表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

5 折れない桜

 シアン・ジフロフ子爵は妻と甥に不倫された挙句、殺されそうになってしまった気の毒な方だ。

 しばらく怪我で寝込んでいたため、私は会わないままでいた。

 妙齢となった貴族家の女性は必要以上に男性と会わないし、会う時は親族や婚約者が同伴している。

 今回はアフターフォローといった感じで、バルディ様と一緒に子爵家に向かった。


「先日は大変、お世話になりました」

 深々と頭を下げるジフロフ子爵はとても腰の低い紳士だった。お年はちょうど四十歳。すこしぽっちゃりしているが見苦しいというほどではない。温厚な人柄がにじみ出ているとも言える。

 屋敷で働く人達も以前より柔和な表情になっていた。

「甥には労役、妻とは離婚ですっかり解決した気になっていたのですが…」

 事件から三カ月。傷も治り、以前の生活に戻って子爵領の仕事をしている。

 そこに元妻がまた結婚しましょうと突撃してきた。

 当然、断った。

 手紙で断り、門前払いで面会もせず断り、外に出て馬車の前に飛び出してきても…なんとか轢かずに済んだが、危険極まりない。護衛騎士が怒鳴りつけるようにして追い払ったが、まったく諦める気配がない。

「話がまったく通じないのです…」

 疲れた声で言われた。

『違うの、イクスに騙されていたの、本当に愛しているのは貴方だけ、心はいつだってあなただけのものだった』

 呪文のように繰り返される同じ言葉。

 そりゃ、滅入る。

「元妻の突撃に刺激されたのか、親戚連中も動き始めまして…」

 いい人がいるからと毎日のように見合い話が持ち込まれる。

 貴族は見合い結婚というか、親戚や知り合い伝手での結婚も多いが、押し付けられれば断りたくなるものだ。

 バルディ様が『どうしようもないな』とため息をつく。

「そういった輩は放っておくしかないでしょう」

「やはりそうなりますか…」

「残念ながら、私も放置が一番だと思います」

 相手にすると食い下がってきて、ぐいぐいと距離を詰められる。

「それにしても、あのおとなしそうだったタニア様が…」

「彼女はもう後がないですからねぇ」

 捨て身の人間は怖い。そして失くすものなどないから強い。

 何か良い方法はないかと考えて…。

「そうだ、タニア様と親戚達はどうにもできませんが、気分転換にちょうど良い知り合いがいます」

 エメリー・リヒーヤ男爵令嬢は私より五つ年上で、界渡りの隣人つながりで知り合った。今でも時々、お茶をする仲だ。

 二十三歳独身で服屋を経営している。貴族令嬢としての身分はほぼ捨てて、結婚に関しても完全に諦めていた。

「エメリー様は結婚願望がまったくなく、ファッションに関しては前世の知識もあり革新的なのです。きっと良い刺激になると思います」

「そうですか。商店を自身の目で見て歩くのもたまには良いかもしれませんね」

「ただ…、子爵様だと知られると恐縮して本音で話さないかもしれません。身分は隠し商人として紹介しますがよろしいですか?」

「もちろんです。私は普段から商人みたいなものですからね」

 バルディ様がちょんちょん…と私の腕をつつく。

「オレも身分を隠した方がいいか?」

 思わず子爵を見れば、子爵が首を横に振っている。ですよね、私も無理だと思います。

「バルディ様は私の婚約者として紹介します」

「そうか」

 パッと明るくなる。

「そうだな。婚約者だからな」

 それに、隠そうと思っても隠し切れない何かが滲み出ている。

 ジフロフ子爵はそのへんで商いをしている商人のおじさんに見えるが、バルディ様は下級貴族でも違和感がある。

 こんな迫力のある美形、平民や下級貴族の中にいるわけがない。

 店の定休日は聞いていたので、三人の都合がつく日に一緒に行くことにした。




 エメリーは前世の記憶持ちであるが、私と同じく『これといってプラスもマイナスもない』平凡カテゴリーのお仲間だった。

 積極的に仲間を探していたわけではないが、お茶会などに参加すれば顔を合わせることもある。

 たまたま知り合い、同じ『日本人』前世でもあったのですぐに仲良くなった。

 黒髪の色白美人で私より小柄だが、とにかくパワフル。黙っていると清楚でおとなしそうに見えるが、親しくなった相手には遠慮がない。

