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ビジネスサムライ出征す

ビジネスサムライ出征す


 TOKYO都民に対する埼玉県民のコンプレックスは、異常。

 愚かな事と自覚しつつ、否定したくてもしきれない確かな憧憬。それは魂のレベルまで刻まれた埼玉県民の悲哀である。

 出来ればTOKYOに住みたいものの、よんどころないフトコロ事情で、サイタマ市や春日部や草加やTOKOROZAWAに住まざるを得ない埼玉県民の鬱屈した哀愁は、他県民の嘲笑を買いつつも、五臓六腑に沁みわたって胸が苦しくなるくらいだ。釣りをしたくとも海が無いので、荒川なんぞで外来魚を狙うか、狭山湖くんだりでコソコソと恥ずかしく糸を垂らすくらいしかできない。

 前世紀にしばしば繰り返された荒川の氾濫とて、TOKYO都内に家を買えなかった埼玉県民のくやし涙が原因だという学説を唱える学者も少なくない。浦和辺りはネオさいたま市民の中でもブランド意識が高いが、傍から見れば激しくどうでもいい事である。

 ダサイタマなのである。

 彩の国埼玉とか言葉の上で飾ってみても、一般人が想起する言霊は、ダサイタマなのである。無駄な足掻きが一層の未練を感じさせ、切ない。本当は無駄だとわかっている。埼玉県民にもわかっている。だからこそ切ない。

 狂ったように海を希求し、TOKYOに憧れ、神奈川を敬遠し、栃木と茨城を愚弄し、群馬を恐れ、千葉と殴り合いつつ梨を食う。これが埼玉県民の基本姿勢。彼らはそういう星の元に生まれ、逃れようも無い頚木に縛られたまま死んでいく。哀れである。


 もちろん、ネオ日本商事大宮支店の埼玉県民社員ズも、例外ではない。

 本日は皇紀2758年(西暦2198年)4月27日、時刻は12時18分。地獄(ぐんま)行きの日である。ただ、場の主役であるべき人物は、微妙に無聊をかこっていた。

 大宮支店は国道一七号線に面し、現在その駐車場にて、昼食を兼ねた浅井の見送り会が催されているのだが、

「浅井、アイツら……なんというか、どうしようもないな。ああ、お前の御両親の事を言っているわけじゃないぞ」

 大宮支店の面々を睨みつつ、そうぼやいたのは、浅井の友人。中西平蔵である。

 ビジネスサムライに有給は無い。中西はわざわざ出張を強引に作り、ネオ新横浜支店から見送りに来てくれたのだ。彼は浅井と同期の桜、何人かいる社内朋友の一人である。親友と言っても良いかもしれない。

「まあ、中西、勘弁してやってくれよ。TOKYOからお偉いさんが来てるんだから仕方ないさ。これが埼玉県民の性だよ。悪気はないのさ」

 浅井は苦笑交じりに同僚を弁護した。


 浅井を除く大宮支店に所属する十数名の社員は、ギロッポンヒルにあるTOKYO本社から赴いた営業本部長殿の接遇に余念がない。伊庭支店長をはじめとして、支店の総力を上げ、全員が全員、媚を売る事に必死である。

 事務の斉藤裕子チャン26歳などは営業部長殿の隣でシナを作り、彼の持つ紙コップに御ビールという接待用リキッドを注ぎ込んでいる。その柳腰は、まるで古参GEISYA GIRLのようであり、彼女に対してまんざらでもない思いを抱いていた浅井のウーロン茶は、常よりもいくらか苦い。

 ちなみに浅井の両親も見送りに来ていて、彼らも営業本部長殿の接待に参加中だ。浅井亡き後、両親は会社から捨扶持を得るはずなので、会社幹部に挨拶を通しておくのはネオ日本の常識であろう。親子の情とは別次元の話である。


