非日常との出会い
高校に入学して2度目のゴールデンウィーク、その最終日。俺はファミレスを出て自宅へ向けて歩いていた。数少ない友人2人と共同で、連休用に高校から出された宿題を片付けた帰りである。
進学校ということもあり、連休の日数を考えれば程よい量だとは思う。毎日しっかりこなせば、という言葉が頭に入るが。
特に何かしてたって訳でもないんだけど、どうもぎりぎりになるまで、取り掛かろうと思わないんだよな。
大型連休終了間際になって焦りだす学生は、全国数多くいることだろう。例に漏れず俺もそこに属する側の学生だった。
しかし、宿題も片付いたとなるといよいよ連休も終わり!って実感するなー。やだやだ。
この時の俺は、宿題という心の重しが消えた喜びと連休最終日という憂鬱を抱え込みながらも、このような日常がこれからも続いていくものだと疑いもしていなかった。
――初めは違和感だったと思う。
俺は商店街へと通じる、普段から人通りの少ない路地を歩いていた。
初めは気づかなかったが、気配というか……音がやけに無いな。普段なら人通りが少ないといってもゼロではないんだけど。
何より車や周りの家からの音が一切感じられない。
……自分の足音以外、なんの音もしないってのは気味が悪いってもんじゃないぞ。
時間帯は17時、しかもゴールデンウィーク最終日である。空は赤みを帯びてきてはいるが十分に明るく、また出歩く人が増える時間帯でもある。にもかかわらず――まるで深夜に出歩いているようだった。
あまりの気味の悪さに自然と早足になる。
さっさと抜けてしまおう。ここを抜ければ商店街だし、流石に商店街に入れば人も――
「……は?」
目に付いたそれは人で賑わうような商店街では……いやどんな場所であろうとあるはずのない代物だった。
丸みを帯びた球体で構成された人型、顔にあたる部分には造形はなくつるつるである、2mを超すであろう巨大なデッサン人形である。
なん……だ……あれ?
あまりに異常な光景に呆けていると、球体人形は俺の方へとゆっくり、ゆっくりと歩き出した。
混乱した頭は落ち着かないが、こいつは確実にやばいと俺の中の何かが告げていた。
さっさと逃げた方がいい、俺がそう判断すると同時だった。デッサン人形との距離が5m程となった時、突然やつは丸みを帯びた体を捻ると――
――まずい! 俺は思うのとほぼ同時にやつに対して左へ跳んだ。
一瞬遅れてやつの右腕が撃ち出され、一瞬前まで俺が呆けていた場所は車同士がぶつかった様な音とともに大きく抉れていた。
とっさに跳んだことと、直撃は免れたものの凶弾のごとき一撃の生み出した暴風にあおられ、俺は無様に地面に転がった。
本来なら、硬いアスファルトに体をぶつけて多少痛みを感るところだろうが、避けれなければ死んでいたであろう一撃を後にそんな余裕はなかった。
「な……なんなんだよ、こいつ……」
俺の言葉に返答はない。もちろんそんなものは最初から期待してないし、単に口から出ただけであった。
やばい、早くこいつから逃げなければ。そう思うが恐怖と混乱からか中々体がいうことをきいてくれない。
商店街には俺以外人が全くいなかった。しかしそのことに気づく余裕すらなく、俺の目は巨大なデッサン人形から離せなかった。
這いずり逃げることすら出来ずに人形を見つめるだけの俺を、やつは見据えると再度その体を捻り右腕を撃ち出す形を取った。やつに表情は一切ない、しかし俺にはニヤリと嫌な笑みを浮かべたように思えた。
今度は避けられない――それだけははっきりとわかった。しかし死を意識することも、目を閉じる時間すら与えられずただ呆然と、俺の命を確実に奪うであろう、撃ち出された凶弾を見つめていた。
しかしそんな予想とは違い……俺は死ななかった。凶弾が外れたわけでも、当たり所が良かったわけでもなく――
――俺と人形との間に割り込んだものが凶弾を受け止めたからである。
地面に転がる俺からは見上げる形で、しかも後ろ姿なので正確なことはわからないが、デッサン人形の様に巨大なわけでもない、普通の人間の様に見えた。
5月というのに丈の長い黒いモッズコートを着込み、そのフードを目深に被っているせいで男か女かわからない。コートの先からは細身のロングブーツをのぞかせていた。
黒いコートは信じられないことに右腕だけで、人形の右腕を軽々と受け止めていた――硬いアスファルトの地面を抉った一撃を――だ。
呆気に囚われた俺とは違い、攻撃を受け止められた人形の行動は迅速だった――
追撃である。右腕を引くと同時に左腕を黒いコートへ向け、先となんら遜色無い威力をまとった一撃を放ってきた。
しかしまたしても右腕だけで軽々と受け止めると、受け止めたままの状態でその腕を軽く左へと振った。少なくとも俺にはそう見えた。
凄まじい速度と轟音とともに、人形は脇の商店へと突っ込んだ。
こいつ……2m以上はありそうなあの化け物をぶん投げたっていうのか!?
