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プロメテウスの娘  作者: おめかけ
第三章 法と復讐の名のもとに
13/22

1 「ところがである」

 そうしろ、と仮面は言う。



 王の御前で舞うからにはそれなりの衣装も用意されていて、白鳥を模した白いモスリンのチュチュやポワントシューズを身につけながら、ロウはしかしこいつは馬鹿げてると愚痴を零した。仮面をつけた女に白鳥の衣装を着せるだなんて。嫌々着替えていると控室にパラウルスがやってきてロウの姿を笑った。なあにあなた、馬鹿みたいねぇ。

 その通りだと思ったから憤慨したりはせず、あんたには色々とお世話になったね、とロウは言う。すると突然パラウルスが素知らぬ顔で、ねぇ実は私、若いころ神みたいなものにあったことがあるの、と訳のわからない話を始めてロウは困惑する。

 でも私は神様には興味がないの。だってそんなもの、面白くもなんともないじゃない?

 同意を求めるパラウルスにロウはさあねと答える。

 でもね、人間が神になるのにはちょっと興味があるわ。へえ、とわざとらしい声を上げ、ロウはパラウルスを睨みつける。

 私はあなたの仮面がどんなものかは知らない。でもその仮面をつけることであなたが美しく踊れるのなら、あなたにはいつまでも仮面を被っていて欲しいと思う。ロウ、どんな生き方にせよあなたはここまで来たのだから、人間が神を演じてみせるところを私に見せて。踊るために仮面をつけなければいけないのなら、その上にもう一つ仮面を被ればいいじゃない。

 ロウは誤魔化すように肩を竦める。どうかな。人間が神を演じるのなら、神が人間を演じることだってあるかもしれない。そうしたらあんた、それが神さまだってわかるかい?

 それならそれで構わないわ。パラウルスはニヤリと笑う。人間が神になるか、神を人間に引きずり下ろすか、どちらでも同じことよ。

 そうして二人はしばらく黙りこみ、ロウは元気なく俯いてしまう。

 ……こういう会話をしているとさ。イーニードが怒るんだ。下らない言葉遊びなんぞに興味はないってさ。あいつは貴族のくせにレトリックって奴を毛嫌いしてる。そんなものに価値は無いってね。頭が堅いんだよ。そういう奴だからさ……。ロウはぱっと顔を上げる。でも、最近一つ考えたんだ。私の名前はロウ。だから、たとえどんなに中身のない修辞法(レトリック)であっても、そのレトリック(言葉遊び)を死に物狂いで遊んでやろうってさ……。

 低く乾いた声で、ロウは確認するかのように宣言する。

「物語は言葉遊びだろ」

 その言葉にパラウルスは微笑み、音もなくロウに近づきその顎をがちりと捕まえてキスをする。唇と唇が僅かばかりに触れ合い、吐息が混ざり合う。

 なぜ……? ロウは穢れのない純粋な疑問を幼く口にする。

 かつて私もそんな風に質問したのよ。人はなぜキスをするの、と。パラウルスは懐かしげに眼を細める。ねえ、女と女がキスをするとね、唇の間には陽炎が立つの。

 おやおや! あんたらしくもない、乙女みたいなことをいうじゃないか!

 馬鹿にするロウにパラウルスは落ち着いた調子で続ける。語ることが自分の矜持だとでも言わんばかりに。

「若い男は詩を書くでしょう? 華美な言葉で恋心を飾り立て、その末尾を押韻で彩って。時にはシェイクスパイラルの古典を模倣し、自分の精神を物語に託ける。それは押韻対連詩。繰り返しの言葉。似ているけれどもどこかが違う、そんな言葉を結びつけて、綺麗に(ステップ)を踏んで跳びあがる。対になった二つの単文の真ん中には見えない磁力があって、それは人間にしか量り取れない。そこに意味を見いだすのは人間にしかできない。それは言葉ではないけれど、確かにそこには(かたち)がある。押韻対連詩(ライムドカプレット)の水底では、誰もが口づけを交わしている……」

 流れるような台詞を矢継ぎ早に吐きだし、パラウルスは人差し指でロウの胸を突いた。

「……そんな陳腐な言葉に身を任せて、恐れるままに踊ってごらん、ロウ」

   


