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6 瑠璃色の宝石

 話はすこしさかのぼる。

 貴族が通う学園は秋に卒業式があり、社交シーズンとなる初夏から秋までは長期休暇となる。

 落第するような成績の生徒は別だが、それは一割にも満たない。学年に百人前後通っている中、多くても十人、いるかどうか。全員が進級、卒業をしている。

 貴族の生まれならば家庭教師をつけて勉強している。二年ほど通う学園は復習と社交の場なのだ。

 私もそれなりに友達を作り地味に人脈を作ってきたが、友人達の大半が『将来は自領地に引っ込むか、無難な相手と結婚してのんびり暮らす』予定で、在学中は高位貴族との婚姻など話題にものぼらなかった。

 のほほんとした雰囲気で仲良くしていたのだが、私の婚約で状況が一変した。

 いや、友達が真っ二つに分かれた。

 半分は『わぁ、すごい、幸せになってね~。たまには連絡してね~』という今までと同じスタンスののんびり派。

 残りは…。

 届いた手紙の数々にため息をつく。

『アリシャ様がバルディ様と結婚できるのなら、私にだってチャンスがあると思うの。誰かいい人、いないかしら』

 こんな感じのことを遠回しに美しい言葉で書いてきていたが、直訳すると『高位貴族のイケメン紹介して』である。中にははっきりと『ルディス様とお話ししてみたいわ』などと書いている身の程知らずもいる。

 皆、私と同格の子爵家か男爵家。

 そこには婚約済のご令嬢も何人か混ざっている。君達、卒業したらすぐに結婚するって言ってなかった?

 まともな男性は婚約者がいる女性に手なんか出さない。

 あと、バルディ様と婚約しただけで、まだ子爵家の娘だ。そう簡単に高位貴族の知り合いなんてできないし、できたとしてもバルディ様がいないと話せない。

 特に男性で適齢期の方達と話す時は気をつけないと面倒なことになる。

 偶然、会ってしまったら挨拶くらいするが、長く話していたら浮気していたと面白おかしく噂される。

 それくらい気をつけないといけないって、みんな、知っているはずよね?

 残念ではあるが、浮かれて手紙を送ってきたご令嬢達とは疎遠になるしかない。

 正気に戻って謝罪をしてきたら、あらためて考えよう。

 友人達をふるいにかけるようなことはしたくなかったけど、無理なものは無理。

 だって公爵家って密偵がいるような家だよ?

 いつの間にか私まで処分されたら、ほんと、笑えないんだから。


 届いた手紙を整理して、リストを作ってバルディ様に渡した。

「学園時代の友人ですが、特別に親しいわけではなく広く浅くのお茶友達です。私の名前を出してご迷惑をおかけするかもしれません。できる限り抑える努力はしますが、手に余る時はよろしくお願いします。

 バルディ様は『わかった』と頷いて、部屋の隅に立っていたメイドさんを呼んでリストを渡した。

 メイドさんが一人、リストを手に部屋を出ていく。

「あのリストはこの後、どうなるのでしょう?」

「社交を取り仕切っている家令に渡って、父と母が目を通し、兄上に渡った後、そういった処理ができる者達に備えておくようにと指示が出る」

 なるほど。

 友達を売るような真似はしたくないが、彼女達がやらかした場合、ダメージを受けるのは本人とその家族。未然に防ぐためには専門家の協力が一番だ。決して丸投げしているわけではない。

