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 宇多達が発った後、鷸宮は暫く無言で立ち尽くしていた。頭がぼんやりする。まるで夢の中にいる様な感覚だ。

 やがて、鷸宮は振り返らないまま背後にいる藍晶に話し掛けた。

「行っちゃったね」

 普段より低く抑揚のない声で、藍晶は「ああ」と答える。明るい感情は欠片も入っていなかった。

蛍流ほたる、報告についてだけど」

「うん」

 部外者が去り安全が確保された為、藍晶は鷸宮を本名で呼んだ。宇多の推測は正しく、鷸宮は名前を介した呪術を警戒し、一部を偽名――と言うより読み方を変えて相手に伝えていた。或いは氷川の方もそのことに気付いていたから、鷸宮の名前を適当な形で呼んで遊んでいたのかもしれない。

 ともあれ、藍晶は話を続ける。

「他の者にはまだこの件は伏せておいた方が良い」

「どうして?」

「穴の仕掛けの話を聞いて、僕は真っ先に内部の犯行である可能性を思い付いた。辻の世界側の現状は知らないが、現世では穴について知っている者は限られる。そして、一番疑わしいのは我々だ」

 鷸宮が振り返り、両者は見詰め合った。双方無言だったが、程なく鷸宮が苦笑する。

「藍晶ならそう言うと思った」

 片や藍晶の表情は険しい。彼は立ち上がり、鷸宮の許まで歩く。足は引き摺っておらず、負傷箇所が歩行に支障がない所まで回復したのが見て取れた。

 藍晶は立ち止まり、再び無言で鷸宮と見詰め合うと、彼女の手から人毛を包んだ紙を取り上げた。鷸宮の口が短く小さい驚きの声を漏らした。

「これは僕が預かっておくよ。死者の怨念が宿った髪なんて、人間が持っていて良い代物ではない」

 険のある声で言い放った後に、藍晶は奪った包み紙を懐に仕舞い、鷸宮に背を向けた。鷸宮は遠ざかって行く彼の後ろ姿を凝視する。そして、何気なく呟いた。

「『髪』って言っちゃうんだ」

 考え事をしているらしい藍晶に、鷸宮の言葉は届かない。彼は物証を抱え込んだまま、一時的に何処かへ姿を消した。



   ◇◇◇



 現世と辻の世界を繋ぐ道は長く、洞窟の様に暗い。その管状の通路の中で、宇多は前方を歩く氷川に告白した。

「氷川さん、申し訳ありません。私は一つ嘘を吐いておりました。敬語は私の癖ではありません」

 闇に溶け、姿は見えずとも音は聞こえる。足音に交じって、ふっという氷川の鼻息が響いた。

「知ってますよぅ。尾ノ橋さんの敬語は心の壁ですよねぇ。話していて何となく分かっちゃいましたぁ。でも、それを自分から打ち明けてくれるってことはぁ、少しは私に心を開いてくれたと思って良いのですぅ?」

「『心を開いた』と言うか、認識を改めたと言うか……。兎に角、自分の不甲斐なさを痛感しました。逆に氷川さんは私よりも多くのことがお出来になるので」

 鷸宮達の追跡と対話――特に後者は宇多が追手であれば行われなかった筈だ。彼女ならば間違いなく彼等を討っていた。結果、真実への到達が遅れていただろう。

 それだけではない。狐坂への対応でも、宇多は氷川に遅れを取っている。彼の策に氷川が気付いているか否かは不明だが、少なくとも宇多は動けず彼女は動けたのだ。

「だっ、だだだ、大丈夫ですかぁ? 随分と落ち込んでますねぇ。尾ノ橋さんはちゃんと優秀な妖怪ですよぅ。私だって一人では何も出来ませんしぃ」

 氷川は慌てて立ち止まり、振り返る。その気配を察知して、宇多も足を止める。目を凝らすと、前方に薄らと氷川の姿が見えた。

「いいえ、自分が全くの無力だとは思っていませんよ。ただ、確実に慢心はあった。そして、自分の能力は期待していた程ではなかった、という話です」

「尾ノ橋さん……」

 ふと、都行きを命じた際の父の姿が宇多の脳裏に浮かんだ。続いて、蛇城白弥と狐坂明高が現れる。皆、大なり小なり老獪な側面を持つ妖怪達だ。宇多は眉を寄せる。

「そう、私は驕っていました。だから、住み慣れた土地を離れる羽目になったのも自分の進路を勝手に決められたことも、全部他人の所為だと思っていたんです。いえ、家庭の事情も要因の一つなので、その認識も完全な間違いではないのでしょう。ですが、一番の原因はきっと私自身の力不足だった。器用な立ち回り方を知らなかったから、回避も出来なかった。もっと早くに実家を離れていれば、今の様な状況には陥らなかったのかもしれませんね」