「彼女は全身これ舞踏です。全身をあげて全的な動きへとその身を捧げている……」  

 髭面の評論家がしたり顔で語る。イーニードは苛立ちを抑えながら桟敷席からロウを観察していた。人々が語る言葉はひどく抽象的で、不安定に揺らめいては響く。

 舞台のすぐ前には王族、王子を連れたアノン、そして幾人かの舞踏家や評論家が陣取り、審査のために目を光らせている。

 これは詩だ、と誰かが興奮を隠せぬ声で囁いた。その脇でまた別の人間はいいやこれは宗教だと主張する。イーニードは生憎宗教に救われたいとは思わない。

「もし宗教だとしたら、そんなものは踊りじゃない」

 そう呟きながら名状しがたい気持ちでロウを眺めている。

 彼女は魂を焔に浸して踊る。それは火と光との交錯、高貴なる破壊。人々の間に破城の槌を打ち付けては揺るがせ、その手足は果てなき交響を編んでいく。足の運びは何を語るのか。彼女は恋文を踊り記憶を踊る。また阿片を没薬を踊る。そして彼女の生そのものを宇宙のエーテルに沈め、焼き尽くそうとする。天球図を破り魔術を解き放ち、薔薇を抱いて幼子を縊り殺す。幻影を追って飛び出したかと思えば蛇のように巻き付いて霞み、非存在の消滅舞踏で汲みつくしえない軽やかさを披露する。夜のただ中で昼を願いながら、また逆に光ある間に夜を求めながら、雲の影間に跳躍しては銀の裏地を掻き乱す。

 四肢の描き出す線の精妙さ、跳躍の神々しさ。

(それが一体なんだと言うんだ)胸の内で罵り、憎々しげに睨みつける。

 ロウは人々の言葉遊びを踏み越えていく。物語のような言葉で評論される彼女は最早観客ではあり得ない。誰からも語られる存在として伝説のように身体を閃かせ、汗ばんだ首筋に金毛をひたと張り付ける。その眼に揺らぐ炎は謎かけのような神秘に満ち、踏みしめる脚の流線形が淫らに震える。

 楽団の演奏が止まるのと同時に彼女は静止し、熱い息を吐きだしながら顎から滴り落ちる汗を拭った。仮面の奥から静かな瞳で審査員を見つめ、反応を待っている。アノンは小首を傾げ、穏やかに言う。

「ありがとう、ロウ。素晴らしい踊りでした。結果の発表まで控室で待っていて」

 ロウは少し拍子抜けしたようだったが、それでもしっかりとした足取りで戻っていった。

 彼女が裾へと消えた瞬間、審査員たちの間で深い溜息が零れ、すぐに感嘆の言葉があがった。もちろんそこにはロウの経歴の不確かさや年齢についての危惧もあるにはあったが、大半は表現力と身体能力を褒めたたえるものだった。

 しかしアノンはふとねだるように言いだした。

「私黒鳥が勝つところが見たいわ」

 王子の肩に手を回し、ねぇいいでしょう?と甘える。何も知らない王子はそうだね、と呑気に答える。評論家の一人マルゼーは心の中でこの女まるで素人みたいなことを言いやがると毒づきながら、努めて笑顔を装い王子の愛人に進言した。

「恐れながらアノン嬢、黒白鳥は白鳥と王子の愛情の物語なのです。それはもう決まっていることなのです」

「なぜ、いつ、どこで、だれが?」

 アノンは面白がって韻を強調し、疑問の言葉を唱える。耳元をくすぐる声色は不思議な温度を保っている。

「千年です」とマルゼーは確信と共に答える。「なぜと聞かれれば千年のため、いつと聞かれれば千年前そして千年間、どこでと聞かれれば千年のこの国で、誰がと聞かれれば千年の伝統がそう決めたのです。時の流れの中で、人々がその記憶を受け継いできたからです。黒白鳥は白鳥が勝たねばならない。演じる者はその筋書きから逃れることはできない。しかしその制限こそが生命を生み出すのです」

「あら、私だって千年と同じようなものよ」

「確かに、我々はみな千年生き続けてきた人間の子孫です。千年のその最果てで生きるもの、特にあなた方、子を産む女性はそうでしょう。千年を背負うという意味では」

「ああ……」アノンは唇の端を愉快そうに曲げる。「そういう意味じゃないわ」

 そうしてしばらく二人は議論していたが、結局この競技会を開催した本人でもあり王子の後ろ盾を得ているアノンの主張が通ることとなった。「新しいものを創造する力が見たい」ということで特別な審査が設けられ、参加している踊り娘たちは突然黒白鳥を演じなければならない。そのことを控室の女性たちに伝えるべく伝令が使わされ、しかしアノンただ一人が「ロウの所には私が行くわ」と席を立った。


 

 

 ロウは不作法にも机の上に腰かけ、神経質に踵をコツコツと床に打ちつけている。部屋の中には誰もいないので、ようやく仮面を外すことができた。冷たい空気が顔の表面を撫でる感触が心地よいが、胸の辺りが息苦しくて堪らない。

