。
あの頃の自分は今よりも馬鹿で、多分、男を舐めていたのだとコマは思う。カ・カア天下という言葉の意味を、分かっていなかったのだ。男には何を言っても良いと思い込んでいて、好き勝手な言葉を垂れ流していたと思う。出て行かれても、仕方が無いのだ。
呪師の娘であるコマには、部族の中に親しく付き合う人がいない。話せる友人らしき人は二人。知り合いも、殆どいない。
だから喋る相手が出来て楽しかったのはある。旦那が自分よりも強くて大人だったから、むやみに甘えていた部分もある。でも結局は、子供の女にありがちな馬鹿さだったのだと、今では自嘲せざるを得ない。
三つ四つ年上の旦那は、とてもとても強い戦士で、格好良かった。親の血を引く強い子供を部族からは期待されたが……子が出来無くて良かったのか、出来た方が良かったのか、今でもコマにはわからない。
いずれにしても、旦那は今何処かで楽しく暮らしているのだろう。自分には、もう関係ない。今の自分は、一応は大人となったはずだ。
「アタシは馬鹿だからね、考えなしにポロンポロン余計な事言っちゃう。でも考えると、何を喋って良いか全然わかんなくなっちゃう。ずっとそう」
コマは正直に言った。
「そのようだな。馬鹿は言い訳にならぬがな」
「だね、あはは」
ムカ=イチアキ族長も正直な人だ。言いにくい事をズバズバと言うし、よく喋る。
ただ、コマは族長に何を言われても仕方ないと思う。実際、族長の夫たちと戦いになりかけたのは、つい先ほどの事だし。
「アタシ、男は嫌いなんだよ。アイツら欲しいもんが丸わかりなんだもん。いやだよ」
女として見て欲しいけれど、女としてばかり見られるのはごめんだ。コマはタカサーキ戦士であり、女であり、それ以前にコマだから。
もし仮に肌を許しあうような男がいるなら、コマはコマとして見られたい。一人のコマとしてだけ見て欲しい。それだけは本当に本当に絶対絶対譲れない。
彼女の言葉に、族長は鼻を鳴らして言った。
「男を意のままに操る事など造作も無いぞ?」
「どうやんの?」
「七日に一回だけで良い、褒めてやれ」
「そんだけ?」
「それだけだ。男という奴らは馬鹿だ。叱られても叱られても同じことを繰り返す。叱りすぎると何も言わなくなる。――だが、褒められた事だけは良く覚えている。出来の悪い犬みたいなものだよ。犬は褒めて躾るのだ……ああ、そうだ、本当に駄犬と同じだな」
「ふーん、ちょっとわかる気がすんね」
犬は飼ったことが無い。コマが家で飼っているのは、ダチョウとサボテンだけだ。ダチョウは完全に放し飼いで、呼んだ時だけ来る。サボテンも水だけやれば勝手に餌を獲って生きてる。
なるほど、男と暮らす前に犬を飼って練習すれば良かったのか……ホントに?
小首を傾げるコマに構わず、族長は続けた。
「他にはだな、今の男に昔の男の事を言ってはいけない……我はこれで失敗し、最初の夫をダメにしてしまった」
「うん、それはわかってる。お母さんが言ってたし、『男は女の92倍嫉妬深い』って」
「その通りだ。本気になった男の嫉妬には恐ろしいものがあるぞ。女の嫉妬は外に向かうが、男の嫉妬は内に篭る。男は嫉妬で自滅するのだ」
「んん、よくわかんない」
コマはかぶりを振った。
人を羨ましいと思う事は、しばしばある。本音では部族の中にもっと友人が欲しいし、親しく付き合える人が欲しい。
でも……多分、自分は嫉妬をした事が無いと、コマは思う。どこか、諦めているからだと思う。
嫉妬をした事が無い人間が、嫉妬深い男の気持などわかるわけも無い。
「どうすりゃいいのさ?」
困ったもんだ――コマは眉間に皺をよせて、悩んだ。
族長は言う。
「嘘でも何でもいいから、誤魔化すのだよ。嘘をつき通せ」
「嘘はいけねぇんじゃねぇの?」
「子供にはそう教えるべきだ。我の場合、ただの嘘つきは殺す事にしている。大抵は手足を折って、適度にぶん殴って軟らかくしてから、少しずつトネ鮫に食わせる」
「んんん、トネ鮫はちょっと酷い。あれ、凄く痛てーんだよ」
トネ鮫はトネ川に住む一尺ほどの小さな鮫。歯が鋭く、噛みついた後にグルグルと回転する特性を持っているため、傷口は丸く抉られる。大人のグンマー人なら齧られても全く歯が立たないが、殴られて軟らかくなっていれば……ブシャーッってなる。ブシャーッブシャーッヒギャーってなる。
