第3章
アレンはこの日、八時までにスポーツ・バーのほうへ出勤しなくてはならなかったため、バーへ行く前に<シュクラン>のほうへ顔を出すことにした。とりあえず、ポールは週3~4日、一日五時間ほどパートの身分で働くことになったのだが、アレンが店を訪ねた日、弟はすでに退勤したあとだった。店の裏口のほうから入っていき、事務室を訪ねると、そこで伝票をパソコンに打ち込んでいるルキアと出会う。
「ああ、ちょっと待っててね。今、うちの人呼んでくるから」
このあと、ルキアは狭い事務室にもうひとりいた事務員の女性に「店長のこと、呼んできてくれる?」と頼み、彼女は「わかりました」と言って部屋から出ていった。ルキアは相変わらず伝票打ちに精を出していたが、アレンはなんとなく「あのう……」と、言いづらそうに切り出した。アレンは人間としてエミリオのことが好きだったが、それでも話しやすいのはどちらかというとルキアのほうだったからである。
「弟のポールのこと、雇ってくださってありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか……」
「ああ、いいのよ。気にしないで。ただ、そこらへんのこともうちの人が色々説明するはずだから……まあ、人には向き不向きがあるという、そうした話よ」
(ああ、そうか。ミランダと俺の交際云々じゃなく、やっぱりポールのことなんだな……)
このあとアレンは、(弟がこちらで、何かご迷惑でも……)とか、(ポールの働きぶりっていうのは、どんなもんでしょう)といったように聞こうかとも思ったが、ルキアがどうやら帳簿付けに熱中しているようだと見てとって、ただ黙ってエミリオがやって来るのを待つことにした。
先ほどの事務員の女性と一緒に、廊下をエミリオがずかずかやって来るのを見て――アレンは目と目が合うなり、なんとなく彼に一礼した。エミリオ・ダルトンはどこかしら人に緊張感を抱かせるところがあり、その上彼の愛娘のひとりと交際中ということにでもなれば、その緊張感は嫌が上にも高まろうというものである。
「ああ、君も忙しいのにわざわざすまんな。ミランダからは、君が相も変わらずバイトばかりして、体を壊さないのが不思議だ……といったように、よく聞いてるよ」
「いえ、体が丈夫なだけが、取り柄なもんですから……」
<社長室>などと、ドアのところに書いてあるわけではないのだが、その小さな十畳ほどの部屋は、エミリオ専用の個室だった。ブラインドのかかった窓の前に、どっしりしたマホガニー製の大きな机があり、その前にテーブルを挟んで灰色のソファが二脚、向かい合わせに配置されている。
この時、エミリオはマホガニーの机のほうへではなく、灰色のソファのほうに腰掛け、アレンにも向かいのほうへ座るよう、それとなく目線で促した。
「うちのケーキを持って来させようか?何か食べたいものがあれば、どれでも……」
「いっ、いえ、いいんです。それより、用向きのほうを早速お伺いしたいと思います。エミリオもお忙しいでしょうから……」
「はははっ。それは君のほうこそ、というやつだな、アレン。じゃあまあ、単刀直入に言わせてもらうとするか。まあ、その……君の弟ということなら、俺は顔パスくらいな気持ちでいたもんで、面接のほうはルキアに任せておいたわけだ。何分、地方の菓子工場へ行く用があったもんでね。そしたら、その日の夜、店の業務がすべて終わったあとで――女房がこう言うわけだよ。『いくつも面接落ちてるっていうのがなんでだか、わたしすごくわかる気がするわ』ってね」
「…………………」
エミリオはテーブルの上にあった煙草を手に取ると、一本そこから抜きだし、一服してから続けた。
