■逃亡 ◎アスア
街中はひっそりしており人通りもまばらである。それとなくピリリとした緊張がはしるのは、車道に軍用車両と警察車両しか動いていないせいもあるのだろう。
「自分が軍の養成所に入れられたのか疑問でしたけど、いまわかった気がします」
走行している軍用車両の中、少女が重い沈黙の中で口を開いた。
「この事態を我々は常に想像していました。それが今日、遂にやってきたというところです」
向かいに座っていた男が応えた。
「和養の世で戦乱を引き起こすなんて……」
少女の声が震えている。俯いていたため男からその表情はうかがい知れない。ただ、自らの膝を支える両腕が見るかに震えていた。
「これから私はどこへ?」
「港です。アスア様にはハルキアを離れていただきます」
「行き先は教えてもらえないのですね」
「私も教えてもらっていませんので」
アスアと呼ばれた少女は本当だろうかと眉をひそめる。
「つまり、今回の件はすべて偶然が重なった結果ですよ」
「……そういうことにしておきましょう」
ある程度、想定はしていたということだろう。それが不本意ながら的中してしまったというわけだ。
「私を逃がして、あなたは大丈夫なんですか?」
「私の任務はあなたを逃がすことと、ここに残ることです」
「それは身の保証があるからこそできる行動です」
「我々、軍人には規律と法があります。私は上官の指示で動いていますし、それ自体は合法です」
アスアはまっすぐに男の顔を見つめる。男が動じないのはこれ以上の答えを要求するなということだろう。
「港まで行けたとして、私がハルキアから脱出するのをセイオームが見逃しますか?」
セイオームがハルキアに侵攻をした理由について公開されているものはあくまで表向きのものだ。本当の目的はアスア自身にあった。彼らは皇族を血眼になって確保しようとしている。
「幸いなことにフユクラードとの連携がうまくいっていないようです。損耗が想像以上に大きいので、追撃は厳しいと予想されます」
「私が逃げることで、戦乱が広がりませんか?」
「それはソウジ・ガレイ閣下次第でしょう」
が、追撃を止めることはないと彼は確信したような口調だった。
「長い逃避行になりそうですね」
父と母は物心ついたときには行方知れず。幼いころに一緒に過ごしていた姉も同じく行方知れず。現在、身内は周辺におらず天涯孤独の身である。
そんな自分をここまで育ててくれた彼とも別れが迫っていた。いつか訪れることだったとしても、あまりに急過ぎではないか。
「海皇陛下と皇后陛下がお隠れになって一〇年。あなたの姉君であるティユイ様も見つかっていません。捕まってしまえば、その真相さえ遠のいてしまいます」
「その通りですね。耐えなければ……」
それは彼女にとってあまりに重すぎる一言だった。思わず言葉を詰まらせるくらいに。
「敵は強大ですが、味方はどこにでもいるということをお忘れなきよう」
男が笑いかけてくると、アスアも笑顔で答えようとする。自分は果たして笑えているだろうかと疑いながら。
「さあ、港に到着しましたよ」
男から指示を受けて、アスアは軍用車を降りると自分が乗る艦に向かった。動きは教練で何度も叩き込まれたことである。
だから、自分がこれから乗艦する艦がハルキアのものでないこともすぐに理解できた。
(そうか。彼はここまでなんですね……)
アスアは自分の置かれた状況が嫌というほどに理解できてしまった。そんな自分が妙にもの悲しく感じる。だからといって、表情にそれを出すのは戸惑いがある。
「アスア様、私はここまでです」
アスアがまだ先まで進めるところ。その途中で男はピタリと足を止めてしまう。
――やはりそうだった。
「また、会えるでしょうか?」
アスアは立ち止まり顔を少しだけ振り向ける。それは彼の顔を見ることはできないギリギリの角度だった。おそらく彼の顔を見たら自分は先へは進めないだろう。
彼は紛れもなく自分にとって父親と呼べる存在だった。ハルキアでの付き合いは一番長い。だから、彼の性格はよく理解していた。
「約束はできません。ですが、最善は尽くしましょう」
「お父様は最後の最後で意地悪なんですね」
アスアは振り向かず全力で走りだした。これは教練通りではなかった。自身の意地である。
自分はハルキアにいてはいけない人間になった。
それを知ってしまって、彼女は悲しかった。
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