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第2章

「ポールおまえ……その頭、一体どうした!?」


 ユトレイシア中央駅にて、田舎からはるばる電車でやって来た弟を出迎えた時、ポールの艶やかな紫の髪を見、アレンは驚いた。


「いやあ、べつに深い意味なんてないんだけどさ。この間友達とコミケに行った時、それぞれコスプレしたわけ。で、俺はSFロールプレイングゲームの『スペース・ディザスター』に出てくるオーランド・オーに扮したんだよ。ほら、これがその時の写真」


 ポールはスマホをぱぱっと操作すると、親友のジェイクと銃を片手にポーズを決める写真を兄に見せた。


「ジェイクの奴は、カエルみたいな緑の髪の色ってわけか。というよりもうほとんど蛍光黄緑だな、こりゃ……なんだ?コミケに行く前に美容室にでも行って染めてもらったのか?」


「まっさかあ!!そんな金、うちの一体どこにあんだよ、兄ちゃん」


 ポールは背中にリュックを背負い、左手に安物のキャリーケースを引き、さらにボストンバッグを右肩に掛け直して笑った。


「ジェイクんちの部屋でさ、ドラッグストアで買ってきたヘアカラー使って染めたんだよ。美容院なんか行ったら、ただ髪染めてもらうってだけでも結構取られるだろ?そのくらいだったら、自分たちで染めたほうがよっぽど安上がりってもんだ」


(まさか、頭を真紫にして出勤したら、その日から周囲の人間の態度が突然冷たくなったとか、そんなことが新聞配達をやめた原因ではあるまいな……)


 アレンはそのあたりのことを冗談めかして聞きたくはあったが、とりあえず場所を移動しようと思った。何分、ユトレイシア中央駅へは一日に二百万人もの人の出入りがあると言われるように――高速列車の待合室に立っているというだけで、ひっきりなしに次から次へと人が通り過ぎてゆく。こんなところでは落ち着いてゆっくり話など出来たものではない。


「とりあえず、どっかそこらへんの店にでも入るか。ポールも腹へったろ?」


「いや、いいんだよ、兄ちゃん。イサカからここまで来るのにも金かかってるし、俺のこと家に置いてくれる間もさ、いつでもメシのほうは安上がりなもんでいいよ。外食なんてするより、どっかのスーパーででもちょっと何か買ってったほうが絶対いいって。あ、なんだったら俺、ピラフとか作ったっていいし」


「…………………」


 貧乏な家に育ったのだから仕方ない――と言えば、確かに仕方ないのかもしれない。だが、自分と母のトリシアが、一ドルでも安いスーパーで一ドルでも安く買物すべく、節約に節約を重ねる姿をずっと見続けたせいだろう。経済観念がしっかりしていると言えば何やら聞こえがいいが、自分も母もそうした教育を弟に授けすぎたのではないかと、アレンは少しばかり反省した。


 このあと、駅構内の地下にあるレストラン街で、「いいから、今日くらいなんでも好きなもん食え」と言って、アレンはポールのことを居並ぶ店のほうへ案内した。中華、イタリアン、日本の回転寿司の店など、十数店舗もの飲食店がそこには入っており――今は午後四時過ぎではあったが、それでも人気店のほうは人が並んで待っているところがいくつもある。


 結局この時、兄がしきりと「ステーキでも寿司でもなんでもいいんだぞ」と言ったにも関わらず、ポールはファミレスを選んでいた。店先を覗き込んでいる時の、弟の視線の彷徨い具合から見て、アレンにはわかっていた。彼はいつでも見本として並ぶメニューの値段のところをじっと見ているらしいということは……。


「兄ちゃん、首都ってのはやっぱすげえもんだね。ファミレスひとつとっても、店構え自体からしてハイカラで、イサカのデパートに入ってるのなんかとは比べものにならないよ」


 ポールはハンバーグ定食を頼み、アレンはカツレツスパゲッティを注文したのだが――アレンはもちろん、弟の言いたいことがよくわかっていた。彼自身、ユトレイシアへ来たばかりの頃は、それこそ田舎者丸だしで、見るものすべてに驚いたものだった。


