3 残酷な白菫(1)
夏の社交シーズンが始まった。そのためバルディ様と私の婚約もあっという間に広まった。
通っていた貴族学園は卒業式まで出席しないし、卒業式にはバルディ様本人がエスコートしてくれる。
だから学園内でのトラブルはあまり心配していなかったが、夜会ではそうもいかない。
昨年までは両親と相談の上で親交のある貴族の夜会に参加していた。両親、たまに弟も一緒の家族参加だ。それで問題なく過ごせていた。
今年は隣にバルディ様がいる上に、バルディ様と仲の良い人達…適齢期のイケメン達と話さなくてはいけない。
お近づきになりたいと思っているご令嬢達にとっては『キーッ』ってなものだろう。
怒る気持ちもわからなくもないが、皆さん、方向性を間違えている。
恵まれているイケメンは相手の美醜をさほど気にしていない。たぶん見苦しくなくそこそこ…なら、誰にでもチャンスがある。
性格とか趣味とか、話があうかどうかに重きを置いている。あとは将来設計?
バルディ様は騎士として生きる予定で、爵位をもらっても領地経営の実務は公爵家から派遣された管理人に任せることになる。
騎士の妻ならばそこまでの才覚は必要ない。領地経営や社交は最低限で、旦那様が気持ちよく仕事に集中できるよう家のことだけを考えればよい。
バルディ様は妻に『美しさ』や『資産』を求めていない。騎士として働く自分のプラスになれば一番良いが、それが駄目でもマイナスにだけはなってくれるな…と。
いずれ公爵となるルディス様の足を引っ張るな、公爵家の恥になるな、変な野望は持つな…あたりは思っていそう。
私の場合、前世の記憶があるせいか『イケメンは見るだけでおなかいっぱい』なので、ルディス様と親しくなりたいとは思わないしバルディ様の交友関係にも興味はない。
イケメンを見るのは好きだが、舞台上の役者を見るようなものである。
自分のテリトリーに入ってこないからキャーキャー言えるのだ。
社交シーズン前にバルディ様と婚約してしまったのでバルディ様だけで手いっぱい、ヨソのイケメンが入り込む余地はない。
おそらくそういった雰囲気?下心?って意外と見えてしまうもので、本気でルディス様を胡散臭い、公爵家なんてカンベン…と思っているからバルディ様も私との婚約を決めた気がする。
私を取り囲んでチクチク厭味を言っている令嬢達に言っても理解してもらえないだろうが、皆さん、やり方を間違えていますよ~。
バルディ様やそのお友達狙いなら、どう考えても私とは『仲良し』か『無関心』でないと。
夜会に参加すればこういったこともあるだろうなぁ…と思っていたら本当にあるのだから笑えない。
なんとか微笑んでいるけど、私の顔、引きつっていないかな、大丈夫かな。
「本当に厚かましいこと。バルディ様も気の毒だわ。こんな平凡な子が婚約者だなんて」
「界渡りの隣人だということを除けば平凡以下ではなくって?」
クスクスと笑っているご令嬢が五人。あ、でも一人だけ顔が強張っている。上位貴族に巻き込まれた下位貴族のご令嬢かな。可哀想に。
リーダーはヴァイオレット・ラウフィーク侯爵令嬢、十七歳。
とても美しいご令嬢だ。白菫色の髪は真っすぐさらさらで腰を超える長さなのに美しく整えられている。瞳の色は宝石のようにきらめいたエメラルド。紫色のドレスはバルディ様を意識してのことだろう。
バルディ様は二十二歳。家格、年齢共に釣り合っているから本気で狙っていたのだろう。それを横からポッと出の私がさらってしまった。
ヴァイオレット様は私より一つ年下だが、家格が上だからなぁ。しかも今夜の主催者はラウフィーク侯爵家。ヴァイオレット様にとってはホーム、私にとっては敵しかいない超アウェイ。
令嬢達だから殴る蹴るはしてこないだろうが…。
ぼんやりととりとめもなく考え事をしていたら、パシャッとドレスに赤ワインがかけられた。
わぁお、これ、よくあるヤツ。本当にテンプレ踏まれるとは。
本日の私のドレスは薄紫色で差し色は濃紺や紫が使われていた。ふわふわとした生地を重ねたドレスでたぶんお高い。バルディ様からの贈り物ではあるが、デザインに関しては私も希望を出していた。
「あら、ドレスが汚れてしまったわね。誰か、ヒルヘイス子爵令嬢を休憩室に…」
「御心配には及びませんわ」
側に居たメイドを呼ばれたが、にっこり笑って断った。
「ワインの染み抜きをしたほうが良ろしいのではなくて?」
「大丈夫です」
きっぱり断る私にヴァイオレット様がイラッとしているが、人目のない場所になんか行ったら何をされるかわかったものではない。
