2 黒緋色のドレス
普通に生きていれば地味な子爵令嬢が事件に巻き込まれることなどない。
ないままで良かったのに、現在、事件現場に強制連行されていた。
ファイユーム公爵家の馬車で。
「昨日、ジフロフ子爵家の王都邸内ででシアン・ジフロフ子爵が何者かに襲われた」
あまり関わり合いになりたくなかったが、目の前に座ったバルディ様が事件のあらましを話し始めた。
王都の一角にある貴族街。王城の近くに高位貴族が屋敷を持ち、私達、下位貴族は階級や予算と相談をして居を構えている。うちは貴族街の中でも北側、商業地区に近い場所にあった。
今日、訪ねるジフロフ子爵の領地は織物の産地として有名で、素晴らしい生地を作るだけでなく加工品でも商売を成功させている。
うちよりはだいぶ裕福な子爵家だ。
「子爵は一階の執務室にいた。執務室にはテラスが作られていて、庭に出ることもできる」
季節は春。初夏というには少し早い。
「午前中は一人で仕事をすることが多く、その日も一人だった。窓も開けていたそうだ。天気が良い日は執務室からテラスに出てお茶を楽しんだり、夫人とランチを食べることもある」
子爵が仕事をする時間帯は庭師も庭に入らないようにしていた。
屋敷の造りは一般的な貴族邸宅と同じ。
本邸、別邸、使用人棟、あとは技巧を凝らした庭園。お客様から見えない位置に菜園や果樹園もある。うちには別邸がないけど本邸の横に急な宿泊客用に離れが作ってある。
「仕事中、机に向かっている時に背後から頭を殴られた」
殴られた勢いで椅子から転がり落ちて、その物音で廊下に立っていた騎士が室内に飛び込んだ。
そこで逃げる女を見た。
金色の髪に、濃い赤色の大きなリボン。ドレスも同じ色だった。
迷ったが、女の足なら追いつけると思い、まず、助けを呼んだ。
すぐに家令とメイド達が駆けつけたので、子爵のことを任せて後を追った。
しかし女は見つからなかった。
「子爵邸も他の貴族家同様、高い塀で囲まれており門には門番が二人立っている。塀には人が出入りできそうな穴はなかった」
庭には庭師が使う園芸小屋や、倉庫もある。小さめの別邸には子爵の甥が暮らしていて、当然、人が隠れていないか徹底的に調べた。
「目撃情報と一致する女性は見つかっていない」
なるほど。
「逃げた女性の身長や体格はわかりますか?」
「身長や体格?」
首を傾げながら『目撃した騎士に聞かないとわからない』と答えながらも『ドレスを着た女だというからには、標準的な体型だろう』と推測する。
顔には『それ、重要なことか?』と書かれているが、言葉にはしないようだ。
たぶんルディス様に『好きにさせろ』と言い含められているのだろう。
ルディス様の思う通りに進めたくはないが、かといって子爵に暴行を加えた犯人を野放しにもできない。
「確証はありませんが、外部からの侵入でないとすれば、犯人がかなり絞られます」
庭師と甥。あと、庭に居ても不自然ではない人物…、たとえば警備の騎士や、畑の世話をしている下男、洗濯メイドなど。
「逃げた犯人は女性だ。その中では洗濯をしていたメイドが二人と畑仕事を手伝っていた下働きの女性一人が該当するが、この三人は互いが見える位置で仕事をしていた。男性の下働きも二人、畑にいた。五人揃っての共謀でない限り、犯行は難しい。ドレスに着替える時間も必要だからな」
子爵家の騎士は常駐八人で交代制。うちにいる騎士は王都勤務は六人。子爵家だと十人前後が多い。屋敷の警備で三、四人、出かける時に一人か二人、同行する。
王都の騎士団のような華やかさはないが、一応、貴族家の騎士なので、仕事の時は全員、揃いの制服で紋章の入った防具を身につけている。