「うちの部族だとさ、嘘ついて夫や妻を寝取った奴とかさ、人の羊とか盗った奴はさ、首ちょんぱしてからカラス川に捨てるよ?」
嘘つきは頭がおかしいので、殺すしかないのだそうだ。嘘つき病は、決して治らない。病気になる原因も分からない。
見せしめにしても仕方が無いし、生かしていても迷惑にしかならないので、タカサーキ族では族長の判断でさっさと殺す。
でも、ムカ=イチアキ族長の考えは少し違うみたいだ。
「タカサーキのたむたむ殿は慈悲深すぎる……騙して盗るのは、この世で最低の裏切りなのだぞ?――だが、例外もある。例えばサイターマ族のアサイ、彼は良い嘘のつき方をする。チバー族のヤスもそうだったな」
「グンマーの外の部族は嘘とか上手いんかなぁ、良い嘘って良くわかんねぇけど……」
「我の勘だ」
「ん、なる」
勘なら仕方が無い。コマが思うに、一族を率いるような偉大な人の勘は正しいのだ。巫女の占いが正しいように。
そこまででムカ=イチアキ族長は話をやめ、コマの後ろに座っておっぱいを揉んできた。
――ふにふに、ふにふにふに
「あはははは! やめて族長! あはは!――族長、あれ、ウチュウツツジ、ほら、ほら!」
コマが暴れながら木桶に入れたウチュウツツジを指差すと、族長はそれを見てカラカラ笑った。
コマもちょっと楽しくなって、彼女を湯の中に投げ飛ばした。族長もお返しとばかりに、コマの足を払って湯に沈める。笑いながら湯をかけ合う。
二人の姿は、歳の離れた友人同士にも、親子のじゃれあいのようにも見える。
一、二分遊んで、不意にムカ=イチアキ族長が動きを止めた。
「ところで断言しよう、サイターマ族のアサイは、戦士コマの事を好いているぞ」
彼女はコマの顔をしっかり見て、悪戯っぽく目を細めて言った。
「あはははは! 族長の嘘つき!」
コマは大きく息を吸い込むと、水の中にもぐった。鼻をつまみ、膝を抱えて丸くなる。全身の筋肉に力をいれて、我慢、我慢、我慢……
百を四回数えた頃、族長は黙って風呂を出て行った。コマはお湯から手を出してヒラヒラ振った。彼女が見ていたかどうかはわからない。
百を八回数えると、だんだん息が苦しくなって来た。十回数えると、我慢できない程に苦しくなった。苦しくて苦しくて、次の百は数えきれなかった。
プカリと顔だけ浮かび上がって、大きく喘ぐ。
「あーあ」
これじゃ全然、ウチュウに行けない。
^^^^^
茶釜を温めているのは風炉では無く、接ぎのあたった汚い火鉢だ。
「不味い。まるでなっとらん。牛の小便以下である」
和尚が吐き捨てた。
牛の小便を飲んだ経験があるのか無いのかわからぬが、とにかく酷い言い草である。
「そんなに、酷いですか?」
「飲んでみよ」
和尚は口をひん曲げながら茶碗を突き返す。浅井は黙って自分の点てた茶を飲んでみるが……普通だ。むしろ、若干美味い。伝説の茶釜によるプラシーボ効果は別として、水が良いのかもしれぬ。
「悪くは無いと思いますが……」
「あー、もういい、退け」
リアクションの薄い浅井に業を煮やした和尚。火鉢の前から浅井を押しのけ、自分で一服点て始めた。
大きな茶碗に、茶杓も使わず茶入れから直に抹茶を突っ込み、伝説の茶釜から汲みだした湯をジャバジャバ注ぐ。
「ふん」
あとは茶筅でやたらめったらかき回すだけ。
雑だ。
「ほれ、出来たぞ」
「お点前、頂戴いたします」
浅井は押し抱いた茶碗を二度回して飲む、飲む、飲む、飲む、飲む………飲む、飲む、飲み干した。
そして平伏した。
「和尚、お代わりを頂けますでしょうか? 本当の茶と言うものを、今、初めて味わいました」
美味いのである。
超絶美味い。
クソみたいなジジイによるクソみたいな点前のくせにクソ美味い。こんな馬鹿な話は無い。
「もう一杯点ててやっても良いがな……正直に答えよ」
クソ和尚は己の股をボリボリと掻き、掻いた指の臭いを嗅ぎながら言った。汚い。
「お主、あのコマという女に懸想しておるだろう? あ? 一目惚れかの? え?」
「HAHAHA! 和尚、何を仰っているのですかHAHAHA!」
欧米めいたジェスチャーですっとぼける浅井である。とっさの反応としては上出来だ。
「お主が隠しているそれ、雄の獣欲から来ておる。お主は若く、あの娘の尻は絶品。無理も無いが……はっ! 愚かしい煩悩じゃな」
