冷徹な王女
思い付きで生まれた話なので、そう言うものだと思って読んでください。
あらゆる種族から関係なく、恐れられ、憎しまれる種族。……それが魔物。恐ろしい容姿や、残忍な性格で他種族を圧倒し、幅を利かせている。しかし、そんな手に負えないと思われる種族も、唯一、畏れるものがある。…………それが、魔王だ。規格外の力と魔力を有し、全世界を破滅へと導くらしい。
さて……驚くことに、とある世界の極東に位置する場所に、このげに恐ろしき魔王が治める魔王領と呼ばれる地域があったそうなのだ。
***
「いっ、嫌ぁ!! お願いっ……助けて!!」
「たっ……助けてくれぇっ!! ぎっ、ぎゃあああっ!!」
捉えられた人間達の悲鳴が辺りに響いた。わずかに残った力で必死に逃れようともがいているのだが、彼らの手頸、足首に付けられた拘束具によってそれは叶わない。その様子を見ながら、数匹のトカゲの様な頭を持った魔物が下卑た笑いをこぼし、手に持った鞭や棒で人間達を痛めつける。長い間痛めつけられて意識が飛んでしまい、もはや悲鳴すら上げられなくなった人間も多々見られる。そう言う人間には、魔物達が荒々しい殴打を繰り返し意識を覚醒させ、拷問を再開する。
近くでこれらの様子を見ていた、トカゲ頭達の長とみられる魔物がいる。彼の頭も他の魔物と同じく気味の悪いトカゲのそれであるが、何か御機嫌をとるかのように、しきりとそれを下げたり愛想笑いをしたりしている。その原因は隣で静かに紅茶を飲む一人の女性にあった。
彼女の容姿を一言で表すとすれば、黒。一点の穢れもない漆黒の髪に吸い込まれるような黒曜の瞳、飾り下のない黒のタイトドレスを着こなし黒のロンググローブ、黒いブーツで身を包んだ黒ずくめの格好である。唯一黒くないものと言えば、彼女の頭に付けられた鉛色に鈍く光り輝くティアラ。それが彼女の髪の漆黒をより一層引き立てている。
「いかがでしょうか……王女様、人間達の悲鳴は魔族の我々にとっては甘美の歌。そのお紅茶の味も引き立てるのでは?」
揉み手をしながらニヤニヤと笑うトカゲ頭に、王女は口元のティーカップを静かに皿に戻すと、ひどく冷めた何の感情も宿さない―――それでいて聞いたものをひきつけるような―――声で、短くトカゲ頭に口を開いた。
「……見せたかったものとは、これだけか?」
「は?」
トカゲ頭が眼を丸くして呆けた声をあげる。何のことかと聞き返す間もなく彼女は、席を静かに立つと長い漆黒の髪をなびかせてその場を後にしようとする。トカゲ頭はすらりとした彼女の体とその立ち振る舞い、艶やかなその黒髪に少しの間、気をとられてしまっていたが、すぐに顔を青ざめて彼女の後姿に問いかけた。
「な、なにかお気に召されぬことでも!?」
トカゲ頭の言葉に少しだけ振り向いた彼女の瞳は冷たい。それを見たトカゲ頭はより顔を青ざめさせて、その体には似合わず小さく震えだす。それに輪をかけるように彼女の冷え切った声がトカゲ頭の耳に届いた。
「……つまらぬことで呼び出すな」
「ひっ!! し、失礼いたしましたっ!!」
地面に頭を付ける勢いのトカゲ頭を放って王女は人間達の悲鳴を背に、その場を後にした。
人間を蹂躙する魔物でさえ恐怖させる……この少女の正体は、魔物達を統括し、魔王領を治める現魔王の第二王女。その風貌から黒の王女と呼ばれる、魔王族の姫である。
トカゲ頭を訪れたのはいいとして、とんだ悪趣味な見世物を見せられた彼女の機嫌はよろしくない。しばらくして、魔王領から山を三つ越えた程の所にある自らの屋敷に戻ってきた王女を出迎えたのは、一人の使用人姿をした女性だった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
魔王族には幼少の頃より列強七魔族と呼ばれる選りすぐりの魔族のなかからより優れたものを一人、護衛として付き人にするという習慣がある。この使用人姿をした少女は、列強七魔族のうち竜人族と呼ばれる魔物で、その中から王女の護衛に選ばれた名誉ある地位を持つ者だ。名をエミリア・フォレンドリアムという。
「…………今戻った」
エミリアに小さく返事をした王女はそのまま屋敷の一室へと向かう。王女とエミリア以外には生き物の気配が全くない屋敷、王女が向かった部屋には、一つの長テーブルが置かれ、控えめの装飾がされたイスが並んでいる。王女が長テーブルの端のイスにゆったりとした動作で座ると、それを見計らったかのようにエミリアが彼女の元へと紅茶を運んできた。美味しそうな茶菓子も一緒にテーブルへと並べられる。
紅茶を一口飲んだ王女は小さく息をつく。静かにティーカップを置くと満足そうに呟いた。
「やはり、エミリアの入れた紅茶は、格別だな」
「バルシャック様のお茶会で何かあったのでございましょうか?」
傍で控えていたエミリアは無表情のまま王女に気遣いの言葉をかける。一見形式的で何の感情も含んでいないように見えるが、これはエミリアなりに心配してのことである。
「ん、大したことではない。気にするな」
王女は残った紅茶を口元に運ぶ。彼女の背後にある窓ガラスからは、夕焼けが射し込んでいる。何とも下卑た茶会であった。茶の味もそうだが、トカゲ頭の催したアレは別段面白くもなんともない。だだ、まずい茶が余計にまずくなるだけだ。人間の悲鳴など王女にとっては耳に響くただの雑音である。甘美の歌とは到底思えない。
「今日はもう休む……下がってよいぞ」
紅茶を飲み終えた王女は、自らの部屋に向かうために部屋を後にした。
王女がエミリアの茶を楽しんでいる間に、太陽は完全に西の空に沈み辺りはすっかり暗くなっていた。今は月の光でほのかに明るい屋敷の廊下を、王女は自室を目指してゆっくりと歩いている。と、王女の瞳に何か光るものが映る。それは少し離れた廊下の床で光り輝いているようだ。王女は歩を止めその正体へと眼を凝らした。しかし、薄暗い廊下で強烈な光を出す物体の正体を確認するのは容易ではない。
より強烈になった光に王女がうっすらと目を細めた時、突然それまでとは比べ物にならないほど強烈な光が辺りを包んだ。突然のそれに驚く王女だったが同時に頭を縛りつけられるような強烈な痛みに襲われ、眉間にしわを寄せる。
悲鳴を上げないところは、さすがだと言いたいところだが今回はそれが仇となったのだろうか……光が収まると王女の姿はどこにもなかった。
誰にも知られることなく、黒の王女は静かにこの世界から姿を消してしまった。
ファンタジー世界の悪役が、異世界で正義のヒーローになれるのか……何ともムズそう……