第十一話 気持ち
「何事だ!」
リリルの耳にその声が聞こえてきた瞬間、その場の空気が凍り付いたのが分かった。
久しぶりに聞いた、ずっと聴きたかった人の声が耳に届いたリリルは、涙目のまま声の方を振り返っていた。
そこには、ずっと会いたいと思っていた人の姿があった。軍部の制服をきっちりと着込んだ、フェデュイを見たリリルは、知らずに涙腺が緩んでいた。
瞬きをするたびに、キラキラと雨粒のように涙が零れてしまっていたのだ。
フェデュイと目があったと思った瞬間だった。リリルは、力強い腕の中にいた。
どうしたらいいのか分からずにいると、フェデュイは一言、しかし強い口調で言葉を発したのだ。
「何故ここにいる!」
その言葉を聞いたリリルは、屋敷の者に何も言わずに勝手に抜け出してきたことを思い出して、自分の行動で屋敷の者に迷惑をかけてしまったのではと、今更ながらに自分の行動を後悔した。
それでも、自分を抱きしめてくれるフェデュイの力強い腕の中が心地よく思えて、ただただ謝る事しか出来なかった。
「申し訳ございません……」
リリルが震える声で謝っていると、フェデュイの抱きしめる腕の力が強くなっていった。
そして、無言でリリルを抱き上げたと思ったら、そのまま軍司令部の建物内にある執務室に足早に歩きだしていた。
何も言えずに、自分を横抱きにするフェデュイを下から見上げていたリリルは、きりりと引き結ばれたフェデュイの口元に視線を向けることしかできなかった。
そして、いつフェデュイの口から呆れたようにやっぱり婚約は破棄するという言葉を告げられるのかと考えると胸が苦しくて堪らなかった。
そこでようやく自分自身の気持ちに気が付いたのだ。
理由は分からなかったが、フェデュイに嫌われたくない、フェデュイの傍に居たい。そんな気持ちに気が付いたのだ。
しかし、それが許される立場ではないとリリルは自覚があった。
仮初の婚約者。都合のいい結婚相手。
それがリリルが選ばれた理由なのだから。
それを思うと勝手に胸が苦しくなって、どうしようもなかった。
知らず知らずのうちに、フェデュイの上着をぎゅっと握ってしまっていたが、そんな自分の行動に気が付いていないリリルは、気が付けばフェデュイの横抱きにされた状態で執務室のソファーに座るフェデュイに抱きしめられるような格好になっていた。
小さく震えるリリルに気が付いたフェデュイは、リリルの小さく細い肩を優しく抱き寄せてから、たった一言、しかし、リリルには衝撃的な一言を告げた。
「好きだ」
こんな自分を好きだという人間が家族以外にいるとは思っていないリリルは、聞こえてきた言葉が信じられずに、何かの聞き間違えかと思い小さく首を傾げた。
自分の腕の中で小さく首を傾げるリリルを見たフェデュイは、小さく息を呑んだ後にさらに言葉を紡いでいた。
「君が好きだ。一目惚れだった。俺は……話すのが苦手だ。今までそれで困らなかった。だが、リリルに俺の気持ちが伝わっていないと知って、これでは駄目だと痛感した。遅いかもしれないが、改めて言う。リリル、君が好きだ」
聞き間違えではなかった。まさかの言葉にリリルは、何度も瞬きを繰り返すことしかできなかった。
何も言葉を発せないリリルを見たフェデュイは、言葉が足りなかったと判断し、今までの無口な彼を考えれば別人だと思えるほど、甘く蕩けるような声で言葉を紡いでいった。
「いつもリリルのことを可愛いと思っていたが、口に出せなかった。だが、これからは思ったことは口に出してリリルに伝える。繊細な銀の髪も宝石のようなブルーの瞳も柔らかそうな耳とふさふさと揺れる可愛い尻尾。何もかもが愛おしい。花のような笑顔も涙に濡れる瞳も俺を魅了する。可愛らしい声を聴くたびにリリルをこの腕の中に閉じ込めてしまいたくて仕方なかった。家族思いで、優しいリリル。愛してる。俺の可愛いリリル」
