変わる第一印象
「どうしましょうっ勇者様!! どうしましょうっ!!」
「はっはやく!!はやく王女様を屋敷に戻さないとっ!!」
慌てふためくレシアムと、ティア。模擬戦で優秀な戦績を修めたと聞いていたが、意外と小心者のようだ。まあ、一国の王女がこのようなところに護衛も付けずにいることなどそうそうないし、レイミールの世界とは価値観も違うのだろうから深くは追求しないとしてだ、……一体どうしたものか。すでに城に戻る馬車は行ってしまった。歩いてどのくらいかかるか知らないが、この迷惑王女ことマリアを城まで連れに戻るのも面倒だ。恐らくマリアもこちらの言うことなど聞くまい。レイミール自身も王女と持てはやされていたが、ここまで我が儘だったろうか?
「安心してください!! ちゃんと置き手紙で旅に出るって書いてきましたから!!」
それを聞かされても何も安心はできない。むしろ不安にさせるのだが、こうなっては仕方がない。マリアの思い通りになってしまう形ではあるが、ここに放っておくより遥かにマシだろう。
「……連れていくしかないか」
「本気ですか!? 勇者様っ!!」
ティアが驚愕で声をあげる。レイミールは彼女を安心させてやるため静かにそれに頷いてやった。
「……本気だぞ」
「ちょっ!? 待ってくださいっ……今からでも遅くありません!!一度城に戻って……」
ティアに変わり、レシアムが顔に焦りの表情を浮かべながらレイミールに考えを改めるよう説得を試みている。しかしそれは徒労に終わった。レイミールが面倒臭いと切って捨てたからである。しかし、なおもレシアムは食い下がる。
「いやいや、めんどくさいって……この事がバレでもしたら勇者様自身も危ないのですよ? 勇者様が王女様と一緒にいれば勝手に連れだしたと勘違いされるかも……それに王女様に何かあったら死刑も免れません!!」
「……ばれなければ良いのだろう?それに、これは王女であるマリアが勝手に行なったことだ。我々が罰せられる理由がない」
「違うんですよ!! 理由なんてどうとでもされてしまうんですから……やっぱり戻りましょう!! ね?」
「…………嫌だ」
「イヤダじゃねえんだよぉぉ!!」
レシアムとレイミールの意見は平行線のまま。しかも徐々に険悪な雰囲気になってしまっている。しばらく様子を見ていたティアだったが、耐えきれずに二人の間に割って入った。これから旅だというのに、険悪ムード満載だったら堪った物ではない。
「二人ともやめてください!!」
ティアの叫び声が思いのほか大きかったこともあってか、我に返った二人はバツが悪そうに視線をそらした。事の原因となっているマリアはにこにこしながら、辺りの様子をきょろきょろと見回している。一体誰のせいでこんなことになったのか分かっているのだろうか? そんなマリアの態度が気に入らなかったのか、ティアの怒りの矛先はマリアへと向かう。
「王女様!! あなたも悪いのですよっ!! 分かってらっしゃいますか!?」
「ひっ、ひゃいっ!!」
それまではしゃいでいたマリアが小さく体を震わしてティアの方に振り向くと、何やら黒い笑みを浮かべたティアの姿がマリアの目に映った。マリアの本能が逃げろと警告を発している。
「勇者様っ!! 助けてっ!!」
マリアは助けを求めるように、美しい黒いドレスを着る勇者へと視線を向ける。しかし、視線を向けた先には、彼女の後姿。明後日の方向を向いていてこちらには目も向けてくれない。そうこうしている間に、ティアがマリアに迫ってきていた。
「ふふっ……覚悟はいいですか王女様!?」
「いっ、嫌ぁあああああああああ!!」
レイミールの背後からマリアの悲鳴が飛んでくる。助けを求めるようなその叫び声を完全に無視した彼女はようやく日が昇った青空を見上げた。今日もいい天気になりそうだ……
