命の運び手
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
運命。
生きていて一度は、考える機会を与えられる概念じゃないかしら。
なにも、子供の熱病みたいにとらえるばかりじゃない。いいこと、悪いことも神様のおぼしめし。経済事情、人の生き死にから、今日スーパーへ行ったときに、買いたいお菓子、おそうざいが売り切れているか否かまで。
私たちはこの水だらけの肉袋の中で、命を運んでいる。いけにえなんかは、そいつをほいっと差し出すのだから、特別な意味を持たせたくなるのも無理ないわね。
この命の運び方について、私も昔に不思議な体験をしたことがあるんだけど、聞いてみない?
命を運ぶという考えに私が出会ったのは、小学3年生のころだったかしら。
当時、大きな爆発事故があって、けが人が運ばれるニュース映像がたくさん流れたの、覚えている?
ことの重大さを認識しきれていない子供ながらの純粋さで、その運ぶ様子を真似したくなったのよね。
ああ、誰かをけが人にして担架で運ぶ……とか物騒なことはしないわよ。相手は虫とか小鳥だったから。
私たちがめいめいで作った、木の枝に布切れをくくりつけたコンパクトな担架。それで運べるサイズのものが対象だったわけ。
時期はちょうど夏だったから、セミたちがメインとなったわ。
子孫を残す役目を果たせたか否か。いずれにしても抜け殻から出て、空を飛ぶようになった彼らの命は、そう長くない。
いずれは力尽き、地面へ寝転がって足をばたつかせるでしょう。その力もなくなって息絶えたあとは、アリたちの餌なりなんなりになるでしょう。
そのような「急患」たちを、私たちは外遊びのたびに、見逃すまいと目を光らせていたの。
影に日向に、あおむけに倒れているセミたちを見ると、ただちに用意していた担架に乗せて、安全地帯へと運んでいく。
それは遊び場の木陰に用意した、ビニールシートの上だった。
100円均一で買ってきた、安物のフードカバー。私たちは親たちにならって「はいちょう」と呼んでいたけれど、そのシート全体をカバーするサイズでもってバリアを張る。
この中が私たちの設ける、緊急避難所だったわけ。
あくまで避難所。知識のない私たちに、セミへの効果的な治療が施せるわけでもなし。
ただ他者に蹂躙されることなく、安らかに最期を迎えられるかもしれない場所を提供するだけ。
リミットは私たちの遊びの間。それを過ぎれば、はいちょうを取り除かれたシートが遊び場の隅っこへ彼らを運び、一斉に放出する。
結局は、彼らに自然のおきてが降りかかることになるわけ。それでも私たちは、自分がいいことをしていると信じてやまず、彼らを助けあげ続けていたの。
そうして、夏休みも半ばを過ぎた8月あたりのこと。
私たちがその日、最初に保護したのはおそらく殻から抜けて、間もない若いセミだったわ。
なぜなら、その背に生える羽がほとんど透き通っていたから。あおむけに倒れた姿勢から、羽の向こう側にある公園の灰色をした砂利たちが鮮明に映っている。かすかに葉脈のような緑色の筋が、ときおりそこに被さって羽そのものが存在することを訴えていたわ。
似たような状態のセミを私は見たことがある。
家の庭の木に登り、時間をかけて羽化しようとした個体。背中を割りながら数時間をかけて、せり出す体。
じわじわ色づき、いざ飛び立とうとして何かしらのアクシデントに見舞われたか、ぽてんと地面へ墜落してそれっきり。セミとしての本懐を遂げられないまま、あとは朽ちていくのを待ち受けるだけ。
かのセミは、いまだ手足を元気にばたつかせている。
どれほどもつかは分からないけれど、それほど長くはもたないはず。私たちの本日の救護者、第一号にそのセミは選ばれたわけ。
私たちの中では、この搬送作業がまだまだ熱を帯びている。遊び始める前、遊び出してひと区切り着いたときも、私たちは各所に散って倒れたセミの姿を求め続けた。
手製の担架でもって、どんどんと指定されたシート、はいちょうの中へ運び込まれていくセミたち。
その日に見つかるのは、いずれもがまだ息のある個体ばかりだった。運ばれている間も、彼は多かれ少なかれ、その足をばたつかせてみせる。
けれど飛び立ち直せるほどの、力を出せるものはおらず。彼らはひとしく、シートの中へ横たわることになったわ。
