吾輩は、「にゃあ」である
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穏やかな風が吾輩の眉と髭を揺らす。実に気持ちの良い朝である。外は心地よく陽が差していて、小鳥たちが青々とした葉桜の木の梢に掴まって何やらさえずっていた。
隣を見ると、晴翔はまだすやすやと寝息を立てている。彼が起きないと朝の飯が出てこない。先ほどから眺めているが、起きる気配がない。週末なので、いつもの光景ではあった。そうしているうちに、吾輩の腹が「ぐー」と鳴る。
こういう時、にゃあは決まって庭に飛び出して、手頃なネズミや小鳥やバッタを捕まえて食すのである。自分の分だけ、というのもなんだか忍びないので、彼にもひとつかふたつ取り分を残してやることが多い。ふだん、タダ飯を食らっているのでその礼である。彼は虫よりも肉の方が好きらしいので、最近はネズミをやっているのだが、先週末、彼の元に持っていくと微妙な顔をしていた。何が不満だというのだろうか。ぷりぷりして、結構、美味いのに。吾輩は、路地を歩きながら頬をぷく、とふくらませる。
晴翔といえば、こんな出来事もあった。それは、ある時いっそイタズラでもして勉強ばかりする彼の気を引いてやろうかと思い、部屋に入ってきた晴翔に飛びかかった際、彼は後頭部を強打して救急車で運ばれてしまった、というものだ。意識を消失する前の最後の言葉は「り、りふ、……じんだ」であった。晴翔が高校2年になってしばらくした頃の夏の出来事である。
吾輩、申し訳なく思って、晴翔の母のカバンにもぐりこんで病室にお見舞いにいくことにした。その時、吾輩、人の波の奥で閉じかかる病室の扉の先に意外な人物を見かけたのである。その後、何度か会いに行こうとして人間の後ろをついていったが、その度に自動扉の前で警備員さんに阻止された。それで、いつしか潜入は断念したのである。が、しかし、病院の近くの歩道に行くことは吾輩の日課となっていった。なぜなら、そこからあの病室が見えたからである。相手は覚えていないかもしれない。けれどあれは、たしかに吾輩の知己である。
ちなみに、吾輩は「にゃあ」である。にゃあ、と鳴くので吾輩の名は「にゃあ」である。深い理由は何もない。
けれど、ニンゲンからは「にゃん吉」と呼ばれている。吾輩が拾われたのは子猫の時で、あの頃は子猫らしく「にゃんにゃん」と鳴いていたので「にゃん吉」と名づけられた。人の世界では「吉」という字には「幸運」という意味があるそうだ。さながら、にゃん吉という名前には「にゃん」と鳴いて幸運を運ぶ存在という期待が込められているのだろう。もしかしなくても、晴翔は吾輩のことを招き猫か何かと思っているに違いない。
なぜ、そんなことが分かるのか。それは、実を言えばこれが1度目の生ではないからである。吾輩、以前はナラという場所に住んでいたのだが、隣町に移動している際、不運に遭って命を落としてしまった。
視界が暗転したその直後、ゆっくりと目を開けると、吾輩はいつの間にか子猫の姿になっていた。その理由は吾輩にもわからない。にゃあ自身、何らかの定めを天から授かったのではとは感じている。けれど、おぼろげながら前回の人生で人の言葉を覚えたので、新たに生まれ変わっても理解することができたというところだろう。
思えば、彼に拾われなければ吾輩はこの儚くてキュートな命を失ってしまうところだった。諸君にも、ぜひ考えてもみてほしい。まず、諸君が事切れるとする。そして、目が覚める。諸君は、ものも言えぬ子猫である。そこでは、死はほかのどんな何よりも重さのないものだった。ああ、思い出すだけでもなんて恐ろしいんだ。
吾輩、いわゆる転生するや曇り空の下でカラスに追い回されたのである。親は、驚くべきことに見えなかった。手足の短かった吾輩は車の下に隠れたり、軒下に身を潜ませたりしながら、デッド・オア・アライブの死闘を余儀なくされた。