全身甲冑は質が良くないと動きにくいため、今の主流は胸、肩、腕を保護する簡易式。足も金属プレートを仕込んだ革靴が多い。
事件の日は門に二人、子爵の部屋の前に一人いた。残った五人のうち三人は休憩中で、二人は鍛錬をしていた。ちなみに裏門というか使用人が出入りする門もあるが、普段は鍵がかけられている。
事件が起きてすぐに執事が指示を飛ばして、裏門にも騎士が立った。当然、人の出入りは止められたまま。
バルディ様から見て使用人達に不自然な言動はない、とのこと。
「どこに居たのか他人の証言が取れなかったのは庭師と甥だけだ。庭師は子爵が執務室にいる時間帯は子爵から見えない場所で働いているからな。本人は作業小屋で道具の手入れをしていたと言っている」
「庭師の体格は大きいですか?」
「そうだな。いかにも力仕事をしています…といった体つきだった」
「残るは甥ですね」
「姪ではなく、甥だ。庭師同様、犯人ではない」
「子爵とのトラブルはなかったのですか?」
「それは……」
言いよどんだ。
「あるのですね?甥の体格はどうですか?庭師同様、大男ですか?」
「いや…、男にしては細く小柄だ。オレ達騎士に比べれば、だが。だとしても女には見えないぞ」
バルディ様にはわからないか。
この世界の価値観だと、女性のパンツスタイルはかろうじて許されているが、男性のスカートは頭がおかしいレベルで否定される。というか、話題にものぼらない。
異常者だと思われるから。
甥が女装した理由は多様性とは関係なく、単純に目くらましだろう。実際、バルディ様も除外して検討もしていない。
そんな複雑な話ではないのにね。あとは甥が本当に女装できそうか確認して、ドレスを見つければ終了。
良かった、良かった、子爵邸に着けばすぐに解決するだろう。楽観的な私にバルディ様がため息ついた。
ジフロフ子爵邸。よくある貴族の屋敷と変わらないが、我が家よりも全体的に新しくきれいに整っていた。噂通り、経済的には困ってはいないようだ。
バルディ様を出迎えたのはタニア・ジフロフ子爵夫人。四十歳前後だと思うが十歳は若く見える儚げな美人さんだ。淡いピンク色のドレスにアクセサリーは真珠。羽織った総レースのストールもきっと高級品。
「ジフロフ子爵のお加減はいかがですか?」
「まだ…、意識が戻っておりませんの。あの、本日はどのようなご用件でいらしたのでしょうか」
チラッと私を見て言う。
バルディ様がにっこり微笑んで答える。
「それはもちろん、事件解決のためです。こちらはアリシャ・ヒルヘイス子爵令嬢。私の助手です」
「助手…」
「というのは建前で、婚約者になったばかりで片時も離れたくないのです」
だから女連れで事件現場に来てしまいました、なんて公爵家でなければ苦情殺到の非常識さだ。
儚げな夫人は怒鳴ったりしないが、かなり困惑していた。
「アリシャ、まずは子爵様の様子を見に行こうか」
「そうですね」
他人の家を勝手に歩き回るわけにはいかない。家令であるルースという男性が同行してくれた。
子爵様の寝室前には騎士が二人、立っていた。一人はジフロフ子爵家の騎士。もう一人は王宮の騎士隊の制服…、バルディ様と同じ黒の騎士服だ。
「お疲れ、変わりはないか?」
声をかけられた騎士が頷く。
「今のところは、な。そちらがルディス様ご推薦の?」
「あぁ、オレの婚約者でもある。アリシャ、こいつは第五騎士団のバートン」
バートン様は短くした黒髪に緑の瞳のイケメンだった。すでにイケメンはおなかいっぱいです、おかわりはいりません。
おそらくバートン様も高位貴族の息子なんだろうなぁ…知らないけど。と、淡々と儀礼的な挨拶をする。
「ヒルヘイス子爵家の娘アリシャと申します。よろしくお願いいたします」
「へぇ…、珍しいね」
「だろう?」
何が?