「直接、オレ達に声をかけてくるのなら対処しやすいが、裏でコソコソやられると面倒だからな」

「すみません。下級貴族の子達はその辺り、緩い子も多くて」

 じっと見つめられる。

「なんですか?」

「アリシャはうちの密偵達と会ったこと、ないよな?」

「ありませんよ。一度だけ、エメリーのお店でお話はしましたけど」

「子爵家にはそういった裏で仕事をする者はいないのか?」

「はい、いません。聞いたことはないですが、間違いなくいないと思います」

 領地に帰れば緊急時に動いてくれるちょっと危ない人はいるかもしれないけど。どうしても、裏で話し合わないと駄目な時もある。残念ながら。

 そういえばジフロフ子爵は騎士を増やすと話していた。今後はますます繁盛するだろうし、犯罪に巻き込まれやすくなるものね。

「公爵家にはいると確信していたようだが、どこで聞いた?」

「聞いたことはないですよ。ただ…、前世の記憶によれば」

 高貴な方は紫色を持つことが多く、ピンク色の髪をした男爵令嬢は世間知らずのお馬鹿さんで、ヴァイオレット様は『悪役令嬢』と呼ばれている。

 まだピンク色の髪をした男爵令嬢には会ったことがないけど探せばどこかにいるはずだ。

「王家やそれに連なる家に密偵がいるのは、前世では常識です」

「そう、なのか」

「イケメン男兄弟は、大体、二男のほうが武闘派ですしね」

「………そんな決まりまで?」

 当てはまっている男兄弟、何故か多いよね。家を継ぐ関係だろうか。

「決まりというか、出回っている創作物の多くが似た傾向で、似た傾向の中にもそれぞれ独自解釈や展開があって。本だけでなく、とにかくたくさんの物語に触れる機会がありました」

 結果、なんとなく…でわかってしまうのだ。

 もちろん外れることもあるが。

 開けたドアの陰に隠れて密室トリックを作るとか、たぶん十作は見たよね。飾られた絵に証拠を隠すのはそれ以上に多い。額縁の中、絵を外すと隠し金庫、場合によっては描かれた絵そのものが謎解きのヒントとか。ドレスにワインなんて定番中の定番、百作どころかもっとある。

「うちは子爵家で王都の屋敷もそう広くなく、在中している騎士も少ないですからね。密偵の皆さんの見張りがあったほうが安心です」

「生活を覗かれているのに?」

「着替えや入浴を覗いているわけではないですよね?子爵家が良からぬ者と付き合っていないか、外部から攻撃されないか、そういった事を見守ってくださっているのなら感謝しかありません」

 バルディさんは苦笑しながら『やはりアリシャは肝が据わっている』と言ったが、逆です、何が起きるかわからないから護衛は多い方が安心って話です。




 学園の卒業式の日は在校生も参加する立食パーティが開かれる。

 通学中は制服があったが、卒業の日は皆、パーティ用のスーツやドレスで参加していた。

 学生なので露出控えめでシンプルなデザインのものが多い。

 しかし飾りの少ないシンプルな紺色スーツでも、イケメンが着るとキラキラとしたなにかがあふれ出てしまう。

 当日の朝、公爵家の馬車で迎えに来てくれたバルディ様のほうが、私よりも美しかった。

 私、三日前からマッサージやらお手入れやらして、昼過ぎの出発なのに朝早くから支度をしていたのですが。

「ではアリシャ嬢をお預かりします」

 両親が緊張の面持ちで頷く。在校生である弟は私とは別の出発で、やはりバルディ様の存在感に押されて気配を消している。

「アリシャ、私達も夜の部には行くから」

「娘をよろしくお願いいたします」

 バルディ様にエスコートされて馬車に乗りこむ。

 卒業式は二部制で、一部は学園長や生徒代表の挨拶、来賓のお話等。その後、立食パーティとなる。話で一時間、食事で一時間くらい。

 午後一時から三時で第一部が終了し、二時間の休憩を挟んで二部…夜会が始まる。

 一部は学生メインだが、二部は家族や親せきなども来る。

 学園内に作られた大ホールは五百人以上の客を収容できる作りで、私としては『働いている人、何人いれば足りるの?』と余計なことが気になってしまう。

「落ち着かないようだな?」

「そう、ですね。バルディ様のエスコートで参加する初の正式な場ですから」

 にっこりとほほ笑まれる。

「大丈夫、今日も可愛らしいぞ」

 いや、貴方のほうがキラキラしてますから、間違いなく。

「あまり時間をかけられなかったが、揃いの衣装にしたからな。余計なことを言ってくる奴もいないだろ」

「だといいのですが…」

「心配性だな。後ろ向きな考えは、良くないものを呼び込むぞ」

 確かに、そうかもしれない。

 大丈夫、何も起こらない。そう思って、一日、楽しく過ごそう。


 そう思っていたが、私は今、ネモフィラ・セイシェル伯爵令嬢に拉致監禁されそうになっていた。

 一部が終わり、一旦、バルディ様と離れて化粧室へと向かった。昼間で人目も多い時間帯だ。何か起きるわけもない。

 化粧室を出たところで真っ青な顔をした令嬢がいた。

 それがネモフィラ・セイシェル伯爵令嬢。

 歩くのも大変そうで、付き添って親族がいるという控室に向かった。

 けどね。

 卒業式は学園の大ホールで、私達がいるのは学園内。当然、どこに何があるのかわかっている。

 親族や使用人の待機場所ではなく何故か今日は使われていないはずの校舎に向かっている。

 迷ったが、放置して問題と謎が続くより、今日、この場で解決のほうがましかな?