「でも尾ノ橋さん、今はお家の外にいるじゃないですかぁ。なら、後は努力して手に入れるだけですよぅ」

「首輪付きですけどね」

「大丈夫、大丈夫。尾ノ橋さんは既にデキる妖怪ですからねぇ。……あっ! じゃあ、最初の一歩としてぇ、他の妖怪との付き合い方を学んでみませんかぁ? 例えば、私に話す時は敬語を止めるとかぁ」

 お道化た調子で放たれた言葉に、宇多は思わず目を見開き「えっ!」と声を上げた。次に、風邪を引いているが如く顔を赤らめる。

「それはもう少し……大分、待って下さい」

「ええ……。じゃあ、苗字じゃなく名前で呼ぶとかぁ?」

「うっ、それは……」

「めっ!」

 氷川の顔が宇多のそれにより近付き、表情が薄らと認識出来る様になる。特段怒っている訳ではないのだろうが、氷川の口元は引き結ばれ、有無を言わせぬ風であった。言う通りにしないと、彼女は再び歩み出すことを許さないかもしれない。勿論無視も可能だが、面倒そうではあった。故に、下らないと思いつつも宇多は決心した。

「……ゆ……」

「『ゆ』?」

「夢、さん……」

 結局勇気が足りず、宇多は氷川の要望を完璧には叶えられなかった。しかし、氷川は譲歩し宇多を許した。

「はい、宇多ちゃん」

「ぐっ……」

 出会ったばかりにしては余りに馴れ馴れし過ぎる返しだ。体内を這いずるむず痒さに耐え切れず、宇多は呻き声を漏らした。一方、概ね満足した氷川は宇多から離れる。そうして再び歩き出す旨を告げ、前方を向いた。

 歩きながら、氷川は再び口を開く。

「ではぁ、お返しに私も一つ告白しまぁす。私も嘘を吐いておりましたぁ。嘘と言うか、敢えて言わなかったことですかねぇ」

「え?」

「私が辻の世界に移り住んだ理由です」

 氷川は一呼吸置いてから続ける。

「現世は人間の世界です。加えて、人の寿命はとても短い。だから、現世の環境は目まぐるしく変わります。陽光降り注ぐ川の煌めきが如く、或いは万華鏡の内に浮かぶ色模様が如く。私は人間達の文化に触れるのが好きでした。そこに加わることで、自分も美しい華になった様に感じました。本当に楽しかった。でも、やがて早過ぎる変化に付いて行けなくなったのです。私は古びた妖怪に過ぎませんでした。その事実を突き付けられるのが怖くて、現世から逃げ出したんです。なのにまだ未練を残していて、また近付きたくなる」

 普段とは違い、真っ当な言葉遣いだった。あの奇怪な話し方は癖ではなく意図的だったのだ。氷川が普段その様にしている理由は不明だ。心の壁の表れなのかもしれないが、確証がなく宇多には断定出来ない。けれども、今の言葉が氷川の本音であろうことは察せられた。

「私はそういう弱い妖怪なのですよぅ。逃げ癖が付いてしまってるのですぅ。だからねぇ、逆に逃げるのが苦手っぽい宇多ちゃんを羨ましく思うのですぅ」

 氷川の口調は再び普段の間延びしたものへと戻る。宇多は一瞬息を呑んだが、湧いて来た感情とは関係のない言葉を氷川に返した。

「それを自分から言い出せるのは、やはり氷川さんが強い方である証拠ではないでしょうか」

「うふっ、実はそう言ってもらいたくて弱音を吐いてみましたぁ」

 心を気鬱にする闇の中で、朗らかな声が足音共に響いた。

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