 たとえば、このユトレイシア中央駅は十二階建てで、最上階のほうは展望台になっており、ユトレイシア市街が遠くまで見晴るかせるようになっている。地下二階から上の十一階までは、世界の有名ブランド店のみのらず、映画館やゲームセンターといった娯楽施設も入っており、アレンは友達とどこかで待ち合わせする時、いまだによく迷うことがあるくらいだった。というのも、ステーションを中心にして建物が北翼、東翼、西翼、南翼と分かれているからであり、「サウスゲートの前にある天使像の前」と言われたのに、ノースゲートの天使の彫刻のある噴水前でずっと待っていたり、イースト・ウィングのボーリング場と言われたのに、ウエスト・ウィングにあるビリヤード場でぼんやり立ち尽くす……などなど、携帯で連絡を取り合えなかったとすれば、友人たちとは永遠に出会えないままだったに違いない――といった経験を、この二年間、アレンは一体何度経験してきたろうか。


「まあ、俺だってここに暮らして二年ほどだが、ステーションの建物内ではあんまり買物ってしたことないかもな。グッチやシャネルやブルガリといったブランド店に用がないのは無論のことながら、ファッションに関してはなんでも一流の店が揃ってて値段のほうも高いし……兄ちゃんなんかは結局、イサカにもあるようなチェーン店で買物してることのほうが多いかもしれんな、実際」


「はははっ。でもさ、なんか物買うとか買わないじゃなく、こういう洗練された都会にやって来て、ちょっとウィンドウ・ショッピングするってだけでも、なんかいいもんだね。ただ、俺みたいな田舎もんはやっぱ、こういうところの店員さんに話しかけるってだけでもちょっと敷居高いかな。俺、駅で下りてからちょっと方向間違っちゃってさあ、西の10番ゲートじゃなく、東の10番ゲートからエスカレーター上がっちまったわけ。兄ちゃん、西の10番ゲートから上がって改札通ったらドーナツ店とその隣にタリーズがあるって言ってたろ?けど、スターバックスとその隣にマーメイドって名前のパン屋があったもんで混乱しちゃってさ」


「それで、どうした?」


 実をいうと、アレンはポールとの待ち合わせ時間に十分ほど遅刻していた。だが、彼が約束した通りの場所にいたということは、どうにか辿り着いたということなのだろう。


「うん。俺、一瞬パニクっちゃったんだけど、すぐそばに<総合案内所>っていうカウンターがあったから、そこの超可愛いお姉さんに事情を説明して、『タリーズへ行くにはどうしたらいいですか?』って聞いたわけ。そしたら、もうこんなこと慣れっこなんだろうねえ。構内の地図を取り出してさ、『お客さまが現在いらっしゃるのはこの場所です。ですから、こちらをまっすぐ行って右へ曲がって……』みたいに、超わかりやすく教えてもらっちゃった。てか、ほんと都会ってのは美人が多いんだね。みんななんかオシャレさんが多いし、そのカウンターにいた子もさ、髪の毛が銀髪で、金色のカラーコンタクト入れてんだよ!俺、一瞬ぼーっとしちゃった。だって、SFステーションの案内所にいるアンドロイドみたいな感じのしゃべりだったし、『ここはもしや近未来なのか?』なんて、暫く馬鹿げたこと考えちゃったくらい」


「はははっ。まあ、ポールの言いたいことは大体わかるよ」


 というのも――アレンはこれまた、弟とまったく似たような経験をしていたからである。ユトレイシア・ステーションには<ダイアローグ>という名の大型百貨店が入っているのだが、やはりアレンは目的地へ辿り着けず、あたりをぐるぐる回った最後、百貨店入口にある総合カウンターにいる美女に、ようやくのことで話しかけたということがある。そして、その時の彼女の反応というのが、大体のところ今ポールが言ったのとまったく同じだった。制服姿でビシッと決めており、話口調は丁寧かつ的を得ていて簡潔な受け答えなのだが、言ってみればどこかアレクサを思わせる言葉遣いなのである。