ここは彼女のホームで、メイドさんだって悪の手先だ。信用できない。
「みっともないから、行きなさいと言っているのよ」
「そうですね、でも大丈夫です」
「いいから…っ」
「アリシャ、どうした?」
バルディ様とグリフィン様がやってきた。二人とも私のドレスの惨状を見て眉をひそめ、ゆっくりと取り囲んでいる令嬢達を見た。
「バルディ様、申し訳ございません。贈っていただいたドレスなのに汚してしまいました」
「それはかまわないが…」
「では、手筈通り、よろしくお願いします」
にっこり笑ってお願いすると『ここで?』とちょっとたじろぐ。
「休憩室に行って染み抜きをするようにとすすめられていたのですが、その必要はないとお断りしたのです」
「なるほど」
バルディ様は私の腰に手を回し…、ふわふわとした布を一枚、はがした。布をくるくると丸めて、案内のため側に来ていたメイドに『処分してくれ』と渡す。
「他は汚れていないようだな」
「撥水性の高い生地にしておいて正解でした」
目を丸くしていたグリフィン様が『なに、なに、どうなってんの?』と聞いてくる。
「夜会にあまり参加したことがないため何か粗相をしてしまっては…と思い、すぐに対処できるようなドレスを作ったのです」
当初、バルディ様に『そこまでする必要があるか?』と言われたが、公爵家のメイドさん達は『なくも、ない』と賛成してくれた。
ついでに『どこかに連れ込まれるかも』という可能性についてもメイドさん達が『底意地の悪いご令嬢がいたらそれくらいやりかねない』と。
バルディ様は『まさか』と苦笑していたが、ほらね、あると思っていましたよ、私は。
予想の範囲内だから『やれやれ』といった気持ちだが、バルディ様はちょっとお怒りの様子だった。愚かな行いに苛立っていると言うべきか。
バルディ様以上に怒っているのがヴァイオレット様。
まったく隠せていない。
ギリギリと悔しそうな顔をしているヴァイオレット様だがバルディ様には何も言えないようだ。
これ以上、ここにとどまってはヴァイオレット様の醜聞になるし、私もダメージを受けるかもしれない。
バルディ様から離れて一人になった瞬間、ご令嬢達に囲まれて、ホールの隅に拉致され、ワインをかけられた被害者だけど、騒ぐと品がないと思われる。
「では皆様、お騒がせをして申し訳ございませんでした」
バルディ様にエスコートされてその場を離れた。
「来ていただき助かりました」
「あぁ、それは…」
少し離れた場所にフィーター侯爵家のイリス様が居た。もう夜会にも出て来られるようになったのか。
「久しぶり…というほどでもないけれど。アリシャ様、ご婚約、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「ふふ…、どこでバルディ様に見初められたのかしら」
えーっと。貴女様の元婚約者がやらかした事件がきっかけです。とは言えないよねぇ。
「どこでもいいだろう。まぁ、声をかけてくれて助かった」
「お役に立てたのなら良かったわ」
その言葉でイリス様がバルディ様を呼んでくれたのだとわかった。
「ありがとうございました」
「気にしないで。貴女は我が家の恩人だもの。困った時はいつでも声をかけてね」
ヴァイオレット様とは正反対の、天使の微笑みだ。
あんなことがあった後なのに、相変わらず優しくて穏やかで上品なクリーム色のドレスもよく似合っている。よく見れば百合の花の総刺繍でこれ、絶対に年単位でないと作れないドレス。
さすが侯爵家。財力も凄そう。
貴族令嬢の頂点にいる一人なのに、イリス様はいつ会っても天使で癒される~。
その三十分後、ラウフィーク公爵家に若い女性の悲鳴が響き渡った。
夜会のホールにまで届く声…ということは近い場所でのこと。
バタバタと侯爵とご子息が夜会を抜け出し、夫人が『心配いりませんよ』と穏やかな笑顔で声をかけている。
バルディ様と顔を見合わせていると、第五騎士団関係者が集まってくる。今日、夜会に来ていたのは副団長であるマークス・ネイビー卿とグリフィン様、それに、はじめましてのゲイル様。
副団長はバルディ様達よりはがっしりしている強面のイケメンで、ゲイル様は濃いめの茶髪、碧眼で眼鏡を装備していた。眼鏡…、好き。おなかいっぱいだけど、眼鏡男子は別腹なのである。
侯爵が退室して十分くらいだろうか。執事と思われる初老の男性が私達のもとへやってきた。
「侯爵様が是非、お力添えをしていただきたいと申しております」
ということは?
