幕間 蜘蛛姫の語ることには
古びた洋館の一室で蜘蛛姫は目覚める。
埃と黴と停滞した空気と──そして蜘蛛の巣。部屋の中央には足つきのバスタブが鎮座しており、重々しい音を立てて蓋が開いたかと思うと、洪水のように黄金色の天道虫が流れ出して来る。無数の黄金奔流が散り散りに部屋に満ち、その金海の中からすっと女の上半身が浮かび上がる。バスタブに寝そべった女の白磁の肌を天道虫が這いずりまわり、艶めかしく濡れた肢体に噛みついては逆に食われていく。女の肌は息をするように虫を喰らっている。天道虫は彼女の僕であり、使い魔であり、そして餌だった。いくつかの虫をすっと肌に吸い込んで、女は健やかな笑みを浮かべる。
一匹の天道虫が泡粒のようにぷちりと弾けて体液を零しながら「くくるる」と囁き、また一匹は縮れ糸に似た極細脚を痙攣させて「けら」と呟く。螺子の壊れたブリキ人形のように天道虫はけたたましく笑う。蜘蛛と言う女、女という皮に凝固する蠱群はめいめい道化のように笑い死にながら束の間の遺言を撒き散らせていく。
──繰り返されるテーマ。
──その身を縛るルール。
──誰もが仰ぐカノン。
──神が与えたオーダー。
──心を預けるセオリー。
虫のざわめきは呪いのように満ちて鈍重に、息もつかせぬ波濤のように空気を震わせる。やがてその囁きは一つの交響楽として物語を孕み、語り手たる虫たちは挑みかけるように謎かけを始める。
──それは言葉を操るレトリック。有形無形一切にして永遠不変の真理。膝をつき両手を合わせる祈祷の儀式。道行き知らずの──。
……女がゆるりと唇を撫ぜると途端に虫達は黙り込み、互い違いに噛みついては相手の肉を咀嚼する。
そうして、世界のどこかで蜘蛛は告げる。
「あなたはきっと踊るでしょう、歌うでしょう。その心のままに戸惑いながら、蜘蛛と人とで揺れながら。あなたは真似事の道を行こうとしている──それは模倣。蜘蛛を真似、父を真似、踊り子の魂を真似て……いつかその心を自分のものにするために。それは人生を踊ることの一つ。自らを生きることの、その遊びの一つ。恋をして……そして踊って。競争を覚え、偶然を手に入れ、眩暈に出会い、そして模倣を。
遊びを知り、生きることに足り、そしてなお片足で踊るのなら──その時は私の元へいらっしゃい。西の果てで眠の夜を見る蜘蛛の元へ」