「大抵のご令嬢がオレ達を見てぽわ~んとしちゃうのに」
「アリシャは兄上の前でも動じなかったからな。子爵家でなければ兄に取られていた」
動じなかったわけではない。それ以上にショッキングな事件に巻き込まれて、変に冷静になってしまっただけだ。
「オレ達は事件現場の確認に行く。引き続き、子爵の警護を頼む」
子爵には会わないのか。まぁ、意識が混濁しているのならば会ってもあまり意味はない。
「子爵様はまだお話しできる状態ではなく、現在は執事と家政婦長が交替で看病をしております」
ルースさんがわずかに怒りをにじませながら言う。
そうだね、普通は奥様がするよね。
あのおとなしそうな奥様、きれいに髪を結って宝飾品も身につけていたものね。独身である私のほうが地味な装いだ。
子爵の執務室に向かうと騎士が一人、待っていた。
「犯人を見たという騎士だ。事件の日の出来事を最初から話してほしい」
すこし顔色の悪い騎士…アクセルが話し始めた。
執務時間帯は執務室の前、廊下での待機が決められている。その日も廊下に立っていた。三十分に一度、ドアを開けて室内を確認するが子爵に声をかけることはない。
十一時にドアを開けて確認をして、その時点では異変は見られなかった。
十分か十五分後、大きな物音に驚いて室内に入ると子爵が倒れていた。テラスに出られる窓は大きく開いていて、金髪にリボン、ドレス姿の女が走り去るのが見えた。
しかし子爵の様子を見るほうが先だと判断し、床に倒れている子爵を確認した。頭から血を流しており医者の治療が必要だと思い慌てて廊下に飛び出した。
「大きな声で人を呼びました。ルースとメイド達が走ってきました」
ルースが話を引き継ぐ。
「私が旦那様のお怪我の具合を確認して、すぐにメイドに医者の手配を頼みました。頭を怪我した時は大きく動かさない方が良いと聞いたことがあったので、旦那様の様子を見ながら医者の到着を待ちました。ほどなくして執事のトリスさんが来たので、私も犯人の捜査に加わりました」
現場に血痕のついた丸太が残っていたので、それで思い切り殴られたのだろう。
丸太は燃料として使う事もあり、庭の隅に積まれている。
界渡りの隣人のおかげで電気、ガス、上下水道…と使えるが、まだ高価なもので設備投資も必要。貴族といえども使い放題…とはいかない。
料理や暖房は薪のほうが安くて手軽だ。
「私はすぐに仲間に伝達をして、女を追いましたが見つけることができませんでした」
その後、特殊事件の対応をしている第五騎士団が呼ばれ、子爵家は完全に閉鎖された。
女が隠れていないか、屋敷、庭、家畜小屋まで調べたが女は見つからなかった。
アクセルに礼を言い、甥に会う前にメイド達に会いに行く。こういったことは女同士のほうが喋ってくれるものだ。たぶん。
屋敷内で働くメイドが七人、集められた。掃除メインが三人と、来客対応や子爵達にお茶を出す担当が一人、残り二人は子爵夫人付き。そしてメイド達を統括する家政婦長。
一応、担当が決まっているが休みもあるため交代制で回している。
「確認したいことがあるので正直に答えてください。嘘をつくと子爵様を襲った犯人の共犯だと思われる…かもしれません」
七人ともが頷く。
「聞きたいことはひとつだけ。子爵夫人は濃い赤色のドレスを持っていますか?」
顔色を見ればわかる。夫人付きの二人がかなり動揺していた。
「そのドレスは前開きで、一人でも着られるものですね?」
メイド二人が手に手を取り合って震えながら頷いた。
「い、いつの間にか一着、なくなっていて…」
「でも奥様に見つかったらクビになると思い、い、言えなかったのです」
「いつ頃、なくなったことに気づきましたか?」
震えている二人に家政婦長が優しく諭す。
「正直に話しなさい。旦那様のためです」
「は、はい…。週に一度、クローゼットのお掃除をしています。十日前のお掃除の時にはありましたが、三日前にはなくなっていました」
「夫人のクローゼットに出入りできる者は貴女達だけですか?」
「わ、私達は盗んだりしていませんっ」
「本当です!」
わっと泣き出してしまう。
「ごめんなさい、違うの。責めてはいません。貴女達が盗んでいないこともわかっています。他に持ち出せる人がいなかったか知りたいのです」
二人の代わりに家政婦長が答えた。
