館林
館林
鶴舞う形の群馬県、その頭部を担っているのが、館林である。
他県民にはどう見ても鶴に見えないし、どう見ても頭に見えないが……それだけは口にしちゃいけない。不用意な発言はこけしの一撃を呼ぶ。沈黙は金である。
さて、浅井とコマの装甲ランドクルーザーは、猟師テナンを屋根に乗せ、道無き道をえっちらおっちらと進み、夕焼けを前にして、ようやく密林を抜けた。
まず目に入ったのは、緩やかにうねりつつ広がる一面の平野、見渡す限りの麦畑。
「ああ、綺麗ですねぇ……」
「んん、うまそうだねぇ……」
黄金色の海、灼熱のからっ風に吹かれて、ざわわざわわと波うち揺れる。五毛作まで可能なグンマー麦である。季節が崩壊したこの土地にも、相応に適応する種があるのだ。生物の可能性は無限である。
麦畑を貫く道の前で、浅井はいったんクルマを止めた。サイドブレーキを引いて、強張った体を伸ばす。
「コマさん、グンマーではどの程度農業が盛んなんですか?」
「んん、田んぼとか? ヒャクショー仕事はみんな良くやってんよ。上の方は未開な感じだけどね」
実のところ、未開の地、と言われていても、その文明度は一様では無い。北部山岳地域では真性の土人が蔓延る一方、タカサーキやマエバーシ以下のグンマー南部平原は比較的文明化されている。
多少の市街らしきモノが形成されているほか、農耕や牧畜だって、さかんに行われている。もちろん機械化はされていないが、農業生産性は高い。グンマー人は一日で一人当たり100ヘクタールの農地を耕し、3000本の木材を伐採する事が出来るといわれている。理屈や技術では無い。単純なパワーである。
また、火神カグツチを崇める職人集団によってKAJIも盛んだ。普通に鉄器が使われていて、鍋泥棒なんてあんまりいない。もちろん上毛文字もある。だけど車輪は無い。
「我がタテ・バヤーシはムギが多いのだ。すばらしかろう?」
クルマの屋根の上で胸を張り、猟師テナンが言った。この男、気弱な癖に態度がデカイ。彼の虚栄心を浅井は評価するが、内面の脆弱さを押し隠せないようでは訓練が足りぬ。高度に体系化されたビジネスサムライの研修を、三カ月ほど受ける事をお勧めしたい。
「ムギのおかげでタテ・バヤーシは豊かなのだ。ン・ドンも美味い」
館林は利根川と渡良瀬川に挟まれた沖積低地と沖積台地からなっている。
沖積地ゆえ、グンマー名物からっ風に乾いている癖に湿地が多く、水郷地帯となっている。同様の理由で肥沃であり、平野が広がっているために農耕に適する。
だからこその、美しい麦畑だ。
「本当に素晴らしいですね、猟師テナン。この麦畑の美しさは言葉にしようがありません。……あ、これ、よろしければどうぞ」
褒めまくりつつ、浅井はサイドウィンドウから手を出してテナンに飴を三つ手渡した。チープ極まるカルピコ味。
テナンはすぐさま皮を剥いてパクリ。
「どうだ? アサイのアメチャンは結構んまいだろ?」
そういうコマも、カルピコ味を舌で転がしている。
「うむ美味いな……族長に挨拶した後で、お前らに名物のン・ドンを食わせてやろう」
「おお、猟師テナン、ありがとう御座います! 期待しております!」
「やったね! テナンあんがと」
飴チャン三つでうどんをゲット。しかも二杯。あらかじめ感謝しておけば、後々「やっぱごめん」など言えやしない。相手の名を口にしつつ感謝するのがコツだ。対象の潜在意識に、責任の二文字を植え付けるのである。
しかも、今回はコマが横から協力し、無自覚なままにテナンを追いこんでいる。男のリビドーと保護欲に訴求する攻撃、三十路男には回避不能だ。
これこそビジネスサムライの予定調和式交渉術。人間心理を巧みに突いた、蜘蛛の巣の如きトラップ迷宮である。
「さあ、行きましょうか」
言って、浅井はサイドブレーキをリリースし、アクセルを少しだけ踏み込んだ。麦畑を貫く道をゆっくりと進んでいく。
「テナン、この道でいいんか?」
「うむ、まっすぐふふめ」
猟師テナン、飴チャンのおかげで絶妙に舌が回っていない。別に可愛くは無い。
一行が進む農道は狭い。巨大な装甲ランドクルーザーは微妙に両サイドの畑を踏み荒らして進むが、テナンは「行け行け」としか言わない。強靭なグンマー麦にとっては、ちょっとした麦踏と同じなのだろうか。
黄金色の海をしばらく進むと、ちらほらとグンマー農夫の姿が見え始めた。元気に働く全裸のタテ・バヤーシ族が十数人と……ボロボロのシャツを身にまとった栃木人奴隷が七、八人。
グンマー農夫は、背丈ほどの大鎌で麦を刈ったり、麦わらを積み上げて乾燥させたり、超巨大な殻竿をぶん回して脱穀したり――やっていること自体は普通の農作業と変わらないが、少しばかり道具が大きい。そして異常に速い。浅井の眼には、まるで早回しのように見える。
一方で栃木人奴隷たちは地面だけを見て、一心不乱に落ち穂を拾っている。目の前だけ見つめる事で、情報の全てを遮断しているかのようだ。まさに、見ざる、言わざる、聞かざる……哀れ。
ランドクルーザーが近づくと、鎌を振りまわしていた年かさのグンマー農夫が両手を上げ、
「テナーン、そりゃーなんだーぁ?」
大声で誰何してくる。50mは離れているが、浅井の耳にもよく聞こえた。
「客だ―ぁ」
テナンの返答に合わせて、浅井とコマもサイドウィンドウから片手を振った。
「おうーっ」
年かさの農夫とその周りのタテ・バヤーシ族たちが手を振り返してくる。温かく……かどうかは兎も角、受け入れてはくれるらしい。
一方で栃木人奴隷たちは黙々と落ち穂を拾い続けている。近代的車両に気が付いているのかも、浅井には良くわからなかった。彼らにとって、ここでの生活は如何なるものなのだろうか……
しばらく進むと、農道の傍に小汚い掘っ立て小屋があった。四方に細い柱が立って、屋根は藁で葺かれ、三方に藁を積んだ壁がある。その中では粉挽きが行われていた。
もちろん粉挽きに水車や風車など使わない。グンマー農夫と巨大石臼、そして栃木人奴隷による人力オンリー。それで、いくらでもゴリゴリ挽ける。人力の方が遥かに効率的なのだろう。一種の合理ではあるが、単純作業は無情でもある。
クルマが小屋の前に差し掛かると、
「おう、アサイよ。クルマを止めろ。ン・ドン用の粉を貰ってくるからな」
テナンが言いながら、屋根から飛び降りた。
「もしかして猟師テナン、あなたが作るのですか?」
「当たり前だろう?」
不思議そうな顔をして、テナンが浅井を見る。
彼の顔を見て、浅井は少しばかり自分の認識不足を反省した。どうやら、頭では理解していても、感覚の部分で「現代社会」がまだ抜けていなかったようだ。未熟!
