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1 鬼灯色の浮気男

 前世の記憶があれば。

 生まれ変わって前世の記憶があったなら、とんでもなく素晴らしい人生になるのではないか。すでに一人分の知識を持っているのだから、活用次第で無双できるはず。

 そう考えてしまうのは、やはり前世の記憶のせいだろうか?

 私、ヒルヘイス子爵家の長女アリシャも前世の記憶持ちだった。

 この世界では意外と多いのである、前世の記憶持ち。

 そのせいか前世の記憶持ちは『界渡りの隣人』と呼ばれ、わかった時点で役所に届けを出さなくてはいけない。

 隠して、後日、発覚した場合は罰則まである。

 前世の知識を悪用して法を犯せば、罰則がさらに重くなる。脱出不可能な環境で強制労働が最も重い刑罰で、軽いものでも一カ月から半年の奉仕作業。

 教会や下水道、ゴミ集積場等で働くのだが、給料は出ない。給料が出ないと生活できない人には最低限が支給されるが、厳しい環境で労働を科せられる。

 バレなければ問題ないが、その場合、知識無双がやりにくい。

 既に無双した人達がいて、上下水道は完備されて衛生面はかなり整っている。電気、ガスの一般普及はまだだが、富裕層では広まりつつある。

 識字率も高く、義務教育もある。

 食生活にも不満はない。日本人がいたのかカレーやラーメンも食べられる。スイーツだって充実している。屋台ではクレープや焼き鳥だけでなくサバサンドやフィッシュアンドチップスが売られ、お洒落なカフェではアフタヌーンティーを楽しめる。

 何百年も前から界渡りの隣人は居て、長い年月をかけて異世界の文化が浸透していった。

 この環境で国にバレずに知識無双でお金儲けはかなり厳しい。

 現実的にならざるを得ない理由はもうひとつある。

 ファンタジーにつきものの魔法がないのである。ゆえに魔石、魔素、魔物もない。言葉としてはあるが創作物のもので、精霊もいなければ妖精もいない。

 前世で考えると『中世の時代で、中世の時代よりはちょっと便利?』で、おおむね世界は安定している。それはそうだ。だって、魔王もいなければ、魔法使いもいないのだ。運動神経が良い人や勘の鋭い人はいるが、想定の範囲内の凄さで超人的な何かはない。

 界渡りの隣人のおかげで法整備が調い、国家間での諍いも少ない。

 記憶によれば、私は平均の中の平均。中学から女子校に通い、女子大に進学し、中小企業に就職して事務職で働いていた。私立の女子校だから貧乏ではなかったが、かといって富裕層でもなかった。

 記憶にあるものは満員電車での通勤やテレビ、ネット、ゲームでだらだらと過ごしていた平和な日々。

 両親と共に専門窓口を訪ね、休憩を挟んで四時間も聞き取り調査に協力したが、驚くほど役に立ちそうな知識がなかった。

 当然といえば当然だ。ごく平均的な事務員に特別な知識なんかない。事務はパソコンを使って入力するが、パソコンも入力ソフトも私が作ったわけではない。

 こういったものを使っていました。とは言えても、その仕組みまでは知らない。

 女性転生者お得意の料理関係での無双も無理。一人暮らしの時はめんつゆ、ハーブソルト、料理の素など、市販品に頼っていた。新しい料理レシピの提供などできない。

 覚えている限りことを話し、すべて記録された結果。

「前世ではごく平均的な庶民のようですね。特別な知識やスキルもなさそうですし、今まで通りの暮らしを続けていただいて問題ありません。何か特別なことを思い出した時は一応、報告してくださいね」