「クローゼットには貴金属もあるため鍵がかけられています。鍵を持っているのは奥様と家令のルースさん、それに私が持っています。二人がクローゼットに入る日に私がカギを貸しています」
他のメイド達や使用人は目を盗んで忍び込むか、鍵を盗むか。盗むの、そんな簡単なことではないよね。
「あと、離れに住んでいる甥…イグネイシャス・ミリアンの話を聞かせてください。実際に見聞きしたことだけでなく、印象や噂話でかまいません」
甥…と言っても子爵の親族ではなく、夫人の姉の息子。
タニア子爵夫人の姉はミリアン商会の会頭の息子に嫁いだ。その第一子がイグネイシャス。
ジフロフ子爵夫妻になかなか子供が生まれなかったため、養子になるために四年前、子爵家にやってきた。タニア子爵夫人に似た線の細い美青年で、現在は二十歳。
家督を継ぐということは大変なことで、子爵はすぐに養子の手続きをせずにまず貴族としての教育を優先させた。
特に仲違いをしているようには見えなかったが、半年くらい前、突然、イグネイシャスを離れに追いやった。
夫人がなんとか取り成そうとしたが子爵は聞き入れず、イグネイシャスに実家に帰るようにと伝えていた。
しかし一度、屋敷で暮らし始めた者を追い出すことは難しい。
しかも夫人がかばいにかばい、かばいまくって手助けしている。
そろそろ子爵が無理にでも追い出すのでは…と、使用人達が思い始めたタイミングで事件が起きた。
「事件があった時間、奥様は部屋にいて、刺繍をしておりました」
そばにメイド二人も居たのでアリバイは完璧。
「ではイグネイシャス様は?」
六人とも首を傾げた。
「離れに移ってからは奥様が声をかけない限り出てきません」
「たぶん離れにいたのだと思います」
その後もあれこれと話を聞き、使用人達の休憩室を出た。
ルディス様が腕組みをして廊下の壁にもたれて立っていた。
イケメン、絵になるな、足が長い。見るだけなら最高なのに、婚約すると思うと憂鬱になるから不思議だ。
「随分と盛り上がっていたようだな」
それは、もう…、ここのメイドさん達も誰かに言いたかったんだよね、わかる。醜聞を外にもらせないが、夫人と甥に行いには大いに不満がある。
遠回しに、ものすっごく遠回しに『あの二人、絶対、できてるよね』『二人揃っておとなしそうな顔をして厚かましい』『子爵様を裏切ってるくせに居座るとか、ありえない』と話してくれた。
二人で離れにこもり何をしているのかと思えば、お茶を飲んでいるだけ…とメイド達には話している。茶葉はミリアン商会の者に直接、届けさせて、自分達でお茶の準備から片付けまでしていた。
二人きりのお茶会は週に二、三度で四、五時間。
これで本当にお茶を飲んでいるだけだったら、そのほうが驚くわ。
そういった話を聞きたかったのです、ありがとう。
「何か聞けたか?」
頷いて小さな声で囁く。すこし離れた場所に家令のルースがいる。ルースもドレスを持ち出せた一人だ。今は聞かれたくない。
「はい、犯人が来ていたドレスはおそらく子爵夫人のものです」
「間違いないのか?」
「あとはそのドレスがどこに隠されているか、だけです。必要な証言はほぼ聞けました。離れに向かいましょう」
最初から甥が怪しいと思っていた。
女性が犯人だとしても『甥も何らかの形で関係している』と騎士団の面々も考えていたようで、離れの前に第五騎士団の新たなイケメンが立っていた。赤髪で軽い雰囲気なのだが、お顔の造りとスタイルがやはりっ、かっこいいっ。
騎士服が似合いますね、眼福です。おなかいっぱいだけどっ。
「グリフィン、変わったことはないか?」
「ないね。昨日から交代で見張っているけど、女の出入りは子爵夫人と食事を運んできたメイドだけだ。その中に犯人がいるのかねぇ」
話しながら私に気がついた。
「珍しいな、バルディが女の子、連れてんの」
「ヒルヘイス子爵家のアリシャ嬢だ。オレの婚約者に内定している」
「へぇ、普通の子じゃん。いや、普通だからいいのか?」
「失礼なことを言うな。十分、可愛らしい…」
「えっ!?」
思わず大きな声が出てしまった。
「何故、驚く」
「いや…、貴族令嬢としては可愛いというより、かなり普通なほうだと…。ほら、もっときれいな人も可愛らしい方もいますから」
「そんなこともないだろう。あいつらは…、臭い」
臭い…。貴族令嬢なら毎日、お風呂に入っているよね?臭くないよね?