「なんというかこう……まあ、日本のトーフだかコンニャクだったか忘れたが、確か日本食にそんなようなのがあったろう。ルキア曰くな、そのくらいぐんにゃりした湿っぽい印象で、もし娘のボーイフレンドの弟っていうことでもなかったら、自分なら絶対雇わなかったろうってことなんだよ。実際のところ、まだうちで働きはじめて一週間にもならんわけだから、もう少し長い目で見る必要はあると思う。だがなあ、働きぶりもあまりいいとは言えんわなあ。いや、俺やルキアはそれでも構わんのさ。ただ、ポールのほうでどう思ってるのかと思ってね。何分、アレンも知ってるだろうが、うちは女性ばかりが多い職場なもんだから。若い子もいることにはいるが、それでもポールから見ればお母さんくらいの年のパートのおばさんが多いわけだ。だから、その人たちにしてみれば『あらあ。うちの息子と同じくらいの年ね』ってな具合で、色々親切にミスもカバーしてくれる。けど、ポールのほうでは気を遣い通しで疲れてるんじゃないかと思ってね。かといって、面接で落ちるから仕事がないってことなら……何故面接で落ちるのか、根本的なところを先に教えてやっちゃどうだと、ルキアがそう言うもんでね」
「弟が何か……ご迷惑をおかけしたみたいで……」
エミリオは(そんな気遣いは一切無用だ)というように、煙草を持っていないほうの手を軽く振った。そして、再び一服してから続ける。
「まあ、ようするにだな……ポールは軽く対人恐怖症の気があるんじゃないかと、ルキアは言うんだよ。たぶん、君は兄貴だから、そういう症状が出ないので気づかなくても無理はない。今日もな、昼の十一時くらいにやって来て、四時くらいに退勤したのかね。他のパートの人たちなんかが、『もっとこうしたら』とか『ああしたら』とか教える間も、すっかり恐縮して縮み上がってるのが、透明な板越しに察せられるくらいだったよ。きっと、家に帰ったあとはたったの五時間働いただけとは思えないくらい、すっかり疲れきってるんじゃないかと思ってね」
「そうですか。じゃあ、面接の時もそんなふうに恐縮しきった様子で受け答えしていたのでは……受かるものも受からないと考えたほうがいいっていう、そうしたことですよね……」
弟のポールの性格から言って、ほんの小さなことにも三回くらい『すみません、すみません、すみませんっ!』とあやまり倒しているだろうな、くらいのことはアレンにも容易に想像はつく。だが、他の人の目から見て対人恐怖症と感じられるくらいだとは流石に考えてもみなかったのである。
「まあ、俺とルキアの考えではね、うちの職場がそういうリハビリの場になればいいけど、本人はそのあたりのことをどう考えてるんだろうなあという話なのさ。何分、兄ちゃんがせっかく紹介してくれた職場と思えば、辞めたいともなかなか言いにくかろうと思ってね」
「そうですか。すみません、本当に何から何まで、色々お気遣いいただいて……」
「いやいや、そのあたりについては君が気にする必要はないよ。うちは女性の店員が多いわけだが、やっぱり女性ばかりだと、時にお客さんの気づかない水面下でギスギスするってことがなきにしもあらずでね。そういう時、たま~に若いバイトの男の子が入ってきたりすると、何故かそのあたりの人間関係の障壁がなくなったりとか、仕事が出来ないこと=マイナスとばかりも言えんわけでさ。時々、『ただそこにいるだけ』で役に立つ人間てのもいるし、ただ、ポールの場合は自分の能力のなさに落ち込むばかりなんじゃないかと思ってね。まあ、うちをやめたいとそのうち言ったとしても、俺のほうでは一向気にせんよ。ケーキ屋の店員なんて小さな仕事と思って、男はもっと大きな仕事をしたほうがいいとでも、君は兄として励ましたらいい」
「いえ、そんな……『シュクラン』のケーキは、芸術的な美味しさですよ。それに、店内もオシャレだから、ここでバイトでいいから働きたいっていう人はたくさんいるのに、そこを縁故みたいなもので無理に入れてもらったんです。でも確かに、そのあたりのことは一応、ポールに聞いてみようとは思います。貴重な助言をいただいて、本当にありがとうございました」
この時ふと、アレンはきのう、弟が「あんまり食欲ないんだ」と言って、自分の作った夕食を残していたのを思いだしていた。やはり、ここで働くのが大きなストレスになっているのだろうかと、そう思わぬでもない。
