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ソロモンの財宝の秘密








                第3の殺人


 平成9年6月21日、早朝5時頃、電話の鳴る音で起こされる。こんな時間に誰だろうと、坂本は眠い目をこすりながら、ベッドから起き上がる。

 今日は磯部珠江と岸田洋の妻幾世とで伊勢に出かける日だ。磯部邸を出発するのが9時の約束だ。坂本は8時までに磯部邸に入る予定。

――珠江さんにしては早すぎる。誰だろう――

 受話器を取り上げる。

「坂本さん?わし、吉岡ですわ」

坂本はビックリする。「刑事さん、こりゃまた・・・」

 こんな早くから何かと言おうとした時に、

「岸田洋さんが殺されましたわ」

「えっ!」絶句する坂本に構わず、吉岡刑事は、

「出来るだけ早く、磯部邸に出向いt下さい」

 吉岡刑事は手短に、以下のように述べて電話を切る。

 午前3時頃、伊勢署から、岸田洋殺害のの悲報が、常滑署に届いた。夜勤の担当の警察官から連絡が入った。吉岡刑事は、まず岸田の奥さんに連絡する。動転する奥さんに、伊勢警察署への同行を求めたところ、今日は、磯部珠江と坂本太一郎と伊勢に行く予定だという。吉岡刑事は磯部珠江と坂本にも連絡を入れた次第である。

 事件の詳細は車中で話すからという。


 事の重大さを知らされた坂本は、とるもとりあえず、磯部邸に急行する。6月とは言え5時半過ぎである。周囲は薄暗い。

 磯部邸に2代のパトカーが停車している。1台は岸田の奥さんを連れてきたものと判る。もう1台は吉岡刑事が乗り込んできている。

 坂本は慌ただしく玄関に駆け込む。

「太一郎さん!」水玉模様のワンピースを着た磯部珠江が駆け寄ってくる。眼が釣りあがっている。緊張した表情で珠江は坂本の手をとると奥の和室に招く。

 坂本も珠江も無言である。奥の8帖の和室には、眼を真っ赤にして泣きはらした岸田幾世がいる。その側に吉岡刑事と常滑警察署長が座っている。

 坂本を見ると、吉岡と署長は立ち上がって頭を下げる。

 吉岡刑事が答える。事が重大なので、署長にも同行を願う事にしている。よろしければパトカーに同乗して、伊勢警察署までご一緒願いたい。

 それに対して、坂本は帰りの足が気になるので、自分達は自分の車で行きたい。

 その結果、署長が警部補と一緒にパトカーで先導して、坂本のクラウンには、坂本、磯部珠江、岸田の妻、それに吉岡刑事が乗り込むことになった。


 磯部邸を出発したのは6時、東の空が明るくなっている。先導のパトカーの後について車を走らせる。伊勢まで約3時間。

 車中、助手席に陣取った吉岡刑事は度の強い眼鏡に手をやりながら、以下のように話し出す。

 伊勢市黒瀬町にある宇治山田商業高校の管理人が午前2時頃にグランドの方で人が争う声を聴いている。

 伊勢市の学校でも風紀の乱れが問題となっており、2ヵ月前に、この宇治山田商業高校でも校舎の窓ガラスが割られるという事件が発生している。学校の管理を厳しくするために、2名の管理人が、1時間おきに校舎を見回っている。

宇治山田商業高校は、開通して間がない伊勢自動車道の伊勢インターチェンジの南側約3キロ程の所に位置し、伊勢自動車道と交差する国道23号線が、グランドの約百メートル西を通っている。

 宇治山田商業高校は宏大なグランドを有している。管理人は学校の要請によって、グランド内に不審な人物がいないか、校舎の他にグランドも見回っている。

 管理人が、グランドを半周して、国道23号線に近づいた時、真夜中だというのに、国道からやってきた車がグランドの方に近づいた。車が停車したと思う間もなく、その中から4人の人影が飛び出した。3人が1人を取り囲んで乱暴を働いている。

 管理人の位置からは、数百メートル離れている。暗闇であるが、車のライトに照らし出された4人の男の姿は判明できる。

 暴走族の仲間割れか、とっさにそう判断した管理人は持っていた懐中電灯を振りかざして、大声を出す。

 グランドは高さ2メートルの金網の柵がある。その柵を乗り越えようとした時、管理人の声に気付いた3人が振り返る。1人がバットのような物を車から持ち出す。管理人との距離は3百メートル程あるが、危険を察した彼は、1瞬ひるむ。携帯用の無線機を手にすると、仲間の管理人を呼び出して、警察への通報を依頼する。

 バットを手にした1人が、地面に倒れている男を2度3度殴打する。管理人は勇気を奮って、ライトを3人の男の方に向ける。

「やめろ、警察を呼んだぞ!」思い切り叫ぶ。

 その声に3人は車に乗り込むと、伊勢インターチェンジの方角へ走り去った。

 管理人の証言によると、暗闇の為に、車の車種もナンバーも判らない。3人の風体は、どことなく若いという感じがしただけで、とりとめがない。

唯一有力な証言は、車が走り去ると、彼は倒れた男に近づいて「大丈夫か」と声をかけた。男はまだ意識があったのだ。

 男は管理人の腕をしっかりと握り、たった一言「夫婦岩・・・」と呟いた。後は気を失って瞑目する。

管理人は救急車を呼んだが、パトカーと救急車が同時に到着した時、男は出血多量で死んだ後だった。

 男が岸田洋と判明したのは、彼が運転免許証を所持していたからである。それと彼の捜索願いが三重県警に出されていた事もある。

 岸田洋殺害事件は、今年1月に起きた、磯部作次郎の実兄の子、磯部幸一殺害事件と関連性があると、三重県警は判断した。その為に吉岡刑事が呼び出された。事件の重大さを考えて、常滑著の所長も同行を求められたという訳だ。

 岸田の遺体は、宇治山田商業高校から約1キロ北にある河口外科病院に運ばれ、そこで三重県警の担当官の立ち合いで遺体の解剖が行われた。

 結果、肉体の衰弱が激しい事、数々の暴行が加えられたとみて、顔面に鋭利な刃物による切り傷が数ヵ所、右腕や右足の骨折、殴打によるものと思われる内臓の破裂、死因の直接の原因は、高校の管理人が目撃したバットによる数回の殴打と判明。

 遺体は現在も病院の遺体安置所に置かれている。

 本来ならば、病院が1キロ程北にある伊勢署に運ぶところであるが、親族や友人らの立ち合いで、本人と確認したうえで警察病院へ運び、本格的な遺体解剖を行う事になっていると、吉岡刑事が述べる。

 吉岡刑事は癖のように、ふさふさした髪に手をやり、髪の薄くなった坂本太一郎を羨ましがらせたりするが、今は度の強い眼鏡をたくし上げるだけで、喋るのに精一杯といった感じだ。

 車内は沈痛に満ちている。

車は名古屋の港区に入っている。これから名4国道を通って、四日市、津、松坂を通過して、伊勢に向かう。

 空も白々と明け、清々しい空気が車内に入ってくる。吉岡刑事の濁った声だけが流れるだけで、誰1人、喋る者はいない。後部座席の磯部珠江や、岸田幾世は俯いたまま、顔を上げようとしない。

 吉岡刑事は1人舞台のように喋りまくる。磯部珠江や岸田幾世は俯いてはいるが、吉岡刑事の話には聞き耳を立てている。運転席の坂本にはそれがよくわかる。

「坂本さん、岸田さんが死ぬ間際に言い残したという”夫婦岩”って何でしょうか」

 夫婦岩と言えば、二見が浦にある夫婦岩に違いない。

「さあ・・・」坂本は答えようがない。

「不思議なんですねえ、二見が浦の夫婦岩に行くんなら、何故、伊勢インターチェンジで降りたのでしょうかねえ」

 吉岡刑事は、岸田殺害の犯人たちが伊勢自動車道でやってきたと断定している。

 坂本は黙って拝聴する。

 夫婦岩に行くなら、そのまま、伊勢二見鳥羽ラインに入り、二見ジャンクションを降りれば、約5キロぐらいで二見が浦に行き着く。何故伊勢インターチェンジで降りたのか。

「ところで、岸田さんは、どうして、見も知らぬ管理人に、夫婦岩と呟いたのでしょうねえ。それも死の間際に・・・」

 坂本は吉岡刑事の話が途切れた時に質問してみる。それに対して吉岡刑事は、見知らぬ相手とは言え、敵ではないので、必死な思い出伝えたのではないのか。自分が死ぬことで、このメッセージが我々に伝わるのを承知していたのではないのか。

「つまり、死を賭してまでも重要なメッセージを、岸田さんはのこしたと・・・」


 その時、磯部珠江の携帯電話が鳴る。

「もしもし、あら、岸田のおじさん・・・」

 吉川刑事も坂本も話をやめて、珠江の電話に聞き耳を立てっる。岸田幾世も珠江の携帯電話を、息を詰めて見つめている。

 岸田のおじさんとは、岸田洋の実兄である。坂本は磯部作次郎と珠江の結婚式の時に会っている。岸田洋に似て四角い顔をしている。がっちりとして体格で、眼が細く何を考えているのか判らない表情をしている。

 性格は実直で温厚、磯部珠江の絶大な信頼を得ている。

「今,河口外科病院にいるそうです」珠江は車中の3人に伝える。

「幾世さん、お義兄さんよ」珠江は携帯電話を幾世に手渡す。

「あっ!お義兄さん、私、幾世です」

 岸田幾世は地味な女だ。どこへ出かけるにしても、夫の岸田の陰に隠れるようにして歩く。顔形もこれと言った特徴がない。芯が強く、しっかり者として知られている。

 幾世の眼から涙がぽたぽたと落ちる。幾世は一言言っただけで、後の言葉がでない。

「伊勢署から、明和町の岸田さんに連絡が入っとるんです」吉川刑事は囁くように言う。

 幾世から携帯電話を取り上げると、珠江は突然の出来事で、着替えも満足に出来ないで家を出たために、そちらに連絡できなくて申し訳ないと謝して電話を切る。

「河口外科病院で待っているそうです」

 珠江は幾世の涙を拭いてやる。幾世もまた、主人岸田洋と同様、珠江には絶対の信頼を置いている。

「ところで、奥さん、岸田さんはいつごろから、行方知れずなんですかね」

 吉川刑事は後部席を振り返り尋ねる。

「5月の初め頃でしょうかねえ」

 無口な岸田幾世に代わって、珠江が答える。

 岸田洋は、4~5日、明和町の実家に帰ると言って、姿を消している。それは坂本太一郎も知っている。

 5月から磯部土建も、仕事が暇になっている。この機会に1週間ばかり実家に帰ってみたいという、岸田洋の申し出を聞いている。岸田は責任感が強く、仕事を放棄するような男ではない。その彼が約3か月間、行方知れずという言うのは尋常ではない。


 白のクラウンはパトカーに先導されて、名4国道を走っている。早朝という事もある、交通量もまばらである。桑名をすぎ、そろそろ四日市市に近づく。

 話の内容も少なくなる。沈黙が車内に漂う。

「ところで刑事さん、岸田洋の件ですが、磯部幸一殺害の件との関連はどうでしょうか」

 坂本は吉岡刑事の度の強い眼鏡を横目で見ながら尋ねる。

「殺害方法に共通点が見られる・・・」

 吉岡刑事は後部座席の岸田幾世を気にしている。小さな声で答える。

「即断は出来ないが、所かまわず暴行を加えるというやり方は、プロではない」

 吉岡刑事は、豊かな髪に手をやる。坂本には気になる所作だが、これは癖らしい。

「坂本さん、ところで、例の方進んでますかな」

 吉岡刑事が尋ねる番となる。

 例の事とは、磯部邸の財宝の解明の事だ。

「一応、伊勢の地の何処か、という事まで来ました」坂本はバックミラーで磯部珠江の顔色を伺いながら答える。珠江は俯いたまま、反応を示さない。

「そうですか・・・」吉岡刑事は気のない返事をする。


 車は四日市市を過ぎ、国道23号線を走る。津市の手前河芸町に入る。時計を見ると7時半を過ぎたばかり。

「車が少ないから、早いですね。この分だと、址1時間ばかりで到着します」

 坂本は今年になって、2度この道を通っている。

沈鬱な雰囲気を和らげようと喋る。

 「刑事さん、先程の夫婦岩ですがね」

 坂本は吉岡刑事の反応を見る。バックミラー超しに、磯部珠江の白い顔が坂本の方を向いている。

 坂本は磯部作次郎の受け売りだと前置きして話す。

 二見が浦の夫婦岩として親しまれている巨石は、実体は二見輿玉神社の巨石である。この岩は絶妙な均整の配置にある。向かって左が高さ9メートルの男岩。右側が女岩で高さ4メートル。

 2つの岩に巻き付ける注連縄は、長さ35メートル。男岩の方に16メートル、女岩に10メートル巻き付ける。2つの岩の間隔は9メートル。

 2つの巨石は、二見輿玉神社の拝殿なのである。この奥、海の方に、眼に見えない本殿があり、ご神体が鎮座する。

 社伝によると

――太古、猿田彦大神の霊蹟として海中の輿玉神石を、夫婦岩を通して遥拝していた――とされる。

 つまり、夫婦岩の向こう側の海底約7百メートルの沖合に輿玉と呼ばれる神石が置かれてあると言うのだ。どんな神石かは不明。ダイバーも畏れ多いとして近寄らないという。

 これと似たような話が韓国にある。新羅第30代文武大王の海中陵である。年代的には夫婦岩より新しい。681年頃と言われる。海岸から2百メートル程の沖合にある。

スケールは夫婦岩より小さく、自然岩礁に近い。左から段々に低くなる岩礁が4つ並び、文武大王の石棺は左方のほぼ等しい大きさの岩の間の人工の水路に葬られている。余り深くなく、文献的にも海中陵を暗示する記述があったにも関わらず、発見されたのは近年になってからだ。

 古代倭国でも同じ発想の水葬儀式が行われた可能性も捨てがたい。石棺ではなく、猿田彦大神の形代として、丸い神石を降ろし、海底に鎮座させたと推理する。

 古事記によると、猿田彦大神は、漁の最中、比良夫貝に手を挟まれ海水うしおに溺れて亡くなったとある。

――かれ、その底に沈み居たまふ時の名を、底どく御魂といひ――とある。

 底どく御魂鎮めの為に、神石を置いたのではないのかと考察される。

 「この神石について、もう1つの考え方があります」

 坂本はこれも磯部作次郎の考えだと強調する。

 昔から伊勢は常世の国だと言われている。古い文献をみると、伊勢神宮の出来る前から、この言い伝えはあったとされる。

 常世の国とは他でもない。夫婦岩が入り口だというのである。

 常世の国伝説は沖縄では古くから、海の遠方にあるとされるニライカナイが有名である。

 近年、沖縄群島、特に与那国島海底に巨大遺跡が発見されている。センターサークル、ストーンサークルや祭祀所、さらに城壁などが眠っている事が明らかにされている。一説には1万数千年目に海底に没したと言われるムー文明ではないかと騒がれている。

 ニライカナイ、常世の国とは、これら海底遺跡とされる太古の文明への憧憬だはないか。

 伊勢、二見が浦の夫婦岩の海底に眠る神石もそうした海底遺跡の1つではないかと言われている。遺跡の一部が海底から顔を出していると思われる。神石の周囲を探索すれば、巨石文明の遺跡が発見されるのかも知れない。

 猿田彦伝説が生まれる前から、神石が存在していたが、いつの間にか、伊勢地方を開拓した猿田彦が神石を海底に置いたという伝説に変わったのであろう。

「話は変わりますが・・・」坂本は前置きして以下のように述べる。

伊勢の外宮にはダビデの星が伝わっている。数種類の神代文字もある。この他に、サメのひれを捧げる秘儀が存在している。部外者には知らせず今日なお連綿と続けられている。

 伊勢地方に伝わる蘇民将来信仰は、元来はユダヤ人の過ぎ越しの祭りである。伊勢音頭がユダヤ語で解釈できる事は知られている。

 秘かに伝えられた話として、伊勢外宮の密室には、檀君桓雄が祀られているという。檀君桓雄はカナンの牛頭神バアルで、牛頭天王スサノオ尊で、蘇民将来信仰と同じである。

 卑弥呼の鬼道も実はバアル信仰で、ソロモンのタルシシ船によって林邑チャンパから河南を経て遼東に伝わり、さらに南下して朝鮮半島全域に拡がり、倭国の鬼道信仰になった。この信仰は蘇民将来信仰を伴い、伊勢神道は護符によって自ら牛神を祀る蘇民である事を示した。

 今日でも九鬼神道では節分の日に”福は内、鬼は内”といって鬼神を祭り、自ら蘇民将来の子孫と言っている。

 「つまりですね、伊勢外宮の本来の主神は牛頭天王、スサノオ尊だという事です」

「その事なら、私も聞いておりますわ」

 磯部珠江が後部席から口を挟む。

「伊勢の内宮の主祭神はスサノオの子供ニギハヤヒ、ですから、外宮は内宮より格が上だと主張しております」

 「しかしですな、外宮の神様がスサノオだなんて、はじめて聴きますな」

 吉岡刑事が度の強い眼鏡をたくし上げながら尋ねる。

「その通りですわ。部外者以外、この事実は知らされておりません」

 磯部珠江は次のように言う。

 牛頭天王信仰が朝鮮半島を経て日本にやってきた事は、神道に興味がある者なら、すぐに判る事なのだ。

 国家神道の宗家としての地位を確立している伊勢神宮が、実はユダヤ人が朝鮮半島を経て持ち込んだものだとなると、国民の精神的支柱が揺らぐことになる。そうなると、その神威が失墜する。

 絶対に、口が裂けても口外してはならない。秘中の秘なのだ。だから、伊勢神宮の真実の姿は、神宮の密室に封印されている。

「面白いですなあ」吉岡刑事が素っ頓狂な声をあげる。


 「あの、主人はどうして殺されたのでしょうか」岸田幾世が、坂本達の会話を遮るように口を挟む。

急に車内はまた重ぐるしい空気が流れる。

「それはまだこれから調べます。磯部幸一事件と関連があるとみています」

 吉岡刑事は後ろを振り返る。岸田幾世の眼は涙に濡れて真っ赤になっている。

「奥さん、ご主人が、明和町の実家に帰ると言った時、何か聞いていませんか」

「あの人は、仕事の事も、一切喋りません。元来が無口ですから」

「何か思い出したら、話してくださいね」

 吉岡刑事も坂本も、貝になったように押し黙る。先導のパトカーに付いていく。


 津市内に入る頃、先導のパトカーがレストランに入る。時計を見ると8時を過ぎている。

レストランの駐車場に車を止める。パトカーから、署長が飛び出してくる。

「目的地で朝食を摂る時間がありません。幸い、ここが営業してますので、2~30分休憩します」

 レストランの中は、早朝にもかかわらず、7分ぐらいの客が入っている。空席に座を占めると、朝食を注文する。

「ここから、目的地まで、大体30分位です」

 丸顔の署長は、小さな眼を見開いて言う。

 岸田幾世は苦渋の顔に不満の表情をにじませる。

「奥さん、一刻も早く、ご主人と対面したい気持ちは判りますがね」

 吉岡刑事が諭す様に言う。

「一息入れてから出発したほうが良いにではないか」

 朝食用の定食がテーブルに並べられる。

 岸田幾世は食が進まないとみえて、みそ汁をすするのみ。

 朝食がおわり、一同、用を足すと、すぐにも出発する。

津市内のバイパス道路を走り、津競艇前を過ぎ、伊勢街道に入る。宇治山田商業高校の手前を通過して、河口外科病院に到着したのは9時頃。

病院の待合室には岸田洋の実兄夫婦が、彼らの到着を待っていた。休日とあって、待合室は閑散としている。駐車場には数台のパトカーが止まっている。殺人事件として、すでに情報が入っているとみて、テレビ局や新聞社の車も止まっている。