 ハキハキと話すし、迷うことも立ち止まることもほとんどない。

 将来のこともすぐに決めてしまった。

「前世ではショップ店員で服を売っていたの。だから似た仕事をしようと思って」

 結婚はしないと言い切っていた。

 結婚できなくもないが、事情があって良い条件では嫁げない。それならば自立すると商売の勉強をして小さいながらも店を経営していた。

 店の名は『サクラ』。前世ではお馴染みの桜の花が看板に彫られている。

 取り扱ってる小物も桜をモチーフにしたものが多かった。こちらの世界ではまだ桜を見たことがないのだが、探せばどこかの国にあるのかも。

「エメリー、こんにちは」

「いらっしゃ…」

 カランコロンと店のドアにつけられたベルが鳴る。エメリーが愛想笑いを浮かべていたが…、バルディ様を見て目を丸くした。

 すぐに我に返り、私の腕を引いて顔を近づける。

「なんて生き物、連れてくるの。あれは庶民の店に入れちゃダメな高貴なお方よ」

「そう言われても…、婚約者を紹介しようと思って」

 少し考えて思い出す。

「そういえば公爵家の二男と婚約したって言ってたわね」

「そうなの。ファイユーム公爵家のバルディ様。なんだか流されるままに婚約者になっちゃったの」

「あぁ…、そーゆーとこ日本人っぽい、ノーと言えない日本人」

「ニホンジンってどういった意味だ?」

 バルディ様が割って入ってきた。

「紹介しますね。お友達のエメリー・リヒーヤ男爵令嬢です」

「お目にかかれて光栄です。家名は捨てたようなものなのでエメリーとお呼びください」

「エメリー、あとね、紹介したい方がいるの。生地問屋のスタンリー様」

「どうも、ジフロ子爵領で生地問屋を営んでおります」

「ジフロフ子爵領!?」

 エメリーが目を輝かせた。

「あの、素晴らしい生地の数々を生み出しているジフロフ子爵領!素敵!名前を聞いただけでもときめくわ」

「それほどですか?」

「それほどですよ、しかもっ、ジフロフ子爵領は端切れの販売もしているのですよ。とっても良心的。そのおかげでうちのような小さな店でもジフロフ子爵領の布を使えます」

 服を一着、すべてで使えば高くつくが、部分的に使えば値段を抑えられる。

「そんな使い方があるのですね」

「小さな端切れでも無駄にしません。くるみボタンに使ったり、ポケットや襟のアクセントにしたり」

「素晴らしい。是非、詳しくうかがいたい」

 二人でああでもない、こうでもないと話し始めた。生地や服の話なので、バルディ様と私は店の隅に寄る。

「二人とも楽しそうですね」

「そうだな。煩わしいことを忘れて気分転換になると良いが」

「本当に」

 すでに十分、ひどい目にあっている。

「望まない見合いの押し付けや、好きでもない相手からのアプローチはうんざりするほどうっとおしい」

 実体験ですね。婚約した今でも見合いが持ち込まれていると聞いている。

 私が子爵家だから侮られているのだ。

「早くアリシャと結婚したいな…」

 ボソッと呟かれて、いや、早い、どう考えても早い。まだ半年もたっていない。不意打ちはやめてほしい。

「最近、よく赤くなるな」

「誰のせいだと…」

「オレのせいか」

 なんでちょっと嬉しそうなの、ほんと、ヤダ。

「少しは自重してください、エスカレートしたら心臓がもちません」

「そう言われても…、オレは兄上と違い、貴族的な物言いが下手だからな」

 あれはあれで難ありだ。そんなに何度も顔を合わせたわけではないが、ルディス様は間違いなく腹黒い。

 私のような小心者だと深読みしすぎて疲れてしまう。

「ルディス様のようになられても困るので、そのままのほうがいい…かも」

「だろう?兄上は凄いと思うが、何というか…、弟のオレから見ても胡散臭い」

 顔立ちは似ているがまったく違う。

 最初の頃はどっちも嫌だと思っていたのにな。

 視線の先ではまだエメリー達が盛り上がって話している。しばらく終わりそうもないなと思っていると、入口の戸が開いた。

「エメリー、頼まれていたもの、買ってきたぞ」

「リッカルド、ありがとう」

 エメリーよりも少し年上に見える青年が抱えてきた荷物をカウンターの上に置いた。

 チラッと子爵を見て鼻で笑った。

 え、何、なんで?

