いつからでも愛は育んで
立ち寄って下さって感謝申し上げます。
ふんわり、ほんわか読めるんではないでしょうか……?
注:2人の視点で物語が進んでいきます。ので、ころころ変わります。
俺は重い足で廊下を歩く。
今日は結婚式だった。我が国アドルランと隣国ティスのおめでたい結婚式。
アドルラン国の第一王子の俺、セオドアは深い溜息とともに寝室のドアを開けた。
ソファーにどかっと座り天を仰ぐ。
宴会も終わり疲労困憊。なのに、この後は初夜という大仕事が待っている。
これまでの先輩方は、本当にこんな疲れの中、初夜をこなしたのだろうか。
いや、別に俺が女性を抱きたくないっていうわけじゃないし、勿論、女性が好きだ。だけど、今日初めて会った女性で、しかも始終陰気で無愛想な花嫁を、じゃあ抱いてくださいって言われても、健全なものも元気が出ない。
ほんと、辛いよなぁ。
王子。ただその肩書きを持って生まれただけで、好きな人とも結婚できない。
式の合間もパレードの前も、宴会中も、泣きそうな顔で俺を見つめてくる愛しいナディシャ。俺もつい視線を追ってしまい、胸が苦しくなった。
彼女が子爵家の生まれだからと結婚などもっての外。隠れて逢瀬を交わし愛を確かめ合っていたのだが、これが永遠ではないと分かっていたのに、止められなかった。彼女の全てが好きだった。
可愛い声で笑うナディシャ。穏やかで思いやりがあって頭の良いナディシャ。家柄関係なければ、王妃にもなれる素質があると俺は思っていたのに。
それが許されないのが王族なんだよな。
テーブルに置いてある酒を取ってグラスに注ぐ。
飲まないとシラフでは無理だと一気に煽った。
いつかは俺も国のために政略結婚をする事になるのは、姉貴が他国に嫁いだ時から理解していた。いや、その前から嫌というほど叩き込まれていた。
思春期にはちょっと反抗的になって、遊び回っていた事もあったが、それはみんな経験するよな?可愛いものだ。
花嫁がいる隣の部屋に続く扉を見た。
花嫁のカミラは、黒髪に鋭い瞳、気の強そうな女性だった。この結婚に不服があります、そう顔に書いてあるくらい無愛想だったのを思い出す。
この結婚上手くいくのか不安だった。政略結婚なんて当たり前だし、仮面夫婦なんてのも普通にいるだろう。
だが、俺は政略結婚でも結婚したら妻となった女性と上手く結婚生活を送りたいとは思っている。例え、心の中に他の女性がいようとも、俺が王族である限り、国のためにそうすべきだとも理解しているつもりだ。
ナディシャ……。金髪の柔らかな髪に白い肌、薄桃色の頬。その柔らかな髪をかき抱いて彼女をめちゃくちゃ愛したい、その妄想は叶う事なく、ただ俺の欲望として終わる。
扉の向こうがナディシャだったら、こんな酒置いて飛んでいくのにな。
俺は溜息を吐いてグラスを置き立ち上がる。
そろそろ行かねば、王女であった彼女に失礼だろう。妻になる女性を蔑ろにするほど、俺も落ちてはいないはず……。
扉を開けて中に入れば、カミラは窓枠に座り外を朧げに見つめていた。
夜空に溶け込むような黒髪が綺麗だ、そう素直に思った。昼間はそこまで思わなかったのだが、この雰囲気がそうさせているのか。
「待たせましたか?」
そんな俺の言葉にカミラは振り向き首を振る。
「いいえ、そんな時間も必要ですから」
どういう意味だ?そんな時間も心の準備が必要ってことなのか?
