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 宇多が新居へ到着した時には、既に実家の使用人達によって荷解きは終わっており、彼女は引っ越し当日から日常生活を送ることが出来た。宇多は恵まれた境遇に感謝し、また年齢に見合わず自立していない己に恥じらいを覚えた。

 ともあれ、その日は各種書類に目を通して終わり、翌朝から手続き等の為に動き始める。暫く世話になる職場だけは縁故採用が理由で実家が手配を済ませてくれており、上司や同僚との対面は凡そ半月後の初出勤日となった。就職先は「大役所」。辻の世界に於ける官府であると共に、都の運営も兼ねた機関だ。

 服装は常識の範囲内で自由と聞いていたので、宇多は辻の世界では一般的で彼女自身も着慣れている和服――蛇城一族は蛇の妖怪だが、動き易さや対外的な印象を考慮して普段は人間の姿に化けている――を纏って家を出る。主たる神と縁のある藤の花に因んだ薄紫色の着物だ。宇多の勝負服で、一種の決意表明のつもりだった。無論、蛇城家以外で藤の花を特別視する者は多くはないだろうから、他ならぬ自己へと向けた行動だ。しかし大役所に到着して、宇多はその選択を激しく後悔した。

 大役所にいる役人達は殆どが洋装であった。そもそも都自体が他の土地に比べて洋服の比率が高いので、よく考えれば事前に予想出来たのかもしれない。宇多は顔を赤くしたが、服を買いに行って着替える時間はない。仕方なく今の身形のまま、彼女は受付に座っている女性役人に声を掛けた。

 今日から大役所で働く旨、所属する部署を伝えると、女性役人は正面に置かれた長椅子で待つよう告げた。宇多は指示通りに座って待つ。

 暫くして、簡素な洋服を身に着けた細目の男性が現れた。男性の外見は二十代から三十代位であるものの、妖気を見るに正体は数百歳程度の妖怪と察せられる。更に言うなら、恐らくは狐の化生であろう。狐妖怪は化かすもの。宇多は無自覚に警戒した。

 相手の強張った顔をどう受け取ったのかは不明だが、宇多が配属された部署の責任者という彼――狐坂明高こさかあきたかという名らしい――は、案内がてら優し気な口調で話をした。

「うちの部署は新設でね。尾ノ橋さん以外は皆、一応何年か役所勤めをしている職員ばかりだけど、ここの仕事に関しては新人みたいなものだから、余り怖がらないであげてね」

「はい」

 宇多は適度に相槌を打ちながら狐坂の説明を聞く。件の部署は大きな建物の隅の方に仮配置されているらしく、辿り着くまでにやや時間を要した。だが、彼女の体感時間はそれより長い。加えてやっていることの単調さが不安を募らせる隙を与え、宇多が嫌な汗を掻き始めた頃、漸く目的地が見えて来た。

「着いた。ここだよ。今の時間だと、どれ位集まっているかな?」

 元より細い目を更に細くさせて、狐坂は扉を開く。中には古びた事務机と椅子が並べられており、その幾つかは既に埋まっていた。狐坂の姿を認めると部下達は疎らに挨拶をし、狐坂もまた「お早う御座います」と返す。続いて、彼は室内を見渡して言った。

「全員は……いないみたいだね」

 すると、席に座って本を読んでいた人型の男性が言葉を返す。

「氷川さんと猫田はもう直ぐ来ると思いますよ。他のいない奴は現場に直行直帰するって連絡がありました」

「了解。じゃあ、二人が来るのを待って朝礼を始めようか。今日は最初に新人さんの紹介をするよ」

「後ろの女性が例の新人さんですか?」

「うん、尾ノ橋さん。仲良くしてあげてね」

 宇多は落ち着き払った態度を装い「尾ノ橋宇多と申します。宜しくお願い致します」と言って頭を下げた。相手は立ち上がり、お辞儀をする。

刃走忠助はばしりただすけです。普段は人間に化けてますけど、一応刀の付喪神です。宜しくお願いしますね」

「申し遅れました。私は蛇の化生で御座いまして」

「知ってますよ。蛇城家のお嬢さんでしょう? 本家の御当主には昔色々と世話になったんです」

 思いがけず蛇城白弥の話題に振れてしまった宇多は軽く目を見開き、身体を強張らせた。自覚は薄いが、彼女の中には本家当主に対する畏怖や忌避感が確実に存在する。彼女は動揺を無理矢理抑え込んだのが分かる声を出した。

