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海底ギャラリー  作者: roak
7/30

7 先駆者

 雄人の声は、展示室に響き渡る。作品鑑賞をしていたほかの者たちの視線をたちまち集める。だが、そんなことは気にせず雄人は問いかける。1歩、また1歩、嘉島の元に歩み寄りながら。

「井村功太が、3Dエレクトロファインアートを最初に作ったのでしょうか?」

 曇っていく嘉島の顔。そして、低く小さな声で彼は答えた。やや取り乱した様子で。

「最初かと言われると、そうだと言い切れることではありません。3Dエレクトロファインアートという名称で自分の作品を呼んでいるのは、確かに井村さんが最初なんだと思うんですが」

「さっき嘉島さんは『切り開いている』とおっしゃいました。それは一体」

 雄人は尋ねた。

「井村さんの作っているものは、デジタルアートと呼ばれるもの。コンピュータを使って、作品を作る。色を、形を、作り出す。そういう表現自体、彼が最初ではありません。彼の前から多くの人がやってきた。だから、そういう意味では、彼は決して『最初』ではない」

「広い意味では、彼よりも先にほかの人たちもやっていた。そういうことですね」

 雄人は言う。嘉島は小さく頷く。

「ねえ、なんの話?」

 真利子は雄人に問いかける。彼は彼女に伝える。自分の言葉の意図について。

「招待状を見ただろ?功太からの」

「見たけど」

「そこにはどう書いてあった?」

「どうって」

「3Dエレクトロファインアートについて」

「なんて書いてあったっけ?」

「見たことはあるか、聞いたことはあるかって書いてあった」

「そうだったかも」

「だけど、そんなはずはないんだ。あれは功太の造語で、俺たちは招待状を見て、初めてその言葉を知った。だから、雑誌やネットで探しても、そういう言葉が出てくるはずないんだ」

「そういうことね」

「なら、どうして功太は招待状にあんなことを書いたのか。嘉島さんなら知っているんじゃないかと思ったんだ」

「いいところに気付かれましたな」

 重々しい口調で嘉島は言った。彼の顔は一見すると無表情だ。だが、喜びや驚きの感情を無理に抑え込み、平静を装っているようにも見える。続けて彼は言う。

「いいでしょう、あのことをお伝えした方がよい気がする。いや、しなければならない気がする。いかがでしょう。お二方、これから、時間はありますかな?これから少し、お付き合いいただいても?」

「はい。大丈夫です。お願いします」

 嘉島は何かを知っている。功太について何か重要なことを。雄人は確信する。嘉島はにっこりと笑って、案内をする。「海底」から外へ。階段を上り、3人で地上へと向かう。嘉島は黙って進む。そんな彼の背中を追って、雄人と真利子は歩く。真利子は雄人に問いかける。

「ねえ、私たち、これからどうするの?」

 雄人は声を潜めて答えた。

「分からない。でも、大丈夫。心配はいらないさ」

 3人は地上に出る。受付カウンターの近くで立っている田山に嘉島は早口で告げる。

「悪いが、少し外出させてもらうよ。大事な用ができた。下には、木野君がいるから。何かあったら彼に声をかけなさい」

「分かりました」

 田山は返事した。雄人と真利子は借りていた毛布を彼女に返す。その間に嘉島は出入口の自動ドアの方へ歩いていく。静かに開くドアを背に彼は言う。

「さあ、どうぞ。この近くに行きつけの喫茶店がありますので、そこへ行きましょう」

 ギャラリーを出て、3人で歩く。ギャラリー前の駐車場から歩道に出ようというとき、嘉島は言った。振り返ることなく、後ろを歩く2人に対して。

「井村さんは、少し変わった経歴の持ち主なのです」

 ギャラリー前の横断歩道の信号は赤だった。嘉島は横断歩道の前で立ち止まる。渡った先には小さな喫茶店が見える。赤い屋根の小さな店だ。その店が嘉島の行きつけだった。空は青々と晴れ渡っていて、照りつける太陽の光が眩しい。嘉島は黒い上着を脱いで言う。

