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再帰性の殺人  作者: みのり ナッシング
○月限定ハチミツ乗せ苺ショートケーキ事件
11/11

part.5

 

 続いて俺は、先生に視線を向ける。


「平城先生。さっき、話さなかったことがありますね。カードを受け取ってから、先生はある細工をした。


 ハチミツに関する注意文――あれは、先生が書き加えたものじゃないですか?」


 俺が気付けたのは、箱にカードを入れたのは岸ではないと探偵が断言した時だ。この文章が岸の書いたものではないとすると、いったん岸の手を離れる必要がある。


 最初は、おじさんが目立つようにしたのかと思っていた。しかし実際は岸が作ったものだった。彼女は乳児にハチミツを与えてはいけないことを知らなかった。当然、別の人間の手によるもの。


 それができた人物は、明らかだ。


「ええ、そうよ」


 先生は、依然として優雅に微笑んでいる。


 岸が一言も発しなくなったのは、このことが原因じゃなかったのではないか。平城先生が乳児ボツリヌス症の説明をしたあたりから、彼女はじっと考え込んでいる様子だった。あれは、もしかしたら、自分を責めていたんじゃないか。


 1歳未満の乳児にハチミツを与えてはいけないこと。その事実を知らずに、あの問題を作ってしまって、岸は落ち込んだのではないか。


「大変なことをしてしまったと、考えていました」


 彼女は唇を歪ませた。


「幼いころ、よく神亀庵のお菓子を買ってもらったんです。一緒に入っていたクイズが大好きでした。大人も子供も、誰もが楽しめるような謎――いつしか私も、あのおじいさんのように、人を楽しませるクイズを、物語を届けたいと思うようになりました。


 だけど、まだまだ全然ダメですね」


「岸は、おじさんに迷惑をかけてしまったと思って、落ち込んだんだな」


 もし先生が注意文を書かなかったら、店主が紛らわしい問題を作ったことになる。身内のなかで見せるだけだったとしても、後で事情を説明できるとしても、それが嫌だったのだろう。


「はい。私が正しい知識を持っていなかったばかりに……」


「で、でもさ! 岸ちゃん。それは私も同じだったよ」


 七瀬がうろたえたように言った。


「誰だって、最初から全部を知ってるわけじゃない。だから私たちは勉強するんだよ。家で、学校で、人と関わりながら、色んなことを知っていくんだよ」


「……先輩のおっしゃる通りだと思います。だけど」


 岸は悲しげな目で、七瀬を見つめ返した。


「途方もない。そう思ってしまったんです。これから生きていく中で、今日みたいなことはどれだけあるんだろうって。私は、全てを知ることはできない……」


 淡々と語り続ける。唇の震えが言葉に移らないように、懸命にこらえているようだった。


「なのに誰も、自分の知らないことに配慮なんてできない。今回みたいに、いつか誰かに迷惑をかけてしまうんじゃないか――そう考えたら、とても怖くなって。急に目の前が真っ暗になったような気がしました。人を笑顔にするための謎が、誰かに迷惑をかけたり、傷つけたりしてしまうかもしれない。それがどうしようもなく怖かったのです」


 七瀬は、今度は黙っていた。かけるべき言葉を、見失ってしまったかのように、不安げに瞳を揺らしている。


 岸がこんな弱音を吐いている理由を理解できないのだと思う。仕方がない。俺や七瀬にとっては、ハチミツの一件は大したことではなかった。だが、岸にとっては。


 ここまで自分の感情をはき出したのは、その悩みが、自らの根幹に関わるものだったからだろう。ずっと憧れて目指してきたものの、危うい側面に気付いた。それだけに彼女は今、大きく揺らいでいる。


 だから俺は、言わなければならない。


「なあ岸。言ったよな。一人で抱え込まなくていいんだって」


 岸がゆっくりと顔を上げる。


「お前の感じている悩みは、多分誰もが多かれ少なかれ抱いていて、そして自分で向き合っていくしかない類のものだ。人それぞれ、心に根ざした悩みの形は違うから、それを他人がどうこうできることでもないんだと思う」


 聡明な彼女のことだ。静かに耳を傾ける岸は、こんなこと、とっくに理解しているかもしれない。さっき吐露した悩みだって、いずれ、必ず自分で乗り越えていけるはずだ。


 だから、せめて俺が言ってやれるのは、


「抱えるのが辛くなったら、俺たちのところへ来たらいい。ミステリの話でもしようぜ」


 岸は一瞬呆けたような表情を浮かべた後、くすりと笑った。


「なにそれ。らしくないですよ」


「本当よね、賀茂くんは」


「平城先生。それはないですよ……」


 ていうか、先生の前で俺風情があんな熱いことを言ってしまうなんて。いまさらながら、顔から火が出そうだ。


 場の空気が、ようやく緩んだ。それで七瀬も、肩の力が抜けたようだった。するりと、自然な調子で言葉を吐き出した。


「岸ちゃんが文芸部に入ってくれて、私嬉しいよ」


 こういうことを照れもせずに言えるのは、七瀬の良いところだ。岸はほんの少し顔を上気させて、しかしちゃんと岸の目を見ながら、


「はい。私もです!」


 笑った。それはいつも通りの、落ち着き払った笑みではなかったが、俺はもう心配などしていなかった。




「二月限定ハチミツ乗せ苺ショートケーキ事件」 完






お読みいただき、ありがとうございました。

活動報告にて裏話的なことをしますので、よろしければ覗いてやってください(^^)

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/2301863/

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