part.3
このたびはお越しいただき、ありがとうございます。
これからルールを述べます。
あ、その前に、少しばかり言い訳をお許しください。
今回カモちゃんさんにしていただくのは、推理と呼べるものではないかもしれないのです。なぞなぞに近いと言えるでしょう。ですから、今回は「推理対決」ではなく、「探し物ゲーム」とでも題しておきましょうか。
カモちゃんさんには、この部屋からなくなった、あるものの存在を突き止めてみていただきたいのです。それは、常識的に考えて、普通ならこの文芸部室に存在してしかるものです。
とはいえ、カモちゃんさんは、杏乃さんや私と違って毎日この部屋に来るわけではないのでしたね。確かに、以前ここへいらっしゃった時と今では、細かいところは変わっているでしょう。
ですが、別にそういった事情を差し引いても、答えにたどり着くことはできると思います。身近なものですから、常識的な知識さえあれば、極論、初めてこの部屋を訪れた人でさえも、謎を解くことはできるかもしれないですね。……難易度は高めだと、自負していますが。
見つけていただくまでの時間ですが、一〇分間を限度にしていただくことにします。それは今までの勝負と同様です。「休み時間探偵」を標榜する貴方ならではの数字ですね。
カモちゃんさんの勝利条件は、時間内にこの部室から失われた「それ」を口に出して私、岸あかりに告げることです。
そして、次のルールが一番大事なことです。ゆめゆめお忘れのないように。
そのルールとは、
「文芸部室の中では、もし答えが何か分かっても口に出すことは許されない」
というものです。
失われた「それ」を口にしていいのは、答えだという確信を持って私に告げる時に限ります。その瞬間までにうっかり答えを言ってしまったり、私に確認するなどの行為をすれば、名探偵さん、貴方の負けです。もちろん、時間内に答えにたどり着けなかった場合も同様です。ほんとに、気を付けてください。
また、部室内で私に質問することは可能です。私も「答え」を口にしてしまわないように十分気を付けて、できるだけお答えするようにします。ただし、ご質問の際には、くれぐれも先ほどのルールに触れぬよう気を付けてくださいね。
あ、そうそう。ヒントを一つだけ用意しています。質問にはお答えするつもりですが、私から出すヒントはこれだけです。ヒントは、「ぱぴぷぺぽ」です。……ふふ。失礼、戸惑うカモちゃんさんの顔が浮かんでしまって、つい、笑ってしまいました。ごめんなさい。
ルールは以上です。本日もいかなる名探偵ぶりが見られるのか、楽しみです。
それから、もう気付いていらっしゃると思いますが、今回も杏乃さんにはご協力をいただいていまして、部室内での発言を控えてもらっています。
『……それでは、健闘を祈っています』
ここで再生が止まった。
ああ、これは、無理かもしれない。
話は数分前にさかのぼる。
俺たちを引き戸の向こうで待ち構えていた岸は、また部室から一歩外に出ると、
「これからルール説明を行います。スマホに録音してあるので、聞いてください。ここを押せば再生します」
そう言って俺にスマホを渡してきた。岸のスマホは、カバーすらない、シンプルな装いだった。
岸はそれだけ言うと、また部室へ戻ろうとした。俺は呼び止める。
「おい、それだけか。お前は何をするんだ?」
「部屋の中で、最終確認をします。聞き終わったら呼んでください」
そう笑顔で言うと、今度は本当に中へ消えた。戸が静かに閉められる。
過去の岸との推理対決でも、こういう演出はあった。盛り上げるためというのが、岸の言い分だった。だが、それにしても今日は凝っていた。わざわざルール説明をスマホに録音してくるとは。口調も、ゆったりとした、芝居がかったものだった。台本に沿って、しゃべっているような……。
「カモちゃん、とりあえず、聞こっか」
七瀬がおっとりと言った。だが、口調に少し緊張が混じっているのがわかった。
俺はちらりと七瀬を見てから、画面に表示された三角マークを押した。そして、さっきの音声が流れ始めたというわけだ。
「……終わったね」
再生が止まって七瀬がそう言うのと、部室の扉が引かれて岸が顔を出したのはほぼ同時だった。呼んでくれと言っていたが、待っていたらしい。「最終調整」と言っていたのも、怪しいな。まあ、この一年は 人を食ったようなところがあるし、さもありなんだ。
部室から顔だけ出して、岸は言った。
「それでは、ルールを聞いてもらったことですし、カモちゃんさん、杏乃さん、どうぞ中へ」
ルールを聞く限り、今日も骨が折れそうだ。俺は気合いを入れて、足を踏み出そうとする。
と、急に後ろからシャツを引っ張られた。
「どうした、七瀬」