「ところでだな、アレン。九月頃からユトレイシア・クロニクル紙で、君のコラムがはじまるそうじゃないか。ミランダがな、まるで自分がその連載を開始でもするみたいに、有頂天になって喜んでたよ」
「ああ。あれですか……そもそも、ミランダが大学の文学部の教授に推薦してくれたのがはじまりだったもんですから、あの文章がもし本になったとしたら、最初のページに『ミランダに捧ぐ』とでも印刷してもらおうと思ってて」
まだコラムの連載がはじまったわけでもないのに、エミリオはソファの脇にあるマガジンラックから新聞をいくつか取り出している。そして、昔からクロニクルのライバル紙とされるユトレイシア・ジャーナルのほうはそこらへんに吹っ飛ばし、今日のユトレイシア・クロニクルの朝刊、第一面を指で叩いた。
「いやいや、大したものじゃないか、アレン!俺はまだ君の書いたものを読ませてもらったわけじゃないがね、あの文学のことではいちいち一家言あるらしいミランダが、君の書いたもののことは褒めてたからね。ピュリッツァー賞ものじゃないかと、こう言うわけだ。俺は毎日新聞を読むくらいなもんで、娘のように小難しい本を読むのは苦手だが……ただ、少しばかり老婆心から君に忠告しておきたいことがあってね」
ミランダは確かに自分にも、『あんた、これピュリッツァー賞もんよ!』とよく言うのだが、そこまでの価値のないことは、誰よりも書いたアレン自身がわかっていることだった。ゆえに、アレンはこの時も決まり悪そうに曖昧に微笑むことしか出来ない。
「その、な。うちのダルトン家の事情ってものを、ミランダがどの程度君に話したかはわからない。だが、我が家も実家が貧乏な上、三人兄弟どころか六人も兄弟姉妹がいて……その中で割と経済的に成功してるっていうのが、末っ子の俺だけなんだよ。今は年を食ったもんで、同じことをしろと言われたらきっと病院に運ばれちまうだろうが、若い頃は一日軽く十六時間は働いてたもんだ。それで、その翌日はまた朝の四時前に起きるという生活さ。そしてそんな苦労多き生活を長きに渡って送ったのち――ようやく今のある程度安定した暮らしを手に入れたというわけだ。俺の場合はな、俺がこの首都ユトレイシアに自分の第一号店を出した時……まずはひとつ上の兄がやって来て、『金を貸してくれないか』と言いにきたわけだ。実際のところ、上に五人いる兄弟姉妹の中で一番仲が良かったもんで、悩んだよ」
「それで、どうなさったんですか?」
エミリオは、溜息でも着くように煙草の煙を吐いて、言った。
「『兄貴に貸せる金はない』と言って、断った。何故かというとな、実際本当に金なんかなかったからなんだ。まず、店を出すのに銀行から借りた借金があったし、ルキアはシンシアを妊娠中で……妻に相談しようとすら思わず、『俺にあるのは借金だけで、本当に金なんかないんだよ』と、銀行が寄越した返済計画書のほうを見せたんだ。そしたら兄貴は涙ぐみながら納得して、むしろ『悪かった』と言って田舎のほうへ帰っていったんだ。まあ、うちの兄弟だけじゃなく、ルキアの親類縁者にも、そういった勘違いした手合いがいてな、金に困って狂言自殺した者までいるくらいなんだ。こんな小さなケーキ屋なのに、そんなに儲かると思われてるのがまったく驚きなんだが……もう何度となく似たようなことがあるうち、俺もルキアももう自動的に金の無心については断るようになってた。そしたら、ルキアの妹の旦那さん、中途半端な首吊り自殺をして救急車で運ばれることになってね」
「それで、どうなったんですか?」
エミリオは首を振った。仕種だけを見れば、『残念なことに死亡した』と取れそうなものだが、彼はなんとも言えないような苦い笑みを浮かべている。