 そっと周囲に視線を巡らせると、チカッと植え込みの陰から何かが反射した。

 公爵家の密偵の方からの合図…とみた、きっと、そう。

 見える位置にはいないが、今日も何人かいる気がする。

 芝居とは思えないほど体調が悪そうなネモフィラ様に付き添って、一階にある空教室のひとつに入った。

 そこで『アリシャ様には夜会が終わるまでここに居てもらいます』と言われた。

 学生用の机と椅子は備え付けで動かせないが、教員用の椅子は動かせる。

 椅子に座るように言われ、はいはい…と座ると、慣れない手つきで私の手と足を縛り始めた。

 ロープって太いし硬いし、貴族令嬢の手に余るものでは?

 思った通り、なかなか結べないでいる。なんとか縛った…と思ったら、ストンと床に落ちた。

「あぁっ…」

 涙目で何度か挑戦し、やっと完成したが、ごめんね。

「やった、縛れましたわ!できたわ!」

 喜んだ瞬間、ストン…と縄が落ちる。

 おとなしく縛られる理由がないので、最初から手首と足首をちょっと広げた状態にしていた。ぴったり隙間なく縛られたら縄抜けできないが、隙間がある上に縛り方もゆるゆる。抜け出すのなんて簡単だ。

 誰だろう、ネモフィラ様にこんなロープ、持たせた人。拘束したいのなら細いリボンで親指だけ縛るとか、もっと楽な方法があるのに。

「ど、どうして…、ロープで縛るのって難しいのですね。どうしましょう、困ったわ」

「そうですね。ご令嬢には難しいかもしれません。良かったら、お教えしましょうか?」

「まぁ、よろしいのですか?是非、ご教授くださいませ」

 いや、ほんと、誰、ネモフィラ様にこの役、押し付けた人。

「では、ネモフィラ様、場所を交代しましょう」

 お手本を見せるから…と両手を揃えて差し出してもらう。

 ネモフィラ様に断りをいれて髪を結っていたリボンをひとつ拝借すると、長さは三十センチくらい。

 手早くネモフィラ様の両手の親指を縛った。

「まぁ、すごい。外れませんわ」

 パァッと可愛らしい笑顔を見せたが、すぐに気がついた。

「ど、どうしましょう、これでは私のほうが監禁されてしまいます」

 グフッ…と廊下から笑い声が聞こえてきた。

 見るとバルディ様とルディス様がいた。バルディ様は苦笑しているが、ルディス様は笑いのツボに入ってしまったようでかなり楽しそうだ。

「見ていたのならもっと早く出てきてください。悪趣味な」

「すまない。兄上に止められて…」

「アリシャ嬢が連れ去られたと聞いたから追いかけてきたのだが…、まったく、全然、足止めすらできていない」

 ネモフィラ様が『ガーンッ』とショックを受けてしまった。涙目で震えている。

「わ、私…、私は………」

 可哀相に。いや、私もちょっと『これ、どうなるのかな?』と思ってついつい、縄抜けとかしてしまったけど。

「ネモフィラ様、ファイユーム公爵家が出てきてしまったらもう隠し事はできません。すべてお話しください。それが…、セイシェル伯爵家を守る唯一の方法です」

 ネモフィラ様は迷っていたが。

「ネモフィラ・セイシェル伯爵令嬢の婚約者はアンガスタ・ハシャイ侯爵令息だが、現在はハリエット・キールベイル男爵令嬢と親密な関係だ。そこにどうファイユーム公爵家とアリシャ嬢が関わってくるのかがわからない」