彼奴等が人を苦手としていることは知っていたので、吾輩は命からがら、しっぼを丸め人の家へ逃げ込むことに成功した。成功はしたのだが、その家の者はどうやら猫が苦手だったらしい。吾輩を見るや目を赤くしてコホコホと何やら咳き込んでいた。
だが、不思議にも吾輩をなでたあとにミルクと魚をご馳走してくれた。そうして雲が晴れると、何やら狭くて落ち着く箱に移され、晴翔と出会ったあの公園へと連れて行かれた。あの頃の吾輩は、こんなにもキュートな子猫であれば、引き取り手はすぐに見つかるに違いない、と高をくくっていた。けれど、その見通しは甘かった。
1日目、女子高校生と、小学生くらいの子どもたちに囲まれて、めちゃくちゃ触られてしまった。もう1度戻って来た者たちもいたが、煮干しとかソーセージとか、食べるものを置いて帰っていってしまった。あまり腹はふくれなかった。短い爪と小さい体では、アリくらいしか捕獲できまい。
2日目、犬の散歩をしていたおじいさんが通りかかる。「おお、捨てられたのかい。可哀想に」と言って、通り過ぎていった。おい、拾ってくれないのかよ。ま、まあ、おじいさんにも生活があるからな。その後、興味ありげに大人の女性が近づいて来たが、「私のアパート、ペット禁止なんだよね」と言って去って行った。
2日目の夜、雨が降る。喉が渇いていたので、吾輩はそれで喉を潤した。春先とは言え、夜は冷える。体がブルブルと震えていた。すると、街頭に照らされる公園に向かって誰かが駆けて来るのが目に見えた。しばらくして目をこらすと、それは先日の少女だった。彼女は毛布をダンボールに敷いてくれ、おまけに雨がかかっても大丈夫なように傘をかけてくれた。甘い香りのする、小学生くらいの歳の少女だった。
3日目、この日は曇り空で誰も来なかった。だが幸い雨が降ることはなかった。もし降っていれば、そしてあの少女の持ってきてくれた毛布がなければ、吾輩のこの命、再度失ってしまっていたやもしれぬ。彼女は、吾輩にとって命の恩人だった。昨日の雨で飲み水には困らなかったが、食べるものがないのは体にこたえた。
4日目、この日はようやく晴れ間が見え、少しだけ暖かくなっていた。少女が傘を取りに戻って来る際、食べるものを持ってきてくれた。「ごめんね」と言い残し去って行くその背中を追いかけるのもはばかられたので、吾輩はおとなしくダンボールの中で体を丸くした。傘のおかげで、毛布がふかふかしていた。人が時々顔を覗かせたが、引き取り手は現れなかった。
5日目、この日は雲ひとつないような気持ちの良い日だった。が、そろそろ気力も体力も限界を迎えていた。なんていっても、吾輩、貧弱な子猫である。思えば、猫を育てるというのは大変な苦労である。引き取りたがらないのも無理はないのかもしれない。吾輩は、きっとまた天に召されるのだ。今度こそ、偶然繋ぎ止めた命も最後を迎えるのだ。また、美味しいものを食べて、昼寝に耽り、野原で蝶を追い回しては、気ままに生きたかった。今度こそ、人を幸せにしたいと、そう願っていた。だが、もうこれで本当に終わりだ。夢も願いも、この空腹ですら満たされないままに終わるのだ。そう思い、吾輩は雲ひとつない憎くき青空を目を細めて仰いだ。
すると、大きすぎる太陽がそこにはあった。いや、それは太陽の影になっている「丸」だった。そうではない、よくよく見ればそれは1日目に吾輩をなでまわして去って行った少年だった。吾輩が恋しくて戻ってきたのだな、と思った。彼は、あろうことかくるりと背を向けて去って行った。が、吾輩がにゃあにゃあと鳴いてついていくと、チラチラと振り返りながらもギギギ……とぎこちなく歩こうと努めていた。だが、それも限界を迎えたようで、「お前、うちの子になるか」と言ったので、吾輩は産まれたての赤ん坊のようににゃあにゃあと泣いた。その時、吾輩は本当の意味で生まれ変わったのだ。
————だから、吾輩の名は「にゃあ」なのだ。