ここでは、食べたいものは自分で作るしかないのである。外食屋も無く、スーパーやコンビニも無い。つまりン・ドンには手料理という付加価値があるのだ。浅井の飴チャンにも、似た価値が認められるのかもしれない。使い方には若干の注意が必要だ。
テナンは汚らしい粉挽き小屋にズイズイと入って行くと、
「農夫ボボイ、ン・ドン用の麦を貰うぞ」
「おう、そこの持ってけや」
特筆すべきやり取りも無く、テナンは麻袋に小麦粉を詰め始めた。対価は払わない。原始共産制だからだ。
小屋の中にはタテ・バヤーシ族が男女三人と、女性の栃木人奴隷が一人いた。各々がテキパキと働いていて、見ていて気持ちが良い。
栃木人奴隷の女性は三十代半ばだろう、中年というには幾らか若い。ふるいにかけられた小麦粉を集め、木箱に詰める仕事をしている。額に汗して、いそいそと健気である。身に付けたジーンズと赤いTシャツ、そして肩口までの髪まで、真っ白に粉まみれだ。
浅井が彼女の様子を見ていると、ふと目が合った。
七三分けのビジネスサムライを見て、彼女は口の両端を少しだけ上げた。随分と疲れた顔に見えたが、淡い諦めを湛えたようでもあり、同時に適当な充足感を得ている顔でもある。
彼女をしっかりと見返して、浅井は三度ほど首を傾けた。彼女は眉尻を下げ、一拍おいて素早くウインクすると、何事も無かったかのように自分の作業に戻った。
「お、待たせたな。いくぞ」
「ええ、猟師テナン」
浅井は鉄面皮でクルマを出し、さっきより少しだけ深くアクセルを踏み込んだ。
そのまま10分程度走ると、
「ここがタテ・バヤーシの中心、てんしゃば通りだ」
てんしゃば通り、という道はタテ・バヤーシの中心街に相応しく、実に賑わっていた。麦わらで作られたバラックが一つ、二つ、七つ。視界に入る人影は二十人ほどだろうか。老若男女取り混ぜて、もちろん全員が全裸である。珍しい獣を見るような目で装甲ランドクルーザーを見ている。
コマがサイドウィンドウから身体を大きく乗り出して、
「アタシは戦士コマだ! タカサーキ族の客人、サイターマ族アサイ・チューゴ連れ、族長殿にアイサツに行く! 通るぞ!」
「おう、さっき帰ってきた猟師に、聞いたわい。行け行け」
シッシ、と邪険な仕草であしらわれ、通行が許可された。まあ、歓迎される理由も無いので仕方なしである。
「どうだ、良い道だろう?」
ゴンゴンとクルマの屋根を叩きながら、テナンが誇った。
「そうですね。良い道です」
舗装など無い。簡単な土の道だ。
路面は激しく乱れ切っていて、前衛芸術的にデコボコしている。GERIRA雷雨に洗われ、更にからっ風に乾かされるという過酷なサイクルを経ているからだろう。排水のために溝が左右の路肩に切ってあるが、気休めにしか作用していない。シエラレオーネの標準的な国道めいたグンマー道。
ただ、幅だけは素晴らしく広かった。20m程もあるだろうか。良い道である事だけは確かだ。
装甲ランドクルーザーは、住人を刺激しないよう、時速5キロほどでゆっくりと進む。
長閑な未開の光景に、近代車両は否応なく目立ち、
「なんだこのけものー」
いつの間にやら、後方にグンマーキッズの列が出来ていた。フラフラと跳び回りながら木の棒を振り回して車体をつついてみたり、軽く蹴っ飛ばしてみたり。ちょっとした大名行列である。
「おい君たち」
浅井はキッズを呼んだ。
「なあ、飴チャンを食べるかい?」
「なにこれー?…………うめーっ!」
「おれにもくれーっ」
「くれーっ」
――『人と人との友情は、菓子と煙草の授受から生まれ、カネと女のゼロサムゲームで失われる』
これはBSハンドブック第二章一節に掲げられた大原則。極言するところ、これさえ心得ておけば、アメ横での値切りから外交交渉まで、一切の敗北はあり得ない。
「HAHAHA! ほうら、ほうら!」
進駐軍めいて五つの飴チャンを連続投擲する浅井。至極器用に全てを空中キャッチするグンマーキッズ。運動神経!
