part.1
登場人物紹介
賀茂 京介
主人公。語り部。
七瀬 杏乃
幼い頃、賀茂とよく遊ぶ。
岸 あかり
文芸部の一年生。
平城 京
教師。賀茂の担任だった。
実は本作には裏のサブタイトル(実は旧題)があって、それは『【番外】休み時間探偵 賀茂京介 ~○○編~』というものです。○○の中に何が入るのか、推理してみるのも面白いかもです。
「カモちゃんさん、探し物ゲームをしましょう」
不意に、この春我が栄藍高校へ入学し、そしてすぐに文芸部に入ってくれた一年、岸あかりがそういった。
扉を開けた部室の入り口を挟んで、俺と岸は対峙する。なんとなく部屋に入るのがためらわれて、扉に手をかけたまま俺は問いかけた。
「探し物ゲーム?」
「そう、ちょっとしたゲームです」
岸は、一年女子とは思えないくらい落ち着いた態度で、にやりと笑った。
五月に入り、冬の間にすっかり口癖となってしまった言葉も、そろそろ抜けたころかと思っていたが。
「寒い」
「カモちゃん、もう五月だよー」
放課後、部室に向かう途中、思わずつぶやいてしまった俺の言葉を七瀬杏乃は聞き逃さなかった。ぼうっとした雰囲気なのに、七瀬はいつも俺の言動にしっかり突っ込みを入れてくる。
「さてはカモちゃん、手洗いうがいしてないでしょ? 五月病だね」
「カモちゃんって言うな。……あと五月病は風邪のことじゃないぞ」
「そうなのっ!?」
素で五月病を風邪の一種だと勘違いしていたらしい。心配だ。まあ、季節の変わり目は風邪を引きやすいというし、手洗いうがいをサボりがちなのは当たっているのだが……。
七瀬杏乃。十六歳。童顔で背が低い。七瀬とは家が近所で、昔からよく遊んだものだ。俺の後ろについて回る様子を見て、周囲は「カルガモみたいね」と微笑ましく見守っていたらしい。親ガモ・子ガモというわけだ。昔のことを思い出したのは、さっき二年九組の教室から先に出ていた俺に七瀬が追いついてきたからだろうか。
そんな小さかった頃から、七瀬は俺のことをなぜか名字である賀茂から、「カモちゃん」と呼んでいる。普通は下の名前をもじるものじゃないのか。七瀬のネーミングセンスは特殊だ。
しかし、七瀬はもちろん、周囲もそれをいたく気に入ったようで、その呼び名は瞬く間に広まった。子ガモが親ガモを「カモちゃん」と呼ぶのだから、それはさぞかし面白い光景だったろう。就学以降はしばらく七瀬との交流は細々としたものになったのだが、去年、入学式の日にクラス分けの掲示板の前で七瀬と再会した時も、俺を見つけた七瀬が「カモちゃん!」と大声で叫んだものだから、その日以来、栄藍高校での俺のあだ名は「カモちゃん」に決定してしまった。
思えばその時から七瀬の顔はあまり変わっていないような気がする。いや、ひょっとすると幼い頃、一緒に遊んでいた時から……さすがにそれはないか。
そんなことを考えていたら、七瀬はちょっと怒ったような顔をしていた。
「カモちゃんっ! 今、わたしが子どもみたいとか、考えてたでしょ」
「な、なんでわかるんだ」
「カモちゃんが失礼なことを考えている時は、唇が歪むの」
こうやって、と言って七瀬は福笑いのような顔をした。おお、たいそうな間抜け面だ。気を付けないと。
七瀬は「小さい」とか「子どもっぽい」などのワードに敏感だ。背が低いことがコンプレックスなのだという。それにしても、考え過ぎなところがあると思うが……。
急に、七瀬が立ち止まって、掲示板のポスターを指さした。ちょうど職員室の前である。
「この文字が見えますか? カモちゃん」
「いきなりどうしたんだ……。『背』か?」
「そう。……ええー、『背』という字は――」
七瀬は芝居がかった口調で、国民的に有名なあの教諭を意識しているのが分かることを言い出した。恐れ多くも、職員室の前である。
たっぷりためてから、七瀬はしみじみと言葉をつないだ。
「――こんなふうに、縦に長いのです」
「……」
だからどうした。
「分かる? カモちゃん。わたしの背も、いつかはこの『背』という字のように、長く伸びるのです」
自分の言葉に感じ入るように、七瀬はゆったりと続けた。あたりが静けさに包まれる。
……七瀬よ、ついに字に自分の願いを込めなければやっていけなくなったのか。しかも強引な解釈。
哀れになったので、話を変えようと、俺は努めて明るく言った。
「ところで、結構小さい字なのに、歩きながらよく見つけたな。素晴らしい動体視力だ」
「身長に関するものには、つい反応しちゃうの」
ポスターを指さしたまま、七瀬がぼそりとつぶやいた。
「……」
その時、静寂を破るようにガラッと職員室の扉が開いた。中から出てきたのは、なんと、京先生ではないか!
