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県境踏破

県境踏破


「遅せぇ乗りもんだね、こりゃ」

「道が悪いですからね。でも走るより楽でしょう?」

「あはははは! なかなか面白い奴だな、テメェ!」

 笑いのツボが、わからない。

 でも、コマは良く笑う。よく笑う女性はそれだけで魅力的。笑わない美人よりも、よく笑う普通子ちゃんの方が、千倍も万倍も正義である。いわんや、よく笑う蛮族娘となれば、十字軍も逃げ出すほどの大正義である。ローマ法王も蕩けるであろう。

 しかし、浅井は耐える。彼女の笑顔の猛攻に、ただ耐える。ネオ日本人的理性を喚起し、無表情のまま会話を続ける。静かなる克己である。

「遅いですかね? しかし雨でも濡れませんし、それにほら、グンマー名物からっ風が吹いても目にゴミも入りません」

「うん、そいつぁ確かに良いね」

 AI任せの自動運転では危険かもしれない為、浅井は自分で運転している。まあ……正直言って、コマを見たくないという理由もある。彼女を見ると、煩悩の一つがビッグベンになってしまう。それで無くとも、車内に漂う彼女の香りに、前頭葉がツングースカなのだ。ちくしょうめ!


 と、いうことで、ボンネットの上に高崎ダルマを飾り付け、装甲ランドクルーザーは群馬との境界線上をすすんでいた。最初の目標は館林(タテ・バヤーシ)、グンマーの玄関口だ。


「おっとっと……」

 路面のバンプに、大きく車体が跳ねた。

「揺れますね、すみません」

「いいよー。ダチョウよりマシ」

 クルマの通れる道はあるが、舗装などされているわけがない。剥き出しの土の道だ。群馬周辺の標準的な国道である。道があるだけまだマシで、おそらくは群馬県内に入れば荒野か砂漠か密林か、そんな所を分けいって進んでいくことになるだろう。先の事を考えると、浅井の頭は頭痛が痛い。


「コマさん。武器、出しておいた方が良いですか?」

 まずはともかく、即応態勢であろう。

「ん。あんなら出しときな。グンマー入るとあぶねぇよ? この辺、ナウマンとかトラさんはあんまいねぇけど、もんちちが良く出んかんな」

「わかりました。――音声操作。RWS(リモートウエポンシステム)起動。20mmチェーンガンセット。弾種通常。スタンバイ」

 浅井は最も潰しの効く兵装を選択した。いついかなる時も信頼の機関砲である。コイツに打ち砕けないのは、冷凍庫から出したばかりの小豆バーくらいのものだ。

 ついでに、一度車を止め、30型防弾チョッキを身につけた。これなら機動装甲背広だけよりも、遥かに防御力は強化され……まあ、マシにはなる。


 気を引き締める浅井に対して、コマは助手席でダラリと足を投げ出して座っている。むぐむぐと持参の干し芋を食べまくりつつ、ぼんやりと外を眺めている。周囲を確認しつつも、少しばかり退屈なのだ。グンマー人は陸上における食物連鎖の頂点に君臨しているので、本質的に警戒心が薄いのかもしれぬ。