「これで最後だ、ほうれ! よし、後は君たちで分けあってくれ」
「えーっ?!くそーっ!」
ちゃんと人数分は与えた浅井である。後の調整は現地人に任すに限る。
「しねーっ!」
「ぎゃーっ!」
「おれたっ、おれたーっ!」
子供たちの凄絶な殴り合いを背に、装甲ランドクルーザーはてんしゃば通りを駆け抜けて行く。
^^^^^
タテ・バヤーシ族長の館は広大なツツジ園の先にあるとの事。装甲ランドクルーザーは美しいツツジ園に無骨なタイヤを踏みいれた。
「綺麗ですねぇ」
「きれいだねぇ」
赤、白、ピンク、紫、緑、黄色、青、そして虹色、この園では様々なツツジが咲き乱れ、己が美を競いあっている。
「ちょっと、降りてみましょうか」
「ん」
既に夕暮れ。でも四月の下旬で日は長い。それに、タテ・バヤーシに着いてから、まだ一歩も地に足を付けていない。少しくらい遊んでいっても良いだろう。
「ちょうど良い、先に俺は族長に話をしてくる」
そう言って、テナンがくちなわを持って屋根から飛び降りた。
「すみませんが宜しくお願いします、猟師テナン――あ、ちょっと待って下さい。これをどうぞ」
「これは何だ?」
「サイターマ名産、十万石まんじゅうです。タテ・バヤーシ族長殿以外には、あなたにだけ特別に差し上げます……秘密ですよ?」
その言葉に、テナンはニヨニヨと微妙に唇をうごめかせた。わかりやすい男である。
「じゃ、あとで。ン・ドンを持って行く」
彼はそれだけ言い残すと、右手にくちなわ、左手にン・ドン粉と十万石まんじゅうを持ち、時速142キロで駆け去って行った。脱兎的加速力。
「アンタ、人をのせるのが上手いね、アサイ」
コマがニヤつきながら言う。初めて浅井に見せる表情だ。
「いえいえ、のせるなどと人聞きの悪い。とんでもない事ですとも」
ビジネスサムライの中ではおべっかや追従は苦手な方、というのが浅井の自己評価。先程テナンに掛けた言葉は、世話をしてくれた彼を単純に喜ばせたかったからであって、他意はチョットしか無い。ほんのチョットだけである。
「それにしても、綺麗ですねぇ、ツツジ」
「ん」
コマはツツジの花をとり、逆さにしてチュッチュと蜜を吸う。
「んまいねぇ」
懐かしい。
浅井も彼女の真似をして、二つ三つまとめて花を取り、吸ってみた。
「ああ、旨いですねぇ」
子供のころは、誰しもがツツジの蜜を吸ったものである。小学校のかえり道、学習塾やHYOFO道場のかえり道、フラフラと遊びながら花をつまんで蜜を吸う。土を触ると死んでしまうTOKYO都民以外は、皆この味を海馬に焼き付けている。
「あはは」
「ふふふ」
実に楽しい。これだけでグンマーに来たかいがある。
「アサイ……」
ふと、コマが少し首をかしげながら浅井の顔を見た。浅井はドキドキと胸が高鳴った。禅式自律神経制御も効かぬ。
彼女は浅井の瞳を見つめ、片手を大きく広げて彼の頬を、
――びたーん!
「いてーーぇっ!」
「蚊だよ、アサイ。ほらっ」
コマが手を見せる。手の平の真ん中に、親指の爪ほどの巨大な蚊が開きになっていた。超デカイ。刺されたら痒みの前に激痛が走りそうなくらいの大きさである。
彼女はぺっぺっと蚊を捨てると、
「たぶんアンタが刺されると、死ぬよ。気を付けな」
「えっ?! ……血、そんなに吸われるんですか」
「んん、そうじゃなくて、なんか変な病気になるんだよ。タテバヤーシじゃ多いんだよね……生まれたばっかりの赤チャンが蚊に咬まれると、チンチンに熱が出てワーキャー騒ぐの。グンマー人の子なら放っときゃたいてい治んだけど、サイターマ人は弱っちいから、大人でも死ぬんじゃね?」
「なんと……」
浅井は理解し、戦慄した。まず間違いなくマラリアである。グンマーのマラリアなれば、他県の常人にはエボラ出血熱に等しいかもしれぬ。
館林は水郷地帯ゆえに蚊が多いのか……
浅井は大急ぎでクルマに走り、医療ボックスからアルティメットEX虫除けロイヤルゴールドΩファイナルプロ8%増量お徳用をとり出して、顔や首筋、そして手足に塗りたくった。さらに、伝統のブタを取り出し、蚊取線香を燻す。信頼と安心のブタだ。持ってきて良かった。
「焦り過ぎだろう、なんならクルマの中にいたら?」
焦る彼を、呆れた顔でコマが見て、言った。
「いやいやいやコマさん、そんなのんびりしてて……コマさんは大丈夫なんですか?」
「ん、虫には絶対噛まれない。グンマーの大人ならみんなそう」
単純に針や牙が通らないのだ。硬いから。歩く装甲兵器である。
「ところで、そのブタはなんだい?」
「言わばサイターマ流結界術です。ブタの煙が漂っていれば、蚊は死にます」
適当なコメントだが、嘘では無い。要するに伝わればいいのだと、彼は少しばかり学習しつつある。
「ほー」
コマは浅井の手からブタを取り上げ、フワフワ漂う煙の臭いを嗅いだ。
「くさいねぇ」
「くさいです」
だが、何故かクセになる。心が落ちつく。
二人してクンカクンカ、スーハースーハーと小鼻をひくつかせ、
「くさいくさいくさーい」
「ええ、くさいですねぇ」
下らない夕暮れの一幕、浅井はちょっと幸せだった。
そんな、どこまでも量産型の男である。
^^^^^
そんなこんなで、ようやくたどり着いたタテ・バヤーシ族族長の館。
話が長いのだ。実に愚かである。
族長館はYAYOI時代の高床式倉庫めいた作りで、いくつもの棟が連なって一群を構成していた。と言うよりは、むしろ倉庫群の中で空いている一棟を族長が使っていると見るべきであろう。
族長は作物や獲物の防衛、そして分配を司るのだから、これは合理的な住居と言える。
陽はしばらく前に沈み、既に辺りは暗く夜の帳が下りつつある。
あえて無灯火の装甲ランドクルーザーが館に近づくと、中から七、八人の男女が出てきた。猟師テナンはいない。基本的に皆全裸だが、一人の女性だけが大きな黒い革らしきものを身に付けている。周りの態度を鑑みれば、間違いなく彼女が族長だろう。
浅井とコマはクルマを降り、ゆっくりと彼女の前に進み出た。
特に先方から声がかからなかったので、浅井は自ずから口を開いた。
「はじめまして、族長、そして皆々様。私はネオ日本商事、タカサーキ支店長の浅井忠吾と申します。皆さまの言うところのサイターマ族で御座います。本日、ここタテ・バヤーシにて族長に御挨拶出来ます事を、心から嬉しく思っております」
極めて丁寧だが全力の最敬礼では無い。あえてギリギリのファジィを残した、サムライらしい浅井の挨拶である。
「こんちは、族長。初めて会うね。アタシはタカサーキ族、戦士コマだ。アサイ・チューゴはタカサーキの客人だ……あ、あとベアたんの手足、土産ね」
友達か、と突っ込みたくなるほどコマの挨拶は軽い。予定調和と慣習に生きるサムライとしては、実に心配である。
浅井とコマの挨拶を受け、女族長は鷹揚に頷いた。