 中西は彼ら接待集団にジト目をむけ、

「お前の支店の連中もアレだが……本社の部長も何の為に来たんだか」

 ぼやく。

 浅井としては、そう言ってくれる人間が一人いるだけでも嬉しいものだ。少しばかり救われる気がする。

「まあ、いいじゃないか中西。こっちはこっちでゆっくりできるからな。――それに営業部長殿はTOKYOの人間だからなあ。いつだって彼らが主役さ」

「はは、だな」

 二人は苦笑気味に笑った。


 TOKYO都民は『TOKYO=ネオ日本』という宗教的錯誤に陥っている。彼らにとって、他県とは異国に他ならない。同じネオ日本人としてのシンパシーなど皆無である。彼らには四国とオーストラリアの区別がつかないし、紀伊半島とインドシナ半島の区別もつかない。彼らにとって、和歌山県民とミャンマー人は等価である。地方交付金と対外ODAも等価である。

 さらに、他県を訪れたTOKYO都民は、『アラマァ!TOKYOからいらっしゃったんですか!それはそれは!』と地元原住民から感謝感激のO・MO・TE・NA・SHIを受ける事を当然と思っている。まことに度し難い傲慢さである。

 所詮、元を正せばTOKYO都民も田舎出身。百姓の次男三男、あるいはその子孫ばかり。なればこそ反動で屈折したアイデンティティを構築し、己の人生の選択、または人生そのものを肯定せんがために至高の街TOKYOを賛美し、また内心で地方を蔑視するのである。食い詰め移民の子孫であるアメリカ人が傲慢にも自国をワールドと認識し、同時に極めてナショナリスティックである事に少しばかり似ているが……少し違う。

 アメリカ人は自らのルーツに極めて誇りを持ち、たとえばドイツ系移民はドイツ語も話せない癖に、バドワイザーを飲みながら「俺ドイツ人」などと抜かす。極めて阿呆くさいが、可愛いもんである。

 一方、TOKYO都民はコスモポリタンぶって自らのルーツを積極的に否定し、三代過ぎれば完全に忘却の彼方である。

 ネオ日本民俗学の祖、柳田國夫翁は、このTOKYO都民の心理を、『元カレの全否定』と名付けた。わかりやすいが、男心が痛い。

 加えて、別の研究者の仮説では、『風俗が土地に定着するには三代を要する』というものがある。俗に言う、『三代住んでようやく江戸っ子』というヤツだ。これも実にわかりやすい言葉で、歴史の洗練を受けているだけに真実性が濃い。

 要するに、三代前までの元カレは全否定されるが故に存在すら無かった事にされ、さらに三代より前は本当に全て忘れ去られる。忘れ去られてから、ようやくニュートラルな視点で観測できる可能性が回復するが、忘れ去られている以上、すでに何の意味もなく、更には心理的評価も固定化されきっており、全面的な嫌悪と軽蔑、あるいは優越感と被害者意識の残滓のみが虚しく横たわるだけ……

 この心理メカニズムは自己愛が発露した一つの形であり、利己的な自己防衛という点で極めて健全かつ強靭だが、非合理的かつ非生産的で、なにより不誠実である。やるせない。

 まあ、元カレの事など綺麗さっぱり一ミクロンも残さず忘れてくれた方が今のカレとしては有り難いわけだが、いずれにしても、今を生きる女は靭く、正しく、故に儚いのだ。TOKYO都民も同じ。哀れである。

 蛇足ながら、男の場合は、今まで関係した全ての女性を細部に至るまで完全に記憶している。男は過去にしがみついて、目を瞑り、耳を塞ぎながら、何も言わずに、今をやり過ごすのである。愚劣にして惰弱、これまた非生産的としか言いようがない。まあ、過去の女性を記憶していない男も中には居るが、そういう男は一人の例外も無くクソ畜生のクズである。異論は認めない。