 ルディス様の言葉にがっくりと項垂れてしまった。


 ネモフィラ様は私よりも一学年下で、うちの弟ネイトと同じ年だった。

 しかし学園は男女が別のクラス分けで、一緒に何か学ぶこともない。そして私自身、ほとんど社交には出ていないため、ネモフィラ様のこともその婚約者のことも知らなかった。

 ネモフィラ様の婚約者、アンガスタ・ハシャイ侯爵令息はハシャイ侯爵家の長男で、バルディ様と同じ年。現在、二十二歳だが仕事はしていない。表向きは父親の仕事を手伝っていることになっているが、領地経営の補佐をするでもなく、ツテを探して王宮で働くでもなく。見た目はそこそこ美男子らしいが、成績はギリギリ卒業できる程度で、剣の腕もない。

「堕落を具現化させたような生徒だった」

 と、バルディ様が言っているので、その通りなのだろう。

「最近はキールベイル男爵家のご令嬢と懇意にしているようだね。鮮やかなストロベリーブロンドの…」

「えっ!」

 バルディ様が大きな声をあげて私を見た。

「ピンク色の髪をした男爵令嬢!これか!?」

 聞かれて、思わず『そうです、それです!』と頷く。二人で『いたのか』『いるんですよ』と頷きあっていると。

「あ~、お前達が仲良しなのはよくわかったから、話を進めていいか?」

 ルディス様に言われてバルディ様が頷く。

「もちろん。聞かなくてもわかるけどな。その男爵令嬢は非常識なお馬鹿さんなのだろう?」

 ルディス様が『おや?』と首を傾げる。

「バルディの耳にも入っていたのか?」

「そうではなく…」

 話が脱線してしまうため、遮って続きを促す。

「とにかく話を進めましょう。あと一時間で夜会が始まります」


 ハシャイ侯爵令息は昔からバルディ様のことが嫌いだった。侯爵家よりも上の公爵家で、文武両道のイケメン。敵うところがひとつもない。

 そう思うのなら自分が頑張れば良いのだが、自身は楽なほう、楽なほう…と逃げてばかりいた。

 しかし小心者でだいそれたことなどできない性格。

 ネモフィラ様はおっとり天然ちゃんだが成績優秀な淑女で、ハシャイ侯爵に『くれぐれも息子を頼む』と何度も頼まれていた。

 政略結婚だと理解していたから、できる限りハシャイ侯爵家の希望に添うようにフォローし続けて数年。

 アンガスタはネモフィラ様をないがしろにしても良い相手だと下僕認定してしまった。

「アンガスタ様はファイユーム公爵令息の事を嫌っているようで、今回、婚約者であるアリシャ様と卒業式に参加され、注目を浴びたことが許せなかったようです」

 なんとか恥をかかせてやりたいが、バルディ様には手が出せない。

 そこでネモフィラ様に『ヒルヘイス子爵の娘を夜会に来させるな』と無茶ぶりした。

 無理です、騒ぎになりますと断ったが、引き受けなければ婚約破棄すると言われてしかたなく頷いた。

 他の人を巻き込みたくなかったので、私が一人になるのを待って声をかけ、今日は使われていない学舎に誘導した。

 お願いします、夜会を欠席してください。

 と言って、私が『はい』と答えるわけもない。考えて、掃除用具などが置かれている倉庫を探し、なんとかロープを見つけた。可哀相だけどこれで縛って、夜会が終わる頃に解放すれば。

 あとは平謝りに謝って…なんて。

 深窓のご令嬢になんてことをさせるんだ。

「ネモフィラ様、まず、これだけははっきりと申し上げておきます」

「は、はい。どんなお叱りでもお受けいたします」

「ネモフィラ様は犯罪者に、向いていませんっ!!!」

 ルディス様がくっ…と、また笑いをこらえた。

「そ、そうなのですか?」

「そうです。事実、ロープで縛ることすらできませんでしたね?」

「えぇ…、ロープがとても硬くて…」

 バルディ様を呼んで、両手を出してもらう。そこにロープをかけて、手早く縛った。

「まぁ、魔法みたい」

「今はバルディ様が動かないでいてくれたので私でも縛れましたが、普通は抵抗されます」

「抵抗…」

「そうです。暴れる相手を制圧して、縛り上げるのです」

「そ、そんなこと…、無理です、怖いわ」

 でしょうねっ。

「運よく、監禁できたとしましょう。しかし、その後も問題が山積みです」

 誰かが捜しにくるかもしれないから、絶対に見つからないように隠し、物音をたてないように口もふさいだほうがよい。

「今から夜会が終わる時間まで…大体、五時間ほどでしょうか。この間、捕まっている人間は食事もできなければ化粧室にも行けません」

 ネモフィラ様が目をパチクリとさせて。

 急にあわあわと顔を赤くした。

「ど、どうしましょう。それは大変だわ」

「そうでしょう。人は飲み物を断たれると弱ります。脱水症状で最悪、死に至ります。死なないように水分をとらせると、当然、お花をつみに行きたくなります。犯人は悪魔のように見殺しにするか、人質の尊厳を守るために準備を重ねるかしなくてはいけないのです」