「我こそがタテ・バヤーシ族長、ムカ=イチアキ。脆弱なるサイターマ族の男よ、そして勇敢なるタカサーキの戦士よ、よくぞタテ・バヤーシに来た。さあ我が館に入りたまえ、もう暗くなるからな。今、猟師テナンがン・ドンを打っている、これを共に味わおうではないか」
族長の声は落ちついていたが、意外に若く、そして力強かった。
「ありがとうございます、ムカ=イチアキ族長、猟師テナン」
「あんがと、ムカ族長」
「戦士コマ、我の事はムカ=イチアキ族長と呼びなさい。百年続く名を略するのは許さない」
女族長は昂然と顔を上げ、静かな声で諭した。一世紀の重みを背負う者、ムカ=イチアキ。どこまでも誇り高き女だ。
族長に「さあ」、と促された一同は、ゾロゾロと館に入った。だれも裸足の足は拭わない。浅井も当然のような顔をして土足で上がる。
高床式倉庫の中は暗かった。怪しげに臭い油の灯りが所々に灯されているが、いかんせん光量が薄すぎて闇を払うには心もとない。グンマーにとってはこの明るさでも十分なのだろうが……
仕方なしに、浅井はスマート眼鏡の光量補正をONにした。すぐに視界が鮮明になり、各々の表情も良く見えるようになった。
明るいところで見たムカ=イチアキ族長は意外と若く、浅井より数歳上というところ。弓型の長い眉が強さと冷静さを感じさせ、焦げたような色合いの爬虫類らしき革を身体に巻い……いや、エプロンである。裸ワニ革エプロン、かなり高度だ。
「アサイ、なんで目のとこ光ってん?」
コマが不思議そうに聞いた。
「暗くて部屋の中が殆ど見えないので、この眼鏡で少しばかり小細工を」
光量補正とサングラスモードを併用すれば光は漏れないが、それでは無礼に当たってしまう。まあ、眼をつぶって社交は出来ないのだから仕方ないのだ。
「ふむ、サイターマ族というのは面妖な道具を作る。呆れる他ないが……それは少しばかり、格好良い。――さあ、まずは座れ。テナンがン・ドンを持ってくるまで、話を聞こうか」
族長は最も奥に据えられた粗末な椅子に座る。部屋の中の家具は彼女の椅子と、端っこにおいてある水瓶だけだ。
付き人らは、族長の両脇を固めて床に座り込む。浅井は正面の床に完璧な正座をし、コマはその横で胡坐をかいた。座布団や莚は敷かれておらず、板間はざらざらして、硬い。
「して、サイターマのアサイ。お主は何故タテ・バヤーシに来たのか? 何故グンマーに来たのか?」
「アサイはKONNYAKUが欲しいんだってさ、ムカ=イチアキ族長」
コマがさらっと全部ぶちまけてしまった。交渉もクソも無い。
普通、クリティカルな目的を明かすには、必要な段階があるのだ。丸裸でぶつかって行っても、ケツの毛まで抜かれるだけなのに……もう仕方ない。
「ええ、戦士コマが申し上げたように、KONNYAKUは私の目的の一つであります。私はビジネスサムライ、商人です。グンマーの様々な物品を取り扱う……つまり交易を考えております」
隣でコマがちょこんと首をかしげる。非常に可愛いが、今はその可愛さが憎い浅井である。
「ふむ、交易か……しばらく前まで、チバー族の老人……確かヤスと言ったか。最近見ないが、彼が外との交易を仕切っていた。サイターマ族のアサイが、彼をの後を継ぐつもりか?」
「そう出来れば良いと考えております」
「ふむ、我としてはどうでも良いが、な。――ところでKONNYAKUの入手は大変だぞ。ケノの掟で、グンマーの外に出すには全部族の同意が必要だ」
全部族の同意……浅井にとっては初耳である。
「KONNYAKUが難しい事は存じ上げております。だからこそ、入手する価値があるのです」
隣でコマが「へー知らんかった」とか言っているが、浅井はもうガン無視である。
「ふむ」
ほっぺたに手を当てて思案する族長。あるいは、思案している振りなのだろうか……ビジネスサムライの端くれである浅井にも、判断が付かない。
と、そこまで話したところで、
「ところでムカ=イチアキ族長、なんで焦げてん?」
全然関係ない話をコマが振る。この女、空気を読むことをまるで知らぬ。暗黒YUTORI的KYである。
「我が纏う、このメメトカゲの革の事か?」
「ん、そう。普通は赤いのに真っ黒焦げじゃんか。汚いからちょっと磨いた方が良いんじゃん?」
この女、本当に空気を読むことを知らぬ。無礼な言葉に、お付きの面々が俄かに殺気立った。
コマも失言に気付いて、そっと体重を移動し、腰のこけしを抜きやすい体勢をつくる。
緊迫した空気。
その中にあって、浅井は真面目くさったサムライフェイスを一切崩さずに、
――ブボボッ、モワッ
盛大に放庇した。
「く、くせぇっ!」
「おめぇ何食ってんだ?!」
「あほかっ!」
飛び交う怒号。
「これは皆さま……申し訳ありません」
放庇の完全制御などビジネスサムライにとっては児戯に等しい。
しかも、昨今のストレスに曝された浅井の胃腸は、完全に崩壊して腐りきっている。威力は絶大だ。実際、身も少し出た。
「いやはや~もうホントすみません。いや~、失礼をいたしました。戦士コマから貰った干しイモが余りに美味で、少々食べ過ぎてしまいまして」
頭を下げ、丁寧に謝る浅井。放庇から謝罪までの流れに一切の隙は無い。
「あはは、くさいなぁ! ……ムカ=イチアキ族長、ごめんね?」
緊迫した空気は激烈な臭気にまぎれて雲散霧消。馬鹿馬鹿しさはシリアスを駆逐する。ガキっぽい下ネタの前に、大人の面子は無力である。
「ふはは」
ムカ=イチアキ族長は笑ってくれた。意思の強い瞳が緩むと、中々に女性的である。
彼女はポンポンと自分の胸のあたりを叩き、
「ふふ、このメメトカゲの革はな、ウチュウに行ったから焦げているのだ。記念として、前掛けに仕立て直したのだよ」
「ん? ウチュウって何なん?」
「ハ・ルナ山の百倍も高いところの事だ」
「んん! どうやってそんな高いところに登ったん?! 教えてくれ!」
コマは大声を出し、族長に詰め寄った。目がキラリ輝き、完全に教えて君モードである。
一方で浅井の脳は微ポルナレフ状態に陥り、自動的に情報収集モードに移行した。
「長い話になるが、聞くか?」
「ん、教えてくれ!」
「うむ、タテ・バヤーシ族長、ムカ=イチアキの名を襲う者への試練でな……ウチュウへの旅は、相棒のメダカを見つけるところから始める。メダカは必須だ。初代様からの伝統なのだ」
族長はコマの瞳を見て、静かに話しだした。
「巫女から『赴くべし!』との託宣が下ると、ウチュウへ行く者は、先代の族長と共に、二人きりでグンマーを出る。そして、石の道を走って行くのだ。ずーっと遥か南西の方に、そうだな……一日くらい走ると、とある島がある。そこでは火を噴きながら、空にまっすぐ昇って行く筒を打ちあげている。我らはアレに抱きつく」
中度ポルナレフ状態に陥る浅井。族長の言う島は……間違いなく種子島宇宙センターだ。という事はつまり、H-Ⅵロケットに相乗りしているということで………………
…………?
