part.6
翌日。
自分の机で早めの昼食をとっていたら、京先生がやってきて、隣に腰掛けた。クラスがお隣だから、席も隣なのだ。
「先生も四限目、空いてたんですね」
「そうなの。お昼、私もいただこうかしら」
今はまだ四限目。多くの教師は授業中なので、職員室は閑散としている。
京先生はお弁当の包みを広げ始めた。俺は食堂で買った弁当だ。味は良く、毎日のようにお世話になっているのだが、やはり手作りの弁当も食べてみたいものだ。
ちらりちらりと横目をやっていたのに気付いたのか、京先生は食べる手を止めてこちらを見た。いつものように、顔には笑みを浮かべている。少しきまりが悪い。
「賀茂くん、このからあげが欲しいの?」
「あ、はい。是非に」
京先生は危なげない所作で唐揚げを箸でつまむと、俺の弁当まで運んでぽとりと置いた。ありがたくいただく。……うまい! テーレッテレー。
「賀茂くん、昨日は部活に行くところだったの?」
「はい、また例の『推理対決』ですよ」
「……大変ね。まさか教師になってから、再び探偵さんの力を借りることになるなんてね」
京先生も、当然俺の事情を知っている。俺が高校一年生の時、担任だった京先生には、本当にお世話になった。今の俺があるのは、ひとえに京先生のおかげだと、俺は信じている。
「もうこんなことはしないって、決めてたはずだったんですけどね……」
「昔から賀茂くん、頼みを断れない性格だったもんね。
それで、文芸部はどんな感じなの?」
「なんとか文集は出せそうです。七瀬もほっとしていました。やる気のある一年生のおかげですよ」
「岸さんのことね。あの子、お嬢様っぽく見えて、凄い行動力よね。賀茂くんのところにも押しかけたんだって?」
「はい。あれには驚きましたよ」
だが、まさか探偵の正体が教師だとは思っていなかったはずだ。イケメンの先輩を想像していたのなら、がっかりしただろう。うーん、二十三歳だし、自分ではまだ若いつもりではあるが……。
「実はあれ、私が岸さんに話しちゃったことなの」
京先生が、笑顔以外の表情を見せた。珍しい。
「あんまり驚かないのね」
「あれを知ってる人、先生くらいしか思いつきませんし。
だてに『名探偵』と一緒に過ごしてませんから。それくらい分かります。悪気はなかったってこともね」
「それも推理で?」
「いえ、これは先生への信頼から」
気付いたら先生はいつもの笑顔に戻っていた。いや、少し嬉しそう、と感じたのは、俺の気のせいか。
「あの子、探偵さんなら文芸部室にいるわ、って言ったら、すごい勢いで飛び出しちゃって……ごめんなさいね」
「構いませんよ。結果、文集は出せそうですから」
その時、チャイムが鳴った。四限目も終わりだ。昼休みである。すぐに、高校全体が静かな活気に包まれるだろう。
京先生と俺は、それを区切りにお互いの昼食に専念した。先生にはまだ確認してみたいことがあったが、なんとなく機を逸してしまった。
昨日、部室を後にしてからも、気になっていたことがあったのだ。探偵が最後に、後は頼んだと言ったことだ。あの時はもう推理は全て済んだと思っていたが、まだ説明の付かないことがあった。
まず、探偵が岸にした四つの確認のうち、最初の一つ。「岸が文芸部室の鍵を開けたのか」という質問だ。岸の答えはイエスだった。鍵が何か関係しているのか。それとも、俺が考えたように、岸が職員室へ寄ったことが重要なのか。
もう一つ。岸は、どうして「せ」を答えにしたのだろう。そう、探偵の説明では、その部分がまだ明かされていない。トリックは分かったが、では動機は? なぜ、「せ」だったのか。
もちろん、理由なんてなかったのかもしれない。あれは、岸が考えたトリックなのだ。主役はトリック。そのための道具を、たまたま思いついただけだったのかもしれない。事実、「七瀬先輩」や「先生」と言わないというのは、伏線として面白かったと思う。
だが、それでは説明が付かないのだ。「探し物ゲーム」の前に、職員室前で、偶然にも、「せ」――「背」の話題が出ていたことに。あれは、本当にただの偶然だったのか?