「もちろん助かったよ。単にな、俺たち夫婦がほんの1万ドル(約百万円)程度貸してくれさえすれば、自分たちも小さな店をはじめられるのに……みたいな、何かそんなことだったんだ。だがな、その店ってのが中古の本やらアンティーク品やらを扱う骨董品店ということだったし、俺もルキアも金を貸すとしたらそれはもう返ってこないことを意味してるとわかってたんだよ。ただの、借金申し込みを断られたことに対するあてつけ自殺だったんだが、暫くの間は俺もルキアも『血も涙もない守銭奴』みたいに、ロドリゲス家の人々には非常に評判が悪かったんじゃないかね。その後も、ヴィクトリア・パーク通りに2号店を出すって時も、セントラルのダイアローグ地下に3号店を出すって時も……あるいはテレビの『美味しいお菓子百選』ってな番組に出た時も――そのたびごとに何故か、親戚の誰かしらが金貸してくれって言ってくるわけだ。そのたびに、俺やルキアの言うことはまったく同じでね。2号店を出すのにまた銀行から借金したから金なぞないとか、まあそんなところさ。ああ、何かくだらん愚痴をこぼしてしまったようですまんな。ようするに何を言いたかったかというと、今後新聞に、毎週木曜の朝ごとにアレン・ウォーカーの名前と文章が印刷された場合、必ず君の田舎の親戚なり、あるいは大学の友人の誰かなりが……『金を貸してくれ』って言ってくるだろう。その際、君は一体どうするつもりなのかと、一応先にその心積もりのほうを聞いておきたかったもんでね」
「いや、その……ミランダから聞いてるかどうかわかりませんが、俺の書いてる文章の内容っていうのがそもそも、金がなくてギリギリの生活で、そんな中どうやって学生として暮らしてるかみたいな、そういった手合いの内容なんですよ。だから、あんまりそうしたことについては心配してないっていうか……」
「いや、絶対誰かしらから、金貸してくれってアプローチしてくる奴が現れると俺は思うね。俺が一体何を言いたいかというとだな、アレン。相手に一体どんな切羽詰った事情があろうと、金なぞというのは誰にも貸さないほうが最終的に正解だということなのさ。俺とルキアだってもちろん、このことでは時に深刻に悩んだよ。だって、親父やおふくろから電話がかかってきて、兄のサルバトーレが小さい時、どんなにおまえの面倒を見ていたかだの、泣き落としてきたことだって一度や二度じゃないんだから。だけど、俺たちの場合はもしかしたら、親類縁者の数が多すぎたのがよかったのかもしれない。そのうちの誰かひとりに貸したら、次に借金の申し込みにやってきた者を断ったのはなんでかみたいな話になるだろ?だから、公平性を期すためにも、誰の借金申し込みにも応じなかったんだ。そして、今俺とルキアが思っているのはとにかく――そうしておいて良かったということなんだよ」
「…………………」
エミリオがなんともしみじみとした、含蓄のある顔で頷いているのを見て――アレンは暫し黙り込んだ。正直なところを言って、週に一回、木曜の朝刊にコラムが一本載ったところで、そこから得るアレンの収入などというものは、笑ってしまう程度のものでしかない。ユトレイシア・クロニクルの編集者曰く、『新聞に掲載された時の原稿料は薄謝程度のものだが、これは君の本が売れるための宣伝だと思ってくれ』ということだった。『一年間の連載が終わって、一冊の本になった時にはしかるべき金額が君のものになるし、いきなり無名の人物の書いたものが本になったところで誰も読まない。本屋の隅で埃を被るといった程度のことさ。それより、一年我慢してくれれば、君は必ず物書きとして成功するよ。このことは保証する』と。
「おかしなことを言うようだがね、俺の親戚の誰かしらやルキアの親類縁者の誰かしらが金を借りようとしてくるのには……おそらく、成功してるように見える人間に対するひがみというかな、そうした嫉妬みたいな感情もあったと思うんだ。だから、アレン。きっと君の名前が一流の新聞のひとつの欄を飾っているのを見て――必ずなんらかの行動を起こす人間というのが今後現れるだろうと思う。その時、もし新聞社からきっと結構な原稿料をもらってるに違いないと勘違いしたような輩が『金貸してくれ。必ず返すから』なんて言ってきた場合、今俺がした話のことをようく思い出すようにしてくれ。君と、ミランダの今後の幸せのためにも」
「肝に命じておきます」
