1-8:「突然の来訪者」
SIDE:蒼井若葉
幸いなことにお隣さんから苦情が来ることはなく、無事に全ての家具の搬入が終わって引っ越し業者さんにお礼を言う。
これが仕事ですから、と笑う業者さんを見送って自室を見回す。
狭い玄関。布団を五枚くらいは敷けそうな広さの部屋。こぢんまりとしたキッチン。乾燥機能付き洗濯機。申し訳程度のベランダ。お風呂とトイレは別。いくら大学と連携しているとはいえこれが月2万円で住めるのは破格。過去の入居者は全員死んでる事故物件とか言われても余裕で信じるレベル。
……そんなことを考えている間に時刻はお昼前。このアパートの先住民にご挨拶をしなくては。
えっと、なにか挨拶の品を持っていかなきゃダメなんだっけ……?
まずい、何も考えていなかった。
なんとなく自宅から持ってきたフェルト手芸に目を向ける。お近付きの印として合っているかはわからないけれど、これしかないと思って一番の自信作の握り拳ほどの大きさのネコちゃんを取り出して家を出る。お隣の部屋にご挨拶するために。
佐藤と書かれた表札のそばのインターホンを鳴らすと、少し時間をおいてから返事が返ってくる。
『……もしもし?』
「初めまして、隣に越してきました蒼井若葉と申します」
突然の来訪者に困惑したような声が聞こえて、少し笑みが溢れる。
そうだよね、こんな時期に引っ越しなんて珍しいよね。
だから、少しでも落ち着いてもらえるように。そして緊張していた自分を落ち着かせるように。
「よろしくお願いしますね」
自分史上最高の笑顔でそう言うのだ。まあインターホン越しなので顔は見えていないけれど。
◆◇◆◇◆◇◆◇
それから佐藤くんに例のネコちゃんを渡すと、すごく気に入ってくれたようで玄関先に飾ってくれるらしい。自信作が褒められるのは素直に嬉しい。私のことを尊敬するって言ってくれたけど……恥ずかしくてそんなことないですよって言っちゃった。
唯一のお隣さんとなる佐藤くんは同じ学部に通っていて、料理がとっても上手で、でも片付けはできない。それがこのお昼の挨拶で分かったこと。
男の子の手料理をもらうことなんて今までなかったから、すっごくドキドキした。というか男の子の部屋に入ったことも初めて。まさか挨拶をしたその日に部屋に上がることになるなんて思ってなかった。
別に嫌だったわけじゃないけど。ドキドキした。
……まあ、部屋に上がってその惨状を見たらドキドキなんてどこか行ったけど。