 コクコクと頷いた。

「私、尊厳は守ってさしあげたいわ」

「でしょう?つまり、こういった犯罪は思い付きでやってはいけないのです」

「そうね、その通りですわ。私、なんて浅はかな事を…」

 泣きそうになりながら言った。

「最近は本当に…ひどいのです。集中力が持続せず、なんだかぼんやりすることも多くて…。アンガスタ様から集中力が増して頭の中がスッキリするからと勧められて飲んでいるお茶も効果がなく…」

 お茶?

 バルディ様達のお顔が険しくなった。そんな怖い顔をしていたらネモフィラ様が脅えてしまいます。

「そのようなお茶があるのですか?私も飲んでみたいわ」

「えぇ、頭が冴えて元気になるお茶だと言われたのですが、私には合わなかったようです。個人差があるのかもしれません」

「ハシャイ侯爵令息からどこで購入されたか聞いておりますか?」

「それが…、私には教えていただけなかったのです」

 だが聞かなくても予想はついている。

 ルディス様が胡散臭い笑顔を張り付けて割って入ってきた。

「ネモフィラ嬢、お茶の残りはありますか?」

「えぇ、自宅にあるはずです。私が飲むお茶はメイドが管理しておりますわ」

「ではご自宅までお送りいたします。そのお茶に興味がありますので、是非、譲っていただきたい」

「お譲りするのはかまいませんが…、父に連絡をいたしませんと驚かせてしまいますわ」

「では私のほうから先触れを出しておきましょう」

 ルディス様はネモフィラ様を自宅に送り届け、セイシェル伯爵か夫人に『簡単に説明して、片付けてくる』とのこと。

 バルディ様と私は夜会に参加するために会場に戻った。




 その夜、誰よりも話題をさらったのはバルディ様ではなく、もちろんボケナスのハシャイ侯爵令息でもなく。

 モブキャラのストロベリーブロンドの男爵令嬢でもない。

 遅れて会場に到着したネモフィラ・セイシェル伯爵令嬢とご令嬢をエスコートしてるルディス様だった。


「オレの記憶違いでなければネモフィラ嬢はもっと地味なドレスを着ていたと思うのだが…」

「その通りです、バルディ様。ネモフィラ様はくすんだ緑色のドレスで装飾品も控えめなネックレスひとつ。それでも大変、可愛らしい方ではありましたが…」

 今は紺色のドレスに薄紫のレース、アクセサリーも品の良いもので揃えられていた。髪も華やかに結われて花粉を処理した百合の花が飾られている。

 ネモフィラ様は『何が起きているの?』というお顔だが、ルディス様は非常に機嫌が良さそうだった。自身もネモフィラ様の瞳の色…、瑠璃色のハンカチを胸ポケットにさしている。

 ルディス様もついに『おもしれぇ女』を見つけたようだ。

「婚約の解消もしていないのに…、いいのかな?」

 私の呟きにバルディ様が『根回しが終わっているのだろう』と答える。

「早すぎないですか?」

「そう言われても…、兄上が根回しもせずにエスコートすると思うか?」

「………しませんね」

「なら、もう根回しも終わって決定事項ってことだ」

「えーっと…、私、ネモフィラ様におめでとうと言えばいいのか、ご愁傷様と言えばいいのか…」

「なんだ、祝福してくれないのか?」

 横からの声に思わず飛び上がってバルディ様に抱き着いてしまった。

「い、いつの間に…」

「いずれ姉妹になるのだから、真っ先に挨拶をしようと思って連れてきた」

「ソウデスカ…」

「いや~、まさか義妹の卒業式で運命の出会いを果たすとは」

「ソウデスネ…」

「あの、私には何がなんだか…、よくわかっていないのですが…、何故、私はドレスを着替える必要があったのでしょうか?」

 そこから?

