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琥珀色の瞳

◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 先ほどまで空に満ちていたはずの鈍色(にびいろ)の雲は東の果てに流され、永遠に降るかとも思えた泡雪(あわゆき)はいつしかぱたりと降りやんでいた。蜜柑色に淡く光る三日月が夜空に浮かび、から風に身を震わせながら優しく京の街を見守っている。


 そんな蜜柑月(みかづき)を思わせる琥珀(こはく)の瞳を()め込んだ、どうやら猫らしい生き物が器用にもベンチの背もたれにちょこんと座ってくつろいでいる。彼の瞳には、どこか梟を彷彿とさせる注意深さというか理性のような光があった。彼は長いしっぽを、ゆ〜ら、ゆ〜らと、のんびり左右に揺らしながら、前足をペロペロと舐めてはそれを雪の積もった額に擦り付けている。珍しい雪の感触を存外に楽しんでいるようにも思える。


 いつまでも見ていられる光景に思わず心がほころぶ。窮屈な呼吸と苦しい心拍が、心の雪どけに呼応したかのように優しくほどけていく。猫って、なんておもしろい生き物なのかしら。


「んにゃあ……?」


 こちらの視線に気がついたのか、毛づくろいを終えた猫が私の目を見て、もの言いたげにそう鳴いた。かと思えば、居心地が良さそうだと思ったのか、にゃっ、とかろやかに私の肩に飛び乗った。野良猫にしては人懐っこい子だ。私を心配してくれているのかな。ふふ、まさかね。


「ふふ。くすぐったいよ、猫ちゃん」 


 肩に乗っている猫を反対の手でなでながら私はそうつぶやく。猫はしきりに私の髪に顔を寄せて、スンスンと匂いを嗅いでいる。うちは犬も猫も飼っていないから、なんだかこういうのは新鮮だ。ちなみに匂いを嗅ぐのは猫同士のコミュニケーションらしい。私は猫じゃないんだけど。猫がベンチに降りたかと思えば、私の太ももでふみふみと感触を確かめたあと丸くなって眠り始めた。私からすれば猫たんぽ、向こうからすれば私はさながら人たんぽだ。


 私も、この子みたいに気ままに生きられたら幸せなのだろうか。働きたい時に働いて、休みたい時に休むの。嫌なことがあれば逃げても良い、考えてもみれば、動物としてごく自然な反応なのよ。逃げなければ危険にさらされてしまうのだから。だから、私は彼から逃げて、あの家からも離れて、こうして一人物想いに耽っている。


 だけれど残念ながら、人間ばかりは二重の理由で「逃げる」という選択肢がないこともある。ひとつは気持ちのうえでの理由、もうひとつは環境的な理由だ。人が道なかばの理性を獲得して本能に従って生きることをやめたから、人は悩み、時にダメになることがある。そして、本能は時に人にとって大切なことを教えてくれる。この子の顔が晴れやかであるように。


 私は、もっちりした温もりを抱きしめながら深呼吸してみる。ふと、猫が気まぐれに顔をなでる。また私が呼吸をする。3回、4回、そして楽になるまで何回も続けた。すると、心に微かに残った黒い煙がどこかへふんわりと霧散していくを感じた。


 ふっ、と自然と笑みが溢れた。さっきから私を楽しませてくれる、このマイペースでどこかキュートにも思える猫に対してではない。私の悩んでいることが、不思議と馬鹿らしいもののように思えた。案外、このまま誰にも打ち明けずふらふらと登校したところで、この子のように素知らぬ顔をすれば良いのかもしれない。別に、何か言われても謝れば良いじゃないの。私は両手で胸に手をあてた。温かい。この子とおんなじだ。


 私はふと、空を見上げた。そこには、えも言われぬほどに美しい満天の星空が広がっていた。それらは幾星霜もの時と空間とを越えてその光を地球に届けてくれている。そのなかの一部の星はもうすでに破裂してなくなっているんだそうだ。あの星と同じように、私はこの宇宙に数あるうちのひとつの惑い星(わくせい)に過ぎない。あるいは、星々の跡を追って破裂してしまっていたのかも。だけれど、それらとは違って私には自分の軌道を自分で決めることができる。ガス抜きをすることだってできる。だから私は、惑星同士の衝突を避けられる。避けられる、きっとそのはずだ。私は、たしかにここに根を張って息をしている。心のリズムもたしかにこの手に感じられている。


 その時、誰かを呼ぶ声が遠くの方からこちらに向けて響いてくるのに気がついた。振り返ると、河川敷の向こうから男の子が近づいてくるのが街灯に照らされてやけにくっきり見えた。私は、どんなにひどい泣き顔をしているだろうかと、恥ずかしさのあまり意図せず鼓動が早くなり、またどこか高鳴っているのを感じた。しばらくすると、心なしかどこか幼げに思える少年——といっても、1つか2つ違いだと思うけど——が何かに気づいたかのようにこちらに走ってきた。その少年は頬を赤く染めて、やけに可愛く思えたのを今でも私は覚えている。

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