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 逃走する不審者を追いながら、宇多と氷川は足場の悪い山道を下る。履き慣れない洋装の靴の弊害もあり、宇多の走る速度は遅い。本性である蛇の姿に戻った方が速いし楽なのだろうが、敵の正体もまだ分からないのに此方の手の内を晒すのは危険と判断して思い止まった。

 宇多は息を切らしつつ前方を走る氷川に話し掛ける。

「犯人でしょうか?」

「今の段階では、まだ何とも言えないですぅ。でも、一方は妖怪ですねぇ。人間に化けてる所為で種族の判別までは出来ませんでしたがぁ……。尾ノ橋さんは何か気付いたこと、ありますぅ?」

 氷川の口調に乱れはない。まだまだ余裕がありそうだ。もしかしたら、本当はもっと速く走れるのに宇多を置き去りにしないよう速度を落としてくれているのかもしれない。

「いいえ、一瞬だったので確かなことは。ただ、彼等の間に霊気の糸が見えた気がします。妖怪の方は使役されているのかもしれません」

 自分で言っておきながら、宇多は話の内容に嫌悪感を覚えた。彼女自身もまた妖怪であるからだ。蛇城家に伝わる術の中にも他者を強制的に操るものはあるが、倫理的な観点から禁忌とされていた。当たり前のことだ。しかし、あの少女はそれをやってしまっている。先程氷川が語った現世の解釈と併せると、社会全体の価値観に問題がある様に感じられた。やはり現世では人間以外の存在は人間の道具でしかないのだろう。

 そうして眉を寄せる宇多とは対照的に、氷川の声は穏やかなままだった。

「成程ですぅ。じゃあ、人間の方を優先的に狙いましょうかねぇ。捕まえて話を聞いてみましょう」

「分かりました」

 宇多はそう返事をし、木々の合間から時折覗き見える逃亡者に意識を集中する。だが、彼女の注意力を削ぐ様に薄紫の色が目の端でちらつく。正体は藤の花だった。

(現世にも藤は咲いているのね)

 落ち着いた状況であったなら少しだけ立ち止まって鑑賞したものを、と宇多は残念に思う。そして、前方の敵への苛立ちを更に強めた。

 理由は違えど、前方にいる氷川も今の状況を不快に思っていた様で、艶やかな唇から愚痴が零れる。

「足が早いですねぇ。妖怪の方は兎も角、女の子の方は何なんでしょう。術ですかねぇ?」

「先に退路を断ちますか?」

「可能なのですぅ?」

「多分」

 宇多は足で枯葉を鳴らし、立ち止まった。その音を聞いて氷川も同様に足を止め、振り返る。次に宇多は髪紐に挿していた藤の簪を引き抜いた。

「蛇城の主は藤に纏わる神、この山に咲く藤を通じて神力をお借りし、不可視の壁で彼等を囲うのです」

「ほほう、グッドアイデアですねぇ。宜しくお願いするですぅ」

 にやり、と氷川は悪戯っ子の様な笑みを浮かべた。班長たる彼女の許可を得て、宇多は頷き「承知しました」と返す。続いて膝を折り、簪を地面に突き刺した。

「それでは!」

 簪の頭に手を添えた宇多は、目を伏せて祈る。ややあって、方々から神気とも妖気とも付かない清浄な気配が涌き出し、瞬く間に山全体を覆った。氷川は唖然として周囲を見回し、然る後に感嘆の息を漏らした。

「流石、蛇城。心が洗われる様な、清らかな霊気ですぅ」

 だが、賞賛の言葉に反して宇多の表情は厳しい。彼女は目を開いて呟いた。

「そういうことか……」

「尾ノ橋さん?」

「氷川さん、眼前の相手は偽物です。恐らくは妖術による偽装――幻影かと」

「ええっ!」

 氷川は慌てて前方を見詰める。少女達の姿は既に木々の中に隠れて見えなくなっていた。しかし、妖怪である彼女には視覚以外の感知能力がある。

「確かに熱を感じませんねぇ。何時の間に入れ替わったのでしょう。兎も角、これは私のミスでしたぁ。済みませぇん……。本物の居場所は分かりますかぁ?」

 宇多は再度目を閉じ、術を通じて山を隈なく探る。やがて対象を発見し、空いている手で彼等の居場所を指差した。

「我々の進行方向とは真逆ですね。少し引き離されました。でも、まだ山の中ですよ」

「だったらぁ、まだ間に合いそうですねぇ。良かったですぅ」

 目を細めた氷川は、傍から見ても分かり易く緊張を緩めた。けれども、宇多は暗い顔でこう告げた。

「氷川さん、神の御許に侍る身であっても、私は所詮一介の妖怪に過ぎません。これだけ大規模な術を使用すれば、妖力不足で身動きが取れなくなります。ですから――」

「分かりましたぁ。私が行ってきますぅ。名誉挽回ですよぅ」

「申し訳ありません。お願いします」

「では、期待して待っていて下さいねぇ」

 氷川は満面の笑顔を浮かべて敬礼し、直後に雪煙へと変じた。それから間を置かず、彼女は疾風如き速さで宇多が指し示した方へと流れていく。この姿になったのは木々に当たっても速度が落ち難いからだろう。実際、彼女は直ぐに目で追えなくなった。宇多は驚嘆しつつ氷川が去った方を眺めていた。

