6 希少性
功太の口から出たその言葉に、雄人も真利子もどう返答したらよいのか分からず戸惑う。沈黙が3人を包む。全身にまとわりつくような沈黙だった。それを打ち破ったのは、1人の男の声だった。
「メシ、行こうぜ」
功太の元へ歩み寄ってくる4人の男たち。いずれも雄人の知らない顔だった。作品を作ったり発表したりする中で、功太が知り合った仲間たちなのだろうと雄人は察する。
「おっと、そろそろだったな」
身に付けていた腕時計をちらりと見て、功太は言った。それから、雄人と真利子に向かって言った。
「悪いな、そろそろ行かなきゃいけない。仲間とこれから食事会なんだ」
「ああ、分かった。時間作ってくれてありがとう」
「とんでもない。礼をいうのは俺の方さ。今日はありがとう。また、ゆっくり話をしよう。じゃあ、さよなら」
小さく手を挙げて、振ってみせる。
「ああ、じゃあな」
雄人も小さく手を挙げる。
「さよなら」
真利子は浅く礼をして言った。
「悪い、悪い」
と功太は言いながら、雄人と真利子に背を向けて、4人の男たちと歩いていく。そして、階段を上り、展示室から去っていった。彼らはしきりに何かについて話し合っていたが、雄人たちにはほとんど何も聞き取れなかった。
「あれが、芸術家井村功太なのです」
オーナーの嘉島が雄人と真利子に言う。胸を張り、自信たっぷりという様子だ。
「少々ショッキングな話でしたか?」
嘉島に聞かれ、雄人は正直な気持ちを彼に打ち明けた。
「少し驚きました。あいつが、そういう人間だったとは。何が善で、何が悪か。ここでそういうことを言うつもりはありませんけど。ああいった事故で、失われた大切な存在について、そういう風に考えるのかというのが、とにかく、なんだか意外で。少なくとも僕の知っていた井村ではありません」
まだ整理し切れていない頭の中から、どうにか言葉を取り出して、雄人は嘉島に伝えた。真利子はその様子を隣でじっと黙って見ていた。
「彼には、特別な感性があるのです」
嘉島は言う。
「対象を深くとらえて形にする。そのための特別な感性があるのです。井村功太は対象の奥の、そのまた奥にあるものまで形にしてしまう。目には見えない、だけど、本当のものを。本当のことを。むき出しにしてしまう。そして、それは緻密な計算のもとで行われる。コンピュータを駆使した、現代のテクノロジーで。そのことは、今回の展示作品全てに共通しています。初めて彼の作品を見たとき、私は胸を矢で射抜かれたような気持ちになりました。使い古された陳腐な表現かもしれませんが、これは事実です。そして、その場でブルっと身震いしたのです。さまざまな作品を見てきましたが、あのときのあの体験はかつてないものだったのです。だから、今回の企画がある。さあ、どうぞ、引き続き楽しんでいってください」
笑顔を見せて、嘉島は去っていく。雄人は真利子に言った。
「こっちから、順番に見ていこうよ」
「そうだね」
2人でゆっくり歩きながら功太の作品を1点ずつ鑑賞した。全部で37点の作品があると彼は言った。よくも作ったものだと雄人は思う。巨大化したコンセントプラグのような物体、翼を広げた巨大なオウムと思われる鳥の像、大量の数字を表示させる筒状の電光掲示板。それぞれが全く異なる形をしていて、全く異なる着想から作られたというのが、雄人と真利子の目にも明らかだった。どこからこれだけのイメージが湧くのだろうかと雄人はつくづく不思議に思った。
「そろそろ出ようか」
雄人は言った。時刻は1時半を過ぎようかという頃。最後に、展示室の隅で立っていた嘉島へ挨拶をして帰ろうとする。
「楽しませていただきました。そろそろ失礼します」
「そうですか。分かりました。また機会があればお立ち寄りください」
「はい」
2人で返事をする。
「気に入った作品は、ありましたかな」
嘉島の問いに少し間を置いて雄人は答えた。
「はい、いくつか気になったものは」
「どうでしょう。買っていきませんか」
嘉島は提案する。
「買うだなんて。ちょっとそれは。考えていませんでした」
展示されている作品には、値段の書かれているものがあった。どれも30万円以上で、高いものは100万円を超えていた。
「そうですか。でしたら、無理には言いません。ただ、買うのもいいものですよ。所有して、家に飾り、観たいときに観るというのも。とても素敵なことです」
嘉島は落ち着いた声で語る。少し困って、雄人は言った。
「ちょっと手が出ませんね。高くて」
「これからもっと価値が上がるかもしれない」
声を大きくして嘉島は言う。
「上がる?」