 尚、既に絶滅して久しい真性の江戸っ子は、TOKYO都民では無い。TOKYOに住む江戸っ子という地方民であったに過ぎない。


 凄く、どうでもいい話である。話の筋には一切関係しない。


「浅井、お前がネオ新横浜支店に居ればなぁ……絶対こんな事にはさせなかったのに」

 そう言う中西は第三次神奈川崩壊を生き延びたサバイバー。典型的な神奈川県民である。


 神奈川県民は首都圏の中で最も地元意識の強い県民で、特にネオヨコハマ市民と湘南地区民にその傾向が強い。要するにブランド意識である。

 彼らはTOKYOなど屁でもないと思っている。文化的にも地理的にも己が神奈川こそサンクチュアリだと確信しており、その事に一切の疑念を持たない。

 確かにそうかもしれぬ。海、山、川、湖、平野。田舎の田園風景と機能的な都市の両方が揃っていて、交通アクセスも良く、食も豊か。前・後北条の根拠地であり、鎌倉やODAWARAなど、歴史文化も充実している。文句のつけようがない。

 一方で、そこに住む彼ら自身が何か持っているかと言うと、無い。空虚である。伽藍堂である。すっからかんなのだ。

 特にこれと言った主義主張も無く、激流に流されるだけ流され、新し物好きで、見栄を張って着飾ることのみに注力し、己が内面を研磨あるいは充実させる事など全く念頭にない。瞬間の連続を自動的に受け流すだけの、バブルヘッドである。

 神奈川県民は空虚で脆弱で、しかし箱根山よりも高いプライドを、ブランド意識で鎧っているのだ。

 それゆえだろうか、彼らは永遠のビジターであり、あらゆる新天地に溶け込む事はない。否、出来ない。郷に入って郷に従ってしまっては、己の空虚なアイデンティティを護持できないのである。

 仮に彼らがどこか他の土地に居住したとしても、『俺の地元では』という語句を日に18回ほど口にせずには居られない。口を開けば赤レンガだの大黒ふ頭だのシラス丼だの辻堂海岸だの烏帽子岩だのサザンだの箱根の温泉がどうのこうの、どうでもいい事をいつまでも呟き続けるのだ。

 全ての惰弱な男どものように、己が過去にしがみつくだけの仮初の   なのである。哀れである。


 また、どうでもいい余談が過ぎた。愚かである。


 浅井は駐車場にデンと佇む、巨大な装甲ランドクルーザーにちらりと視線を送った。これが、群馬突入の命綱。はなはだ頼りない。

「ちょっと、装備の最終確認をしに行ってくるか。どうにも気になって仕方ない。群馬に入ってから不足に気付いても、どうにもならないからな……中西、君も来るか?」

「ああ、行こうか」

 二人はブラブラと歩いて、装備一式を搭載した装甲ランドクルーザーに歩み寄った。

「さて中西、コイツで群馬に突入するわけだが……ところで俺のクルマを見てくれ、コイツをどう思う?」

「なかなか良いクルマではあるみたいだが、なぁ……」

 中西はネオ日本の基本である予定調和式会話法すら忘れてしまったようだ。やるせなさに歯を食いしばっている。彼はゴツンゴツンと装甲を殴り、

「もうちょっと、なぁ」

 何故か申し訳なさそうに、そう呟く。

「まあ、な……俺もこんなのじゃなくて戦車が欲しいよ。せめて装軌車両が良かった」

 と浅井もぼやくが、これでも立派な装甲車両だ。装軌車両を一人ではメンテ出来ない以上、運用上これが限界である。


 装甲ランドクルーザーは濃いめの黄土色。全長6.4m、全幅2.3m、重量6トン、700馬力の四人乗り。道交法を逸脱した特殊車両で、すごく……おおきいです……。

 ルーフにはタレットハッチが設けられ、その直下に収納式のマルチプル・リモート・ウェポン・システムを搭載している。コイツはフレキシブル・マニュピレーターを備え、小銃から重機関銃、はたまた携行式対戦車ミサイルまで、あらゆる歩兵用装備を自動マウントし、AI画像認識で自動射撃する事が出来る。つまりは自動砲台だ。

 さらに、屋根の上には87式多目的ミサイルが二機。このミサイルが装甲ランドクルーザーの備える最大火力で、陸上で運用されるどんな装甲兵器でも、当たれば間違いなく破壊される。火力はパワーである。