……つか、普通にグンマー外に出てる?!
「んー、抱きつくのって、なんか危なそう?」
「危ないに決まっている。大抵死ぬ」
平然と言い放つ族長。ロックである。
「打ちあげの直前に、一番下のところに貼りつくのだ。筒が火を噴くところ、そのすぐ上に掴まる。火傷しないよう、お蚕様の布と、メメトカゲの革を三重に身体に巻いておく。背中には、ぶ厚い桐の板を背負う。これらがあれば、多少の火傷はしても、燃え尽きる事は無い」
「ん、それで?」
ズイズイと膝行して族長の前に座りこむコマ。拳を強く握りしめ、早くも完全フィッシュオン状態。
「さあ、火を噴き始めると、筒は恐るべき速さで天に昇って行く。景色を見る事は出来ない。瞼を開けると、筒が火を噴くあまりの眩しさに、一瞬で目が潰れる。あとはひたすら揺れと熱さと耐えながら、頑張るしかない。
そう……揺れも凄いな。腹の中で、岩ネズミの大群が暴れ回っているような気持ちになる。脳味噌も揺さぶられ、手足の感覚はあっという間に無くなる。
だが、最大の問題は音だ。炎の轟音はあまりにすさまじい。粘土を耳に詰め込んで、余程しっかり栓をしないとだめだ。さもないと鼓膜が破れ、血が吹き出る。平衡感覚が狂い、グラグラする。我の場合はそうなった。落ちなかったのは奇跡だ」
「すげぇ痛そう」
自分の耳を押さえて身もだえるコマ。痛みと恐怖を想像して、彼女の顔は白くなり、肌はふつふつと粟立った。怖い。
「さて、しばらくすると火を噴く筒の下部は切り離されてしまう。だからその前に、筒を登って、一番先端まで行く。先端まで登れれば、落ちる事は無い……ただ、風に叩かれて、物凄く痛くて、しかも焼けるように熱い。手足が千切れそうな気分になる。当然、息も出来ない。
我が思うに、ここまで来る間に、三割近くが死ぬのだろう。風にあおられて筒を登るのは非常に難しいぞ? 筒はツルツル滑るし、風は……からっ風の千倍は強い」
「相棒のメダカはどうすんの?」
「口の中に入れておくのだ。たっぷりの水と一緒にな……」
族長は立ち上がると、部屋の隅に置かれていた水瓶から水をくみ、口に入れて実演して見せた。ほっぺたは丸くパンパンになり、ハムスターめいてなかなかに愛い。
さて、水をゴクリ飲み下して、続ける。
「そのうちに、身体に当たる風が無くなってくる。風が無くなれば、眼が開けられる。すると、そう……驚くべき光景が目の前に広がる」
「どんな?」
「大地が玉になり、青い空がその大地玉にへばりついているのだ。そして太陽が白くギラギラと輝く。物凄く熱い。辺り一面は真っ黒に染まり、かつて無い程大量の星は、瞬かずに光っているだけだ。そして、音が一切聞こえない……鼓膜が破れたせいではないぞ?」
「コワイ!」
「ああ、怖い。そのうち、火を噴く筒は皮が剥けてバラバラになる。中身はどこかに飛んでいき、我が掴まるべきものは、筒の残骸だけになる。……その時、身体の重さが無くなるのだ。何の支えも無く、ウチュウに浮いている状態になる。大地は玉になって浮き、我もまた浮く。月も太陽もウチュウに浮いている」
「なにそれすごい!」
「うむ、凄い。初代様はこう仰った。『宙がえり 何度も出来る 無重力』とな……」
感慨深く思い出を語る族長。
既に、お付きの連中も含めて、全員が彼女の話に引き込まれている。宇宙は否応も無く人々の想いを吸いこむのだ。
そこでふと、浅井は素朴な質問をぶつける事にした。
「族長、呼吸はどうするのですか? 宇宙空間では息が出来ないと思いますが……それに熱さ寒さは?」
その問いに対して族長は、
「我慢」
実にエレガントな回答。
彼女は更に言を継ぐ。
「ウチュウは怖く、美しい。だが、その光景をいつまでも楽しんでいるわけにはいかない。息が続かなくなってしまう。
だから大地に戻らなければならないわけだが……これからが大変なのだ。普通に大地に向けて落ちたのでは、燃え尽きて死ぬらしい。初代様の言い伝えによるとな。……恐ろしい事だ。もちろん、燃えるわけにはいかないので、まずはそこら辺に漂ってるゴミを蹴って、丸い大地の方に進む」
「ん、泳いでるみたいな感じ?」
「そうだ、漂うゴミを蹴りながら、大地の方向に泳いで行く。そして、下の方にある出来るだけ大きなゴミにくっつく」
「難しそうだね」
「難しい。遠くのゴミに向けて正確に蹴らなければならぬし、足の力が必要だ。それと、下の方にある大きなゴミには、ピカピカする光を撃ってくる物がある。このピカピカに当たると、すごく痛い」
言いながら族長は、右前腕と左足のふくらはぎを示した。そこには、軍事衛星の高出力化学レーザーを受けたケロイドが残っている。おそるべき事に貫通は免れているが、それでも皮膚は炭化したのだろう。
「さて、大きなゴミに取り付いた後が大変だ。
ゴミを少しずつ割って、小さくしたのを上の方に投げる。何度も投げていると、反動で本体のゴミも大地の方に落ちて行く。それを繰り返していると、また風が吹いてくる」
「んん……」
「今度の風は、猛烈に熱い。髪の毛など一瞬で燃え尽きる。直に曝されれば、身体とて燃え尽きてしまう。大きなゴミの後ろに隠れて、やり過ごすしか無いのだが、そのゴミすらすぐに燃え尽きてしまう」
「大変だ! どうすんの?!」
「戦士コマよ、忘れたか? 我は打ち上げの時に、桐のぶ厚い板を持って行ったのだぞ?――桐は燃えない! 焦げるだけだ!」
「んんっ! スゴイ!!」
本当にすごい。わけわかんない。
「後は簡単。桐の板を盾に我慢して我慢して我慢して……我慢しているうちに、風が冷たくなる。そうしたら、手足を広げて速度を落とし、ウミに落下する。そして、タテ・バヤーシの臭いを辿って戻ってくる。魚を食いながらウミを泳ぎ、トネ川を遡ってタテ・バヤーシまで。
……ただ、我のメダカは死んでしまった。メダカが生きて帰ったのは、初代様の一回だけ……本当に無念だ……これが我がウチュウへの旅。4年半ほど前の話だよ」
「4年半……」
浅井はふと思い出した。ちょうどその頃、インドの軍事偵察衛星が撃墜される事件があったはず。