「彼女は私の仕事相手ですよまったくいやだなーっ!」
「ふむ、そういう事にしておきたいか? ……言ったからには手を出すなよ? 拙僧以外の男が幸せになるなんてムカつくからな」
下卑た顔で吐き捨てる和尚。まごう事無き本音。
この糞坊主、最悪に正直である。髪の毛と一緒に、恥や外聞と言う概念を投げ捨てて久しいようだ。
「言われなくとも、彼女に手出しするつもりなど元からありませんとも」
浅井は改めて冷静に返すが、糞坊主はいっこうに納得しない。
「手は出さなくとも違うモノを出すのであろう? その股の間に隠してるクソ粗末な武器をなぁ」
「いやいや、出しませんとも」
「お主が手を出さぬならワシにくれても良いではないか。あの女、ワシに寄越せ。さすればお主の仕事に便宜を図ってやる。悪い話では無かろうて」
「戦士コマは私の所有物ではありませんし、私だって手を出すつもりはありません。ご執心なら、ご自分でアプローチすればよろしいでしょう。――ほら、彼女ならそこに居りますよ? お風呂はいかがでしたか、コマさん」
浅井の指の先、障子の陰から家政婦めいた横目で見つめる一対の瞳。それはまさに汚物を眺める目である。
「アサイがアタシに惚れてるわけ無いじゃん。オショーは馬鹿だね」
「チッ、戻って来おったか……もう少しだったというに」
小声で吐き捨てる和尚。
コマは二歩踏み込んで、坊主頭に手刀を振り下ろす。僧侶はクロスアームブロックで受ける。衝撃に床の根太が折れ砕け、薄く埃が舞った。
「だから男は嫌なんだよ――アサイはKONNYAKU探しに来てんだから、遊んでる暇なんてねぇんだよ? それ以上馬鹿なこと言ってんと、ぶつよ?」
既にぶっている。
「ふむ、すまんすまん。茶を一服、進ぜよう。それで許せ」
和尚は偉そうに謝って、今度は煎茶を淹れはじめた。たぶん抹茶を点てるのが面倒くさくなったのだろう。あるいは、先程舞った埃を気にしたのかもしれない。いずれにせよ、テキトーで雑な所作である。
「コマさん、和尚のお茶、美味しいですよ」
しれっと二人をとりなす浅井。
彼としても一連の会話に釈然としないものを感じるが、言っても詮無き事である。
「それで、アサイ、話を戻すぞ? して、当寺の茶釜はどのように伝わっている?」
話を戻すも何も、そんな会話は一切していなかった。要するに、和尚は話を変えたいのである。
浅井は一瞬だけ思案し、コマが冷静になるための時間を設けようと、スマート眼鏡のライブラリを探った。
「では最も原典に近いとされる物語を読みましょうか?」
「ふむ、頼む」
和尚は乱暴に茶を注ぎ、湯呑を突き出した。
遠慮なくグビグビと飲む浅井。飲みながらコマに目くばせすると、彼女も湯呑に口を付け、「んん……」と唸った。
美味い煎茶である。
一分程して、浅井は目当てのものを見つけた。
「お待たせしました。皇紀2730年度の小学三年生制定教科書に載った作品です。読み上げますね」
ぶんぶく茶釜(CHAGAMA)
作:アレクセイ・F・オシポフ 訳:渡部重蔵義時 絵:漫☆画太郎六世
ある時、普通の高校生である村人が山道を歩いていると、猟師の罠にかかった狸を発見しました。大層な美狸であり、荒縄で緊縛された姿は、この上なく耽美でありました。
『OH! なんて可哀想なモフモフなんだ! 直ぐに俺が助けてやるぜベイベー!』
村人はすぐさま罠を打ち砕き、狸を解放いたしました。
『ありがとうございます。あなたは命の恩人です』
そう言って、狸は狸娘に変化しました。
『獣人美少女キター! 狸娘ヒャッハー!! 礼なんかいらないよ! 俺はやるべき事をしただけさ! その代り、耳と尻尾をモフモフさせてくれよ。モフモフ!』
村人はウンザリするくらいテンプレ的モフリストでありました。リビドーに突き動かされたズーフィリアでありました。
『は、はい、尻尾は恥ずかしいですけど、他ならぬアナタなら、どうぞ……あ、あんああ~ん』
狸娘は性的興奮に毛を逆立てました。すでにテンプレ的に村人に惚れてしまっていたのです。実にチョロインなお助けポでした。
『お兄ちゃんと呼んでもいいんだぜ?』
『おにい、ちゃん』
『ヒャッ……ヒャッハー!!』