 不意に宇多の身体を異常な寒さが襲う。彼女は呻き声を上げ、身を強張らせた。気を失いそうになったが、簪を握り締めて何とか耐えた。やがて、気温は緩やかに戻る。幸いにも体調の変化は結界に影響を及ぼさず、宇多は安堵の溜息を吐いた。そして考える。

 先程の不自然な冷え込みは、恐らく氷川の変身の副作用だろう。雪に纏わる妖怪である彼女と気温の変動は、切っても切り離せない関係なのかもしれない。この性質は宇多にとっては非常に都合が悪かった。蛇の化生たる宇多は低温に弱い。つまり、氷川が側にいることで宇多の能力に制限が掛かってしまうのだ。ただし、これは宇多だけが一方的に迷惑を被っている話ではない。見方を変えれば、宇多の厄介な体質が氷川の足を引っ張っているとも言えた。

 懸念事項は他にもある。移動速度の差だ。山を下り始めた折「蛇に戻れば」とも考えたが、それでも雪になった氷川には遥かに及ばない。故に、氷川は宇多に合わせて速度を落とさざるを得ない。

(互いに万全の力が発揮出来ない組み合わせだった訳か。しかも、主な原因は私という……。あの古狐、態となのかしら?)

 もしかしたら、がしゃどくろの仮病にも彼の意志が介在していたのかもしれない。果たして狐坂の真意は過分な力を持つ妖怪の制御か、単に新人の鼻っ柱を折っておきたかっただけか、或いは彼女の後ろ盾である蛇城家への牽制か。

 そこで漸く、宇多は今迄曖昧にしか理解していなかった事柄をはっきりと認識する。仮に今回の采配が実家とは無関係だったとしても、蛇城の名を掲げて前に出れば、彼女の手に余る力量の奸物との対峙も避けては通れないのだと。



   ◇◇◇



 逃亡者の片割れ――藍晶は山の気配が変わったのを感じ取って舌打ちをした。

「不味いな。多分、偽装がばれた。しかも、この結界……相手は神に縁のある者か」

「もしかして神使?」

 疲労によって活力を失っていた少女の声が、僅かに勢いを取り戻した。けれども、藍晶は冷たい口調で釘を刺す。

「その可能性もあるってだけだ。会話が出来る相手だとは思わない様に」

「でも今、山は結界で囲われてるんでしょ? 退路は塞がれてる。なら、一か八か――」

 少女は足を止め、鞄から呪符を取り出す。藍晶もつんのめって止まり、思わず叫んだ。

「君の向こう見ずな所、欠点でしかないからね!」

 その時だった。

「ふふっ、追い付きましたぁ。もう逃げられませんよぉ」

 緊張感のない女の声が響くと同時に、藍晶の足が周辺の地面ごと白い霜で覆われて動かなくなった。彼は「げっ!」と声を上げ、傍らに立つ少女は息を呑む。そうして反射的に後退りする彼女の両肩を細く冷たい手が後方から掴んだ。

 手の主は藍晶に告げる。

「動くと御主人様を凍らせますよぅ。それともぉ、貴方としてはその方が良いですかぁ? 私としてはお話を伺えれば、何方でも構わないのですけどぉ」

 少女の背後にいるのは人間の姿をした怪異だ。先程、門の前に現れた妖怪の片割れに違いない。口調こそ甘ったるいが、人外の存在らしく語る内容は冷酷だった。少女は身の危険を感じる。しかしながら、相手の言葉に釣られてつい口から疑問を零した。

「『話』?」

「馬鹿、耳を貸すなって!」

 藍晶は主人を窘めるが、少女も女妖怪も彼の方には意識を向けない。女妖怪は「ええ」と返した後にこう続けた。

「私達が出て来た穴、あれを作ったのは貴女ですかぁ?」

 すると、少女は惚けた顔をした。

「あれは貴女達が空けたんじゃないんですか?」

「え?」

「あ、あれ?」

 短い時間、沈黙が落ちた。やがて、ある程度考えを纏めた女妖怪――氷川夢は少女の肩から手を離し、困惑を隠さず呟いた。

「ええっとぉ……ひょっとして情報の擦り合わせが必要ですかねぇ」

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