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異世界恋愛短編

ハンコ押し無能公爵は、知らぬうちに妻と離縁していた

 前半は公爵視点、後半は元公爵夫人視点です。公爵はめちゃくちゃクズなので悪しからず。

「マルコム様、印鑑を」


「これくらい自分でやればいいだろ。なんでいちいち俺に……」


「マルコム様の印ではないと、領地の仕事に支障が。ですからどうかお願いいたします」


 大量の書類を抱え、藍色の瞳を伏せながら女が頭を下げる。

 女の身なりはボロボロで、小間使いにしてももう少しマシだと思えるほど。今の彼女を見ても、誰一人としてオースチン公爵家の夫人などとは思うまい。


 俺は彼女の言葉を心底面倒臭く思いながら、差し出された書類の空欄になっているところへハンコを押した。


 だがまあいい。最初こそ「これはマルコム様のお仕事では」などと、うるさく言ってきたこの女も今はすっかりおとなしいのだから。


「内容にはよく目を通していただきませんと困ります」


「――かまわん。俺に指図するな。そんなことより働け、愚図!」


 女は静かに「申し訳ございません」とだけ言って、俺の部屋から姿を消す。

 その後ろ姿を見ながら俺はいい気味だと笑った。




「好きだ。君の本当の良さは俺だけがわかっている。どうか俺の手を取ってくれないか」


 ――三年前。

 周囲から陰口を叩かれ、ドレスを汚された少女が涙目になっているのを横目に見つつ、マルコスはとある令嬢に求婚した。


 艶やかな黒髪に藍色の瞳をした、背が高く痩せこけた娘だった。

 ギルビア伯爵家令嬢ポーラ。社交界において悪女だの悪婦だのと悪様に罵られている彼女を、俺は妻に迎え入れたく思ったのだ。


「……どうして」


 戸惑いながらポーラが尋ねてきたので、俺はにっこり笑って言った。

 「俺には君が必要なんだ」と。


 そう、今すぐにも必要だったのだ。

 早く結婚しないのかと白い目で見てくる周囲への言い訳となる妻という存在が。

 好き放題こき使うことのできる、都合のいい存在が。


 俺より八歳も年下の彼女は、藍色の瞳を丸くして俺を見上げていた。

 その瞳は「助けてくれるのか」と言いたげに見える。


 ――助けてやる。ただしその分しっかり働いてもらうぞ。

 この時の俺がこう思っていたことなど、ポーラは知らない。


「お義姉様、また殿方をたぶらかしているのね……。ひどいっ! オースチン公、その女に騙されてはなりません!」


 ポーラの義妹に当たる少女がぴぃぴぃ騒いでいたが、俺は黙れの一言で黙らせた。

 その少女は可憐で、俺の好みではある。しかしそれだけ見合いの数も多いだろうし、娶れば面倒臭いことになるのは確かだから不要だったのだ。


 そしてポーラへ「さあ」と迫れば、彼女は躊躇いながらも俺の手を取り、頷いた。それだけで婚約は成立も同義。若く美しい公爵が社交界で有名な悪女を見初めた、そんな劇のようなシーンとなる。


 しかし実際は全く違っていたわけだが。




 俺――マルコム・オースチンは十五歳の若さで公爵位についた。

 公爵家の次男として生を受けた俺は本来公爵になどなるはずではなかったのだが、馬車の事故で父母と、次期公爵であった兄までもが死んでしまったのだ。


 一気にわけのわからない仕事を大量に押し付けられて、俺は困惑した。

 父の専属執事がどうにか手助けしたものの、俺はそもそも公爵になるような教養を身につけておらず、その結果領地経営に大失敗したり執事が引退してからは何度も詐欺の被害に遭ったりと大変だった。