「そうでしたか。申し訳御座いません。存じ上げず――」

 宇多の発言は唐突に響いた扉の開閉音によって遮られる。続いて、間延びした「お早う御座いまぁす」と言う声が聞こえてきた。宇多も刃走も入口の方を向く。入室してきたのは、人型の女性と二足歩行をする大きな猫であった。後者は尾が二つに分かれていたので、恐らく妖怪「猫又」だろう。

「お早う、氷川さん。猫田さんも」

「お早うにゃ」

 狐坂に挨拶を返したのは、猫田と呼ばれた猫又だ。動物好きなのか、刃走は恍惚の表情で猫田を見詰めていた。しかし宇多が目を引かれたのは、人間の姿をした女性の方であった。

(何、あの女。本当に役人?)

 氷川と言うらしい女性は大役所という改まった場所から――否、もっと広く辻の世界から浮いて見えた。態とうねらせているのだろう黄褐色の短髪、不自然に艶のある桃色の口紅、服の生地は薄くひらひらと波打っているが、肉体の線が分かり易い意匠だ。宇多は然程現世の風俗に詳しい訳ではないものの、氷川は他の洋装の者達と比べても一際異質に感じられた。恐らくは宇多が今迄出会った中で、最も現代現世に近い装いだろう。

 また、氷川は振る舞いも奇矯だった。仕事場にありながら、畏まった様子を見せない。彼女は足を揃えて椅子に腰を下ろすと、鞄から硝子製の小瓶を取り出し、中に入っていた染料と筆を使って爪を染め始めた。隣席に座る者が苦笑していたので、時代の最先端を行く都においても、やはり問題のある行動なのかもしれない。

 そんな氷川を呆気に取られながら眺めていると、何時の間にか部屋の最前方に位置する机の前に立っていた狐坂が宇多を呼んだ。彼女は慌てて狐坂の隣に立つ。すると、彼は二回手を打って部下達の視線を自分へと向けさせた。

「さて、出勤予定の職員は揃ったみたいだから朝礼を始めるよ。既に話は聞いてると思うけど、今日からうちの部署に新人さんが一人入ります。尾ノ橋宇多さん。親戚の蛇城白弥氏は皆知ってるよね」

 役人達の反応は様々だ。しかし、狐坂の言葉を否定する者は一人もいない。蛇城家の影響力の大きさは宇多も理解していたつもりだが、実際には彼女が思っていた以上であったことに動揺する。

(お父様が私に人脈作りをお命じになったのは、こうした理由か。支持者が多ければ多い程、蛇城家は盤石になる。相手が重要な立場であれば尚更)