「兄ちゃんも、場所がわかんなくて話しかけたことあるんだけどな、なんというか、必要最低限以外の言葉は絶対使わない……みたいな、どっか突き放した冷たさがあるんだよ。けど、すごく丁寧にわかりやすく教えてはくれる。で、兄ちゃんが話しかけた総合案内所の女性もすげー美人だったもんで、あとからこう思ったんだ。たぶんな、あれで感情こめて懇切丁寧に教えてくれるって感じだったら、本当はどう行けばそこへ辿り着けるかわかってても、わかんない振りしたボーフラみたいな男が何匹も湧いて出るってことなんだろうなって。だから彼女たちは丁寧に教えてくれつつも、『うっせえな。こっちゃ仕事なんだよ。なんか変な勘違いすんじゃねえぞ』って冷たさを、いい意味で身に着けてるんだろうなって」


「わかる、わかるっ!俺が話しかけた子も、まさしくそーゆー感じだったもん。確かにねえ、一日に二百万も人の行き来があるって場所で、本当に困ってる人以外に余計な仕事増やされたくないだろうしなあ」


 このあと、食事する間も、食事が終わってアレンのアパートへ向かう間も、ふたりはあまり核心に触れるような話はしなかった。ただ、イサカのほうの暮らしのことや、母のトリシアや弟のショーンの最近の様子について聞いたり、あるいはアレンの首都ユトレイシアでの大学生活についてぽつぽつ語ったりしたというそれだけである。


 そして実際のところ、ポールは首都の中心部からそんなに離れていない兄のアパートメントを見て――暫くあんぐり口を開けていた。移動したのは、ユトレイシア駅から地下鉄で二駅分ほどで、ヴィクトリア・パークの7番出口から出て、歩いて十分程度のところにアレンの住む八階建てアパートはある。


「ヴィ、ヴィクトリア・パークって言ったらさ、あの花時計のところでお天気お姉さんが『明日のお天気』なんつって、毎朝生中継してるところだろ!?そっかあ。あの場所は本当に実在してたんだあ」


(そりゃそうだろ)とアレンは思ったが、弟の驚きっぷりがなんとも可愛いらしく、ただ笑って済ませておいた。


「ポールもテレビに映りたきゃ、大体その時間あたりにヴィクトリア・パークへ行けばいいよ。田舎もん丸だしで、綺麗なお天気お姉さんの後ろでピースサインでも決めてりゃいいさ」


「やだよ。いくら俺でも、そんな小っ恥かしい真似までは出来ないもん。まあ時々、いい年してそんなことやってるいかにも観光客っぽいおっさんを見たりするけどさあ。つーか兄ちゃん、ここ家賃いくら?もしかしてルームシェアしてて、その人、今夏休みで帰省してていないとか、そーゆーこと?」


 ポールはリビングにリュックやボストンバッグをどさっと置くと、階段を上がり、半上階になっている二階部分へ上がっていった。その階段自体もしっかりした手摺りのついたものであり、とてもオシャレだとポールは思っていた。


「ああ、そっちはな、ベッドルームなんだ。もしポールがそこを自分の部屋として使いたかったら、荷物とかそっち運んでいいぞ」


 アレン自身驚いたことには――ミランダは本当に「兄には女の影など微塵もない」とばかり、自分の持ち物をすべて持ち去ったのみならず、部屋中を掃除していってくれたのである。そしてアレンが弟を迎えに行く前にしたことといえば、ただひとつ。ナイトテーブルの中のコンドームを隠したことと、ハードなエロ描写のあるその手の本を本棚の後ろへ追いやったくらいなものである(もっともこちらについては、ポールが見たとしてもアレンはまったく気にしなかったことだろう)。


「えっとさ、兄ちゃん……母さんから聞いたかもしんないけど、俺できればこっちで勤め先見つけて働きたいんだよ。だから、あんな二階部分のいいとこじゃなくて――部屋の片隅にでも置かせてもらえたら、ほんとそれで十分なわけ。そんで、兄ちゃんの邪魔になんないよう、金ためて出ていけたらいいんだけど……首都で部屋借りるのって、実際すごくお金かかって大変なんだろうなあと思って」


「う~ん。まあな」


 これから弟のポールと同居することになること自体は、アレンにしてもまったく構わないことだった。また、本当にまったく「条件を問わない」のであれば……格安物件のオンボロアパートといったものは、いくらでもある。だが、アレンは兄として、弟が自分に遠慮をしてある日そうした場所へ引っ越すのだとしたら、ここで一緒に暮らしていたほうがいいだろう――といったように、この時瞬時にしてそこまで考えていたのだった。