興奮した村人と狸娘は、街に帰って冒険者ギルドなる謎組織に登録し、情報の大切さを説いて美人受付嬢を惚れさせ、『目立ちたくないでござる、目立ちたくないでござる』とほざきつつも、因縁を付けてきた中堅冒険者と高慢貴族を相手に俺TUEEEして大いに目立ちまくり、角兎を狩ってから宿に帰ってチョメチョメしました。
翌朝、『昨夜はお楽しみでしたね』、と無礼極まる宿屋の主人にイヤミったらしく言われましたが、村人は何故か誇らしく笑って、大銅貨二枚の朝食を二人分注文し、遠慮する狸娘を強引に同じ卓につかせ、生野菜サラダに舌鼓をうったのでした。中世ヨーロッパゆえに寄生虫だらけとも知らずに……普通の高校生の村人なので当たり前です。
ところで、村人にはカネがありません。祖父から古武術を習っただけの普通の高校生で、キモデブで、軍オタで、wikiマニアで、コミュ障で、引き籠りで、元苛められっ子で、勇者召喚に巻きこまれた敬語の使えないVR廃人だから、カネが無いのです。
所詮、世の中の99%はカネで動きます。残り1%は外見です。
つまり、職歴なしのクソニートでカネの無い村人は、社会的に無価値なゴミでした。
『うーむ……どうしるべきか……』
カネが無ければ、冒険は始まりません。村人は悩みます。仕方が無いので殺すKAKUGOを決めて盗賊狩りをするか、あるいはダンジョンにでも潜ろうか、などと思案していると、
『はい、おにいちゃん。私に良い考えがあります』
右手を上げて狸娘が言いました。
『私が変化して茶釜に化けます。おにいちゃんはその茶釜を村の和尚さんに売ってください。私は適当な時に逃げだして帰ってきます』
『おい、それは詐欺じゃないのか?』
『宗教はアヘンです。悪です。それに……この国の宗教は人間中心主義なのです。だから人間はみんな私達を差別します。被害者なんです!』
『なんだと!? 俺は差別は許さない! 獣少女を差別する奴はゴミクズだ! そんなゴミ野郎には何をやっても良い! いっそ根絶やしにすべきだ! クリーク! クリーク! クリーク!』
村人と狸娘は被害者意識を精一杯に呼び起こしました。被害者側であったなら、加害者に何をやっても胸は痛まず、何をやっても許される気がするのです。これを免罪符(笑)といいます。
こうして村人は、村の和尚に会いに行き、狸娘の化けた茶釜を売りつけることになりました。
『おい和尚、これは茶釜といって水を熱する装置だ。科学の発展していない、この中世ヨーロッパ風ゲーム世界ではわからんだろうが、全ての物質は三態をとり、水の場合はH2Oという分子から成っていて、そういう正しい科学知識を持っていると、魔術を使う時にイメージ力が強化されて御都合チートなんだよ。それに、茶釜を持っていれば、いつだって消毒した水を飲めるようになるから病気にもかからない。怪我をしたときにも茶釜で沸かした水で洗えば安心だ。どうだ、買うか?』
純な和尚は村人の言葉を聞いて大興奮です。
『ファンタスティック! これはいい課金装備! ファッキンNAISEIチート!』
白人に駆逐されたネイティブアメリカンやアボリジニの如きナイーブさを発揮して、和尚は狸娘の化けた茶釜を買いました。白金貨一枚で買いました。
白金貨一枚は、金貨十枚、銀貨百枚、大銅貨千枚、銅貨一万枚の価値があります。大金です。家も買えちゃうくらいです。
『堂々と大きな声で言えば、何でも思い通りになるのか! 嘘も真の白金貨一枚になる! 凄い! さすが俺だ!』
村人はホクホクしながら宿に帰りました。狸娘が帰ってくるまで暇なので、奴隷市場で巨乳のエルフを買い、チョメチョメしながら待つことにしました。奴隷エルフの値段は白金貨一枚でした。
さて一方、狸娘の化けた茶釜を手に入れた和尚は、さっそく寺の小坊主に命じて、湯を沸かす事にしました。
茶釜に水をいれ、火鉢にかけて、赤く燃えた炭で熱します。
さあ困ったのは狸娘です。しばらくは我慢していましたが、腹を炭火であぶられるのですからたまりません。
『あちち! あついー! ハードプレイは真性コースのオプション料金を払ってくださいー!』
狸娘は熱さに耐えかねて、つい頭と手足を出してしまいました。胴体が茶釜の狸、あるいは狸の頭と手足の生えた茶釜……高レベル紳士ですら対応不能な、なんとも猟奇的な姿でありました。もはやHENTAIの域を超えています。これではまるで変態です!
