吾輩の、心強い仲間猫たち
吾輩は、路地を抜け、大通りの横断歩道をひとつ渡った後、賀茂川の河川敷を歩いていた。もう夏も近づいてきたこの街は、蒸し風呂のようにずいぶんと蒸し暑かった。ちなみに、吾輩はお風呂が大好きである。このあたりは岩にあたり跳ねる水や吹き抜ける風、遊歩道に沿って植った木々の影のおかげで、とても心地の良いスペースとなっている。
2年ほども前の話にはなるが、晴翔たちは何やら「高校」という所へ通うことになったらしい。最近の晴翔は、外から帰って来ると、実家の自室にこもって「参考書」というものといつも見つめ合っており、吾輩、にゃんか孤独である。吾輩、参考書を読んだことがないので詳しくはわからぬが、人の世界では己のスキルアップのための難しい本のことを指すのだ、と向かいの家に住んでいる三毛猫の「あんみつ」から教えてもらった。
あんみつは、半月の形をした鋭いまなざしの特徴的なハードボイルド風の仲間猫である。体毛は白を基調として、黒色と橙色がまばらに散りばめたなんとも可愛いらしいデザインである。左眼のななめ上にはバツのような傷がついており、深夜の井戸端会議で訊いた時には、
「この傷か?この傷はなあ、オレが昔恋敵と喧嘩して嫁さんを勝ち取った時についた傷なのさ。お前も漢なら傷のひとつくらいつけるくらいにはなるんだぜ?」
と何やら格好良いセリフを吐いていたが、彼自身、まっすぐな性格も災いしてかあまり強い方ではない。
この街でいちばんに賢くて、物知りで、最も強いボス猫といえば、それはもう彼しかいない。彼はノラ育ちなので、名前はない。そして、親や兄弟もいなかった。なぜなら、カラスにみんなやられてしまったからだ。ひとりで生きて、敵と戦い、獲物を捕まえてはその日暮らしをしていた。
——そしてある時、彼は自分の親兄弟の命を奪ったひときわ大きなカラスが空高く円を描くように飛行しているのを見つける。彼の決断は疾風よりもさらに疾いものだった。彼は、彼だけは、あの飛行の忌々しい意味を知っていた。大切な者を失った彼だからこそ。
「——大丈夫か!お前たち!」
猫語でそう言い放つボスは、たった今にも鋭いくちばしで肉を切り裂かれ、血を垂れ流して命を落とす寸前の猫。その「幻影」すらありありと浮かぶほどのひっ迫したカラスの群れと猫との一方的な闘いに割って入った。背を波打たせ、まるで砂漠のヒョウか何かの如き刹那、彼の鋭い爪が醜悪な黒い鳥獣の瞳を切り裂く。彼らが、ガアガアとけたたましく鳴き、叫んでいる。親の仇だ、これは兄弟たちへの鎮魂の歌だ。そして、名も知らぬ同胞を傷つけようとしたことへの報復だ。
が、次々と集まってくるカラスの群れが大空に漆黒の雨雲を織り成していた。いくら一騎当千の彼でも、その大群には勝てなかった。幾千、幾万にも思えるくちばしと爪が彼の耳を、体を、尻尾を貫いた。血飛沫が公園の草を赤黒く染めていく。が、彼は声を、泣き言をあげなかった。戦って、戦って、戦い続けた。
一匹、もう一匹、さらにまた一匹と黒い塊が地面へばたり、ばたりと落ちていき、空にかかる雲たちはいつしかかなりの数がいなくなっていた。彼があたりを見渡すと、一面には黒の絨毯がまばらにも敷かれていた。
————ああ、ようやく。ようやく、これで終わりだ。コイツらも、なかには諦めて帰った個体もいる。戦いは、もうこれで終わりだ。やった、勝ったぞ。俺の勝利だ。仇を打って、同胞を守って、それで、——それ、で。彼の体から力が抜け、ばたりと倒れる。
あたりまえだ、あれだけ戦って、血を流してきたのがから。あたりまえなのだ。と、その時
カアア゛ァァァァァアアッッ!!
という大きな泣き声とともに、一匹のカラスが宙空から猛スピードで飛来、そして、着弾。ああ、終わった。鋭い衝撃とともに視界が明転する。そして、目を開けると——
——目を開けるとそこには、黒いカラスの亡き骸だけが横たわっていた。目をこらすと、先ほどまで震えて動けずにいた白猫がオレをその尻で踏みつけてカラスの頭をその鋭い牙で貫いていた。その黒瞳からは虹彩が消え失せていた。おまけに、辺りを見渡すと騒ぎを聞きつけて先ほどまで柱の影に隠れていた同胞たちが残りのカラスを始末していた。
「お、まえ……、ら…………」
「良いってことよ、俺のダチの借りは返させてくれよな」
とオレンジ色のキジトラ「みたらし」に続いて、
「さっきから見てたぜ。すまねえ、腰が引けちまってよ」
と、あんみつがハードボイルドに言い放つ。
先ほどから眺めていたのは、別にあんみつだけじゃない。それは、吾輩、にゃあも同じことである。吾輩、前世でカラスにはちょっとしたトラウマがある。それで、カラスと互角以上に戦うボスをただ見ていたのである。が、最後ばかりは見てはいられず全員で一気に飛びかかった、というわけだった。
「あ、りがとよ……」
そう言って失神したボスを、吾輩とその仲間猫の数十匹で背中に抱えあげて、最寄りの動物病院まで連れて行った。以前、仲間の猫がお世話になっていたことがあったのだ。そうして、にゃあにゃあと全員で大合唱すると、驚いて出てきた医師と看護師さんが「これは……!」と言うや、ボスを抱え上げて手術室へと入っていったのである。
その後、ボスは動物病院で1ヶ月ほど過ごした後、無事に野に放たれた。野良の猫たちは、変わる変わる病院を訪れてはガラス越しに見えるボスの姿を確かめる日々を送っていたので、その日、ボスを空き地に案内するや、吾輩たちは飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだった。ボスは、
「やめろや、恥ずかしい。オレはそういうのはガラじゃねえんだよ」
と言っていたが、口角が上がり、しっぽをゆらゆらとさせていたので、どうやらただ照れているだけのようだった。漆黒の、夜空のように美しい毛並みを持つ彼がはじめて、吾輩たちの街の「ボス」と呼ばれた、そんな日の話である。