この件でインド並びに欧米は中国を実行犯として非難し、中国はいつものように傲慢にしらばっくれていた。ネオ日本も国際社会の尻馬に乗って中国を非難していたのだが……低軌道を飛ぶ軍事偵察衛星は足場として使いやすく、比較的サイズも大きいから、再突入の際の盾としても優秀だ。おそらく、否、間違いなく真犯人はここにいる。
「我がウチュウにいたのは半日にも満たない時間だったが、初代様は15日間もウチュウに居た。もちろん相棒のメダカと一緒に。しかも、彼女は二度もウチュウを訪れたのだ。ウチュウにツツジも持って行った。そのウチュウツツジの子孫が、ほら、そこのツツジの園に咲いているよ。後で案内しよう」
「アンタ等、なんでそんなあぶねぇ事すんの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
ついにコマは、根源的な質問を吐いた。
「馬鹿か。ふふふ、確かに……戦士コマよ、ウチュウは大きく、無限に広がっている。そしてウチュウから見るとな、グンマーは小さい。遠すぎて良く見えぬ。タテ・バヤーシなんて、何処にあるかもわからぬ。もちろん人間など全く見えぬ」
「ア・カギ山もハ・ルナ山も見えねぇの?」
「ア・カギもハ・ルナも良くわからぬ。……だからこそ、行かねばならぬ。己の小ささ、己の治むる土地の小ささ、それを悟らねばならぬ」
「よくわかんない」
コマはかぶりを振った。
族長が何かすごい事を言っているのは、わかる。ブッディストの戯言のようだけど、彼女の言葉には死線をくぐり抜けた古参戦士特有の迫力がある。ものすっごいパワーを感じる。
だけどやっぱりポルナレフ。
「わからんか? 族長となる者は小さきモノを慈しまねばならぬ。小さき人である我が、小さきタテ・バヤーシを慈しむのだ。小さきモノだからこそ尊ばねばならぬのだ。――どうだ? 分かるか?」
「わかんない……」
コマはうつむいて小さくなった。
くやしい。
コマは戦士だ。優秀な戦士だが、最強では無い。頭も良くない。族長になど成れない事も分かっている。
だけど、族長かどうかなんて関係ない。
ムカ=イチアキ族長はコマと浅井に向けて話した。だから……誰だってわかるはずの話なのに!
「戦士コマよ、ウチュウに行けば、分かる。サイターマ族やTOKYO族、チバー族……外の部族が、何の目的で火を噴く筒を打ちあげているか、我にもわからぬ。だが、たぶん、我と同じことを想っているのだ。ウチュウを求める彼らの情熱を、我は確かに感じた。火を噴く筒は、彼らの情熱と意思を燃やして飛ぶのだ! そうでなければ、あんな力強い炎を生み出す事は出来ない!!」
「んんん……わかんない!!」
くやしい!
外の部族にもわかっている事が、何故自分にはわからないのか! 何故自分はこんなにも馬鹿なのか!馬鹿馬鹿!
「分かりたまえ、戦士コマよ……我々は大地に生きるにあらず。ウチュウに抱かれて生きている。今、我らがいるここも、ここも宇宙なのだ! 我々は、ただ一つの同胞なのだ!」
「ムカ=イチアキ族長、何言ってんのか全然わかんない!」
「分かりたまえ!」
「わかんない! でも、なんかすっごくカッコイイ! アタシもウチュウ行ってみたい!!……その前にウミが見たいけど、やっぱりウチュウ行ってみたいよ!!」
激情のままに叫んだ瞬間、コマは自分の心を理解した。そして、ムカ=イチアキ族長の言葉を、少しだけ理解した気がした。
大切なのは、知らないモノを追い求める心。
より高く、より前へ、進み続けようとする心。
自分は知りたい。まだ自分が知らないモノを、知りたい。
「ムカ=イチアキ族長! こけしを振る練習とおんなじだ!」
ウチュウを求める情熱は、より高みを求める戦士の心と同じなのだ。
全部じゃないけど、少しだけわかった! たぶん!
得心したコマを見て、ムカ=イチアキは満足そうにほほ笑んだ。
「タカサーキ族の戦士コマよ、我は止めない。まずは息を止める訓練するところから始めなさい。まず半日以上は楽に息を止めていられなくてはいけない。そして……時がきたら、共にウチュウを目指そうではないか」
「ん! 頑張ろ「駄目です」………………なんでだアサイ馬鹿!!」
どなり散らして激高したコマは、機動装甲背広の襟を引っ掴んでグリングリンと猛烈にぶん回す。
浅井の七三分は無惨に乱れ散り、7.3Gもの強烈な遠心力に血液は脚部に移動、虚血状態の脳はブラックアウト寸前に陥った。もはや失神待ったなし。
それでも訓練されたビジネスサムライは、平静を装って言い放ったのだ。
「コマさんが宇宙に行きたいのなら、私がお連れいたします」
回転が止まった。
「ほう……」
「なんと!」
「立派な!」
沈黙を守っていた族長の付き人達から、感嘆の声が漏れた。
コマは目を回した浅井を宙吊りに支えつつ、
「ウチュウって、アサイは弱っちいから死んじゃうぞ?!」
額にしわを寄せて睨む。
「ご心配なく、サイターマ族は、死なずに宇宙に行く方法を心得ています」
一瞬にして、彼女の顔がパァァーーと花開いた。
「ホントか!」
「本当です」
コマは浅井を床に下ろした。フラフラの彼は床に尻をついてだらしなく座りこんだ。
「ゴメンな」
「いえいえ」
彼を支えつつ、コマはぐしゃぐしゃになった襟とネクタイを、出来るだけきれいに直す。若干、妻めいている。浅井は怪しげな無表情でされるがままだ。
状況が落ち着いたところで、
「サイターマ族のアサイ、話を始めに戻そうか」
ムカ=イチアキ族長が、いつになく真剣な声で呼びかけた。
浅井は俄かに心を引き締める。先程のコマと浅井のやり取りを、彼女は完全に理解しているようだ。
「はい、少々お待ち下さい」
内ポケットからとり出した櫛で髪を整える。美しく七三分にセットされていく髪と連動して、浅井の大脳は完全ビジネスモードへと移行した。
ここが、勝負どころである。
髪、良し。背広、良し。ネクタイ、良し。時計、良し。
全て良し。
浅井は訓練された完璧な正座で座り、真正面から客と相対した。
いざ!