 ふふん…と得意げな顔をしながら店内を見て、私達に気づいた。今度はぎょっとした顔のあと、悔しそうというか不機嫌になった。

 まさかと思うけど、子爵を見て『勝った』と思い、バルディ様を見て『負けた』というか不機嫌になっちゃったわけ?

「この人達、お客さん?」

「ううん、友達とその婚約者さん。あと、ジフロフ子爵領の生地問屋さん」

「へぇ。エメリー、ジフロフ子爵領の生地、欲しがってたもんな」

「そうなの。素敵な生地が多くて、今もこの夏の新作を教えてもらっていたの」

 子爵はリッカルドと呼ばれた青年の微妙に失礼な態度は気にならないようでにこにこと笑っている。

「ふぅん。ま、騙されないように気をつけろよ」

「ちょっと、リッカルド。失礼なことは言わないで」

「心配してんだよ。それにいい生地ならミリアン商会に頼めばいいじゃん。向こうから取り引きしてほしいって言ってんだからさ」

 ミリアン商会?

「うちはそんなに手広く商売できないの」

「だからオレが手伝うって。ミリアン商会ならツテがあるしさ。ほら、この間、渡した紅茶だっていいものだったろ?」

 エメリーは曖昧に笑った。

「とにかくもう少し考えてみるわ」

 リッカルドは『絶対にだぞ。ちゃんと考えてくれよ』と念押しをして店を出て行った。

 そっとバルディ様を見上げると、バルディ様も私を見ていた。

 小さな声で言う。

「紅茶は回収だな」

「ですよね。飲んでないといいのですが…」

 ミリアン商会の紅茶って、嫌な予感しかしない。今回は物騒な話にはならないはずだったのに。

「スタンリー様、申し訳ございません。幼馴染で様子を見に来てくれるのですが、時々、態度が悪くて。叱ってはいるのですが…」

「いえいえ、気にしておりませんよ。良い友人をお持ちですね」

 良い友人…かなぁ?バルディ様がさらに小さな声で『アレは駄目だろ』と。

「あの男も調べた方がいいな」

 やっぱりか。残念ながら、私もそう思います。

 誰がどうやって調べてくれるのか気になってしまい、そっと聞いてみると。

「公爵家で何人か雇っている」

 そっか、公爵家ならいるよね。密偵とか暗部とか呼ばれている方々。

「ちなみにアリシャの家の事も調べているぞ」

「当然ですよ。むしろ何も調べずに婚約しよう、なんて言ってたとしたら、この公爵家、本当に大丈夫かなと心配になります」

 いっそ問題ありとなってくれたら婚約から逃れられたのに…、うちは博打などせずに安全、確実なコツコツ経営をしている。貧乏よりではあるが赤字なわけではない。収入に合わせた慎ましやかな生活を送っているだけ。