 待合室に入った坂本達は、岸田の実兄に挨拶を済ます。医師の案内で霊安室に入る。

 霊安室は、どこの病院でもあるが、独特の雰囲気を持っている。重ぐるしくて暗い感じがする。

 寝台の上に、白布で覆われた遺体が安置してある。

 霊安室に一緒に入ってきた伊勢署の刑事2人が、医師に遺体の顔を覆った白布をとるように促す。医師は白布を取り去り「どうぞ、ご遺体を確認してください」言いながら一歩退く。

 岸田の実兄夫婦は、すでに遺体を確認済みなのだろう、霊安室に外で控えている。

 岸田幾世が遺体に近づく。磯部珠江、坂本多一郎もその後に続く。

 岸田洋の死に顔は、苦痛に耐え忍ぶかのように、きっと唇をかみしめている。細い瞼が、張り付いたように固くなっている。5分刈りの、ハリネズミのような頭髪には、殴打されて、数か所の傷跡がある。浅黒い顔にも切り傷が無数についている。無惨な殺され方だ。

「主人に間違いありません」岸田幾世の乏しい表情から絞る様な声が漏れる。泣くまいと必死にこらえている。

 岸田の遺体を見詰める珠江の白い顔から血の気が失せている。岸田幾世や磯部珠江はその場にいたたまれず、外に出る。廊下で待っていた岸田洋の実兄は、今にも泣き出しそうな顔で「どうだ?」義妹の腕をとる。

 岸田幾世は、わっと泣き出し、義兄の胸の内に飛び込む。

 坂本は慰める言葉を知らない。岸田洋が失踪して約2か月、こんな形で再会しようとは思わなかった。

「ご遺体は今日の昼過ぎまでにはお返しします」

 伊勢署の刑事が深々と頭を下げる。


                岸田邸


坂本達は報道関係者を避けるようにして病院を出る。吉岡刑事と伊勢署の刑事達も同行して、明和町の岸田邸に向かう。

 岸田邸には、すでに葬儀社が来て、葬儀の準備をしている。岸田洋の遺体が返されるまで、何もすることがない。坂本と珠江は一旦珠江の生家、乾家に行く。2人だけの外出は危ないという事で吉岡刑事も同行する。

 乾家は、外宮の北西の方角にある所から乾と名付けられている。現住所は伊勢市度会郡御薗村宮川でsる。10キロ北に宮川が流れている。彼女の家は、宮川公園の側である。昭和30年代までは宏大な敷地を誇っていた。現在は百坪の土地に50坪程の平屋が建っている。

 磯部珠江はここ数年、3ヵ月に1度はここにきている。明和町の岸田邸から車で約30分、周囲は住宅街で、その中に埋もれた形で立っている。入母屋の純和風の建物で、左程広くない庭には、駐車場の他に花壇がある。

 坂本は初めて磯部珠江の生家に足を踏み入れる。室内が意外と質素である。余分な装飾は一切ない。玄関を入って、右側に台所兼居間がある。左手は和室が4部屋ある。風呂場とトイレは北の位置にあつらえてある。

 家に入るなり、珠江は台所からコーヒーを運ぶ。居間の応接椅子に陣取った坂本と吉岡刑事は、珠江の所作をを眺めている。

 コーヒーを飲みながら

「太一郎さんも刑事さんも、お通夜はお出になるのでしょう」

 2人の意見も聞かずに立ち上がると受話器を取る。電話口で二言ばかり話をすると、電話を切る。

「今,貸衣裳屋さんに、礼服、お願いしましたわ。1時間ぐらいで、ここに届けてくれますわ」

 「いやあ、そりゃあ、まあ」吉岡刑事は、ふさふさの髪に手をやりながら、度の強い眼鏡の奥から、眼をパチパチさせる。

「珠江さん、すみませんねえ」坂本太一郎も度の強い眼鏡をたくし上げる。

 坂本は4~5日、常滑を留守にすると、会社に電話を入れている。

 磯部土建の、もう一人の現場監督や従業員、下請けなどの関係者は、明日のお通夜に間に合う様に、岸田邸にやってくる。

 岸田洋が亡くなった事で、磯部土建は大きな痛手を被っている。岸田洋のように、見積書が作れる者は得難い存在なのだ。

 一般に土建屋が見積りを作る時は、コンクリート代、鉄骨、砂利代などの見積りを取ってそれに3倍の金額を上乗せしてしている。それを適当に数字合わせをしている。だから3社か4社の見積りをとると、コンクリートの平米数や単価がバラバラである。

 個人のお客から仕事を請け負う時はこれでよいのだが、役所から仕事を貰う時は、不都合になる。役所の係官は、市販の積算所を基本にして、予定価格を作成している。数字合わせだけの見積書は不審がられる。

 どうしても岸田洋の様な人物を捜さねばならない。岸田の葬儀が終わった後、人材探しに奔走する事になる。

 磯部土建を廃業するという事も考えてこともあるが。、磯部作次郎が築いてきた人脈が生きている。それに2005年の飛行場建設を目指して、ここ2~3年の内には、常滑港の埋め立てが始まろうとしている。是が非でも存続させねばならないと考えている。

 磯部珠江もこの事は理解している。岸田洋の葬儀が済み次第、常滑に帰り、善後策の検討に入ることになる。

 1時間ばかり休憩をとる。

 貸衣裳も届いたので、着替えをして乾家を出る。岸田邸に赴くと、多くの弔問客が訪れている。岸田洋の遺体も返されて、奥の座敷に安置されている。

 岸田洋の実兄は磯部珠江を見るなり

「お嬢様、こちらへ」坂本や吉岡刑事と共に別室へ案内する。

 岸田の家は祖父の時代から乾家に仕えている。珠江がどのような身分になろうとも”お嬢様”と呼んでいる。

 台所では近所の主婦が数人手伝いに来ている。

 葬儀の準備は葬儀社が滞りなく運んでいる。何も手伝う事もない。坂本達は別室で寛いでいる。


 しばらくして、岸田幾世と岸田洋の実兄が入ってくる。これを潮に、坂本と吉岡刑事は部屋を出る。

 岸田邸の母屋は明治の初め頃に建てたと言われる。桧の柱も黒光している。天井のむき出しの梁や天井板も黒く、くすんでいる。

 常滑地方にもある、典型的な田の字型の家だ。建物だけで百坪はあるという。最近裏手に別棟を建てている。先程まで坂本達がいた部屋である。2階建てなので、平屋の母屋から抜きんでいる。

・・・家相的にはよくないな・・・

 先日ここに来た時、坂本は直感的に判断した。家相的には母屋より高い付属建物があると、家運が衰退すると言われている。

 今晩は、岸田家の親類縁者が集まって、ホトケさま共に一夜を過ごす。明朝出棺、明晩がお通夜、その次の日が告別式。

 坂本と吉岡刑事は岸田邸の玄関を出る。伊勢署の刑事が3人、たむろしている。犯人が葬儀の中に紛れ込むかも知れない。刑事達は弔問客の1人1人をチェックしているのである。

 岸田邸は玄関先の駐車場の他は花壇となっている。庭石が配置してある。飛び石の1つに、坂本と吉岡刑事は腰を降ろす。

「先日、ここに来ましてねえ。まさかこんな形で再訪問しようとは・・・」

 坂本は独り言のように言う。

「ほう・・・」所在なさそうに、吉岡刑事が相槌を打つ。

「そう言えば・・・」

 坂本は軽い気持ちで、みちのく教団での出来事、松坂を出るまで不審な車に後をつけられた事などを話す。

「坂本さん、どうして、もっと早くそれを話してくれなかったんです・・・」

 日頃の柔和な吉岡刑事が厳しい顔つきになる。

「いや、すみません。まさかそんな重大な事だとは思わなかったもんですから」

 坂本は恐縮して、薄くなった髪を気にしながら、しきりに頭を下げる。

 吉川刑事は伊勢署の刑事を1人連れてくる。

「もっと詳しく話してください」

 言われて坂本は、岸田邸の近くにあるアラタマ教団の事も供述する。

 伊勢署の刑事は、携帯電話で何事か話している。

「判りました」1人が大きな声を出すと「私、全部当たってみます」言いざま、駆け出していく。

坂本はその様子を、呆気に取られて見守る。

「坂本さん、あなたを尾行していたグレーのブルーバード、多分、岸田殺しの事件と関連があると思いますよ」

・・・そうかも知れない・・・坂本も頷く。せめて車のナンバーでも覚えておくべきだった。自分の迂闊さに歯ぎしりする。

「これで坂本さんも、犯人のターゲットになっていると判明しました」

今後は出来るだけ1人歩きは避けるようにとの吉川刑事の忠告だった。

 夕方、母屋の座敷で酒がふるまわれる。宴会ではないので、故人の回想に花が咲くのみ。夜9時頃、弔問客の帰る。坂本達も別棟に引き取る。

 磯部珠江は親類縁者ではないが、岸田家にとっては特別の存在である。奥座敷の、岸田洋の棺を囲んで、一夜を過ごすことになる。伊勢署の刑事が、奥座敷の隣の部屋で横になる。

 坂本は吉川刑事と共に横になるが、頭の中が目まぐるしく回っているので寝付かれない。

――岸田はどうして殺されたのだろうか――

 この回答は不明である。5月の初めに岸田は明和町の実家に帰るといって行方をくらます。一体何があったというのか。

 坂本は隣で寝ている吉岡刑事の寝顔を見る。よく眠っている。

・・・もうあれこれ思い悩むのはやめよう・・・

 今日1日の疲れがどっと出る。。うとうとして、やがて前後不覚に寝入る。


 翌朝9時、出棺、岸田洋の遺体は親戚縁者に担がれて、明和町の火葬場へと向かう。全ての手配は葬儀社が仕切っている。各自はその指示に従って行動するのみ。火葬場で故人との最後の別れとなる。気丈夫な岸田幾世もこの時ばかりは、眼を真っ赤にして泣きはらす。見ていて辛くなる。

 正午過ぎ、遺骨を胸に抱いて、岸田幾世や岸田の実兄たちが岸田邸に帰ってくる。

 3時頃、磯部土建の現場監督や従業員、下請など、十数人が弔問に訪れる。

 お通夜は夕方7時から9時まで。翌日の告別式は朝10時から正午まで。磯部土建の関係者は、磯部珠江の計らいで、岸田邸の北側にある、伊勢カントリークラブの敷地内の伊勢カントリーホテルに一泊する予定。

 アラタマ教団はこのカントリークラブのすぐ北側にある。岸田邸とアラタマ教団は目と鼻の先だ。


 お通夜の用意は6時頃から始まる。坂本が驚いたのは葬式は神式で行われる事だ。仏式に慣れている坂本は戸惑う。

 6時10分頃、外宮の宮司が2人の従者を伴って岸田邸に入る。白髪の老人で、骸骨のように痩せている。眼だけが炯々と光っている。長い鷲鼻の下の薄い唇をきっと噛みしめている。

 周囲を睥睨しつつ、尊大な態度で門をくぐる。庭先で葬儀の準備をしている者たちは、一様に深々と頭を下げる。外宮の宮司は、彼らを無視して玄関先に歩を運ぶ。

 知らない者が見れば、何たる傲慢な態度かと映るかもしれない。岸田家の関係者によると、それだけ外宮の権威が今でも維持されているという。

 その宮司も、以前は土間だった玄関の板の間に、正座して宮司を迎える磯部珠江には、深々と一礼する。外宮の宮司と言えども、落ちぶれたとはいえ、乾家には一目置いているという事なのだ。

 盛夏ということもあり、宮司は白装束に、紺の袴姿で家の中に入り込む。別室に案内されて、葬儀の支度にとりかかる。

 6時40分頃、金で縁取りした亀甲紋の表袴、冠を頂いた麗々しい束帯姿で、宮司が葬儀の場に着席する。白袴姿の2人の従者が、テープに引き込んが雅楽を流す。

 同時にすでに庭先に詰めていた弔問客が動き出す。玄関右手の一間の縁側のサッシ窓を取り外して、縁側で弔問するようになっている。弔問客は庭石づたいに進む。

 仏式と違うところは、縁側に添えられた机の上に榊の枝を置いて、2拍2拝する事だ。榊の枝は無限に用意する訳にもいかないので、弔問客1人1人に手渡して、机の上に置かれた榊の枝を取り下げて、それをまた弔問客に手渡す。

 宮司は祭壇に向かって正座して、祓いをしたり、祝詞を上げたりする。縁側の奥の8帖の座敷には岸田家の親戚縁者が居並ぶ。磯部珠江も弔問客の1人1人に頭を下げている。

坂本は受付の係である。弔問客に名前を書いてもらうだけ。磯部土建の従業員や下請け連中は、隣地の駐車場で交通整理を行っている。

 吉岡刑事や伊勢署の刑事達は弔問客の写真をとる事に余念がない。

 7時半頃、門の先から受付まで行列ができる。岸田の家も古い家柄で、伊勢や松阪には顔が広い。それにもと乾家の執事という事もあるので、弔問客も多い。

 8時半を過ぎた頃、

「これは坂本社長!」声をかける者がいる。大柄な向井純である。

「君がどうして・・・」坂本は信じられない顔になる。

「坂本社長さん、寺島でございます」

 ほんの1週間前にみちのく教団に、一緒に行った寺島広三が浅黒い顔で挨拶する。

 と同時に寺島の後ろから「やっ!この前はどうも、ご苦労様でした」

 みちのく教団の教祖佐久間瀧一が学者風の顔を見せる。みちのく教団の十数人の信者も弔問の記帳に名前を書き入れる。

・・・岸田家と彼らとどういう関係があるのか・・・

 坂本の頭の中は混乱している。向井や寺島は坂本を通じて磯部土建と付き合いがあるので判るが、みちのく教団の教祖がどうして・・・。

 今はその疑問に頭を使っている暇はない。

 9時近く、弔問客もまばらになる。その時、白衣の束帯姿の荒石道斉が駆け込んでくる。巨体なのに身軽である。坂本と目が合う。

「この前、お目にかかりましたな」

 坂本は1週間前に向井たちと禊をさせてもらったと、軽く一礼する。

「ああ、そうでしたな」

 アラタマ教団の教祖は記帳を終えると、庭石を軽く、とんとん蹴るように歩いていく。弔問が合わると、坂本に顔を合わせず去っていく。


 お通夜も終わる。手伝いの者は用意された食事を摂り、しばらく雑談の後、三々五々、帰っていく。磯部土建の従業者や下請けらは伊勢カントリークラブのホテルに戻っていく。伊勢署の刑事2人が岸田邸に残る。

 磯部珠江、坂本太一郎、吉岡刑事は乾家に戻る。

 翌日朝9時までに岸田邸に入る。他の手伝いの者も集まっている。朝食を摂り、各自の持ち場に散っていく。

 告別式は午前10時から正午まで。昨夜のような賑わいはない。それでも3百名ほどの弔問客が訪れる。

 告別式も無事終了。磯部土建の従業者らは、4時頃常滑に帰っていく。

 磯部珠江と坂本太一郎は後2日ばかり、伊勢に滞在して、岸田幾世らと、今後の身の振り方を話し合う。常滑に残って、磯部土建の事務の仕事を手伝うのも良し、このまま伊勢で新しい人生の再出発をするのも良し。本人の希望を尊重する。

 告別式後、翌日の初7日を行う。仏式に慣れている坂本には、神式の雰囲気に上手く溶け込めないでいる。

――仏式にしろ、神式にしろ、やっている事は皆同じだ――坂本はそう感じている。納骨は岸田家の菩提寺で行っている。


               中村作二


 告別式が終わった翌日、岸田邸で、葬式の後片付けを坂本達に、驚くべき情報が飛び込んでくる。

 1人残った伊勢署の刑事の携帯電話が鳴る。顔色を変えた刑事は吉岡刑事を呼びつけ、何事かまくしたてる。吉岡刑事の顔も見る見るうちに緊張の色が走る。

「坂本さん、ちょっと・・・」吉岡刑事は応接室でお茶を飲んでいた坂本を呼び出す。2人の刑事のただ事ならぬ気配に、何事かと、坂本も飛び出す。

「中村作二が保護されました」

「えっ?」とっさの事で、坂本は飲み込めない。

 吉岡刑事が説明する。

 磯部作太郎死後、伊勢にやってきた妻の磯部とめの子供である。

 約33年前、殺害された旧姓磯部幸一=中村健二を連れて久居市にやってきたとめは、中村健太郎と結婚、中村作二を産んでいる。

 中村作二は、磯部幸一殺害後行方不明になっている。彼は殺されたのではないかという警察の推測が流れている。

「彼は今どこに?」坂本の声が大きくなる。

「四日市署です」

「四日市?」坂本は驚きの声をあげる。

「何があったのですか」

 坂本の背後で声がする。驚いて振り向くと、磯部珠江が怪訝そうな顔で、坂本と吉岡刑事のやり取りを聞いている。

「いや、ちょっとね」坂本は言葉を濁らす。

 磯部珠江は口を尖らす。吉岡刑事が坂本を引っ張り出す様にして、玄関先に出ていくのを見ている。何かあると思うのが人情だ。自分に話せない事なのかと抗議する。

 坂本は吉岡刑事に目で合図する。

・・・話すしかないですよ・・・吉岡刑事は仕方がないかという顔で頷く。

 中村作二が保護された事を話す。珠江の白い顔に赤みがさす。大きな瞳が一層大きくなる。

「まあ」声をあげて絶句する。

 伊勢署の刑事が「今から我々は四日市署に急行しますが、どうしますか」

「私も一緒に行きたいわ」

「奥さん、中村作二の供述から何が飛び出すか判りません。他言は無用ですぞ」

 吉岡刑事は厳しい声で釘をさす。

 坂本太一郎、磯部珠江、吉岡刑事、伊勢署の刑事1名が四日市署に向かう。岸田邸の人達には急用ができたからと述べるのみ。

 四日市市まで、車で約1時間半、坂本の白のクラウンに同乗する。助手席に磯部珠江、後部席に、吉岡刑事と伊勢署の刑事。伊勢署の刑事は四日市署と連絡を取りあっている。

「今、中村作二の事情聴収が行われているそうです」後部席から声がかかる。それによると、中村作二は衰弱が激しく、1時間ぐらいの事情聴収後、近くの病院に入院させるという。面会謝絶で、彼の出頭については、岸田洋殺害犯人に知られないために極秘扱いにされる。

 問題は、退院後の保護をどうするかでという。

 中村作二の生家は多気郡明和町北野にあった。岸田邸とは5キロ程しか離れていない。すでに人手に渡っている。

 中村作二は今年の初めの磯部幸一殺害当時、すでに生家を手放して失踪している。今日まで何処でどう過ごしていたのか、岸田洋殺害事件と関連があるのか、それが事情聴収のポイントとなる。

 坂本達が四日市署に到着した時は、中村作二は入院中の筈で、四日市署の担当官が結果を報告してくれることになっている。

 四日市署に到着したのは正午近く。

 中村作二の事情聴収を行った初老の担当官は、緊張した面持ちで4人の挨拶を受ける。

「昼食後にしますかな」との担当官の言葉に、坂本は磯部珠江と一言二言、言葉を交わす。

「もし、よろしければ、外のどこぞの食堂で昼食を摂りながらでどうでしょうか」坂本は吉岡刑事達にも同意を求める。

 四日市署は、市役所、法務局、裁判所等が建ち並ぶ官庁街にある。昼時で、何処の食堂も満員。初老の担当官の案内で、10分位歩いたところの和食の料亭に入る。

 個室に案内され、お茶が出され、料理が運ばれる間、名刺交換を兼ねた自己紹介が行われる。

 料理が運ばれた後、初老の担当官は、小さな眼をパチパチさせながら、分厚い唇を開く。

「実は、中村作二の事情聴収をしましたが、大変な事が判りました」

 これから話す事は、ここだけの話として、決して外部に漏らしてはならぬという条件付きで、口を切る。


              磯部作次郎殺害


 「あなたが、磯部作次郎さんの奥さんですな?}

 担当官は、珠江をじろじろ見る。自己紹介が終わっているのに、何故念を押すのか、坂本は訝る。

「あなたのご主人を殺したのは、磯部幸一ですわ」

「えっ!」磯部珠江も坂本太一郎も絶句する。

 担当官はそれに追い打ちをかけるように言葉を吐く。

「それを手助けしたのが、岸田洋です」

 磯部珠江の白い顔が見る見るうちに蒼白になる。唇がわなわなと震える。

「まさか、嘘でしょ」大きな眼を担当官に向ける。

 担当官は料理を口に運びながら、重ぐるしい雰囲気を無視するかのように喋り出す。


 中村作二は磯部とめと中村健太郎との間に生まれた。磯部幸一とは異父兄弟であるが、実の兄弟のように仲が良かった。母の死後、松坂市に勤務するが、義兄の財宝探しに一役買っている。