 それでも十年かけて俺なりに精一杯やった。

 だというのに、周りの老害貴族どもは「若造のくせに」やら「二十五で妻の一人も娶らぬ根性なし」と言ってくる。


 それに耐えかねた俺は、社交界の悪女であったポーラに目をつけた。

 あまり美人とは言えないが、使えるくらいの頭は持っていそうだ。それにちょうどいい具合に貴族たちからの評判が悪い。


 そこで、とある夜会にて彼女が義妹のドレスにお茶をかけたらしい騒ぎに割り込み、求婚という行動に出た。


 ――まさかこうまでうまくいくとはな。

 そのままやや強引にポーラを連れて帰りさっさと結婚式を挙げて、そうすれば後はこちらのものだった。


 ベッドに半ば無理矢理押し倒した。


 「何をするんですか」と彼女は悲鳴を上げたが、関係ない。

 お前は俺の妻になったのだ。俺はお前にどんなことだってする権利がある。それが嫌なら、俺の言うことを聞け。

 正直俺はポーラに女としての興味はなかったが、そう脅せばポーラは従順になると思った。


 面倒臭い書類作業を全て彼女の担当にする。できなければ食事を抜き、使用人以下の身なりにさせるのである。

 たとえポーラがどんな悪女であろうがここまでやれば逆らえるわけがなく、文句を言う度にルールをキツくしていった結果、やがて何も言わない従順な小間使い同然になった。


 もしも社交界でこんなことを俺がしていると言いふらされたとして、彼女自身が悪女の汚名を持っているのだから誰も信じるわけがない。


 ――これでやっと、楽ができる。

 他の貴族たちがしているような遊びをやり尽くそう。賭け事なんかもいいかも知れない。仕事は全部ポーラがやる。俺は印鑑を押すだけなのだから執務室に縛られなくていい。


 そこからは俺にとって夢のような暮らしだった。

 三年間。三年間だ。子を授かるとなったらポーラが使えなくなるので子作りは面倒だと考え、途中からは養子を取ろうと決めた。


 何もかも順風満帆だった――そんなある日のこと。


「おい、どこにいる?」


 いつもは呼ばなくてもハンコ押しのための書類をどっさりと持ってくるポーラが、俺の元へやって来なかった。

 そういえばあまり気にしていなかったがここ三日ほど姿を見ていない気がする。何らかの原因で仕事が滞っているのかも知れない。もしそうなら叱りつけてやらねばならないと思って屋敷中を探したものの、ポーラの姿は見当たらない。


 どこだ。俺に無断で逃げられないよう、門番やメイドたちには彼女の動向を見ておくように言いつけておいたはずだ。逃げられるわけがないというのに。


 俺はメイドを呼びつけ、理由を問いただすことにした。

 メイドは「これを」と蒼白な顔で一枚の紙切れを差し出した。


「……何だ?」


 その紙にデカデカと書かれていた文字を見て、息を呑む。

 『離婚届』。俺の目に真っ先に飛び込んできた言葉はそれだった。


 こんなの、見覚えがない。

 しかしそこにはきっちりと『ポーラ・オースチン』の名前が綴られ、しかも、『マルコム・オースチン』という間違いなく俺自身の筆跡もある。

 そしてデカデカと俺の印が押されていた。


「これは、どういう」


 わからない。わからないが、唯一わかることがある。

 それは、俺自身が知らぬうちに、ポーラと離縁した証がこうしてはっきりと残ってしまっているということだ。


『内容にはよく目を通していただきませんと困ります』


 ふと、ポーラの声が脳裏に蘇り、俺は遅まきに失してようやく全てを理解した。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「――本当に愚かな人」


 私は夫だった彼のことを思い出し、小さく呟いた。




 思い返せば今までひどい人生だった。

 幼い頃に母が亡くなり、父が代わりにと連れてきた後妻は平民の出の女。そして私と同い年の娘――義妹は、私の私物を何でも奪って行った。


「お義姉様、ずるいですわ」

「仕方がないですわね。心優しきわたしがもらってあげますわ!」

「お義姉様、ひどいっ。性悪なお義姉様になんてこれは似合いませんわ!」


 一体性悪はどちらなのかと言いたくなる。

 社交界では私の悪口が周囲に吹聴され、さらには義妹の演技で私が暴力を振るったりドレスに紅茶をかけるなどしたことになり、悪女やら悪婦やらと呼ばれ味方が一人もいなかった。

 生家ギルビア伯爵家の金を義母と義妹が使い込んだのも、全て私のせいにされた。


 しかしそんな私に求婚してくるという物好きが現れる。

 それが、オースチン公爵マルコム様。当時二十五歳の若き公爵は、私を必要とし、手を差し伸べてくださった……はずだった。


「実は都合のいい道具がほしかっただけだったなんて思いませんよ。少々怪しいなとは疑いましたが」


 彼はあまりに無能過ぎた。

 過去の領地経営の形跡などを見れば、それはよくわかる。だからと言ってそれを妻に押し付けようと言うのは、はっきり言って公爵失格だ。


 しかし私はマルコム様に脅されていた。逆らえばひどい目に遭わせると。もちろん夫婦でそういった行為をするのは当たり前とはいえ、無理矢理押し倒された時の恐怖は忘れられない。


 だから私は、従順に従うふりをしつつ、とある策を実行することにした。

 それは、マルコム様の許可が必要な書類の中にひっそりと別の紙を忍ばせるというものだ。試しにやったのがギルビア伯爵家との業務提携の書類。

 マルコム様は何も言わずにハンコを押した。


 仕事なのだからしっかり中を確認してから印を押すよういつも言っていたのだが、私の話などまるで聞いていないらしい。

 もちろん、そのおかげで計画は滞りなく遂行されたのだけれど。


 伯爵家は公爵家からの美味しい話に舞い上がったのかすぐに話はまとまったが、それを私は意図的に潰した。

 それによりギルビア伯爵家は没落。当然公爵家も無傷とはいかなかったもののマルコム様は気づいてすらおらず、事業の失敗に関する借金の書類にハンコを押していた。


 そうなれば次にハンコを押させるのは離婚届だ。

 このままマルコム様に小間使いのように使われるのは気に食わない。だからとんずらしてしまうことにしたのだった。


 この国の法律では結婚後三年で子ができなければ、夫婦の同意のもと離縁できることになっている。

 夫または妻に重大な過失がある場合は三年を待たずとも離縁は可能なのだけれど、マルコム様の所業を暴くのも手間と時間がかかる。それよりはさっくりお別れしてしまおうと思った。


