気紛れな王女
シルバーウルフというらしい獣は、咆哮を上げることもせず、こちら側に気が付くと風のように走りだした。もちろんこちら側に向かって……である。
「ひっ!? ゆっ勇者様!? どうしましょうっ、こっちに来ますっ!!」
「……そうだな、思ったより遅いが」
「そんなこと言ってる場合ですかっ!? 速く逃げましょう!!」
シルバーウルフはすでに目前に迫っている。どうしたものかと辺りを見回すレイミールに、もはや逃げるのは不可能だと悟ったのかマリアが勢いよく抱きついてきた。
刹那、奇妙な光がレイミールの手元から放たれる。何の予兆も示さずあっという間に放たれた光は呆気なく、目の前で巨大な口を開いたシルバーウルフの眉間を貫いた。そのままシルバーウルフの体は力を失って人形のように倒れ込む。
詰まる所……助かったわけだ……しかしマリアに抱きつかれている彼女の表情は優れない。マリアに抱きつかれた直後、自分の体から体力がごっそりと抜け落ちる感覚に襲われ、指にはめられた指輪から奇妙な光が放たれた。何かがおかしい……自分に抱きつくマリアを見やるものの、泣きじゃくっているマリアはとてもじゃないが会話など出来る様子でも無い。
「大丈夫ですか!? 勇者様」
少し離れた所にいたティア達がこちらへとやってくる。事が全て済んでしまってからこちらにやってくるとは何とも役立たずな者達だが……所詮は人間と言う所か。
「……大丈夫だ」
倦怠感が体を包む中、レイミールはそう返事をすると金の指輪を睨みつけた。
「それにしても……どうしてシルバーウルフがこの森に?」
眉間が貫かれ、未だに体を痙攣させているシルバーウルフの死体を眺めながら、レシアムは首を捻った。本来この森にはこんな魔物はいない。人の多い市街地からそうはなれていないこの森にやってきても討伐されるのがおちだからだ。魔物も馬鹿じゃない。わざわざ危険なところには寄ってこない…………筈なのだが
「魔物の活動が活発になってるってことですかねぇ?」
レシアムの呟きは、マリアのすすり泣く声でレイミールに届くことは無かった。未だにマリアはレイミールへとへばりついたまま、ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしている。珍しく小さな溜息を吐いたレイミールは痛む頭を押さえながらティア達に口を開いた。
「これを……」
彼女の指は動かなくなったシルバーウルフを指していた。
***
「ひいっ……どうしてっ……ふうっ……自分達が……はぁっ……こんなことしなくちゃいけないんですかっ!!」
手に持ったスコップを放り投げて、レシアムは自分の背後に立つ勇者―――レイミールを振りかえった。そんな彼に、彼女は手をひらひらとさせる。
「無駄口を叩いてる暇があるならさっさと掘れ」
「あなたに言われたくないんですけど!!」
レシアムとティアは現在、穴を掘らされている。死体など放っておけば良い物を、わざわざこの勇者―――ちっともそれらしくない彼女―――はシルバーウルフを埋めると言いだした。さっぱり何がしたいのか分からない。しかも言いだしておいて自分は掘らないで見ているだけ……
文句をこぼすレシアムに一緒になって穴を掘っていたティアが不機嫌そうに怒鳴る。
「ちょっと、あなたっ!! 勇者様に文句言ってないで、手動かしなさいよ!!」
「う、うるさいですねえ!! 分かってますよ!!掘りゃ良いんでしょ、掘りゃあ」
ますます仲が悪くなっていく旅仲間にレイミールは盛大に溜息をつきたい衝動に駆られる。自分の脇をちらりと見れば未だにめそめそしているマリア。穴を掘る二人に視線を戻せば怒鳴り合う姿。……どうみても勇者一行には見えない。
「…………悲惨だな」
どこか他人事のように呟いた彼女の元にスコップが飛んでくる。ギリギリでそれを交わしたレイミールが顔を上げると怒鳴りあいから取っ組み合いに発展している二人。呆れて溜息も出ない。
「はあっ……これで、良いですか?」
シルバーウルフを埋めて茶色く盛り上がった地面を、スコップで軽く叩きながらレシアムはレイミールへと尋ねた。彼女は小さく頷くといつの間に持っていたのか、綺麗に丸まった手のひらほどの大きさの石を一つ、盛り上がった土の上に乗せる。
「コレなんですか?」
額の汗をぬぐいながら聞いてくるティアに薄い笑みを浮かべてレイミールは答える。
「簡単な墓だ……」
「いや、分かりますけど……何でわざわざ墓なんて作ったんですか? 確かにこの森には人が多く出入りするんで地面に埋めて人目につかないようにするのは分かりますけど……そこまでする必要ってあるんですか?」
「フン……まぁ、お前の言うことももっともなのだがな、気紛れと言う奴だ」
「き……気紛れ、ですか」
レシアムとティアは自分達の体からがっくりと力が抜けたのが分かった。気紛れ……それだけでこんなに体力を使うことになるとは……まだ旅のたの字も始まっていないと言うのに……
「用も済んだことだ……先を急ぐとしよう」
「ええっ!?」
彼女の言葉にレシアムは驚愕のあまり大声を上げてしまう。ティアも声こそ挙げなかったものの、眼を見開いて驚いている。
「何をそんなに驚いている?」
「いやいや……だってもう日が暮れますよ? 今日はもう休みましょうよ」
森の木の間から差し込む太陽の光が濃い橙色に染まり、辺りには虫達の物悲しい声も響いている。しかし、レイミールはそんな事にはまるで興味がないかのように広げた地図を見て考えるように顎に手を添えた。
「予定よりだいぶ遅くなってしまったからな、急ぐ必要がある」
「あんたのせいだよっ!!」
レシアムの声で木々にとまっていた鳥達が空へと飛んでいった。
慈悲深い? ノンノン……ホントにただの気紛れです。