「コマさん、いっそ音楽でもいかがですか?」

「ん、いいね。でも太鼓とか笛とかねぇよ?」

 太鼓、笛……あああ、なんて素朴で可愛……おっと、まずい。

「このリモコンをどうぞ。ええと……この三角のマークの所をポチポチやれば色んな音楽が聞けますよ。八千曲ほど入ってますので、お好きなモノをお聴きください」

「へー、ん? ふむふむ……干しイモ食う?」

「あ、いや、ええ、はい、頂きます、どうも」

「ん」

 ロック、J-POP、演歌、民謡、クラシック、雅楽、オペラ、etcetc……

 むぐむぐやりつつ、クルクルとザッピングしてたどり着いたのは、

「んん、これいいね! あはは!」

 コマは座席の上、ムッチリボディを揺らして踊り出した。

 21世紀初頭のクラシカルテクノがお気に入りらしい。なんともコメントに困る選曲である。

「おおう♪おおおー♪うんおおっおおーんんんんー♪」

 ノリノリで歌い出した。

 うむ、酷い。リズムも音程も滅茶苦茶である。恐るべき音痴。ああ、なんと痛ましや……でも可愛……干しイモこれ旨むぐむぐ。


 そんな楽しいドライブを数キロ続けていると、

「おや……」

 植生が変わった気がする。現在は四月下旬だが、この緑の厚さは異常だ。通常の日本の野山に、見たことも無い奇怪な植物が共存して、なんとも亜熱帯めいている。

 これは……

「ん、今グンマーに入ったよ。この辺はタテ・バヤーシ族の領土」

「やはり」

 群馬県内では異常気象が常態化している。寒く、熱く、豪雨と積雪に湿気ており、そしてからっ風に乾いている。当然、そこにすむ動植物は日本のものではありえない。

 さらに異常は続き、

「あ、ネットリンクが切れました。衛星もつながりませんね」

「ネトリ? エイセイ?」

「はい」

 群馬県内では、あらゆる長距離通信が出来ない。通信可能距離は精々3キロというところだ。電波は勿論、レーザー通信も有線通信も不可能。特に県境は絶対障壁として作用し、あらゆる信号を跳ね返す。理由は不明だ。グンマーだからである。

 この通信障害が群馬調査の進まない原因の一つ。無人偵察機などによる調査は何度も検討されてきたが、自律行動が可能なまでに高度なシステムは、群馬に入ってしばらくすると、『自殺』してしまう。理由は不明だ。グンマーだからである。

 装甲ランドクルーザーにも自動走行システムが搭載されているが、今、浅井自身が運転しているのは、そういうわけだ。

 更には衛星軌道上からの観測も行う事が出来ない。群馬を観測すると、全く不規則に像が歪むのだ。もちろんGPSなど使えるわけもない。グンマーだからである。


 押し寄せてくる現実。浅井は改めて気合いをいれたが、それにしても……

「タテ・バヤーシ族の領土にしては、誰もいませんね」

「んんん? その辺、沢山いんよ? あの木の上、そっちの茂みの中、あ、あの木の後ろにも隠れてんね。ダルマ飾ってんから、こっちがタカサーキ族だってのは分かってんし、『止めたら二度ぶつ』って書いてあんから見張ってんだけだべ?」

 コマが丁寧に指をさして、

「あそこあそこ」

 と教えるが、浅井には正直……全然わからぬ。運転しながら懸命に探しても、彼の目には、ただ密林が広がっているだけにしか見えない。密林の中ではスマート眼鏡や装甲ランドクルーザーの赤外線探知システムも、十全には働かないのだ。