 眼前の物事から宇多の意識が離れそうになる。けれども、狐坂が発した不意の問い掛けによって彼女は現実へと引き戻された。

「尾ノ橋さんの専門は白弥氏同様、呪術と神事関連、で良かったよね?」

「申し訳御座いません。神事については余りご期待に添えないかと。当家は正確には神職ではありませんし、手法も独自のものですので、一般的な知識となりますと……」

「ああ、そうか。了解了解。まあ、そういうことです。ぴかぴかの新人さんだから、慣れるまで先輩達は手伝ってあげてね。尾ノ橋さん、自己紹介する?」

 宇多は一瞬戸惑ったが、間を置かず顔を引き締めて正面を向き、声を張り上げて見知らぬ者達に語り掛けた。

「尾ノ橋宇多です。未熟者ですが少しでも皆様に追い付けるよう努力して参りますので、御指導御鞭撻の程、何卒宜しくお願い致します」

 宇多が深々と頭を下げると、疎らに歓迎の言葉や拍手が返って来た。それが治まった頃合いで、狐坂は少し声の調子を変え、話を再開する。

「では、尾ノ橋さん。窓際の列の真ん中に座って。資料を積んである席ね。ちょっと遠い所で申し訳ない。全体の配置はまだ検討中なんだ。ちょっとだけ我慢して」

「承知致しました」

 指示通り、宇多は与えられた席に座る。正面には氷川の背中があった。宇多は少し嫌な気分になった。この女の後ろか、と。何となく彼女とは性格が合わない様な気がしたのだ。

「じゃあ、次の話」

 狐坂は宇多へ向けていた視線を自身の正面に戻した。

「先週から交代で行ってもらってる現世の門の現地調査について。氷川さん提出の起案書が通りそうなので、取り敢えず先に報告しておくね」

「氷川さんの起案書って、現世への出張の件ですよね」

 質問を投げた刃走に対し、答えたのは狐坂ではなく氷川だった。

「そうですよぅ。新人さんもいますから改めて説明するとですねぇ、最近『現世の門』――現世と辻の世界を繋ぐ通路が出現する現象が急増してましてぇ、それに伴って彼方からの漂流者も増えて問題になっているのですよぉ。でぇ、門の調査と対応を今この部署の職員が交代でやっているんですけどもぉ、私はそうなった原因が現世側にあるんじゃないかと考えていてぇ」

 宇多は思わず固まった。氷川の喋り方は舌足らずでのんびりとしたものだった。非常識な見た目も相俟って、相手を小馬鹿にしている様な、或いは媚びている様な印象を受ける。けれども他の者は慣れているのか、誰も宇多と同じ反応はしなかった。

 狐坂は宇多の困惑顔に気付いて苦笑する。

「ご免、尾ノ橋さん。補足説明するね。君の前の席にいる氷川夢ひかわゆめさんは現世生まれの妖怪で、尚且つそこそこ古い家の出身なんだ。で、実はこうした旧家には異界に関する知識が伝わっていることがあるんだよ。氷川さんの御実家も例に漏れずで、彼女は他の妖怪よりも異界間を結ぶ通路について詳しい。その氷川さんが問題となっている門を実際に見て『現世出身の妖怪だけで調査隊を組んで、一度彼方側を見に行った方が良いんじゃないか』って言い出しね。今現在、向こう側へ行く許可を申請している所」

「ああ、成程……」

 それで彼女はこういった様子なのか、と宇多は納得する。氷川はつい最近辻の世界に移住してきたか、頻繁に現世へ帰省しているに違いない。だからこそ、誰よりも真新しく奇抜なのだ。

「本当はある程度戦える職員と行きたいんですけどぉ、まずは彼方側に慣れてる子が良いかなぁって」

「氷川さんは『悪意ある者が故意に門を作っている』という考えなんだね」

「あれはそんな感じでしたよぅ。自然の奥地に元からある境界じゃなくてぇ、何かの術で作られたようなぁ。ううん、その辺は尾ノ橋さんの方が詳しいかもしれませんねぇ」

「私、ですか?」

 宇多の喉を引き攣った声が通る。

(どうなのだろう? 門を作る術が古い妖怪の家に伝わるものならば、蛇城家にも関連する知識が伝わっている可能性はなくはないのかしら? 私には覚えがないから、あるとしたら本家か他の分家だとは思うけど。正式に要請があったら、ちゃんと調べてみるか)

 そう思ってはみたものの、宇多は一先ず否定の言葉を返した。現時点で何も知らないのは事実だし、仕事に関係しているとは言え、自家の秘密をおいそれと他人に明かす訳にはいかない。その反応は氷川も想定していた様で、彼女は「そうですかぁ」とだけ呟いてあっさりと引き下がった。

 狐坂の声が再度室内に響く。

「兎も角上の許可が下り次第、言い出しっぺの氷川さんには率先して現世に行ってもらう予定だから。ちゃんと覚悟はしておいてよ。念の為、遺書でも残しておく?」

「勘弁して下さいよぅ」

「はは、ちょっと意地悪な冗談だったね。まあ、新しい話はそれ位かな。他の人も夫々手持ちの仕事がある筈なので、引き続き其方をお願いします。尾ノ橋さんには資料を用意したから、一通り目を通してね。沢山あるよ。大変だよ。頑張ってね。今日の朝礼は以上です。それでは、今日も一日頑張りましょう!」

 宇多以外の全員が一斉に「宜しくお願いします」と言って朝礼は終わった。役人達は各々動き出し、宇多も指示通りに書類を読み始めた。

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