《魔王城にて》
禍々しい闇色の空が広がる……決して今が夜であるからという理由ではない。ここは常に闇の領域。欲望と力がモノを言う世界……荒れ狂う魔物達を統括する魔王の治める地、その名も魔王領。 と、人間達の間では伝えられている。
さて、そんな闇色に染まった世界に影のように真っ黒で巨大な城が魔王領の街を見下ろすようにそびえ立っていた。その城の巨大な門の前にいくつかの人影がある。
「なぜ、私の護衛が城に入れぬのだ!?」
金の髪を持った魔王族第三王女、ソフィアが門の前に立っている検問官に喰ってかかる。そんな彼女に、蟇蛙の様な顔をした検問官はひどく面倒くさそうに顔を歪めると、億劫そうに口を開いた。
「そう言われましても……たとえ、魔王族であるソフィア殿の護衛でも危険と判断されれば城への侵入を一切禁じておりますからなぁ」
検問官はちらりとソフィアの背後に立つ岩でできた巨人に目を向ける。微動だにせずこちら側にずっと体を向け続けている様子は正直気味が悪い。
「納得できん!! 私は魔王族の姫であるぞ。その姫の護衛が危険であるものか!!」
「ソフィア殿、お忘れか? 魔王様の子は現在王位継承争いの最中。本来ならば魔王様に謁見するなどということ自体、控えていただきたいのだが?」
検問官はうっすらと目を細めて、未だに何か文句を言おうとしているソフィアを睨みつけた。そんな事は言われなくてもソフィアは十分理解している。魔王族の王位継承争いは未だに終わりを見せる気配も無い。兄弟同士の殺し合い……一体今は何人生き残っているのだろう。顔も知らない、名前しか聞いたことがない者達も大勢いるが……あの姉は……
「…………分かった、私の護衛はここに置いて行く。良いな?大人しくしていろ」
仕方がないと、溜息を吐いたソフィアは自分のそばに仕える魔物に大人しくしているよう命じた。巨人は返事をする代わりに、ゆっくりとその場で頭を下げる。
その様子を見届けた検問官はやれやれと言わんばかりに肩をすくめると、やる気の欠片も見られない様子で口を開いた。
「では……ソフィア殿、エミリア殿、バルジャック殿、以上計三名の入城を許可する!!」
門番の声に答えるかのように、巨大な門が重々しい音を立てて開いて行く。今まで端っこでソフィアと検問官の口論を見ていたバルジャックは、門が開いていくのを呆然と眺めながら、恐る恐るソフィアに声をかけた。
「あ、あのう……ワ、ワタクシめも魔王城へ行くのですか?」
「当たり前だろ!! 言いだしっぺはお前なんだから」
バルジャックはここで初めて自分があんなことを軽々しく口にしてしまったことを後悔した。
***
魔王状の暗い廊下、煤けたフードをかぶった小さな案内人に連れられて、ソフィア達は魔王の間へと向かっていた。案内人は無言で道を示し、ソフィアもエミリアもまるで口を開こうとしない。そんな沈黙にバルジャックは耐えきれず前を歩くソフィアに声をかける。
「そ、それにしましても、魔王城というのは入城するのも厳しいのですなぁ……」
バルジャック程度の魔物では魔王城に入るのは愚か、近づくことさえほとんどしなかったのだ。勝手が分かるはずもない。魔王族と言えば自由に出入りできるのかと思えばそうでもない様であるし……
「お前、私達魔王族が王位継承争いをしているのは知っているな?」
ソフィアの言葉にバルジャックはゆっくりと頷く。…………魔物ならばほとんどのものが知っているであろう事実を今更この小さな姫は何を言い出すのか。バルジャックは少しばかり見開いた目で先を歩く姫を見つける。
「それはあくまで次期魔王を決めるためのものだが……まぁ、血の気の多い方はすぐにでも王座を狙おうとするだろうな……」
王座を狙う…………すなわちそれは……
今まで何となく魔王族を知ったつもりであったが、バルジャックは自分の考えがあまりにも浅はかだったと知る。魔王族の王位継承争いは、弱肉強食などという簡単な言葉で済ませられる物ではない。まさに血みどろの王座を狙った争いだと言うことだ……この争いを勝ち抜けるのに必要なのは優れた策でも、強い忍耐力でも、機転の利いた判断力でも無い。唯、純粋なまでに王座を欲すると言う欲だけだ……