 優しそうな事務官に言われて頷いたが、たぶんそんなことにはならないだろう。

 むしろ『そんなこと』になるほうが困る。

 前世の記憶があるからこそ、余計にそう思う。

 平均、平凡、平坦な人生って素晴らしい。これといった特技や特徴のない人間には派手なエピソードは不要なのだ。




 そう思っていたのに、私は何故かアルク・クルハーン伯爵令息に羽交い絞めにされた上、首元にナイフを突きつけられていた。

「ち、近寄るな、この女を殺すぞ!」

 刃渡り十センチくらいの小さなものだが首を切られたら致命傷となる。

 背後から羽交い絞めにされているし、どうしたものか。

 クルハーン伯爵令息は本日の主役のはずだった。まぁ、本当の意味での主役はイリス・フィーター侯爵令嬢の方だけど。

 イリス様は一人娘で他に有力な跡継ぎもいない。何が何でも息子、男子に…という家もあるが、侯爵家はそこまで強いこだわりはないらしい。

 イリス様が侯爵家を継ぐことが決まっていて、その婿に選ばれたのがクルハーン伯爵令息だった。

 アルク様は伯爵家の三男で継ぐ家はないし、もらえる爵位もよくて男爵、自分でなんとか自立しろ…という家も多い。

 侯爵令嬢と結婚をしたほうがお得だ。

 なのに、おめでたい日にこんなバカな真似をしてしまうなんて。

 フィーター侯爵家でのガーデンパーティは結婚の日取りが決まった二人を改めて紹介する会だ。

 イリス様は私と同じ十八歳で次の秋…、あと半年ほどで貴族学院を卒業する。

 結婚式はさらに半年後の春。つまり一年後。

 何人かのクラスメイトと共にお祝いに駆けつけて、ほんの少し前まではとても楽しく過ごしていた。

 イリス様は正統派の金髪碧眼美少女で、高位貴族の令嬢にしては人柄も良く人気者だ。私達、下位貴族の令嬢にも優しい。百合の花がお好きなようでドレスの刺繍やアクセサリーに百合の花をよく使っているのだが、本人も百合の花のように凛とした美少女でイメージ通り。タンポポっぽいと言われている私には羨ましい限りだ。

 会場となった庭園は広さも内容も素晴らしいもので、料理も美味しい。

 料理が美味しいとついつい飲み物も飲んでしまうわけで、ちょっとお花を摘みに…と化粧室に向かった帰り、道を間違えた。

 普通はね、メイドが付き添ったり侯爵家の使用人が案内をするものだが、私と同じタイミングで何人かが化粧室に向かい、はっと気がついた時には案内役がいなかった。

 『まぁ、一人でも帰れるか』と浮かれてキョロキョロしながら歩いていたのもまずかった。

 さすが侯爵家、お屋敷が広い、何もかもが広い。

 どこにいるのかわからない。

 誰かいないかしら…と思っていたら、いた。騎士服っぽい男性を発見。侯爵家の騎士かしら。それにしては派手…、招待客かな。

 道を尋ねようと思った時、ガタッ、ガタンッと大きな音がした。横を向く。

 観音開きの扉が少しだけ開いていた。

 この中から?よそ様のお宅だけど、大きな物音はちょっと気になる。

 そっとドアを押したところで声をかけられた。

「どうかしましたか?」

 先程、遠目で見た方だ。側で見ると、うぅ、顔がいい。

 二十歳過ぎの男性で、濃紺の髪色に紫が入った青い…美しい桔梗色の瞳。九頭身かな、背が高くて腰の位置が高い。二次元が立体化したような美丈夫だ、美丈夫の使い方、あっているかな。

 これ、絶対に高貴な方だよね。前世で見たあれこれによると、紫系のイケメンは高貴な方と決まっている。

 慌てて淑女の礼でご挨拶。

「ヒルヘイス子爵家の娘アリシャと申します。庭園に戻るところ道を間違えたようで、困っておりました」

「そうですか。庭園に戻るのならこのまま真っすぐ進み…」

 道を教えてくれた。親切な人で良かった。

 そこにもう一人、若い男性がやってきた。

「兄上、何かあったのか?」

「いや、ご令嬢が道に迷っていただけだ」

 あぁあああ、誰かわかっちゃったよ、ファイユーム公爵家の嫡男ルディス様と二男バルディ様だ。双子ではないが年の近い兄弟でイケメンだと聞いたことがある。こんな顔面偏差値満点の兄弟、公爵家以外にいないだろう。私が名乗ったのに、名乗り返さなかったことからもわかる。うん、必要以上に親切にして勘違いされたら困るものね。

 はいはい、気にしませんよ、公爵家から見たら子爵家の令嬢なんてその辺に生えている雑草以下。タンポポ相手に愛想を振りまいていたら辺りが雑草だらけになってしまい、抜くのが大変だ。本物の雑草ではないから除草剤が使えないものね。