 平成9年1月下旬、磯部幸一が殺害される3ヵ月前から中村作二は行方をくらましている。彼は平成8年12月に結婚する予定だったのだ。

 この原因については、以下のように事情聴取している。

 平成8年5月中旬ごろ、義兄磯部幸一より驚くべき計画を打ち明けられている。

「お前は婚約中の身だから、今後、俺のやる事に一切関わるな」と磯部幸一から釘を刺されて言われた事は、

 おじ、磯部作次郎が持っている紫水晶は本来は自分が受け継ぐものである。それがないと、例え磯部家の財宝の在り処が判明しても、意味をなさない。

 幸い、磯部作次郎は乾家のお姫様と結婚している。幸いというのは、彼女に付いて常滑に移ったのが岸田洋である事だ。

 自分は岸田洋とは一面識もないが、彼の実家は、伊勢でも名だたる旧家である。岸田家は過去乾家を通じて外宮に影響力を持っていた。中村作二の父も外宮の篤信家と知られていた。岸田家と中村家は外宮を媒介として、知己の間だった。だから中村作二には岸田家の噂話ぐらいは聞こえてくる。それによると、岸田洋は、乾珠江に惚れていて、彼女との結婚を切に望んでいたらしい。

 ただ、彼は無口で感情や気持ちを表に表すのが苦手で、心の奥底にしまい込んでしまうタイプだ。乾珠江が磯部作次郎と一緒になると知った時、彼は失望のあまり、真剣に自殺を考えたという。

 岸田洋の気持ちを知らぬは身内ばかり。灯台元暗しとはこの事だ。まして岸田家の祖父もこの結婚に賛成とあれば誰も異を唱える事は出来ない。

 岸田洋の唯一の救いは、珠江の守り役として、常滑に移り住んだ事だった。彼が磯部土建で働くようになったのも、珠江の為と思ったからである。

磯部幸一は言う。自分は5歳の時に母に連れられて常滑を出奔している。たとえ磯部作次郎に出会ったとしても、自分を甥とは判明できないだろう。

 磯部作次郎から家宝の紫水晶を取り戻し、彼の殺害を目論んでいるという。

 驚いたのは中村作二である。彼は温厚な人物であり、人との争いを好まない。それに松坂市役所に就職し、結婚を約束した相手が居る。

 義兄の財宝探しに手を貸すのは良いが、人を殺してまで財宝を奪おうとするのは行き過ぎだと諌める。もし殺人が発覚したら、義兄は元より、自分の人生までも終わりとなる。

――家宝を奪い返すのは、やむを得ないとしても、人殺しだけはやめて欲しい――

 中村作二は必死に懇願する。それに対して磯部幸一は「だから、お前は関わるなと言ったのだ」

 すごい剣幕で睨んだ上に、まるで親の敵に会ったような声で、父を殺され、故郷を追い出された恨みがお前に判るか、詰め寄るように言われると、大人しい中村作二はそれ以上は口答え出来なかった。


 平成7年10月の中頃、磯部幸一は常滑に姿を見せるようになる。生まれ故郷の保示の生家跡を訪れたりするが、生まれ故郷への感慨に耽る間もなく、磯部作次郎の身辺を洗い出す。

 岸田洋が常滑に来た後、結婚していた事を知る。

 磯部幸一は、義弟中村作二と違い豪放磊落な性格である。母の財宝探しに自分の一生をかけるのを、むしろ楽しみにしている風さえ見える。職も1つ所に居る事が出来ない。義弟のような几帳面さもない。思いつくと、前後の見境もなく突っ走る所がある。

 毎日判でも押したような生活が性に合わないのに、性格的には正反対の義弟とは馬が合った。義弟の中村作二も義兄の生き方は理解して協力している。

 話を元に戻して、磯部幸一は岸田洋が結婚している事を知るが、彼の心の中には、磯部珠江への慕情が燃えているだろうと察していた。

 岸田洋にそれとなく近づいた磯部幸一は、度々彼を夜食の席に誘う。岸田洋は酒に強く頑丈な体だけに食欲は旺盛である。磯部幸一は偽名を使い、名古屋で土建用の器具類のセールスをしていると吹聴している。

 普段、人に心の中をさらした事のない。岸田洋は、磯部幸一の巧みな話術に、普段発散した事のない、心の屈折を吐露していく。

――今でも珠江お嬢様が好きだ――案の定、磯部幸一の推察通りと知る。

 その上大きな収穫は、磯部作次郎が磯部家の財宝を求めて、伊勢地方に出入りしている事も知る。

「その財宝、あなたが手に入れたら、珠江さんはあなたの物になるのではないか」

 無表情に近い岸田洋の顔に戸惑いの変化が現れる。

「この男、何を言おうとしているんだ・・・」

 しばらくは磯部幸一を見ていたが、やがて・・・。

「そんな!」酔いが醒めたように言う。

「いや、冗談、冗談ですよ」

 磯部幸一は四角い顔に、小さな眼をしばたたせて笑い飛ばす。

「だって、あなたが、珠江さん、珠江さんって言うもんだから、、、」

 岸田洋は建設大学を出て、見積りや検算にかけては有能な才能を発揮するが、磯部珠江の事となると、思考判断が単純になる。

・・・珠江お嬢様と一緒になれるなら・・・

 磯部幸一との会食の出会いが、3度4度となり、それが5度6度と重なる。

「この前の話だが・・・」岸田は乙女が好きな男に恋心を打ち明けるような、ぼそぼそとした声で言う。

「はて、何でしたかね」磯部幸一はとぼけた顔で言う。

 じらされて、岸田洋は膝を前のめりにする。

「この前の、ほら、珠江お嬢様の事で・・・」

「ああ、あれ、いや、悪い事を言ってしまって、申し訳ない」磯部幸一はビールを飲みながら、手を振る。

「いや、実は、何か良い方法があるのなら、詳しく聞きたいと思って・・・」

 岸田は思いつめた顔をしている。彼には幾世という妻がいるけれども、好きで結婚した訳ではない。

 磯部作次郎にすすめられて見合い結婚している。妻の幾世は常滑出身である。地味な性格で、色気に乏しいが、働き者である。安心して家庭を任せられる。

磯部幸一は、5歳の時に母に連れられて、逃げるようにして常滑を後にしている。

 母が中村健太郎と結婚して、磯部家の財宝探しに奔走するようになると、磯部幸一も母に従っている。その為に、定職にもつかず、世間を渡り歩いている。金になる手っ取り早い仕事はセールスである。どんな不況時でも、物を売ることが上手であれば食い扶持に困らない。

 磯部幸一は、男という者は、既婚者であっても、妻だけでは満足できるものではないと思っている。

 岸田洋は堅物ではあるが、女が嫌いなのではないと見抜いている。ただ、彼が思い焦がれているのは磯部珠江のみで、磯部土建で働いているのは、珠江のためだと公言してはばからない。

・・・磯部珠江を、あなたの物に出来る・・・

 耳元に囁かれて、彼は動揺する。まさかと思う反面、本当だろうかという思いが心を支配している。

・・・どんな方法があるのか、知りたい・・・彼の一念は強くなるばかり。胸に膨らんだ思いを、磯部幸一に吐き出した時、彼の運命は変わった。

 岸田洋は商売人のような駆け引きは知らない。珠江と一緒になれるなら、どんなことでもする。思いつめると後は突っ走るしかない。

 磯部幸一は岸田洋の性格を読んでいる。


 彼は岸田洋に、自分は磯部作次郎の兄の児と打ち明ける。

岸田洋が乗ってくるか、一か八かの賭けである。自分の事、母の事などすべて打ち明けて、岸田がそれで逃げ腰になるようなら、紫水晶を取り戻す計画は変更せざるを得ない。

 磯部幸一が打ち明けた場所は、常石神社の石の鳥居の境内地である。街路灯があるものの、周囲は森閑とした夜中である。暗い車の中で、磯部幸一は、常滑を出てから今日に至るまでを話す。

 磯部作次郎が、磯部家の財宝探しに奔走している様に、自分の小さい頃から母に連れられて、伊勢のあちこちを歩き回っている。財宝の秘匿場所は大体目星がついているが、財宝の在り処を開ける鍵は磯部作次郎が持っている紫水晶にある、それを取り返したい。


 話しながら、磯部幸一は助手席の岸田洋の顔色を伺う。

「どうだろう、協力してくれまいか」

 岸田洋は、協力する事と、珠江が自分の物になる事とどういう関係があるのか、そんな疑問を呈してくる。

岸田は、磯部幸一に意外な事実を打ち明けられて気持ちが動転している。単純な思考能力さへ持てないでいる。

・・・愚鈍な奴だ・・・磯部幸一は心の中で舌打ちしながらも、財宝さえ手に入れば、乾家は昔日の再興を果たすことが出来る。珠江を乾家の当主として迎える事が出来る。

「しかし、社長がそれを許すだろうか・・・」

 社長の磯部作次郎が珠江を手放すだろうか。その疑問は当然予想されていた事だ。

「磯部作次郎は殺す」磯部幸一は思い切った事を言う。そして岸田の様子を伺う。岸田の眠っているような眼がカッと開く。さすがの岸田も、磯部幸一がそこまで考えていたとは思いもよらない。

「あなたが珠江さんと一緒になるにはこれしかないんだ」

 岸田は頷く。磯部作次郎は豪胆な人間だ。頭も切れる。たとえ紫水晶を手に入れて、財宝が見つかったとしても、磯部作次郎の事だ、手をこまねいてほっておくとは考えられない。ましてや、惚れて、岸田家まで直談判しに行って手に入れた珠江だ。手放すことは考えられない。

・・・社長には死んでもらうしかないのか。しかし殺しなど・・・岸田は逡巡する。

 その様子を磯部幸一は見逃さない。

「あなたはここへ磯部作次郎を手引きしてくれればいい」

 言われて、岸田は遠くを見る眼つきになる。そして意を決したように、磯部幸一の顔を直視して、しっかりと頷く。


四日市署の担当官は突き出た腹をさすりながら、料理を平らげている。眼を細めながら、中村作二の事情聴収の様子を語っていく。

 磯部作次郎殺害計画は以下のように実行に移された。

 磯部作次郎は豪胆な性格で、頭も良く、用心深い所もある。場所を特定して、そこへ磯部家の秘宝の紫水晶を持ってこいと言っても、まず無理であろう。

 岸田洋の話では、磯部作次郎は自宅に金庫を設けて、そこに紫水晶を保管している。金庫の鍵と番号は本人しか知らない。彼は手帳を肌身離さず持っている。金庫の番号はそこに記されている。鍵も車のスペアキーや銀行の貸金庫の鍵と一緒に持参している。

紫水晶を手にするならば、どうしても磯部作次郎を亡き者にする必要がある。

 磯部幸一は岸田に策を授ける。

 磯部作太郎の子供が常滑に来ている事、磯部家の財宝の秘匿場所を示す手がかりが常石神社にある事、それは母のとめが、生前に磯部作太郎から聞いている事などを磯部作次郎に話せというものだ。

 磯部幸一がどうして岸田洋に接触したのか、磯部作次郎が不審がった時、伊勢の外宮を通じて、岸田の祖父と中村健太郎が顔見知りであった事などを打ち明ければよい。

 その上で、常石神社にある磯部家の財宝の秘匿場所を示す手がかりを渡すから、財宝の一部を分けて欲しい。

 以上のような磯部幸一の策で、果たして磯部作次郎が乗ってくるかどうか、不安が先だったが、岸田は行動に移した。

 人間、1つの事を思いつめると、思考能力が単純になる。1歩引き下がって熟慮すれば、おかしいと感づくべきなのに、身体が先走ってしまう。

 岸田は人気のない所で「実は社長・・・」と打ち明けたところ、磯部作次郎の眼は見る見るうちに輝きだす。

 兄の子供が常滑にきていると知った時は、驚きの表情を見せたが、財宝の手がかりが常石神社にあると聞いて、是非会いたいと言い出す。

 常石神社が財宝秘匿のネックになっている事は、磯部作次郎も承知していたのである。充分に調査をし、検討を重ねた判断を、磯部幸一からズバリ指摘された結果になったからである。

 ただ、磯部作次郎には、そのネックが何か、それが判らないのだった。

・・・やはり兄の作太郎はそのカギを握っていたのだ・・・


 磯部作次郎殺害の決行は平成8年月9日の夜である。

 岸田洋から磯部幸一に会ってみてはとささやかれて、本人もその気になっている。

 磯部幸一が指定した場所は常石神社の拝殿前。

 常石神社は数年前に建て替えられて新しい。もっとも神様が鎮座する場所は昔のままだ。

「用心の為に、私も現地に行きます」

 岸田洋の申し出に、磯部作次郎は頷く。仮にも兄の児だ。兄を殺し、その母子さへも常滑から追い出したのは自分だ。さぞかし怨みに思っている事だろう。岸田洋が一緒にいてくれれば心強い。

 磯部作次郎はどこに出かけるにしても、カーキー色の作業服姿である。夜の外出は日常茶飯事である。

 夜8時半頃、妻の珠江に、ちょっと出かけるでな、一言言い残して出かける。妻も夫が何処へ行くのか聞こうともしない。この日の夜、珠江は知人を集めて和室で茶会を開いていた。

 8時40分頃、居酒屋”谷川”に現れる。9時40分頃に谷川を出て、9時50分頃に、常石神社の拝殿前の広場に赴く。広場には砂利が敷いてある。

 拝殿の東側の社務所の前に夜間灯が照り輝いているが、それをはぶくと周囲は闇である。広場の駐車場に白のクラウンを駐車する。常石神社の周りは樹木で覆われている。昼でも気味が悪い。

 岸田洋と、30代中途の、眼の細い男が夜間灯の前に立って、磯部作次郎が車から降りるのを待っている。

 磯部作次郎が車から降りて、砂利の広場に一歩踏み出すと同時に、岸田のがっしりした体が駆け寄ってくる。

「社長」磯部作次郎をガードする態勢をとると、磯部幸一を指さして「あれが・・・」と囁くように紹介する。

 磯部幸一は深々と頭を下げる。

 33年ぶりに磯部家の2人が再開したのだ。

「私、磯部幸一、兄の子供ですわ」

 磯部幸一の物腰は柔らかい。長年の苦労の中で、第一印象がいかに大切なのかを、身をもって体得している。

 しかも相手は叔父である。久し振りの対面ではあるが、お互い警戒心を抱いている。この事は磯部幸一が充分に承知している。だからこそ岸田洋を間に容れたのである。

 磯部幸一に卑屈とも見える物腰の柔らかさに、磯部作次郎は、一瞬たじろぐ。仮にも父親を殺され、常滑におれなくした相手ではないか。すごい形相で睨むなり、敵意むき出しで突きかかってきてもよさそうなものだと、磯部作次郎は予想していたのだ。

 意に反した磯部幸一の態度に、戸惑ったが、警戒心を解いたわけではない。身構えるように仁王立ちになると、磯部作次郎は相手を睨みつける。

しかし、磯部幸一は「叔父さん、久しぶりですね」にこやかに言うのだった。


 磯部作次郎は、にこりともせずに相手を見下している。

「わしが憎くないのか」

 体も大きく、頑丈な磯部作次郎のしわがれた声に、磯部幸一の顔から笑いが消える。

「憎くないと言ったら、嘘になりますわな、おじさん」

 物おじせずに、磯部作次郎の顔を見上げる。

「でもねえ・・・」磯部幸一は、足元に目を落とす。

 常滑を出奔したのは自分が5歳の時だ。伊勢にやってきて、母はずいぶん苦労をしているが、その割に自分は苦労したという思いがない。だから、憎いの辛いのという情は、人が思う程持っていない。

 もっとも母から、あなたの事は耳にタコが出来る程聴かされている。憎くないと言ったら磯になる。

 以上のように話した上で、母と2人で磯部家の財宝探しに明け暮れた事を付け加える。

「私ねえ、叔父さん、お金が欲しいんだわ」

 磯部幸一は一緒に財宝探しをしたい。財宝が見つかったら20億円くらいくれればいい。

・・・20億・・・聞いていて、磯部作太郎は何と欲のないと思った。何かワナがあるのではと、心中疑心暗鬼になる。

「叔父さん、一緒にやるからと言って、私を騙して、殺そうなんて思わないでね」

 磯部幸一の先制に、作次郎はたじろぐ。

 作次郎から見れば、親を殺された怨みで、自分が殺されるかも知れないと案じていたのだ。

 磯部幸一は、自分は毎日一定の時間に義弟に連絡を入れる。もし連絡がなければ、殺されたと思って警察に駆け込むようにと言ってある、と話す。

 磯部作次郎の心から警戒心が消えていく。彼は思わず笑いだす。甥の幸一の方が自分を怖がっていたのだ。だから岸田洋を間にいれたのだと悟った。

「何かおかしいですか」

 磯部幸一は口をとがらして不満そうに言う。

「いや、悪かった」磯部作次郎はぺこりと頭を下げる。しばらくしてから「ところで常石神社に財宝に関する手がかりがあるとか」磯部作次郎は真顔で言う。

 磯部幸一は夏物のスーツを着ている。内ポケットから一枚の紙切れを取り出す。

「母から聞いた事を言います」言いながら以下のような事を話しだす。

 磯部家が祀る神社は、ユニー常滑店から東に1キロ程行った所に、古社の祠がある。今は見る影もなく、百坪程の公園の中に、ぽつんと立っているのみ。南側の3百坪の敷地に坂本住宅が建売を分譲している。

 昔はユニー常滑店から、南は、通常半田街道と呼ばれる国道の辺りで、古社の境内地だった。

 言い伝えによると、応仁の乱の時、戦火を逃れるために、神社を現在の常石神社、大善院、神明社と3つに分祀された。

 持統天皇時代に、伊勢の地を逃れて常滑に住みついた磯部氏は、まず守り神である古社を建立している。2百年、3百年と時代が下るにつれて、磯部氏の勢力も地に落ちていく。

 家というものは、天皇家というような特殊な事情がない限り、滅びていくのが、自然の成り行きと言うべきである。

 日本には天皇家よりも古い家柄は数多くあるが、今は見る影もない有様というのが現状のようだ。

 戦後期時代に入り、磯部家の衰亡を畏れた当主は、古社の神殿に、磯部家の財宝の秘匿場所を記した石板を埋めたと伝えられる。。

 江戸時代に入り、古社の神域は段々と削る取られて、代わって常石神社が重要視されるようになる。

 当時の磯部家の当主は古社が廃社される可能性を危惧して、石板を、秘かに常石神社の神殿後ろに、壺の中に入れて埋めたと言われる。

 この事は、当主が引退して、後継者にその座を譲る時、磯部家の秘宝の紫水晶と共に、口伝で伝えている。

 磯部幸一の父、作太郎は、祖父から磯部家の秘宝を受け継いだ時に教えられている。

「父は、本来ならば、私が成人してから語り伝えられるべき、磯部家の秘宝を、母に漏らしていました」

 磯部幸一の説明に、作次郎は、さもありなんとばかりに頷く。

 この紙切れには、神殿の中央から、壺のある場所が記されている。

「紫水晶があれば、自分で捜すのですけれどね」磯部幸一は不敵な笑いを浮かべる。

「社長、私がその距離を割り出しましょうか」

 岸田洋は、2人の間に割って入る。岸田の黒い顔が、磯部作次郎の表情を伺う。

「とにかく掘ってみるか」作次郎に促されて、懐中電灯と巻尺を持った岸田洋が神殿の裏手に回わる。磯部作次郎と幸一がその後ろに続く。磯部作次郎は用心深く、決して幸一の前を歩こうとはしない。