 踊っていない間、彼女はいつも不安で仕方がない。自分に自信がないからだ。  

 落ち着こう、と彼女は考え、壁の染みを数え始めた。一つ、二つ……と数えていくうちに、自分の心がちょっとずつ埋まっていくのを感じる。彼女の記憶には少し朧なところがあって、気がつくと昔のことを上手く思い出せないことが度々ある。自分自身が風化してさらさらと砂のように崩れていく気がして、どこまでも茫漠とした恐怖から逃れるために彼女は数を数える。

(私は精いっぱいやったはずだ)

 ロウは右手に持った仮面を眺める。そうだ、この仮面が教えてくれた。この仮面の求めるままに踊った。だからきっと大丈夫だ……。

 そこまで考えて、ロウはふっと弛緩した笑みを浮かべる。

 扉が叩かれて、ロウは誰何する。またパラウルスが何かよくわからないことを言いに来たんだろうかと考え、慌てて仮面をつける。だが古びた扉を軋ませ入ってきたのはアノンだった。

「久しぶりね、ロウ」アノンは馴れ馴れしく挨拶する。

「久しぶり?」ロウは一瞬唖然とするが、やや考えてから尋ねた。「ああ……あなたの踊りを見に行ったことを知っているんですか?」

「ええ。あなたが舞台から見えたから。それに、実は私その後であなたが貴族と揉めているのを見ていたの」

「ああ……」

 ロウは恥ずかしそうに頭を掻いて、もごもごと意味のない言葉を漏らす。

「突然だけど、あなたに報せがあるの」

 アノンは審査をもう一度行うことを告げた。題目は黒鳥の勝利であると。

「黒鳥の勝利?」

 と訳も分からずに聞き直すと、彼女は頷いて説明を始めた。あなたはこれから黒鳥(オディール)の幻影解釈をしなければいけない。

 白鳥に恋をした王子を騙すべく、悪魔は白鳥そっくりのオディールを用意して誘惑させる。王子はオディールを白鳥(オデツト)と取り違え、踊る彼女に魅了される。なぜ無垢な乙女を淫らな悪魔と間違えるのか。それは王子自身が残酷さ悪辣さを望んでいたからではないのか。清冽な愛を求めながら一方では被虐に飢え、打ちのめされることを願っていたのではないか。

 悪魔に呪をかけられたオデットは、昼は白鳥で夜には人間の姿に戻る。夜の湖のほとりは宮廷とは異なる幻想の世界。宮廷の場面では人々はみな現実的な衣装をつけ、湖では誰もが現実にあり得ない白いチュチュを着ている。けれどもオディールだけは常にチュチュを身に纏い、流し目をくれて男を惑わせる。

 悪魔とは人間の悪しき要素が凝り固まった存在であり、魂を持たない。そして魂を持たない空虚な存在である悪魔の生み出したオディールもまた、本来存在しえない幻影なのではないか。またオディールは純粋な乙女オデットの邪悪な部分の写し身であり、善と悪のように表裏一体のものではないか。だとするならば、王子がオディールを捨てオデットを選ぶという結末は、果たして善の獲得なのかそれとも悪からの逃避なのか。

「あなたはどう思う? オディールは王子を愛していたのかしら?」

 そう問われて、ロウは「さあ」ととぼける。 「わからないから踊るんです。少なくとも私は」

「そう。なら、あなたなりの解釈を見せて」

 そう言って、アノンは何か考え事をするようにしばらく黙っていた。部屋の中をうろうろと歩きまわり、それから困ったように僅かにはにかんだ。

「ねぇ、あなたにVをあげる」

「V?」

 アノンは人差し指と中指を唇にあて、ロウの仮面にそっと触れた。細れる指でVの字になぞり、ほうと溜息をついて、それから小さな声でおまじないよと囁いた。



「おまじない」

 呟いてロウは仮面を触る。彼女は仄かに笑う。

 ロウは踊り出す。その踊りで観客は魅了され、周囲からは不思議な声が聞こえてくる。それは蝶だ。十行詩蝶(ティーンエイジャー)がどこからともなく群れ、劇場の中に集う。蝶は次々に詩を語り、その詩によってロウは飾られていく。踊り続ける内にいつしか踊りは宗教の様相を呈し、人々は涙を流しながら感激に喘ぐ。踏み鳴らすリズムはいつしか交響の音高を外れ、舞台に途方もない世界絵図を描く。我を忘れて踊り狂うロウは、は、と浅く息を吐いて仮面の内側で野獣のように笑って見せる。イーニードは彼女を悲しげに見ている。