 底辺に近い子爵令嬢との接点はないが、侯爵家とは付き合いがあるのかな。

「ご面倒をおかけいたしました。庭園に戻りたいと…」

 思い出す。部屋から大きな物音がしたのだ。

 誰か倒れているのかもしれない。脳の血管でも心臓でも、発見が早ければ早いほど助かる率があがる。

 不審者だった場合は公爵令息達にまかせればいい。特に二男のバルディ様は騎士隊の中でも一、二を争うほどの強さ…と聞いた覚えがある。

「あの、その前にこちらの部屋を確認してもよろしいですか?とても大きな物音がしたので、誰か急病で倒れているのかもしれません」

 二人は顔を見合わせて。

「まぁ、大丈夫か。ご令嬢が勝手に部屋に入るより、私達のほうがましだろう」

「そうだな。鍵もかかっていないようだし」

 扉を大きく開けて、二人が室内に入る。広さは学園の教室くらい。真ん中にソファセットが置かれているが内装は華美ではないからランクが低い商人用の応接間かな。

 侯爵家ともなればいろいろな地位の方達が訊ねてくる。訊ねてくる理由も様々で、内容によっては使用人の誰かが応対することもある。

 侯爵家の使われていない応接間なんて、二度と見る機会はない。

 入口のドア付近で室内を観察していたら…、見えてしまった。

 ソファの奥で倒れていたのは若くて美しい女性。血だらけの上半身が見える。

「この服は…、メイドか」

「駄目だ、息がない。しかし、まだ温かいな」

 亡くなった直後。遠目で見た感じでは出血死。刃傷沙汰…とか?

 普通のご令嬢ならば絶叫からの気絶コンボを決めるところだが、あいにくと私は前世の記憶持ち。死体を見たことはないが、二時間ドラマや映画ではよく見た光景だ。

 つい興味が先に立って聞いてしまう。

「あの、メイドさんの手や腕に傷はありますか?」

「手に…、いや、ないな。傷は胸から腹にかけて…、出血のせいで何カ所刺されているかはわからないが、血液の広がり具合から二、三カ所だろう」

「ということは、顔見知りの犯行ですね」

 ふむふむと一人頷く。

「決めつけは良くないぞ。自傷ってセンはないか?」

 バルディ様が首を傾げた横でルディス様が『他殺だよ』と否定する。

「若い女性が自殺するのに、こんな悲惨な姿を人前にさらすわけがない」

「私もそう思います」

 思いつめての自殺ならば自室か、人目につかない場所でひっそりと。逆に誰かへのあてつけならば注目される場所を選ぶ気がする。

 あと、ナイフはない。なくもないけど、かなりハードルが高い。

 手首や首ならいけるかもしれないが、それだって相当、深く切らないといけない。非力な女性が自分でお腹を刺したら仰向けには倒れない。倒れるかもしれないが、自分が切腹をした姿を想像すれば…、普通は前に傾く。

「君が顔見知りの犯行だと思う理由は?」

「見知らぬ男性相手なら警戒します。襲われたら逃げるし、こう…防御の姿勢をとると思うんです。そうすると腕や手に傷がつきます」

 前世の二時間ドラマによると、防御創という、わりと有名なヤツ。

 あっさりと腹部、胸を刺されているのだからかなり近づいていたのだろう。そこまで近づける相手。

 貴族家で働いているメイドさんなら、親しくない男性と『親密な距離』にはならない。

 ちなみに男性と思う理由は悲鳴がほとんど聞こえなかったから。

 物音は聞こえたけど、悲鳴は聞こえていない。何か所刺されているかわからないが、一撃目が深く入っているはず。もしかしたら口をふさがれていたかも。

 力の強い女性もいるが、貴族令嬢は本当に驚くほど非力だ。高位貴族家のメイドは下級貴族や力のある商会の娘が多いから、力仕事はしていないはず。

 貴族社会で生きている女性が刃物で人を刺すのは体力的にも精神的にもキツい。

「メイドさんは完全に油断していたようなので、犯人は親しい間柄の男性だと思われます。さほど時間もたっていないようですし…」

 犯人はまだ室内にいる、キリリッ。

 ………調子に乗りすぎか。ふざけている場合ではない。人を殺していい理由なんて、ない。なくもないが、このメイドさんが殺されなければいけないほどの罪を背負っていたとは思えない。