もし、仮に自らの欲のみを考える者が魔王となってしまったら?今までの魔王がどうだったか詳しく知らないが、少なくても今の自分の暮らしを見ている限り、現魔王は優秀な王だと言える。欲だけで王座を勝ち得た訳では無いのだろう。
そんな良政を行っている現魔王が、仮に今王位継承争いを行っている子供達の中から欲だけで動くものにとって代わられたとしたら……それは魔物全体の破滅を意味する。
「まぁ、王座をすぐに狙おうとする方など、そういないだろうし……第一あの魔王陛下が軽々しく殺されるとは思わな……」
固まってしまったバルジャックを見てソフィアは苦笑いしながら安心しろと口を開いた。しかし、完全に言葉を言い終える前に、案内人に無言で肩をたたかれたソフィアは自分達が魔王の間に到着していることに気が付いた。と、同時に横を歩いていたエミリアに咎められる。
「ソフィア様、あまり事情を知らない者に半端な情報をお与えになるのは止めた方がよろしいかと……第一、魔王様の一族にはそれほどに欲まみれの方などおられないのでは? バルジャック様が怯えていらっしゃいます」
「ふむ、それもそうだな。だがこのトカゲ頭の反応……見れば見るほど面白い」
クスリと笑いながらソフィアは魔王の間の扉の前に向き直る。ずっと無言を貫いていた道案内が突然大きな声で魔王の間へと声をかけた。
「魔王様!! ソフィア様一行が御到着されました」
少しだけ間があって、中から「入れ」と短い返事が返ってくる。同時にソフィアと魔王の間を遮っていた戸がゆっくりとスライドして開いて行き、彼女は目的の人物と会うことになった。
***
開け放たれた魔王の間は広々とした畳敷きの床が広がっている。そこにポツンと一人の男が立っていた。彼こそ、この魔王領を治める現魔王。濃紫の長髪を垂らした彼は、すらりと伸びた長身だが、細身というよりもなよなよとしていると言った方が良い華奢な体つきをしている。
ゆったりとした漆黒の着物を身に纏いながらその上に妙に光沢感のある黒のマントを羽織っている姿はかなり奇妙な出で立ちで、魔獣の顔をかたどった巨大な面を頭からかぶっている様はその奇妙さをより強くしていた。
面で目元は陰になり表情は容易に知れないが、三日月の様な形をした口だけははっきりと見える。恐らく機嫌は悪くないのだろう……彼は三日月を崩さず落ち着き払った声でソフィア達に声をかけた。
「あ、靴脱いでね?」
「靴?」
未だ魔王の間に入っていなかったソフィアは不思議そうに自分の足元を見る。と、道案内が預かります、とでも言うかのように両の手を差し出してきた。その場にいた全員の靴を預かると、道案内はそれらを廊下に並べて恭しく頭を下げる。どうやらもう入って良いらしい。今度こそソフィアは魔王の間に足を踏み入れた。
「いやいや、久しぶりだねぇ……何しに来たの?」
「急な謁見、本当に申し訳ありません……しかし魔王陛下、本日はお願いがあってやってきたのです」
首を捻る魔王の前へ進み出たソフィアはそのまま片膝をついて頭を下げた。まだまだ子供と言って差し支えない彼女が優秀な魔王の側近達と比べて何ら見劣りしない振る舞いにバルジャックは目を見張った。やはり魔王族というのはそこら百凡の魔物とは訳が違うのだ……現にこの幼い子供は自分より立派だと純粋に思った。と同時に、この後の魔王の行動にひどく落胆した。
「ん~……魔王陛下?」
口をへの字に曲げた魔王は膝をつくソフィアにくるりと背を向けた。話しを聞く気は無いと態度で表しているように見える。魔王の態度に皆が呆気にとられているうちに、エミリアには何か策があるのか魔王に気付かれないようにソフィアに近づくとこっそり耳打ちする。
「なっ!? なぜ私がそんな事をっ!!」