「自宅まで送っていただいた後、何故か公爵家から派遣されたというメイド達と我が家のメイドに囲まれて、気がついたらまた会場に戻ってきておりましたの」

 引くほどの手際の良さだ。

「大丈夫、君が着替えている間にハシャイ侯爵を呼んで、セイシェル伯爵と三人で話して、婚約の解消は済ませたから。もちろん紅茶も回収済」

「アンガス様と婚約を解消…」

「もしかして、彼と結婚したかった?」

「………、いえ、いえ…、そういったものだと諦めておりました」

 貴族の家同士が結んだ契約に娘が口を出せるものではない。

「あぁ…、今までもいろいろと諦めていたことが多そうだよね。私はその辺り、柔軟なほうだからやりたいことがあれば相談をしてくれ」

「相談…」

「そう。公爵夫人になるとあれこれ制約もあるけど、全部、禁止にしたら息が詰まっちゃうでしょう?」

「公爵…夫人………、はい?」

「早く婚約して、すぐにでも結婚の準備に入ろうね」

「え?」

 首を傾げているところにハシャイ侯爵令息が腕にキールベイル男爵令嬢をぶら下げてやってきた。

 相当、怒っているようで顔が真っ赤になっている。

 ルディス様がいるためおざなりに挨拶をしたが、すぐにネモフィラ様を怒鳴りつけた。

「何をしてる!言われたこともせず、本当に愚図でのろまだな!」

 ネモフィラ様がビクッと顔をかばうように腕をあげた。

「ルディス様、ネモフィラ様は日常的に手をあげられていたようです」

 小さな声で伝えるが、ボケナスにも聞こえていたようで『それがどうした』と開き直る。

「婚約者を躾けていただけだ。その女は愚図だからな」

 ネモフィラ様はカタカタと震えていた。安心させるように抱きよせる。

「もう大丈夫ですよ。心の傷が癒えるのには時間がかかるかもしれませんが、これ以上、傷つけられることはありません」

「アリシャ様…」

「大丈夫です。ネモフィラ様は…、セイシェル伯爵家はファイユーム公爵家の庇護下に入りました。あとの事はルディス様が片付けてくださいます」

 ボケナスが大きな声で『はぁっ!?』と叫ぶ。

「何を勝手な…」

「今回の婚約はハシャイ侯爵とセイシェル伯爵の話し合いでまとめられた。そして二人の話し合いにより、婚約は解消されることになった。おめでとう、君は自由だ」

 ルディス様がにっこり笑って手を振る。

「では、ごきげんよう。二度と会うこともないと思うが、次にネモフィラ嬢の前に現れた時は…、消すからね」

 ハシャイ侯爵令息は舌打ちをして去っていき、そして本当に…、二度と私達の前に現れることはなかった。

 ちなみにキールベイル男爵令嬢はこの間、ずっとバルディ様に色目をつかっていたそうで、それがあまりにも気持ち悪く不快だったようで。

「怖ぇ…、ピンク色の髪をした男爵令嬢、怖ぇ…」

 と震えていた。




 ファイユーム公爵家とセイシェル伯爵家の婚約が正式に整ったのはそれから半月後だった。

 ハシャイ侯爵令息は貴族あるある…で、病気のため領地で静養すると発表された。たぶん、人々が忘れた頃に病死予定。幸い他にも息子がいるようなので、そちらの教育に時間をかけたほうが有意義だろう。一度、曲がった根性はそう簡単に正せない。

 キールベイル男爵令嬢はこれといった罪は犯していない。はしたなく高位貴族の令息に媚を売りまくっているだけ。運よく優良物件を掴むかもしれないし、ハズレを引くかもしれない。