 たぶん痴情のもつれ。ならば男女双方に罪がある。

 そう思いつつも軽い気持ちで開いたドアの裏側を見た。推理小説や二時間ドラマでは、開いたドアの後ろに一旦、隠れて…ってよくあるトリックだもん。

 本当に何の警戒もせずに見てしまった。


 アホだなと自分で思うが、迂闊な行動で返り血を浴びた男に羽交い絞めにされていた。

「くそぅ、くそぅ…、なんでこんなことに…」

 それは私の台詞である。

「あのぉ…、これ、私を人質にとって逃げても、ここで私を殺しても、詰んでますよね?」

「う、うるさいっ、黙れ!ま、まだ…、そうだ、私がその女を殺した証拠なんてどこにもない!」

 えぇ…、状況証拠で真っ黒じゃん。若くて美しいメイドさんと婿入り予定の伯爵令息が普段は使われない部屋に二人きりでいたってことは、理由なんて一つしかないじゃん、お茶のセットも出されていないし、他に誰かいたわけでもなさそうだし。

 結婚前のつまみ食いで手を出したら、メイドさんのほうが別れたくないとか、金銭的なものを要求してきたんじゃないの?

 婿入りの立場で相手先のメイドさんに手をつけるとか、頭が悪すぎる。

 挙句、通りすがりの善良な令嬢を人質にとっておいて、証拠がないとか通用するわけがない。

 持っている血の付いたナイフはなんだっつーの。服についた返り血はケチャップか?喜劇小屋の前座コントでも見たことないわ。

「き、きさま…」

「あ~、ヒルヘイス子爵令嬢、犯人を煽るのはやめたほうがいいかな」

 ルディス様に言われて。

「え、私、声、出てました!?」

「思い切り」

 苦笑された。

「す、すみません、非日常にいきなり放り込まれて、混乱しているようです」

 わぁ、恥ずかしい。前世の記憶が戻ってから、たまにあるのよね。大きな声での独り言。

「ここで気絶とかできたら貴族令嬢っぽいと思うのですが、生憎と界渡りの隣人で…」

「それは珍しい」

「いえいえ、珍しくともなんともないのですよ。役に立ちそうな知識もなく、見事に平凡の中の平凡で」

「お、おいっ、のん気に話なんか…」

 廊下から人の話し声が聞こえてきた。

「アルク様はどこにいったんだ?今日の主役だというのに…」

「イリスお嬢様がいれば場は持ちますが、一応、主役の一人ですからねぇ」

 男性二人の声に、アルク様がわかりやすく動揺した。

 手…というか、全身が震えている。

 ハァハァと息が荒くなんだか…吐く息が臭い。煙草の匂いかな。燻した葉のような匂いで、自然の葉や草の匂いは気にならないが、この匂いはちょっとご遠慮したい。

 ここまで臭いと相当なヘビースモーカー…依存症かな。いろいろと大丈夫だろうか。

「もう一度、言いますね。ここで逃げても、すぐに捕まりますよ?私を殺せば罪が重くなります。メイドさんも男爵家あたりの娘さんではないですか?貴族令嬢二人だと、ほぼ間違いなく死罪です。凶悪犯だと判断されて斬首刑もあるかも。メイドさんだけなら…情状酌量もあるかもしれませんね。誘惑されて、つい乗っかっちゃったのでは?結婚を機に別れると言ったら金品を要求されたのではありませんか?脅迫された証拠があれば減刑されます」