「むぐむぐ……ちょっと見てな、止めなくて良いよ」

 コマは干しイモの束に噛みつきつつ、いたずらな笑いを浮かべた。助手席の窓を開けると、ぐっと一気に身体を乗り出し、窓枠に腰かけた。

「コマさん?」

「ヒョロロロロロロロ! ほいっ」

 奇声を上げ、齧っていた干しイモの束を投げる。イモ束は剛速球で一直線に密林を駆け抜け、どこかに消えた。


「何をしたんですか?」

「まあ見てな……きたっ」

 密林の奥から、拳大の黒い物体が飛来して来た。装甲ランドクルーザーに搭載されたアクティブレーザー迎撃システムが即応。危険物として、物体を貫く。

「おっとと」

 コマは殆んどクルマから落ちそうになりつつ、大きく左手を伸ばした。なんとか物体が地面に落ちる前にすくい上げ、ニマニマ笑いながら座席に戻って来た。

「干しイモと交換、ですか。私には相変わらず見えませんが、やっぱり居るんですね、タテ・バヤーシ族。……ところで何ですか、それ?」

 茶色く粘っこい液体に濡れた、丸い物体である。キャッチした彼女の左手はべっとべとだ。

「ヤ・キマンジュウだよ。……おおっ! やったね! 餡入りだ!……でもヘンなピカピカで、真ん中焦げたぞっ! なんだピカピカめっ!……まあ良いか」

 彼女は大口をあけて頬張った。一口で大きな焼きまんじゅうの八割が消えた。

「んん、んまい……」

 眼を閉じ、ふにょん、と頬を落として笑う。愛い。

 浅井はつい、彼女の顔をじっと見つめてしまった。愛い。目が離せない。自分も食べたい。いや、むしろ食べて欲しい。むぐむぐと咀嚼されたい。


「……ヤ・キマンジュウ、アンタも食いたい?」

「はい! よろしければ!」

 食いたい。もっぱら、彼女の齧ったところを食いたい。超食いたい。

 彼の名誉の為に付け加えれば、浅井はネオ日本男子の標準レベルにHENTAIではあるが、けっして変態では無い。さらに言えば、コマの齧ったところを食べたいのは、変態でもHENTAIでもない、極々ノーマルな男のSAGAである。誰も異論は無いだろう?


「私の飴ちゃんと交換しましょう!」

 浅井はポケットから飴ちゃんを一掴み、二掴み取り出し、

「どうぞ!」

 彼女の右手に押し付けた。

「……ん」

 コマは名残惜しげに左手の焼きまんじゅうを見つめ、右手に押しつけられた飴を見つめ、

「口、あーんしな。手が汚れるから」

 身体を伸ばして、左手の焼きまんじゅうを、浅井の口に押し込んだ。


「んまいだろ?」

 コマが訊く。

「最高です……」

 浅井が答える。

 答えたが、味なんてわからん。どうだってよろしい。

 ただ、幸せだった。

 完全に満たされた。

 似たようなシチュエーションはしばしばある。ドライブに行って、助手席の彼女から「アーン」、オニギリを食わせてもらうくらいの事は誰だってやっている。彼女に「アーン」する事だってあるだろう。今まで経験が無いなら、運が悪いか、金が無いか、顔が悪いか、そんなところだ。

 しかし、今の浅井と全く同じシチュエーションは絶対にあり得ぬ。有史以来一度も無かったし、おそらくこれからも無い。まさにオンリーワン、彼だけの、彼女だけの、特別な体験なのだ!

「やっぱ、ヤ・キマンジュウは餡入りに限るよね」

「ごもっともです!」

 浅井の顔は真っ赤である。

 禅の修行は無駄であった。自律神経系の制御を基本とするビジネスサムライの訓練でも、むっちり蛮族娘の蛮行に抗する事あたわぬ。密かに為朝ブレンドの身体強化薬(ドーピング)を使っている彼であるが……ホルモンバランスが崩れたことによる精神的な影響は言い訳にならない。


 さて、そんな幸せクソ野郎が転がす軽戦闘車両が密林を進むうち――

「あ! もんちちだ!」

 タマが叫んで指差した。

 体長2.5m、ゴリラより巨大で凶悪な赤狒々どもが群れている。百メートルほど先のブッシュの中だ。

「RWS、ターゲットスマート眼鏡連動、20ミリ機関砲、自動射撃、撃て!」

――ババン、バン、バン、ババン……

 ある者は胴体を抉られ、ある者は頭を砕かれ、また四肢を貫かれて、もんちちは算を乱して逃げだした。

「おー!」

 コマが感嘆の声を上げる。

「すげぇじゃん! このバンバン言うの、うるせぇけど便利だね!」

「いやぁ……それほどでもありませんよ、本当に」

 実際の所、今の戦果に浅井は激しく落胆していた。

「20ミリ弾が当たっても殺せませんでしたからね」

 頭部や肺や心臓など、急所に当たれば即死のようだが、手足や腹に被弾したもんちちはピンピンして逃げていく。負傷でそのうち死ぬのかもしれないが……20ミリを食らわせてこれでは、先が思いやられる。