 神殿の西側から裏手北側は、高さ1.5メートルの石垣になっている。その上は、常石神社の縁故者の墓地である。夥しい石塔が立っている。石垣の神社の間は約1メートルの空間がある。

 神殿の裏手に回った岸田洋は、巻尺で神殿の長さを測る。それを磯部幸一が手伝う。作次郎は懐中電灯を照らしている。

「大体、このあたりと思われますが・・・」岸田は磯部作次郎に問いかける。

「深さは2メートル程と聞いています」磯部幸一が答える。

「掘るしかないか・・・」作次郎が呟くように言う。

「社長すみませんが、私の車から、スコップを持ってきてください」岸田の言葉に、作次郎は反射的に駆け出していく。

 この時、磯部幸一はすでに神殿裏手に用意してあった8キロ程の重さの石の塊を、持参してきた黒の風呂敷に入れて隠し持つ。

 すぐにも磯部作次郎が戻ってくる。手にしたスコップを岸田に渡す。

「社長、この紙を拡げて持っていてください。幸一君、懐中電灯を頼むよ」

 磯部作次郎の誤算はこの時に生じる。磯部幸一の話を信じ、壺さえ取り出せば、磯部家の財宝は我がものとなったような錯覚に陥る。彼は興奮して眼を輝かす。巻尺で、もう一度、測るべき場所を再認識の為に、腰をかがめた岸田に呼応して磯部作次郎も腰をかがめる。

すかさず、風呂敷包みに包んだ石が作次郎の脳天をかち割った。一瞬にして、磯部作次郎はその場に蹲る。頭から血が吹き出すが、周囲に飛び散る程ではない。

 磯部幸一は作次郎のカーキー色の作業服から手帳を取り出すと、紫水晶を保管してある金庫の番号を写し取る。

 作次郎は自他悪の玄関の鍵や貸金庫、離れに保管してある金庫の鍵などを、ひとまとめにして持っている。それを磯部幸一が、作次郎の内ポケットlから取り出す。金庫の番号のメモ帳の写しと共に岸田洋に手渡す。


 「ちょっと、待ってくださいよ」坂本太一郎と吉岡刑事が同時に横槍を入れる。吉岡刑事は食事も終わり、寛いだ姿勢で「坂本さん、お先にどうぞ」吉岡刑事は横槍の権利を坂本に譲る。

「いやに殺され方があっけないですね」

 坂本は磯部作次郎が意外に用心深い性格である事を承知している。月のない真夜中に、人気のない場所に呼び出されて、危険を感じない方がおかしいと思ったのだ。

 四日市署の担当官は、食事も終わり、満足げな顔付でお茶を飲んでいる。6帖の個室なので、隣室に話し声が漏れる事もない。

「私もその事を、中村作二に問いただしましてな」言いながらお茶を飲み干す。


 神殿の裏手の空き地は、石垣との間の1メートル程しかない。まず岸田洋が巻尺を持って東側、神殿の左横手にしゃがみ込む。岸田と向かい合う形で磯部幸一がしゃがみ込んで懐中電灯で地面を照らす。

 石垣を背にして、つまり岸田と磯部幸一の間に割って入る形で作次郎がしゃがみ込む。

 磯部幸一は神殿側右手で懐中電灯を持っている。左手に風呂敷に包んだ石を持っている。

「当夜、月が出ておらず、周囲は真の闇だったと言います」

 磯部幸一は、作次郎が地面に紙切れを拡げて、しゃがみ込んだところを、左手に持った石を、その頭部に振り下ろす。風呂敷に包んであるから、片手で持ち上げる事は可能なのだ。

 担当官の四角い顔を眺めながら、坂本は絶句する。犯人は用意周到だったのだ。

「しかしですなあ、岸田洋にはアリバイがありましてな」吉岡刑事が反論する。

「その事については、これから話します」担当官はにこりともせずに言う。

 本来ならば、この様な場所で話をする内容ではないが、岸田洋が殺され、本当ならば親族に話すべきなのだ。だが岸田が磯部作次郎殺害の犯人の1人と判った今、彼の身内に話しても良いのかどうか、四日市署の担当官は戸惑いを隠さない。身内に近い者に非公式に打ち明ける事で善後策を講じようとしているのだった。


 「ところで、奥さん」担当官は無表情な顔を珠江に向ける。珠江は青ざめた顔を上げる。

 主人を殺したのが岸田洋と知った時、珠江は激しいショックを受ける。最愛の夫を、それも最も信頼している岸田洋が殺したとは・・・。珠江は食事も摂らずに、白い顔を青白く凍り付かせている。

「奥さん、辛い気持ちは判りますが、1つ質問に答えてほしいんですが」担当官の声に、珠江は軽く頷く。

「ご主人が殺された当夜の事、覚えておられますか」

 珠江は俯いたまま、微かに頭を下げる。

「茶会がありましたね。何時から何時まで?」

「夜7時から9時までですわ」

「茶会を開くって知っていたのは?」

 磯部珠江は、喉に物がつかえたような顔を上げて、担当官を見る。

「つまりですな、茶会は前もって、関係者に知らせるのかとお尋ねしているんです」

 珠江は当時の事を述懐する。

 常滑に在住して、それ程長くはない。主人の仕事の事もあって、知人友人を集めて、親睦の意味を込めて、1ヵ月に1回茶会を開いていた。

「その夜、茶会があるって事、岸田洋も知っていましたね」

「ええ、だって、私、幾世さんにも出席してくれって言ってましたから」

 岸田洋の口から、妻は欠席するとの連絡が入っている。

「茶会が9時に終わって、それから、奥さん、どうされました」

 磯部珠江は茶会の後片付けをして、ワインをグラス一杯ぐらい飲んで就寝している。

「私,寝つきが良い方ですから、翌朝6時まで寝てましたわ」

 磯部作次郎は仕事上の付き合いが多い。突然、夜8時に家を出ていく事などは日常茶飯事なのだ。帰宅時間も不規則である。


 「それでは、岸田洋と磯部幸一の当夜の動きを述べます」ただし中村作二の口述に従って話を進めると、四日市署の担当官は再度念を押す。

 磯部幸一は作次郎殺害後、彼の作業服から手帳を抜き取り、金庫の番号を写し取る。手帳を元に戻して、ポケットから鍵に束を取ると、岸田洋に手渡す。

 神殿前の駐車場に戻る。この時、時間は10時50分、岸田は携帯電話を入れる。、妻の幾世に「今、仕事が終わった。帰りは12時近くになる」電話を切ると、自分の車を運転して、磯部邸に直行。磯部幸一は作次郎のクラウンを運転して、下の常石神社の駐車場まで行く。そこで作次郎の車を放置する。

 一方、岸田が磯部邸に到着したのは、10時55分頃、彼は門の右手横の駐車場から磯部邸に忍び込む。磯部邸の東側から離れに向かう。離れには、磯部作次郎の書斎と、多量の水晶が保管してある。通称”倉”の2部屋から成り立っている。母屋と幅一間の廊下で結ばれている。倉に大きな物を入れる事も考えて、廊下に観音開きのドアがついている。施錠されているので、岸田は持ってきた鍵の束から、鍵を探して開ける。

 倉にも鍵がかかっている。それえも苦も無く開けると、金庫に近づく。番号は控えてあるし、金庫の鍵もあるので、中にある紫水晶を取り出す。40キロの重さがあるが、持ってきた大型のハンドバッグに納めると、両手に抱えて、磯部邸を飛び出す。

 車を走らせて、常石神社の石の鳥居の奥で待つ磯部幸一にハンドバッグを渡す。そして自分の車に乗り込むと岸田は時間を潰して、12時近くに自宅に帰る。

 磯部幸一は岸田から受け取った磯部作次郎の鍵の束を、彼のクラウンに入れると、名古屋市北区の自分のアパートに帰る。


              アリバイ  


 「吉岡さん、中部産業の井出直二って知ってますな」

四日市署の担当官は、四角い顔を吉岡刑事に向ける。吉岡刑事と四日市署の担当官は同じ刑事という事で、隣同士で食事を摂っている。

 言われて、吉岡刑事は、はっとして、ずり落ちそうな眼鏡をたくし上げる。

「じゃ、井出直二が磯部幸一だと・・・」絶句する。

 担当官はお茶を飲みながら、淡々と話を進める。

 磯部作次郎殺害の約4ヵ月前、磯部幸一は井出直二という名で、北区の中部産業に入社している。

 この会社は土建用の資材の販売を業としている。磯部幸一は、磯部土建の事を調べ上げた上で、就職している。

 中部産業は社長に、女子事務員1名、営業社員2名の小さな会社だ。貸しビルの3階の一室に居を構えている。社長自ら営業にかけずり回っている。

 職安で求人募集を見た磯部幸一は、中部産業に就職の面談を求めている。

 仕事は営業とは言うものの、新規開拓が主な仕事である。固定給と歩合給で、どこを開拓しようと、営業社員の自由である。要は売り上げを上げてくれればよいのだ。

 磯部幸一は偽の履歴書を持参している。井出直二と言う名前も、適当に付けただけだ。こんな小さな会社だ。履歴書を調べることはあるまいと、たかをくくっての訪問である。

 磯部幸一は物腰柔らかく、腰も低い。いかにも営業向きの風貌をしている。黒縁の眼鏡をかけ、口ひげをはやし、オールバックの髪というスタイルだ。


 吉岡刑事は頷く。岸田洋のアリバイの裏付けを取るために、中部産業に赴き、井出直二に面談しているのだ。

 余談だが、中部産業の固定給は10万円。売り上げに応じて歩合が出るものの、固定給から、税金やら保険が差し引かれ、手取り7万円程度、営業用の自動車やガソリン代は自分持ち、いくらバブル崩壊後の不況時とは言え、就職としての条件は悪い。たいていの社員は半年ぐらいでやめていく。だから会社側は前歴も調べずに雇用している。

 磯部幸一は入社して2週間位は社長に連れられてあちらこちらと得意先を回るが、その後自由行動となる。

 彼が常滑に出没するようになるのは、以上のような下地があった。

「まさか、井出が犯人だなんて・・・」

 吉岡刑事は唸るように喋ると、口惜しそうに顔をしかめる。

「私に少し説明させてもらえますか」吉岡刑事はふさふさの髪を、ひっかくようにして手をやる。イラついた気持ちが、6帖の部屋全体に伝わってくる。担当官は口をつぐみ、横目で吉岡刑事を見る。


 磯部作次郎殺害事件は、吉岡刑事が中心となって、関係者から事情聴取を行っている。坂本太一郎は勿論の事、妻の珠江さえも、事件当日の行動について、聴かれている。


 当然岸田洋も対象になっている。

 本人及び妻の幾世からの事情聴収で、事件当夜岸田は8時頃自宅を出ている。北区の中部産業に行く事は、磯部土建の者は知っていた。

 夜9時頃から11時頃まで中部産業にいたと証言している。岸田幾世は、夜11時頃に夫から、今から帰るという電話を受けている。帰宅時間は12時頃。彼女は寝ずに夫を待っていた。

 岸田洋のアリバイのウラを取るために、吉岡刑事は中部産業に出かけ、井手直二に面談している。

 井手は、九時頃から11頃まで会社で岸田と商談していたと証言。

 岸田洋は容疑者ではないので、事情聴取は型通りに行われたにすぎない。

 井手直二は一ヵ月に一回ぐらいの割合で、磯部土建に現れるだけだった。よってノーマークだった。

「吉岡さん、あなたの立場であれば、同じことをしたでしょうな」担当官は同じ刑事仲間として、彼を慰める。

「しかし、殺された時の磯部幸一の姿とは別人のようですが・・・」と伊勢署の刑事。

 磯部幸一は殺された時、眼鏡をかけていない。口ひげもはやしていない。髪も七三に分けている。

 四日市署の担当官はお茶を飲み終わって、突き出た腹をさする。

「中村作二の事情聴取によるとですな・・・」

 磯部幸一は、あちらこちらを転々としている。名古屋市内にも知人がいる。もし何かのきっかけで、自分の素性がバレたら困るから、変装していたというのだ。

 磯部作次郎が亡くなって、磯部土建は解散する。それが岸田洋の目論見だった。磯部土建が亡くなれば、磯部珠江は伊勢に還る。そう読んでいた。

 ところが現実は、珠江は坂本太一郎の応援を得て、磯部土建の存続を図った。そればかりか、それから3ヵ月後に、磯部家の財宝の在り処を捜すことを、坂本に任せた。

 岸田洋は磯部幸一と連絡をとる。

 作次郎殺害後、岸田から、磯部家の秘宝の紫水晶を受取った磯部幸一は、弟の中村作二に手渡す。義兄の行動に危惧を抱いた中村作二だが、幼い頃から苦労して育ってきた2人は、固い絆で結ばれている。万難を排しても義兄を助けねばと心に決めている。自宅に紫水晶を秘匿する事になる。

 磯部幸一は、作次郎殺害後、約1カ月で中部産業を退職している。この会社は雇用条件が悪い事から、営業社員の勤務は長く続かない。磯部幸一=井手直二がやめても、社長は何も言わない。

 磯部幸一は岸田から、事の仔細を告げられる。

――財宝さえ手に入れば、乾珠江の事はどうにでもなる。坂本が財宝探しに身を乗り出したというなら、却って助かるではないか――

 磯部幸一は力を込めて岸田洋を説得する。今ここで岸田に変な行動に出られては、全ては水の泡となる。

我を忘れて女に熱を入れ上げている男ほど厄介なものはない。もっとも岸田が珠江に夢中とは言うものの、その気持ちを当の本人に伝える事が出来るような性格ではない。

――今、しばらくは、こらえてくれまいか――

 磯部幸一の説得に岸田は今まで通り磯部土建で働く事になる。

 磯部幸一は職を転々としながら財宝探しに精を出す。

義弟の中村作二は結婚式も間近に迫り、市役所に判を押したように勤務していた。

 3人は事あるごとに、明和町北野にある中村作二の家に集まる。磯部幸一は財宝探しの進捗状況を、岸田洋は坂本太一郎の財宝の在り処の説明を、それぞれ述べる。


 平成8年12月上旬、結婚式を2週間後に控えた中村作二の携帯電話が鳴る。

「今後一切、俺に電話するな。紫水晶を持って隠れろ。殺されるかも知れない」磯部幸一の切羽詰まった声が飛び出す。

 実はこの1ヵ月前から、中村作二が勤務する松坂市役所や自宅に無言電話がかかっている。

 受話器を取る。「中村作二だね」と問う。

「はい」答えると、一方的に電話が切れる。

 磯部幸一は、アルバイトをしながら、財宝探しに奔走している。彼の住まいにも無言電話が鳴ったり、車が尾行されたリしている。

「しばらく、動くのをやめたら」中村作二の提案のみ、磯部幸一は首を振る。もう少しで財宝の在り処が判る。今やめる訳にはいかない。そちらも身辺には充分に注意するようにと、忠告される始末。

 磯部幸一や中村作二は辛苦の中で育っている。世間の動きに機敏に反応出来る。

「何かあったら、紫水晶をを持って隠れろ」義兄に言われなくても、中村作二は心得ている。

 伊勢や熊野には、牛頭天王の伝説が多く残されている。ソロモン財宝=磯部家の秘宝は、古代史をかじった者ならわかる筈だ。

 現に、磯部作次郎が、乾珠江に求婚する時、岸田洋の祖父に紫水晶を見せている。岸田の祖父はそれを見ただけで、磯部作次郎をスサノオの直系の子孫と見抜いている。

 磯部作次郎殺害事件は、新聞やテレビで報道されている。磯部家の秘宝に関心のある者ならば、その秘宝に絡んだ殺害事件とみなしてもおかしくはない。

 中村作二もこの事は充分に承知している。磯部幸一から電話があった時、身の危険を察知したとしても不思議ではない。

 彼は12月下旬に迫った結婚式を、仲人を通じて、3ヵ月先送りして欲しいと通告する。仲人からその理由を問われるが、それには答えられないと一方的に連絡を絶つ。

 すぐさま不動産屋を呼んで、自宅の売買を依頼する。津市内にアパートを借りて、紫水晶をそこに移す。松坂市役所に辞職願を提出。

 そこまでしなくてもというのが、一般の常識であろうが、自宅が自己所有であると、固定資産税の通告や、ガス、水道、電気の請求書も、移転後の住所に送られてくる。どこに隠れようと、それらはついて回ってくる。

 中村作二はすべてを投げ出して、住民票を手にしたまま、津市内に潜伏したのである。


 磯部幸一への無言電話は岸田洋にもあった。岸田は逃げ隠れが出来ない。万が一の用心だけは怠らなかった。岸田は中村作二と連絡を取り合って、事後について話し合っている。

 問題なのは、それ以後、磯部幸一の行方が不明である事、警察に捜索願いを出そうと考えてが、それでは自分達の居場所を明らかにするだけと判断して、取りやめとする。

 磯部幸一から連絡があるまで待つしかないと考える。


 平成9年1月10日、磯部幸一の殺害事件が起こった後で、2人はしばらく鳴りを潜めようという事になった。だが、中村作二のアパートにある膨大な量の磯部家の秘宝に関する資料を眼にした岸田洋は、中村作二の制止も聞かずに、秘宝探しに熱中する事になる。

 とはいえ、常滑での磯部土建の仕事がある。1ヵ月に1~2回しか時間が取れない。

 岸田の頭には、1日も早く秘宝を手に入れて、磯部珠江を伊勢に呼び戻す事しかない。伊勢に来てもらえさえすれば、一緒になれる。端からみると非常識としか思えない事しか頭になかった。

 この時期、坂本太一郎が磯部作次郎の資料から、秘宝探し着手して、4ヵ月ぐらいはたっていたであろうか。ただ、岸田洋が失望したのは、彼は、モーゼの出エジプトから始まって、スサノオ一族が出雲に上陸するまで、物語風に延々と語りが続いていた。いつになったら、肝心の伊勢の財宝の隠し場所に辿り着くのか、不明だった事もある。

 中村作二は苦労の中に育ったにもかかわらず、お人良しなところがある。

 磯部幸一が秘宝探しの協力を仰いだ時、中村作二は断れなかった。婚約中であったにもかかわらず、彼は磯部幸一に金銭の出費から、時間的労力まで提供している。いわば、好むと好まざるとにかかわらず、義兄と2人3脚の役目を果たしていた。

 岸田洋の場合も同じだった。磯部幸一が殺されて、得体の知れない影の力が動いている事を察知していたにもかかわらず、岸田は秘宝探しの行動に出たのである。

 当時、磯部幸一は財宝の在り処として,10か所ばかり特定していた。それを現地調査をして、1か所ずつ調べ上げる直前に殺されている。

 岸田ならずとも、手を出したくなるのは無理からぬ事。だが慎重な中村作二は押しとどめた。

 岸田は中村作二の制止も聞かずに行動に出た。彼は伊勢で生まれ育っているから、地理に詳しい。中村作二のも義兄に引っ張られてあちらこちらを歩いているから、10か所の特定場所も大体判る。岸田は嫌がる中村作二を連れ出して伊勢の地を歩く事になる。


                紫水晶


 岸田洋が明和町の実家に帰ると言って常滑を出たのが、平成9年5月上旬だった。

彼は実家にも立ち寄らずに伊勢の地を歩き回っていた。時には中村作二を同行させていたが、1人で行動する事が多かった。

 中村作二は、同年6月下旬まで津市にいて、パートの仕事について、食いつないでいたが、いつまでも1か所に定住すると、見つかる可能性もあるので、伊勢から遠ざかり、四日市市内に移住する。