先ほどまで人形が立っていた地点から10m以上は離れている……人間の出来る芸当ではなかった。
なんなんだよっ! こいつも人形同様化け物だっているのかよ。
唖然としながら再度黒いコートに視線を向けると、その姿が一瞬にして掻き消えた。
ほんの一瞬の出来事だった。その一瞬で掻き消えたと思った姿は凄まじい速度で球体人形へと迫り、その速度を乗せたまま右足を人形の、人で言うところの鳩尾へと、右上段から斜めに打ち下ろした。
人形が地面を抉った時以上、商店へと突っ込んだ時以上の轟音とともに、まるで黒い死神の持つ鎌の様に、人形を胴を中心に切り裂き、切断した。
そのあまりの速度からか、先ほどまで目深に被っていたフードは取り払われていた。
そのフードが取り払われた姿を見て、俺はすごく綺麗だと思った。未だに混乱は収まる気配を見せず、体も依然として上手く動かせない。それでも、そんなことさえ忘れてしまうような美しさがそこにはあった。
長い髪だ、おそらく腰ぐらいまでの長さはあるだろう。目を奪うのはその色だった。淡く、淡く紅みを帯びた白、ただそれだけである。しかし今まで見たどんな色よりも美しく、どんな景色よりも感動を覚えた。その色はまるで――
完全に破壊されたであろう、動く気配を一切見せないデッサン人形の残骸に背を向けると、ロングブーツを鳴らしながら先ほどの速度とは打って変わって、ゆっくりと俺の方へと歩いてくる。向かってくる間、俺はその色の美しさに目を奪われていた。
俺の目の前までくると、しゃがんで目線を合わせてきた。
髪の美しさに目を奪われていたのもあるが、視界を遮るだろう長さまで伸ばされた前髪のせいで表情をうかがうことは出来なかったが、目線を合わせると黒いコートの人物は女性だった。それも、とんでもなく綺麗な。おそらく同年代ぐらいだとは思うが、ここまで綺麗な女性にはお目にかかったことがなかった。長く伸ばされた前髪の隙間から垣間見える少し切れ目な瞳とそのつくりから、可愛いと揶揄するよりは綺麗という言葉が合った。
彼女の瞳の色は髪の淡い紅とは違い、より深い色合い。そんな彼女の瞳に浮かぶのは強い意志と暖かな優しさ、そして――戸惑い?
と、とりあえず、何がなんだかわからなさ過ぎる! 結果的にはこの子に助けられた様だけど、味方と判断していいものかどうかもわかんないし……。
俺は視線を合わせたままで固まっている彼女に、意を決して話しかけようとした。
「あのっ……!!!?」
俺はそれ以上口に出せなかった。口が塞がれたためである……彼女の唇で。
くぁwせdrftgyふじこlp!? 意味がわからない! 何これ! キス! キスされちゃってる俺!? マウストゥマウス!? なんか鉄っぽい味が……もしかして血!? 血の味がす痛てえ! こいつ歯が俺の唇に刺さった!? 痛てえ! チュー痛てえ! なんで俺突然キスされちゃってるのおおおおおおおおおおお!?
突然過ぎる事態に、俺の混乱は加速度的に増した。客観的に見ても意味がわからない、そのような余裕は持ち合わせていなかったが。
ファミレスからの帰り道、何故か人の全くいない商店街で巨大なデッサン人形に襲われ、黒いコートの美少女に救われ……キスをされた。
あまりについていけない展開に、俺の脳は意識を手放すことを決定したようだ。
薄れゆく意識の中で見た彼女の表情は、その瞳の色に負けないくらい頬を染め、何かを期待するような目をしていた。先ほどは可愛いより綺麗だと言ったが、こういった表情をしている彼女はとんでもなく可愛かった。
そして夕日に照らされる彼女の髪はやはり美しく、その色はまるで――
「――桜」
のようであった。春に咲き誇る、とても美しく力強い俺の好きな樹。彼女はそんな樹に似ている――そう思ったところで俺の意識は途切れた。
こうして、俺……初凪イズミの、この先も続いたであろう日常と、口の童貞は奪われたのだった。
初執筆作品となります。
至らないところも多々見受けられると思いますが、感想等を頂けると今後の参考にもなりますのでよろしくお願いします。