俺はベッドに腰掛ける。それを見たカミラも立ち上がり、隣に座った。
では、あなたを抱きますとか言った方がいいのか?それともこのまま押し倒してもいいのか?彼女に触れるか触れまいか彷徨う俺の手。そんな俺を見てか偶然か、カミラはガウンを脱いでベッドに横になった。
俺は息を呑んだ。
初めて女性の身体を綺麗だと思った。少しやんちゃしていた時、そういう場所で女性を抱いた事もあったが、ここまで欲求よりもその線の美しさに感動したのは、カミラが初めてだった。
だからか、俺は引きつけられるようにベッドへ上がり、彼女の肌に触れた。無駄な肉がなく、ほどよく筋肉がついて張りがあって……とても美しかった。
疲れなど飛んでいき、俺はカミラの身体に触れ続けた。ぴくりと反応する彼女に、俺のものも反応する。
さっきまで愛する女性じゃないとどうのって考えていたのに、俺もただの男だったっていうわけか。
自分の単純さに呆れる。
が、欲望は嘘をつかない。吸い込まれるように彼女の張りのある首筋に顔を埋めた。反応しないよう我慢するカミラに俺はより興奮した。
だが気付かなかった。夢中になりすぎて彼女がどんな表情をしていたのか。
カミラの鼻を啜る音を聞いて、俺は我に帰り彼女を見れば。カミラは身体の横に置いた手を握りしめて、目には涙をいっぱい溜めて泣いていた。
俺は一気に身体の熱が引いていき謝った。
「す、すまない!嫌だったのかっ!?」
俺の慌てる声にカミラは返事をするわけでもなく、涙を次々と流した。
ついには嗚咽も混ざり、顔を手で覆うカミラ。その様子が悲痛すぎて、なんだか俺も申し訳ないやら悲しいやらでよく分からなくなった。
昼間の無愛想な彼女からは想像できないほど、弱々しい彼女に、俺はどうして良いか分からず、わたわたするだけ。
とりあえず、何か空気を変えねばと声をかけた事が、「さ、酒でも飲むか?」だったのは、さすがに気の利かない男だと自分でも認識したのだった。
*
私は今日、アドルラン国の第一王子、セオドア様に嫁いで初夜を行うはずだった。
のだが、私が泣いてしまい初夜を遂行できなくなってしまった。申し訳ない。
私は手元に置いてもらったティーカップを両手で持ちすする。手からじんわりと温かさが伝わり、それは喉から胃へ続いた。
「あー、薄くない?大丈夫?」
「いいえ、ちょうど良いです。ありがとうございます」
初夜に花嫁が泣いてしまい、それなのにセオドア様は怒る事もなく、自ら茶を淹れてくれた。申し訳ない気持ちと、その彼の優しさが沁みた。そんな事できる男性って少ないと思うのだけど……私は、未だにはらはらしているセオドア様を不思議な気持ちで見つめた。
「もっと、いる?」
「いいえ、大丈夫です……その、セオドア様はお茶を淹れるのがご趣味で?」
「え?いいや、趣味じゃないよ。ただ、姉貴……姉さんが心乱れた時は温かいお茶を飲んで気持ちを落ち着かせるものだ、とよく言っていたもので」
「お酒ではなくて?」
「あ、あれはとにかく何か言わないとって……俺の場合は酒を飲むからかな……すまない」
結婚式の間、始終、億劫そうにこの結婚に不満がありますって顔に書いていたし、ある女性と目を合わせては苦しそうな顔をした彼を見ていたから、仮面夫婦でほったらかしにされるかも、なんて思っていたけど。思っていたより、気遣いのできる方みたいだ。
「だから、ここに来る前にお酒で気持ちを誤魔化して来たのですね」
「……酒臭かった?」
「ほどよい香りでしたよ」
「恥ずかしいな」
しばらく無言が続いた。
セオドア様を見れば、座った膝の上で手を組んで、私のことをチラチラ見ては、目が合っては逸らす。先程から私を気遣ってくれるセオドア様に、結婚式とは違う印象を抱き、なんだか安心した。
「その、どうして泣いたかなんて聞いてもいいのかな……?俺がその無理やり進めてしまって怖がらせたのであれば」
「いいえ、そんな事ありません。私もそれなりの覚悟を持って来ました。ただ……」
「ただ?」
こんな身の上話を話してしまってもいいのだろうか。でも、もしかしたら彼も、一緒かもしれないから。
「ただ、こんな事言うべきではないと思うのですが……」
「うん、泣かせてしまった理由が知りたい。だから、聞かせてほしい」
セオドア様は優しい声で言った。
本当に、なんて優しい人なんだろう。きっと、彼もこの政略結婚の被害者なのだ。
そう勝手に解釈して、私は緊張がほぐれ、気が緩み話し出した。
「私には忘れない人がいるのです……初恋の人でした」
*
カミラの初恋は10歳の時。幼馴染として過ごした5年、15歳になりお互いの恋心を確かめ合った。彼は伯爵家の次男坊で近衛騎士をしており、名をアランと言った。