雄人が言うと、両腕を広げて、嘉島はゆったりとした口調で話した。
「そうです。往々にしてそういうことはある」
「井村の作品が有名になって、価値が高まるということでしょうか」
雄人が聞くと、嘉島はこくん、こくん、と頷きながら、今度は早口で言う。
「その通り。評価が上がれば、作品の価値も上がる。10年後、5年後、いや、1年後には10倍、いや、100倍の値がつくかもしれません」
「10倍?100倍?にわかには信じられませんね」
苦笑いを浮かべながら雄人が言うと、嘉島はきっぱりと言った。
「そういうことはあるんです」
「あるんですか」
と雄人。
「あります」
と嘉島。
「100万円の100倍なら、1億円になってしまいますが」
雄人が言った。すると、すぐさまその言葉に嘉島は反応した。
「ありえます。本当に著名な芸術家の傑作ということであれば」
「僕には理解しがたい話です」
首を傾げながら雄人は言った。それに対して、嘉島は熱弁する。
「まあ、そのお気持ちも分かる。あなたも、たまにニュースで取り上げられるのを見るでしょう。数億円で作品が売れたなどという話を。どんな作品なのか見て、このようなものが数億もするのかと呆れる人がいる。呆れるのは結構。だが、それは実はちょっとした仕組みについてご存知ないだけかもしれないのです」
「仕組みですか」
雄人が言う。大きく頷いてから嘉島は言う。
「そうです。なぜそこまで値が上がるのか。一言で言えば、希少性なのです」
「希少性。数が少ないから価値が高まると」
雄人が言うと、嘉島は再び大きく頷いて、言った。
「その通り。例えばこれ」
嘉島は竹輪麩状の作品を平手で軽く叩いて見せた。ぱん、と音がした。
「これは1点しかありません。ここに、これ1点」
さらに2度ほど叩く。ぱん、ぱん、と音がする。
「はい」
雄人は思う。人に触るなと忠告しておきながら、そんな風に叩いてもいいのかと。嘉島は話を続ける。
「そして、たくさんの愛好家がいます。美術品を収集するコレクターと呼ばれる人たちです。私もまあ、そんな1人なのですが」
雄人は相槌を打つ。
「はい」
嘉島は話を続ける。
「そのたくさんの愛好家が、1点のこれを巡って争うのです。舞台は、競売場でも、個人間の交渉の場でもよいでしょう」
「はい」
「私はいくら出す、俺はいくらまでなら出す、あるいは、いくら出すから譲ってくれと。そういうことをするわけです」
「はい」
「そして、大抵の場合、コレクターというのは資金を持っている。十分な資金を。そういう人々が、1点の美術品を欲しがっていると」
「はい」
「十分な資金のある者たちが、たった1点の作品を巡って激しく争ったなら、どうなるか。あとは察しの通りなのです」
「はあ」
「井村功太の作品も多くのコレクターが注目するようになれば、その価値はあっという間に高まることでしょう」
「ここで作品を100万円で買っても、別に損はないと。そういうことですね?」
雄人が尋ねると、嘉島は言った。
「まあ、そういうことです」
「どうしようか、真利子」
そう言って、雄人は真利子の顔をちらりと見る。
「え?何言ってるの?」
と真利子が言う。雄人は嘉島の方を向いて告げた。
「またの機会にします」
嘉島は苦笑して言う。
「そうですか。会期中はいつでも待っています。ただし、売れてしまうこともあるので、ご了承くださいね」
「分かりました」
雄人は嘉島に言ってから、今度は真利子の方を向いて言う。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「うん」
そして、雄人と真利子は歩き出す。階段の1段目に足を乗せかけたそのとき、雄人は聞いておこうと思い立ち、嘉島に尋ねる。
「あなたは、どう思いますか。功太が、井村功太がこれから果たして、高い評価を得るのかについて」
ふっと笑ってから嘉島は言う。
「絶対ではないのですが、得るでしょう。彼は高い、それはとても高い評価を得ることになるでしょう」
「なぜ、そう思いますか」
と雄人が聞くと、嘉島は答える。
「この海底ギャラリーで個展を開いた芸術家なのですから。そして、3Dエレクトロファインアートという表現様式を編み出し、今まさに切り開いている男なのですから」
嘉島の放ったその言葉に、強い違和感を覚えた雄人は思わず腕組みをして考えた。数秒の間、黙って考える。
「どうかしたの?」
真利子が聞いてくる。
「ああ、ごめん」
そう言ってから、雄人は嘉島に尋ねた。
「3Dエレクトロファインアートというのは、功太が最初に作ったのですか?」