しかし、その変態猟奇モンスターを見た和尚は、冷静沈着に激怒しました。この時の為に、禅の修行をしてきたからです。
『ガッデム! ファッキンバスタード! あのEDジャップ野郎、ワシを騙しやがったな! キンキー妖怪め! 折伏してくれるわサノバビッチ!』
叫んだ和尚は、すぐさま狸の頭と手足を斬り落とし、胴体である茶釜のふたを開けて中に入れました。AH! ミゼラブル!
そのまましばらくコトコトと煮ると、良い匂いが漂ってきました。
狸汁の完成であります。
和尚は食べました。迷わずおいしく食べました。
『FUOOOO! ミリオンパゥワーー!?』
狸汁は滋養に満ち満ちています。おかげで和尚の小息子は8年ぶりにエレクトしてしまったので、
『ッアー!?』
寺の小坊主はBLの犠牲となりました。男は度胸、なんでもやってみるもんなのです。
さて、困ったのは村人です。逃げ出して帰ると約束した狸娘は、待てど暮らせどいっこうに帰ってきません。
『すわ糞坊主! さては俺の獣娘を殺したか?! 契約魔術で奴隷にされたか?! はたまたそれともNTRか?!……もしや、俺から逃げた?!』
様々な可能性が村人の脳裏を駆け巡ります。
『俺は……俺は悪くない! 俺は被害者だ! 狸娘に唆されたのだ! 俺に責任は無い! 俺は良い人間なのだ! 良い人間なのだ! 戦争には反対だ! 人種差別にも反対だ! 女性は守る! ゲイも差別しない! 人類みな兄弟だ! 愛国の憂士だ! 自然エネルギーが大好きだ! 話し合えば解決できる! 愛は地球を救う! 無農薬有機農法を推進する! 大家族特番も欠かさず見る! 小犬とか好きだ! クジラは食べない! 自分の民族が過去に犯したあやまちなんて、幾らでも反省できる! ネオ日本を代表して土下座もしよう! 俺は、素晴らしいのだァァァァァ!………………くそぅ、俺の愛しい狸娘が……どうしてくれようか、ぐぬぬ』
普通の高校生である村人は、和尚を殺すKAKUGOを決める事も出来ません。
奴隷エルフの巨乳を揉みつつ、村人は悩みました。みんなから詐欺師と罵られつつ、いつまでもいつまでも悩みました。
つづく
^^^^^^
如何であろうか。
恐ろしい話であろう。
小学校三年生の教科書に相応しく、実に含蓄のある寓意を備えた話である。
全ての登場人物に、単純な悪人はいない。単純な善人もいない。善悪を超越した、ポール・ヴァーホーヴェン的世界観である。
村人は善意から狸を助ける。自己満足を得て猟師に損害を与え、狸と相互に愛を育み、和尚に対して詐欺を働いて、はした金を得るものの社会的に死ぬ。
狸は村人に命を救われ、初恋を知り女となって、恩に報いるべく決死の詐欺を働き、愛と愚かさ故に救われたはずの命を落とす。
和尚は茶釜と狸汁を得るが、不殺生と不邪淫の戒を破り、己の仏を失う。
単純に整理すればこれだけの話だが、さらに多角的に分析すればするほどに深いメッセージ性が読み取れる。ネオ日本の誇る最高の文学作品の一つと言えよう。
読み上げた浅井は、喉の渇きをいやす為に一気に茶を飲み干し、一拍おいて和尚に訊いた。
「如何でしょう? この茂林寺の言い伝えとの間に、どの程度の差があるのでしょうか?」
和尚は無精ひげを撫でつつ、いやらしく笑い、
「大筋はそれほど違わぬ。だが、狸娘では無い」
「ほう、では実際は……」
「ショタよ。男の娘よ」
「なんと!」
「そして、狸を食ったのは和尚では無い。尼僧よ」
浅井は慄然とした。この新たな事実からは、実に驚嘆すべき予想が導ける。狸がショタであれば、茶釜から出たのは手足と頭だけでは無いはずなのだ。男子にはもう一本だけ、この上なく大事なものがある。そして狸汁とは……