「あぁ、確かに化粧品に香水の匂いが混ざってる子、多いな」
「あと、なんか、じゃらじゃらギラギラしてて目に痛い」
アクセサリーやリボンの事かな?
「何故、あんなに盛りに盛っているのかさっぱりわからん」
「化粧やドレスは貴族令嬢の武装ですよ。バルディ様の目にとまりたくて必死に着飾っているのです。全否定はしないであげてください」
「そうか…」
じっと私を見る。
「まったく、武装していないな」
「当たり前です。事件現場に行くと聞いていたので、抑えめにしました」
子爵は一命を取り留めたと聞いているが、浮かれた色はどう考えても場にそぐわない。そのためモスグリーンで首元まできっちり隠しているドレスを選んだ。髪はまとめて大きなリボン付のバレッタひとつだけ。アクセサリーはつけていない。
「では夜会では着飾るのだな?」
オレのために。という圧を感じたが、ここは華麗にスルーでしょう。
「離れの中に入れますか?」
「イグネイシャスは事件に協力的だから入れるよ。行こうか」
イグネイシャス・ミリアンは普通の青年だった。ちょっと顔色が悪く痩せすぎているかも。そんなところも夫人を連想させる。
美青年と言えば美青年かもしれないが、バルディ様達を見た後だとね、はは…って乾いた笑いが出る感じ。
髪色も薄茶で瞳の色も茶色。庶民によくある色合いだ。子爵夫人も似た色合いで、そこに儚げプラスで雰囲気美人になっていた。
雰囲気貴族令嬢の私が言うのもなんだけど。
背はあまり高くなく薄い身体。私より非力かもしれない。
私達が訊ねると愛想よく離れの中に招き入れてくれた。
「屋敷内の確認ですか?女性が隠れられるような場所はありませんよ。しかし、シアン叔父上の一大事。どうぞ気のすむまで調べてください」
離れには玄関を入ってすぐに広々としたホールがあり、二階までの吹き抜けとなっていた。ここでプチパーティでもするのかな。一階奥に厨房や水回りで、二階に寝室が四つと聞いている。
隠されているものは女性ではなくドレスなのだから…。
ホールの窓は大きくかけられたカーテンも大きい。小豆というか赤銅というか…深い緋色のカーテン。ルースに頼んで梯子を持ってきてもらった。すぐに持ってきたので、離れの倉庫にでもあったのだろう。
梯子と一緒に体格の良い庭師も来てくれた。いつ呼ばれるかと近くで待機していたようだ。
バルディ様と変わらない長身で横幅もがっしりしている。
「高所作業でしたら、オレ…、わ、わたし、が一番、なので。は、話も、何でも、聞いてくださいっ」
やだ、緊張しているの、可愛い。四十歳前後に見えるけど、そこもいい。
何をすれば良いのかと聞かれて、イグネイシャスに聞こえないように指示を出す。
庭師は梯子を立てかけて、まとめられたカーテンの中を一枚、一枚広げるようにして確認していった。
余裕たっぷりだったイグネイシャスの顔色が変わり落ち着きがなくなる。
しかし、やめろとは言えない。