 寄親であるアルバリー侯爵家も侯爵家の中では地味な中立派だ。

「びっくりするくらい何もなくて、調べた者達がつまらないとボヤいていた」

「面白かったら、大問題です、やめてください」

 視線の先では子爵とエメリーが楽しそうに話している。

 ジフロフ子爵の気分転換のためだったが、エメリーの商売にもプラスに働くといいなと思っていた。

 ちなみにエメリーは貰った紅茶を棚の奥にしまいこんでいた。

「この世界では紅茶が主流だけど、私は緑茶のほうが好きだから、ちょっと高いけど取り寄せているの」

 お呼ばれした時は皆と一緒に紅茶を飲んでいるが、家では緑茶一択。

 そっか、そっか、緑茶派か…、とりあえず私にもその緑茶、譲ってください、お願いしますっ。




 それから一カ月、ジフロフ子爵はエメリーと親交を深めていたようで、バルディ様に報告したいことがあるからと面会の申込があった。

 私にも同席してほしいそうで、二人でジフロフ子爵邸を尋ねると、エメリーに結婚を申し込みたいと言われた。

「私はエメリー嬢よりも随分と年上ですが、できれば…と考えております。どうでしょう?」

 二人、めちゃくちゃ話があって、会話も弾んで、ジフロフ子爵ってば週に二度、三度とエメリーの店に通っていたものね。エメリーからも聞いている。

 なくはなかったか。

「オレはそう悪くない話だと思うが…、エメリー嬢のほうはどうなんだ?」

 エメリーには兄と姉が居て、男爵家とはほぼ縁を切っている。兄姉とは連絡をとっているが両親とは不仲だった。

 両親が前世の記憶を持つ娘を受け入れられなかったのだ。

 うちは大丈夫だったけど、たまに駄目な家もあると聞いてはいた。突然、わけのわからない事を話し、この世界とは異なる常識を持ち出すのだ。

 私も独り言、多いしね。子供の頃はもっと多くて、事情を知らなければ不気味に思えただろう。

 ただ不仲だと言っても憎みあっているわけではない。エメリーが困らない程度には金銭的援助をしてくれたと聞いた。

 問題は実家よりもエメリー本人にある。

「子爵様を信じて先にお伝えしますが…、エメリーの背中には大きな傷痕があります。本人は隠しておりませんが…、貴族令嬢として致命的とも言える大きな傷です」

 六歳か七歳頃の話だ。男爵領で近所の子供達とともに遊んでいる時、大怪我をしてしまった。

 遊んでいた時に男の子に突き飛ばされ、倒れた先に折れた木の枝があった。

 運悪くざっくりとやってしまい、すぐに手当を受けたが消えない傷痕として残ってしまった。

「肌に大きな傷痕があるとどうしても嫁ぎ先の条件が悪くなってしまいます。そのため、実家を出て商売人として生きると決めたのです」

 ジフロフ子爵は『傷痕があったとしても気にしません』と言い切った。

「人柄に惚れたのです。もちろん、その、大変美しい女性だと思っていますが、服飾に関する知識、柔軟な発想など尊敬できる点も多くあります。しかし…、私は彼女よりも随分と年上だ。ふられたら付きまとうことなく、代わりの生地問屋を紹介してすっぱり諦めると誓います」

 そういったことなら…と、改めてエメリーに連絡をいれた。




 お見合いというほどでもないが、王都にある少し洒落たレストランを予約して改めて四人で会った。

 バルディ様が予約の手配をしてくださったので高級レストランで個室だ。

 エメリーの横に私が、子爵の横にバルディ様が座ったことで察した。

「もしかして…、お見合い?」

 困ったように笑う。

「無理よ、私は傷物だもの」

「いえ…、その、申し訳ない。改めて自己紹介をさせていただく。私はシアン・ジフロフ。現ジフロフ子爵領の当主をしております」

「えっ?子爵様!?」

「飾らない言葉でお話を聞きたかったので、身分を偽りましたが…、婚姻の申込をするのに隠したままというのは不誠実。エメリー嬢が何か問題を抱えているのなら一緒に解決策を探し、そして是非、私の妻になってほしい」

 エメリーは『えっ、は?、えぇっ…』と慌てていたが、嫌がっている感じではなかった。

「あ、あの、でも…、私の背中には大きな傷痕があって…」

 折れた木の枝でざっくりとやられたせいで、引き攣れたような傷が残っていた。

「そうですか。私も先日、頭を丸太で殴られたせいで傷が残り大きなハゲができておりますよ」

「頭を、丸太で…?」

 視線で『どういったこと?』と聞かれたので、簡単に事件の顛末を話す。

「それは、なんというか、大変でしたね」

「結婚など二度としたくないと思いましたが、エメリー嬢と話すうちに気が変わりました。私は毎日、貴女と話をしたいし、一緒に商品を開発し、新しいドレスや服、新しいファッションを世に送り出したい」