「ポール、兄ちゃんはな、正直、おまえが新聞店やめた理由なんかについてはどうでもいいと思ってるし、そんなこと聞く気もないよ。首都で働いて運試しっていうのも、ある意味若い時しか出来ないことだから、それもいいと思う。ただ、こう……将来に何か目標があるとか、何かなりたいものがあるっていうんなら、一応先に聞いておきたいんだ。兄ちゃんが大学卒業するまで、あと二年か。まあ、そのあとでなら、何か専門学校行くのに多少金を都合してやったりすることも出来るかもしれんし」


 ポールは階段の下のほうに座ると、ここへ来る途中スーパーで買った食料品を冷蔵庫に入れる、兄の背中をじっと見つめた。


「俺さ、母ちゃんにも同じこと言われたんだ。何かなりたいものがあるんだったら、職業訓練校に入るとかしたほうがいいんじゃないかって。ほら、ああいうのの中には、学校でたばかりの若者や、失業中の人が受けるのにちょうどいいプログラムがあって、ただで受けられるのもたくさんあるだろ。けど俺、正直いってよくわかんないんだよ。そもそも自分が何になりたいのかとか、何をしたいのかとか、そういうことなんだけど……」


「まあ、ポールくらいの年で自分が何になりたくて、何をしたいのかわかってることのほうが、そんなに多くはないわな。けど、とにかく何かはしてなきゃならんし、とりあえずなんでもいいから働いてるって肩書きでもないと、イサカのような田舎じゃおまえも居づらかったってことだろう」


 アレンは冷蔵庫の中を軽く片付けると、最後にアイスコーヒーの入ったポットを取り出し、グラスに注いで弟に出した。ガムシロップ付きで。


「わあ。兄ちゃん、このガムシロップ、喫茶店で出てくるやつみたいだね」


「ああ。1ドルショップへ行けば、いくつも入ってるのを一袋買ってこれるわな。だからまあ、遠慮せずそんなもんでも入れて飲め」


「うん!でね、兄ちゃん。俺、早速今日から仕事探して、明日か明後日には面接いってさ、とにかくどっかで雇ってもらおうと思って。それで、給料でたらここの家賃とか光熱費とか、俺も払うよ。そういう条件だったら兄ちゃんのほうでも、少しか俺をここに置くメリットがあるだろ?」


「そうだなあ」


 この時、アレンの脳裏をミランダのことがよぎっていったが、この場合、彼女のことはあまり問題ではない。また、家賃を半分出せとか、光熱費を半分支払えといった考え自体、アレンの頭にはない。ただ、彼は兄として心配なのだった。弟がそんなことのために、無理して働きたくもない職場で労働に従事することになった場合――その後、なんらかの対人トラブル等があったとして、この気の弱い弟が自分に相談などするものだろうか……といった、そんなことが。


「まあ、そんなに焦ることはないさ。兄ちゃんも首都へやって来て、この二年くらいの間、色んなアルバイトをしてきたがな……たとえば、コンビニで週六日八時間働くだの、あんまりそうした働き方はして欲しくないわけだ。なんでかわかるか?」


「えっと……なんで?」


 すでにそうした発想があったのかどうか、ポールはどこか不思議そうに首を傾げている。ガムシロップを入れた、美味しい水出しコーヒーを飲みながら。


「ほら、一応理屈としてはな、それがシフト的に一番金になるように思えるにしても――まあ、ポールも実際に働いてみればわかる。とりあえず兄ちゃんはコンビニでは長続きしなかった。毎日同じことの繰り返しで単調だからとか、そんなことじゃない。大学の寮の先輩に、時給の上がる夜間帯でずっと働いてる人がいるんだが、その先輩はそもそも要領がよくて頭のいい人だったし……夜間帯の場合はな、品出ししたり掃除したり、あとは時々やってくる客に対してレジ打ったりといったところで、『昼間よりラクで最高!』ってその先輩は言うんだが……まあ、人には向き不向きがあるということさ」