 防御の面では、ガラス部分を含めて12.7mm通常弾に耐えうる全周装甲。もちろんノーパンクタイヤを履いている。前後左右には伝統のクレイモア地雷が設置され、運転席から出される指示によって、半径50mの全周をなぎ払うことができる。さらには全自動レーザー迎撃システムを搭載。これは飛来するロケット弾などを撃ち落とすもので、群馬人の投擲するトマホーク(巡航ミサイルでは無い)にどこまで効果的かは疑問だが……まあ、無いよりは良かろう。

 航続距離に関しては、極小型原子炉を搭載しているので、事実上無限。信頼と実績のネオ日本製であるからして、適切なメンテナンスさえしておけば、永遠に走り続ける事が出来る。ネオ日本のギジツは世界一である。MONODUKURIの現場は、大量生産されたサイボーグ工員と、OTAKUエンジニアと、そしてパートのオバチャンの、美しき三位一体で支えらているのだッ!


 続いて、浅井は後部カーゴハッチを開いた。一つ一つ念入りに装備をチェックしていく。

 カーゴスペースにはW2282歩兵携帯戦術核ミサイルを含む各種武器弾薬、並びに食料品が満載。ポケットマネーで味噌、醤油、香辛料、その他手土産もたっぷり積み込んである。群馬現地人との物々交換の道具である。

 さらには娯楽用の音楽や映像資料もある。群馬以外ならどこでもやっていけそうな装備だが……

 浅井と中西は、どちらからともなく顔を見合わせて、

「ははははは」

「はっはっは」

 からからと笑った。泣けないなら、笑うしかないじゃないか!


「はっはっはぁぁ……浅井、ほれ」

 気を取り直すように、中西がボスンと弾薬箱の上に赤い箱を放り出した。

「これは、俺からの餞別だ」

 横浜の伝説的戦闘糧食、崎王軒のSYUMAI20個入りが10セットであった。

 SYUMAIは秘伝の製法によって作られる戦闘糧食で、常温保存で35年の賞味期限を誇る。一個食らえば目は冴えわたり、感覚が鋭敏化し、痛覚は麻痺し、50時間以上寝ないでも大丈夫になる。幕府ONIWABAN御用達となる逸品だ。ネオ日本でSYUMAIといえばコレである。最高に美味いが、問題があるとすれば、習慣性が少しばかり強いことだろうか。

「おお、これは良い物だ。すまんなぁ」

 中西の気持ちに、浅井は素直に感謝した。もちろん最初からSYUMAIには気付いている。が、中西が取り出すまで言及は避けていた。それが、礼儀。ネオ日本的予定調和であり、奥ゆかしい慎み深さである。

「つまらない物だ。このくらいしか、出来ん」

 中西は微妙に口を曲げつつ、申し訳なさそうに洩らす。

「それ以上言うなよ。まあ、戻って御ビールでも減らしに行こう。俺は飲めないけど、な」

 浅井は朗らかに笑って、軽く中西の肩を叩いた。

「ああ、そうだな」

 二人は肩をたたき合い、元のテーブルに歩きだそうとした、その時であった。


「ちゅうごぉ」

 背後、車体の陰から聞き取りにくい声。浅井は怪訝な顔を振り向け、一瞬の後に眼を見開いた。

 車椅子に乗る、枯れ木のようにさらばえた老人の姿があった。彼こそは浅井の師、六代目ネオ(かげ)流HYOFO宗家、田中喜重郎源信先生。ネオ日本有数のHYOFO家である。

 その顔は黄疸で黄色く、腕には痛々しい点滴の針が刺さっている。忠吾の兄弟子の一人が、車椅子を押していた。

「先生!」

 浅井は師の前にスライディング平伏。深く頭を下げた

「田中先生……見送りを……私などの為に……」

 それ以上は、言葉にならぬ。浅井は歯を食いしばって、湧き上がる感情を抑え込んだ。思いもよらぬ事だった。

 田中先生は死病に冒されている。全身に転移した末期癌である。おそらくは、どんなに長くても二カ月の命。先日、浅井がお別れの挨拶に行った時には、鎮痛剤で朦朧としていらっしゃって、会話を交わす事も出来なかった。

 それが、いま不肖の弟子を見送りに……先生は激烈な痛みに耐えつつ、この場に来てくださったのだ!