2人は恋人となり、ひっそりと愛を育んだ。王女と伯爵家の次男坊。結ばれることなどない2人であったが、その気持ちは止めることなどできなかった。
「アランは言いました。自分は剣も成績も兄には勝てないし、だからといって王女を平民にはできない。騎士爵を貰おうにもそれだけでは駄目だ。けれど、いつか武勲をあげて自分の価値を示すから待っていてくれと……その時は自分に降嫁してくれ、と。人生で初めてのプロポーズ、私は舞い上がり浮ついた気持ちで受け入れました」
カミラはうっとりする。その時の事を思い出しているのだろう。
「誰も私達の愛を割くことはできない、この愛は永遠だ。そう信じて私は待ちました。でも実際の所はアランは婿入りの話が上がっていて、それを突っぱねている状態でした」
「婿入りかぁ。まぁ、それが普通だよな」
「ええ、アランはとても人気がありましたから、婿に来てほしい家はそれなりにありました。だから、尚更、私は彼を取られたくなかった……そんな中、私に貴方との婚約が持ち上がりました」
なんだか話を聞いているように、続きが気になっている自分。いつもは人の恋愛話など興味ないのに。きっと、自分も同じような状況であるだろう事から、共感してしまっているのだろうか。
「このままでは、彼に嫁ぐことも会える事すらも出来なくなると思って、私は言ったのです」
「……何を?」
「もう既成事実を作ってしまおう。子が出来たならば結婚話もなくなる、そう思いまして」
「お、思い切ったなぁ。カミラ、君、行動力があるんだね」
「昔から何事も先手必勝で教えられましたから」
「王女に凄い教育」
「もうこれは、お手つき必勝しかないと」
「もじってるし」
「我が国は女性も己の身を守るために武器を持ちますから」
「そうか……昔から隣国との小競り合いが絶えないものな」
「そうです、そのための今回の婚約でしたから」
アドルラン国とも昔から緊張状態にあったティス。だが、長引く多数国との戦争に国民が疲弊していき、ひとまず、冷戦状態だった我が国と友好条約を結んだ。そのための結婚だった。
「でも私は周りが見えないほど、愛というものに溺れていた。それが全てだと思っていました」
「うん、分からなくもないよ」
「優しいのですね……」
「それで?」
続きが気になる。決して、2人の情事の行方が聞きたいとかそんな不埒な考えではない。至ってこれは純粋な恋愛を聞きたいただ、そんな感情だ。
「はい。それで……アランも了承して。人生で初めてのキス。とても甘かったし、しびれるような感覚が走りました」
小説を読んでいるような感覚になる。カミラの表現と話し方がとても上手だった。
「2人でベッドに傾れ込み、アランが私の服を脱がす……2人の息遣いが重なるようにキスを交わしながら」
ちょっと、なんだか変な気持ちになってきたけど、これ大丈夫かな、でも気になる。
「このまま全てをアランに捧げる。自分の人生は自分で決める。その覚悟で私は言ったのです。けれど、彼は違った……」
「え、駄目だったの?」
「はい……やっぱり君を抱けない、こんな事許されない、国に逆らう事はできない。ごめん、彼はそう言い謝って、乱れる服の私にマントをかけて、部屋を出て行きました」
「……」
「縋りたかった。一度でもいいから貴方に抱かれたい、好きな人にめちゃくちゃに愛されたいし愛したい。大声を出して呼び止めたかった……でも出来なかった」
カミラは目に涙を溜めて続けた。キラキラと黄色の瞳が反射して、輝く宝石のようで綺麗だった。黒い艶やかな髪がより一層、彼女の瞳を引き立てていた。
「彼も泣いていた……涙を流しながら、ごめんと何度も呟いていたんです。彼は国に忠誠を誓った騎士、伯爵家の貴族子息。彼なりに自分の責務を感じて葛藤していたのでしょう。それなのに、私は自分の王女という立場を顧みず私欲だけで行動した……彼に辛い思いをさせていたのだろうと、その時に気付いて。彼とはさよならしなければと、思ったのです」
カミラは大粒の涙を流す。俺もそんなカミラに感化され、いつの間にか手には酒のグラスを持ちながら、もらい泣きをしていた。
「辛かったな……」
「辛かった……どうして、私は王女なのだろうと神様を憎みました」
「うん、分かる、分かるよその気持ち」
「けれど、アランも辛い気持ちを押し込んで決めた事。彼が自分の責務を果たすために行くならば、私も王女としてその責務を果たさなからばならない」
「うん、うん」
「その覚悟で来たのに……彼との事を思い出してしまって……うっ、ご、ごめんなさいっ」
カミラが嗚咽混じりに泣き始めた。泣きながら自分のティーカップに酒を注ぐカミラ。
……いつの間に酒に変わっていた?