「彼は、専門的な教育を受けていません。美術について。そして、ここ数年間のうちに、突然、制作を始め、没頭しているようなのです。過去にはほとんどそういった活動をしてこなかったそうです」

 信号が青に変わる。歩き出す3人。横断歩道を渡りながら雄人は言った。

「僕も、彼が個展をやると聞いて驚きました」

 嘉島は言う。首に巻いたネクタイを外しながら。

「ええ、それについては、店の中で話すことにしましょう。ここです。さあ、入りましょう」

 と言って、嘉島は喫茶店のドアを開けた。ドアベルがカランカランと鳴り、店内に客の訪れを告げる。海底ギャラリーほどではないが、冷房がよく効いていた。体が冷え過ぎない、心地よい涼しさだった。シーリングファンがくるくると回り続け、落ち着いた曲調の音楽が流れている。椅子もテーブルも時の流れを感じさせる風合いで、その店が昔から営まれてきたことを物語る。

 席は空いていて、椅子に座ると間もなく女の店員が注文を取りにきた。3人で「ホットサンドセット」を注文する。嘉島はサーモンサンドとアイスコーヒーのセット、雄人はハムサンドとジャスミンティーのセット、そして、真利子はエッグサンドとアイスティーのセットをそれぞれ注文した。店員が去ると、嘉島は抱えていた上着とネクタイを隣の椅子の背もたれに掛け、話し始めた。

「私が彼の作品に出会ったのは、今からちょうど1年前のことです。隣町にあるギャラリーでのことでした。貸しギャラリーで、新進気鋭のクリエイターたちのグループ展が行われていたときのことです。そこのオーナーとは十年来の付き合いで、あの日、私は挨拶も兼ねて、ちょっと様子を見に行ったのです。そうしましたら、そこに井村さんの作品が展示されていました」

「そうですか」

 と雄人。続けて、嘉島は言う。

「私が彼を知ったときには、もうかなり本格的に活動していたようです。ほかの作家の作品にも目を見張るものがいくつかあったのですが、やはりなんと言っても、彼の作品は異彩を放っていました」

「3Dエレクトロファインアートですね?」

 真利子が言う。すると、間髪入れずに嘉島は言った。

「そうです。あのスタイルは、あのとき、すでに確立されていましたね。私はすぐにオーナーに頼んだ。この作品の作者に会わせてくれないかとね」

「どんな人が作ったのか、お知りになりたいと思ったわけですね」

 雄人が言うと、嘉島は嬉しそうに答える。

「そうです。若手作家の展示会で、こんなことは初だったのですが。そうして、実際に私たちは会うことになった。そこでまた驚いたのです」

「何があったのですか」

 雄人が尋ねると、勢いよく嘉島は話す。

「彼はまるで知らなかった。美術史について、表現方法について、過去のことも、現在のことも。彼はろくに知らなかった。誰が、いつの時代に、どんな作品を作り、どんな影響を人々に与えたのか。そして、今、誰が、どんな作品をどんな風に生み、どんな変化が起きているのか、はたまた、起きようとしているのか。そういうことを彼はほとんど知らなかったのです。あのときの彼は、少しでもアートに関心があれば、ほとんど誰もが知っているであろう作家の名前も知りませんでした。そうですね、例えば」