 ……それはたとえば御伽のように、齢18の小娘が奇天烈な仮面を被り王宮の真ん中でしなやかに生きて見せるのだ。彼女が産声をあげた時、その身体には死体にたかる蛆のように無数の蝶が蠢いていて、それを人間だと思う者がその場にはいなかった。その姿雛罌粟のようで面は白く、(きぬ)一つまとわぬ赤子は惨めな泣き声をあげて母の乳房を求め、けれど母は近寄ることもなくじっと観察していた。成長した娘はやがて踊りを覚え、仮面をつけて王宮の一室で見事な舞いを披露する。その踊りは化生の舞踏、そのステップは魔性の鼓動。彼女が吐き出す吐息は神の聖別を受け、その瞳は悪魔の誘惑を帯びる。観客は彼女を眺めそして崇め、無意識のうちにひれ伏しながら哀願する。黒鳥舞踏のただ中にあって悪を演じる彼女は一人の男イーニードの視線がつらく悲しいというのでけらけらと笑い、崩れ落ちる心のままで身体を張り詰めさせる。

 やがて──突如兵士が現れて彼女を捕え、暴れる彼女を殴りつけ縛りつけて「お前が蜘蛛の娘だということはわかっている」と叫び、その仮面を無理やりに剥がすと彼女の素顔は観衆の目前に晒された。アノンはどこまでも静かに微笑み、パラウルスは顔を顰め、そして……。彼女の踊りに耽溺していた観客九十九人もはっと正気を取り戻し「やれ女は蜘蛛の娘か」と恐怖し嫌悪に悪態をつく。彼女の言葉に耳を傾ける者はなく、兵士はようやく見つけることができたどこださあお前の母はどこにいると彼女の胸倉を掴む。隣国からの通達によりこの国もまた蜘蛛を追っていて、王子の愛人であったアノンもまたそれを知っていて、「遅かったじゃない」とロウに聞こえぬようこっそり告げると兵士は「申し訳ありません」と頭を下げた。そうして兵士は尋問のためロウを連れて行こうとし、事態は収拾するかに見えた。ところがである。

 最後に残ったたった一人の男、女を愛人とする貴族の青年が見るも無残に顔を青褪めながら、王と王子の見つめる前で兵士の前に立ちはだかり彼女を庇おうとした。男は王宮に招かれた貴族の一人、代々舞仰官を務める名家の長男であった。男は手に持った杖を必死に構え、兵士に向かってこう怒鳴ったという。

「何がなんだかわからない。俺には何が何だかわからないのだ! ……ああ、だが、こうせずにはいられるものか! その女を離せ、彼女は私のものだ!」

 そうして──〝ところが〟という言葉がもう一度繰り返されることになる。何故ならロウはその物語をどこか知っていて、〝こんなことが前にもあった〟と風の中で思うように嗚咽を堪えながら、言うべきことを言おうとしているからだ。

 ところがである。その庇われるべき当の踊り子が一転「馬鹿だなぁ」と童女のように嘲り、縛められた惨めな姿のまま男に形ばかりの接吻を与えるのだ。

 そして彼女は男を突き放して嗤う。

 おやおや! 愚かなヤツもいたもんだ! あんたは私に言ったろう、演じている内に演じるそのものになってはいけないと。それならばどうして、仮面をつけた女の尻を追い回している内に、あんた自身が仮面をつけられていたとは思わないのさ。考えてもごらんイーニード。蜘蛛が人間を魅了するなら、お前もまた魅了されているに違いないんだよ。お前がほら、そうして愛とやらを体現しているのは、ただ一番私の傍にいたお前が一番私に支配されているというそれだけのことだろう。思いだしてごらんイーニード。私は娼婦だっただろう。お前に身体を売り、その対価として得た金品で踊りの衣装や食べ物を購っていたじゃないか。お前が私に純真や誠実というものを感じていたとしたら、それは幻想というものだよ。お前は馬鹿だ。大馬鹿者だ。哀れなイーニード。私に騙され、そして裏切られる。お前は私を失い、孤独と屈辱に塗れた現実の世界に戻る。──だがお前は生きていけ、苦しみながらそれでもなお生きていけ!

 残酷な言葉を告げて彼女はなおも笑い、怒る兵士に頬桁を張り飛ばされ気を失った。

 一連の事件を楽しそうに見物していたアノンは、ふと悲しそうな顔をして「なんてこと。可哀想なロウ」と呟き、それから一人でくすくすと笑っていた。

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