ティーカップで酒を煽るカミラ。なんとも可笑しな情景だ。
「うっ、も、もう彼の事は忘れないとって、貴方に抱かれないとって覚悟してたのに……あんな事になって、こんなクズな王女で申し訳ありませんっ!」
急に椅子から降りて土下座する元王女、現、王子妃。俺は慌てて駆け寄って彼女を椅子に座らせた。
「本音はそんな忠誠心捨てて、私を抱けって言いたかったのに……無駄に真面目すぎて……でもそこが好きだった……」
そう言うと、こてんと頭を下げて寝息を立て始めたカミラ。俺はすっかり酔いも覚めて、自分の妻となった女性を見る。
酒のせいなのか、それとも素の性格なのか。それでも、俺はこの酒に酔い潰れた妻を恋こそはしていないが、結婚生活どうなるのか少し不安もあるが、わくわくしている自分がいる事に驚いた。
今まで周りにいないタイプの女性だったから、興味が湧いた。
初めの印象が悪ければ、意外と後からの好印象は持ち上がるものである。
*
「うー、頭が痛い」
私はズキズキするこめかみに手を当てて起き上がる。やってしまった。
あんなに酒は飲むなと言われ決めていたのに、ついついセオドア様が聞き上手な事もあって、話が止まらなくなり、ついでに酒に手が伸びてしまった。
今は自分の私室。酔い潰れた私をセオドア様が運んでくれたのだろうか。
……本当に申し訳ない。初夜もできず、酒に酔ってベッドまで運ばせたなんて。
「マーサ、いるんでしょう?」
「ええ、こちらに」
「……セオドア様は?」
「朝早くこちらに顔を出して行かれましたよ。鍛錬に行くと仰って」
「そう……」
「姫様」
もう姫ではないが、マーサは赤ん坊の時からの侍女である。そう呼ぶ時は何かしら説教がある時だ。
「姫様、」
「私も鍛錬に行こうかしら?」
「姫様、あなたは何をやらかしたのですか?」
「別に。話していたら盛り上がってお酒をちょっと飲んでしまっただけ」
「殿下との初めての夜で何の話で盛り上がりましょう。令嬢達の茶会でもないでしょうに」
「セオドア様ったら、その令嬢達並に聞き上手でついつい世間話を」
「はぐらかさない」
「ねぇ、マーサ。結婚式でここへ来たばかり。城を歩いてみましょう。ついでに身体も動かすわ」
日がまだ昇ってすぐの時間。
そんなに人もいないはず。こっそり鍛錬するにはもってこいの時間だ。
私は動きやすいスラックスとシャツ、まだ肌寒い早朝なのでマントを引っ掛けた。
幼い頃より兄達に感化され剣を握り弓を引き、走り回っていた私。王女と言われれば王女として繕ってはいたが、実際のところは、だいぶお転婆娘だったと自負している。
人気のない建物の裏で私は剣を振った。
気持ちいい。身体を動かしている間は、余計な事を考えずに済む。
集中する。頭の中で兄や騎士団から教わった記憶が蘇る。まるで彼らと剣を合わせているようだった。
1時間ほどそうやって剣を振っていただろうか。私は休憩しようと顔をあげ、いつものように言った。
「アラン、お水を、あ……」
マーサが水を持っているのを見て我に返った。つい癖が出てしまった……。
ふいに母国を思い出した。恋しいな、皆んな元気かな、アランに会いたい。
冗談を言い合いながら剣を合わせた日常がまざまざと思い出される。センチメンタルなその心は、秋の早朝の冷たさがよりそうさせた。
胸が痛くて涙が出てくる。私は袖で涙を拭った。
こんなにも好きなのに、私はこれから大丈夫だろうか。他の男を想っている女が王太子殿下の妻になって、セオドア様には申し訳ない。昨夜の事から考えると、セオドア様は理不尽を押し付けたり他者を貶めたりするような方ではないはず。それが、より私を苦しくさせた。
結婚した今、早くアランへの恋心を忘れないといけない。それを振り切るかのように私は再び剣を握った。
*
結婚式翌日の初めての朝食。
カミラはとても綺麗な所作で食事をしている。
早朝、カミラが剣を持ち歩いているのを見かけ、好奇心から後を追った。
剣を振る姿がとても綺麗だった。
彼女には昨夜から驚かされてばかりだ。とても無愛想な人だと思えば、饒舌に失恋を語り出し、その様子は年頃の令嬢そのものだった。そして、今日、男顔負けの剣を振っていた。そこらへんの騎士と同等の腕を持っているのではないだろうか。
女性が剣を握るなんて初めて見たからか、引き込まれるように見ていた。
それを見ていた生意気な側近ナイルが『昨日は子爵令嬢を見ては刹那げな表情を見せ王女を蔑ろにするんじゃないかって心配してましたが……頼みますよ、相手はティス国、あの様子じゃ、もしかしたら王女にばっさりされるかもしれませんからね』なんて言う。
ナディシャと恋仲の時から、ずっと俺に釘を刺し続け戒めてきたナイル。こいつがいなければ、俺も暴走していたかもしれない。
カミラがデザートを口にして止まった。口を指で押さえて、まじまじと皿を見る。
「何か気になる事が?」
「あ、いえ、とても美味しいなと驚いたのです」
その後もデザートを食べる手が進むカミラ。給事が声かければ笑顔でおかわりをする。美味しそうに食べる様子を見て使用人もほんわかしている。
意外とここでやっていけそうな彼女に俺は安心した。長く冷戦状態にあった我が子とティス国の関係から、この婚約に意を唱えている者もいたはず。けれど、そんなことは小さな事だと思えるほど、彼女は人の心を掴むのが上手いみたいだ。
「あの、セオドア様」
「どうした?」
「とても美味しく頂きました。ありがとうございます」
「うちのコックの腕を気に入ってくれて良かった」
「はい……それで……」
カミラがちらちらと周りを気にしながら何かを話したがっているように見えた。そうか、昨夜の事を話すにも人が気になるよな。
俺は使用人全てを下がらせる。
「昨夜は、大変失礼致しました」
「いや、いいんだ。君の事を知れて良かったと思っているから」
「セオドア様はお優しいですよね」
「そうかな?」
「ええ。うちのお兄様方だったら、泣くんじゃないって喝を入れているはずですから」
カミラが笑う。そんなふうにも笑えるのか。
「……無理に忘れようとしなくていいんじゃないか?」
「え?」
「恋人をすぐに忘れるのは無理だろう?」
朝練の時にも涙を拭ってひたすら剣を振るカミラ。きっとまだまだ忘れられないだろう。
「でも、それではセオドア様に失礼ですし……その、セオドア様も親しくされていた方がいらっしゃったのでは?」
俺は返答に詰まる。彼女が分かるほど昨日の俺はナディシャを見ていたのか?