「コマさん、教えて頂きたいのですが、もんちち、というのは強い方なんですか?」

「うんにゃ、最弱」

 ほら、最悪。


 さらに数分進むと、進路上に巨大なクマがとび出した。

「あっ! ベアたんだ!」

 コマが喜びの声を上げ、ドアを開けて飛び降りる。

「コマさん! 待って!」

 浅井の制止も聞かず、脇目もふらずに巨熊に突撃して行く彼女。グンマー脚力は限りなく優秀で、あっという間に肉薄した。

 コマは腰間からこけしを抜き放ち、突撃の勢いそのまま、相手の首筋に叩き込まんと一心不乱に振り抜いた。その速度たるやまさにSHINKANSEN!

 だが、ベアたんも黙ってやられない。

 体長4mの巨体に似合わぬ敏捷さを発揮して、ひょうと飛び退きこけしを躱すと、二足、四足を自由自在に切り替えながら、得意の格闘戦に持ち込むべくコマの身体を捕えにかかる。ベアハッグを狙っているのだ。

「あははは!」

 コマは笑う。

 マタドールの華麗さで、ひらり、ベアたんの突進をかわすと、嘲笑うように巨体の隙をついて、敵の懐に出入りする。前後左右四方八方を縦横無尽に駆け回り、魔獣をどこまでも翻弄する。Shall We Dance?


 これら全てが一瞬の出来事。

 浅井は冷や汗を流して慄いた。一瞬のうちに体が冷えきった。

 相手は猛獣である。かよわ……くはないが、女性のコマと比べれは、文字通り美女と野獣、犯罪的光景と言わざるを得ない。

「どうすれば……クソッ、これじゃ撃てない!」

 20ミリは撃てない。

 コマとベアたんは互いに近距離でラテンダンスを踊っており、RWSはランダムな運動をする目標に対して、精密射撃能力を有さない。

 つまり、浅井自身が射撃するしかない。意を決して装甲ランドクルーザーを降り、ネオ三八式歩兵銃を構えたが……

「動きがまるで見えん……!」

 コマとベアたんはグルグルと高速エビ反り大回転しながら戦っている。おそらくは後数十秒でバターになる程の激しさ。とても常人の目で追える速さでは無かった。

 しかし、この程度の事象、KAKUGO完了したビジネスサムライにとっては何と言う事も無いのである!


「いま行くぞ!」

 気合い一声、浅井は背広のポケットから崎王軒のSYUMAIを一粒取り出して、食った。

「ふおっぉぉ……!」

 俄かにキマった。

 瞳孔が拡大し、陽の光が煌めいた。春風さんざめく葉擦れの音。青く醸される草の匂い。土の中で蠢く地虫すら、感じ取れそうな気がする。

 ああ、なんと素晴らしい。

 群馬の自然はこんなにも美しい。

 神だ。これこそが、神なのだ。


 浅井、覚醒。


 コマとべあたんを見る。

 先程まで目で追えなかった両者の動きが、今、はっきりと視認できる。すばらしいSYUMAI効果だ。SYUMAI神BANZAI!

「コマさん、援護するぞ!」

 ネオ三八式歩兵銃を肩付けし、単射で5発撃った。全弾とも胴体に着弾。                                                                                      

――GAOOOOOOO!