「ふうん……」


 ポールはやはり、兄が何を言いたいかがわからないらしく、不思議そうに首をひねるという、ただそれだけだった。


「まあ、とにかくなんでもやってみればいいさ。実家にいたんじゃな、コンビニのアルバイトでもなんでも、3か月くらいでやめたとすれば母さんに心配かけるだなんだあるかもしれないが、兄ちゃんはそういうの、あんまり気にしないから。むしろ逆に、『これなら面白そうだな』とか『自分でもやれそうだ』ってものに挑戦して、それでつまらなかったり、あるいはなんだかんだ人間関係で問題が出てきたとすれば……その時々でやめるかどうかについてはよく考えればいい。あと、兄ちゃんは夏休み期間もバイトバイトで家にはいないことが多いだろうし、それは大学がはじまってからも大して変わらんだろうな。だから、その間はポールも、この部屋で伸び伸び過ごしてたらいいよ」


「兄ちゃん、ありがとう!俺、これから頑張るよ」


 ――ということに、一旦話のほうは落ち着いた。こののち、ポールは有言実行とばかり、ネットのアルバイトサイトのほうをじっくり調べ上げ、まずはエムドナルド・バーガーの店員募集に応募したようである。アレンにしても、そう聞いた時……(まあ、たぶん受かるんじゃないかな)と思っていた。そしてその後3か月くらいで弟が「接客業は俺に向かない」だなんだと言ってやめたとしても、彼としては「それもいいだろう」くらいな考えだったのである。というのも、アレン自身、倉庫内で重い物をただひたすら黙々と運ぶ……といった仕事には向いていると思っているが、愛想がない上口ベタなので、接客業には絶対向かないと自分で思っていたというのがある。


 ところが……。


「兄ちゃん。俺、エムドナルド・バーガーの面接に落ちちゃった。だから、何か別のとこ探して面接に行くね!」


「あっ、ああ……だが、珍しいな。べつにハンバーガー屋を馬鹿にするわけじゃないが、ああしたファーストフード店ってのは、学生とか、学校を出たての若者には優しいというか、兄ちゃんはそういうイメージ持ってたんだが。ほら、ポールは中学・高校と六年新聞配達してて、履歴書の職歴のところがなしってわけでもない。むしろ、辛抱強い性格なんだろうなって感じで、きっと雇ってもらえるに違いないとばかり思ってたんだが」


「どうかなあ。ほら、俺田舎のレベルの低い公立校卒だからさ、もしかしたらそういうところで引っかかったのかも……」


 ちなみに、ポールは面接へ出かける前に、髪のほうはスプレーで元の黒毛に近い状態にして出かけていったという。面接官の態度も概ね感じが良かったが、翌日にはメールにて、不採用通知のほうが送られてきたという。


「いやあ、イサカみたいな田舎にある高校の、どこがレベル高いだの低いだの、そんなことまで面接官が考慮するとは思えんね。まあ、ここから近くてちょうどいいと思ったのがポールの志望動機かもしれんが、なんにしても、縁がなかったってことだろ。次がんばれよ」


 ――こうして、ポールは今度はファストファッションの店員の面接、フランチャイズ・レストランの面接、某KFCのバイト面接、トラック・ドライバーの助手のバイト面接、ユトレイシア・ステーション内に入っている雑貨店の面接……などなど、その後いくつもの面接を受けまくったが、とにかくひたすら落ち続けてばかりで、アレンも弟にかける言葉を失いつつあった頃のことだった。


「その後、弟のポールくんの様子どう?」


 アルバイトの合間にデート中、ミランダは喫茶店にてそう聞いた。ふたりはこれから、ユトレイシア・ステーションの西翼にあるシネマ・フロンティアのほうへ映画を見に行く予定だった。


「それがなあ。これから俺たちが映画見に行くシネコン、そこの店員のバイト面接にも行ったんだが……翌日には不採用通知が届いて、俺としてはもうかける言葉もないってところだ。正直、俺にも弟の何が悪いのかさっぱりわからんし、ほら、確かに弟は新聞配達以外、職歴なんてなんにもないよ。けど、その分すれたところがなくて、色々物も教えやすくていいと思うんだが……」