「では、KONNYAKUの件でございます」
「うむ、君がKONNYAKUを得れば、我がタテ・バヤーシに何か利があるのか?」
「はい、その通りです」
「ふむ」
「KONNYAKUは、ネオ日本の航空宇宙産業に対して、極めて大きく貢献いたします。現在、ロケット……火を噴く筒の事ですが、このロケットを打ちあげる事が出来る部族は、中・米・露・欧・印・ブラジル、そして我がサイターマ族が属するネオ日本族の、7部族に限られています」
ただし、ネオ日本の問題は、打ち上げ回数が少なすぎる事にある。衛星打ち上げ市場は100年前から中・米・露・欧が席巻し続けており、ネオ日本はマーケットシェアが小さすぎるのだ。自国および東南アジアとオセアニアの衛星打ち上げが殆どで、これだけでは全世界の6%にも満たない。
つまり、タテ・バヤーシ族が相乗り出来る打ち上げも、必然的に数が少ない。
「さて、ネオ日本部族のロケット技術は中・米・欧に劣り、ロシア族とほぼ同レベルにありますが……KONNYAKUさえ得られれば、複数の技術的な壁を突破できます。トップに躍り出るのも時間の問題です。……おそらくは、十年以上の時間がかかるでしょうが」
航空宇宙産業は、ある意味で最先端とは言い難い。有人であれば尚の事だ。ロケットは各々に枯れた要素技術から成っており、完全な信頼性がプルーフされない技術は使われないのである。
しかしそれでも……
「KONNYAKUにより、必ずネオ日本のロケット技術は発展します。安価で、確実で、ペイロードが大きければ、必然的に打ち上げ回数も増えるでしょう。そうなれば……」
「つまり、ウチュウが近くなるのだな?」
ムカ=イチアキ族長の理解は驚くほど早い。彼女は極めて優秀な頭脳を持っている。
「あなた方タテ・バヤーシ族が宇宙に行く機会も増えるというものです。さらには……」
「そこから先が聞きたいのだ」
「はい」
浅井がグンマーに入って、まだ半日しか経っていない。
だが、そんな事は関係無い。ビジネスは戦いだ。一気呵成に攻めるべき瞬間がある。今、この時のように。
浅井の肌は、巨大ビジネス特有の匂いに粟立っていた。
「先ほど申し上げたように、我々には死なずに宇宙に行く方法が御座います」
いちばん始めにムカ=イチアキ族長は、巫女の『託宣』によって出発を決めると言った。要するに、一種の占いである。
群馬学の権威TOKYO大学の山本市太郎教授によれば、グンマー巫女は重なり合った因果を読み解き、任意の事象が生じる確率を自動計算する、とされている。
タテ・バヤーシの宇宙旅行の場合、軌道上の衛星の挙動や日時、族長候補の訓練状況等を勘案した上で、もっとも成功率が高いであろうタイミングの打ち上げを、オートマチックに選択している。
しかし、そんな不確実な博打を張る必要など何処にも無い。
「まだ確約はできませんが、タテ・バヤーシ族のロケットを飛ばすよう、幕府……我々の族長に交渉する事も可能かと考えます。交渉が成功すれば、せいぜい年に一人か二人でしょうが……あなた方が望む時に、望むだけ宇宙にいて頂けるかと。――もちろんメダカも死にません」
その対価としては、中華共産帝国の人工衛星を破壊してもらえば良い。あるいは爆発物をセットしてもらうのでも良い。
宇宙服無しで船外活動が出来、あまつさえ生身での大気圏再突入に耐えるタテ・バヤーシ族である。彼らなら、実現不可能と思われてきた、様々なミッションを行う事が出来るだろう。
高強度なグンマーボディは高Gにも耐えるから、激安の固体燃料ロケットで打ち上げる事も出来るし、空気の漏出があったとしても我慢してもらえば大丈夫。100%の安全を担保出来なくとも死なないのであれば、ロケットと宇宙船の開発コストは極めて低く、また短期間に圧縮出来る。
それに、最悪の場合……宇宙で死んでも、彼らは文句なんて言わない。逆に、誇りに思う事は間違いない。
タテ・バヤーシとは抽象の世界に生きる、宇宙の蛮族なのだから!
