同棲を再び望むなら。
調印式当日。
この日は、魔族と人間が手を取り合う歴史的な一日であり、その光景を一目見ようと魔界と人界の国境付近へ人が押し寄せていた。もし、今回の一件が無事に片付いたら、お互いに殺し合う必要もなく、貿易は自由となり、国境間の移動も容易となるだろう。
観光客も増えて、経済も回り、正に共に栄えていくという言葉通りになる。
反対勢力として不安視されていた魔王幹部は数日前から行方不明になる件が相次いでおり、何者かが彼らを始末しているのではないかという憶測が飛び交っている。しかし、民意は既に『和平』へと傾いており、過激派連中の安否を気に掛ける者はいなかった。
「いよいよだな」
「そうね」
着々と準備が進められていく。
今回の式典に際して、記念館が建てられた。今回調印式を行うのもそこだ。魔族と人間が共同で作業している様子を見るに、和平という夢が現実になったと錯覚してしまう。
ローラは安心しきった様に胸を撫で下ろした。
「ねえ、あんたはこれからどうするの?」
「俺か? どうだろう、マナがなんて言うか分からないけど、俺は彼女の夢を応援しようと思ってる。それが一週間同棲した者の責務という奴だな」
「どうだか。どうせマナさんと一緒にいて、あの子の優しさに漬け込もうとしてるんじゃないの?」
ヒモ願望がばれている。
美少女にちやほやされながら余生を過ごすという儚い夢だが、その実現の為に和平締結が必要だっただけに過ぎない。所詮目的はヒモの方だ。
世界全て利用して、夢を叶える。
うむ、いかにも勇者らしいじゃないか。
「あ、ちなみに国王様から今回の功績を称えて、娘を嫁にやろうと言い出してたけど。そしたらあんた勇者だけじゃなくて王子様にもなれちゃうんじゃないの?」
「すみません、その話詳しく」
「最低、せめてどっちか選びなさいよ。じゃなきゃ私が……」
「私が?」
「うるさい。あんたは黙ってて」
理不尽だ。そっちから話しかけてきた癖に。
調印式が始まるまで残り一時間。既に調印式に携わる面々がぞろぞろと集まってきているようだった。最後に何か問題がないか聞いて回ることにする。
すると、
「おかしいな……もう来ているはずなんだが」
「もう本番だってのに、何かトラブルに巻き込まれたのか?」
何やら騒ぎ立てる男達の姿がある。
まだ集まっていない人がいるのか。
「どうした、誰がまだいない?」
「魔王様がいらっしゃらないようで」
「マナが!?」
妙だ。この時期に魔王に失踪。
これが偶然な訳がない。意図的に誰かが仕組んだことだ。
度重なる魔王幹部の失踪に続けての今回の事件。ただ、魔王相手に実力行使が通用するなら、ガルバドス同等の実力者、即ち魔王幹部に他ならない。
だが、まだ確証は出来ない。
「他に誰かいないことはないか。彼女の護衛予定の奴とか、出席予定の奴だ。きっとそいつが魔王の失踪に一枚嚙んでいるはずなんだ」
「えーと、あ。アルベルト様という魔王幹部の姿も今朝から見当たりません。昨日は魔王城にて姿を見た人もちらほらいるようですが」
魔王城。マナも昨日はそこにいたはずだ。
魔族サイドにとって、魔王の失踪はこれで二回目となる。一回目が本人の意思だった為に、今回の失踪が彼女の本意だとして問題視していないのかもしれない。
「分かった、俺が向かう。確か魔王城への転移魔法陣ってこの近くにあったはずだよな」
「はい。魔王関係者達が利用したものが確か建物の裏手に。まさか勇者様お一人で行くつもりですか!? せめて誰か……」
「なら、私が付き添ってあげる」
背後から声を掛けたのはローラだった。
仕方なさげに腰に手をやり、息を吐く。マナに似て面倒見がいい彼女は、危険を顧みずに同行を志願してくれた。
「いいのか?」
「そのアルベルト? って人を探せばいいのよね。一人で探すよりはずっといいでしょ。それに、あと一時間しかないんだからあまり悠長な事も言ってられないわよ」
確かに。
なら、迷っている場合じゃないな。
「今からマナを救いに行く。勿論、全てが俺の早とちりならそれで構わない。だが、十中八九戦闘になるだろうからそのつもりでいてくれ」
「はいはい。なら精々私を守んなさいよ」
「当たり前だ。命に代えても守ってやる」
すっと、ローラが視線を逸らした。時々こうやって地雷を踏みぬいて、彼女を激怒させる時があるのだが今の言葉も逆鱗に触れてしまったのか。
「もう、本当に……嫌になる」
ごめんなさいね、キザなセリフ吐いて。
ちょっと自重するから。
露骨に目を合わせないように手で顔を覆ってから。
「さ、行くわよ」
「ああ」
魔王城へと転移した。
魔王城。本来勇者パーティーが最後に到達すべきだった場所だ。よりによって和平締結の日にここに来るとは思いもよらなかった。
ちなみにここに立ち入るのは決して初めてではない。
マナに何度か呼び出されて歩き回った経験がある。何でも「ずっと会えない日が続くと病を発症するわ」と脅されていたので、ここの内部構造もそれなりに押えている。
「まずは謁見室だ」
「そうね」
長い回廊を走り、謁見室の前に辿り着く。巨大な扉をノックなしに押し開ける。緊急時なのでこれくらいの無礼は許してもらおう。
「マナ、いるか!?」
帰って来たのは絶望する程の静寂。