「だったら、うちで雇ってもらえば?」


 ミランダはタピオカミルクティーを飲みながら、事もなげにそう言った。ポールが面接を落ちまくるうち、すでに一月が経過し、今はもう七月も下旬である。


「うちって……」


「アレンの弟が今首都にやって来てて、アルバイト探してるって言ったら、きっとパパかママのどっちかが『そういうことならいいよ』って言うと思うのよ。前、写真見せてもらった時思ったけど、ポールくんってあんたに全然似てないじゃない。きっとお母さん似なのね。色白の優男風で、なんかほっそりしてて女っぽいし……ケーキ屋でうちの店員の女子たちに混ざってても、違和感ない感じするもの。まあね、ケーキ屋の店員なんて、ただ相手が選んだケーキを箱に詰めてりゃいいなんて思うかもしれないけど……あれはあれで、慣れるまで結構大変だし、コツがいるのよ。たとえば、お客さんがケーキを七個選んだとするじゃない?そしたらまず、七個入りそうなボックスを選んで、そこにケーキやらゼリーなんかを七つ入れると。今は夏だから保冷剤を詰めたりするわけだけど、ちょっとした隙間なんかが出来た場合、ナプキンを入れてズレないようにしたりとか……自分で買う分にはね、『そんなもんでしょ』と思って受けるサービスだけど、わたしみたいな不器用女がやった場合、ママに言わせると『我が娘でもこんなモタモタしたバイト店員、絶対雇いたくない』ってことになるらしいわ」


「だけど……本当にいいのか?」


 アレンにしても、弟のポールが洋菓子店の店員に向いているとはまるで思ってはいない。どちらかというとむしろ、ミランダが今言ったような『モタモタ店員代表』といった感じになるだろうことは、まず間違いない。また、兄貴が紹介してくれた場所だからというので、『向いてなくてストレス溜まるけど、逃げるわけにもいかない』といったふうにポールがなるのではないかと、そんなことも心配だった。


「うん。べつにね、あんたの弟だからどうこうとか、父さんも母さんも、そういうのは全然ないと思うの。ほら、結局うちだって今まで一体何人のバイト店員雇ってやめていったかって話よ。正直、わたしだって自分んちのケーキ屋で働くのなんて絶対いやだもの。わたしが店長のパパや専務のママの娘だからとか、まったく関係なくよ。なんでかわかる?」


「いや……」


「だって、うちって店員さんたちがケーキを箱詰めしたりするすぐ真後ろで、透明な仕切りがあるとはいえ、そっちでパティシエの人たちが作業してるところが丸見えになってるじゃない?もちろんね、向こうは向こうの仕事に集中してて、こっちのことなんか大して気にしてないってわかっちゃいるわよ。だけど、なんか絶えず見張られてるような気がしちゃうし、毎日店内に客がいないってことがほとんどないんですもの。そういう忙しさの中働いて、アルバイトは最初、最低時給スタートだし……あ、このあたりのことはアレン、あんただって短い間とはいえ、うちで働いたことあるんだからわかるわよね」


「あっ、ああ……」


 最低時給スタートについては、弟のポールは気にしないだろうと、アレンにしてもわかっている。むしろ、イサカよりもその最低時給額が高いため、「兄ちゃん、首都で最低賃金でアルバイトしたってだけでも、イサカで働くよりずっと儲かるよ」と驚いているくらいだった。だが、やはりアレンは何かが心配だった。結局のところポールが「俺はケーキ屋の店員すらまともにやれないのか」と落ち込んでやめることになったり、そんなこんなで3か月程度でやめたとすれば――ただ、店に迷惑をかけて終わるのではないかという予感のすることが。


「じゃあ、今日家に帰ったら母さんか父さんにそう話しとくわね。アレン、あんたが何を心配してるか、わたし、これでもちゃんとわかってるつもりよ。だからね、アレンとしては弟に何かしらの社会経験を積ませたいわけだから、すぐやめちゃうかもしれないけど、そこをなんとか……みたいに頼んでおくつもり」


「ありがとう、ミランダ。もしアレンのこと雇ってもらえたら、俺からも親父さんにそのあたり、一度ちゃんと挨拶しに行くよ。っていうか、雇ってくれたお礼を言って、『至らない弟ですが、よろしくお願いします』って頭下げとかなきゃな」


「ふふっ。うちの父さんも母さんもねえ、なんでか知らないけど、アレンのこと気に入ってるのよね。で、この間も高校を卒業したばかりの弟さんを一緒に住まわせてやって面倒みてる……なんて言ったら、『あらまあ。うちの娘たちに、アレンの爪の垢でも煎じて飲ませたいわね』ですって。ほら、姉のシンシアと妹のリンジーが今帰省してて、『わたしが取っておいたあんみつ食べたの誰!?』だのなんだの、くだらないことで喧嘩したりするもんだから、きっとそのせいよ」