こんなにも饒舌なフェデュイを始めて見たリリルは、言われた内容もそうだが、向けられる熱っぽい視線に体中の血が沸騰してしまったように思えた。
何も言えずにというか、何を言っていいのか分からないリリルだったが、彼女の尻尾はとても素直だった。
スカートの中でリリルの尻尾は、嬉し気にぶんぶんと左右に揺れていたのだった。
いつまでも甘い空気が漂っていた執務室だったが、終わりは突然やってきた。
コンコン。
緊張したようなノックの音でリリルは我に返ってから、慌ててフェデュイの膝の上から飛び降りようとしたのだが、それはフェデュイの手によって阻まれてしまった。そのためノックの後、扉を開けて顔をのぞかせた青い顔をしたグリードに恥ずかしい姿を見られてしまったと思ったリリルは、顔を赤らめて身を震わせることとなったのだった。
それから、フェデュイの人が変わったような甘い言葉の数々と行動でリリルは本当に自分が愛されているという事実を思い知らされたのだった。
そして、フェデュイからの惜しみない愛を注がれたリリルもいつしかフェデュイに明確な恋心を抱くようになっていった。
リリルの尻尾のハゲは、精神的なものが原因だったため、フェデュイから贈られる有り余るほどの愛の力と言うには重すぎる愛情によってか、少しづつ良くなっていっていた。
その後行われた結婚式では、今まで見たこともないほど甘い表情を浮かべるフェデュイを見た王侯貴族たちを大いに驚かせたのだった。
さらには、普段必要最小限しか話さないフェデュイが長文をしかも、甘ったるい愛の言葉をつらつらと吐きだす姿に震えが止まらなかった者がほとんどだったとか。
「可愛い俺のリリル。好きだよ。ああ、可愛いリリルを俺の腕の中に閉じ込めておきたいほどだよ」
「閣下……。えっと、みなさん見てますから……。恥ずかしいです」
「くすくす。恥じらう姿も可愛らしいな。だが、俺は自分の素直な気持ちをリリルに伝えると誓った。好意を行動で示すこともだ。リリルが誤解する余地すら与えない。俺は、リリルが好きで好きで、だから妻になって欲しいと思ったんだ。リリルが俺を好きになってくれるように努力をし続けると俺は決めたんだ」
そう言って、愛おしそうにリリルの銀の髪をひとすくいした後に、その髪に口付けたのだ。
それを見て頬を染めるリリルに甘やかな視線を向けた後に耳に口を寄せて息がかかる程近い距離でダメ押しの甘い言葉を吐きだしたのだ。
「俺のリリルは本当に可愛いな。食べてしまいたいほどだ。くすくす。いいだろう? 俺たちは今日、夫婦になったのだ。リリルの全てが欲しい。俺もリルルに全てを捧げる」
そう言った後に、リリルの耳朶を甘く噛んだフェデュイは、素早く体勢を元に戻して何食わぬ顔で結婚式を終えたが、リリルに至ってはその限りではなかった。
心臓が爆発しなかったことが奇跡のようだと思えるほど、心臓が高鳴って式どころではなかったのだ。
その後、初夜を迎え恥ずかしがるリリルを甘い口付けで蕩けるほど溺れさせたフェデュイは、腕の中のリリルに愛の言葉を紡ぎ続け身も心も蕩けさせたのは言うまでもないだろう。
こうして、家族以外の愛を知らなかった少女は、自分だけに向けられる愛を知り、そして知ったのだ。
人を愛することの意味を。愛されることの意味を。
愛し愛されることの幸福を身をもって知るのだった。
『嫌われ貧乏令嬢と冷酷将軍』 おわり
最後までお付き合いいただきありがとうございました。