 エメリーは戸惑ってはいたが、前向きに考えていることはわかる。嫌だったら即、断っている。

 それでも即決は難しい。『両親に相談してからとなりますが…』と前置きをした上で、お受けしたいと答えた。


 子爵は離婚歴があるといっても妻の浮気でのことだし、領地経営も安定している。

 年上と言っても、貴族では許容範囲内。結婚しないと宣言していた末娘の嫁ぎ先としてはかなり好条件だ。特に経済的なものと、子爵の人柄。

 気が変わらないうちにとすぐに婚約の手続きに入った。

「驚くほど話が早く進んでビックリよ。久しぶりに両親に会ったけど、初めてってほど機嫌が良くて笑っちゃった」

「二人を結婚させようと思って引き合わせたわけではないけど、結果的にうまくいきそうで良かったわ。子爵様、本当に疲れてらしたから」

「シアン様の元奥様がつきまとっているのでしょう?ちょっと見てみたいかも」

「う~ん、見た目だけなら儚げ美人だったけど…」

 人の話を聞かないから疲れるのよね。

「お店はどうするの?」

「一旦、閉めるわ。子爵夫人になるのならその教育もあるだろうし…。シアン様は無理しなくていいと言うけど、そうもいかないでしょう?」

「社交界に出ないとドレス、宣伝できないものね」

「そうなの。どうせならバンバン、売りたい」

 エメリーの店で話しているとジフロフ子爵がやってきた。今夜は四人で食事をする予定だ。

「お待たせしてしまいましたか?」

「いいえ、バルディ様がまだですよ」

「ではその前に…、エメリー嬢、こちらを」

 抱えていた包みをテーブルに置いた。

「淡いピンク色と聞いていたのですが、いかがですか?」

 美しい光沢をもった桜色の生地が出てきた。手触りも滑らかだ。

「きれい…、イメージ通りの色です」

「桜色ですね。もしかして、これで結婚式のドレスを作るの?」

「そうなの。結婚願望はない。と言いつつ、する時は桜色がいいなって。着物みたいなデザインにしたいの」

「エメリーは黒髪パッツンだから似合いそう」

 話しているとドアが開いた。バルディ様かと思ったらリッカルドとタニア夫人だった。

 どうしてこの二人が一緒に?

 疑問に思ったのは一瞬で、すぐにエメリーと子爵の腕を引いて店の奥へと飛び込んだ。ドアを閉める。簡単な鍵しかついていないため押えていないといけないが、そこは三人で頑張るしかない。