 常滑から四日市市まで車で1時間程、津市内だと2時間くらいかかる。常滑からくる岸田洋と落ち合うのに2時間かかる。少しでも近い方が良いだろうという配慮が働いている。

 ところが、5月上旬に常滑を出た岸田洋は1度も常滑に帰っていない。中村作二への連絡もない。財宝の秘匿場所を見つけて、1人占めにしたとも考えられない。財宝を解く鍵は紫水晶にあると言われている。紫水晶は中村作二が握っているのだ。


 それから約1か月半の、平成9年6月21日に、岸田洋殺害のニュースが飛び込んでくる。中村作二は恐懼し、アパートに閉じこもっていたが、ついに耐え切れずに四日市署に保護を求めて出頭してきた。

 食も喉を通らずに、衰弱していたが、約1時間半の事情聴収後、近くの病院に入院させた次第だ。

「で、紫水晶は?」坂本がせっつくように聞く。

「中村作二のアパートから、所持品と共に押収して、署で保管しとります」

言いながら、四日市署の担当官は腕時計を見る。

「やっ!もうこんな時間か、そろそろ帰らなくちゃ」そわそわしだす。立ち上がり様、中村作二の了解が得られ次第、水晶や資料はそちらに渡すことになるという。

「ところで奥さん」担当官は立ち上がって、珠江を見下すように話す。

 本来ならば、警察署でお話すべき事だが、事情を考慮して、この様な形でお話した。

 今話した内容は、口外無用と言う事にしたい。今更、亡くなった方に鞭打っても仕方あるまい。

 この事実を世間に公表すると、中村作二の身の安全が保てない。それに岸田洋がご主人を殺した犯人の1人だという事になれば、岸田家と奥さんのお付き合いにひびが入る。

 担当官は言った後、磯部珠江の血の気のない表情を眺めている。

「珠江さん・・・」坂本太一郎が寄り添う様にして言う。

「今の事、公表されたら、磯部土建や、私達も世間から好奇心の眼で見られます」

 磯部珠江は力なく顔を上げると、坂本を見る。彼女は二重のショックを受けている。立ち直るまで時間がかかるかもしれない。坂本は心配そうに珠江を見ている。彼女は黙って、こくりと頷く。

「よしゃ、それじゃ、そういう事で」

 四日市署の担当官は突き出たお腹をかかえるようにして部屋を出ていく。


 坂本の車は四日市署を出て、伊勢の乾家に向かう。珠江は岸田の家に行きたくないという。坂本や吉岡刑事は、彼女の気持ちを察している。

 乾家に珠江と伊勢署の刑事1人を置いて、岸田邸に向かう。岸田洋の実兄や、妻の幾世には、珠江は疲れの為に乾家で臥せっている。今は誰にも会いたくない伝える。

 岸田洋の初七日も無事に済ませ、坂本、吉岡刑事、岸田幾世は常滑に帰る。

 2日後、四日市署の担当官から紫水晶と資料を返還したいとの連絡が入る。この持ち主は磯部珠江である。坂本は珠江に電話を入れる。これらをどうしたものか相談する。

 磯部珠江は坂本の方で保管して欲しいという。

 坂本は吉岡刑事に相談して、一緒に四日市署まで取りに行く。磯部作次郎が殺されて以来、久し振りに対面する紫水晶である。坂本は紫水晶と資料を磯部邸の金庫に納める。鍵と金庫の暗証番号を銀行の貸金庫に保管する。

 現場監督の岸田洋を失った磯部土建は、もう1人の現場監督の手配で、岸田洋の代わりの者を現場監督として受け入れる事になった。

 坂本は新任の現場監督を連れて、得意先や役所関係の挨拶廻りを行う。眼の回る様な忙しさであったが、それも落ち着いた時、アサヒスタンダード名古屋市内の向井純に連絡を入れる。

――7月7日に伊勢に行くのでよろしく――

 みちのく教団の佐久田教祖に面談して、紫水晶の秘密を尋ねようと考えていた。岸田洋が殺された今、磯部家の秘宝の紫水晶を秘密にすることはないと判断した。

 先日、みちのく教団に行き、不審な車に尾行された事が記憶に新しい。磯部幸一や岸田洋殺害と関連があるのではと推測している。

 紫水晶の事を白昼にさらけ出す事で、見えない〝敵”の動きを掴めるかもしれない。坂本にも害が及ぶかもしれないが、”虎穴に入らずんば虎子を得ず”である。

 無論、吉岡刑事と連絡を密にして、伊勢に行けば伊勢署の刑事にマークしてもらう。

 それに――坂本は胸のときめきを覚える。伊勢に行けば磯部珠江に会える。彼女はしばらくは常滑に帰ってこない。岸田幾世の顔を見るのが辛いのだ。

 岸田幾世は、樽水のアパートを引き払い、実家に帰り、今まで通り、磯部土建の事務員として働く事になった。


               紫水晶の秘密


 平成9年7月7日、早朝、坂本太一郎は、向井純、寺島広三と共に伊勢に向かう。

 岸田洋が亡くなってから今日まで、休む暇さえなかった。片付けなければならない問題が山積みになっている。坂本住宅や磯部土建の社員に事後を託しての出発である。

 朝9時にアラタマ教団に到着。

 岸田の件で教祖の荒石あらいそ道斉とは顔馴染となっている。

 9時半、禊が行われる。夏なので、水をかぶると言っても、苦行の内に入らない。約30分で終わる。

 今日は七夕祭なので、禊の後の祝詞は15分ぐらい。坂本にはそれが有難い。1時間以上の正座は拷問に近い。

 アラタマ教団は百坪にも満たない敷地に、30坪程の建物が建っている。荒石教祖の自宅も兼ねている。8帖の和室に神棚が配置してある。その他に10坪程の禊場がある。建物の裏には約20坪の土地に玉砂利を敷いた境内地がある。その奥に、簡素な神明造の神殿がある。建物内の神殿の真北、5メートル程先に神明造の神殿が鎮座する。

 10時頃、20名の信者が集まってくる。白装束姿の信者は、坂本や向井、寺島を含めて8名、坂本は新参者なので、砂利を敷いた神殿前の敷地に設置した折りたたみ椅子に腰かけて待つ。向井ら7名の者は、神殿の扉を開けたり、海のもの、山のもののご供物を神殿に捧げたりする。


 信者達から送られた人形の紙を、三方に山積みにして神殿右横の砂利の上に置く。その横に小石で囲まれたお焚き上げ場がある。

 人形ひとがたには、信者達の祈願が書き籠められている。坂本も商売繁盛、磯部珠江との結婚を夢見て、願望実現の願いを書き込んで奉納している。人形は1枚千円。これで祈願が叶うなら、安いものである。

 坂本を含めて20名の参加者は折りたたみ椅子に腰かける。荒石道斉が家の裏手から現れる。白装束の衣装姿である。神殿に三礼四拝する。信者や参加者たちもこれに倣う。祝詞が挙げられる。全員がこれに和する。この間30分。

 次にお焚き上げ場に杉の枯れ枝が投じられ、火が付けられる。荒石道斉は人形を一枚手に取り、呪文を唱え、人形を額にこすりつけて、火中に投じていく。

 坂本はその様子をみて、20年ぐらい昔に、はじめて名古屋の観音教会に行ったことを思い出す。入信の時に対面したのが、今は白装束で荒石道斉に信者として仕えている向井純である。

 当時、観音教会名古屋道場は、信者が2百名足らずだった。1ヵ月に一度例祭が催行される。東京本部から管長の杉山良典が来て、直接に信者の指導を行っていた。

観音教会は密教を売り物にしていたので、護摩法要を主としていた。いわゆる薪を煩悩、火を知恵とする。薪の代わりに果木を燃やす。

 本来護摩法要は、知恵の火で煩悩の薪を焼き尽くす行であるが、時代が下るに従い、大衆の現世利益と結びついていく。果木は幅1センチ、縦10センチの板である。上部に大日如来を表すサンスクリット文字のバンの文字が書かれ、その下に、氏名と祈願の文字を記入する。神道の人形を板木に代えたと思えばよい。

 坂本が観音教会に入信した当初は、杉山管長自らが、果木を1枚1枚手に取り、額に押し当てて、護摩壇の火焔の中に投じていた。

 1年、2年と経ち、信者数が5百人,千人と増えるに従い、果木は杉山管長の側に控える導師の手で、鷲掴みにされて、火に投じられるようになる。


 宗教は大きくなると、法要が雑になる。あれ以来、坂本は大きな団体に成長した宗教には魅力を感じなくなっていた。小人数で家庭的な暖かみのある宗教の方が良いとの考えは向井純も同じだった。

 その向井が大柄な身体を白装束に包んで、荒石道斉が人形を火に投じている間、祝詞を読み上げている。寺島広三も負けじとばかりに、小さな体を大きく見せようと声を張り上げている。

 七夕祭は11時頃に終了。跡片付けをしてをして、全員が家の中の神棚の前に集合する。夏なので、窓という窓を開け放つ。20分ばかり荒石教祖の講釈が続く。20名の信者がひしめき合うので、8帖の和室4部屋が解放され、廊下に座り込む者もいる。

 教祖は今日の七夕祭はこれで無事終了と宣言した後、最前列の、向井と寺島に挟まれた形で座っている坂本に目をやる。

「岸田洋さんはご愁傷さまでしたな」坊主頭をつるりと撫でて頭を下げる。

「その節はどうも・・・」突然の挨拶なので、坂本はしどろもどろになる。

「ところで磯部家の紫水晶はご無事でしたかな」

 荒石教祖は正座のまま、白装束の袖を引っ張る。

「えっ!」坂本は2度慌てる。

「どうしてそれを!」思わず口に出る。

荒石教祖は、呆れたように、坂本の頭部の薄い髪を見詰めている。そして苦笑しながら以下のように話す。

 磯部作次郎が乾珠江に求婚した時、岸田洋の祖父が難色を示している。この事は坂本もよく知っている。

 磯部作次郎は磯部家に代々伝わる秘宝の紫水晶を持参する。岸田洋の祖父に紫水晶を見せて、直談判した事は、伊勢神宮の関係者なら皆知っている。

 岸田洋の祖父は紫水晶を見せられて、磯部作次郎がスサノオの直系の子孫である事、2千年以上も昔に、伊勢の地の何処かに秘匿されたソロモンの財宝を守り抜くために、常滑の地に渡った磯部家の子孫である事を見抜いている。

 荒石教祖は、この話は岸田家に限らず、伊勢神宮の関係者、伊勢に根を張る宗教者なら、常識として知っている事だという。

 坂本は呆然として聴いている。

 先日の四日市署の担当官の話によると、中村作二は、岸田洋は財宝の秘匿場所を巡って殺されたに違いないと述べている。

 磯部幸一と言い、岸田洋といい、無惨な殺され方をしている。磯部幸一の場合、目撃者の証言により、一団のグループが関与していたとみなされている。

 坂本は気を取り直して、度の強い眼鏡をたくし上げる。

「磯部作次郎の甥、磯部幸一が殺害された事件、ご存知でしょうか」

 荒石道斉は軽く頷く。

「私、磯部幸一を殺したのは、伊勢に根拠を置く、宗教団体ではないかと考えますが」と坂本。

 坂本は以前伊勢にやってきた事を思い出している。向井や寺島と別れて、みちのく教団を出た後、不審な車に後をつけられている。その事が脳裏をよぎったのだ。

・・・この中にも、犯人がいるのでは・・・」背後にいる20名の信者にも聴こえるように答えた。

「坂本さんの推測通りかも知れません」

 荒石道斉は動ずる気配を見せない。

「集団殺人を犯して話題になっている宗教団体もありますから」言いながら、荒石道斉は大きな体を坂本に向ける。

 どの世界にも明の部分があれば暗の部分もある。宗教だとて例外ではない。衆生を救済するのが明とするなら、人を呪詛し殺そうとする宗教を暗と呼んでも良い。この様な宗教団体は、大々的に宣伝しない。

 だが、知る人ぞ知るで、どこでどう知るのか、恋敵を殺して欲しい。自分を捨てた男を不幸にしてくれ。この世の栄耀栄華を叶えてくれるなら、死んだ後、魂を売っても良い。

 こんなおどろおどろしい願望を得ようとして、闇の宗教団体を訪れる者が後を絶たない。西洋で言う黒魔術である。


 荒石道斉の話を聞きながら、坂本は知人の不動産屋の話を思い出す。

 今どこの会社でも不況であえいでいる。

 この知人、人の紹介で、某宗教団体を訪れた。その教祖から、祈祷料として百万円出してくれたら、あなたには、一生お金や女に困らない程の金持ちになる秘術を講じて差し上げようと言われた。

 女はともかくとして、一生食うに困らないお金が入ってくるなら、百万円は安いと思って、どんな方法なのか尋ねてみた。

 教祖曰く、あなたの7代までの子孫の財運を奪い取って、あなたの財運に着ける。

知人、それでは自分が死んだ後、子孫はどうなるのか。

 教祖曰く、7代までの子孫は見るも悲惨な貧困の運命を送る事になる。

 そんなことが出来るかどうかは別として、知人はその教祖の狐のような顔をみて退散したという。

 その他に、実際にあるのかどうか判らないが、日蓮宗系の某教団では、憎むべき者を、死後45億年もの間、地獄の底に突き落とす秘術があるという。その秘術を行ってもらう者が後を絶たないという。


 「悪徳宗教と言ってよいのか、ブラックマジックと言ってよいのか、これら悪の宗教の共通するとこらは、現世への欲の執着が強い事でしょうね」

 早い話、お金に対する執着が異常に強い事だ。何百万円もの祈祷料を請求されたり、霊力もないのに、釈迦の生まれ変わりとか、天の声を聴いたとか、臆面もなく主張して憚らない。

 磯部家の秘宝の財宝を手に入れようとして暗躍してるとしても、当然なのかも知れない。

 荒石道斉は諭す様に話す

「そういう、このアラタマ教団も金がなくて困っている。お金は欲しい。千円でもいいから寄附してくださいね」

 柔和な表情で、つるりと頭を撫ぜて、頭を下げる。途端に坂本の後ろで笑いが漏れる。


 正午少し前に、アラタマ教団を出発する。みちのく教団まで車で20分位である。昼食はみちのく教団で摂る予定。向井と寺島も同行している。今日は2人とも帰りは坂本と一緒の予定である。

「寺島さん、荒石教祖のお話、どうでしたか」

 車中、坂本はバックミラー超しから、後部座席に、身を屈めるように腰を降ろしている寺島に声をかける。彼は伊勢で生まれ、伊勢で育っている。

「えっ? なんでしょう」何か考え事をしていたのか、寺島はびっくりして顔を上げる。

 坂本は、磯部作次郎が珠江との結婚のために、岸田洋の祖父に直談判に及んだ事実を話す。

 坂本にとって意外だったのは、磯部家の秘宝の紫水晶は過去の遺物で忘れられた存在とばかり信じていた事だった。

 ところが荒石道斉は、伊勢の宗教関係者なら、スサノオの直系の子孫が常滑のどこかにいると、知っているというのだった。だから、磯部作次郎が、紫水晶はを持ち込んで岸田家に現れた時、驚きと畏敬の念で観られてという。

 坂本はアラタマ教団を退出してから、その事を反芻していたのだ。

――磯部作次郎が岸田家に紫水晶を持ちこんだ事は知っていた。磯部本人がその事を自慢していたのだ――

・・・迂闊だった・・・坂本は臍を噛む思いだった。

 磯部作次郎から自慢話を聞いた時、気付くべきだった。

――岸田の祖父は、紫水晶の持ち主がスサノオの子孫だと知っていた――

 この事実をその時に悟っていたら、殺人事件の糸口はもっと早く容易に手繰れたかもしれない。

「ええ、知っていましたよ。私も父から聞いていましたから」

 寺島は小さな体を一層小さくするように、腰をかがめている。寺島から見れば、坂本はお得意様である。本来ならば自分か向井が運転を買って出るべきである。

 あの時、まさか磯部作次郎が殺され、磯部幸一も殺害されるとは思ってもいなかった。磯部家がスサノオの直系の子孫であっても、坂本は関心も払わなかった。

 紫水晶を持って、岸田邸に直談判に及んだと聞いても、「ほう」と磯部作次郎の強引さに感心しただけで、それ以上の事は関心を持たなかった。


 「坂本さん、何か?」寺島が声をかける。小柄だが、愛想が良く、好感が持てる。坂本が不機嫌そうな顔をしているので、心配そうに声をかけたのだ。

 寺島は超能力開発に興味があると聞いている。修行を重視する宗教団体を渡り歩いている。ただ、彼が超能力に目覚めたとは聞いていない。

 向井純も同じような性格をしている。2人が偶然同じ会社に勤務していて、寄り添う様にしてコンビを組むのも自然の成り行きである。

 12時半頃にみちのく教団に到着。

 即、昼食を摂る。食事と言っても、玄米食に3点のおかずのみ。玄米食も1口で百回は噛む。顎が疲れるが、これも修行の内と、じっくり味わって食べる。

 2時半から約1時間、佐久田教祖の講義がある。アラタマ教団を比較して、みちのく教団は広い屋敷を有している。資金も潤沢である。信者の推薦さえあれば入信できる。ただし会費を納めるのを怠ると、即退会とみなされる。教団とはいうものの、宗教法人ではない。

 1時半頃、坂本は佐久田教祖の書斎に入る。大きな部屋で1万余の本が収められている。部屋の一角に数台のスチール机が置いてある。ちょっとした図書館である。

 坂本は向井を通じて、是非相談しい事があると佐久田教祖に伝えてある。

 書斎に入った坂本を迎えた佐久田教祖はトレーニングウエア姿であった。夏なので適度にクーラーが効いている。佐久田教祖は中肉中背のスポーツマンタイプの骨格をしている。ふさふさとした髪が52歳という顔の表情を若々しくしている。細長い顔に唇をきっと締めている。坂本を迎える佐久田の顔が心なしか憂いに沈んでいる。

・・・機嫌が悪いのかな・・・ 

 坂本の不安は一気に解消する。

「この度は、大変な目に会いましたな」若々しい声で言う。椅子から立ち上がり、深々と坂本に一礼する。

・・・ああ、岸田の事か・・・

「その節は、ご足労でした・・・」坂本も会釈を返す。

 椅子に腰かけ、2人は向き合う。

「私に折り入って、相談があるとか」

 佐久田教祖は丁寧に話をする。物静かで、学者タイプである。親から受け継いだ莫大な財産を活かしている。伊勢市内にアパートを経営していると聞く。少なからず商才にも恵まれているようだ。

 坂本は、磯部家の秘宝の紫水晶について話す。

聞きながら、佐久田は軽く頷く。荒石道斉と同じように驚きもしない。紫水晶の謂れについては、坂本よりよく知っているのかも知れない。

 坂本はそう判断して余分な事は言わない。

 以前ここにお伺いしたとき、紫水晶の波動はアジナチャクラに関係していると聞いた。そういう自分も瞑想や神秘思想に興味がある。

 磯部家の紫水晶は、神との交信に絶大な効果があると聞いている。もしその方法をご存知なら、教えてほしい。坂本は単刀直入に尋ねる。こういう人物には、回りくどい尋ね方は嫌われると判断した。