 ベアたんが叫ぶ。

「どうだ?!」

 どうもこうも無い。効きゃしない。ちょっとは血が出ているのが見て取れるが、7.62ミリの豆鉄砲なんかじゃ死にゃしない。

 だが、隙は出来た。


「ていっ!」

 掛け声一声、コマが跳躍。二メートルほど跳ねとんで、右から左にこけしを振り抜いた。交通事故のごとく激しい打撃音。肉を打つ音では無い。

 跳んだコマは反動にトンボをきって、ひらひらりと柔らかく着地。

 一方、首筋を打たれたベアたんは、三十メートルもはね飛ばされた。脳震盪を生じたか、目を回してふらついた。

 後はもう、簡単だ。

「KAKUGOしろっ!」

 コマは、フラフラのベアたんの目の前に立った。こけしを振り上げ、

「ていていていていていていていていていていていっ!」

 フルボッコターイム。

 軽くリズミカルに頭を殴りまくる。即死しないように手加減しているのだ。

 あっという間にベアたんの頭蓋骨はグズグズに粉砕され、血と涎を噴き出し、力無く地に這った。

 無惨である。


「おし!」

 コマは腰のベルトに卯三郎こけしを挿し、代わりに鉈を取り出した。べあたんの首を少しだけ切る。心臓の鼓動に従って血が噴き出すが、それもすぐに収まって、ベアたんは何も言わずに虚しくなった。コマは死体を蹴っ飛ばして態勢を整えると、

「やっ!」

 コロッケ投入式掛け声をあげて、鉈を振り下ろした。頭部がズンバラリン。

「とうっ!」

 四本の脚がズンバラリン。一振りごとに胴体から離れていく。どうにもこうにも手際が良い。

「うっし!」

 彼女はべあたんの手足を両手に一本ずつ持って、ブンブンブンと振り回す。遠心力による血抜きだ。ダイソンも真っ青な回転力である。

「その脚と頭、どうするのですか?」

 呆気にとられて浅井が訊くと、

「んん。きちょたんだよ。何度も茹でて、におい抜けば美味しいぞ。タテ・バヤーシ族への土産にする」

 貴重なたんぱく質と言うところか。ベアだけに。


 コマはベアたんの手足と頭を装甲ランドクルーザーの上に投げ上げ、

「あー、楽しかった。アサイ、これ、積んどいて」

「はい……」

 彼女から頼まれちゃったら仕方ない。

 浅井はベアたんの獣臭にちょっとげんなりしながら、クルマの屋根に上り、ダクトテープで貼り付けた。彼は米国男性の98%を占めるダクトテープ万能論者の一人だ。万能粘着性補修物質であるダクトテープ様に固定できないモノは無い。当然だが、ボンネットの高崎ダルマもダクトテープでくっつけている。


 作業にいそしむ浅井を尻目に、コマは辺りを見回していたのだが、

「あっ、くちなわだ!」

 何かを見つけたのだろうか、いきなり木に跳びついた。そのまま一気に駆け上る。

「またですか!?」

 次々と……もうウンザリである!

 樹上からは、ガサガサ、メキメキ、と激しい格闘音が聞こえてくる。浅井はクルマの屋根から目を凝らすが……枝葉が厚すぎて状況を見通す事が出来ない。

「大丈夫ですか!?」

「行くよっ!」

 ひと声上から掛け声かけて、

――メキメキドスーン

 男の太股ほどもあろうかという大蛇が降って来た。グルグルととぐろを巻いて、その中にあるのは……コマの身体!


「今助ける!」

 発砲するわけにはいかない。とぐろに巻かれたコマに当たってしまう。

 浅井は瞬時に判断し、車内から大刀を引っ張り出した。

 全力で駆け寄りつつ、抜刀する。ネオ陰流IAI抜刀術である。

「コマさん、そのまま――鋭!」

 裂帛の気合。大上段から振り抜かれた刀は蛇の強靭な鱗を切り裂いて、首元にしたたかに食いこんだ。おおよそ脊椎の近くまで断ち割って、臭く冷たい血がびゅうと噴き出る。

「おー、テメェもやんね」

 コマがとぐろの中から感嘆の声をあげる。

 だが、浅井の業前が凄いのではない。SYUMAIによる覚醒、機動装甲背広のパワーアシストもあるが、なにより刀が凄いのだ。

 田中先生からいただいた、月山貞清作、超硬アモルファスSUS・カーボン・ナノコンポジット高速振動刀――人間国宝のサイボーグ刀工が最新の素材と製法を用い、衛星軌道上の無重力鍛冶場で打った実用刀。もちろんCVDダイアモンドコーティング済み。感圧センサーと温度センサーが埋め込まれ、刃が敵と接触した瞬間、数ミリセコンドの間だけ百キロヘルツで振動する。その刃の切れ味は、浅井の給料7年分である。


 しかしその剛刀の斬撃を持ってしても、

「まだ動くか!」

 流石は爬虫類。恐るべき生命力である。コマの身体にぐるり巻きつき、ギリギリと締め上げる。

 ボンテージの如く拘束されたムッチリ女体は限りなく淫ら。

 SYUMAIで認識力を強化された浅井の脳は情報過多に陥りつつも、彼女の痴態を余すところなく海馬に焼き付けた。もちろんスマート眼鏡も万全の記録体制をとり続けている。

 お宝!!