「どうしたの、アリシャ?会ったこと、あるでしょう?幼馴染のリッカルドよ?」

「覚えているけど、今はドアを押さえて。一緒にいたの、元子爵夫人だから」

 エメリーの幼馴染も私の中では要注意人物だ。

「えっ?」

「儚げな雰囲気美人だけど、中身は…狂人だから」

 子爵が『私が体重で押えます』とドアの中心に立ってくれた。

 そのドアがバンバン叩かれている。

『エメリー、大丈夫か?ここを開けてくれ!』

『あなた、開けて。私よ、ねぇ、一緒に家に帰りましょう』

『おいっ、開けろっ、開ーけーろーよー!』

 二人がごちゃごちゃ言いながら、ドアを叩いたり蹴ったりしている。

 エメリーが尋常ではない何かを感じ取って、狼狽えながら子爵と私を見る。

「ど、どうしよう、助けを呼ぶ?」

「ううん、外に出ないで籠城していれば大丈夫。うちのメイドと護衛がいるもの」

「私の護衛も外で待機しています。元妻を見かけたら救援を呼ぶ手筈になっております」

 エメリーが感心したように言う。

「そ、そっか、子爵様本人が護衛もなくふらふら歩き回らないものね」

「私も一応、公爵家の婚約者だから、実家の護衛とは別に公爵家からも誰か来ていると思う」

 確認してはいないが、バルディ様がリッカルドを調べると言っていたから、いるんじゃないかな。

 と、思っていたら店のほうから『誰だ、てめぇはっ』というリッカルドの怒鳴り声と夫人のヒステリックな悲鳴が聞こえた。

 エメリーは脅えていたが、子爵と私は逆にホッとしていた。思った通りすぐ静かになった。そのままシーン…と。

 リッカルドの声はもちろん、人が動く音も聞こえない。

 ドキドキしながら待っていると。

「ヒルヘイス子爵令嬢、ご無事ですか?」

「は、はい、無事です。片付きましたか?」

「えぇ、片付けました。もう出てきても大丈夫ですよ」

 良かった。三人でそろりと店に戻ると誰もいなかった。

 お、おぅ、さすが公爵家の密偵さん達、優秀だ。

 ホッとしているとジフロフ子爵家とうちの護衛が『大丈夫でしたか?』と顔を見せに来た。

 大丈夫、たぶん大丈夫でないのはリッカルドとタニア様。

 なんとなく察してる子爵と私だが、エメリーは慌てている。

「いや…、ちょっと、何があったの?リッカルドもいないし、どうなっているの?」

 本当にねぇ、どこに連れていかれたのかなぁ、あはは。




 笑って誤魔化すには無理があるため、ジフロフ子爵とエメリーを公爵家にご招待した。

 ここが一番安全で、話が外に漏れる心配もない。

「まずタニア・グースの話から」

 バルディ様が調査書類を見ながら話し始めた。

 元子爵夫人の実家は準男爵であるグース家で、領地を持たない家だった。離婚によりジフロフ子爵家からの援助も止まり、かなり厳しい生活をしている。

 出戻りの娘なんてただのお荷物でしかない。

 実家に居るととんでもない家に嫁ぐことになりそうで、ジフロフ子爵に助けを求めてやってきた。

 断られてもいい感じに脳内変換をしていて、子爵は照れている、素直になれないだけ、今はちょっと拗ねているのね、うふふ。みたいな?