「和尚、と言う事は、もしや『狸を食った』と言うのは?」
「比喩よな。……決して愛などという執着じみた下らぬものでは無いぞ? あれは慈悲よ。あの尼僧こそが菩薩である。衆生と神仏を繋ぐ、清らかに穢れた巫女である」
「ああ、なんという……」
この有り難さ、男なら、誰だってわかるであろう。
「では和尚、小坊主はどうなったのでしょうか?」
そのことである。
「小坊主も尼僧に救われた。彼は未だ大悟を知らず、小悟も知らず、而してあの瞬間の、あの尼僧に執着し続けるあまりに、悟りどころか六道を巡る事すらもあたわぬ。手の届かぬ憧憬に胸焦がし、一介の凡夫としてこの苦界に四苦八苦しつつも尚、至上の幸福と優越感を味わっていて身動きがとれぬ。……愚物よな」
和尚はへらへらと嘲笑うように言った。
浅井は笑わなかった。
「その小坊主の気持ち、とても良くわかります」
「で、あろう」
「下らないですね」
「で、あるな」
「しかし、羨ましくもあります」
「で、あるか」
和尚は笑い、精いっぱい得意げに鼻を鳴らした。浅井には彼の姿が小さな老人に見えた。
コマはずっと二人の話を黙って聞いていたが、とうとう我慢が出来なくなって、
「アンタ等、どうしようもない馬鹿だね」
どんよりした目線を投げて、呆れるように言う。
一瞬だけ躊躇うような空白が流れたのち、
「コマさん、馬鹿でない男など一人もおりませんよ。馬鹿でない男は男では無くクズなのです」
浅井が応えた。コマが首をかしげた。和尚が一つ頷いて、茶釜に手を伸ばした。
「お前さんら、茶のお代わりは?」
「頂戴いたします」「ちょうだい」
「良し」
和尚は急須に茶葉をいれ、シュンシュンと湯気を上げる茶釜に柄杓を突っ込んだ。無造作に急須に湯を注いでクルクルとまわし、湯呑に注ぐ。
茶葉の量も雑、湯温も雑、まわし方も雑、注ぎ方も雑。
しかし雑に淹れたはずの茶は、
「ほう……」「んん……」
やはり抜群に美味い。
「これが分福さ」
福せを分けると書いて、分福。
茶の美味さなど大した福でもないが、ちょっとしたほっこりは得られる。それで、良いのだ。大きな福は自分で掴み、愛情もって育てるものだから。
「アサイとやら――求めよ、さらば与えられん。
全身全霊をもって挑みなさい。ま、通じない事も無いかも知れんさ。完全なる思い出が一つだけあれば、人は何百年でも生きられる。そうすれば、後悔だけはしないで済む。…………悟入? 解脱? そんなもん……そんなもん無理無理、糞喰らえだわ、なぁ?」
和尚は恥ずかしそうに言った。
「はい」
浅井は平伏した。
この和尚は単なる俗人に過ぎぬ。諦めきって、生き恥をさらす全裸のジジイに過ぎぬ。軽蔑に値する以外には何の価値も無い男であり、生きていてもしょうがないゴミである。
ただ一つ和尚が『小山の地元土建屋』と違うのは、自分の無価値さを骨身にしみて理解している事だ。だからこそギリギリのところで僧伽であり、だからこそ尊いのである。
棚に飾られている雑多のゴミも、床の間の雑草も、あれはあれで己の仏、あるいは己自身を表しているのだ。つまり永遠に完成しない完成形である。
あ、そうだ。
「一つ忘れておりました。和尚、普通の高校生である村人はどうでもいいのですが、ショタ狸はどうなったのでしょうか?」
和尚は火鉢の上、シュンシュンと鳴く鉄の茶釜に、優しい視線を投げかけて、
「ハードプレイには耐性が付くもんだよ」
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