「………何故、わかる」

 アルク様の小さな呟きに『二時間ドラマのゴールデンパターンのひとつです』とも言えず、ただ微笑んでそっとナイフを持った腕を押しのける。

 アルク様は簡単に腕を離し、そのまま床にガックリと座り込んだ。

 殺人現場に不釣り合いなアルク様の明るいオレンジ色の髪色が目に入る。イリス様の婚約者として紹介された時は『明るく快活そうな人』に見えたのに。

 鬼灯ほおずき色の男は愚かな浮気男だった。




 その日、婚約者お披露目パーティに伯爵令息が戻ることはなかった。体調不良により倒れ、そのまま…社交界に戻ることなく、半年後くらいに病死予定。

 名前を変えて鉱山で働くか厳しめの僧院に入るか。何年か隔離されて厳しい管理の下で暮らすことになる。

 フィーター侯爵家は改めて婿の選定に入り、イリス様が二十歳を迎える前にはご結婚相手も決まるはず。


「君の推測通り、メイド…ナタリー・ヤール男爵令嬢はメイド仲間に『絶対に落とす』と豪語していた。アルクは遊びのつもりだったが、ナタリーは最初から金蔓にするつもりだったのだろう。アルクが逃げないように証拠も残していた」

 淡々と話しているのはルディス・ファイユーム公爵令息様。

 何故か弟のバルディ様と共にヒルヘイス子爵家にやってきた。前日に『明日、伺います』と先触れがあったが我が家が大変な騒ぎになったのは言うまでもない。

 王都にある子爵家の応接間はひとつしかないため、せめて塵一つ落ちていないようきれいにしようとメイド達が夜遅くまで掃除を頑張った。

 両親と私も掃除を手伝い、弟のネイトは門から玄関まで敷き詰められたタイルを修繕していた。見かねて庭師、騎士達も交代で手伝っていた。

 本当に大変だった。

 事件の顛末はそりゃ、知りたかったけど、モブキャラとしてはこれ以上、巻き込まれてもね。きっぱりと断ればいいのだが、公爵令息相手にどう断ればいいのやら。

 仕方なく、話を聞いている。

 事件の話となるため人払いがされてはいるが、ドアは開いていた。ドアの外、見える位置に公爵家の護衛騎士様二人と、我が家の執事が立っている。

 直立不動、大変。早く話を終わらせて、早く帰ってもらわねば。


 ナタリー・ヤールは男爵家の四女。いくら美人で若くとも貴族からの扱いは平民と変わらない。

 ナタリー程度の美女はその辺りに転がっている。

 私も前世基準で言えば美少女だが、現世基準では平均的な顔立ちだ。平民の中に入れば可愛いとか美人と言ってもらえるかな?程度。

 貴族世界での金髪、碧眼は標準装備色。緩く巻いたハニーブロンドと空色の瞳なんて、たぶん同年代だけでも二十人はいる。

 ナタリーはそんな私よりちょっとゴージャスに見える美人。

 野心家だったナタリーはアルクからお金を巻き上げて事業を始めるつもりだったのだろう。部屋からは高級ブティックの計画書が発見された。

 どう考えても落とす相手を間違えている。

 パトロンがほしいのなら、結婚を控えた若い男ではなく、暇を持て余したお金持ちのおじ様のほうが危険も少ない。

 もしかしたら…、イリス様に対抗意識があったのかもしれない。

 そういった野心を隠さないタイプだったので、ナタリーはどこの誰ともわからない男と駆け落ちをしたことにされた。

 仕えている侯爵家の入り婿を誘惑して、金銭要求した挙句に殺されたとか、そんな噂が広まればヤール男爵家も深い傷を負う。

 駆け落ちもあまりよろしくないが、殺人事件で処理すると侯爵家、伯爵家、男爵家、すべてに影響が出る。殺人犯を出した伯爵家、そんな男を選んだ侯爵家、そして殺されるようなことをやらかした男爵家の娘。

 侯爵家は悪くないのでは?と思わなくもないが、貴族的にはハズレ婿を引いた見る目のない家…ってことになってしまう。

 この辺り、前世の記憶持ちとしてはもやもやするところである。

 アルクは労役後、名を変えて平民となり伯爵家の遠縁に引き取られる予定。使用人として過ごすことになるが死罪よりはましだろう。

 両家で話し合い、事件はなかったことになった。


「女って怖いね」

 ルディス様がほほ笑む横でバルディ様が『でも、殺しちゃダメだろ』と言う。

「トラブルになった時点で父であるクルハーン伯爵に相談しておけば良かったんだ。そうすればナタリーは伯爵から金を貰って消えていた。金が目的のようだからな。二度目の恐喝があれば、伯爵が裏で手を回していたさ」

 そうなんだけど。

「そんな冷静さがあれば、最初からナタリー様の誘惑に乗って浮気なんてしませんよ」

 こればかりは本人の資質というか、向き不向き?