「分かりますよ、あんなに切ない目で視線を交わしているんですもの」
「それは、嫌な思いをさせてすまなかった」
「いいえ!いや、その私だって同じですから」
俺たちは視線を合わせて困ったように笑った。
「本当にどうしようもないよな」
「ええ、全くです」
恋心というものは。どうしてこんなにもコントロールできないのか。
「カミラ」
「はい」
「俺も恋人がいた、そして完全に忘れることはできていない」
「お互いですね」
「あぁ。でも結婚したからには君がこの国で穏やかに過ごせるように、責任を持って夫として努めようと思っている」
「それは、とても有難い事ですが……」
「どうした?」
「その、こんな事言うのはどうかと思いますが。後継を考えるとセオドア様は側妃を娶ってもいいのではないかと……側妃であれば、恋人とのお子様もできるのではないでしょうか」
側妃。それは視野には入れていない、俺は。だが、外野は違う。結婚した今でも側妃をと虎視眈々と狙っている奴がいる事は知っている。
ただ、俺が今ここで側妃なり愛妾なり側に置けば、きっとカミラを気にかける事ができなくなる。好きな女性を妻にして、他も気にかけるなんて今の俺にはそこまでの器量も自信もないから。
「側妃は考えてない」
「ですが、後継が」
「君と作ればいいじゃないか」
「えっ」
「やはり、他の男に抱かれるのは……嫌か」
「あ、いや、そんな事っ」
頬を染めてしどろもどろになるカミラ。意地悪いがそんなカミラを見て、俺は少し揶揄ってみたくなる。
「俺は君を抱ける」
「だけっ、抱けますかっ?」
「少なくとも妻となった君に好感を持っているし、俺を欲情する何かがある」
「欲情……」
昨夜の事を思い出したのか顔が真っ赤に染まるカミラ。それを俺は可愛いと思ってしまう。本当に単純な男だな。どうにかしている。
「真っ赤だな」
「……うっ」
頬に手をあてているカミラをまだ見ていたいが、カミラが剣を取り出す前にやめとこう。
「ごめん、揶揄いすぎたな」
「……」
「さっきも言った通り、俺は君を妻として大切にしようと思っているし、いつかは君との子をもうけて普通の夫婦としてやっていきたい」
「セオドア様は、好きな方を忘れる事はできるのですか?」
「そうしないといけないと思っている。過去のこととして終わらせないといけないと。でも、そうは言ったって無理だろう?気持ちなんて自分でどうにか出来ないものな。だから、君との時間を過ごせば時間が解決すると思っている」
「……忘れられるでしょうか」
「どうだろう……でもこれだけは言える。何事もどうにもできない過去をくよくよ考えるより、変えられる未来を考えた方が有効的だと。だから、俺は過去の恋人を考えるより、妻となった君との人生を考えていこうと思っているから」
カミラがしばらく考えてから顔を上げた。真剣な目で私を見て小さく頷いた。きっと、伝わったのではないだろうか。
俺たち夫婦はこれから始まる。
「よろしくお願いします」
カミラが頭を下げて顔を上げた時には、初めて見せた表情だった。
*
あれから、お互いを尊重しながら過ごすこと4ヶ月。
私もだいぶここでの生活に慣れて、センチメンタルな気持ちになる事はなくなった。それもセオドア様のおかげである。
彼は本当に優秀な王子でありよく出来た夫であった。
執務もこなし、できる限り私と食事を取る時間を作るなり散歩に誘うなり、1日のどこかで顔を合わす時間を作ってくれた。そうやって彼と過ごす中でお互いを知り関係を築く。
それがなんだか、くすぐったくて小さな蕾がゆっくりと育つような何かが私の中に芽生えていたのは確かだ。
それに何といっても剣の手合わせをしてくれる。私はその時間が好きだった。
セオドア様の剣は、うちの兄や騎士達のように力強く先手必勝のような攻め込むような剣ではない。彼の剣は柔らかく私の剣をいなしながら誘い込み、気付けば追い込まれて負ける。
そんなに大きな一撃や衝撃はないのに、なぜだろう。いつも負けて悔しい思いをするのだ。悔しいが楽しくて充実した時間。
今日も私は彼の空いた隙を狙い、今日こそはと剣を振り出したが、それを待っていたかのように軽くいなされて地面に足をつく。
「もう、まただわ」
「君は分かりやすい、直球なんだよ。単純な動きで嘘がないからそれを理解すれば簡単だ。それが致命的な欠点だがな」