 わざわざルディス様達が時間を割くような相手でもない。

 ピンク色の髪をした男爵令嬢よりもミリアン商会のほうが問題で、さすがにこれ以上は野放しにできないと全国で一斉検挙?査察?が入った。

 販売されている紅茶には中毒性のある葉が混ぜられていて、精神に何らかの影響を与えている。

 アルク・クルハーン伯爵令息は冷静な判断ができなくなり短絡的に殺人を犯した。

 タニア・ジフロフ元子爵夫人は不倫にのめり込み、その後も何が悪いのか理解できないほど混乱していた。

 ヴァイオレット・ラウフィーク侯爵令嬢は怒りの感情を抑えられなくなり、ネモフィラ・セイシェル伯爵令嬢は不安が増幅されて思考を奪われた。

 他にも被害者はたくさんいるだろう。

 まずは販売を禁止して、違法薬物の輸入制限に、罰則。

 難しいことはルディス様達、国の専門機関が調整する。

 私は毎日が平和ならばそれでいい。


「私、お友達と一緒にカフェでお茶するのが夢でしたの。前は…、浮かれた行動をするな、お洒落もするなと止められていて…」

 にこにこと笑っているネモフィラ様は本当に可愛らしい。どんより曇っていた瞳も今はキラキラと宝石のように輝いている。あ~、ほんと、可愛い。立場的には義姉予定だが、妹ができたみたいで嬉しい。

「これからはたくさん、お茶して、お洒落もしましょうね」

「はいっ」

 二人でカフェを出て、馬車に向かって歩き出す。周囲にメイドが二人、護衛は四人もいた。貴族街で危険は少ない。はずだった。

 脇道からナイフを手にした老婆が奇声を上げて飛び出してきた。

 咄嗟にネモフィラ様を背後のメイドに預け、走り出す。

 老婆は真っすぐ私に向かって走ってきていた。私も老婆に向かっていく。

 大丈夫、落ち着いている、やれる!

 というのも、相手は老婆。叫びと気迫は十分だが、動きがめっちゃ遅い。

 老婆は右手に持ったナイフを突き出していたので、左側に避けて、勢いのまま首にラリアットを決めた。そうです、腕を首にひっかけるあの技。

 痩せ細った老婆は簡単に地面にひっくり返った。

「ヨシッ!」

 決まったね。とガッツポーズした横から。

「何、やっているんですか、令嬢がっ。やめてくださいよ、ほんと、非常識な」

 初めて見る細身の男性がどこからともなく現れて、手早く老婆を縛り上げるとひょいと抱えた。

「ほんと、信じられない、二度とやらないでください」

 そう言うと、スタタ…と去っていった。

 え、誰?


 その夜、バルディ様に呼ばれて。

「公爵家の密偵から危険に飛び込むような真似は絶対にやめてくれと、嘆願書が届いている」

 あ~、あの人、密偵だったのか。と、苦笑いすると。

「確かに護身術やら簡単な反撃技は教えたが…、教えてないことまでやるな、あと、逃げられる時は護衛に任せて下がるように」

 珍しく厳しめに怒られた。

 ちなみに老婆だと思っていた女性はミリアン商会に嫁いだジフロフ元子爵夫人の姉で、ミリアン商会で冷遇されるようになったのもミリアン商会の上層部が捕まったのも私のせいだと思い込んでいた。

 そんなわけ、ない。

 一気に老け込むほどの精神的な苦痛は可哀想だと思うが、私のせいではないよね?

 誰だ、そんな嘘を吹き込んだ奴。

「はい、今後、気をつけます…」

「本当に、気をつけるように。これからもこういったことはあるだろうが、毎回、撃退できるとは限らない」

 高位貴族と縁続きになると、嫉妬や逆恨みで巻き込まれやすくなる。

「アリシャのことはオレが守るし、公爵家も護衛をつけている。まぁ…、それでおとなしくなるような令嬢なら、オレも結婚したいとは思わなかったが」

「あぁ、おもしれぇ女枠…」

「なんだ、それは?」

 えーっと、貴族の常識にとらわれない女性を見て、他の女とは違うなって興味をもって…。

「そんな法則まであるのか…」

「いろいろありますよ。義理の母と義理の姉妹との仁義なき戦いとか、イケメン義弟との禁断の恋とか…」

「何故、義理とはいえ母や姉妹と戦う必要がある。弟と恋などしたらとんでもない醜聞ではないか」

「まぁ、そうなんですけど」

 バルディ様がちょっと考えて、それで?と問う。

「アリシャが一番、好きだった物語はどんな話だ?」

 一番、好きな………、え、そりゃ、今ならバル×ルディとか、マークス副団長受とか…、言えない。

 何かを察して『なんとしても聞き出す』といった雰囲気のバルディ様に、『絶対に言わない』と頑張る私。

 そんな私達を見てメイド達が『仲がよろしいようで』と生暖かく微笑んでいる。

 いや、違うから。

 違わなくないけど、違うからねっ。

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