 ナタリーに近いメイド達は不貞行為を知っていて、既に侯爵にも相談が持ち込まれていた。ただ貴族男性の結婚前の火遊びはなくもない。

 女としては『なんだ、それは』と文句を言いたいが、この世界の貴族的には『ありよりの、あり』が現状。

 初心者同士で大惨事…よりも、男性に経験を積ませて安全、安心に…?円満な夫婦生活を始めようということだ。

 女侯爵の伴侶となるわけで、あまり賢いと立場が逆転しかねない。ちょっとポンコツくらいがちょうどいいと思っちゃったんだろうなぁ。

「ところでアリシャ嬢はまだ婚約者が決まっていないそうだね」

「ヒルヘイス子爵家はこれといった特産物もなく、大きな派閥にも属していない家ですから…、学園を卒業したら子爵領に戻り、領内で探そうと思っております」

「界渡りの知識を子爵領で活用するの?」

 首を横に振る。

「私の知識は領地経営や商売に役立つものではございません。いずれ家を継ぐ弟を助け、静かに暮らせたらと願っております」

「そうなの?もったいないなぁ。活かせそうなのに」

 何に?まさか殺人事件とか言わないよね。殺人事件なんて二度と見たくないし、殺伐とした世界にも近づきたくない。こういったものは創作だから楽しいのだ。

 ここは笑ってごまかそう。頑張って微笑んでいたが。

「ってことで、アリシャ嬢の知識、活かすことにしちゃった」

「は?」

「バルディの婚約者に内定したよ、おめでとう」

「いや、全然、めでたくないです、お断りします」

 反射的に断ると、何故かバルディ様がムッとした顔をする。

「何故だ、オレになんの不満が?」

 えぇ~…、むしろ乗り気なことに驚くわ。我が国では公爵家に嫁ぐのは最低でも伯爵家以上か友好国の王族で、子爵家はほぼない。あるとすればよほど容姿端麗か財産があるか…、才能があるか。

「どうしてそんな話になるのかさっぱりわかりません。私の知識は特別なものではありません。きちんと嘘偽りなく申告し、役所でも特異性なしとの判断でした。あれば引く手数多で婚約も決まっています」

「知識としてみればそうだろうね。でもさ、この世界の常識と比べてみると随分と変わっているよ?私達の外見に惑わされることもなかったようだし」

 ルディス様の横でバルディ様が頷いている。

「令嬢ってのは騒ぐし泣くし、めんどくさいのが多いが、アリシャ嬢は新人騎士より度胸がある」

「ないです、そんなものはまったくありません。あの時はお二人が居たから『なんとかなる』と思っていただけで…」

 ルディス様がぽんっと手を叩いた。

「でしょ?だからアリシャ嬢の安心、安全のためにバルディをつけるよ。バルディは令嬢らしい令嬢が苦手でね。その点、アリシャ嬢となら婚約してもいいって。ね?」

 バルディ様が頷く。

「なんか、アリシャ嬢は面白そうだ」

 ………おもしれぇ女枠に入っちゃったか、おもしろくない、笑えない。

 私の慌てた様子に執事が『失礼いたします』と声をかけてきた。

「どうなさいましたか?」

「どうもこうも…、お父様を呼んできて」

 私には無理だ、お父様に断ってもらうしかない。


 結果は…、なんとなくそんな予感がしていた、惨敗だった。

 お父様ってばあっさりとルディス様に説得されてしまった。相手は公爵様本人ではなく子息だよ?ビシッと断ってほしかったのに。

「しかしアリシャ嬢には婚約者がおらず、心を通い合わせた相手もいないのですよね?身分違い?大丈夫ですよ。バルディは公爵家を継ぐわけではありません」

 見た目では文句のつけようがないし、家柄も良く、すでに騎士として頭角を現している。何かあれば公爵家が全面バックアップするし、これ以上の優良物件はない。と、断っても断っても言葉を変えて説得されて…、ついにお父様が頷いてしまった。

 こうしてハイスペックな婚約者(仮)ができてしまった。

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