「静かにっ…… 良いですか? 私の言った通りにすれば魔王様は必ず御機嫌を直されるはずです」
エミリアはそれだけ言うと後は顔だけで、速くするように、と促す。しばらく渋っていたソフィアだったが、ここまで来て唯で終わるつもりなど毛頭無い。仕方が無いと覚悟を決める。これも姉のためだ……もし見つけたら姉には責任を取ってもらおう……
「お父さま~、そんなこと言わないでください。お父さまは娘である私がかわいそうだとは思わないのですか?」
目元に手を当てわざとらしく泣き真似をするソフィア。大根も良いところだが、背中を向けて拗ねている魔王には大きな効果があったのだろう。上機嫌で振り向いた魔王の口はへの字から深い三日月へと戻っていた。
「まぁまぁ、他でも無い可愛い可愛い娘の頼みだ。話しを聞こうじゃないか……あ、そうそう、お腹すいた?何か出前でも取ろうか……お寿司が良い?鰻重が良い?」
「お父さま……今日はお願いがあって……」
「ん~ってかそこにいるトカゲ頭君、一体誰だい?」
ソフィアの言葉が耳に入っているのか、いないのか……良く分からないが魔王の興味はそれまで呆然と立ち尽くしていたバルジャックへと向けられた。自分の事などまるで眼中に入っていないと思った魔王が声を掛けてくる……そんな事実に魔王城に入ってから驚いてばかりいるバルジャックはさらに驚いてしまった。
「わ、わわわワタクシの名はバルジャックというものでございます」
床にこすり付ける勢いで頭を下げたバルジャックを見て魔王はふーんと相槌を打つと未だに頭を下げたままのバルジャックに、それまでの軽い雰囲気とは違う、威厳をたっぷりと含んだ声色で話しかけた。
「鰻重で良いかね?」
一瞬聞き間違いかと思ったバルジャックが頭を上げると、口をニカリと開けた魔王がこちらを見下ろしていた。
「鰻の気分だから鰻重で良いよね? え~と、ソフィアにトカゲ頭君に、たしか……レイミールの護衛だったっけ? 合わせて三人……いや、四人前」
パチンと手を鳴らした魔王の元へ側近と思われる一人の魔物が部屋の襖を開けてやってくる。執事服に身を包んだすらりとした男。音も無く魔王の元へとやってくると、酷く落ち着き払った声で口を開いた。
「魔王様……本日鰻屋は定休日でございます……出前はとれません」
「んじゃ、んじゃ、寿司の出前よろしく~!!」
「畏まりましてございます。魔王様……」
魔王に深々と頭を下げた彼は、ソフィア達にも軽くお辞儀をするとそのまま部屋を後にした。何やら色々と話が進んでいるように見えるが実は全く進んでない。本題のさわりにすら入れていないのである。そろそろソフィアも我慢の限界だ。
「……お父様、いい加減にしてください。本日は大切なお願いがあってやってきたのです」
***
パクリ……
一つの握り寿司を口の中に放り込んだ魔王はもごもごと口を動かすと何度目かでゴクリとそれを飲み込んだ。
「ふ~ん、レイミールが居なくなったねえ~……家出じゃないの?」
畳に敷かれた座布団の上に胡坐をかいた魔王は頬杖をつきながら余った手で、も一つ握り寿司を口の中に放り込むと、手に付いた米粒を口に運びながらレイミールの護衛であるエミリアへと顔を向けた。丁度玉子焼きを口に入れようとしていたエミリアは、魔王の言葉に少しばかり表情を曇らせて呟く。
「……そうだと良いのですが……」
「……考えすぎじゃないか?」
また口に新しい寿司を放り込んだ魔王の興味は今のところまだ姉の失踪にあるようだ……魔王の興味が他の事に移らないうちに、ソフィアは畳み掛ける。
「あちこち探し回ったのですが……お姉さまを見つけられないのです!! お父さまならお姉さまを見つける良い方法御存じなのではないですか?」
パクパクと寿司を口に放って行く魔王はその手をピタリと止める。皆が魔王の様子に目を向ける中、しばらく口の中の寿司を咀嚼した魔王は音を立ててそれを飲み込むと、一息ついてからおもむろに答えた。
「……脳味噌博士に聞いてみそ………………なんちって」
脳味噌博士……