セオドア様が手を差し出してくる。悔しくてその手を無視して立ち上がり、私はもう一度構えた。
それを見てセオドア様は呆れた笑みを見せる。柔らかなシルバーの乱れた髪、その余裕で憎たらしい薄水色の瞳に私はときめく。
優しいけれど、芯があって強さも持つ彼に惹かれている。今では初恋が遠くに感じていた。
早朝から2人で剣を交える私達をマーサとナイル卿が疲れた顔で見ている。
「今度こそ負けないわ」
「そう言って何度目かな」
「うぅ、その顔を悔しさで歪めさせてやる」
最近はこうやって2人で早朝の鍛錬を行いそのまま食事を取る。夫婦っていうより友人のような関係に私は物足りなさを感じていた。
でも我儘を言ってはいけない。セオドア様には想い人がいて、私は政略結婚の妻。恋愛はなけれど仲の良い夫婦になれれば、それで充分なのだ。
そう私は自分を戒めていた。
でも、その後、自分の感情が変化してどうしようもなくなっている事を嫌でと思い知った出来事が起こった。
ある日、気分転換にとぶらぶら散歩に出かけた。あわよくば、セオドア様の普段の様子が見れるかもという下心もあって、王宮付近を彷徨いてみた。
だからか、そんな下心を持ったのがいけなかったのか、彼への淡いまた芽生えたばかりの気持ちを自覚したのがいけなかったのか。
セオドア様がご令嬢と話している姿を見てしまった。
その人は、結婚式でセオドア様とよく目を合わせていた人だと思った。少し前に、マーサに聞いていた情報と一致しているからそうだろう。
柔らかな金髪に明るい青の瞳。色が白くてほっそりした身体に女性らしい微笑みとしぐさ。私には全くない物を彼女は持っていて、卑屈になる。
肝心のセオドア様は……結婚式のような苦しげな表情ではない。恋焦がれているような感じでもない。けれど、とても和やかで楽しそうだった。
私はそのまま目を背けて来た道を帰った。だから言ったのに、友人止まりでも仲が良ければそれでいいって、それが楽だって。
そう自分に文句を言って、これ以上は深入りしないようにと何度も言い聞かせた。
なのに、そんな日に限ってセオドア様が訪ねてきて、私に贈り物をしたのである。
嬉しさで、落ち込んでいた心が軽くなる。
「君が好きそうかなと思って」
「これは……」
アクセサリー類ではなく、装飾のついた筒状のケース。筒の下部は剣の柄のようで、握りやすく私は柄を引いてみた。
たちまち、それは50センチもののナイフになり私はあっと声をあげた。
「護身用のナイフだよ。何があるか分からないからね、万が一のために君に渡しておく。それに、君はアクセサリーとかより、剣類の方が好きかなって思ったんだ」
「ありがとうございます……とっても気に入りましたわ。嬉しいです!軽いし、相手が動く前に出して一突きすれば致命傷ですかね」
「良かった。どこに行くにも身につけていくんだ」
「はい」
私は手持ちナイフに夢中になってしまい、自分がベッドの上にいる事を忘れていた。
バランスを崩して、そのままナイフを手に倒れ込む。
「こら、危ないじゃないか」
そう言ってナイフを取ろうとするセオドア様。私は抵抗する。
「いいじゃないですか、ちょっとだけ。まだ触りたいのです」
「駄目だ、渡すタイミングを間違えた」
「大丈夫ですよ、これで貴方の寝首を掻ろうなど思ってませんから」
「ますます見過ごせない。ほら、渡して」
笑いながらセオドア様がベットに乗り込んでくる。気付けば、私の上にセオドア様がいて押し倒されているような状況だった。
どくん、どくんと胸がなる。
結婚してからセオドア様は私にそう言うことはしない。それが、最近はとても、もどかしかった私は期待した。
これは、もうそういう流れじゃないか。
初夜は失敗したが、今なら彼に抱かれてもいい。いや、むしろ抱かれたい。
それに、昼間の事もあって不安を消したかった。
視線が絡む。セオドア様の目に怪しい色が光った気がした。なのに、セオドア様は私の手からナイフを取ると、さっとベッドから下りたのだ。
「これは、引き出しに直しておくよ。それと、ちょっと急用を思い出した……また明日。おやすみ」
私を見ようともせずに部屋を出たセオドア様に、ショックを受けた。
彼がまだナディシャ様を想っているのはよく分かった。だけど、私は分かる。あの目は絶対に欲情していたと思う。なのに、なぜ?やっぱりナディシャ様を忘れられない?