 佐久田龍一は、切れ長の眼で、坂本を見つめる。次に机の上に目を落とす。明らかに逡巡の色が見える。

・・・教えるのが嫌なのか、それとも知らないのか・・・

 もったいぶって、迷っているとも思えない。

 坂本は辛抱強く待つ。数分後、佐久田教祖は思い切ったように顔を上げる。薄い唇が開く。

「知っておりますが、教えてえも無駄でしょう」

 一呼吸ついて、教えたところで、あなたのためにはならないでしょうと付け加える。

 坂本はむっとする。馬鹿にされているような言い方だ。

「どうしてでしょう」思わず声が高くなる。


 佐久田は、しばらく間をおいて、静かな口調で述べる。

「神と交信するって、どういうことかわかりますか」

 坂本はその解答を持ち合わせていない。どう答えてよいのか判らないので、黙って佐久田の顔を見るのみ。

「我々個人が、アメリカの大統領と会うのとは、訳が違うんですよ」

 佐久田龍一の物静かな口調が熱を帯びてくる。

「坂本さん、アジナチャクラのアジナに命令という意味がある事は知っていますね」

 坂本は頷く。

 アジナの命令とは、神からの命令という意味だ。

「神からの命令、これがどんなにすさまじいものか、判りますか」

 佐久田は坂本の反応も確かめずに以下のように言う。

アジナチャクラは眉間のチャクラである。これが修行などで開くと、その人に神の命令が下ると言われる。

 簡単に神の命令とは言うものの、現在の一切の生活を捨てる事になる。

仕事をやめ、家族を捨て、現世の欲を顧みず神の命令のままに行動する事になる。神の命令だから従わざるを得ない。

 周囲の者からみると、気がふれたとしか映らない。

 街頭に立って、神の愛を叫んだり、自分の持ち物を全部売り払って、その代価を貧しい人に施したりする。

天理教の教祖も、天理教を起こす前に、この様な行動に出たと言われる。

 神の命令を受けた者には、神からの報酬はこの世では得られない。


 「坂本さん、以上の事を承知の上なら、紫水晶の使い方を教えますが・・・」

 坂本は心の中でたじろいでいる。

・・・神の命令とは、この世の欲をすべて捨てて、万人の幸福の為に、キリストのように、神の愛を説けという事か・・・

 坂本は、紫水晶の秘密を手に入れる事で、超能力を獲得して、財を得て、磯部珠江と幸福に暮らしたいと考えていた。それが可能だと信じていた。

 紫水晶の使い方を知る前に、坂本さんには、やらなければならない事がありまづ。

 佐久田龍一は厳しい眼で坂本太一郎を見る。

邪心を持たない事。神は純粋な魂の権化である。卑しい心を持った人間を最も忌み嫌う。

 聖書にある。心清き者、その人は神を見るであろう。

 だから神と交信するには、清い心を持つ事。その為には潔斎沐浴をして身を慎む事。盛り場などに出入りせず、1人、清楚な場所で生活する事、大食、アルコールを慎み、女性との交わりからも遠ざかる事。

「坂本さん、今の仕事をぷっつりと辞める事ができますか」

 坂本は絶望的な気持ちになる。

「しかしですね。それはともかくとしてですね、使い方だけは教えてくれませんか」坂本はあくまでも食い下がる。

「判りました。それほど知りたければ教えましょう」佐久田龍一の顔から厳しさが消える。にこやかな顔になる。

「イメージ法ってご存知ですか」

 坂本は頷く。仏教でいう観想である。頭の中で、ありありと情景を思い浮かべる事だ。

 イメージ法は、アジナチャクラの開発の1つの方法である。逆に言えば、アジナチャクラを目覚めさせれば、スクリーンの映像を見る様に、眉間に鮮やかなイメージが浮かぶ上がる。

 佐久田は微笑して坂本を見ている。

「坂本さん、あなたの家の中、眼を瞑って、隅から隅まで、どこに何があるのか思い浮かべる事が出来ますか」

 坂本は戸惑う。

「あなたの書斎の本、1冊1冊、表題を思い浮かべる事が出来ますか。本の著者の名前は、何頁に何が書いてあるのか、イメージできますか」

 坂本は首を振る。そんな芸当は出来る訳ない。

「これが出来てこそ、本当のイメージ法と言えるのです」

 これから話す事は、坂本がその域に達しているとみなして話をすると、佐久田は断りをつける。


 磯部家の秘宝の紫水晶の真ん中か、少し上の方に、パチンコ玉程の大きさの泡がある。

 佐久田が言いかけた時「そんな事も判っているんですか!」坂本は思わず声をあげる。

 紫水晶は磯部家の秘宝である。門外不出だ。それをどうして知っているのか。

 佐久田は笑いながら答える。

「こんな事、伊勢の宗教関係者なら皆知ってますよ」


 天武朝時代、伊勢の名門、磯部家の長が紫水晶を持って対岸の常滑に渡った事は、その道に詳しい者ならば知っている。紫水晶と共に、ソロモン財宝の秘匿場所を表す秘密文書も携えている。

「知ってはいるけど、口外無用と厳しく戒められてきました」

 代々秘かに語り継がれてきていたが、代が下るに従い、伝説と化して、その実在を疑う者も出てくる。だが、興味のある者は、常滑の地に行き、磯部家の子孫を探す者も出る。

 明治、大正、昭和と時代が下るに従い、磯部家の衰微は甚だしく、捜す事さへ不可能となる。磯部家自身も、紫水晶の秘宝や伊勢の地に眠るというソロモン財宝のの秘密については頑なまでに守り通している。

 磯部作次郎が珠江と結婚するために紫水晶を岸田家に持ち込んだ事が、伊勢の宗教家の間にセンセーショナルな話題を振りまいた。

――伝説はやはりあったのだ――


 紫水晶の形や、泡のようなものがある事は、代々、伊勢の地で語り継がれてきた。佐久田の説明だ。

 その上で――、

 極めて高度なイメージ法を習得した上で、紫水晶を脳裡に思い浮かべる。丁度、紫水晶と瞑想している本人とが対峙している様にイメージする。

 紫水晶の端から端まで思い浮かべる。次に手で紫水晶を触れている場面を想像数r。その冷たい感触や、そこから発せられるエネルギーのパワーを全身に浴びていると感じる。

 ここまでが自然にできるようになったら、次に、紫水晶を巨大化したイメージを持つ。泡の中にすっぽりと入り込んだ場面を想起する。

 泡の中は紫水晶のエネルギーが充満している。エネルギーの塊の場だ。その中に、自分がすっぽりと入り込んでいる。

初めは単なるイメージではあるが、想像力は長く持ち続けていると現実化する傾向がある。

 聖書に言う。――すでに叶えられたと信じなさい。そうすればその通りになるであろう――

 例えば車が欲しいと考える。車種や、車内の装備、ハンドルを握って、実際に運転している場面をありありと思い浮かべる。その上で、その車がすでに自分の物になっていると想像し、その喜びに浸っていると、その願望は近い将来必ず現実のものとなる。

 これが古今東西、決して変わる事のない潜在意識活用の、願望達成法なのである。

 だから、生々しいほど現実化する程のイメージを描く事がいかに大切かを教えている。

 紫水晶の強烈なエネルギーに包まれて、その人のアジナチャクラは開発されていく。

 やがて、神、というよりもその人を指導している、高級霊が、アジナチャクラはを通じて憑依する事になる。後は言わずもがなである。

 坂本は佐久田龍一の朴訥とした話しぶりを聞きながら、心の中に失望感が広がるのを感じた。佐久田は自認している様に霊能者ではない。神秘思想の研究者である。荒石道斉のような、人を魅了する話ぶりではない。抑揚のない話かただけに、却って聞く者に真実味を与える。

 坂本は失望しながらみ、自らの行いに恥じ入っている。彼は金に飽かせて大量の水晶を購入している。水晶の持つエネルギーを利用して、潜在能力の開発を行おうとしている。その事体は間違いではない。

 だが――、坂本が恥じ入ったのは、水晶パワーに依存しすぎて、修行を怠った事だ。

 坂本は日課として、1日30分ぐらいヨガの呼吸法を行ってきている。それで事足りると考えていた自分に恥じたのである。磯部家の紫水晶さえ手に入れば、いとも簡単に超能力が開発されると考えていた。

――ものにたとえるならば、自分は幼稚園児程度の能力しかないのに、紫水晶さえあれば大学生程の能力が身に着くと思っていた――

 それに――。坂本が恥じたのは、美食家という程ではないが、よく食べる事だった。お陰で医者から血糖値が上がり気味と警告されている。最近中年太りしてきている。

――自分は紫水晶を持つ資格もない――

「坂本さん、磯部家の紫水晶は、持つべきものが現れるまで、あなたの手で保管するべきと思いますが」

 佐久田の助言に、坂本は恭ししく頭を下げる。その場を立ち上がるしかなかった。


 2時半から約1時間、佐久田教祖の講義が開かれる。今日のテーマはトラタクである。トラタクとは凝視法と訳される。主にローソクの炎、線香の火を凝視する。

 姿勢は正座か座禅を組む。座るのがきつい人は椅子に腰かける。どちらにしても背筋をピンと伸ばすことが大切。

 炎の凝視法で特に注意する事は、食後1時間以上過ぎてから行う事である。その理由は、眼の経絡は、お腹のチャクラ=マニプラチャクラにつながっている。

 炎の凝視法はマニプラチャクラの覚醒法の1つである。よって満腹時に行うと、胃が痛くなったり、消化不良になったりする。それとトラタクを行った後、1時間ぐらいは物を口にしない事。

 静かな部屋で、1人坐する。ローソクは約50センチ程手前に置く。部屋を暗くして、ローソクに灯をつける。

 注意すべきは、ローソクの灯を見つめ続けるために、決して身じろぎしない事である。凝視時間は約20分。やり始めは火を見詰めていて、眼がチカチカしたり、涙が出たりする。その場合は1時眼を瞑る。この時も絶対に身じろぎしない事が肝心である。

 慣れてくると、眼を開いたまま、約20分間ローソクの炎を見続ける事が可能となる。長時間の凝視が出来るようになると、意識の全てが目に集約されてしまう程の集中力が得られるようになる。

 普通、瞑想していると、色々な出来事が脳裡に浮かんでは消え、消えては浮かぶようになる。やがてその事ばかりに意識が流れてしまい、瞑想本来の集中力の獲得が出来なくなる。

 この為に漫然と眼を瞑り瞑想するよりも、トラタクによって集中力を高めた方が効果的と言われる。

実際、20分間の凝視法は、炎を見詰めるのが精一杯で、妄想があれこれと浮かぶ余裕すらない。集中力を高めるのに著しい効果がある。ヨガの修行者に珍重されている行法である。

 凝視法の効果は、身体的には、眼の弱さ,近視などの欠陥を治す。精神的には、心の安定を増し、不眠症を防ぎ、悩みを解消し、精神の安定をもたらす。

 この行法は精神集中の能力を発展させ、瞑想を深めるのに役立つ。この行法を長年やっていると、霊能力が発揮される。マニプラチャクラの覚醒によって、靈が見えたり、人の声が聴こえたりする。その他、不安定な心が安定するので、豪胆な気持ちになる。外部からの様々な刺激にも動じなくなる平常心が保てると共に、物事の判断が的確になり、行動的になる。


 佐久田教祖の講義の特徴は、霊的進歩を目指すための修行法を説明する事にある。というよりは、具体的な技術指導の説明しか行わない。

 他の宗派のように精神論は全く論じない。人を愛しなさいとか、貧しい人を助けろとか言う問題はやって当たり前と考えられている。

 みちのく教団が、若い人に人気があるのは、オカルト教義の技術面を判りやすく講義するからである。

 向井純や寺島広三は、講義を熱心に聞いている。2人は、精神論を前面に押し出す宗教には興味を持っていない。アラタマ教団に所属しているのも、禊があるからと明確に答える。

 精神的な面を学びたければ、本を読めばよい。巷にはその類の書物が溢れている。

 坂本太一郎も2人の考えに共鳴している。そういう坂本も、瞑想に興味を抱いたのも”超能力”を得て、この世で楽しい生活を送りたいと願ったからである。

 佐久田教祖の1時間の講義も終わる。

 佐久田教祖に質問する者、2階の修行場でヨガの呼吸法を行ずる者、帰り支度を急ぐ者などで、みちのく教団の建物の中はごった返している。


乾屋敷


 坂本は佐久田教祖に一礼して、みちのく教団を後にする。寺島広三、向井純も一緒である。

坂本は磯部珠江のいる乾屋敷に向かう。車で約10分。今日の午後に立ち寄る旨を連絡済。寺島や向井も一緒だと断っている。

 乾家は簡素な建物ではあるが、内部の設備は整っている。伊勢地方は、冬は鈴鹿おろしに悩まされる。凍てつくような寒さから身を守るためにセントラルヒーティングも完備している。珠江の身辺は伊勢署の刑事が警備にあたっている。

 玄関先に出た珠江は丹後ちりめんのロングブラウス姿である。半袖で、白い腕が艶めかしい。オリーブグレーの色柄が良く似合う。長い髪を後ろに束ねただけの白い顔は化粧気がない。

 血色がよさそうだ。岸田殺害事件から数日しか経っていないのに、すでに立ち直りを見せているようだ・

・・・よかった・・・坂本は胸を撫ぜ降ろす。

「太一郎さん、いらっしゃい!」声にも張りがある。

「朝から、料理作って、お待ちしていたのよ」大きな眼が輝いている。

 坂本は一礼して、2人を紹介する。2人ともアサヒスタンダードの社員で、取引上の付き合いがある事。

向井は生まれは東京だが、現在は名古屋に居をかまえている。寺島は今は名古屋の社宅に住んでいるが生まれも育ちも伊勢である事など手短に話す。

 3人が玄関の框を上がろうとした時、奥から年配の男性が顔を覗かせる。軽く頭を下げると引っ込んでしまう。

「刑事さんなの」珠江は小声でささやく。


 応接室に通される。お茶が運ばれ、珠江がソファーに腰を降ろした時、向井純が大きな体を持ち上げるように立ち上がる。内ポケットから名刺を取り出すと、恭ししく挨拶をする。名刺を捧げるようにして珠江に手渡す。

 先程、玄関先で坂本が自己紹介した時は軽く会釈をしただけだった。改めて席に着いた時、深々と頭を下げる。

「向井純と申します。お見知りおきを・・・」

 珠江は戸惑った表情で腰を浮かす。軽く会釈をする。向井と坂本の顔を交互に見ている。坂本も驚く。挨拶は玄関先で済んだものと思っている。坂本がもっと驚いたのは、向井が腰を降ろすと同時に、寺島広三が名刺を手渡して、テーブルの横に、ガマガエルのように平伏したのだ。

 坂本も珠江も呆気に取られて見ている。

「乾のお嬢様、お目にかかれて光栄と存じます」

 声を張り上げて、時代がかった所作で床のカーペットに額をこすりつける。顔を上げると、

「私、寺島広助の息子、広三と申します。生まれは伊勢の小俣町湯田でございます」

 彼は澱みのない声で語る。声が大きいので、別室から刑事が何事かと顔を覗かせる。

 祖父の代から乾家には、随分とお世話になっている事、乾家再興のためなら、骨身を惜しまない事などを述べる。これからもお付き合いをお願いしたい事を添えて、約10分ばかりの独演に、珠江は眼をパチパチさせて、首振り人形のように、首を振るのみだった。

 寺島の様子を見ていて、先日の岸田洋の葬儀と言い、伊勢における乾家の潜在的な力がいかに大きいか、思い知らされるのだった。

 その後、コーヒータイムになる。雑談に花が咲くが、坂本は、今朝、常滑を出る時、珠江に電話を入れている。向井と寺島を同行させるが、中村作二については口外しないように口止めしてある。

 向井や寺島が怪しいとは思わないが、どこでどうなるか判らない。用心にこした事はない。

・・・それに・・・坂本は心の中で呟く。

 今日は向井や寺島が同行しているせいか、以前来た時のような、不審な車の尾行はない。ないけれども、何処で誰が見張っているのか、判らない怖さが付きまとう。

 4時半頃に食事を御馳走になる。刑事を交えての団欒になる。6時頃お開きとなる。

 伊勢から常滑まで車で約3時間。3人は乾家を後にする。帰りは向井が名古屋までハンドルを握る。伊勢署の刑事がいた手前、飲酒運転は不都合なので、酒は帯びていない。

「いやあ、乾のお嬢様にお目にかかれて光栄でしたわ」寺島広三は小さな体をなお小さくする。薄い髪に手をやって、しきりに感激している。

――幼い頃、祖父に連れられて乾屋敷に行ったことがある。宏大な屋敷の中をどう歩いたのか覚えていない。覚えているのは、乾家の当主を、遠くの方から仰ぎ見た事だ。神様のように神々しいお姿だった事が脳裡に焼き付いている――

 寺島はうっとりとした眼で喋り明かす。

 坂本は、高貴な家柄についての話を聞くと、内心苦笑してしまう。彼の家は3代遡れば水飲み百姓である。家系図など存在しない。亡父の話によると、幕末の動乱時に三河より流れてきたという。それ以外何もわからない。つまり、どこの馬の骨かも判らない身の上なのである。

 坂本はそういう話を聞いても、むしろ冷めた目で眺めるだけだ。

”生まれよりも育ち”坂本の人生哲学である。彼が磯部珠江に思い焦がれるのは、その美貌なるが故である。彼女がどんな家の出であろうと頓着しない。

 8時10分頃、向井と寺島を名古屋で降ろす。9時頃、常滑に到着。自宅の留守電に常滑署の吉岡刑事からの伝言が入っていた。

 連絡を入れると、四日市署の刑事より、中村作二の退院が2日後に決定。四日市署に拘留するする訳にもいかない。本人に身の振り方を尋ねても、岸田洋殺害の余波のせいか、何処へ行って良いのか思い定まらない。今だに恐怖心に支配されていて、外出さえままにならない。

 そこで坂本さんの事を話したら、迷惑かもしれないが坂本さんに一身を任せるという事になった。坂本さんのお気持ちはどうであろうかという事だ。

 坂本はわが身も危険だが、中村作二の身も危険だと察している。彼は一計を案じる。

 2日後、吉岡刑事と共に、四日市署へ中村作二の身柄を引き取りに行く。彼は案じていたよりも元気であった。

 坂本は中村作二に、武豊の磯部とめ(中村作二の母)の実家牛田一成宅に身を寄せる事になると伝える。

 牛田一成はとめの弟であり、姉の事を誰よりの案じている。彼女が亡くなり、忘れ形見の息子の心配をしていた。彼は磯部作次郎のように、坂本太一郎を毛嫌いしていない。坂本は腰が低いし、柔和な面立と誠実な性格が幸いして、牛田邸にも出入りが許されている。

 「大丈夫でしょうか」中村作二は大人しい性格だ。不安そうな顔で坂本に尋ねる。

 吉岡刑事が坂本の代わりに口を切る。

――あなたの事は我々しか知らない。武豊のおじさんの家にしばらく厄介になって、落ち着いたら、勤め口を捜せばよい。あなたのお兄さんと岸田洋を殺した犯人が捕まれば心配はいらない――

 吉岡刑事は度の強い眼鏡をたくし上げて、心配ないを連発する。2つの殺人事件が同一犯と言い切っている。

・・・そうかもしれない・・・坂本は内心賛同している。

「我々が良いと言うまで、無暗に出歩かないように」吉岡刑事は釘を刺すことを忘れない。

 その日の夕方、坂本は伊勢の乾家に電話を入れる。

 中村作二が武豊の磯部とめの実家に身を寄せた事、仕事も暇だから、磯部家の財宝の秘匿場所を1日も早く捜し出す事。それに・・・。言いたい事は山ほどあるのに、いざ珠江の声を聴くと、何も言えなくなる。

 2日前に会ったばかりなのに、遠い存在のようにように思えて、胸が切なくなる。毎日声を聴きたい。1週間に1回は会いたい。そんな気持ちが強くなってくる。

 1日も早く珠江が常滑に帰ってくるように願うしかない。その為にも財宝の秘匿場所を捜し出さねばならない。場所さえ判れば…、坂本の脳裏には結婚の2文字が鮮やかに浮かび騰がる。


