理不尽なキャットパンチ
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揺れる頭のてっぺんで、にゃん吉が洋館のカーペットのようにぺたりと薄く腹ばいになっている。あの少女のことがよほど名残惜しいのか、先ほどからずっと来た道の方角あたりに視線を向けている。小さすぎず、また大きすぎることもない彼のお腹は、彼の拍動する生命力と毛皮つきの温もりを伝え、それとともにふわりと品のある甘いユリの香りが鼻腔をくすぐる。
別に、それは彼がおしゃれに目覚めたといわけではない。燕尾服を羽織り、白い手袋を身につけた姿のにゃん吉というのも悪くはないが。そして、朝には「お嬢様、お目覚めですか。朝食とご一緒に、とっておきのダージリンティーをご用意しております」と懸命に仕えてくれるのだ。ともあれ、おそらくこの香りはあの少女の膝でくつろいでいた時につけてきたものだ。ユリのように純真無垢で、飾らない美しさを備えた少女。そう考えると、名残惜しさとともに、微かな罪悪感と緊張感を感じないではない。
考えてもみれば、暗くてあまりよく見えなかったがかなりの美人だった。龍也の奴が無謀にも告白したというのは分からないではなかった。いくら美人だとしても、せめて顔見知りくらいから始めれば妙に誤解されることもなかっただろうに、どうしていきなり勝負したのだろうか。また、後で陽菜と3人で通話した時にでも聴いてみよう。幼馴染だ、なんとなく返事は予想がつくけれど。
それに、陽菜があの少女に敵対的だというのも正直言えばかなり意外な話だ。異性だというのもあって、ちゃんと会って話をしたのは小学校の頃に習い事で通っていた民間のサッカークラブが最後だ。龍也とは中学に進学してからもそれとは別のサッカークラブで一緒にプレイしている。あれから3年も経てば人が変わったとしても不思議じゃないが、彼女の真意もぜひ知りたいところだ。本来、彼女はひかえめな性分だったはずなんだけど、黒髪の少女をにらむとはどういう訳があるのだろうか。
そんなことを考えているうちに、ばあちゃんの家が近づいてくる。自宅はそのすぐ横だから、にゃん吉を届けたらすぐに帰って2人とビデオ通話だ。あの2人なら(意外と素直な性格をしているので)すぐに伝わるはずだ。2人にもきっと、何か複雑な事情があるのだろう。それに、あの子が思い詰めていたのも気がかりだった。
と突然、べしっと衝撃を感じるとともに、眼前が細長い毛布のようなもので覆われ、闇に包まれる。それが取り払われたかと思えば、また打撃とともに暗闇に覆われ、目に毛が舞い込む。仕方ない、換毛期なのだから。そして、相手は猫なのだから仕方のないことなのだ。そのせいで、こうして電柱に頭を強打したとしても。おでこを手で触ると、赤くわずかに腫れていた。……なんだこれ。人も歩けば、だろうか。いや、そんな呑気なことを言っている場合ではない。にゃん吉はいまだに頭にしがみついて、何やらぺしぺしとしっぽをぶつけて抗議しているようだった。が、夜も遅く、自動車にひかれては敵わないので、僕はにゃん吉をがっしりと頭のうえでホールドしたまま、ばあちゃんの屋敷の扉をノックした。