ここでこんなに嫉妬しても苛々しても仕方ないし、もともと彼とは恋人ではない。だから、私がそれに怒るのは筋違いなのだ。
それでも、私に触れて欲しいと思ってしまった。
いずれにしても、私達夫婦は子をなさねばならないから、する必要はあるのに。初夜から全く手を出さないセオドア様に私は猫じゃらしで焦らされすぎた猫のように私はカリカリしていた。
もういい、そうなったら今度は私が押し倒してやろう。
そう決意したのに、その日からセオドア様が夜に訪れることがなくなった。
*
「やばい」
「何がです?」
「カミラに手を出したくてたまらない」
「は?」
「カミラをめちゃくちゃに抱きたくて仕方がないんだっ」
俺は書類があるにも関わらず机に突っ伏した。書類が机からひらひら落ちていく。それをナイルが黙って拾い几帳面に重ねておいた。
あの日からカミラを訪ねることができずにいた。行ったら欲のまま彼女を押し倒してしまいそうだった。
「何言ってるんです。抱けばいいでしょう、夫婦なのですから。誰がそれを戒めるんですか」
「俺が俺自身にだ」
「それを過去にしてほしかった」
「……」
こいつは本当に生意気だ。確かに欲のまま女性と遊んだ時もあったし、ナディシャとの関係を止めなかったのも事実だ。
でも、この前ナディシャと会った時に話をしたが、不思議なことに彼女を好きだった懐かしさはあるが、今にも彼女に触れたいなどとは思わなかった。
ナディシャも近いうちに婚約をするらしい。素直に良かったと応援したいと思った。そして、俺が触れたいと抱きしめたいと思うのはカミラで、その事実をとても嬉しく感じたのだ。
「戒めないと自分を抑えられない」
「だから抱けばいいでしょう、思いのままに。ほら、どうぞ、早く行ってあげて下さい」
面倒くさそうに書類に目を通し始める俺の側近。仕事ができるからってムカつくな。
「まだ昼だ……いや夜でもまだ」
「何が問題なんです?」
「カミラの中にまだ元恋人がいると考えると妬けるんだ。俺を1番に見てほしいから。俺だけを見て抱かれて欲しい。それに、また彼女に辛い思いをさせたくない」
「では、そう言えばいいのでは?」
「あんな偉そうなこと言ってて、今更俺を見ろなんて言えるか?いや、素直に話せばいいんだが……」
「もう、面倒臭い。仕事が捗りませんから、ひとつアドバイスをしましょう」
「なに?」
「少なくとも、カミラ様もあなたと同じように考えているはずです。あなたを見つめる目がそう語ってますから」
もしかしたらと期待した事はある。あの日、ベッドで俺の下にいた彼女は、初夜の日とは違う表情で俺を見ていたから。
でも、自惚れで暴走してしまったら、築いてきた関係が壊れそうで出来なかった。
だけど、もし同じ気持ちであるなら彼女に触れてもいいだろうか。
そこに、くよくよ考えていたら警備の騎士が駆け込んできた。
「殿下っ!申し訳ありません、妃殿下を止めて下さい」
その言葉に慌てて俺はカミラのいる場所へ走った。カミラは中庭の廊下にいた。
「これ以上の不敬は貴方の首がとびますよ」
1人の令嬢に俺があげたナイフを突きつけて怒りのオーラを放つカミラ。
おいおい、その令嬢は父上の第一側近で、側妃にと虎視眈々と狙っている狐爺いの孫だ。それにも関わらず、剣の先を令嬢の髪先に触れて脅すカミラ。
あぁ、もう好きだ。
騒ぎを聞きつけた人が集まってきていた。その中にはナディシャの姿があり、目が合いナディシャが心配そうにカミラを見て頷いた。
貴族令嬢なら知っている。この令嬢がどれだけ面倒臭くて悪どいのかを。
俺は頷き、カミラに近づく。
それに気付いた令嬢は俺を見ると顔を華やかせた。
「何があった?カミラ?」
「セオドア様っ」
「君に名を呼ぶ事を許してはいない。カミラ?」
その令嬢、アーネスト公爵令嬢はムッとした表情で押し黙った。
「この方が、私達が仮面夫婦だと言うのです。それに私が戦争狂の国から来た暴馬だとも」
「そ、そこまでは言っていないわ」
「そうでしたっけ?遠回しな言い方だったかもしれませんが、私にはそう聞こえました。なんでしたっけ……あぁ、剣もどうせ遊びだとか王子妃として相応しくない、だからセオドア様も色欲が沸かないのだと。だから初夜さえも成されていないのだと。私は……お飾りの王子妃だと」