 そんなリビドーを噴出させつつも、マルチタスク訓練を施されたビジネスサムライの動作はオートマチックである。

「コマさん、もう一度斬るぞ! 動くなよ!」

 浅井は再度の斬撃を放つべく刀を上段に構えたが、

「平気だよっ。ちょっと待ってろ――えいっ」

 コマがちょいと可愛い気合いを入れると、グルグル巻きが少し膨らんで、それから一気に力を失った。

「……何を、したんですか?」

「ぎゅうっとされた時に、えいっとやると、ぱたっとくちなわが死にやがるんだ。死んだお母さんに習った」

 要するに、締め上げようとする蛇にタイミングを合わせて反発することで、張力をかけて脊椎をバラバラにしてしまったのだ。どっかの古典漫画で見たような技である。陸奥某とやらがやってた気がする。

 浅井はちょっとバカバカしくなって、「はは」、と半眼で笑った。こまけーことを考えても無駄だと悟ったのだ。


 現実に敗北した浅井を尻目に、コマはズルズルととぐろの中から這い出て、

「ぷいーぅ!」

 四つん這いのまま、プルプルと頭を振った。

 浅井はそれを見た。

 見てしまった。

 頭を振る振動は彼女の全身に伝搬し、畢竟、革パンツに包まれた尻まで到達。柔らかくも引き締まった重厚な尻たぶが、プルプルと震えた。

 SYUMAIに覚醒した浅井の眼前で。

 尻たぶがプルプル。

 肉。

 お尻プルプル。プル尻プルプルプル尻プル尻プルプルプルprprprprpprprprprprprprprprrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr…………


 お尻。

 綺麗。

 お尻。

 健康。

 お尻。

 肌色。

 お尻。

 肉々。


 コマのお尻。


 美。


「南無安産大菩薩」

 浅井は祈り、自らの首筋に刀の峰を叩きつけた。



^^^^^

 目が覚めると、ランドクルーザーの運転席に座っていた。

「お? アサイ、大丈夫か?」

 浅井の目の前には、心配そうなコマの顔。濡れた瞳が小さく揺れ、浅井の顔を覗き込んでいる。

 SYUMAIでガンギマリの自分の顔が彼女の瞳の中に映っていて、浅井は新雪に足跡を付ける愉しみのような、どこか背徳的な喜びを覚えた。同時に彼女が己の身を案じてくれる事が、ただ単純に、どうしようもなく嬉しい。

 似て非なる二つの感情。これらが寄り集まって抜き差しならない合成ベクトルを成す直前、

「……無」

 浅井は禅の不動心を強制駆動。危ういところで愛執を回避した。ごく短時間であるが五識が閉じた。尋、伺ともに消失する程の、過去最大級の禅定である。第二禅に到達していた可能性すらある。


「どうしたん? 何があったん?」

 浅井の脳内で起きかけていた奇跡に気付く事も無く、コマはぺたぺたと彼の身体を触って傷を確かめる。

「大丈夫か? なんかに襲われたんか?」

「……いえ……何が何だかポルナレフです」

 すでに、彼の脳は鏡のように静まっている。

 ただ嘘を言わざるを得ない自分に落胆し、心配をかけた彼女にも申し訳なく思ったが……まさか尻に欲情して、己を抑えるために気絶したとなどと言えやしない。言えやしないのだ! 正直さが害にしかならぬ以上、ここはもう、すっとぼけるしかない。