「そういったことでしたら、私は先に帰らせて…」
がしっとバルディ様に腰を抱かれた。色っぽい理由ではなく、捕獲である。
「では、行こうか」
「お邪魔になってもいけませんし」
「安心しろ、アリシャを邪魔だと思った事は一度もない」
他の隊員達も事情を知っているため苦笑しているだけで助けてくれない。
なんとか逃げたかったが強制連行されてしまった。
向かったのは休憩室のひとつ。部屋の入口に侯爵家の騎士が二人立っていた。
第五騎士団の四人の中に私が混ざっているものだから戸惑っている様子で、マークス副団長が説明をしてくれる。
「彼女はバルディ・ファイユームの婚約者、アリシャ・ヒルヘイス子爵令嬢。第五騎士団のアドバイザーだ」
そうか、アドバイザーなのか…。初めて知ったわ。
それでも戸惑いが見えるが、バルディ様が強引に押し切って部屋に入った。
夜会で休憩室を利用したことはないが、たぶんこんな感じだろうな…という想像通りの部屋だった。適度な広さ、装飾、大きめのソファと一人用のソファが三つ。テーブルは小さめで、部屋の隅に水の入ったポットと使われていないグラスが四つ。
グラスがひとつ、床に転がっていた。
男性の遺体とともに。
室内にはラウフィーク侯爵、執事、年配の騎士が一人、それから初老の男性。鞄を手にしているから医者かな。
私よりも年下と思われるご子息はいなかった。さすがに死体は見せられないか。
マークス副団長が『第一発見者は?』と聞く。
「それが…、悲鳴をあげた後、意識を失ったため部屋で休ませています」
「そうですか。発見者の名は?」
侯爵は何度かためらった後。
「ヴァイオレット・ラウフィーク…、私の娘です」
そう絞り出すように答えた。
さて、私がここに来た理由は助言のため。ではあるが、別に事件を解決できるような特殊能力は持ち合わせていない。
期待されていることは『第三者視点』。騎士団とは違う視点で見て、何が起きたのかを考える。
今回は…、まず現場から。よくある休憩室で男性が一人倒れていた。
ヴィーマ・サントマリー男爵、三十二歳。この年の貴族男性にしては珍しく独身だ。
マークス副団長は顔が怖いせいかなかなか嫁が見つからないと嘆いていたが、サントマリー男爵は女性が好みそうな優男だ。死に顔で見ても整っているとわかる。金髪に近い茶髪で瞳は青。貴族によくある色合いで可もなく、不可もなくといったところ。
休憩室で毒を飲んで死んでいた。
問題はこの毒を誰かに飲まされたのか、自分で飲んだのか。
殺されたとしたら当然、ラウフィーク侯爵家の関係者が疑わしい。
自殺だとすれば何故、今夜、ここで亡くなったのか。
ラウフィーク侯爵家でなければならない理由が犯人、または本人にあったはず。
しかしここは貴族世界。
死因究明もせずに『変死』で終わらせることもできる。
どうなるのかなぁと思っていたら、ラウフィーク侯爵は何故、サントマリー男爵が侯爵家で死ぬことになったのか調べてほしい…とマークス副団長に告げていた。
時間も遅くなったため、私達は一旦、家に帰った。バルディ様に公爵家の馬車で自宅まで送ってもらう。
「今日はありがとうございました」
馬車の中でお礼を言うと。
「いや…、結果的にまた事件に巻き込んでしまった。申し訳ない」
「あ~、それは仕方ないですよ。でも今回は他殺ではない気がします」
「理由は?」
「使われたグラスがひとつしかありません。他殺なら、誰かがそばいて一緒にお酒とか飲んでかな…と」
ちょっと想像をしてみたようで、そうだな…と頷く。
二人以上で休憩室に入って、一人だけお酒を飲むことはあまりない。令嬢達のお茶会で一人だけお茶を飲まないのと同じで、談笑する時は全員が飲み物片手に…が一般的だ。
「死後、すぐに発見されたようなので証拠を隠滅をするには時間が少なすぎます」