                磯部一族


 平成9年7月中旬、磯部邸にて。

 坂本は毎日のように磯部邸から会社に通っている。人気のない建物ほど侘しいものはない。建物が大きいだけにその感は強い。

 坂本は朝窓を開けて掃除する。夕方に閉める。磯部珠江には毎晩のように電話を入れる。声を聴いていても、寂しさはぬぐえない。

 7月7日に伊勢に行って、約1週間、寂しさを紛らわせようと、毎晩のように酒を飲んでいる。ようやく気持ちも落ち着き、磯部作次郎の遺した資料に目を通す様になっている。

 磯部作次郎の資料によると、磯部家の先祖が伊勢から常滑にやってきたのは天武朝の初期から持統朝の後期までらしい。

 約2千人の集団が1度に常滑にやって来た訳ではない。。伊勢から常滑まで小舟を操れば2~3時間で来ることが出来る。

 まず、30人程の集団が常滑の浜に上陸する。その地域の様子を伺う。安全と悟ってから、後続の上陸を知らせる。何年かかけて、少人数でやってくる。

 この理由は3つ考えられる。

1つは、時の権力者に悟られないためである。2千人の人が伊勢を脱出したとなれば、嫌でも目立つ。追及の手が伸びるのは必定である。

 今1つは、常滑は今でこそ、5万人弱の人口を擁しているが、天武朝の頃は閑散とした部落であった筈だ。当時から焼物が盛んだったらしい。東大寺建立の際、瓦が常滑から運び出されたという記録が残っている。

 数百人ほどしかいない部落に、2千人の人間がなだれ込めば、当然軋轢が生ずる。人口の移動は、自然に行う必要がある。

 当初は30人くらいが移り住み、部落民との融和を図りながら、暫時移住を試みていく形になる。

 磯部の資料には、最初に上陸したのが、保示の浜であると記録している。

 今、保示港は堤防で守られている。

 坂本は小学校の時、護岸堤防の外側で泳いだことがある。小学校2~3年の頃の浜辺は百メートル程あった。坂本が中学校に入る頃は浜辺はほとんど無くなっていた。

 保示港の東側に県道が南北に走っている。その道路に面して、正住院という寺がある。本能寺の変の時、伊賀越をした徳川家康が、ここに足を止めたという記録がある。古老の話だと、往時は正住院の下まで浜辺があったという。

 保示港から約百メートル東に行った道路沿いに,保示会館がある。その建物にくっつくようにして、西側に祠が建っている。間口一間、奥行き4間ほどで、注意して見ないと見過ごしてしまう。その名を”大綿津見神社”

 大阪府貝塚市脇浜町の高龗たかお神神社の記録によると、

――祭神高龗神は海神である。後桜町天皇明和7年、近大之崎に八大龍王社として崇敬されたとある――

 元来海神である高龗大神を雨の神として八大龍王社に祀ったと言うのである。高龗大神はスサノオの事だ。とすれば八大龍王もスサノオの事になる。八という数字はスサノオゆかりの数字である。”八坂神社””八雲神社””八剣神社”などみなスサノオを祭神としている。

 八大龍王について――、

 山口県小野田市に高泊たかとまり神社がある。

ここは神功皇后が海に守護神大海津見神を祀って海上安全を祈願されたという。この社は”八大龍王宮”と称していた。

 オオワタツミを祀る社が八大龍王宮と呼ばれていた事から、オオワタツミがスサノオである事は明らかである。

 その他、

山形県酒田市の北方に浮かぶ飛島は、東北地方における日本海最果ての離島である。古くから海上航行の船の避難港として知られている。

 ここにある遠賀美おがみ神社の祭神が大海津見命である。遠賀美神社というからには、祭神はタカオカミである。それが何故オオワタツミなのか。これはタカオカミとオオワタツミが同神であると広く知られていたからである。

 広島県福山市鞆ともの浦の、これも神功皇后が創祀された沼名前(ぬまなくま神社、高知市の小津神社等では、”大綿津見命、素戔嗚尊”と列記して、スサノオの象徴名である事が示されている。

 全国の神社の中には、ワタツミ神や竜王として、豊玉彦、豊玉姫などを祭神とする社も多いが、彼らの上に君臨する海神・竜王として、とくにスサノオの場合は、大、八大などの冠辞が付されているのが普通である。

 常滑市保示町に鎮座する大綿津見社の東西に走る、約2百メートルの市道で、毎年七月中旬に天王祭が催される。夕方5時頃から花火があがる。

 神社の北側の約2百坪の駐車場で盆踊りが開かれる。夜10時頃まで夜店が並ぶ。浴衣姿の男女老若が、団扇を手にして行き交う。

 天王、この名を冠された神こそ、スサノオである。

 磯部作次郎の資料によると、伊勢の地から常滑市保示に、先祖が初めてやってきた時、ここに神社を建立したとある。その目的は、後続隊の目印のためであった。

 往古、この一帯は丘陵地帯であった。今でこそこの神社は町並みの中に埋もれてしまっているが、建立当時は、海上の遠くからでも判る目印だった。

 保示港前の県道を抜ける。この市道は、東に2百メートル程伸びている。道路の北側に真福寺がある。道路は東に突き当たると、南北に伸びる市道に交差している。その奥に民家が密集していて、その奥は丘となっている。その上に坂本太一郎の屋敷がある。

 この一帯は昭和30年頃から削り取られて、今は坂本家の北側10メートル程の所で崖となっている。

 坂本太一郎が小学校6年当時、この北側は削り取られて、今の市役所の埋めて地用の土砂に使用されている。

 ここは昔は真福寺の墓地と言われていた。亡父の話によると、昭和の初頭、坂本家の東側にある丸山墓地に、周囲の墓が集められた。この時、無縁仏の骨が大量に発掘されたと聞く。

 削り取られる前の丘を、山の神と称していた。

 オオヤマツミ神、この神を祀る神社は、その大半が記紀成立以前に創始されている。

 オオヤマツミ神はヤマトタケルが危機に瀕した時に祈りを捧げている。

 ヤマトタケルが甲斐から秩父山地を越えて武蔵に向かおうとして、深い霧に包まれて遭難しかけた時、オオヤマツミ神に祈る。お陰で無事危難を逃れる事が出来た。その祈念を込めて祀ったのが、山梨県三富村、那賀都神社。

 さらに奥秩父の山中で大火にあった時も、一心にオオヤマツミ神に加護を祈る。その神恩に感謝して祀ったのが、埼玉県長瀞ながとろ町の宝登山ほどさん神社。

 注目すべきは、オオヤマツミ神を祀る神社には山神社がある事だ。独立の神社としては元より、かなり大きな神社の境内地に山神社が祀られている。

 山神社というと山の守護神のようだが、本来は神名の”山”が社名になり、その為にいつしか山の神とされていった。

 オオヤマツミ神を祀る神社は全国に一万一千余あり、総本社は芸予海峡の中央に位置し、大小の島々に囲まれた愛媛県の国立公園にある、大山祇神社。

 社記によると、

 ――和多志大神と称せられ、地神、海神兼備の霊神であり、日本民族の総氏神として、古来日本総鎮守と御社号申し上げた。大三島に鎮座されたのは、神武東征のみぎり、祭神の子孫、小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り、瀬戸内海の治安を司っていた時、芸予海峡の要塞である御島(大三島)に鎮座した事に始まる。本社は社号を日本総鎮守、三島大明神、大三島宮と称せられ、歴代朝廷の尊崇、一般国民の崇敬篤く、奈良時代までに全国津々浦々に分社が奉斎された。延喜式には名神大社に列し、伊予国一ノ宮に定められ、官製により国幣大社に列せられた四国唯一の大社である――

 静岡県三島市の三嶋大社など全国の三島神社には、オオヤマツミ神が祀られている。

 大山祇神社は、数万点に及ぶ宝物を蔵する国宝の社としても有名だ。

 斉明天皇が奉納した唐時代の禽獣葡萄鏡、平安時代の書家、藤原佐理が書いた”日本総鎮守、大山祇大神”の重文の神号扁額などがきら星ののように並んでいる。

 古くから交通の要塞であった瀬戸内海に君臨し、一万余に及ぶ分社が早くも奈良時代までに全国に祀られていた事といい、天皇や武将たちの夥しい奉納と言い、神号扁額といい、オオヤマツミ神がただならぬ神である事を物語っている。

 オオヤマツミの正体は誰か。

 その1つの鍵は、オオヤマツミが日本民族の総氏神と崇められ、大山祇神社が古来”日本総鎮守”として仰がれてきたという事実。

 スサノオが皇国の本主と讃えられ、津島神社が日本総社と称されていたと同じなのだ。

 皇国の本主とは日本民族の総氏神の事であり、日本総社とは日本総鎮守という事である。

 スサノオとオオワタツミの2神は、日本の国の民にとって2人の始原の神様という事になる。

 2つ目の鍵は、大山祇神社は、オオヤマツミの子孫の小千おちの命が、神武東征以前にすでに四国に渡り、瀬戸内海の治安を司っていた時、鎮座したのが始まりという。

 ではこの小千命とは誰なのか。

15代応神天皇の時代、今治地方が小千と怒麻ぬまの2国に統合された時、小千国造として最初に伊予に下向した小千なる人物がいる。

 彼は現在の今治市大浜の地に館を置き、小千国(現在の越智郡今治市・東予市)を開拓している。彼は松山市にある勝岡八幡神社や、今治市の大浜八幡神社などに祀られている。

 勝岡八幡神社の記録に

――饒速日にぎはやひ命の末裔小千御子を祀る。応神天皇の時代小千国造に任ぜら、白人の城で庶民に仁孝を施した。よってこれを中野山に奉祀した。永享年間今の地に移し宇佐八幡を勧請して勝岡八幡宮と改め。――とある。

 大浜八幡神社の方は乎致おちの命と共に、饒速日、天道日女あめのみちひめの命が一緒に祀られている。

――応神天皇の時代、乎致命が小千国造に任ぜられ、大浜の地に屋形を造り、小千国を開拓して支配した。命の9代の後裔乎致高綱が大浜に一社を創建し、命を祭祀し大浜大神と称したのが当社である。また命は越智氏の祖先である事から、同氏は当社を氏神とした――とある。

つまり、小千命はニギハヤヒゆかりの者である。

 ニギハヤヒはスサノオの子供である事は、磯部作次郎の資料で明らかだ。

 ただ1つ問題なのは、オオヤマツミ=ニギハヤヒかという事だ。

 島根県にはオオヤマツミを祀る神社が多い。

目に付くのは、祭神名にスサノオとオオヤマツミを併記している事だ。

 仁多郡横田町の稲田姫の誕生地に建てられた稲田神社の祭神が、稲田姫命・素戔嗚尊・大山祇命となっている。

 美保関町の方結かたゆ神社は素戔嗚尊・大山祇命、各地にある荒神社も多くは祭神名にスサノオとオオヤマツミを併記している。

 島根県だけでなく、徳島県木屋平村の劔神社も、神霊として素戔嗚尊と共に大山祇が祀られている。滋賀県信楽町の新宮神社も同じである。

 奈良県には”山口神社”が沢山ある。――大和国14か所に鎮座し、一般に大山祇神を祭神とする――と言われている。

 以上の2つの鍵から導き出される結論は1つ。スサノオ=オオヤマツミをである。スサノオの象徴名であるオオヤマツミの名が本名のスサノオと同じほど古くから圧倒的な力で人々に伝わっていた証左だと言える。

 磯部作次郎は資料の中で以下のように結論付けている。

”山の神”の地名を持つ所は、古代の聖地であったという事だ。現在でも、山の神の周囲には、神社仏閣が軒を連ねている。

 坂本太一郎は磯部作次郎の言葉を反芻してみる。

 山の神の南側に位置する自宅を中心として、どれ程の神社仏閣があるのだろうか。

 まず西方面の、約5百メートル先、保示港の手前に大綿津見神社がある。その北側、僅か20メートル先に真福寺、その北側50メートル行くと正住院がある。

 山の神の南東方向の40メートル先に、天沢院がある。この寺は常滑で唯一大きな境内地を有している。その直線上、5百メートル先に、御嶽神社が鎮座している。

 山の神から南東、6百メートル行くと津島神社がある。

次に北に目を転ずると、約4百メートル先に、今は天理教常滑分教会がある。ここは昭和の初めまで常滑城があったと伝えられている。事実は山の神の聖域に建てられた神社の跡地であった可能性が高い。この延長線6百メートル先に宝樹院がある。

 次に南西方向に目をやると、5百メートル先の常滑南保育園の裏手に正法寺がある。その僅か80メートル北に満覚寺、その裏手に宝全寺、宝全寺から百メートル北に、白蛇様を祀る祠がある。

 北東に眼を移すと、山の神からわすか2百メートル先に桃源寺がある。ここの住職は女性なので尼寺として知られている。

 その他山の神周辺には、数体に祠やお地蔵さんを祀っている。いずれも畳1枚程度の大きさで、見過ごしがちな所に、ほつんと立っている。いつ見ても献花が供えられ、きれいに掃き清められている。その周囲の人達の篤い信仰心に支えられている。

 1キロ四方内で、坂本が思い浮かべただけでもこれだけの神社仏閣がある。

 磯部の資料に戻る。

 保示港に到着した磯部氏の先祖は、まずその周辺に根を張る。先住の部落民と融和の道を選びながら、勢力を拡大していく。

 彼らの目的は、伊勢の地に眠る磯部家の財宝=ソロモン財宝の秘匿場所を、常滑の地に求めるためである。

 その場所は、常滑市奥条の古社の地に定められた。現在この地は西側に国道が走る。北側にユニー常滑や北東には中部電力常滑営業所などのがある。平成9年の現在、この周辺は常滑市内の一等地となっている。多くの店が軒を連ねている。

 中部電力常滑営業所の南の道路は西へ、国道と交差して、常滑市役所へ通じている。東へ2百メートル行くと、北に入る道がある。その道の東角に外科医院がある。北に曲がって僅か10メートル歩くと、左手西側には、坂本住宅が造成した、古社の分譲地がある。

 その裏手に2百坪程の公園がある。その中に祠が鎮座している。ここが古社の中心だ。ちなにみ北に曲がった道を、2百メートル行くとその突き当たった所が磯部邸となっている。

 坂本は、ここで磯部作次郎の書斎で、資料に目を通しているのである。


 古社――応仁の乱までこの社地は四方2キロに及ぶ広大な境内地であった。

 古社、フルのヤシロチと呼ぶ。古は当て字である。

 フルヤシロと言えば、奈良県天理市布留フル町にある石上神宮。この神宮については、以前坂本は磯部の資料に目を通している。くどいようだがもう一度目を通す。

 ここは、古代、ニギハヤヒが日本の統治者となったころの至高の宝が眠っている。

 スサノオがニギハヤヒを大和に送り込む時に授けた、十種神宝(瑞宝十種)、スサノオかオロチを退治した時の布都御魂剣ふつのみたまのつるぎ等である。

 石上神宮は古来より禁足地とされている。石上布留の高庭といわれる拝殿の後方、瑞垣内の地で、剣先状の石玉垣で囲み、最も神聖な霊域として、人々は深い畏敬を捧げてきた。

 主祭神は布都斯御魂大神スサノオになっているが、石上神宮は一名、布留ふるの社といわれ、現在の町名も布留町である。これは元来の主祭神は布留御魂大神ニギハヤヒであった。彼に神宝を授けた”天つ神”とはスサノオである。

 石上神宮は、布都(スサノオの父)、布都斯スサノオ布留ニギハヤヒのスサノオ家3代を祀った日本最初の、最高の神社なのである。

 古来、国家の重大時には天皇自ら行幸され、国家の鎮護を祈ったのである。


               古社

 石上神宮は本来布留社と呼ばれていた。古来より三輪大社と並ぶ、国家鎮護の為の最高の神社であった。

 明治時代に入って、伊勢神宮が国家鎮護の日本の総社の中で最高の地位を与えられたのと似ている。

 磯部作次郎のメモには以下のような言葉がある。

 磯部氏が常滑に居を構え、勢力を伸ばしていく。その途中で古社を建立する。磯部家の言い伝えでは、古社の神殿の奥深くに、磯部家の財宝の在り処を秘めた石板と共に紫水晶が埋められた。

 石上とは、いそのかみと呼び古代の豪族の中でも名門中の名門で、磯部氏と縁筋にあたる。

 古社を、石上神宮より御魂別として招き、鎮座する。磯部家の先祖神である事は言をまたない。

 重要なのは、万一、時の朝廷が、磯部家の財宝の在り処を知る鍵が常滑の古社の地にあると判っても、手出しが出来ないと読んだのだ。

 ”ふるやしろ”は天皇家さえ拝跪する程の権威を有する神社である。御魂別とは言え、常滑の古社も、石上神宮と同等に扱われる事になる。

 現在人でも神殿に土足で踏み込むことはしない。まして古代は神社の神威を畏む気持ちが強かった。たとえ時代が下り、権力者が代わっても、神域に踏み込むことはしないと考えた。

 現代、古社は常石神社,大善院、神明社の3社に分祀されている。昭和40年代に、ユニー常滑店の東側に国道が完成して南北に伸びている。

 国道が開通する前は、4月の中旬に行われるお祭りで、常滑中の山車だしが常石神社に勢揃いする。

お祭りの主催者や関係者一同は、常石神社の東側の小道を歩いて、まず古社にお参りする。それから常石神社に参拝していた。

 大善院は境内地がないために、その後山車は神明社に参集する。その後、山車は夜を徹して常滑の旧市街地を回るのである。

 古社と常石神社の間を国道が分断してからは、古社はますますさびれて、今では瀬木ちびっ子広場になっている。

 ここに、神明社遷座5百年誌という小冊子がある。

この中に、神明社が創祀されたのは、明応3年(1494年)に瀬木の千代の峯に祀られていた古社が西之宮(神明社)、高宮(常石神社)、中宮(大善院)の3社に分祀された時とある。

 明応3年は応仁の乱(1467年)から27年経った年である。中世は常滑から半田にかけての地域は堤田庄と呼ばれた仁和寺領であったが、荘園制度が崩れていき、武家が台頭してきたという政治的変化や修験道の勃興などの影響を受けて、古社が3社に分祀されるようになった。

 伊勢から三河へ抜ける海上交通の要衝であった常滑には水野氏が城を築いた。渡船場は常滑の他に大野にもあり、大野から半田に抜ける道であり、大野には一色氏(後に佐治氏になる)が城を築いた。水野氏は東浦町緒川を本拠とする水野氏の一族であり、一色氏は三河の一色出身である。その背後には尾張と三河の勢力があり、知多半島は東西勢力の接点として度々戦火の場となった。

 常滑城は天正12年(1584年)岡田一党の乱にあって落城した。常滑城は山方に城山と呼ばれる丘陵があって、その上にあった。近年採土のために削り取られて平地となり、現在は天理教の教会となっている。

 元禄7年(1694年)の棟札に、「夫一乱之節當社之縁起並神宝等盡紛失哉或灰塵哉自爾已隆不詳知號然」とある。戦国時代に兵火によって神社が焼失し古記録や神宝が焼失したので昔の事は判らないと言っているのである。

 昔は城や砦をはぶくと、多くの人が集まれる建物を持っているのは寺院や神社であった。

 戦記物に、本陣を00寺に置くなどとよく出てくるように、軍隊の本部を神社や寺院に設ける事が多かった。戦闘的価値を持つことから戦争になると社寺や神社が火災を受けやすかった。知多半島の神社や寺院には戦国時代に兵火に会って昔の事は判らなくなったという由緒の物が多い。

 古社が兵火を避けるために、三社に分祀したと言っているのだ。

 常滑は伊勢と縁が深い。

 通常、伊勢に行くのには、豊橋から熱田に出る。熱田から桑名へ舟で渡る東海道が正規の街道であると言われている。

 これに対して、近道として利用されたのが、伊勢の白子から常滑へ舟で渡る。陸路で半田まで歩く。船に乗り大浜に渡り豊橋に至る方法である。

 宗長の宇津山記に「伊勢の多気に1日連歌7月17日に大湊迄出て尾張国智多郡常滑と云ふ津に渡る・・・」とあるように、古くから常滑が伊勢から三河に至る近道の渡船場であった事が知られている。

 常滑は昔から船便によって伊勢神宮と結ばれていた。

鉄道が発達する前まで伊勢船と呼ばれる参拝団体が各村から毎年出ていた。夏の夕方帆をはって北風に乗って常滑を出ると朝方二見付近に着き、参拝を済ませて一泊し、翌日昼頃南風にのって夜常滑に帰るコースであった。船で往来をすれば女子供でも参拝できる事から伊勢神宮は身近な神様として崇敬されてきた。


