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デコ助はどこまで行ってしまったのだろうか。それか、捕まってしまったのだろうか。
彼はデコ助にやって貰いたいことが沢山あったが、こうも見つからないとなると、近くの扉を次々と蹴り破っていきたくなる節があるのは、気の短い場合の特徴だ。
そんな折、ふと足を止めるような気配が側面に、冷気が掛かるような感覚を帯びて流れてきた。
暑い空気は冷たい空気の上に出来るが、このとき彼に迫ったものは半身を覆って、風を切って走る姿を思い浮かべさせるのは、この空気の流れだろう。
彼はそんな目をして奥の扉、錆びている取っ手は他のとは違い、まるで客でも呼ぶのではないか、という場違いな雰囲気を漂わせた異質感と、わずかに異臭が鼻をさする。
勘で開けるような事はない場所に立ち入ろうとするのは、意図的な行動である、と説明する必要はないだろうが、その説明を強いられる突飛な行動を取っているのだ、彼は。
開けると、そこからはガスが溢れだした。
黄色い空気が溜まっていたのは一目で気づくが、嗅いでみれば違う臭いがある事に気づき、大きく息を吸う。
オナラを倣ったような臭いに脳をやられたか、めまいが生じて頭が揺れ、船上にて甲板の感覚を味わっている気分になった。いや、彼はもともと船乗りだったのだ。
空を行く船に揺られて、広く伸びる地平線を眺め、見覚えのない少女と女に挟まれ立って懐かしみ、その温かさに嬉しさを感じるのが、今の姿のはずだ。
現実は団長をしているが、妄想は上手くいかない冒険譚。
カッコ悪い性格をしていながらも、自由奔放に生きる事への強い憧れでもあったのかもしれない。
隣から声がした。
「本当に、そうなの?」
次に目覚めた時には上半身を起こして息を切らし、額に手をあてて喘いでいた。
仲間を欲しがっていたからかもしれないが、そんな少女趣味も信頼も壊れれば怖い夢になってしまうのに、それを手に入れてしまった俺が嬉しいのか。
横に置かれた台の上にある、適当な写真立てを覗いてみると、幸せそうな俺と嫁が並んで笑ってる。
結婚していたのだ。
忘れていたと思い出すと目の端に光が入ってきて、隣の部屋に誰かが居る気配を感じ取った。
ベッドから離れ、ドアの隙間から隣の部屋を覗くと、しつこく口を口で弄る知らない男と嫁がキスをしていて、それにたじろぐ俺に気づいた二人がこっちを見て言う。
「そうやって、逃げるの?」
呆然としていると、服が引っ張られた。
裸足で広大な高原に立っていて、青白い服に黄色い肌をしているのに気づくには時間が掛かったが、鬼ごっこをしていることには、そう時間が掛からなかったのは知っている。
皆が蜘蛛の子を散らして逃げるのを眺めながら、俺はゆったりと追いかけ始めるのだった。
知らないはずがない遊びに、黄色い声を聞きながら楽しむのもいいかもしれない。
小さな女の子を捕まえた。
少女は目が飛び出ていて、人形を模した表情を浮かべている。
「女は道具なの?」
気づけば、朽ち果てた工場の中に居た。
足下にゴロゴロと音を立てて転がってきて、爪先にあたったところで下を見たが、目を細くして眺めなければ見えなかったのは、目が慣れるまでの辛抱。そう思うしかない。
やっと見えたときには、ペンキのバケツでも溢してしまったのか、と考えていたが、足で踏む感触にしては、やけにベタついていた。
少し上に目をやると、目や口、髪や耳にピンク色の液体と白い液体らしきものが闇に紛れて、そっと、混ざりあって着いている。
屈んで手にしてみる事にした。
それを手にした瞬間、俺は反射的に手を離してしまう、異質な硬い物体に触れてしまう。
焦点が合うこともなく、奥の筋肉がズリ落ちた片目に、もう片方は精液を詰め込まれ、それと血が混ざりあって微かなピンク色の液体を完成させ、穴という穴から入れられた液体は切断された顔のいたるところに見受けられ、手には血が。
自分がしたわけではない。
叫んでしまいそうな俺は上を見た。
そこには同様の物が何千とフックに引っかけられて、まるで干し柿のように並べられていて、壁へ目を移すと、人間の骨だと主張してくる肋骨と脊髄の装飾に、発光している電球を手にあたる部分へつけ、全身の皮を文字通りに剥いで、壁紙代わりに貼られている。
その時、工場全体が喋った。
「この世界で生きるなら、何かを捨てれるか?」
周りを見渡せば地面が天井に、天井が地面になっており、時折、ケタケタと笑っているかのように揺れる。そして、天井から吊るされて、目の前には大きな顔が現れ、暖色ばかりの線が後光のように差すのだ。
ぶら下がっていたせいか、俺の腕は血管を綺麗に抜き取るように、地滑りを体で起こしたようにしてすり抜け、骨の丸まった部分からは細い血管が生えているのに目がいった。
体ってこうなっているのか。
不意に頭は体から離れて、意識が飛んでいってしまったかの如く浮遊感を感じ、どこかにぶつかった。
「イテぇなあ」
彼は今まで何をしていたのか、それに気づくことはなかっただろうが、この扉の先は行き止まりになっている事を知識的に理解しているのか、異臭の立ち込める部屋から出て、ゆっくりと軋むドアを閉める。
有毒なガスにやられてしまったから見た、一種の幻覚か何かだと考えれば、ここは廃鉱になった鉱山か何かだと推測され、ここにはデコ助がいないと判断した。