「もんちちか何かが、私の頭に石でも投げたんでしょうかねぇ」

「んんー……聞いたことねぇぞ、そんなの」

「私がサイターマ人だから、もんちちが馬鹿にしているのかもしれませんね」

「それはあるね」

 あるらしい。

 流石もんちち、頭が良い。類人猿の端くれに位置するだけの事はある。人によって態度を変える……幼稚園生に教え込むべき、実に正しいスタンスだ。瞬間のアトモスフィアに態度を依存するネオ日本人には、まさに必須の技能とも言える。もんちちも訓練すれば、足軽ザムライくらいには成れるかもしれぬ。


 そんな事はどうでも良い。


「まあ、行きましょう。私は大丈夫ですから」

 暗くなる前に、タテ・バヤーシに到着せねばならぬ。時は有限。光陰ミサイルの如し、だ。

「でも、くちなわを積まねぇといけねぇよ。アレはおいしいからもったいない」

「では、サッサとやってしまいま……なんてことだ……また何か来ますね」

「ん、人だ。 テメェ出て来い!」


 しばししてブッシュから出てきたのは、おそらくは三十路過ぎ、投げ槍を持った痩身長躯の男である。当たり前のように全裸だ。そしてナニが物凄くデカい。浅井をはじめとする量産型男子の敵である。クソ野郎であることは確定的である。

「おれはタテ・バヤーシ族の猟師テナン。お前が戦士コマか? 二度ぶたないでくれ」

 全裸クソ野郎は、そう名乗った。態度とナニは堂々としているが、どこか卑屈だ。

 コマが一歩前に出て応える。

「ん、クルマははじめから止まっているから、二度ぶたない。アタシが戦士コマだ。これはタカサーキ族の客人、サイターマ族アサイ・チューゴ……チューゴだったよな?」

「…………はい、そうですよコマさん。……猟師テナン殿、浅井と申します、どうぞお見知りおきを」

「うむ。サイターマ人とは珍しいな。久しぶりに見た。相かわらず随分と変な格好だ」

 浅井とて全裸の男に言われたくは無い。少なくとも、そのブラブラしてる巨大なブツを隠すべき……いや、これも彼一流の交渉術だとしたら侮れぬ。巨大兵器は戦う前から相手の心を折る事が出来る。生物学的な格の違いを見せつける事が出来る。この手法は、交渉相手が九州男子めいてマッチョ気取りである程に効果的だろう。

 だが……実践HYOFOネオ陰流を修めた浅井に、そんなブラフは通用しない。

 彼は知っている。

 戦いにおいて愛を証明するファクターはたった一つ。

 大きさでも技術でも無い。

 飛距離である!


 さて、下らぬネオ日本的現実逃避で己を慰める浅井を捨て置き、コマが一歩前に出た。

「猟師テナン、アタシ達はこれからタテ・バヤーシに行く。今日は一泊させてもらおうと思ってね。くちなわとベアたんは、テメェらへの土産」

 獲物を指差し、はきはきした声で呼びかける。

「ふむ、本来ならば我々の狩り場で勝手に猟を行ったのだから殺すが……おい、こけしから手を離してくれ、な? せめて最後まで聞いてくれ、な?な?……ごほん、あー、本来なら殺すが、今回だけは許す。お前のバンバンうるさいのが殺したもんちちも、俺が持ってきたからな」

 そう言って猟師テナンが片手を上げると、後ろのブッシュから数人の男たちが出てきた。彼らは手に手にもんちちの死体を引きずっていた。つい先ほど、車載RWSの20ミリ弾で殺した獲物だ。

 ちなみに、男たちのモノは猟師テナンよりも小さい。実にわかりやすい序列。グンマーでもネオ日本でも、あらゆる世界で、男は愚物であるようだ。


「猟師テナン」

 浅井は静かに呼びかけた。敬称は付けない。猟師、戦士、などという肩書に敬意が込められていると判断したからだ。

「ヤ・キマンジュウを投げてくれたのはあなたですか?」

「そう、俺だ。干しイモのお返しだ。あのイモは、中々に旨かったぞ」

「あなたのヤ・キマンジュウも最高でした。戦士コマと一緒に、心から楽しませていただきました。我が一生の思い出になるでしょう。まさに完璧なシチュエーションでした。完全無欠です」