               磯部邸


 坂本太一郎はふと顔を上げる。物が動く気配を感じたのだ。岸田洋が殺されて間がない。

・・・次は俺か・・・

 坂本は用心の為に、吉岡刑事直通の携帯電話を持っている。短絡の番号を押せばすぐに通じる。

 坂本は携帯電話を手にして、耳を澄ます。

戸締りは厳重である。ガラス戸は危ないと考え、雨戸で締め切ってある。クーラーが程よく効いている。時計を見ると9時過ぎている。どっと疲れが出る。身近に磯部珠江がいてくれたら、もっと元気が出るのだがと考える。 

 先日までは毎日のように珠江に電話をかけていた。彼女の声を聴いて、電話をかける時間も短くなる。

 今――坂本は3日か4日に1回しか電話しなくなった。

 初めの内は電話の向こうの珠江の声に張りがあった。熱気も感じられた。何度も電話している内に、珠江の声に熱意が感じられなくなってきた。坂本の話すのを一方的に聞くだけで、ええとか、そうと、軽く聴くだけになってきた。会話が途切れがちになり、電話の回数も減ってきた。

・・・珠江さんがこの家に居れば、もっと愛し合えたのに・・・

 坂本は無念でならない。珠江を抱きしめたい程恋しいのに、近頃は受話器を取るのにためらいがある。


 2~3日後にしよう」

 自分にそう言い聞かせると、寂莫たる気持ちに襲われる。しばらくは何にも手がつかない。やるせなくて酒をあびる事になる。

――珠江さんに会いたい。その為にも、磯部家の秘宝の在り処を見つけねば――鉛のような気持を奮い立たせて、磯部作次郎の資料に目を通すのであった。

 磯部作次郎の資料はきれいに整理されている。磯部の几帳面な性格を表している。

「あと僅かか・・・」その資料も残り少なくなっている。

――古社の祭神を三社に分祀するとき、その神殿に秘匿されていた紫水晶は、秘かに磯部家に返却された。

 ただ、磯部氏の財宝を記すと言われる石板は返却されなかった。時の権力者の手に渡るのを恐れて、粉砕したとか、紫水晶や神宝等を運び出す時に、紛失したとか伝えられている。詳細は不明――

 磯部の資料はここで途切れる。資料の中で磯部の字で――自分が父に尋ねたところ、財宝の在り処を示すのもが常石神社にある――とメモさrている。

 磯部は常石神社にその印があると信じていた。常石神社の宮司に話を聞いたり、神社の神宝を見せてもらったりしたが、満足出来るものはなかった。

 用心深い磯部作次郎が磯部幸一の策略に引っかかったのも無理からぬことである。


 磯部家の書斎は15帖程の広さがある。壁という壁に7段の本棚が作られている。約千冊の本が所狭しと並ぶ。西側に窓がある。樫の木材の机が南向きに、北側の壁の本棚を背にしている。机の前にはソファがある。

 出入り口は南の隅にあるのみ。東の壁の隣は倉庫で沢山の水晶や磯部家の貴重品が保管してある。紫水晶もこの中に眠っている。倉庫の中に納めてあるものの、用心の為に、鍵は銀行の貸金庫にある。

 坂本太一郎は磯部の最後の資料を読み終えて、椅子にもたれるようにして、仰向けになる。天井のシャンデリアに目を向ける。

――磯部が殺された事で、資料はこれが最後となっている。後は自分で解決するしかない――

 坂本はため息をつく。

・・・坂本よ、後はお前がやれ、珠江を頼むぞ・・・

 耳元で磯部作次郎の声が響いた気がした。はっとして、姿勢を正す。

・・・珠江さんと一緒になってもいいか・・・

 坂本は磯部が許してくれると信じている。彼女の幸福の為にも、何としてでも財宝の在り処を捜し出そうと決意する。


               磯部土建


 平成9年7月下旬、坂本住宅は2件の建売の契約をとる事が出来た。長い不況にあえいでいた坂本住宅は、少しばかり息をつけるようになる。この不況でも何とか持ちこたえられるのも、磯部土建のお陰かもしれない。

 磯部土建は主に公共事業に頼っている。常滑市や半田市、武豊町、知多市と言った近隣の行政に出入りして、指定業者として工事を請け負っている。

 不況のあおりで、どの市役所も財政難にあえいで居る。そのしわ寄せは当然指定業者に行く。

 磯部土建も例外ではない。為に坂本太一郎は自社の営業社員をフルに使って、民間の擁壁工事、建物の解体工事等の注文を取っている。それを磯部土建に発注している。

 岸田洋が亡くなった事は痛いが、今まで築いてきた磯部土建の社会的な信用もあり、不況のショックも軽く過ごすことが出来た。もう1人の現場監督のお陰で見積りを作成できる現場監督を獲得できた。一応ひと安心というところだ。

 磯部土建は月末に慰労会を開いている。磯部土建の社員や下請けの主だった者が招かれる。磯部作次郎存命中は磯部邸で行われていた。今は、磯部土建の作業小屋に隣接した事務所の中で30名ほどが集まる。下請け同志の横のつながりを大切にする磯部作次郎が作った会社設立以来の行事である。

 岸田幾世は旧姓の谷川に戻って、磯部土建の渉外部を手伝っている。市役所や、坂本住宅、施主への使い走りが主である。岸田洋と1つ屋根で暮らしていた時は、無口で暗い顔をしていた。勤まるかな?坂本は危惧していた。

 案に相違して、きびきびと立ち働く。渉外係だから、無口では困ると思っていた。渉外係になって、自分の立場を理解してるのだろう、よく喋るようになった。

 磯部作次郎亡き後、坂本が社長代理として、慰労会や慰安旅行には出席している。

「社長はまだ帰ってこんだかや」

 缶ビールを飲みながら、酒の肴のするめをかじりながら、下請けの1人が坂本に声をかける。

「坂本社長、私も奥さんにお会いしたいわ」幾世もきびきびした声で尋ねる。

 坂本は曖昧に返事をするのみ。まさか岸田洋が磯部作次郎殺害の片棒を担いだとは言えない。磯部珠江が常滑に帰りたくないのは幾世の顔を見たくないからだ。坂本は珠江の心情を理解している。

 7月7日に伊勢に行って、すでに3週間がたつ。

 電話でも、帰りたくない理由は幾世と顔を合わせたくないからだと明言している。

2日前に、坂本は4日ぶりに電話を入れている。

・・・おや・・・坂本は不審な気持ちで珠江の声を聴いている。話したい事が一杯あるのに、口から何も出てこない。珠江も同じと見えて、電話口の向こうで押し黙っているのが判る。

「皆心配しているから、1度はこちらに来ては」

坂本としては是非帰って来た欲しいのだ。

 磯部珠江は押し黙ったまま返事をしない。たまりかねた坂本が「珠江さん!」返事をせかす。

「私、もう帰りたくないんです」

 ハエでも追い払うような冷たい言い方をする。坂本はびっくりする。

「えっ!」2の句が継げない。

「ごめんなさい。私・・・」

 しばらく沈黙の後

「太一郎さん、伊勢の方に来るようでしたら、電話下さいね」

 その後、磯部家の財宝は期待しているから、よろしく頼むとか、磯部土建は一任するとか、突き放した言い方をして、一方的に電話が切れる。

 好きな人に突き放されると、恋しさはますます募る。どんなことをしてでも珠江に会いたい。坂本の胸の内は焦がれんばかりである。

 会おうと思えばいつでも会える。会えるが手ぶらではいけない。

――みやげ――、磯部家の財宝の在り処を、何としてでも付き止めねばならない。

 坂本は磯部作次郎の書斎で、資料を漁るのに余念がなかった。


               常石神社


 文化7年(1810年)に書かれた常石天神社記の中に、

――其もとは瀬木の千代の峯という所にしつまりませしを明應の頃いささけ南にうつして今の地にそまつりけりここのうなへをゆく船なむことことこのやしろのほとりに来れば心心にけいめいしつつすすめるとか今の地にうつし奉りての後もかの千代の峯なるをふる社となむ地名にとなへ――とある。

 明應年中に瀬木の古社から分祀された事を示している。現在あの海岸線から一キロも奥に入った常石神社に船人の信仰が集まった。その事は、その事は、昔は常滑が入海になっていて船が常石神社近くまで行けた事を示している。常滑西小学校南側の川が入海の痕跡ではないかと思われる。

 その次に常石神社の神号の由来について、

――いにしへは常石とかきてとこなめととなへしを後に今の常滑の字にかへたりされと神号はなおいにしへの字を用ふ――とある。

 坂本はこの文章を読んで胸のときめくのを覚える。

1つ、昔は常石と書いて、とこなめと呼んでいたという事、

2つ、今は常石神社だが、昔は常石天神と呼んでいたという事

3つ、常石神社のすぐ近くまで入り江が迫っていたという事。


 まず1つ目の、常石と書いて、とこなめと呼んでいて事に、坂本は深い興味を覚える。

常石と書いて、とこなめと読んでいた当時は、その意味するところは判っていたと考えるのが普通だろう。

 時代が下るに従い、常石=とこなめの本来の意味が不明になり、とこなめ=常滑に変化してしまった。石をなめと読むのは、本来無理があるが、こう言ったケースは日本各地にいくらでもあるから、ここでは採用しない。磯部は故意に隠したのではないかと考えていた。常石=とこいしにして、とこなめを常滑に変えたと推量している。

 常滑という呼び方は比較的新しいのではないのか。

 常滑の起源を柿本人麻呂の歌の中にある常滑に求める説がある。

万葉集に

”吉野の宮に行幸する時に柿本朝臣人麻呂が作る反歌として”

――見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなく、またかえり見ぬ――

 斎藤茂吉著、柿本人麻呂、雑集編に、

”常なめは水中に顕れたる石に常になめらかなる苔のごときもののつきてかはかぬをいう”

 巻11,豊初瀬路は常滑のかしこき道ぞといへるはさる道は踏すべりあやまつるものなるをいうに、今しか谷越など即常滑道なり。されば此よしのの離宮なども、往通う常滑道なるをもて序に用いたるなるべし。さなくては常滑の名はありとも水中に隠れたるを取り出すべくもおもわれず――とある。

 柿本人麻呂の歌に出てくる常滑とは水の中の常になめらかな苔のようなものの付いた石を言っている。

 しかも、歌の場所も吉野にてとはっきり断っている。

この歌の常滑が、地名の起源というのは難しいと見るべきだ。

 2つ目、常石天神社とはどういうことか。

 前にも調べたが、天神=天つ神とはニギハヤヒの事だ。

――出雲大社から海沿いの道を行くと、ウミネコと灯台で知られる日御崎に出る。ここにある日御崎神社は、古来から出雲の神社の中で格別な地位を与えられている――

 祭神は、神の宮(上の宮)が素戔嗚尊、日沈(下の宮)が天照大神ニギハヤヒ

 スサノオと天照大神ニギハヤヒを祀る社は全国に多いが、出雲では、2人を祀った大社はこの日御崎神社だけである。

 この日御崎神社に伝わる「神剣奉天神事」という古伝祭がある。その遠い起源は、スサノオがヤマタノオロチを退治して

天叢雲剣あめのむらぐものつるぎを得た時、天葺根を使いとして、これをアマテラスに奉ったことにある。以来、天葺根の子孫の日御崎神社の宮司が毎年12月の大晦日の深夜、1人神社の裏の神山の登って施行している。古代から今日まで絶えた事がない。神剣を奉ずる事により、天神の位を誇る事を示している。

 天神とは、スサノオであり、後にニギハヤヒがその位を得る。神剣奉天神事は、その時の儀式を今に伝えている。天神は全国至る所に天神様として祀られている。

 当初、常石天神社と称したのも、フルの大神ニギハヤヒである事の証でもあった。

 坂本太一郎が注目したのは、3つ目である。

 前述したように、明應3年(1494年)に、古社が、神明社、常石神社、大善院の3社に分祀されている。その理由として、応仁の乱の後に続く戦乱の世に、神社や寺院が、軍隊の本拠地になることが多かった。戦略的価値を持つことから、戦争になると社寺が戦火を受けやすかった。それ故、古社を分散して、戦火で、神宝が失われるのを防いだのである。

 坂本が不審に思ったのは、以下のような分祀の理由である。知多半島は、北をはぶけば三方が海に囲まれている。

 戦争になれば、当然、海上からも軍隊が押し寄せてくる。となれば、神社の神宝を守るためなら、山の奥か、海上から目立たない場所に分祀するべきではないか。 

 ところが、昔は、常石神社の近くまで入り江が迫っていたという。常石神社は高台にある。海上からは丸見えだ。むしろ格好の目印になっている。

 大善院は、常石神社よりほぼ西に位置している。距離は4百メートルも離れていない。大善院は山の中腹にあるが、中の宮と呼ばれた。古社の分祀の社は山の上にある。これも海上から絶好の目印となる。

 神明社は、今でこそ、海岸線が埋め立てられて、奥に入った高台に鎮座している。昔は、海岸線は神明社のすぐ下まで来ていた。これも海から丸見えとなる。

 これは一体何だろう。坂本の不審は強くなる。

 3社とも、ここが上陸の地点ですよと呼びかけているようなものだ。それはそれなりに理由がある筈だが、磯部作次郎の資料にはその答えはない。資料はここで尽きている。


 坂本は息をついて天井を見る。長い間、磯部の資料に頼ってきた。歩く目印があった。それが途絶えてしまった。

・・・坂本よ、これからはお前1人で歩けや・・・

 磯部作次郎がそう呼びかけているような気がする。これからは自分で謎を解いて、磯部家の秘宝に辿り着かねばならない。磯部珠江と一諸になるためにも、何としてでもやり抜くしかない。


 平成9年も8月に入る。うだるような暑さが続く。

景気は相変わらず悪い。先月2件成約出来たものの、それで楽になた訳ではない。一息ついた程度だ。

 坂本住宅は建売を業としている。平成元年当時は、土地さえあれば、ほっておいても売れていた。

 今は思いっ切った値下げをしないと売れなくなっている。口で値を下げるとは言うものの、土地は高値で購入している。土地での値引きは、欠損が出る。銀行の融資に影響してくる。赤字では銀行は金を貸さなくなる。

 勢い、建物での利益を圧縮して値引き販売を行う事になる。建物の価格をいかにして安くするか、それがポイントとなる。大工や左官、建具屋など、下請けに、値引きを強要する事になる。

 会社の中で、坂本は思案にくれる。

これからの日本経済は、右肩上がりの景気回復は望めないだろう。安くて良い商品、昭和40年代以降、スーパーが台頭した。その後、小売店の衰退が始まる。

 住宅産業にも、これと似た傾向が生じてくるだろう。建築業者に、1軒いくらで請け負わせる時代は終わった。

 大手ハウスメーカーが、すでに行っている様に、下請けにシビアな価格競争が行われる時代となっている。それが出来ない限り、今後の生き残りは難しい。

・・・こんな時に、珠江さんが側にいてくれたら・・・

 坂本太一郎は頑張らねばと思うが、心の中にぽっかりと穴が開いている。それを承知で、気持ちを奮い立たせる。彼女さえいてくれたら、気力は何倍にも膨れ上がると思っている。

「よし、やるか」自分に言い聞かせて、重い腰を上げるしかなかった。


             とこなめ


 翌日夕方、坂本は久し振りに自宅に戻る。

 書斎の西の窓から、常滑港を見下ろす。クーラーを入れるよりも、海から吹き上げてくる風の方が心地よい。近い将来、ここに飛行場が出来る。騒音などで、静かな環境も激変するに違いない。

 坂本の家は丘の上にある。千坪近い敷地であるが、平地と違って有効利用が難しい。飛行場ができたら、どうなるのか、その時に考えるしかない。

 そんなことが頭の中を去来する。

 磯部邸から持ち出した磯部作次郎の資料を手にする。

――さて、何から眼を通したら――思いあぐんでしまう。

 磯部は常に言っていた。”とこなめ”の地名に、磯部家の財宝を解く鍵がある。それに、常石神社にはその秘密が隠されている。

 メモにでもそれを残しておいてくれたらと、坂本は悩む。今更ながらに、磯部の死を悼むのである。

”神明社遷座5百年誌”を手に取ってみる。

 ここには、古社の神様を、神明社、大善院、常石神社に分祀した事実が記されている。

 この3社は、当初は、神明社を西の宮、大善院を中の宮、常石神社を高の宮と呼ばれていたと記す。

 それにもう1つ、中の宮は、大善院の敷地内に、分祀したとある。この何気ない文に坂本は興味を覚える。

 つまり、古社を分祀する時、すでに大善院が存在していた。その境内地に、割り込む形で中の宮を建立したというのだ。現在この中の宮は、大善院の西隣りに、小さな祠があるのみ。

 大善院の北の方は、宏大な丘が拡がっている。何も無理やりに大善院の敷地内に建立する必要はない筈だ。

・・・何故だろうか・・・

 その答えは簡単だ。中の宮は”そこに”建立しなければならない絶対的な条件があったからだ。

 現代人の感覚とは違って、古代人は、方位、方角を気にしている。ある方角に、聖地が並ぶのも、彼らの意識感覚があるからだ。現代人の感覚では理解しがたい。

 神明社、大善院、常石神社は、たまたま、海の近くにあって、海上から見えやすいから建立したのではない。その3点の地点に建立しなければならない絶対条件があった。それが判ると、伊勢の地に眠る磯部家の財宝探しも容易になる。

 それにもう1つ、常石神社を、何故高の宮と称したのか。神明社は西端にあるので、西の宮、大善院は真中なので中の宮、これは子供にも判る。

 高の宮の呼び方については、神明社遷座5百年誌は何も語らない。

 百科事典を見る。

 常世国の項目に、

――立山に降りおける雪を、とこ夏に見れども飽かずかむからならし(万葉集)の例にみられるように、恒常不変の意の”常”の文字と結び付いて、永久不変をもつまで、この”とこ”の語は日本語では”高”と通じる賛辞であった。

 常夏が真夏であるように、常世国は本国ともいうべき世界であり、沖縄諸島のニライ・カナイと似た世界であった――

 つまり、高は常に通じる文字である。

 常石=とこなめとは何か。その答えは、自然と明らかになる。磯部作次郎の資料にあるように、石は、現在、伊勢と呼ばれる前の古称である。

 常、あるいは高は、常世の国、常石とは、伊勢の国の常世の国、昔は伊勢全体がそう呼ばれていたのかも知らない。

 伊勢地方の一部分に限って言えば、常世の国、ニライ・カナイの国とは夫婦岩の地しかない。

 ここで1つ問題が生じる。常石と書いて、とこなめと読めと言っているのだ。

 坂本は1つの結論に達する。

 常石=とこなめが、常滑の表記に変わったのは、そうしなければならない事情があったと見るべきだ。


 坂本は資料から目を離す。暗くなった西の空に目をやる。度の強い眼鏡をかけているだけに、眼が疲れやすい。眼鏡を外す。

 常石=とこなめの意味が判ったとしても、それが磯部家の財宝と、どう結びつくのか、皆目見当がつかない。

 1つの謎を解いても、そこからまた新たな謎が生まれてくる。

 坂本は眼を閉じる。ソファに横になる。

・・・多分、磯部作次郎は、この謎を解いたと考えられる。それをメモする前に殺された・・・

 磯部邸の膨大な本や資料を、もう一度丹念に漁るしか方法がないと考える。

 その作業に取り掛かったものの、約千冊余の本や資料だ。何を調べるのか、その目標も不明ときている。本を1ページ1ページめくりながら眼を通す事になる。実に厄介な作業となる。


                ――その5完結編に続く――


 お願い――この小説はフィクションです。ここに登場する個人、団体、組織等

      は現実の個人団体組織等とは一切関係ありません。

      なおここに登場する地名は現実の地名ですが、その情景は作者の創

      作であり、現実の地名の情景ではありません。






 

 

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