アレンは言いたいことなら色々あったが、とりあえず神妙な顔をしたまま、そう短く答えるに留めておいた。このあと、アレンはエミリオの世間話につきあったのち、ポールのことであらためて礼を言い、バーのバイトに遅れるからという理由によって、ようやくその場を辞去していた。
一緒にいると若干緊張するとはいえ、アレンはミランダの父親と会って話をするたび、彼のことを(好きだな)と感じている。この日もエミリオと話してから、スポーツ・バーへ向かう途中も色々考えることがあったわけだが――その時ふと、(あのエミリオによく借金の申し込みなんか出来たもんだな)と、そう最後に気づき、思わず吹きだしそうになった。
というのも、エミリオは中肉中背ではあるのだが、何より緑灰色の大きな瞳の眼光が鋭く、彼と出会った人はおそらく、まずエミリオのこの印象的な目のことを絶対忘れないだろう。しかも、その顔の三分の一を占めているような大きな瞳で相手をじっと見、人と話す時には絶対に目を逸らそうとはしない。まるで、真実でない嘘を自分は決して見逃さない……といった眼差しで、いつでもエミリオは相手を凝視したまま、率直な話し方をする癖があるのだった。
そんな、どこかマフィアのような凄みのある顔の持ち主に――何気なくギロリと睨まれただけでも、(俺、なんか悪いことしたっけ?)と感じる眼差しの持ち主に対し――「悪いけど、金貸してくんねえかい?」とは、アレンには冗談でも言えない気がした。それが仮に、たったの十ドル(約千円)といった金額であってさえ、エミリオ・ダルトンという人間を前にした途端、そんな言葉はとてもではないが喉の奥から出てきそうにない。
(これは、相手のほうが相当骨が太いというのか、図々しいにもほどがあるといった性格をしてるってことなんだろうな。ルキアさんも現実的な実務家といった雰囲気の人なのに、あのふたりを前にして『金貸してくれ』とは、俺には口が裂けても絶対言えない気がする。それとも、今はそんなダルトン夫妻も昔はそうではなく、そうした世間の荒波に揉まれるうち、だんだん今のような性格が醸成されていったということなんだろうか……)
なんにせよ、成功している夫妻のことより、今は自分と自分の家族のことである。エミリオは、仕事が出来なくてもポールは人間関係の緩衝材として本人の気づかぬところで役立っている――といったようなことを言っていた。けれど、アレンが想像するにおそらく、それも働きはじめてまだ間もないからではないかという気がした。ポールが今後とも仕事の覚えが悪くモタモタしてばかりいて、『すみません、すみませんっ!』とあやまってばかりいたとすれば……「あの子がいるとわたしたち、余計な仕事が増えるわねえ」ということで意見が一致しだしたり、そうこうするうちポール自身、『シュクラン』へ出勤するのがだんだん憂鬱になっていくことだろう。
スポーツ・バーのロッカーで着替えている時、アレンはポールの今後のことを思って溜息を着いた。だが、自分は自分で、仕事中は弟のことばかり考えてもいられない。また、アレンはバーテンダーの仕事を終えたこの帰り道、ポールのことだけでなく、エミリオが言っていた他のことについても考えるのを余儀なくされた。
と言っても、『金貸してくれ』問題については、アレンはそう深刻に受け止めてはいない。何故かというと、ポールやショーンというふたりの弟の今後のことを思えば、金などどれほど無心されようとも、アレンには『そんな金などない』としか答えようがない。そして、そのことに関して何か感情的に不快感を味わわされようとも、そんなことよりアレンには家族との今後のこと、あるいはそんな誰かに貸す金があるなら、ミランダに大きなダイヤの婚約指輪でもプレゼントしたいところなのだから――実際的な金銭的被害が出るとは思えなかったというのがある。
だが、エミリオ・ダルトンが「老婆心から」と言ったとおり、彼の言葉はある種の予言のように、今後アレンの上に成就していくということになる。そしてそれは、夏休みが終わった、秋学期がはじまって以降、金銭問題というよりもある種の有名税の取立てといった形によって顕在化してくるということになるのであった。
>>続く。