使ったコップを洗うか隠して、同じコップを用意しておく。計画的な犯行でなければ無理で、それだとラウフィーク侯爵家の誰かが関わっていることになる。関わっているとすれば『変死』で終わらせたはず。
「何故、自殺したと思う?」
「ラウフィーク侯爵家の誰か…に対して、言いたいことがあったのでしょう。その辺りは調べてみないとなんとも」
「サントマリー男爵家を調べることになると思うから、その時は同行してくれ。ラウフィーク侯爵家には二度と行かなくていい。ヴァイオレット嬢に呼ばれても適当に理由をつけて断るように。外出も控えて護衛を二人以上つけて」
サントマリー男爵は毒を飲んでの自殺だと思うが、どう考えてもヴァイオレット様が関わっている。バルディ様が警戒するのもわかる。
素直に頷いた。
そんな私を見て。
「アリシャは素直だな。それに察しが良い」
「そうですか?普通ですよ。さすがに今回は…、ヴァイオレット様が普通ではないと誰が見ても思うでしょう」
現在は子爵家の娘だが、婚約が調った今、私は公爵家に嫁入りする身である。
私を害すれば、公爵家の決定を全否定したことになる。
ラウフィーク侯爵家が名門貴族だとしても、たどれば王家の血筋であるファイユーム公爵家に喧嘩を売るのは愚策だ。家同士の喧嘩ならばもっと策をめぐらせて巧妙に隠さないと。
侯爵家のご両親はまともそうだったのに、娘のほうは暴れ馬より激しい。
「バルディ様との婚約に関してはまだ納得しておりませんが…」
「アリシャには公爵家という肩書も、オレの姿かたちも通用しないからな」
「そこに釣られる女にはバルディ様も興味がわかないでしょう」
「確かに」
笑って、楽しそうに私を見ている。
イケメンオーラ、ダダもれなんですが。
「ヤメテクダサイ、見ないでクダサイ、減ります」
「見るだけで減るわけないだろ」
減りますよ、私のヒットポイントが。
話しているうちに自宅に到着した。きちんと玄関の前までエスコートしてくれる。
「おやすみ、アリシャ」
ほほ笑む顔はやはり整っていて、いや、これ、一体、どうやったら慣れるの、慣れる日なんてくるの?
過激なヴァイオレット様よりバルディ様の顔面のほうが心臓に悪い。落ち着かない気持ちで、その夜はなかなか寝付けなかった。
翌日、私の元にサントマリー男爵についてわかっていることが知らされた。
若い頃から遊び人として有名だったようで、貴族籍の女性から平民まで、商売をしている方から素人まで、幅広く遊んでいた。
しかし意外と悪評は少なく、合意の上で…らしい。
既婚の貴族女性は夫公認の遊びや、寡婦が多く、平民にはきちんと手当を払っていた。
サントマリー男爵領は海に面した領地で真珠の養殖に成功している。領地としては小さく人口も少ないが羽振りの良い派手な生活をしていた。
しかし、一年ほど前にピタリと女遊びをやめた。
飽きたのか、本命ができたのか。
商売はうまくいっていたようだし、遊び人のわりに貴族社会での評判も悪くない。
同じことを貴族女性がやると非難囂々で居場所がなくなるけど。
資料を読み終えたところで来客を告げられた。
前触れもなしに来たのはヴァイオレット・ラウフィーク侯爵令嬢の取り巻きの一人、ハサナ・ウォートン男爵令嬢とその父、パット・ウォートン男爵だった。
男爵が来ているとなると、私が一人で対応するわけにはいかない。急いで仕事中の父とバルディ様に使いを出した。
父は王宮近くにある国立の研究施設で事務官をしている。界渡りの隣人からもたらされた知識を解析、研究する施設で、『娘が界渡りの隣人ならば、理解もあるだろう』と出仕が決まった。一般事務官だからそう給料は高くないらしいが、安定した収入は大事なので真面目に働いている。
父には来客の事実と、おそらく事件に関することなのでバルディ様に同席してもらう旨を知らせる。
男爵達を待たせることになってしまうが、先触れもなく来るほうも悪い。
執事に『一人では話を聞けない』と事情の説明を頼み、バルディ様の到着を待った。
閲覧ありがとうございました。