 それから、嘉島は数人の著名な作家の名を挙げる。その名を聞いて、

「僕も知りませんね」

 ばつが悪そうに雄人が言うと、嘉島はわずかに顔を曇らせて、黙ってしまう。しかし、すぐにまた彼は口を開く。

「ただ、デジタルアートの表現には、当時からやはり、強い関心と持論を持っていたようで、熱心に話をしていました。ちょうどあの日もこの店で我々は話をしていました」

 ホットサンドと飲み物が運ばれてくる。3人分そろうと、食べながら、飲みながら話をした。雄人も真利子も昼食を食べていなかったので、食事ははかどった。

「そのときに今回の展示会の話を持ちかけたのですか?」

 雄人が聞くと、嘉島は答えた。

「そうです。彼はとても喜んだ。自分の作品が海底ギャラリーに展示されることについて。まあ、自分で言うのもなんですが、割に有名になっていましたからね。海底ギャラリーは。その日の別れ際に私は彼に聞いてみたのです。だめ元で。だめ元というのもおかしな話ではありますが」

 雄人は聞く。

「何を、聞いたのですか?」

 嘉島は答えた。

「彼がどんな作家に影響を受けたのか。聞いてみたのです。これは完全なオリジナルだと言うのではないだろうか、あるいは、もしかしたら気を悪くするのではないか、と思いながらも。彼に尋ねてみたのです。単純に興味があったものですから」

「なんと言ったのでしょう?」

 今度は真利子が聞く。

「彼は言いました。3Dエレクトロファインアートには偉大な先駆者がいるのだと。はっきりと、力強く、彼は言いました。今でもよく覚えています。彼はさらに言いました。自分は少しでも彼らに近付きたいのだ、と。それは、予想していなかった答えでした。私は少し驚いて、尋ねました。その先駆者とは誰か、と」

「それは誰ですか?」

「彼は教えてくれました。口で言って、そのあと、わざわざメモ用紙に書いてくれたのです。長くて聞き取りづらいでしょう、と笑いながら」

 そして、嘉島はその先駆者の名前を言う。名前を聞いて、雄人も真利子も思わず少し顔を歪める。2人にとって、その名前があまりにも奇妙なものだったからだ。まず、人名には聞こえない不思議な音の響きがあった。カタカナで表記すべき類の名前なのだろうが、嘉島の口から発せられた音のうちのいくつかは、一般的な日本語の発音にはないものが含まれているように聞こえた。それに、どれが「姓」でどれが「名」なのかも分からない。その人物にそういった概念があるのかも分からないのだが。その上、とても長く、それが1人の名前なのか、複数人の名前を続けて言っているのかさえも分からなかった。再びばつが悪そうに雄人は言った。

「その人たちも、知りませんね」

 ゆっくり頷いてから、嘉島は言う。

「私も知りません」

「そうなんですか?」

 拍子抜けした様子で、雄人は思わず聞き返した。

「奇妙なことです。最初は思いました。どこかで活躍している、私の知らない、無名の作家なのだろうかと。しかし、それにしても、変な名前だとは思いませんか。一体どこの国の人間なんだと。彼がメモ用紙に書いてくれたおかげで、この通り覚えていますが。5人ともね。あとになり、彼なりの冗談なのかとも思いました。しかし、彼の目は至って真剣でしたし、冗談を言っている、あるいは、嘘を付いているようには到底思えませんでした。アナグラムとか、そういうトリックのあるメッセージなのか、とも思いました。人名というよりも何か、そうですね、まるでコンピュータの製品名のようで、言葉として、とても変な気がしますから。しかし、文字を並べ替えたり足したり引いたりしてみましたが、どうもそうでもないようです。知り合いにも聞いて回りました。ですが、誰1人として知っているという人はいません。それどころか、どこかでその名を聞いたことがあるという人さえもいませんでした。私は考えました。これは一体どういうことだろうと。そして、今の私はこう考えています。おそらくは架空の人物である『彼ら』。『彼ら』を本気で実在する、あるいは、していたと信ずる彼の頭の中では、常人には起こりえない、何かが起きている、と」

「何か、ですか」

 ぼそりと雄人は言った。食べかけのホットサンドを手に持ったまま。

「ええ、そうです。何かがあった。そのせいで、ああいったことを言っているのだと。あなたが気にされている、招待状に書いてあったことというのも、おそらくは、この『先駆者』たちの仕業なのでしょう」

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