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ゾディアックサイン  作者: カラス
その名はムー
68/73

船上生活~明日香~

夏だ! 映画だ! 前売り券買ったら、忘れてもう一回お金を払うなんてこと、ないようにしましょう!

(一昨年やらかしました)

 目的地まで日数がかかるとはいえ、プロの船員でもない泰吾にとって、ずっと船の上で揺らされるというのは、流石に飽きが回ってくる。

 その上、遮蔽物もない船では、内部もサウナのように蒸し暑い。何をするにしても、汗とは無縁ではいられない。


「クーラーないのか、この船……」


 まだ、この船に乗船して二日目だが、寝起きは最悪だった。

 クーラーがない彼の実家でも、より風通しをよくして涼む工夫が、ここではできなかった。


「太平洋のど真ん中で、今はまだ日本のほうが近いか……」


 用意されていた個室は、それほど広くない。ベッドを別にすれば、最低限の足の踏み場と窓のみがあり、あとは廊下へ続く。自ずとに談話室のテーブルで過ごすことが多くなるのだが、今この場にはテーブルで本を読んでいる明日香しかいない。


「よう……」

「あら……おはよう。汗臭暇人さん」


 彼女の毒舌にもなれたものだ。

 泰吾は苦笑しながら、彼女の向かいに腰を下ろす。


「なあ、猿飛は何を読んでいるんだ?」


 彼の質問に対し、明日香は無言で本を傾ける。『欲望と人』というタイトルから、泰吾は少し気まずくなる。


「面白いのか?」

「興味深くはあるわね」


 無視を覚悟していたので、返答に泰吾は少し驚く。「どの辺が?」と続けると、


「人間って、例外なく欲深な生き物だっていう主張ね。古本屋でいいものを見つけたわ」

「欲深か?」

「ええ。欲深でなければ、今でも人は洞穴暮らしか、とっくに絶滅だって」

「へえ」


 思わず息が漏れた。明日香は、口を閉じるどころか、さらに続ける。


「曰く、人が炎を手に入れたときから、より豊かな暮らしがしたい、より楽に生きたいと考え出したそうよ。それが高じて、田んぼを作り、家畜を飼い始めたと」

「まさに、欲の塊だな」

「ええ。生きるための必需品よ、欲望は。人類は、頭が少しよすぎるのね。それで欲深になって、地球を支配してしまった」

「ほう。初めて聞く話だな」

「ふふ、驚いたでしょう? 欲深といえば、だれもが否定するような内容なのに、この本は肯定しているのよ。盛大に」

「そうなのか。少し興味わいたかもな。ことわざにも多いよな。二兎負うものは一兎も得ずとか」

「貴方はどうかしら? 欲深な人間さん?」

「お前もその人間なんだぞ? 忘れていたか?」

「私も欲深よ。日々あのお姫さまの泣き面を見たいと苦心しているわ」

「性格悪いな、お前」

「あら、女性はサディスティックな方が魅力的でしょ? ついでに貴方にも同じ仕打ちでもしてあげましょうか?」


 明日香は、体は全く動かさないが、どことなく妖艶な笑みを浮かべている。彼女が口を吊り上げるときは、大体サディスティックなことを考えているということを、これまでの傾向から泰吾もわかっていた。


「遠慮しておく」

「あら、そう。残念ね。面白そうなのに」


 明日香の言葉に苦笑しながら、泰吾は傍らの本の山に目を移す。彼女もそれに気付いたのか、


「貴方も暇なら、本くらい貸してもいいわよ」


 明日香は、そう言いながら、左手で本を一冊放る。

 礼とともにその本を受け取った泰吾は、表紙を見るなり絶句した。


「……お前こういう趣味あったんだな……」


 その言葉に反応した明日香が顔を上げ、即座に動いた。


「……見た?」

「見てない」

「本当に?」

「……人の趣味はそれぞれだしな。まあ、気にするな」

「見たのね?」

「‥‥ここで俺が見ていないと言ったらお前は信じるか?」

「無理ね」

「俺の口、まあまあ固いから」


 泰吾は苦笑いを浮かべた。喜劇ダジャレ集、それも相当使い込まれているものなど、マイが知ったらどんな反応をするか泰吾には予想できなかった。


「俺の祖父も好きだぞ、そういうの」

「……私の趣味がオヤジ臭いって言いたいのかしら?」

「いや、まさか。俺だって、鉄の部品を色々いじるのが好きだし」

「……」

「そう警戒するなよ。誰だって隠したいことの一つや二つ、あるだろう?」


 何気ない泰吾の一言。それで明日香の頬が若干赤くなるが、泰吾がそれに気づくことはない。


「それに、誰もそれくらいでお前の陰口をたたいたりしないだろう?」

「姫さまはしたのよ」

「……」


 マイに関する以外なカミングアウトに、泰吾は言葉を失う。


(まあ、日ごろから長い悪口言い合っているから、仕返しか)


「貴方は、あるの?」

「え?」

「貴方には、こういう知られたくない秘密はあるの?」


 泰吾は口を紡ごうと考えたが、彼女も知った方がフェアだろうと思いなおす。

 が、彼の口から出た言葉は、


「……ごめん、俺の記憶にはない」

「……は?」


 明日香が憤怒の表情を見せる。それに対し、泰吾は慌てて弁明した。


「いや、そう、不公平な意味合ではない! ただ、そうだな……俺のあまり知られたくないこととは、記憶喪失なことくらいだろうな」

「あら? 初めて知ったわ。そんなこと」

「言う機会も必要性もないからな。……ライブ会場の事件は覚えているか?」

「ゾディアック構成員で、あの出来事を覚えていない人はいないわ」


 泰吾が言及しているライブ会場の事件。それは、とあるグループコンサートの会場に、古代の怪物、ゴーレムが突如出現した事件である。主役の歌手たちや観客を含め、大勢の死傷者を出した。当時警備員として警護していた泰吾も、その事件に巻き込まれている。


「あの事件より前の記憶がないんだ。まあ、爺ちゃんや姉さんからすれば、今の俺は昔と大差ないようだし、不便はしていないが、記憶がないというのは少し気味が悪くてな」

「なるほど。まあ、確かにたった三か月前後の付き合いの私たちにわざわざ語る内容でもないわね」

「これが、俺の隠し事、かな。これでおあいこにできるか?」


 明日香は、すぐには返答せず、本を置いて立ち上がった。個室に続くドアを開き、


「……ええ。それがほかの人に知られない限りはね」


 唇を人差し指にあてながら出ていった。


「……熱さと退屈でどうかしたか?」


 最後の色っぽい行動が、泰吾は全く理解できなくなった。


 そして、欲望の本に栞が挟まっていないことに気付かず、泰吾は談話室を後にしたのだった。

明日香はチョロインではなく、暑さに頭をやられたのです

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