「お、おう……うん、よかったな……」

 テナンが浅井の勢いに押されてたじろぐ。


「本当に最高の味でした。あなた方は普段から餡入りを?……やはりそうですか。やっぱりヤ・キマンジュウは餡入りに限りますからね」

「その通りだ。お前はサイターマ人のくせに良く分かっているようだな」

「恐縮です」

 浅井の横で、餡入り派のコマが大きく頷いている。浅井としては、彼女に認めてもらえてる気がして、少し嬉しい。こんな下らない事でもだ。

 ……さて、もう一押し。


「猟師テナン、よろしければ、我々のクルマに乗って行かれませんか? タテ・バヤーシまでは、それほど遠く無いようですが、歩いてお帰りになるより楽でしょう」

「いや、べつに……疲れてねぇし、窮屈そうだしな」

 正直、嫌なのだろう。

 まあ当然である。怪しげで狭い鉄の箱に入りたい奴など誰もいない。屈強極まるグンマーなれば肉体的な疲労も無いし、そもそも移動速度はクルマより速い。

 だが、直接的に断らないという事は、条件付きで受け入れる可能性があるという事でもある。

 嘘を言わないように注意しつつ、浅井は一気呵成に攻める。


「是非お願いしますよ、猟師テナン……袖すり合うも多生の縁と申します。私としては初めて会うタテ・バヤーシの方ですし……何より、あなたとは『男同士』色々な話をしてみたいのです。……そうですね、クルマの中では無く、屋根の上に座られてはいかがでしょう? 使い立てして申し訳ないですが、ベアたんの手足が落ちないよう、見て頂けると助かりますし」

「お、おう……まあ、わかった。そういう事ならな」

「有難う御座います、ささ、どうぞどうぞ。あ、飴チャンでも如何ですか?」

 曖昧なサムライスマイルを浮かべ、テナンを案内する。彼は戸惑いつつも素直についてきて、

「お前ら先に帰れ。族長に客が来ると知らせておけ」

 連れの面々にそう声を駆け、装甲ランドクルーザーの屋根へ飛び乗った。


 コマはちょっと面白そうな目で、浅井を見ている。

「アンタ、何がしたいん?」

「親睦を深めたいだけですよ。男同士の親睦を」

「へー」

 彼女は眼を細めて、横目で浅井の顔を見た。サムライのアサイとは対照的に、感心するほど表情の豊かな娘だ。


「さあ、では行きましょうか」

「ん」

「おう」

 浅井は運転席に乗り込み、ゆっくりとクルマを出す。

 実験は成功だ。

 小さく頷き、浅井は静かに自信を深めた。

 ちょっとした親切が押し売れるのであれば、あらゆる物品を売ることが出来る。通貨の有無など問題にならぬ。『男同士』という魔法の言葉も十分に作用するようだ。

 今、確信した。サムライスタイルはグンマーでも通用する。コマしかり、テナンしかり、人外の身体能力を持っていても、あくまで彼らはホモサピエンスなのである。人なのである。


 人ならば誰しもが通じあい、打ち解けあえるわけではない。そんなモノはナイーブにして惰弱な旧日本的幻想である。

 ネオ日本人は知っている。

 なかよしこよし、世界市民などナンセンス。他文明圏の人間を真に理解出来るはずも無く、シンパシーなど持ちようが無い。

 ネオ日本は日本文明圏に属する唯一の国で、ネオ日本人を真に理解出来る者はネオ日本人しかいない。ネオ日本人が真に理解できる民族も、ネオ日本人だけである。


 だが、互いに理解できなくとも、ビジネスだけは行える。

 ビジネスサムライの浅井は、固くそう信じている。



次回、タテ・バヤーシ編

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