 田中先生は浅井の顔を見て、少しだけ口角を上げられた。

 次いでガクガクと震えつつも、誰の手も借りず必死に車いすから立ちあがると、

「てひのろふふぁいのかひょく、ほひふてぃふす、きふみ……」

 ダラダラと涎を垂らし、そう仰られた。

「先生……」

 心が震えた。脳に転移した癌により、言葉は不明瞭でいらっしゃったが、それでも浅井には完全に聞き取れた。


――敵の六倍の火力、ロジスティクス、気組み。


 ネオ陰流HYOFOの戦闘教義(ドクトリン)である。田中先生が生涯を費やして研鑽して来たテーマである。

「先生の教え、絶対に忘れません!」

 浅井の返答に、先生は小さく横に首を振り

「わしゅえてよい。じぃぶんのみぃち、しゅしゅめ。……か、か、かてぇ!」

 断末魔の如く叫び、絶句。一気に車椅子に崩れ落ちた。死にかけの老人の身体は限界を越え、すでに意識は無い。急いで兄弟子が先生に酸素マスクを装着する。

「自分の道、進め。勝て……お言葉しかと! 有難う御座いました!」

 アスファルトに平伏する浅井。田中先生は、最早何も答えぬ。息も荒く、白目を剥くばかりである。

「浅井君、先生がこれを」

 兄弟子が浅井の前に膝をつき、ジュラルミンケースを差しだした。開ける。中に入っていたのは三振りの刀剣、一丁の弩デカイ自動拳銃と、弾装が三本、実包が一箱。

「まずは剣だ。月山貞清作超硬アモルファスSUS・カーボン・ナノコンポジット高速振動刀、同脇差、同銃剣」

「おお……」

 非常に高価な刀剣類だ。人間国宝のサイボーグ刀工が衛星軌道上の無重力鍛冶場で打った、最新最強の実用刀である。大刀だけでも浅井の給料七年分相当の価値があるだろう。

「そして、銃。群馬人は硬い。貫通力が大事だと先生が仰られてな。長野の基地外軍オタ、装甲プリン氏が作ったロングバレルの特注品だ。弾は全て強装徹甲弾。強装弾でも、ちゃんと撃てる」

 FN社製Five‐Sevenであった。貫通力に優れた5.7mmの軽量高速弾を撃ち出す、古き良きイロモノ拳銃である。

 実包の箱にはボールペンで『D・U』と小さく書かれていた。劣化ウラン……もちろん非合法の特注品である。弾丸重量の増加による弾速の低下は、火薬の増量で補うのだろう。実にエレガントで無謀なアプローチだ。

「なんと申し上げれば良いか……」

「形見分けだと思え」

 さらに深く平伏する浅井。言葉も無い。

 兄弟子は浅井の肩を叩き、立ち上がる。駐車場に集う一同に向けて深々と一礼。カラカラと田中先生の眠る車椅子を押し、去った。


 一陣の風が吹いた。


 田中先生の突然の登場と退場は、空爆のように面々の心をかき乱した。

 壮行会のお茶らけたアトモスフィアは瞬く間に雲散霧消。駐車場に、凄絶な空気が満ちる。現実逃避の時間は終わりだ。

 すかさず伊庭支店長が平伏する浅井に歩み寄り、

「浅井君、ではそろそろ……」

 そう言って促す。さすがは練達のビジネスサムライだけあって、場の空気を読むことにかけては達人である。

 浅井はゆっくり立ち上がり、伊庭支店長に小さく頷いた。支店長は皆を集めにかかった。


 浅井は中西の方を振り向き、

「じゃあ、行ってくるよ」

「ああ、しっかりな」

「中西、すまんが後はよろしく頼むな。いろいろと……いろいろあると思うが、頼むよ」

「おう……おう、任された!」

 朋友達は互いにかたく手を取り合った。

 中西の眼は真っ赤だ。浅井の目も何やら少しばかり熱い。眼にゴミが入ったのである。ネオ日本男児であるビジネスサムライが泣く事などあり得ぬ。両者とも、随分と大きなゴミが入っただけである。埃っぽいのだ、ちくしょうめ!