 ジフロフ子爵の動向を伺っている時にリッカルドに声をかけられた。

『あの冴えないおっさんがオレの女にちょっかいをかけて迷惑している。おっさんを引き取ってくれるなら協力するぜ』

 エメリーがぶんぶんっと首を横に振った。

「そんな事実は、一度もないです」

「そうだな。だが…リッカルドは酒場で酔うとよく言っていたそうだ」


 貴族令嬢を傷物にしてやった。アレは傷があるせいで嫁にはいけないからオレがもらってやるんだ。


 エメリーが一気に顔色を悪くした。

 横に座った子爵がエメリーの手を握りしめる。

「無理に聞かなくても…、私が代わりに聞いておくよ」

「い、いいえ、いいえ、聞きます。聞かないといけない気がします」

 リッカルドは幼い頃からエメリーのことを気に入っていた。しかし相手は貴族で自分は平民。結婚できないと言われ、ではどうすれば結婚できるのかを調べた。

 普通は自身が功績をあげて爵位をもらうなり、社会的地位をあげようと頑張るものだが、リッカルドはエメリーを落とすほうを選んだ。

 偶然を装って怪我を負わせたのだ。

 事件が起きた時、エメリーは『わざとではないのだから』と笑顔で許した。リヒーヤ男爵家の人達もまさか幼い子供がそんな残忍な真似をするはずがないと、謝罪だけで許した。

「なんてことを…」

「エメリー嬢、大丈夫かい?少し休ませてもらおうか?」

 子爵が優しく話しかける横で。

「リッカルドに一発、蹴りを入れても怒りがおさまる気がしないわ。ボッコボコのボコにしてやりたいっ」

 あぁ、うん、気持ちはわかる。

「エメリー、それは未来の子爵夫人としてアウトだから我慢して」

「信じられない、つまり、長年、私達家族を騙していたということ?」

「その通りだな。使い分けていたようだ」

 バルディ様が調べたところ、リッカルドはあちこちで詐欺まがいのことをしていた。

 好青年のふりをしてターゲットに近づき、ふところに完全に入ってからお金を巻き上げる。

 二枚舌、三枚舌…、仲間内では『十二枚舌のリッキー』と呼ばれていた。いくらなんでも舌が多すぎる。

 ギリギリ犯罪にならないような手口だったが、今回は公爵家が調査してそれなりに証拠を集めている。

「王妃様よりジフロフ子爵が事業に専念できるようにと頼まれている。タニアは実家も引取を拒否しているので、修道院に収監する」

 女子刑務所相当の修道院があると聞いたことはある。ちょっと精神が病んでいるので二度と外に出さない方がいいだろう。

「リッカルドも詐欺罪で投獄して問題ないか?」

 エメリーは少し考えた後、頷いた。

「悔しいけど…、私の怪我は子供の頃の話で、酔った勢いで話を盛ったと言われればそれまでです。皆様にお任せします」




 リッカルドは立件できた詐欺罪で牢屋に入れられたが、どれも重い罪ではなかったため半年ほどで出てきた。

 すぐにエメリーの店に向かったが、店はなく、エメリーの行き先もわからなかった。

 リヒーヤ男爵家に向かっても教えてはもらえず、それどころか『二度と顔を見せるな』と追い払われた。

 哀れに、ただエメリーのことを心配しているだけの幼馴染を演じたが通用しなかった。

 知らなければ絆されてしまうところだが、エメリーに近い人達には本性を知らされている。

 リッカルドは諦めることなくあちこち歩き回り、やっとジフロフ子爵家に嫁いだと突き止めた。結婚準備のため王都ではなく子爵領にいる。

 すぐにジフロフ子爵領に向かい、接触できるチャンスを待った。

 牢屋に半年くらい放り込まれた程度では腐った性根が治るはずもなく、舌先三寸で相手を丸め込み、小金を巻き上げて暮らした。何故かギリキリ生活できる程度の少額しか騙し取れなかったが、今までも調子の悪い時があった。

 それよりも、あと少しでジフロフ子爵の結婚式だ。

 当日は夫妻が外に出て、領民と触れ合う機会がある。

 まだエメリーに会うチャンスはある。優しい女だから、会えば幼馴染を見捨てたりしない。子爵家で雇ってもらえないか頼んでみるつもりだ。

 リッカルドは酒場でそんなことを話していたが…、その夜、酒場で起きた喧嘩に巻き込まれて命を落とした。喧嘩騒ぎがおさまった後、椅子に座ったまま事切れているのが発見されたのだ。

 心臓にナイフを突き立てられたようだが凶器は残っていない。目撃者もいない。酔っ払いの喧嘩で平民が一人死んだだけ。

 リッカルドの死は未解決事件として片付けられ、エメリーの耳に入ることもなかった。




 王都で開かれた子爵家の披露宴にはバルディ様と私も招待された。

 エメリーが来た桜色のドレスは変わった形をしていたが本人に良く似合い、披露宴後は問い合わせ殺到、間違いなしだ。

 ご令嬢達の反応もいいし、肌の露出が少ないためご年配の方々にも意外と受け入れられている。

「あれは前世の民族衣装を元に作られているのです。体に凹凸があまりない方でも似合うし、色柄を工夫すればどういった年代の方にも着られるのですよ」

 バルディ様に説明をすると。

「アリシャにも一着、作ってもらおうか?」

 普段なら遠慮するところだが、今回は野望というか欲望がありのっかることにした。

「ではお揃いで作りませんか?着物は男性用もあってとっても素敵なんです」

 イケメンの和装、見たいに決まっている。子爵とエメリーに挨拶に行った際、作れないかと聞くと。

「待って、待って、待って、ファイユーム公爵子息に着ていただくなんて…」

「無理かな?」

「引き受けるに決まっているじゃないっ。そうだ、シアン様の着物も作りましょう。今回はドレス風にアレンジしたけど、きっと着物も素敵だと思うの。シアン様が着るのなら羽織や小物も揃えて、帽子もあったほうがいいわ。あぁ、今すぐ帰って、スケッチしたい」

「そうだね、でもまだ挨拶が残っているから我慢しようね」

「そ、そうね、そうですね、すこし落ち着くわ」

 ふぅふぅ…と深呼吸している。

「エメリー、幸せ?」

 何をいまさらと笑う。

「もちろん、幸せよ。諦めていた結婚もできて、服飾の仕事を続けられて、今が最高に幸せ。今が最高に幸せなのに、もっともっと幸せになれる気がするの」


 エメリーと結婚したことでジフロフ子爵領の服飾事業はますます盛んになり、一年後には跡継ぎとなる男の子も生まれた。

 エメリーはいつ会っても幸せそうで、いつしかジフロフ子爵領で作られた桜色のドレスは良縁を呼び込むと言われるようになっていた。

閲覧ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