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また、小桜のつぼみの結ぶ頃に

◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 そこには動揺した表情を浮かべたママが、外套(コート)を羽織り、少しだけ怒ったような様子で腕を組んで廊下に立っていた。帰りが遅くなり、さぞ心配させてしまったのだろう。胸がジリジリと痛み、ひとまわり小さくなった私の心臓がその動きを鈍らせる。


 ————私のために開かれたパーティーだったのだからなおさらだ。廊下は、壁にかかる三角の旗(ガーランド)の紐や、宙に浮いているヘリウム風船などで飾り付けられている。それがママの表情とは対照的で、なおさら私の心を締めつけた。


 彩葉の方はお風呂あがりなのか、その火照った体からは蒸気を立ち昇らせ、頭の両側で赤茶の髪を結んでいる。彼女は、お気に入りのフリルのついた、可愛らしいオレンジ色の寝巻きに着替えていた。彩葉が幼い口を開いて、


「お姉ちゃん、今までどこ行ってたの?ママ、ずっと心配してたんだよ」


 と眉を下げて口火を切った。妹の話によると、さっきまで家の外で私を探してくれていたらしい。私の姿を見るや、妹は安心した様子で自分の部屋に戻って行った。それを見届けると、ママは何事か思案したかのように難しい顔をしたかと思うと、次の瞬間には顔をほころばせて


「心配したのよ、凛花」


 と鋭くも優しい声でそう呟いた。続けて、


「今まで、いったいどこにいたの?凛花に限ってそんなことは絶対にないとは思うけれど、まさか、ママに隠れてわるいこと、しているんじゃ、ないわよね」


 私の携帯に繋がらず、ずいぶんと思い悩ませたのだろう。やや食い気味にそう訊ねる。それを聞いて、私はせきを切ったように涙が溢れそうになる。ママの心の広さと暖かさと、それだけ心配させてしまった後悔とで胸がいっぱいになった。そうだ、ママの言う通りだ。いったい、私は今まで何をしていたのだろうか。こんなに心配させてしまうのなら、最初から素直に打ち明けるんだった。


 でも、後悔先に立たず、覆水、盆に返らずだ。私が逆の立場なら、どんな言葉が必要だろうか。大切な人に何かあったかもしれないと、帰ってこないかもしれないと、そう日常を脅かされて、いったいママはどんな気持ちだっただろう。そう思って私は口を開くと、


「ママ、迷惑かけちゃって、ほんとにごめんなさい。もう、2度と心配をかけないって、約束します」


 目を伏せて、悔恨のあまり無意識に下唇を噛んでしまう。下げた頭をいつまでも上げられないでいる私に向かって、ママは頬をぷくっと膨らませ腰に手をあてて


「反省してるなら、もう2度としないこと!」

 

 可愛らしくも、そう言い放った。


「ほんとに、ごめんなさい……」


「凛花は、素直で優しいからそれで良いのよ。今回のことは、もう水に流してあげる。それに、何か訳があるんじゃない?だって凛花、食事の時に元気なかったもの」


「え、そんな。私、ちゃんと笑顔だったのに」


 それを聞いて、ママは


「笑顔でも。あなたが本当に笑っているのかどうかくらい、ママに見抜けないわけないじゃないの」


 と語気を強めて苦笑する。私は、何も言えずにいた。


「それで、凛花、ほんとに何があったの?ずっと帰って来ないなんて……、学校、行きたくないの?それとも、あそこの高校、通いたくても通えなかったって話したパパとママに遠慮して、受けてくれたの?」


「ううん、そんなじゃなくて……」


 別に遠慮して受けたわけじゃなくて。私はほんとうにあそこに通いたかったの。制服も可愛かったし、あの高校に受かればパパとママも喜んでくれる、そう思って、受けようと思ったんだ。


 ママは、私の決断するのを待ってくれているようで、私の胸のあたりに穏やかな視線を落としている。——私に、あのことがきちんと話せるだろうか。いいえ、きっと大丈夫。だって、私の心にはあの男の子とにゃん吉くんがいるんだもの。


「————ママ。実はね、私……」


 私はぎゅっと唇を結んで笑顔を作ると、お日様の温もりに心の雪が溶けてゆくのにまかせて、勇気と悲哀の言葉を、穏やかな旋律にしてゆっくりと奏で始めた。

 


◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 私が話している途中、ママは口を挟んだり疑問を呈したりすることなく、膝を曲げて正座の体勢で座りながらじっと目を見つめて聴いてくれていた。私が話し終えると、ママは深呼吸して、


「そうだったのね。——気づいてあげられなくて、ごめんね、凛花」


 そう、抱きしめるように言葉を紡いだ。ママはぎゅっと唇を結んで、


「大丈夫よ、凛花。後のことは、全部ママに任せなさい!」

 

 私を安心させようと笑顔でサムズアップする。

 

「ほんとに……、ほんとに大丈夫なの?」


 けれど私は、ほんの少しだけ勇気づけられつつも、その姿に思わず呆気に取られてしまう。だって、そんなに簡単に解決できてしまうのだろうか。と、それを見透かしたかのように


「だって、その川崎くんと加藤さんは、凛花のいう中島晴翔くんのお友達なんでしょ?きっと、彼がなんとかしてくれるわよ。それに中学校は、ほとぼりが冷めるまで保健室登校すれば良いじゃない。明日、パパとママが先生に話をしてあげるから安心なさい」

 

「ママ、ごめんなさい。——ほんとに、ありがとう」


「大丈夫よ。けれど、高校は頑張って行くのよ」


「うん、そうする」


 私は、心からの笑顔を浮かべてそう呟いた。高校なら、加藤さんだけで川崎くんはいない。事前に高校に連絡すれば、クラスを分けてもらえるはずだ。だから私は、あとは晴翔くんとママを信じよう。そう考えていると、まだ玄関の土間に突っ立っていた私に向けて、


「いつまでも玄関にいると風邪引いちゃうわ。もう良いから、こっちへ来なさい、凛花」


 ママが手招きしてそう促す。私は涙がこぼれるのをぐっと堪えて、


「————ただいま、ママ」


 一瞬、ママは目を丸くしたかと思うと、くすっ、と笑って


「————ええ、おかえりなさい」


 そう言って、玄関に一歩進んだ私を、ママはぎゅっと優しく抱きしめる。と、ふと目から大粒の水滴がこぼれ落ちる。そうして私はママの胸に包まれながら、時間を数えるのも忘れてずっと、ずっと温かい涙を流した。その晩、私はママの布団でいっしょに眠った。もう、本当に大丈夫なんだと、そう思えた気がした。


 中島晴翔くん。善良な人。小さくて幼さの残る、私の恋する人。また、小桜(さくらんぼ)のつぼみの結ぶ季節に、私をきっと迎えに来てね。待ってるわ。——いつまでも、ずっと。



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