 父と母も、ゆっくりと近づいて来た。

「忠吾、行くか」

 父が、息を吐きながら言う。

「はい、父さん、母さん、行ってまいります。お元気で。忠二郎の奴に、後はよろしく、と」

「ああ、行って来なさい。立派にお勤めを果たすのだぞ」

 父は何気ない素振りで、浅井の肩に手を置いて言った。彼もまたビジネスサムライ、表情は完全制御され、明るく笑っている。だが、肩に置かれた手にこもる力が、親心を何よりも物語っていた。

 浅井は微笑して頷いた。父、そして弟とは、昨日のうちに水盃を交わしてある。男同士、もはや言葉は要らぬ。


「身体に、気を、付けるん、ですよ、忠吾……これを……」

 母は、抗いようもなく湧き上がる涙を必死に飲み込みながら、一枚の布切れを差しだした。

「母さん」

 超アラミド千人針であった。氷川神社の護符が縫い込まれていた。

「勇気百倍です。これで、絶対に帰ってくる事が出来ます。ありがとうございます、母さん」

 彼女の手を握って、精いっぱいに真心を込めた。母の指は細く、氷のように冷え乾いていて、浅井の胸は申し訳なさで潰れそうになった。

 長男でありながら己が責任を全うできぬ自分がほとほと情けなく、世のやるせなさを嘆いてみても意味も無く、ただひたすらに、母に感謝する事しか出来ぬ。それしか出来ぬ。


 何とか気持ちを押し殺して皆の方を振り向くと、

「では、皆さん! 我が社の為、そしてネオ日本の為、力の限り頑張ってまいります! 皆様方もお身体にお気を付けて!!」

 そう短く挨拶し、最敬礼を持って深々とお辞儀した。

「浅井君、御両親のことは心配要らないよ。我が社として、しっかりと支援させていただくよ」

 伊庭支店長が、浅井だけでは無く、その場の全員に向けて宣言した。彼は彼で、不退転のKAKUGOを示したのだ。狡猾ではあるが、骨のある男である。これほどの約定、違えれば切腹は免れぬ。仮に切腹しなければ、中西か誰かが斬るだろう。比喩表現では無い。

「支店長、宜しくお願いいたします。営業本部長、宜しくお願いします。私は精いっぱいやってまいります。銃後の備えを……」

「無論だ。君の忠勤には全力で応える。後の事は任せ、奮励努力したまえ」

 本社の本部長にも言質を取った。もはやこれで思い残すことは無い。あったとしても、どうにもならぬ。


 浅井は猛然と装甲ランドクルーザーに乗り込んだ。キーを捻った。操作系に火が入り、コンソールに灯りがともる。小さなハム音。自己診断プログラムが走り、2秒後にシステムオールグリーンと表示された。

「では皆さん、御達者で!!」

 言い捨て、アクセルを踏み込む。原子炉から供給された電力が合計700馬力のモーターを駆動させ、四輪が力強くアスファルトを蹴った。浅井はただ前を向く。バックミラーは見ない。絶対に振り向かない。絶対に。


「「「浅井忠吾、BANZAI! BANZAI! BANZAI!」」」

 見送りの面々が、叫ぶ。一人残らず落涙し、作法通りのBANZAI三唱だ。足は肩幅、手の平は内側に向け、肘を伸ばして前から上に一気に振り上げる。


「「「BANZAI! BANZAI! BANZAI!」」」

 BANZAIはいつまでも止まぬ。各々の一糸乱れぬ律動的な動作――


 嗚呼、これも日本の美か!!





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