「京先生!」
女学生のような黄色い声を上げたのは、俺だ。京先生、ああ、今日もお美しい。
俺が一年の時の担任である、平城(ひらき)京(みやこ)先生。名字と名前をつなげて書くと違うものと紛らわしくなるので、ルビは横に振らせていただきました。現在、七瀬や俺がいる二年九組のお隣、二年一〇組の担任を務めている。
そして、俺にとって生涯忘れられない恩師になるであろうお方だったりもする。その節は、大変なご迷惑をかけました。もうずいぶん前のことのように感じてしまうが、そんなこともないんだよな。俺が「休み時間探偵」などと呼ばれていた時の話だ。
京先生の支えがなければ、今の俺はいない。と言うと大げさだが、それでも助けられたのは事実だ。感謝してもしきれない。
だから俺は、尊敬の念を込めて、先生をこう呼んでいるのだ。
「京先生!」
「賀茂くん、平城先生、でしょう。……それに七瀬さん。こんなところで、愛の告白でもしていたの?」
たしなめられてしまった。むう、やはり名前呼びは受け入れてもらえないのか。
それにしても、京先生は今、なんと言った? 告白?
「え、な、何を言ってるんですか、平城先生、あ、愛とかって……」
動揺したのか、七瀬は顔の前で両手を交差させた。みるみる顔が赤くなっていく。そんな七瀬を見て京先生は、
「ほら、だって今、『背』っていう字を指さしてたでしょ?」
と言った。口調から、冗談を言っているのだろうとは分かったが、意味までは分からなかった。それにしても、一瞬で指さしてる字が何か分かったのか。先生は目が良い。
もう一度ポスターを見る。なにやら古典の教科書に載っていそうな絵が描いてある。十二単だったか、きらびやかな着物を着た女性が一人、建物の中にいて、そこから離れたところでは烏帽子を被った男性が何かを手に持っている。手紙か?
それらを背景に、グニャグニャとした昔の字で書かれた文章が川の流れのように配置されている。「背」という字は、その中の一字だったのだが、他の字、特に漢字以外はあまり読み取れない。京先生という師を持ちながら、俺は昔から古典が苦手なのだ。
あ、そうか。京先生は国語を受け持っている。先生には俺たちとは違うものが見えているのかもしれない。
「先生、『背』という字に、何か意味でもあるんですか?」
「あれ、賀茂くんには教えたことあったじゃない」
「う、すいません」
おっと、藪蛇だったか。また京先生にお叱りを受けるのも一興だが、やはり俺は先生の笑顔を見ていたい。いや待てよ。京先生の怒り顔というものを俺は見たことがない。先生はいつも笑顔で、怒っている時もその例外ではなかったはずだ。他の生徒にはそれが恐怖の元らしいが、ふむ、それもまた笑顔……。
「カモちゃん、気持ち悪いこと考えているでしょ……」
「な、そんなことは考えてないぞ」
「カモちゃんが変なことを考えている時は、唇が歪むの」
こうやって、と言って七瀬はなまはげのような顔をした。おお、たいそう不気味だ。気を付けないと。
馬鹿なやりとりをしていると、ため息が聞こえた。先生の困り顔が見られるかも! と急いで京先生の方を向いたが、先生の微笑は崩れていなかった。微笑んだままため息がつけるのか。先生は器用だ。
京先生は、七瀬に声をかけた。
「ここの一節、七瀬さん、読んでみて」
「あ、はい」
きょとんとした顔で七瀬がポスターをじっと見つめた。
「えっと……『いもせのちぎり――』」
慣れない言葉を音読するようにたどたどしく発音して、それきり、七瀬は黙った。
京先生の言いたかったことが、俺にも分かった気がした。
「妹背の契り――男女が交わす約束、というとこかしら。「背」には、兄弟とか、「大切な男性」っていう意味もあるのよ」
なるほど、そういうことか。男女が交わす約束など、知れている。七瀬は顔を赤くして固まっていた。
よく見れば、俳句コンテストの募集ポスターだったのだ。端には小さめの字で、「第11回 俳句大会 作品募集 恋のうた」と書かれていた。
本作をお読みくださりありがとうございます。
お読みいただければ分かる通り、本編より時間軸が後の話になっていますが、特にネタバレは無いと思います。
また、休み時間ではなく放課後の部活での話になっており、登場人物も後輩たちというように、異なっています。
本編ではなかなか出す機会のないキャラとの絡みもお楽しみください。笑