ここには第五騎士団の騎士が二人もいる。
焦りはじめたイグネイシャスにグリフィン様がぐっと警戒を強くした。
「あ、ありました、ドレスです」
見つかったものは黒緋色のドレスとリボン、それに袋に入れられた金髪のカツラが見つかった。
騎士団は『女性』を捜索していたので見つからなかったのだろう。
隠されていたドレスはフリルも少なく嵩張らないタイプのもの。貴族女性が着る時はコルセットやペチコートなど重ね着して形を整えるが、一瞬、誤魔化すだけなら、そんなものはいらない。
子爵を殴った後は急いで離れに逃げ込んで、引出しの奥にでも突っ込めば一時的に誤魔化せる。
引出しに『女性』は隠せない。
そしてどれほど捜しても『女性』は見つけられない。
捜査が長引けば離れを再捜索されるかもしれないが、女性を探している間は大丈夫だろう。あとは時期をみて回収すればよい。夜中のうちに庭の焼却炉にでも放り込んでおけば、昼前には灰になっている。
一週間後に来ていたら、たぶんドレスは見つからなかった。
全員がイグネイシャスに視線を向ける。
「だ、誰かが隠したんじゃないかな。何故、そんなものがあったのか私にはわからない」
「そうですか。では、手のひらを見せてください」
「は?」
「普段、力仕事をまったくしていない人が、細めとはいえ丸太なんか持って力いっぱい殴ったら、手のひらにもダメージがあると思うのです。まぁ、手のひらに傷がなくてもあのドレスをイグネイシャス様が着られたら状況証拠で犯人確定ですが」
グリフィン様のそばにバルディ様も行き、イグネイシャスの腕を引いて強引に手のひらを見た。
「傷があるな。まだ新しい擦り傷だ」
「違…、違う、私では…、わ、私は男だ。逃げたのは女だろう?」
首を横に振る。
「逃げたのは『ドレスを着た人物』です。この屋敷の中に居て、子爵様が殴られた時間帯に一人で居たのは護衛騎士と庭師、それに貴方だけです。騎士の狂言もなくはないですが、騎士の証言を真実だとするならば、貴方には動機があり犯行も可能です」
イグネイシャスが庭師を見た。
「あ、あいつだって…」
「庭師にドレスは着られませんよ。前ボタンをすべて開けていたとしても、腰が入らないし丈も足りません。金髪のカツラも頭が入らないと思います。でも、細身の貴方なら着られますよね」
イグネイシャスが床にペタリ…と座り込んだ。
瞬間。
ぐいっと後ろに引かれて、喉元に果物ナイフを突きつけられていた。
えぇ、また?
「動かないで!この女を殺すわよ!」
いつの間に来ていたのか子爵夫人だった。
バルディ様とグリフィン様が『しまった』という顔をする。うんうん、油断していましたね、私もです。
「イクス、逃げなさい!」
「タ、タニア…」
「逃げてぇ!」
いや、逃がすわけ、ないよね。
私よりも小柄な子爵夫人の腕を取り、えいやっ…と前に引っ張っると簡単によろけて床に転がった。弱っ、貴族夫人、非力すぎない?