こんなものは、俺の妄想で、推理でも何でもない。だが、あの時最初に「背」の話題を出したのは誰だったか。唐突にポスターを指さしたのは、七瀬だった。その話の途中、見計らったかのようなタイミングで現れ、瞬時に「背」の話題に気付き、俺に「背」の解釈を与えたのは、京先生だった。
その少し前には、岸は職員室に立ち寄っている。京先生もいたかもしれない。七瀬は、事前に岸からネタバレを受けていただろう。
そう考えると、俺には、どうもあの職員室前での会話が、その後の「探し物ゲーム」のヒントに思えて仕方がないのだ。誰からのヒントかは分からない。岸が根回ししていたのかもしれないし、七瀬や、京先生が岸に提案したのかもしれない。
どちらにせよ、そこから、岸が隠した「せ」は「背」であったのではないか、という推測が成り立つ。もちろん、「身長」ではなく、「大切な男性」の方だったろう。つまり、あれは、「大切な男性を探し出す」――そういう意味が込められたゲームだったのではないか。
お嬢様っぽい岸が考えそうな、ロマンティックなメッセージだな……と、俺にはその程度の感想しか出てこない。第一、合っているかどうかは分からないしな。探偵も同じことを考えていたとのではと思うのだが、どうだろうか。あいつが言わなかったということは、やっぱり推理と呼べる代物ではないのだろう。
昼休みも、終わりに近づいてきた。次は授業がある。準備をして、席を立った。平城先生は、いつの間にか職員室から姿を消している。俺としたことが、考え事に熱中しすぎて、気付かなかったようだ。
こめかみをもみながら、教室まで向かった。自分が担任を務める、二年九組だ。
「カモちゃん!」
急に後ろから声をかけられた。もうすっかり機嫌は直ったようだ。
「七瀬、学校では『賀茂先生』と呼べって、言ってるだろう」
「誰もそんな呼び方しないよー」
ああ。お前が広めたせいでな。
昨日、「探し物ゲーム」が終わったあと、なぜか七瀬の機嫌は悪かった。原因は明らかに俺のようだったが、理由が分からん。
『さっきはあんなことして済まなかったな、七瀬。怖い思いをさせてしまった』
『教師にあんなことされたら、誰だって怖いよな。この通りだ。許せ』
『あれは探偵が勝手にやったことだ。俺はやましい気持ちなんて少しもなかったんだ。少しもだ。頼む、許してください!』
俺は七瀬に詰め寄ったことを礼節を尽くして謝罪したつもりだったのだが……。許してもらえなかったらしい。七瀬は、顔を真っ赤にして、
『カモちゃんの、バカ!』
と言うやいなや、部室を飛び出してしまった。岸には、呆れた目をされる始末。
だが、今の様子を見るに、もう許してくれたみたいだ。今度あのセクハラ探偵と話す時は、きつく注意しておこう。
「じゃあ、賀茂せんせー。次の授業はどこの範囲するの?」
「お前、予習してないのか。軌跡だ」
「うう、わたし、あれ苦手……」
「頑張れ」
「ううう、せんせー、冷たい」
七瀬は恨めしそうな顔をしたが、それはただのポーズだろう。案の定、すぐに相好を崩すと、
「じゃあ、わたしは先に行ってるねー」
と、スカートの裾を翻しながら、走っていった。なんとも慌ただしいことだ。
俺が高校生の時は、どうだったろうか。「休み時間探偵」と言われ、少しは得意になっていた自分が、今では本当に恥ずかしいが……。
休み時間が終わりかけ、よりいっそう活気づく校舎の様子に、目を細める。あの時の俺は、この景色を、どんな気持ちで眺めていたのだろうか。この子たちは、どんなことを考えて、日常を過ごしているのだろうか。
自分の時のことは、もう忘れた。だが、さっきの七瀬のように、彼ら彼女らは、目の前のことやこれから起こることだけを見ているのではないかと思った。それに比べ俺は、過去を振り返りすぎだ。少しは七瀬を見習うべきかもしれないな。
休み時間は、もうすぐ終わりだ。俺は、七瀬が先に向かった教室を目指し、歩みを早めた。
登場人物紹介
賀茂 京介(23)
主人公。語り部。
七瀬 杏乃(16)
幼い頃、賀茂とよく遊ぶ。
岸 あかり(15)
文芸部の一年生。
平城 京(??)
教師。賀茂の担任だった。
『探し物ゲーム~部室から消えたのは?~』
(旧題『休み時間探偵 賀茂京介 ~先生編~』)
完
……というわけで、「せ」が付く文字が伏字になって「〇〇編」となっていたわけです。
どうも、みのり ナッシングと申します。本作を読んでいただき、ありがとうございました。