***
ティアのマリアへの説教は、太陽が空高く昇っても続き、西の空に傾きかけてようやく佳境へと差し掛かった。最早返事をする元気すらなくなったマリアにいまだ衰えることなく動いているティアの口。レイミールとレシアムは、昼には近くの料理店で軽く食事を済ませ、今はその様子を傍観しながら夕食について話し合っていた。国を出るとしばらくは森。食事をゆっくりと取ることもできなければ、おちおち眠ってもいられない。
「……もう今日は近くの宿にでも泊まりませんか?」
「どこか良い所でも知っているのか?」
「そうですね、ここから少し歩いたところに手頃な値段で食事もおいしい宿がありましてね……」
レイミールにもレシアムにもティアの説教を終わらせる気はさらさら無い。口を挟んだら最後自分も説教に巻き込まれてしまう。マリアには悪いが、―――いや、自業自得か―――ここはティアの説教を存分に受けてもらおう。
「そう言えば、色々と気になってるんですけど……魔物退治の旅するのに何でそんな恰好なんですか?」
レシアムは彼女の服を見ながら不思議そうに首を捻った。黒いタイトドレスは薄手で動きにくそうだし、勇者と言うよりはむしろどこかの王族、貴族、が着る服に見える。この先魔物と戦う際にはあまりにも危険すぎる服装だ。それに旅をしている際にこの服装では目立ってしまうだろう。それでは色々と行動し難くなってしまう。
「この国の服が私の好みに合わなかっただけだ。……大概、私も我が儘と言うわけだな」
薄く笑いながらそう言うレイミール、自らを我が儘と評する彼女にレシアムは苦笑いを返した。初め……容姿は末恐ろしいほどに端麗ながら無表情で冷たい態度の彼女を見て、この先上手くやって行けるのか不安だったが、こうして話していると意外と楽しい。根はいい人なのかもしれない……
レシアムは目の前の漆黒に身を包んだ異質の勇者の印象を改めるとともに、この先、彼女とともにする旅がほんの少しだけ楽しみになった。
「うぇ~ん……ごめんなさ~い」
「まだまだ、この程度で許されると思っているのですか!!」
……やっぱり、先が思いやられるかも……
第一印象からだいぶかけ離れたティアをレシアムは青い顔で見つめた。一体いつになったら終わるのか……まだまだ盛り上がっている?説教は太陽が西の地平線に殆んど沈みかけて紫と橙の混ざりあう奇妙な色の空が広がっても続いている。下手をしたら明日の朝まで続くのではないのだろうか?
「……先に宿の予約でもしておきましょうか?」
レシアムは柔らかな自分の髪を乱雑に掻き毟りながら、……どうしますか勇者様? と続けようとしてあることに気が付いた。……彼女の名前は?ずっと勇者と呼んでいて気付かなかったがレシアムは彼女の名前を聞いていない。
「あの……勇者様?」
勇者の名前を聞こうとしたルシアムの言葉を彼女は手で遮った。すでに太陽は沈み、辺りは闇に包まれている。彼女の顔を、窺い見ると漆黒の瞳には警戒の色が見て取れる。
彼女の視線の先を見やると小さな二つの明かりが見えた。月の光を反射して輝く動物の目……小さな息遣いが聞こえてくる。野良犬か何かだろうか?
「どうされました? 唯の野良犬か何かだと思いますけど?」
そもそもこの神聖アルテミス帝国を夜中に徘徊する生き物なんて、博徒か野良犬くらいだろう。人間を見つけて餌でもねだりに来たのだろうと考えたレシアムは不用意にその光る双眼へと手を伸ばしてしまう。
「グギャアアアオオオオッ!!」
刹那、目の前の野良犬だと思っていた生き物が犬ではありえない鳴き声をあげて彼に飛びかかってくる。直後、まったく反応できなかったレシアムの体は強烈な衝撃を受けた。
レシアーーーーームッ!!