ナイフも床に落ちたので、バルディ様の方に蹴る。その足元で…。
「あぁ…、イクス…、私の可愛いイクスゥ…」
「タニア…、私の女神…」
床に這うような姿勢になって、二人、手に手を取り合っていた。
どん引きです。
うわぁ…と思っているのは私だけではなかったようで、バルディ様とグリフィン様も『うわぁ』って顔をしていた。
案内役のルースは怒り心頭…といった感じで、庭師は『何、見せられてんの?』のきょとん顔、可愛い、熊みたいな庭師だけどやっぱり可愛い。
ともかく、事件は解決した。
科学捜査はないけれど、簡単に自供や証言のみで犯人を捕まえることもない。
アルク・クルハーン伯爵令息の時はほぼ現行犯だったけど、それでも裏付け捜査は行われている。
今回も当然、裏付け捜査があり、結果、子爵夫人と甥の禁断の恋が子爵家では『公然の秘密』であることがわかった。
離れでの密会だから目撃者は少ないが、見る人が見れば『親密な関係』とわかる。ドレスの乱れとか、シーツの洗濯とか、自分で洗うわけではないから。
子爵も気づいて、養子の件をなかったことにして甥を追い出そうとした。
引き裂かれたくなかった二人は抵抗に抵抗を重ね、ついに子爵を害することに決めた。
不倫って脳みそを溶かす作用でもあるのかな。
普通に考えて成功するはずのない計画だ。
まず子爵家にも親戚が山ほどいる。というか、当主に何かあれば山ほど現れる。だから子爵夫人がそのまま子爵代行にはなれなかったと思うし、妻の甥に簡単に相続権が移るわけもない。
だが愛に目が眩んでいた二人に都合の悪い現実が見えなかった。
二人がどうなったかといえば、イグネイシャスは労働刑でどこかの鉱山に送られた。あの細身の雰囲気美青年が鉱山で無事に生き残れるかは…、開き直って力のある牢名主の庇護下に入ればなんとか生き残れるかも?
子爵夫人のほうは離縁され、実家に帰された。共犯ではあるが、重い罰を下すには決定打がない。
回復した子爵が厳罰は望んでいない…とのことで、第五騎士団もその意向に従った。
厳罰が下らなくとも、元子爵夫人の未来は暗いものとなるだろう。
四十歳でこれといった取り柄や後ろ盾もなさそうな夫人に来る縁談は、足元を見られまくったひどい条件のものが多くなる。
実家に居続けるのも針のむしろ。
働いたこともなく、できることは刺繍くらい。仕事で稼ごうと思ったら一日十時間くらい作業しなくてはいけない。
余波で元子爵夫人の姉も婚家で『いないもの』として別邸に追いやられたとか。
子爵様を襲うより普通に離縁したほうが幸せに暮らせた。
貴族の対面で離縁した妻に少なくない財産を分けることが多い。妻が有責であってもしばらくは暮らせるように生活費を渡す。
そのお金を修道院に寄付して元貴族として修道院で暮らすか、商売でも始めるか。
秘密の恋人が鉱山送りになるよりはよほどましな人生になったと思うが、あの時の二人には誰の言葉も届かなかっただろうから仕方ない。
「早期解決、素晴らしいね。アリシャ嬢は最初から甥を疑っていたんだって?」
胡散臭い笑顔のルディス様に『ソウデスネ』と棒読みで答える。
「屋敷の外から入ってくるのは難しいと聞いていたので…」
現代日本ならば女性でも壁くらい昇る…かもしれない。しかしこの世界の女性は一部の特別な職業でない限り全員くるぶし丈のロングスカートだ。しかも目撃されているのはドレス姿。
ドレス姿で壁を乗り越えたり、入口を見つけて誰にも見られずに侵入は難しい。
密偵ならば可能だが、密偵ならもっと確実な方法で子爵を仕留める。
何度でも言うが、貴族令嬢は非力な者が多い。
ドレス姿で子爵の頭を丸太で殴ろう…とはならない。衝動的に文鎮や花瓶で殴るのはありそうだが、丸太を抱えて持って行くことはない。前世の影響で体力づくりをしている私でもやらない。
女装するのなら『強盗』や『盗賊』っぽい服のほうが良かったと思うが、そうなると『女』ではなく『男』となる。
それにしても丸太…、何故、丸太にした。武器のチョイスがおかしい。
夫人も甥も様子がおかしかったし、冷静な判断ができないほど精神を病んでいたのだろうか?