「あんみつか。なんだっけ。なんか最近流行ってるよな……日本の有名なスイーツのゼンザイとかキナコモチとか、色々」


「そうそう。妹のリンジーがね、そういうところからインスピレーション受けて、新しい創作スイーツ作るとか言ってはりきっちゃってるのよ。パティシエの専門学校で、夏休み明けにそういうコンクールがあるんですって」


「で、結局そのあんみつとやらを食べたのはミランダなんだろ?」


「ふふん。『わたしじゃないわよ』って、ツラっと澄ましてシラ切り通してやったわ。結局父さんが同じ店まで行って、またあんみつとかオモチとかダンゴとかいうのを各種買ってきて、リンジーの機嫌はすっかり良くなったというわけ」


「やれやれ。しょうがない姉さんだな」


 この日、ふたりは韓国のホラー映画を一本見て帰ってきたのだが――夜の九時頃電話が来て、『父さん、ポールくんのこと雇ってもいいって』と、ミランダはあっさりそう言った。『ただ、一応形式的に面接はしておきたいってことでね。まあ、堅苦しくない程度の、ざっくばらんな世間話をするだけと思って、一度店のほうに顔だして欲しいってことだったわ』


「ありがとう、ミランダ。恩に着るよ」


 そう言って、アレンは二階の部屋でゲームしている弟の元まで、この朗報を伝えにいった。すると、ポールはゲームのコントローラーを手放し、あんぐり口を開け、ドア前にいる兄のことを振り返っていた。お陰で、操作していた攻撃戦闘機が一瞬にして大破する。


「えっ!?そりゃまあ、雇ってもらえるだけ、有難いけど……でもいいのかなあ。アレン兄ちゃんの弟だから、もっとしっかりしてるかと思いきや、なんかフニャフニャした頼りなさそうなのがやって来たとか、そんなふうに思わたらどうしようなんて、俺は思っちまうんだけど」


(一応、人から見て自分はそんなふうに見えるらしい……という自覚はあるわけだな)


「まあ、向こうだってもう洋菓子店開業して二十年にもなるんだ。その間、色んな人が辞めていったり、時に人間関係でトラブルが起きたなんてことも、きっとあったんじゃないか?だから、そこに知りあいの弟の若いのがちょっと加わったからって、そんなに気にしないってことなんだと思うよ。一応、形式的なこととして面接はするけど、それはあくまでポールがどんな人間かを知るための、軽い雑談の時間みたいに思ってくれればいいってさ」


「ふう~ん。理由はなんにしても、雇ってもらえるのは有難いよ。兄ちゃん、ありがとう!俺、ケーキ屋でもなんでも、とにかく一生懸命がんばるよ」


 ――こうして、洋菓子店『シュクラン』にて、ポールは店員として働きはじめたわけだが、弟が『シュクラン』で働きはじめて四日後、ミランダの父、エミリオから携帯へ直接電話がかかってきて……正直、驚いたわけである。以前アルバイトしていた時、履歴書のほうに携帯番号は書き記してあったため、彼が電話番号を知っていたことに対する驚きではない。ただ、(弟のことか、はたまた愛娘との交際に関することか)と、一瞬そうした思いが駆け巡り、通話ボタンを押すのを躊躇ってしまったのだ。


 用向きのほうは、『出来れば近いうち、店のほうへ寄ってくれないか?』ということだった。ポールを雇用してくれたことに対し、あらためて感謝と礼の言葉を述べたのち――「弟が何か、粗相でも……」と、アレンが切り出すと、エミリオは彼にしては珍しく、どこか歯切れの悪い物言いをした。『まあその、なんだな。ポールは一生懸命頑張ってるとは、私もルキアも思ってるんだ。ただ、そうしたことも含めて……少し、話したいことが出来たもんでね』


 このあとアレンは、「そういうことでしたら、今日中に必ずお伺いします」と返事をし、『五時以降であれば、いつ来てくれても構わんよ』という返答をエミリオから受けていたのだった。




 >>続く。






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