「繰り返しますが、幕府との交渉事ですので、現状で確約はできません。ですが、実現可能性はかなり高いと考えます。私見に過ぎませんが、まず八割以上――ムカ=イチアキ族長、私は火を噴く筒の如く燃焼する意思と情熱、つまり気組みを持って、この提案をさせて頂きます」
浅井は極限まで訓練された正座を発射台として、己のビジネスモデルを打ちあげた。
「ああ、うむ、うむ。メダカが死なないのは、とても良いなぁ」
瞳を赤くして、ムカ=イチアキはふわりと微笑んだ。未来へ想いをはせる彼女の姿に、浅井の胸も熱くなる。
根源的に、ビジネスとは互いの加不足を補い合うことであって、それはWIN-WINの関係を意味する。取引相手の喜びは、すなわちビジネスサムライにとって、かけがえの無い宝物なのだ。
「ありがとうございます」
そう言って、浅井は深く頭を下げた。うれしかった。
と、そこに……
「やあみんな、ン・ドンが出来たぞ」
テナンが巨大な桶を二段重ねに抱えてやってきた。
「御苦労、テナン」
「うむ、族長」
上段の桶には、冷たい汁が入った木製のドンブリと、木の枝の箸が人数分。薬味の皿と、焼いたくちなわの肉。
下段の桶には、井戸水にさらして引き締められたン・ドンが、満杯にうねっている。中太の麺が白くぬらぬらと輝く様は、HENTAI的に淫靡だった。
ン・ドン。
盛りうどんだ。
ドンブリの中の怪しげに黒いつけ汁は、醤油のような、魚醤のような、各種ミネラルおよびアミノ酸混合溶液である。
「新たな友との出会いを寿ぎ、食え」
族長の指示により、一同は一斉に一つの桶に箸を伸ばした。行儀や遠慮などという脆弱な習慣はここには無い。
「ん、んまい」
「美味いですね」
普通だ。普通に美味い。凄く美味しいわけではなく、かといって食えないわけでも、不味いわけでもない。
しかし何も無いこの未開の地において、普通に美味いというのは奇跡のようなO・MO・TE・NA・SHIなのだ。ネオ日本人が忘れつつある『何か』が、このン・ドンに込められている。
「猟師テナン、この喉越しが堪りません」
良い仕事をした後は飯がうまい。浅井はズルズルと麺を手繰って食いまくる。ここで遠慮は失礼にあたる。腹を壊すのを前提に食うべし。
「つけ汁もよかろう? くちなわの骨を焼いて、出汁をとった。それと、干した川海苔。薬味は野蒜だ。うまかろう?」
浅井の賛辞にテナンはドヤ顔。自分のどんぶりを箸でつついて、自画自賛。
一同何の異論も無し。
「うむ、ン・ドンはテナンに限る。――ところで戦士コマ、ズルズル……そしてアサイよ、いつズルズル……タテ・バヤーシを発ズルズル……?」
族長が問う。
「今日は一泊させて頂き、明日の日の出過ぎには発とうと思っておりますが」
「ではテナンよ、我らが新たな友にン・ドンを持たせてやれ。打ちたてをな」
「いや、しかし……」
それでは、テナンは殆んど寝られなくなってしまいそうだ。
躊躇した浅井を見たムカ=イチアキ族長はからからと笑い、傲然と、だが誇らしく言い放った。
「気にする事は無い。テナンは我が夫の一人だ。第五夫だったか?」
「第五はおれだぞ!」
付き人の一人、否、第五夫が抗議した。
「そうだった、すまぬ。テナンは第六だ。まあ、妻である我の命に夫が従うのは当然だよ、なあ、あんた?」
「そうとも、おまえ」
テナンと族長はチュッチュと口付けして嫣然と笑い合う。他の夫達も、二人に微笑ましい目線を送る。今この瞬間、彼らは完全に満たされており、他人が異議を差し挟む余地は皆無なのだ。
素晴らしき男性調教技術。
げに恐ろしきはグンマーのカカア天下である。
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さて、接吻以降、夫婦達の場が若干の怪しげなピンク色を呈してきたので、浅井とコマはちょいと目配せをして、
「ちょっと宇宙ツツジを見てきます」
などと適当な事を言いながら、どんぶりを持って外に出た。誰も止める者はいない。
二人は装甲ランドクルーザーまで行き、ボンネットをテーブルにしてン・ドンの残りを平らげる事にした。
「コマさん、お腹いっぱいになります?」
「んん、あんまし……もうちょっと後で始めりゃいいのにさ! まったくっこのっすけべっ!」
ちゅるちゅるとン・ドンを啜りながらぶうたれるコマ。彼女のドンブリには麺が山盛りに残っているが、それでも足りない。燃費が悪い。
彼女の顔が面白くて、とても可愛らしかったので、浅井は静かに目線を外し、クルマのドアをあけて乗り込んだ。
「どした?」
「ブタです」
伝統のブタを持って降りる。さっき火をつけた線香は、まだ八割がた残っている。漂う煙は相変わらず臭くて、良い匂いだ。
「どれが、宇宙ツツジなんでしょう……探してみましょうか」
「ん、いいよ」
ブタを腰のベルトに吊るし、ドンブリ片手に歩きだす。コマが横に並んで、ちゅるちゅるとン・ドンをすする。ツツジは周りに列を成して生えていて、ちょっとした迷路みたいだ。
「宇宙ツツジっぽいの、ありますか?」
スマート眼鏡の光量補正で景色は明るく、歩くのに支障は無い。ただ、色彩は乏しく、出来の悪い古典映画のデジタルリマスターみたいだ。繊細な花の色なんてまるでわからない。
「あ、あれがきれいだね。紫の中に黄色い斑点があんよ」
「ええ、とても綺麗ですね」
隣のコマにはこの暗さでも彩り豊かに見えているのだと思うと、生物としての出来の違いに愕然としてしまう。彼女との違いに、抗いようも無い歯痒さを覚えてしまう。出会ったばかりの小娘に……馬鹿め、それでも己はサムライか……!
「じゃ、いまんとこ、これがウチュウツツジな」
コマは花を一枝摘んで、ポニーテールの髪にさしてキープした。
「お似合いですよ」
浅井は彼女を見もせずに言った。
昨日までは埼玉で仕事をしていて、今はこんな所でン・ドンを食いながら、可愛い蛮族娘と見たことも無い宇宙ツツジとやらを探している。
因果とは不思議なもので、自分ではどうにもできない時もある。
「アサイ、ホントにアタシをウチュウに連れてってくれんだな?」
新しい宇宙ツツジを探しながら、コマは少し不安そうに言った。
「はい、コマさん。我が身命とサムライのプライドにかけて、お約束しますよ」
既に浅井はKAKUGOを決めている。
ビジネスサムライが約束した事は、何があっても果たされなければならぬ。己の腹一つぶった切れば良いという問題では無い。
「まずはKONNYAKUを持って帰って……それから、チョットだけ待って下さいね。私にも準備がありますので」
「ん、わかった! 息止める練習しなきゃいけねぇもんな!」
コマは箸を握りしめ、気合いをいれた。
浅井はそんな彼女に向けて曖昧に笑いかけながら、宇宙に思いを巡らせた。
有人宇宙飛行と言えば、アメリカか中国かロシア……周回軌道まで行くだけなら、民間旅行会社で一人当たり月収20カ月分。だが、コマは宇宙遊泳をしなければ納得できなかろう。と、すると、年収の十倍か。もちろん金は無い。さて、どうやって金策するか……やはりハイジャック……
コマにばれないよう、ン・ドンのどんぶりに顔を伏せ、少しばかりほくそ笑む。
旅行というものは、いつだって計画立案が一番楽しい。