耳鳴りの音しか聞こえない。
「くそ、どこいったんだ」
「手掛かりがないんじゃ、話にならない」
せめてアルベルトの動向を掴めなければ、その後の行き先を判断することも出来ない。具体的には昨日、どこに行ったのか。
「あら、勇者様方。魔王様に何か御用ですか?」
その時、後ろの廊下を通りかかったのは、メイド服をした女性だ。窓ふきなど清掃担当の者の様で、調印式がある今日もいそいそと仕事に励んでいるらしい。
「それが、マナ……魔王様がどこかに行方を眩ませてしまったんだ。だから俺達が探しに来た。なんでもいい、何か知っていることはないか?」
「ええ、魔王様が!? そうですね、確か昨日の夕方頃までは魔王様の私室でお寛ぎになっていたと思います。ですが確かその後は、こちらの謁見室でアルベルト様とお話になるとかで」
ビンゴだ。
「それで、アルベルトはその後どこにいった」
「ええと、確か別棟の方に向かわれて行きました。あの辺りは現在、資料室や倉庫等の物置にしか使ってないのですが、何かお探しなのかなと思いまして……そういえば、その辺りからアルベルト様もお見掛けになりませんでしたね」
「別棟の方だな、分かった!」
元々魔王城は侵攻を防ぐ為に、険しい山の麓に収めるようにして建てられている。だが、魔界軍が勢いづくにつれて総員も増え、物置としての場所を活用するべく、山の一部を削って増築したという話だ。
ただ、人間側との抗争が激しくなるにつれ、物品や人員の消耗も激しくなり、別棟の利用が少なくなり、今では特に利用する機会がないらしい。
観光ツアーガイドばりに聞かせてくれたマナの話が役に立った。
「なあ、ローラ。アルベルトって奴が黒幕だとして狙いは何だと思う」
「うーん、やっぱり調印式を失敗に終わらせることじゃない? 魔王の存在がなければ調印式が開催できないのは分かっていただろうから」
「いや、もしそれが本当ならガルバドスのようにマナの暗殺を目論めば良かったはずだ。それに死体を隠す必要はない。マナが死んで得をするのは、実権を握るはずのアルベルトだからな」
魔王の座に付けば、自分の思うままに魔界を支配できる。だが今回の一件は、その狙いとは別にある気がする。
「ここまで来れば、マナの魔力反応を探知できるだろ」
「そうね。やってみる」
目を瞑り、身体に魔力を纏わせる。
魔力感知は、五感を超えた知覚能力。
同心円状に広がる波紋が、近くに潜む生物の情報を探知する。完全に捕捉し終えるまでに一分とかからなかった。
「見つけた。ついてきて」
行き着いたのは別棟の地下施設だ。誰かを収容するにはうってつけの立地だと言えるが、やはりアルベルトという者に一度会わなければその真意を掴めない。
扉の前に立つ。
「ローラ。ここからは俺一人で行く。二人同時に入って罠にでもかかったら大変だ」
「でも……」
「それに、これは俺の戦いなんだ。一人でやらせてくれ」
そう言って部屋へと入る。メイドの女性に姿を見せていることから察するに、アルベルトは決して秘密裏にマナを隔離するつもりはないらしい。ならば、ここへの来訪者を既に想定済みということ。
「マナ。いるか?」
部屋には小さな白熱電球の照明しかない薄暗い空間だ。チカチカと明滅する明かりを頼りに、奥へ奥へと進み行く。『亜空間収納』から聖剣を取り出して武装する。
さあ、どこからでもかかって来い。
「貴方ですか。魔王様の同棲相手の少年は」
「……っ!」
暗闇から長身の男が姿を現した。
奇襲しないあたり、暗殺が目的ではなさそうだ。
「ああ。お前が魔王幹部アルベルトだな。マナをどこにやった」
「マナ? ああ、魔王様なら奥で眠ってもらっています。それにしても、聖剣ですか……。魔王様と同棲していた相手がまさか勇者とは驚きました」
「目的はなんだ」
「魔王様は一週間の間で随分と変わられた。人間に対し今まで以上に心を赦し、関わりたいと切に望むようになった。だが、それは謎の男によって説き伏せられただけではないのか。魔王様を利用しようとする輩の仕業ではないかと私は考えたのだ」
「なるほど……つまりは俺を試すつもりだったのか」
ようやく合点がいった。
「俺としても少し疑問だったんだよ。マナが仲間に引き込んだっていう幹部はお前のことだろ? それぐらい信頼していたはずの相手が、どうしていきなり裏切ったんだろうってな。でも本当の所は、お前は最初から裏切ったりしていなかった」
「どうして私が魔王様を裏切る必要がある! 私は、魔王様を思い、お慕いしているからこそ、どこの誰とも知らぬ奴が魔王様と共に過ごしていた事実に心底腹が立ったのだ。良くない影響を与えられていたならば、その相手を私が直々に炙り出し始末する必要がある」
ずっと、マナを攫った相手が敵だと思っていたから空回りしていたのだ。寧ろ、魔王を思うからこその暴挙に出たというのが自然の解釈。
和平が何者かの陰謀によるものなら、それを阻止したいのがアルベルトの思いだ。
「勇者よ、私が直々にお前を試してやる。本気でかかってこい」
「望む所だ。押し通ってでも、マナを連れ出してやる」
聖剣を構えた。式典開始まで残り三十分。
引き分けならば相手の勝ち、早期決着を狙うしかない。
「いざ」
「……」
やろう。全力を賭して。
この男を殺すんだ!