最後は少し声が震えて小さくなったのに俺は気付いた。しかし、すぐに気を取り直したのか、カミラが後ろにいる私を振り返り、首を傾けて言った。
「セオドア様、そうなんでしょうか?こんな剣を振り回して色気のない私には、欲情しませんの?」
その目が怖い。きっと先日の出来事のことも含んでいるのではないだろうか。彼女にしては艶やかなその表情と言い方に少し危機を感じた。
もしかすると、彼女は俺を本当に……。
そうならば、もういいか。
いい機会だと、俺は皆に見せつけるつもりで動いた。
「まさか」
俺は触れたくておかしくなりそうだったカミラの強かな腰を抱いて密着させた。下を向けば、一瞬驚くが試すかのような力強い彼女の瞳が見上げていた。少し屈めば触れそうだ。
「カミラほど私を夢中にさせる女はいない。そうだろう?」
「それは本当?それともこの場をやり過ごす方便?」
「それは君が知っているだろう?」
「いいえ、分からないわ」
この場で証明しろとそう訴えているような気がして、俺は鋭いカミラの瞳に微笑んで屈んだ。
情熱的にキスすれば、カミラが僅かに声を漏らす。
周りでは囃し立てる声、悲鳴をあげる声、歓声をあげる声。そんなのお構いなしに、分からせるつもりで俺はカミラを食すかのように口付けた。
「セオドアっさま、もう」
呼吸の合間にカミラが言うが、そんなのお構いなしだ。お預けにされていた獣のように俺は彼女を求めた。
カミラと視線が絡む。カミラは理解したのか諦めたのか。「このナイフは今は邪魔ね」そう言って地面に投げ刺した。
「ひぃっ」
ナイフがアーネスト公爵令嬢の足元に刺さり、令嬢が腰を抜かす。
「私がお遊びで剣を振っていないとお分かりでしょう?」
アーネスト公爵令嬢が必死に頷く。それに合わせたように彼女の侍女たちが令嬢を抱えていった。
ナイフの先には、5センチほどの蜘蛛が脚だけ動かしピクついていた。
「負けず嫌いだなぁ」
「だって、あ、あの方は……」
カミラの視線の先にはナディシャ。不安そうに俺を見るカミラ。
ナディシャは呆れたように笑っており、丁寧にカーテシーをした。それに俺は手を挙げて応える。
悪戯っぽく微笑むとナディシャは1人の男性と肩を並べて歩き出した。周りもお腹いっぱいだとでも言うように、散り散りになっていく。
「彼女は」
「ナディシャだ。俺が好きだった過去の人だ」
「……」
「さっきので分かっただろう?」
「どうかしら、ね」
拗ねたように俺から顔を背けるカミラ。
そんな彼女が愛おしくて、俺はカミラを横抱きに抱えてもう一度口付けた。
マーサとナイルがやれやれと天を仰いでいる。
俺とカミラは目を合わせて笑った。やっと気持ちが繋がった。出会って関係を育み、そして今日から愛も育む。
それはいつからだって遅くない。
それから、俺が昼から一切の執務を放棄して私室から出てこない事で、あちらこちらから苦情が来ていたらしいが、そこはなんとかナイルが頑張ってくれたらしい。
優秀な部下を持って俺は恵まれているな。
〜〜〜〜その時のナイル狂〜〜〜〜
『え?殿下ですか?今手が離せないほどお忙しくて』
『はい?何をそんなに取り込んでいるかって?殿下と国にとって外せない用事ですよ』
『あ?お前が手伝えって?何抜かしてんだ、いや失礼。それは殺されますよ、主に妃殿下に』
『え?そうそう、そうですっ。国のために一大事な事です。殿下にしか今のところできません』
『はいはい、今はいませんよ!!全く真っ昼間から何を考えてるんでしょうね!?この忙しい時にっ、殿下は、うちの主は!!』
俺が夜に執務室に向かった時には、荒れに荒れたナイルに、狂ったように働かされたのは有名な話だ。
何はともあれ、落ち着いたからよしとしよう。
『何がですか』
いつだって俺には背中を任せられる愛しい妻と戒めてくれる頼れる相棒がいてくれるから、よしとしよう。
『何が』強制終了。
おしまい。
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