「えっとね、カモちゃん。さっきも録音で流れてたけど、今日は部室の中ではあまり喋らないようにお願いされてるの、岸ちゃんに。だから、あまり質問に答えられないかもしれないけど、気を悪くしないでね」
申し訳なさそうな顔で七瀬は言った。おっとりしているように見えて、こいつはけっこう人を気遣うやつなのだ。
俺は七瀬の頭に手を置くと、
「気にするな」
とだけ言って、今度は本当に部室の中に入った。
およそ一週間ぶりだろうか。相変わらず狭い部屋だ。もともと入りきらなくなった一階の図書館の本を置いていた物置部屋をわけてもらったのだから、仕方がない。あちらこちらに本の山が積まれているのも、狭く感じる要因だろう。
七瀬も部屋に入って、引き戸を閉めた。……さて、ゲーム開始だ。
岸は机をはさんで向かい側にちょこんと立っていて、なにやら質問をしてほしそうな顔で微笑んでいるが、それは無視して俺はまず部室の中を見渡す。
今日のお題は、「部室にないものを探すこと」だ。普段あまり部室に寄らない俺にとっては不利な問題のようにも思えるが、岸はルールとしてそれは否定していた。それどころか、初めて訪れる人間にも分かるとまで言っていたのだ。「常識で考えれば」という条件付きだったが、俺はこいつに常識が備わっていることを期待しなければならないな。
今、部室にあるものと言えば……目の前には教室に置いてあるような普通の机がある。いつもは部屋の隅にあって花瓶を置いているものだ。今日のために移動させたのだろう。花瓶は、隅の床にそのまま置いてあった。花はない。これはもとからだったと記憶している。
机は他にもあって、部屋の中央に長机が一つ、そして壁際にパソコンをのせた机が一つある。どちらもいつも通りに見える。椅子の数も……合っているはずだ。この部室には椅子は五脚だけで、全部そろっている。当然、パソコンもちゃんとある。
パソコン側の壁には、蔵書が床にそのまま積まれている。この中から一つ消えていても、分からないだろうな……。だが、それはないと思う。誰にでも分かるようなことではないからだ。
反対側の壁には、本棚がある。こちらは、部員が持ち寄った本が並べられている。これも同様、この中の本の一つがなくなっている、とかではないはずだ。本棚の上の方には時計がある。これもいつも通り。
ここまで考えてみたが、やはり手詰まりみたいだ。改めてこのゲームの難解さを意識する。「探し物ゲーム」とは言っていたが、探し物が何か分かっているわけではないのだ。ないものをないと証明する……悪魔の証明を思い出した。
幸い、岸は質問を禁じていない。これは、岸とのやりとりから矛盾を見つけ出し、「失われたそれ」とやらを考えるのが正しいのだろう。岸もそのつもりでこのゲームを考えたはずだ。
だが、そうなると見過ごすことができないのが、岸が言っていた、「答えを口に出すことはできない」というルールだ。
これはやっかいだ。なぜなら、このルールのおかげで、俺は岸に自由に質問することができなくなってしまったからだ。答えが何なのかはまだ分からないが、もしうっかりその単語を口にしてしまったら、そこで俺の負けが確定する。わざわざ「一番大事」なルールと言っていたのだから、判定は厳しいものになるだろう。
これこそが、俺が「無理」だと思った理由だ。地雷がどこにあるか分からない、とんだ初見殺し。悪魔の証明どころか、そのまんま悪魔のゲームだ。俺のような凡人に解けるとは思えない。
時計を見ると、早くも三分が経過している。与えられた時間は十分。決して多くはない。
今回も、自分の力だけでできるのは、これくらいのようだ。さっきからあいつが出てきたくてうずうずしているのがなんとなく分かるし、岸も、それを楽しそうに待ち望んでいる。
はあ、もう慣れたつもりだったが、やはり傷つくな。
俺は息を吸い込んで、「名探偵さん」を呼び出すための、ある言葉――ある意味俺にとっては呪いでもある、その言葉を口にした。名探偵が推理を始める時の、お約束の言葉だ。
『さて――』
瞬間、世界が反転し、景色が急に色あせていく。俺は奥に、奥に入っていき、代わりに、あいつが、表へ出て行く。沈んでいく俺にあいつは、やあカモさん、久しぶりですね、などと言いながら肩をたたいた。
身体の支配権はなくなり、感覚だけが残される。もはや賀茂京介は賀茂京介ではない。今、俺の身体の表層に現れているのは、紛れもない名探偵――俺が「休み時間探偵」などと呼ばれるようになった元凶にして、俺に取り憑いたもう一人の人格。
「さて――簡単な話です」
杏乃たちの言う「カモちゃん」のイントネーションは、大学生がよく使う(?)「ワンチャンあるよね」の「ワンチャン」に近いものがあります。
お犬様を指す「ワンちゃん」ではありません。