遊び始めて2時間過ぎ。
周囲も暑くなり始めて、ばて気味の子も出てくる。ぼちぼちお開きになろうかという雰囲気だったっけ。
「避難所」の様子もみる。集まっていたのは20数匹。その半分はすでに鬼籍へ入ったのか、ぴくりともしなくなっていた。
これまで幾度も見てきた景色に、いまさらそれだけではたいして心動かされない。
意外だったのは、あの最初に確保した一匹がなお元気な様子でそこにいたということ。
姿勢こそひっくり返ったままだったけれど、私たちの接触によって反応するわけでもなく、自らしきりに足を動かしていく。
ああするだけでも、かなりの疲れのはず。死を間近に控えているだろうに、こうも自分に消耗を強いるとは、物好きすぎじゃないだろうか。
生きながらえていることもあってか、2時間前は透き通っていた羽も、今は他のセミたちが持つ、ひわだ色に近くなってきていたわ。
私以外の子たちも、このセミが持つ生命力をいぶかしく思い始めていた、その矢先のこと。
公園より遠く離れたところから響くのは、バイクのものと思しき急ブレーキ。その直後の衝突音。
そのうえ派手にガラスがまき散らされる気配も混じり、ここにいた全員が事故の発生を疑わなかったわ。
野次馬根性がひょいと首をもたげて、私も音をした方へつい顔を向けちゃったけれど、すぐ足元でけたたましく吠える音が、そのしぐさに待ったをかける。
セミの鳴き声。
見下ろすと、最初に保護したあのセミが足ばかりでなく、羽もまたばたつかせながら叫び始めていたの。
シートをしきりに叩く音と、羽の形をまともにとらえられず、セミそのものの身体が時計のように緩やかに旋回していくあたり、相当の激しさの羽ばたきなのだと察せられたわ。
ほどなく、かのセミは私たちの見ている前で、ひっくり返った状態から元の這うような姿勢へ戻ったの。
それだけでもびっくりなのに、私たちはセミの背中へくっつき、しばし動きを止める羽の様子に思わず固まってしまう。
セミの羽はいまや、胴体もすっかり隠されてしまうほどの色濃さをまとっていた。
ひわだ色を通り越して、こげ茶色に近い彩り。先ほどまでは薄黄緑の葉脈にしか思えなかったラインも表面にはっきり浮かび上がり、樹木の年輪を思わせる模様を形作っていたわ。
けれど、それだけじゃない。
私も周りの友達も、向かって左側の羽に視線を注いでいた。
そこには、木のうろそっくりの大きな斑点が浮かんでいて、あの年輪のような筋がまわりを取り巻いていたんだけど、ただの模様には思えなかった。
二つの渦状の筋は目。斑点の部分は大きく開かれた口に見える配置で、それは人が顔をゆがませながら、叫んでいるかのような格好に思えたものだから。
それも長くは続かない。セミはまた羽を動かし始める。
今度は飛んだ。上へまっすぐ、かぶせていたはいちょうさえも高々打ち上げ、そばの公衆トイレの屋根へ乗っけてしまうほど、力強く。
公園のまわりに植えられた木々の間を抜け、セミは飛び去っていくわ。それを見送る私たちだけど、どうしたことかその姿が小さくなる様子が見えないの。
滞空している? という私の想像は、あっという間に覆されたわ。
「影。あの影、おかしいだろ?」
友達のひとりが差すのは、セミの下あたりにできている影。
それはアスファルトをぐんぐん遠ざかりながらも、どんどんとその大きさを増して、影におさめる範囲を広げていく。
セミはとどまっていたんじゃなかった。むしろ、どんどん先へ進めながら、その図体を大きくしていたの。
その速さがいずれも?み合っていたために、あたかもセミ――いや、もうセミと呼んでいいか分からない生き物が、そこに居続けたように思えたのね。
やがてあの生き物は見えなくなってしまったけれど、どれほどの人が目にしていたか分からない。
先の事故のためかパトカーが駆けつける音が近づいてくるし、それに意識を向けてしまっていたかもしれなかった。
私たちのかくまったセミたちは、全員が動かなくなっている。あのセミが飛び立つ直前まで余力がありそうだったものたちも、もれなくね。
後になって、くだんの事故でもバイクの運転手が亡くなったことも聞いたわ。搬送さえも間に合わない、即死の状態だったとか。
ただ私たちは、ひょっとしたらあのセミもどきが、周りのセミごと運転手さんの命を運んで行ってしまったような、そんな気がしてならなかったの。