「ドレスを着る男性がいるとは…、特殊な店に行けばいると聞いたことはあったが、貴族の屋敷に住む者が犯行に利用するなんてね。まさかそういった店に行ったことが?」
慌てて首を横に振る。
「ないです、ありません。ただ、前世の記憶では女装をする男性はそう珍しくもなかったので、すぐに思いつきました」
いるはずのない女性を犯人にしておけば、男性が疑われることはない。
今回は甥以外に怪しい者がいなかったので、そのうち誰かが甥の女装では?と思いついた気もする。
「面白そうな前世。もっと話を聞きたいが、これ以上、長居するとバルディに怒られそうだ。私は失礼するよ」
ひらひらと手を振り、ティールームを出ていった。
ほんと、胡散臭い。
「そう嫌そうな顔はするな。兄上もアリシャのことは気に入ってるんだ」
そうだろうとは思うが、迷惑だ。
バルディ様が笑った。
「顔に出ているぞ」
「高位貴族の方々のように慣れていないのです」
「まぁ、わかりやすくて可愛いが」
また、そういったことをさらっと言うとか、イケメン滅べ。
さっさと帰りたいが、公爵家の紅茶とお菓子には興味がある。
バルディ様の前で猫をかぶる必要もないため、美味しくいただきます。
事件の話をしたいからと公爵家まで連れてこられた時は絶望していたが、お菓子が美味しいのは嬉しい。
日本人であった頃の魂が『美味しいもの』には敏感に反応するのだ。
イチゴのミルフィーユパイに濃厚チーズケーキ、彩り鮮やかなフルーツタルト。子爵家のお茶会では出されない豪華ラインナップ。
あぁ、こうなってくると和菓子も食べたい。
「ところで護身術は習ったことがあるのか?」
「貴族令嬢としてのたしなみ程度は。もう少し、本格的に習ったほうがいいですか?」
「そうだな。二回あったからな…」
三度目もあるかな。
「わかりました。父に相談してみます」
「いや、オレが教えよう」
「バルディ様が?」
「騎士団には女性もいる。その相手をして殴られたり蹴られたりしている」
なるほど。
「わかりました。では日程を決めてください。私はいつでも大丈夫です」
「あと、夜会に参加する時はオレに声をかけるように」
断りたいが、婚約の件は父が了承してしまっている。そして公爵様にお会いしたことはないが、公爵家もその方向で準備を進めている。
「この家格差でも本当に大丈夫ですか?」
「あぁ。オレは二男で家を継がない。独立する時に伯爵位をもらう予定だが、騎士を続けている間は公爵家の管理人に経営を任せたままにしておく。アリシャは子爵家の令嬢だが界渡りの隣人でもあるからな。界渡りの隣人であればひとつ上の階級と同等程度の価値がつく」
確かに。前世の記憶があるだけで『すごい』と思われることはある。
それが平凡な前世だったとしても。
「そういえばジフロフ子爵がオレ達の衣装を作ってくれるそうだ」
最高級品の布と縫製技術で。
「いつ、着るものですか?」
今シーズンかな。
「結婚式の衣装だと二年はかかる」
まさかの二年後…。二年もかけて作るとか、とんでもなく高価なものになる。
「楽しみだな」
無邪気に笑うバルディ様はちょっと可愛いが、人の気も知らないでと憎らしくもある。
私はまだこの婚約に納得していないのである。
イラッとした気持ちを沈めるために黙々とお菓子を食べていると。
にやにや笑いながら私を見ている。
「なんですか?」
「美味しそうに食べているなぁと思って」
「美味しいですから」
「そうか。この後、ドレスのために採寸をする予定だが…」
なんですって?
大笑いしているバルディ様に公爵家の使用人がほっこりしているが、私はそれどころではない。
今、食べた分はまだ脂肪になっていないが、胃の辺りが膨れているかもしれない。
「オレはちょっとくらい太っていても気にしないぞ」
なんですって!!!???
ふ、太ってなんか…、太ってなんかないっ!
………ないよね?
涙目でメイドさんを見ると、美しいメイドさんがにっこり微笑んで。
「大丈夫ですよ。公爵家のメイドはそういった技術もたしなんでおります。二年で誰もが羨む花嫁になりましょうね」
この日から美への追求という新たな戦いが始まった。
閲覧ありがとうございました。