 内容にはよく目を通すようもう一度注意してあげたのに、愚図と言われた時は思わず笑ってしまいそうになった。

 愚図なのは一体どちらなのか。後悔するのはどちらなのか。


 その答えは明白だというのに、それを知らずに離縁届に印を押すマルコム様の姿は滑稽だった。


 マルコム様との離縁後、止めようとするメイドたちに離婚届を見せつければ無事に屋敷を出ることができた。

 生家の伯爵家を没落させたため戻るところのない私だったが、路頭に迷うようなことはなかった。

 三年間、公爵領の領地運営で学んだ手腕を見込まれ、とある大商会の右腕となることが決まったのだ。まだ十八歳と今の私より若い青年ではあるが、商会主はなかなかに信頼できそうだったので、私は今そこで働いている。


「ポーラさん、ここの資金問題の解決を頼めるかな。あと新たな事業について話し合いたい」


「わかりました、商会長。少々お待ちください」


 この人は書面も見ずにハンコだけを押すようなことはないし、働けば働いただけ私を評価してくれた。私のかつての悪女の汚名を知っているのにもかかわらず、だ。

 名ばかりの公爵夫人だった時とは大違いだ。ここでいると毎日が楽しかった。




「ポーラ、ここにいるんだろう!!」


 そんなある日、ハンコ押し無能公爵が商会へ押しかけてくるという事件が発生した。

 ある程度想定はしていたものの、まさか昼日中、他の者の目も憚らずにやって来るとは。


「……彼が例の?」


「はい。私が話をつけて参りますので、お気になさらず」


 私は商会長へ微笑んでから、マルコム様の元へ。

 そしてピシャリと言った。


「マルコム・オースチン公爵閣下。お久しぶりでございます。我が商会に何かご用でしょうか? まさか私個人にご用があるとは申されませんよね」


「ふざけるな! なんだあの離婚届は。あれを取り消せ、今すぐに。さもなくば――」


 私の体が最寄りの壁に押し付けられる。


「どうなるかわかるだろうな」


 本当に愚かな人。

 愚か過ぎて憐れみが湧いてきてしまうほど、彼は愚かだった。


「離縁はすでに成立しております。ですから、私はもうあなたの言葉に従う義務も義理もございません」


「なんだと!!」


「これ以上私を恫喝するようであれば警備兵を呼びます。そうなればどうなるかをお考えになるのはあなた様の方なのでは?」


 マルコム様はここに至ってようやく、周囲の人々が彼に注目し、白い目を向けていることに気づいたらしい。

 「何を見ている!」と叫びながらも、自分がやらかしたことを理解したはずだ。自分よりも十歳も年下の商会主に睨まれ、結局は逃げ帰っていった。


 ――マルコム様が私の前に姿を現すことは二度となかった。




 マルコム様との対峙を終えた後。

 商会主の青年が駆け寄ってきてくれた。


「大丈夫だったか」


「ええ。ご心配いただきありがとうございます」


 私一人ではここまでの強気に出られなかっただろう。あれでもマルコム様の立場は公爵。平民になって路頭に迷っていたら強引に馬車に乗せられてでも連れ戻されていたかも知れないのだ。

 私はこの商会に拾ってもらえたことに深く感謝したのだった。


 ちなみにこの後、「これから二度とあんな男に傷つけられることがないように君を守らせてほしい」と商会主に指輪を渡され突然の求婚をされてしまい、あたふたしまくることになるのだが、それはまた別の話――。

 お読みいただきありがとうございました。

 面白い!など思っていただけましたら、ブックマークや評価をしてくださると作者がとっても喜びます。ご意見ご感想、お待ちしております!

 評価★★★★★欄下、作者の別作品へのリンクがあります。そちらも良かったらぜひ♪



*追記

挿絵(By みてみん)


 楠木結衣様より素敵なバナーをいただきました。

 ありがとうございます!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公は強かでなかなか上手くやったなぁという感じ 因果応報な結果なのも良い [気になる点] 実家と公爵家にダメージしか与えてないですが、それでも手腕を見込んでもらえるものなのでしょうか そ…
[良い点] いっそ清々しいほどのクズっぷり! そんな逆行にも悲観せず、賢く冷静に自ら自由を掴んだヒロインの強さが素敵でした。 これまでの分まで幸せになれそうなラストも良かったです。
[一言] 財産もある程度奪っておけばよかったのに… 星を置いておくぜ
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